『文化祭』

第4話:『文化祭2日目』


 文化祭2日目です。のんびりと楽しみましょう。

 要するに偶然だった訳です。
 その日私は、いくつかの問題に同時に苛まれながら、文化祭二日目校舎の中をせわしなく歩いていました。問題の時間まであまりありません。頭のなかで猛烈な引き算が始まります。クラスの人たちは駄目です。相沢さんの知り合いである月宮さんと美坂さんのクラスが、なかなか好評で、こちらも負けられないとばかりに頑張っているからです。従って月宮さん達にも頼めません。相沢さんで思い出しましたが、あの人達も多分駄目でしょう。先程ものすごい格好をして水瀬さんと並んで歩いているのを見たときには何事かと思いましたし……。三年生は――同学年で、お互い話したことのある月宮さん達ならともかく、ただの知り合いの知り合いではさすがに気が引けます。
 要するに偶然だった訳です。
 おそらく彼女はあまり乗り気でなかったのかと思います。お祭り騒ぎが好きですが、自分を置いて、もしくは自分が離れてみるしかないお祭りには、羨望の眼差しを向けることはあっても、自分からは決して参加したりはしません。ですからそこには、おそらく相沢さんか水瀬秋子さんの助言があったのでしょう。相沢さんがあんな格好でしたから、多分後者ではないかと思います。真琴は背中さえ押してもらえれば、前に歩くことが出来るタイプです。きっと、相沢さんのお店をからかってやろうとかなんとか言いながら、あまり乗り気でない様子で、しかし内心は期待に胸を膨らませて、出かける準備をしていたのではないでしょうか。
 要するに偶然だった訳です。
 しかし、文化祭二日目に真琴と出会えたことで、私の頭のいくつかの問題が、一挙に解決したのでした。

「美汐ーっ、真琴、なんか悪い事した!?」
「していません。少なくとも私の知っている限りは」
 今、真琴は私のすぐ後ろにいます。正確に記するなら、私の手が彼女をはぐれないようにとしっかり掴んでいて、より正確に記するなら、そう簡単にふりほどけない襟首をしっかりと掴んで、ほとんど引きずる勢いで体育館の方に引っ張っているということになるのでしょう。
「あうーっ……」
 やっと観念したのか、手にかかる抵抗が減りました。
「そんな情けない声上げないでください」
「だって、まだお昼食べてないのに……」
 時刻はまもなく13時。なるほど、少し遅いとはいえお昼時です。
「一応訊きますが」
「……なに?」
 なにもそこまでしょげ返った返事は無いでしょう。
「いつから此処に?」
「朝から。祐一のお店からかって、あゆのところで鯛焼きとアイスクリーム食べて、それで色々回っていてそろそろお昼食べようって思ったときに美汐に捕まったの!」
「そうでしたか。それなら何も問題ないですね」
「あるーっ!お昼ーっ!」
 じたばたじたばた。とうとう騒ぎだしました。……仕方がありません。
「後でおごってあげます」
 真琴を引きずっている手の後ろの方で、一瞬だけ騒ぎが止まりました。しかし所詮は一瞬。すぐさま前より酷い大騒ぎになりました。
「後って何ーっ!!」
 ……やはり強硬手段には無理がありましたか。
「いいですか。真琴」
 私は襟首の手を離して振り返ると、じっと真琴の目を覗き込みました。彼女が落ち着くまで、少しの間じっと待ちます。
「いま、私は困っています。どうしても、真琴の力が必要なんです」
「……どういう意味よぅ……」
 疑わしげにこちらを見る真琴。しかし言葉に力はありません。
「純粋にそのままの意味です。ですから、私に力を貸してください」
 そのまま再び待ちます、ややあって彼女が小さく頭を上下させたのを確認して私は踵を返して先程と同じペースで歩き始めました。ただし、この手はもう真琴を掴んでいません。
「……あうーっ……」
 後ろの気配が微かにそう呟いて、そして私についてくる足音が聞こえてきました。


「美汐」
 体育館に入って、普段よりずっと暗い館内を進み始めたとき、再び真琴が私を呼びました。
「――なんです?」
「なんでここ暗いの?」
 確かに暗いのです。窓という窓にはカーテンが引かれ、その内側には暗幕が増設されていますし、館内の照明は現在最小限に絞られ、足下まではともかく、その先ははっきりとわからないくらいです。
「ここって体育館でしょ?」
 少し自信なさそうにそう言う真琴。なるほど、体育館に実際にはいるのは多分初めてなのでしょう。
「そうですよ。それが何か?」
「だって……暗い……」
 そう言っている割にはあまり暗闇に不自由していないみたいです。結構夜目が利く方なのでしょう。……ああ、そうでした。当然でしたね。
「暗いのは、本来の使われ方をしていないからですよ。特にこの三日間は」
 普段は広く感じる体育館も、ギリギリまで椅子を敷き詰めると、手狭に感じるほどになります。その椅子は一方向の群れで、ある方向を向いています。
「あうっ!」
 真琴が急に悲鳴を上げたのは、丁度その椅子が向かう側、すなわち体育館の壇上に、各種照明が一斉照射したからです。まだ下準備だけですが、それが舞台に見えない人はいないでしょう。
『あ〜テステス、1号マイクテス。テスト番号3、実行。<この学校は、好きですか>。2番マイク、応答をどうぞ』
『こちら2号マイク、テスト番号3,返信。<それでも、この場所が好きでいられますか>』異常なしです。オーヴァー』
 なんというか、わかりやすそうでよくわからない暗号を飛ばしています。しかし最初の『テス』だけで充分のような気がするのは私だけでしょうか。
「なんなの……」
「会場から客席に向ける進行用のマイクなんでしょう。音量が大きすぎですけど」
 おそらく手前のお客さんとこちらから、耳にダメージを受ける者が出てもおかしくないでしょう。それくらいの音量です。
「そうじゃなくて!」
 珍しく、苛立たしげに声を荒げる真琴。
「そうじゃなくて、なんなの、ここ。何をやるのよぅ」
「何って――話していませんでしたか?」
「話してない!」
「見ての通り、演劇の舞台です」
 私がそう言うと、真琴はきょとんとして、
「えんげき?」
「劇です劇。テレビで見ませんでしたか?」
「……ドラマのこと?」
「……そうです。それを此処でやるんですよ」
「……え?え、え、え!」
「言っておきますけど、テレビ局は来ませんからね」
「そうじゃなくて!」
 今までの不機嫌が嘘のように急にはしゃぎ出しました。
「これから始まるんでしょここから始まるんでしょ。こんなに近くで見られるなんて滅多に無いじゃない」
「まあある意味、すごい近くになると思いますが」
「そうなの!、で、どこ?どこで観るの?」
「こっちです」
 るんるん気分で付いてくる真琴の手を引いて、舞台の横にあるドアを開けます。
「???」
 中はこれからの開演準備で大わらわでした。大道具小道具が行き交い、役者は皆衣装の準備が済んで、台本あわせをしています。
「なにこれ? 美汐」
「何って――見ての通り舞台裏です」
 見上げれば、二階にあたるコントロールルームで、何人かがヘッドホンを装着して何かを操作しています。おそらく直には音響関係のテストは出来ないための対応策なのでしょう。
「ねえ、どういうこと……?」

 そろそろ通しで説明しなければいけないようです。
 文化祭が存在すると言うことは、もちろん運営する側があると言うことで、広義で言えば学校が、そして狭義で言えば文化祭実行委員がそれに当てはまります。
 文化祭実行委員と言っても、実際にイベントを企画立案するのはそれを執り行いたい生徒達なので、実務的な仕事は皆無――な訳がありません。現実は常に酷なのです。そう、本当に酷なもので、くじ引きで任ぜられた実行委員会のくじ引きで与えられた私の役割は、毎年恒例の全校生徒有志による演劇のフルサポートなのでした。
 はっきり言ってしまえば、場合によっては熾烈を極めるというクラス担当のほうが、まだ生ぬるく思えるほどのハードワークです。此処で私のした仕事というのは、演劇内容のチェック(要するに映倫と同じです)、各練習のスケジュール調整、そして各員の連絡役と、心身両方をフル活動させなければなりません。それを昨日、つつがなく終了して、今日も明日も弊害無く終わらせようと決めた今日の朝、問題が発生しました。
 役者の生徒がひとり、事故で足を痛めたのです。

「というわけで、急いでくださいね。後1時間も無いんです」
「じょ、じょじょ、冗談でしょーっ」
「オイ、天野ほか一名、声が漏れる声が」
 何故使っているのかわかりませんが、小道具のひとつに向けてはんだごてを使用していた小道具担当に注意されました。
「そろそろ気の急いたお客が入ってくる頃だ。慎重にやらにゃいかん。慎重にな。ところでその傍らのほか一名は誰かね?」
 「だれがほか一名よう」と文句を言う真琴押さえて、
「例の代役を見つけてきました」
「おお!代役を見つけたか!」
 その声を合図に至るところから大道具担当、衣装担当、台本製作担当、そして重要な役者担当、ウケねらいかそれとも本気か二階からロープを伝って音響担当と照明担当が飛び出てきました。そしてあっという間に真琴を取り囲みます。
「フム、イメージ通りだな。でかした、天野」
「ちょっとタッパがありすぎかな……?」
「いや、丁度良いんじゃない?むしろ小柄でない方が良いよ」
「綺麗な栗色ね、髪」
「あれ、もしかして地毛?なら本当に好都合だ」
 これだけ多くの、しかも同じ年頃の人に囲まれたことはいくらバイト先の保育園でもないのでしょう。真琴は目を白黒させています。
「後は声ね」
「ああ、そうだ。済まないがちょっとしゃべってみてくれ。『あいうえお』。最初はゆっくり、次に出来るだけ早く。サンハイ!」
 そこでやっと真琴は状況が掴めたようで、せわしなく首を振って私を捜すと、
「まだやるって言ってな――」
「お昼に加えて2年生のところのジャイアント肉まんを付け加えます」
 見つかる訳がありません。真後ろにいて首の動きに合わせて動いていたのですから。それはともかく、彼女の首筋にそっと呟いた私の一言で真琴は沈黙しました。ややあって。
「それふたつ」
「OKです」
 契約成立です。
「あの……もしかして言葉通じてない?髪の色といい、なんだか外国人っぽいし」
「通じるわよぅ。名前は真琴、沢渡真琴」
「ふむ、では再び問おう、沢渡君、『あいうえお』はじめはゆっくり、次は早口、だ」
 そうやって演技力のチェックを行っている間にも、台本製作担当がその結果を直接聞きながら台本直しをしたり、衣装舞台が採寸のため彼女の至る所にメジャーを巻き付けたりしています。
「測定完了。かなりのナイスボデイだね〜」
「そんなことはどうでも良い。直ちに同じサイズの衣装をどっかから調達せよ!」
「了解〜」
 数名が飛び出していきました。おそらくこの期間中に制服以外を着ている生徒の中から、同サイズの制服を着ている生徒割り出して、借りてくるのでしょう。
「さて沢渡君、君に演じて貰いたいのは『主人公の同級生』だ。台詞回しは特に気を付けるべきところはない。ただし、話の内容では結構重要な役であることを覚えていてくれたまえ……」
 こうして始まった演技指導ですが、割の他すんなりと進みました。少し飽きっぽいですが、真琴は集中すれば、かなりの間集中できるタイプです。今回の場合は好奇心がよほど強いのでしょう。いつもの、知らない人と会うときのような物怖じがなく、真面目に取り組んでいます。
「盗ってきました〜」
 そしてそんな物騒な台詞と共に衣装担当が戻ってきました。
「これを着てくださいね〜」
 そう言ってぱっと掲げて見せます。
「こ、これって……」
「此処の学校の制服ですね」
 と、私。シナリオの方もかなり読んでいるので、どの役がどのような格好をしているのかはほとんどわかります。今回の劇は学校も重要な舞台のひとつですから、学生服が多いということもありますが。
「本当は、作りたかったんだけどね〜」
「仕方あるまい。あのスケジュールではそれよりほかの衣装に重点を置いて欲しかったしな。衣装担当、着付けを頼む」
「りょーかいしました〜」
 そこまでは、やや気の抜けた衣装担当でしたが、ここで急に勢いを付けたかと思うと、
「さあ〜☆お着替えしましょっ!」
「あ、あう〜っ!」
 次に合うときは、私の知らない真琴……にはなっていないと思います。多分。

「あう〜っ……」
 数分経って、げっそりした真琴を見たときはまさか……と思いましたが、どうも着付けをされる側に慣れていなかっただけのようでした。
 まあそれはいいとして、今の真琴は誰が見てもこの学校の生徒に見えます。
「よく似合っていますよ」
「そう……?」

 ――こういうのを何というのでしょうか。娘を嫁に出す母親の心境――は行き過ぎですね。……そう、始めての学校に娘を送り出す母親の心境――結局母親ですが――そんな気持ちです。

「ああ、そだ。オイ天野」
 人が感慨に耽っているのに、なんと無粋な呼びかけでしょう。
「お前さんも早く衣装合わせしてくれ。衣装がさっきあがったそうだから」
 ……は?
「だから、昨日までに間に合わなくて没にしちゃった『黒猫みたいな娘』、シナリオ担当が徹夜して復活させたんだ。ほぼシナリオに埋め込むだけらしいから、天野にやってくれって」
 ……な、
「シナリオの検討、修正までも行ってくれたから、大体のキャラはわかるだろ?それにあの役は全くしゃべらないから問題ないし」
 ……そ、
「因みについさっきパンフ担当が打ち込み終わって、只今大量印刷中だそうだ。沢渡さんとあわせてしっかりクレジットされているんでヨロシク〜」
 ――そんな酷なこと、無いでしょう!今までの前準備の膨大な作業の上、さらに出演なんて、ハードワークもいいところです。……まあ、真琴と同じ舞台にいた方が、見ていて安心と言えますが……。しかしそれでも!
「さあ〜☆――」
 ああ……、そんなことより今度は私が昨日と違う私になってしまうのでしょうか……。


「美汐、似合いすぎ」
「そんな酷な言葉、無いでしょう」
 厚手のふんわりとした黒コートに同じく黒の巨大なリボンを付けた、どう見ても私のキャラクターに合わない格好を見て、真琴の放った言葉はそれでした。しかし真琴は真琴で本当に似合っています。既に小道具の学生鞄(もちろんわたし達の学校のものです)を両手に提げている姿を見ると、文化祭明けにも転校して来そうな感じがするのは私だけでは無く、彼女を知る人であれば皆同じであると思います。
「……真琴こそ、来週から此処で勉強したらどうです?」
 私のからかい半分、本心半分の勧誘にも真琴は笑って答えて、
「駄目よぅ。来週は園の子達に漫画のお話ししてあげるんだから」
 ……なるほど、保育園の保母さんには無理な相談と言う訳ですね。
「開演15分前、前座でザイ研のの二人が出たぞ!」
 司会進行が首だけこちらに出してそう伝えました。同時に、『……ワッフル小町です』『……お米券小町です』と、漫才にしてはかなりテンションの低い声がこちらまで届きました。……アレで大丈夫なのかと思っていたら、直後に観客の爆笑が聞こえてきたのでウケてはいるのでしょう。
「それでは最後の確認を行います。変更点はありません。手筈通りに行きます」
 ここからは役者同士の最後の打ち合わせになります。もう後は各部署毎の点検しかないからです。ちなみに司会は『主人公の妹』役です。
「『今日の主人公の同級生』役の沢渡さん、彼女はあくまで代役ですから、台詞は削られるだけ削りました。特に例の下校シーンは最初と最後の台詞だけで、残りは主人公のモノローグで埋め直します」
「なるほど。ちょっときつくなる訳だ」
「まーいいじゃないの。主人公なんだし」
 納得顔の主人公役に対し、気楽に話しかける『謎の金髪美女』役。
「そーだけどさ」
「文句を言ってはいけませんよ。本来演じるはずの彼女が欠けてしまった訳ですから」
「それはわかってるよ。先輩」
「して、それ以外はどうするのか?」
「後は今まで通りです」
「かしこまりました」
「うまくいかせましょうね」
「えーと、沢渡さん?別に台詞間違えても構わないからね。こっちでフォローしちゃうから」
「大丈夫よ」
「天野は間違えるなよ。企画段階からつきあって貰っているんだから」
 当たり前じゃないですか。そもそもしゃべらないんですから。
「よし、じゃあ始めようか」
 主人公役の一声に私達はそれぞれの待機場所へ散っていきます。此処で私のやるべき役と、真琴の役、それぞれの登場時間の関係上、わたし達は別々に待機しなければなりません。その別れ際――。
「美汐」
 こちらを見ていた訳ではありませんし、なにも合図を送りませんでしたが、確かに真琴は、私に言葉を投げかけていました。
「ありがと」
 色々の意味があるのでしょう。もしかしたら別の意味でそう言ったのかもしれません。しかし私は――自分で言うのも何ですが――いささか私らしくなく、微笑んで頷いたのでした。言うまでもなく、真琴には見えません。でも、真琴なりの解釈の仕方で伝わったと勝手に思いこみたいのです。

 舞台を朧気に照らしていた照明が消えました。幕が静かに開きます。そして眩いスポットライト。
 主人公が前に進み出ます。
「――子供の頃の話だけど、魔法使いにあったことがあるんだ」
 ――こうして過激なセッティングと、幸運的ないくつかの偶然を経て、劇は始まったのでした。

(続く)




第4話あとがき


 難産でした。美汐視点でないと真琴は辛いです……。
 メタな話はさておいて、文化祭の目玉のひとつ、演劇です。演目はさておいて(笑)、演劇の直前の様子っていうのは随分と実地で観察したものがフィードバックされていたりします。
 と言うのも、高校時代、根城というかねぐらにしていた体育館のコントロールルーム(普段はひとり静かにしている環境として最高なのです)で、演劇部に捕まって、照明役をやっていた物ですから……。今となっては懐かしいものです。
 これは個人的見解ですが、演劇が好きな方で、製作側にも顔が利く方は一度裏方から演劇を観る事をお勧めします。きっと別の物が見えて来ると思いますよ。

次はまだ私のSSに出てこなかったあの人(達)です。

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