フランス人形みたいな人だねとわたしが言ったら、お母さんが、では、この服を着てもらいましょうと言って用意したのは、わたしが苦手なあの服だった。苦手な理由は、まず似合わないのがわかっていたし、それに動きにくそうだったから。
だけど、似合う人には似合う訳で。
「わ。すごい似合う……」
「そうですか?」
ふわふわのドレスみたいな服を着た里村さんは、本当にフランス人形みたいだった。
■第三話:舶来人形
階下には、お母さんだけがリビングに座って待っていた。
「サイズは合っていたみたいですね」
二階から下りてきた私達に気付くと、お母さんは立ち上がって、そう里村さんに話しかけた。祐一達はちょっとした事情で今は居ない。
「身体の具合はどうですか?」
「……問題ないです」
「それは良かったです。――自己紹介がまだでしたね。名雪の母の秋子と申します」
「里村茜です。助けていただき、ありがとうございました」
「いえいえ、困ったときはお互い様ですから。元のお洋服が乾くまで、その服で我慢してくださいね」
「――いえ、とんでもないです」
と、里村さん。
「ありがとうございます。本当に……」
深々と頭を下げる里村さん。そんな彼女にお母さんは、あらあら、若い人がそんなに頭を下げることはないですよとおばあちゃんみたいな事を言った後、ソファーの一角に指先を向けて、何か温かい飲み物を入れてきますから、そこに座って待っていてくださいと言った。そしてすっかり忘れ去られていたわたしに、
「名雪も、一緒に座って待っていてね。茜さん、名雪が茜さんを見つけたそうですよ。お礼は、この子にもね」
と言って、キッチンの方に行ってしまった。……もう。そのことは、言わなくていいのに。
「そうだったんですか……」
案の定、里村さんは私にも深々と頭を下げた。そういうのが苦手だから、わたしは言わなかったんだけど、お母さんはそこまで考えてなかったらしい。
「と、取り合えず、座ろう?」
いささか跳ね上がったわたしの声は、自分で言うのもなんだけど相当変だった。でも丁度間のいいことに、
「ただいま〜!」
玄関先で炸裂した、あゆちゃんの元気な声がどうにかそれを誤魔化してくれた。
「帰ってきたみたいね」
コーヒーカップを二つ持ってきたお母さんがそう言うと、玄関からのドアに視線を向ける。
「戻りました。秋子さん、残念ですけどあの周りには何もありませんでした、よ――」
コートを脱ぎながらリビングに入ってきた祐一は、そこで一瞬固まると、
「ご、ゴシックロリータキターーーーーーーーーーーーーーーー!!」
恥ずかしげもなく大音量でそう叫んだ。……多分、祐一は恥ずかしくないんだけど、わたしがとても恥ずかしくなる。
「……祐一クン、何それ?」
意味がわからなかったあゆちゃんがそう訊いている。お母さんはともかく、真琴も里村さんも意味はわからないと思う。わたしはというと、意味を大体知っていたから、じっとにらむだけにした。
「里村茜、です」
湯気の上がるコーヒーカップを前に、少し俯いて里村さんは静かにそう言った。――気のせいかもしれないけど、祐一達が帰ってから、少し暗くなっているような気がする。
「ボク、月宮あゆ」
「真琴は沢渡真琴って言うの」
「とりあえず、『少佐』と呼んでくれたまえ」
「祐一、ふざけないの」
「……相沢祐一。自慢じゃないがここの居候一号だ」
「またそういうこと言う……」
おかしな話だけど、もうわたしの家では慣例行事になった自己紹介。もうこれで三度目になる。
「ま、なんにせよ何も無くさないでよかったな」
「……何も、持っていませんでしたから」
少し空気が冷たくなった。
「あ、あはは……」
あゆちゃんが笑って誤魔化してる。
里村さんの荷物が、倒れたところに置き去りになっているかもしれない。そう言ったのは祐一だった。そして言ってしまった以上は仕方ないとかで、あの雪の中を荷物探しに出かけていったのも祐一だった。あゆちゃんと真琴が手伝いについていったけど、結構大変だったと思う。でも結果はゼロ。さらに残念と思いながら帰ってみると、里村さんは荷物なんて持っていなかったと、はっきり言った。
まあこの場合、確認を取らなかった祐一に問題があるんだけど……。
「で、どうしてあんな所にいたんだ?俺達がいなかったらまずいことになっていたと思うが」
「……みなさんが、助けてくれたんですか?」
「いや、助けたのは俺とあゆと、名雪。つーか名雪が気付かなかったら、ジ・エンドだった」
「……ご迷惑をおかけしました」
「いや、おかげさんで学校休みになったから。礼を言うのはこっちかもな」
確かにその通りで、お母さんが遭難者救助を名目に学校を休ませてくれた。この辺りでこの季節だと、その名目が時々本当のことになるから、出席にも響かない。まさか、わたし達が使うことになるとは思わなかったけど。
「明日休みだしな。丁度良い連休だ」
「天気が悪くなければ、だけどね」
あゆちゃんがそう言って笑う。
「明日、玄関周りの雪かき必要だな……」
「そうだね」
「風が強いから、そんなに積もらないんじゃない?」
と真琴。確かにそれもあるんだけど……。
「でも吹きだまりが、すごい雪になるんだよ。例えば塀とか……」
とわたしが言うと、祐一があーとため息をつく。そのまましばらく固まっていたけど、急に姿勢を正して、
「そうじゃなくて、話を戻すぞ。どうしてあんな所にあんな装備でいたんだ?」
と再び訊いた。あんな装備とは、里村さんの格好のことだと思う。
わたしが掘り出した(?)時、里村さんの格好は、只の学生服だった。わたし達のところも変わっているけど、里村さんの制服もちょっと替わっていて、リボンの付いた赤いスカートに赤いラインのセーラー服。セーラータイの代わりにリボンで前を止めて、上着の替わりにセーターとカーディガンの中間のような服を着ていた。しかも靴は只の革靴。コートも傘も長靴もマフラーも手袋さえも付けていなかった。
「我慢大会でもしていたのか?」
「はい。我慢大会です」
また空気が冷たくなった。今度はあゆちゃんもひきつっているだけで笑っていない。
「――あのな」
「言えないんです」
少し苛立ち始めた祐一に里村さんはそれだけを言った。
「服、乾いたら、すぐに出て行きますから」
わたし達は何も言えなかった。里村さんの言葉が急にとても冷たく鋭くなったから。
「――それはいけませんね」
そんな凍り付いたわたし達を溶かすように頭上に響いたのは、お母さんの声だった。
「里村さん、残念かもしれませんが、今日は泊まっていってください」
「いえ、そんな……」
「この天気であの格好ではまた倒れてしまいますよ?」
と、お母さん。それはその通りでもうすぐお昼過ぎなのに外では相変わらずの大雪だった。その様子は、リビングの窓からよくわかる。
「これからのことは、明日考えましょう。ね?」
「……わかりました。今日一日お世話になります」
里村さんは、お母さんにぺこりと頭を下げた。
「本当に良いの?」
「構いませんから」
わたし達の家は、各個人で部屋を持っている。一階がお母さん、二階が祐一、あゆちゃん、真琴、そしてわたし。でも、その時点で空いている部屋はなくなってしまった。
だから、里村さんが今夜寝る部屋にわたしの部屋を勧めたんだけど……。
「本当に、リビングで充分です」
リビングに敷いた布団の上に座ったままで、里村さんは頑として譲らない。
「寒いよ?」
「慣れています」
「暗いよ?」
「暗い方が眠れます」
「広いよ?」
「その方が圧迫感が無くていいと思いますが……」
――駄目。わたしじゃ里村さんには勝てそうにない。
「ねえ、どうしても駄目?」
「はい」
絶対、勝てそうもない。
「それじゃ仕方ないけど……何かあったら、お母さんの部屋か、わたしの部屋に来てね。ドアの前にみんなの名前があるから、すぐわかると思う」
「わかりました」
わたしじゃベットに入ってからあまり持たないけど、少しおしゃべりをしたかった。それができなくて残念に思いながら階段を登ろうとすると、
「水瀬さん」
里村さんの声がした。
「なに?」
戻るにも、なにか未練があるような感じがして、わたしは声だけを返した。
「いえ、なんでもありません。おやすみなさい」
「うん。おやすみなさい」
わたしは再び階段に向き直った。何となくだけど、さっきまであった残念な気持ちが薄らいでいた。
「本当に、お世話になりました」
「いえいえ、とんでもない」
お母さんと、里村さんが、頭を下げ合っている。
朝、みんなが起き出した頃には、里村さんは布団を畳んでいて、朝ご飯を作っているうちには、元からの服を着終わっていた。
ちなみに、わたしは朝ご飯ができかけた頃に、祐一に起こされて、食事の後にあゆちゃんから事情を聞いていたりする。わたしから見るととても羨ましいことに、里村さんは朝に強いらしい。
「また近くに来たら、顔でも出してください」
「そうします――それでは」
「はい。今度は気を付けてくださいね」
結局、朝はあまり話をしないまま、里村さんは家を出ていった。
「なんか、謎な人だったね」
と、あゆちゃん。
「美汐に似てたかも」
と真琴。多分、話し方のことだと思う。
「ああ、そうか。どっかで似たような話し方するような奴が居たなと思ったら、天野か」
……祐一は今回に限って少し鈍かった。
そして、わたしはというと……。
「行くあて、あるのかな?」
「は?」
ぽかんとわたしを見る祐一。多分意味がわかっていないんだと思う。
「里村さん。何もわたし達に事情話さなかったから全然わからないんだけど、行くあてあるのかな?」
「そりゃ、あるだろ?あんな格好で町中さまよっていたら、とっくの昔に警察が保護している」
「それは、そうだけど」
「もしないとしたら……まあ、あまり考えたくないが、自殺志願者だわな」
「それは、違うと思うよ。でも」
わたしは、閉じた玄関のドアを見た。次にお母さんの顔を見る。
「ねえ、お母さん……」
お母さんも、玄関のドアを見ていた、そして今の声でわたしと向き合う。
「名雪は、どう思うの?」
わたしは……。
「もう一度、里村さんと話す必要があると思う」
「なんでだ?」
よくわからないという表情で、祐一が訊く。
「よくわからないけど、でも、話さなきゃならないような気がするから」
「よくわからないのに?」
「うん。よくわからないけど」
祐一が考え込む。話を聞いていたあゆちゃんと真琴も同じように考え込んでいる。そしてお母さんは、
「そうね……名雪の、思う通りにしてみなさい」
お母さんは、それしか言わなかった。
「じゃあ、行って来るよ」
「行ってらっしゃい」
「うん!」
「おい、名雪――」
祐一には悪いけど、今の声は聞こえなかったことにした。
窓から見たとき、外はよく晴れていた。空気は冷たいかもしれないけど、コートはいらないだろう。それに今すぐ追いかけないと、見失ってしまうかもしれない。そう考えていたときには、わたしはそのまま外に飛び出していた。
外は一面の銀世界。晴れているせいで、真っ白な雪がまぶしい。
運がいいことに、玄関から足跡がしっかり残っていた。これなら、簡単に追いかけることが出来る。方向は、学校とは反対方向。駅にしても商店街にしても、ひどくずれている。
なんとなくの予感が、形になってくる。里村さんは、この辺りに詳しくない。
わたしは、新雪を蹴って、走り始めた。ずっとここに暮らしてきた強みで、躓かないように気を付ければ、滑って転ぶこともない。
足跡は、全く迷いがないように、まっすぐ伸びている。全く迷いが『ないように』。その様子が、わたしの迷いを確信に変えてくれる。そして、それが完全に確信になったとき。
「見つけたっ」
ひとり歩いている里村さんはやっぱり、ひどく弱々しげに見えた。
つづく。
第三話あとがき
私はゴシックロリータが好きです。ですが、ロリコンではありません。
ここのところ、試験に出てくるので要チェック。
第二話へ 第四話へ