『あなたの髪に、似合う花を。』

〜第16話〜



 髪の毛でも、絹糸でも、なんでもいい。
 とりあえず、それなりに強度のある糸状のものを両端で掴んで、少しずつ引っ張っていったとしよう。無論、引っ張る力は両端共に均等である。
 最初は大きくだれているであろうそれは、引っ張っていくと共に徐々に真っ直ぐになっていき、ついには一直線になるはずである。
 そこに、さらに力を加えていく。今度はそれに外見的変化は見られない。ただし、見る者が見れば、微かにたわめくように見えるそうだが、本義から欠けるのでその下りは省略する。とりあえず、力をどんどん加えていく様を想像して欲しい。結果はどうなるのか。
 答えは簡単である。ある時点でぷっつりと切れる。
 張りつめた雰囲気ってのは、多分そう言うものなんでしょうね。向き合っている権藤とキナーを眺めながら、esはそう思った。
 権藤は抜刀術の構えのまま、全身を丸くしたものすごい低姿勢で、前方を睨んでいるし、その前方にいるキナーの方は、愛用している大剣の刀身を両手で持ち、刀身を肩にのせてしっかりと振りかぶった状態でいる。

 そして、esにとって3分、権藤とキナーにとってはたっぷり10分、そして実質は1分半の時が流れた。

 裂帛の気合を上げ一直線に踏み込む権藤に対しキナーは眉ひとつ動かさずに大剣をさらに大きく後ろに振りかぶり次の瞬間には権藤を睨むが当の権藤は既に跳躍範囲内にキナーを収めており鯉口を切って抜刀の姿勢と同時に最後の踏み込みを行いそれを脅威の動体視力で確認したキナーは溜め込んでいた上半身の力を解放し一気に大剣を左から右へ走らせるがその動きより開始が遅かったはずの権藤の抜刀が恐ろしい勢いで追い上げてきて、

 権藤とキナーの間に、迅雷のような火花が散ったかと思うと、騎兵の大槍同士が激突したような爆音が轟いた。

「キャロル様!」
 いい加減気付くだろうと、esが思っていたら案の定、屋敷からひとりのメイドが飛び出てきた。今や権藤に次いでesの側にいることが多い、シルフィー=ニューバレーである。
「今の、一体なんなんです?」
 息せき切って問いかけるシルフィーに、esは大儀そうに身じろぎすると、連撃の応酬が始まった権藤とキナーの乱戦模様を指さしてみせた。
「ああ、なるほど……」
 などと、緊張した貌から、妙に醒めた表情になって状況を見送るシルフィー。それに合わせるかのように、権藤の袖から鉄鎖が閃き、キナーがそれを空中を一回転半して避けていた。
「なにがなるほどなの?」
「さっき、権藤先輩と屋敷ではち合わせしたんですけど、なにかこう、蛇ににらまれた蛙のような気分を味わったんですよ。だから……」
「――なるほどね」
 頬杖をつきなおして、esは納得したかのように頷いた。
「で、貴方は止めないの?」
「止めたいですけど、止めようとしたら私、死んじゃいます」
 それは、そうだろう。今、丁度権藤の抜刀術とキナーの風車のような薙ぎ払いが、再び激突していた。あんな中に飛び込もうなら、挽肉になるだけでは済まされまい。
「それより、キャロル様はお止めにならないんですか?」
「私!?」
 さも意外と言った表情で、esがシルフィーを見上げる。
「なんで私が?」
「家を守るのが主のお役目かと。それにキャロル様、騎士叙勲されていらっしゃいますし」
 意外なところでお鉢が回ってきた。esは戦況を見やる。跳躍がてら、権藤の頭を踏もうとするキナーに対し、権藤は刀の鞘と、腰にマウントしておいたトンファーでやり過ごしていた。
「いくら私だって、無理よ」
「何事も、試してみないとわからないですよ?」
「……しょうがないわね」
 権藤みたいなこと、言うようになったわねと、内心そう思いながらesは、手でメガホンを作ると、
「貴方達、此処で騒ぎを」
「ご心配なく!」
 すぐさま帰ってきた声は、期せずして重なっていた。
「屋敷のものには一切触れませんから!」
 これも重なっている。なるほど、確かに屋敷のものは一切壊れていない。だが、二人が全力で踏み込みなどを行った結果、芝生はかなり荒れていたりする。
「――そう。いいわ」
 ギラリと瞳を輝かせてesはひとりごちる。
「後で、二人の給料から引いておくから」
「あ、あはは……」
 隣でシルフィーが、引きつった笑い声を上げた。



 幼少の頃から、自分がどこか他の子と違うことになんとなく気付いていた。
 はじめは確か、矢弾と剣戟の入り交じった場所をあちこち歩いてきたような気がする。それでも、特に恐いと思ったことはなかった。大きなキナーの手にひかれているときは、いつだって安心出来たのである。

 しかし、戦が収束すると同時にある程度自分が大きくなって、教育が自分に必要であると周囲から認識されたときから、様子は変わっていった。学校での集団生活で、『なんとなく』何かが違う事に気付いた。
 今思えば、戦の経験がない都心部の学校に入ったせいもあるかも知れないが、それを差し引いても今まで居た世界と今の世界の違いは、あまりにも大きかった。
 実は、頭の片隅では理解出来ていたのだ。ただ、それを理解しきってしまうことは、哀しくなるだけし、『それ』を理解したところで、今の自分に必要かと言えばそうではないため、ある程度無視することが出来たからである。
 そんなときに、事は起こった。
 学校の、ありふれた課題の内容は、自分の名前の由来を調べること。上半分である『ジェミナ』は学校で習った聖人うちのひとりの名前だと知っていたので、残りの半分『エイト』の意味をキナーに聞いた。親と言えば、彼しか居なかったし、名付けたのも彼だと聞いていたからである。
 自分で言うのも何だが、彼は乱世の英雄である。さぞかし意味のある言葉から選んだのだろう。そう思って勢い込んで訊いた答えは――国王リーグ杯の贔屓のチームが八連覇したから。
 その時、明らかに目の前が真っ暗になった。
 ――笑わないで欲しい。
 自分と世界の差をいうものを気にし始めた少女にとっては、いささか酷な現実だったのである。
 最初は、彼特有のあまり笑えない冗談だと思いこみ、一縷の望みをかけて裏付けを取ってみた。すぐに当たった。当時、彼と共に戦線を歩み、今は王宮騎士団の一翼を担う壮年の騎士は、冗談半分を装った軽い口調での問い合わせに、あっさり答えた。さらに、追加情報も聞けた。
 曰く、めでたいから。

 そしてそこで初めて、自分の境遇が、周囲と余りにもかけ離れていることに気付いてしまったのである。
 この時点で、権藤はキナーから精神的に独立してしまった。……あるいは、グレたとも言えるかも知れない。
 基本的な教育が終わると、彼女は戦稼業から引退した育ての父同様、ハウザー家に仕え、わざわざ彼から離れる『勤務先』を希望して、現在に至っている。



 いや、もう既にわかっているのだ。人の価値観は様々で、彼は彼なりに自分を思いやってそう言う名を付けたのだと。それは、とても大事なことだと。わかってはいる、わかってはいるのだ。
 ――しかし、
「腹が立つことには変わりないんですっ!」
「……いきなりそんなことを言われてもな」
 当たり前のことだが、明らかに当惑したキナーの声。
 お互い、肩を大きく上下させている。かれこれ200合は打ち合ったはずである。
 気が付けば、権藤の装備のほとんどが、折れるか砕けるかひしゃげるかしていた。無傷なのは、彼女自身と彼女愛用の刀だけである。対するキナーだが、こちらには本人、大剣とともに、かすり傷ひとつついていない。
「これで、最後です」
 権藤は、荒い呼吸を抑えながら、抜刀術のために収めていた刀を静かに抜いた。そのまま真正面やや下段気味に、刺突の構えを取る。
「良かろう」
 キナーが額の汗を指で弾いた後、同じ構えを取った。
「あのー」
 ほとんどギャラリー状態のシルフィーが、同じくギャラリっているesに尋ねる。
「あれだと、権藤先輩不利なんじゃないですか?」
 刀身の長さを言っているのだろう。確かにその通りなので、esは一回頷くと、
「でも、それがわからない権藤じゃないでしょう? おそらく、誘っているのよ」
「誘う?」
 剣術を全く修得していないシルフィーには、いまいちよくわからない。そんな彼女を見やって、esはひとつ咳払いすると、
「権藤がああやったら、キナーの性格からして、同じ型を取る。そう踏んだのね。で、キナーもそれがわかっているんだけど、あえて飛び込んでみたいから結局は誘いを受ける。こんなところでしょ」
「――なるほど。お互い、理解し合っているんですね」
「え?」
 唐突なシルフィーの直球に、esは思わず勢い込んで顔を上げてしまった。
「ですから、お互いがお互いを良く知っているんですよね」
「……そうね」
 言ってみれば、壮絶な親子喧嘩か。esは、最後に残っていた僅かばかりの緊張を肩から追い払った。
「なんか、どうでもよくなってきちゃたわ」
「どうでもって……あ」
 そこで言葉を切ったシルフィーに、esは彼女に向けていた視線を現場に戻した。

 抜刀術、いわゆる居合いはその斬撃の速さを最優先項目にした技術である。腕力にもそこそこ自信があるが、それが本番では明確な要素とならない事を熟知している権藤は、相手の先を取るという方式で、腕力以上に自信のある瞬発力を最大限に活用していた。
 しかし、速さを最優先にしていると言うことは、その他の項目を後ろに追いやっているという事であり、時と場合によっては抜刀術が最善とは言えない状況がある。例えば、相手を確実に仕留める場合などがそうで、切っ先が大きく上下しやすい抜刀術では、その任に適さない。
 では、この場合、最も適した技術は何かというと、刺突である。
 つまり、抜刀術でなく刺突の構えを取った権藤は、『相手を確実に仕留めてやる』という意思表示を出したのであった。
 深く息を吸い込み、一歩目を踏み込む。距離は等間隔に踏み込んだとして、サザンクロスの切っ先まで5歩、キナー本人まで、8歩と少し。キナーは動いていない。
 二歩目。視界がキナーを中心に、急速に萎んでいく。それだけの加速量を権藤はまだ温存していた。
 三歩目。時間がゆっくりになっていく錯覚を覚える。全てがゆったりとした余裕を持つのと同時に、自分の動きから無駄という無駄が、片端からこそげ落ちていくのを感じる。
 四歩目。キナーが殺気を解放した。大剣が動く気配はないが、本人が溜め込み、たゆたう力は隠しようがない。
 五歩目。自分の刀の切っ先が、キナーの大剣の切っ先とかち合う寸前。

 権藤は、刀から手を離した。

「な!」
 思わず、椅子を蹴って立ち上がるes。それに驚いて、隣に居たシルフィーが続く。
 そして、キナーは溜め込んでいた力を霧散させてしまった。彼が権藤に教えた剣術の基本中の基本、『戦闘中における獲物の廃棄禁止』は、脊髄反射レベルで叩き込んでいたからである。
 そんな勢いの落ちた大剣サザンクロスの上に、権藤は飛び乗った。そのまま踏み台としてさらに跳躍する。
「お父さんの――」
 キナーが全力で後退しようとする。が、もう遅い。
「お父さんの、馬鹿ーーーーーっ!」
 大きく振りかぶったその拳は、キナーの顔に綺麗にきまった。
 そのまま空中で姿勢を変え、危なげ無しに着地する権藤。
 その拳より、言葉に効いたといった表情で膝を折るキナー。
 そして、目をまん丸にして権藤を見るesとシルフィー。

「お父さんの……」
「……馬鹿?」
 esとシルフィーがお互い意識せずに繋げたその言葉が、圧縮された時間を元に戻した。
 権藤がハッと気が付いたかのように両手で口を押さえるが、もう遅い。
 その証拠に、目を丸くしたままのesの口が、徐々に猫口になっている。
 とどのつまり、この後しばらく。
『お父さんの馬鹿ーーーーーっ!』
 が、屋敷内で流行することになるのである。



〜続く〜



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あとがき

 第二部終了w。あ、エピローグはまだです。

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