『文化祭』


第2話:『文化祭前夜』

 さあ、明日の朝は文化祭です。もう一踏ん張り頑張りましょう。

 ここからは覚えている。声の主は祐一。
「なあ、あゆと栞んとこの出店、何になるか聞いたか?」
「ううん、聞いてないよ」
「鯛焼きアイス屋さんだとよ」
「……わかりやすいね」
 なにか、あゆちゃんと栞ちゃんが二人でクラスを引っ張っている姿が目に浮かんで、わたしは思わず口元を緩ませた。
「こっちだって似たようなものでしょ。メイド喫茶って、北川君だけのアイデアじゃないでしょう?相沢君」
 ってその栞ちゃんのお姉さんである香里。
「まーな。でもいいだろ?俺らも着るんだから」
「ますます嫌になってきそうなんだけど……それはともかく、なんか栞に聞いた話だと、鯛焼きアイス屋って、陰謀に巻き込まれたせいでそうなったとか何とか言っていたけど?」
「巻き込まれたって……あゆは何かをやり遂げた目で、『うぐぅ、協力って素晴らしいよね』とか言っていたが?」
 それは私もお昼休みに聞いている。今の話を聞いてみると、ちゃんと協力して良いお店にしているみたい。
「……後でそれぞれ当人達に訊いてみましょう……それより急がないと。あの子達の方はとっくにできあがっているのに、こっちが間に合わなかったら恥ずかしいわよ」
「遅らせたのは何処のどいつだよ?」
「それを言ったらあんな企画を――よしましょう、もう決まったんだから」
「そーだな」
 祐一は内装、香里は被服に戻る。そこまでは覚えていたんだけど……。


「もう、ひどいよ〜」
 完全に陽が落ちた学校の廊下を競技場のトラックと同じ感覚で、ひとり走り抜ける。少し騒がしくなるけど、仕方がないし、いい加減この時間だと誰もいないから気にする人もいない……はず。
 腕時計を見ると、夜の八時。祐一達の『先に帰るぞ!』って書いてあったメモに書いてあった時間が7時半。祐一達がゆっくり帰っていれば……ギリギリで追いつけるかもしれない。それにしても、これはちょっと無いと思う。確かに寝ちゃったわたしもわたしだけど……。でもでも、おでこにガムテープで貼っておくというのは、かなり悪いと思う。前髪が何本かもって行かれちゃったし。
 風を切って下駄箱に到着。大急ぎで靴を履き替えて、外へ大きく踏み込んで――そこでわたしはミスを犯した。
 まず第一に滑り止めがしっかりしていた上履きとは違って、滑りやすい下履きであったこと。次に下駄箱から外に向かって敷いてあるマットが、明日の文化祭のため外されていて、コンクリートがむき出しになっていたこと。そして、今までの作業のせいか、砂が少しまかれている状態だったこと。
 なにより一番大きいミスはそれに気付いた後で今、思いっきり足を滑らせてしまっていること。身体が宙に浮かんでいる感覚があるから、ひっくり返っているに違いない。うー、下がコンクリートだとただの怪我じゃ済まないような……。そこまで考えていたとき、急にガクンと身体が引き戻された。
「とと、間に合ったか」
 丁度抱きかかえられる格好で、わたしはしっかりと支えられていた。手から離れていた鞄が、コンクリートの床に落ちる。背後に人の気配がするんだけど、この体勢では振り向けない。もっとも、背後の人は、すぐにわたしをおろしてくれた。
「大丈夫か?」
 電灯の明かりと、ほのかな月明かりのに照らされて、微笑んでいる人影があった。男の人だけど、歳がよくわからない。わたし達より年上なのは確実だろうけど、でも大学生にも見えなくもなし、お母さんと同じくらいにも見えなくもない。
「あ、あの――済みません」
「いや、気にしなくていい」
 黒いコートを着ているせいで、どんな人かよくわからないけど、背は高い。髪は普通で髭も生えていないけど、瞳がなにか気になる輝き方をしている。そんな人だった。
「校舎の奥の方から派手な音が聞こえてきてね。音の進路からいってどうも昇降口から飛び出しそうだったから気になっていたんだ」
 う……、やっぱり全力で走らなければ良かった。いくらわたしでもこれじゃ恥ずかしい。
「……本当にありがとうございました」
「いや、いいって」
 男の人はそう言って、コートのポケットに手を入れて校庭と校舎を順繰りに見回す。校庭にはあちこちに出店が用意されていて(なかでもひときわ目立つのは大きな三日月を天辺にあしらった、あゆちゃんと栞ちゃんのクラスのお店だ)、明日を待っている。校舎の方は校舎の方で、ここからでもわかるくらいの飾り付けがされていたりして、まるで何か別の建物に建て替えられたかのようで、そしてやっぱり明日を待っている。男の人は、そんな校内を楽しそうに眺めている。
「あの……誰かのお迎えですか?」
 と、わたし。この時間まで残っている生徒を迎えに来たのだと思ったから。そもそも、そうでもなければ夜の学校に大人が入り込む訳がない。そう思ってそう言ったんだけど、
「いや」
 男の人は首を一回横に振っただけだった。
「知り合い……そう、知り合いがここに通っていてね。ちょいと忙しくて当日来られないものだから、今夜だけでもね」
 そう言っているけれど、足は全く動いていない。そう、わたしを助けてくれた昇降口からこの人は一歩も動かないで校内を見回しているだけ。
「その、知り合いの人って、何学年ですか?わたしなら教室までぐらいならある程度案内できますけど……」
 お節介だと充分にわかったいたけど、それでもわたしはそう言っていた。するとその人はちょっと驚いた貌をすると、すぐに悪戯っぽく笑って、
「……今は2年生だが、その先は秘密でね」
 人差し指を口元に持ってきて、再びにやりと笑う。
「色々あってね。守秘義務を通すにしているんだ。済まないけど」
「いえ……」
 ちょっと考え込むわたし。と言うのも、わたしの周りには守秘義務だらけの人が結構多い。ただ、わたしと同じ二年となると……該当する人がいない……。多分、わたしの知らない人だろう。祐一がまた何処かで忘れている人がいなければ、多分。
「さあて、そろそろ帰るとするかな。君も早く帰った方がいい。ここらは本当によく冷える」
 そう言って、その人はポケットの中に入れた手で、コートをぱたぱたとさせると、軽く伸びをした。
「え……もうですか……?」
 今日のわたしは考えが足らない。わたしを助けてくれる前からずっと眺めていたのかもしれないのに、それに気付く前に話してしまった。でも、その人は別に気にした様子もなく、
「んんー、まあ私くらいになると、触れない方が良いものもあってね。遠くから眺めるだけの方が良いものってことなんだが、まあ、君にはかなり早い話だね。」
 って片目を瞑って言う。
「それより、本番は明日だろう?早く帰った方がいいぞ。私ももう帰るから」
「あ、はい」
 あわてて落ちていた鞄を拾う。
「それじゃ、またいつか。本番は精一杯楽しむんだよ」
 そう言い残して、片手を振ると、その人は足早に校門を抜けて、行ってしまった。
 ……なにか不思議な人。何処も不思議に見えないのに。

「お、なんだまだここにいたのか」
 帰り道、懐中電灯を持って祐一と鉢合わせしたのはそれから三十分ぐらい後。愚痴を言いたいだけ言って、わたし達はそのまま家に帰った。あゆちゃん、真琴が待っていてくれたので、そのまますぐに着替えて夕食の準備を手伝う。お母さんの「今日は寒いからおでんにしましょう」と言うことで、ある程度の準備は整っていたらしい。仕上げ前まで手伝って、お鍋をお母さんに任せると、わたしはテーブルに戻った。
「で、誰と会ったって?」
 お腹が空いているのか、軽くリズムを取っている祐一。隣ではあゆちゃんと真琴が興味津々な顔で、私を見ている。帰り道で祐一に話したことをそのまま二人に伝えたんだね。そう思ってわたしはその人の特徴を出来るだけ分かりやすく言ってみた。
「――みたいな、そんな感じの人。ちょっと目が不思議な感じだったかな」
 ぼきっ。
 嫌な音がした方をみんなで見てみると、お母さんがまっぷたつになったおたまを持って困っていた。……おたま?
「あらあら、うっかり折ってしまったわね」
『うっかり折った?』
 あ、祐一とハーモニー。テーブルの向かい側では、あゆちゃんと真琴が黙って冷や汗を浮かべている。
「えっと、奥にスペアが……」
 そう言いながら台所の奥に行ったお母さんを確認して、祐一はとても小さな声で、口早に私に言った。
「今の話、家の中じゃしばらく禁句な。なんか知らんが」
「うん……」
 あゆちゃんと真琴もコクコクと頷く。
 ……あれ、お母さんが知っていると言うことは、守秘義務のある二年の生徒って、誰なんだろう……。

(続く)




第2話あとがき


 名雪、気付よ。と私自身が叫びそうになる話になりましたね。なんというか、ある意味一番謎な人、の私の推察バージョンです。
まあどう見ても秋子さんが朝弱くないので、そこら辺は父親似なんでしょう。その時点で私の頭の中の父親像はヤン・ウェンリー提督でしたが……。流石にそれはアレなので、かなり頭のなかでこねくり回してみました。その結果は――どうでしょうか?
 ちなみにヴィジュアル的には『人懐こそうなネロ・カオス』を想像していただければ手っ取り早いかと。

次は、栞の話です。

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