『雪と雨』


■第一話「吹雪の朝」

 ……ああ、わたしはまた、ここから歩き出せない……。

「♪朝〜朝だよ〜朝ご飯食べて、学校行くぞ、いい加減起きろ名雪!」
 相沢祐一は嘆息した。先程から、幼なじみで夢の国に捕らわれている水瀬名雪の耳元にサランラップの芯で怒鳴っているのだが、反応がない。
「ええい、『ほぉらぁ、起きなさいよぉ!』」
 自分で言いながら赤面していては世話無いが、がばっと布団を剥ぐ祐一。それでもしばらくけろぴーを抱いていたままの名雪だったが、やがて小刻みに震えると、
「さ、寒いお〜」
 と言いながらやっと起きあがった。
「やっぱ、お前でも今日は寒いか」
 やっぱりといった感じの表情で祐一。腕を組んで再び嘆息する。
「ん〜?」
 そんな彼の行動に、まだ半分夢の世界にいながらも疑問に思った名雪は、目をこすりこすり、窓を開けようと窓際に歩み寄る。
「ああ、窓は開けるな。カーテンだけにしろ」
「んにゅ〜?」
 言われた通り、カーテンを開けて、外を見る。たっぷり一秒それを見て、
「うわ」
「目ぇ覚めたろ」
「う、うん」
 外は、一面の猛吹雪だった。

「おはようございます」
「おはようございます」
 キッチンにいる水瀬秋子に朝の挨拶を返すと、先にリビングにいた月宮あゆと沢渡真琴も挨拶してきた。
「すっごい雪だねえ」
 トーストをかじりながらそう言うあゆ。
「雪って言うより、台風って言った方が近いかもな」
 テーブルの席に座る祐一。隣に名雪が座る。
「コーヒーをどうぞ。トーストは何枚用意します?祐一さん、名雪」
「ああ、じゃ二枚お願いします」
「わたし一枚」
「はい」
 コーヒーカップを二つおいて、再びキッチンに戻る秋子。しばらくして、声だけが聞こえてくる。
「今日は、ちょっときついですね」
「キツイどころじゃないッス」
 引きつった笑みを浮かべる祐一、リビング越しの窓からは、相変わらずの大吹雪がよく見える。
「学校、休みにはならないんですか」
「まだ連絡網は来ていないですね」
 同情半分、と言った感じの秋子の声に、ちぇっと祐一。
「ふふん、真琴は保育園お休みだもんねー」
「なんだ、そっちには来たのか。電話」
「うん。だって、真琴は平気でも、あの子達は大変だもん」
 あの子達とは、真琴のバイト先である保育園の園児のことらしい。
「まあ、そうだよなー」
 コーヒーカップを傾けながら、外を見る。
「しかしまあ、俺は初めてなんですけど、よくあることなんですか?」
 いえ、久々ですね。と秋子。滅多にない吹雪らしい。
「それより、今日は早めに出た方がいいですよ。いつも通りの時間に着けるとは限りませんから」
 再びリビングに現れて、トーストの皿を置いていく秋子。
「そうですね……早めに出るか?名雪、あゆ」
 頷く二人。そのうち名雪が何か思案げな顔で、
「お母さん、わたし、今日はコート着ていくね」
「そうした方がいいわね」
「お。やっぱり名雪でもこんな日は着るか」
 寒い日は普通のコートを着る祐一や、普段でも登校時はお気に入りのダッフルコートを着るあゆに対して、普段はコートを着ない名雪である。
「いくら寒さに強いって言っても、今日は流石にきついよ〜」
 と言うことらしい。
「名雪でもキツイとなると、覚悟しないとな」
 そう言ってややオーバー目に、祐一は首を竦めてみせた。

 水瀬家を出て通学路を進むと、やがて川に出る。
 ひっきりなしに吹き付ける雪のため、川面はよく見えない。いや、川面だけではない。普段は間違っても見失うことのない遠くの景色までが雪に遮られている。
「くそ、まるで南極探検隊だ」
 傘を前方に傾け、マフラーを顔の下半分にまで巻き付けた格好で毒づく祐一。
「本当だね!」
 あゆはダッフルのフードを目深にかぶっていて、傘は祐一と同じようにしている。
「ファイト、だよっ」
 名雪だけはコートだけを着込んで、他の二人のようにやや前屈みになることなく、普通に歩いていた。いくら稀でも、何度か同じ経験を得ている為であろう。

 だから、気付いたのかもしれない。

 何かを背後に感じて、名雪は何気なく後ろを見た。名雪達が川にぶつかる道から学校に至る方向の反対側へ少し行ったところに橋がある。その橋の上に、人影が見えた。その髪の長いシルエットは――女性に見える。
「人がいる……」
「そりゃ、いるだろうな。こんな日でも!」
 吹き付けてくる雪のため、さらに前屈みになりながら、ややぶっきらぼうに言う祐一。
「でも、橋の上から動かないよ」
「心配するな。いくらなんでも、こんな寒い日に飛び降りはしないだろ。凍えちまう」
「それ、矛盾してるよ、祐一君」
 と、あゆ。
「いんや、川が凍っていたら溺れ死ねないからな。せいぜい捻挫だ。だから間違ってはいない」
「……なるほど」
 その時、名雪がびくりと立ち止まった。
「!!――祐一!」
「どうした?」
 続いてあゆもどうしたのかと、名雪を見る。
「さっきの人倒れた!」
「何!?」
 祐一が聞き返したときには名雪は既に駆け出していた。慌てて残った二人も後を追うが、さすがは地元及び陸上部部長、あっという間に距離が離れていく。
「なんで名雪さん、あんなに速いんだろ!」
「陸上部だからな。障害物競走もお手の物なんだろ!」
 そこで、祐一ははたと思いついたように立ち止まって、
「あゆ、名雪と俺で何とかするから、そっちは先に家に戻って秋子さんに連絡。急げ!」
「うんっ!」
 一緒に立ち止まっていたあゆは、水瀬家に向かって、再び走り出した。
「ったく、こんな日に厄介な――!」
 目を凝らしてみれば、名雪が丁度橋にさしかかっていた。

 橋に来てみると、欄干がほとんど雪に埋もれていて、まるで大理石かなにかで出来ているようであった。その中ほど、人間大のふくらみがひとつ。
「――!」
 既に雪で覆われていた。危険どころの騒ぎではない。名雪はそこまで駆け寄ると、かなり手荒く――彼女にしては珍しく――覆い被さっていた雪を払い落とした。程なく、雪に負けないくらい真っ白になった、手が現れる。
「しっかり!」
 素手で握って――怖くなるくらいに冷たくなっていた――自分の両足に重点を置き、一気に引っ張り出す。
 引っ張り出して気付いたことに、倒れて、雪に埋もれていた人は名雪とあまり年の変わらない少女だった。
「しっかり!」
 必死になって身体を揺する。意識はあった方がいい。此処まで気温が低いと。
 なおも必死になって揺すっていると、ぴくりと少女の身体の何処かが動いた。揺するのを止めるのと同時にじっと観察する。
「大丈夫!?」
「………………………………」
 少女は目を開けない。だが、辿々しく唇が動いていた。何かをそっと紡いでいる。
「……お……」
「お?」
 少女の両肩をしっかりと持ちながら、そっと口元に意味を寄せる名雪。
「…………置いて……行かないで……」
「――大丈夫!」
 ――何故そう言ったのかは、後になっても名雪にはわからなかった。だが、これが彼女たちのファーストコンタクトであったことを、今此処に記しておく。




第一話あとがき


……さあ、始まりましたけど……、すいませんだいぶ弱っているんでコメントは次回以降で……。

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