『雪と雨』
■第二話:AM10:00
夢を見ているような気がしていた。
白く煙る光景は、本当に夢のようだった。
だけど、身体にしみこむ雪の冷たさは本物で。
風は寒さを通り越し、痛みを伴って私に此処が現実だと思い知らそうとする。
……それでも、夢を見ているような気がした。
白く煙る光景は、360度のスクリーンを思わせ、その銀幕の中に身を投じているような気がしてくる。
そしてそう思った途端、そこにアイツの背中が見えた。
――待って――
そう叫ぶより先に景色が完全に白濁する。
何かに包まれる感覚。
全てを奪われる感覚。
三度目の、感覚。
――置いて、行かないで――
アイツは見えない。アイツにもきっと見えていない。聞こえていない。
誰にだって、聞こえていやしない。
それなのに、そのはずなのに、私の背後から返答があった。
『――大丈夫!』
………………。
いったい何が大丈夫なのか。わからないまま、私はその声に向かって全てを預けていく。
わからないけれど、全然わからないけれど。
それでも、安心出来たから。
――ああ、やっぱりキミか。思ったより早かったね――
……最後に聞こえた声は、アイツでも、背中から聞こえた声でもない、でも、何処かで聞いた声だった。
ふと、目が覚めた。
外ではない。部屋の中の、それもベッドの中にいる。
私は、ゆっくりと自分の頭を動かした。
――随分と時計の多い部屋だ。どれも目覚まし時計だけど、同じ形の物がひとつもなく、見ていて飽きない。おまけにどの時計も、一分もずれて無く、ご丁寧に秒針まで合わせてあった。この部屋の主は几帳面か、どこかこだわる人なんだろう。――アイツみたいに。
私はそっと起きあがった。身体を包む妙な感覚――有り体に言えば着慣れない服を着たような――に視線を胸元へ落としてみると、案の定、着ていた服ではなくてパジャマを着せられていた。
思わず、苦笑してしまう。私はこんなところまで来て、また、同じ事をしてしまっている。――そして、苦笑して初めて、最近自分が笑っていなかったことに気付いた。
ベッドから降りて、窓辺によって、そっとカーテンをめくる。外は、濃い灰色の空からひっきりなしに吹雪く雪に蹂躙されていた。
私は、確実にあの中にいた。それは痛みという錯覚を伴って、あの寒さを思い出した以上間違いない。しかし、今の私は部屋の中にいて寝かされていた。つまりは誰かに助けられたのであろう。全く持ってなっちゃいない。私は、自分一人で解決するつもりで、結局は人の力を借り――いや、助けられてしまっている。こんな事で私は本当に……。
泣くのはやめにした。
とりあえず、部屋を出ることにしよう。
部屋を見回してみる。私が着ていた服は、何処にも置いていなかった。まだ着られない状態なのか、故意に置いていないのか。それはわからない。仕方なく、私はパジャマに素足というあまり人前に出たくない格好のまま、ドアノブに手をかけた。
そのまま、そっとドアを開け――そこで私は部屋に入ろうとした人物とはち合わせになった。思わず二、三歩下がって距離を置いてしまう。
相手も驚いていたようだった。私と違って一歩も下がらなかったものの、目を見開いてこちらを見ている。年格好が私と大差ない人だった。少し自慢である私の髪と、同じくらいの長さの少し茫洋とした感じの人である。
「わ。目、覚ましたんだ」
たっぷり数十秒もかけて、その人はそう言った。手に洋服を持っている。私が起きたときのために用意したのだろうか。
私が何も言わないでいると、その人はゆっくりと近づいて、手の平を私の額にあてた。そのまましばらくじっとした後、ゆっくりと手を引いて、
「うん、熱はないみたいだね」
と、嬉しそうに言う。
「大丈夫?何処か具合悪いところ無い?」
「……いえ、大丈夫です」
たった一言応えただけなのに、その人は嬉しそうにしている。その様子はアイツを通して知り合った私の友人の一人を思い出させた。
「よかった。この部屋に入ったときには、顔色真っ青だったから」
そう言うと、その人は、持っていた服をベットの脇の椅子――勉強机とセットになっている――の背にかけると、
「これ、着替えだよ。貴方の着ていた服、まだ乾いていないから」
「そうですか」
立ったままでも詮方ないので、私はベッドに腰掛けた。服を持ってきた人は、そのままの私をじっと見ている。詮方ないままだった私もその人をじっと見つめる。
どうしようもないことに、そのまま3分も時間が経った。
「えっと、えっと」
だんだん落ち着きを無くしてきた服を持ってきた人は、何故か急にもじもじしたかと思うと、急に元に戻って、
「わたしは水瀬名雪。出来れば貴方の名前を教えて欲しいな」
とだけ言った。その様子がなんだか微笑ましくて、私は小さく笑みを浮かべると
「はい。私は――」
そこで突然部屋がけたたましくなった。どうも、あのたくさんの目覚まし時計達が一斉に時報を鳴らしたらしい。文字盤を見てみると、午前10時丁度だった。
「ご、ごめんね……」
かなり恥ずかしそうに、水瀬さんはそう言った。
「わたしが悪いんだけど、良く聞こえなかったよ」
「里村茜、です」
わざとオーバーアクション気味に、手でメガホンを作って、私はそう答えた。
自分で言うのもなんだが、そんな茶目っ気も本当に久々だった。
つづく。
第二話あとがき
身内に、さあ、今回の連載で名雪のパートナーになる人は誰でしょう?と、一話を見せたときに聞いたら、全員が茜と、声を揃えやがりました。
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