『あなたの髪に、似合う花を。』


〜第17話〜


 朝、である。

 眩い光に照らされて、権藤は目を覚ました。
 まず、ありえない事である。
 権藤の部屋は(メイドには珍しく)個室で、その職業柄朝は早い。今の季節は朝陽が上るのが早いとはいえ、眩いというのはまずない。
 要は、寝坊である。思考がそこに至って、権藤は上半身を起こしかけ――再び身をベッドに預けた。
 ――そうだ、今日もお休みだ――。
 天井を見上げて、思い出す。

 あれから、4日過ぎた。
 あれというのは、キナーとの決着が付いた、あの日のことである。
 あの後、悠々と帰っていくキナーを皆で見送っているうちに、権藤は倒れた。
 全身筋肉痛、であった。
 だからその症状の名を聞いたとき、いきなり倒れて何事かと思った、esとシルフィーは大いに脱力したものである。そして、脱力ついでにesは3日間の休暇を権藤に与えたのだった。

 その休暇の、3日目である。
 すでに、筋肉痛は快癒していた。ただ、昨日まで鈍い痛みがあったことを考えると、想像以上に全身を酷使していたらしい。
 瞼ではなく、左腕で目を覆い、ため息をつく。思い出すのは、老いてなお広々とした背中。まだまだ彼には勝てないのかもしれない。
 ――でも、一撃を決められたのは確かだ。そう思い直して、権藤は勢いよく起き上がった。クローゼットを開けて、夜着からいつものメイド服に着替える。私服は、この屋敷で働く前から持っていない。持つ必要も無い、というのが権藤の見解である。
 襟元を整え、ブローチを兼ねたリボンで留めようとして……ふと手が止まる。休日くらい、襟元を緩めていてもいいのではないだろうか、昨日、一昨日と付けていたのだから今日くらいは――、
 といったところでノックがされ、権藤は素早くリボンを留めた。そして、自室のドアを自分で開ける。どうぞと言って、相手に開けさせるのは、どうにも座りが悪い。
「おはようございます。権藤先輩」
 顔を覗かせたのは、長い栗色の髪の、権藤から見て後輩にあたるメイド、シルフィー=ニューバレーであった。
「お早うございます。どうしました?」
 些か上ずっってしまった声が出てしまったが、シルフィーは一瞬だけ怪訝な表情を見せただけだった。
「あの、急な話なんですけど、執事のレイモンドさんが」
「彼が?」
「今日で辞められるそうです」
「え?」
 権藤の思考が、一瞬だけ停止する。

 執事のレイモンド=Y=テンプといえば、esの屋敷における裏方の柱である。esが執務において彼を遠ざけ、代わりに権藤を置いたため、表側の仕事ではなんの係わりが無いものの、屋敷の管理――文字どおり屋敷の維持からメイドの人事まで――はほぼ彼に一任されていた。
 確かにもう高齢で、最近はモノクルをかけるようになっていたが、まだまだ健在であると誰もが思っていただけに、今回の件は屋敷中に衝撃を与えた。
 無論権藤にも、である。
「そうですか……彼が」
「はい……。なんでも、キャロル様とは前々からお話していたようでして――と言っても、先輩がお休みをもらった辺りからだそうですけど」
 どちらにしても、早い。
「わかりました。後任の方は?」
「本家の方より、近日中にいらっしゃるそうです」
 ならば、既に彼の辞職は決定的ということである。事はesのみならず、その上にまで進んでいるということになるのだから。
「引き継ぎは?」
「すでに、幾人かの先輩方に済ませていらっしゃるそうです。キャロル様のお仕事の方は……その、権藤先輩の方がご存じでしょうと」
 顔を立ててくれている。
「なるほど。良くわかりました。今彼はどうしています?」
「自室で、荷物をまとめているそうです。なんでも、街の方にご家族が住んでいらっしゃって、今後はそこにお住まいになるとか」
 ……なるほど。
「わかりました。ちょっと彼に挨拶をしてきます。シルフィー、知らせてくれて――ありがとう」
 そう言って権藤は一礼すると、自室を出て行った。
「いえ、そんな――え? あれ? こ、こちらこそ!?」
 廊下には、敬語抜きで礼を言われて混乱するシルフィーが残る。



 私物は、あっけないほど少なかった。それらを全てまとめ終わり、しまい込んだトランクを立ててみたところで、正確無比なノック音が響く。
「権藤さんですか?」
 と、決して高く大きくはないが、良く通る声で彼、レイモンド=Y=テンプは扉の向こうに声をかけた。
「はい。権藤です」
 扉の向こうが、そう答える。
「今、開けましょう」
 そう言って椅子から立ち上がりかけたレイモンドであったが、
「いえ、どうかこのままで」
 という権藤の声に椅子に座り直した。
「老骨に、何か用事ですか?」
「お礼を言いに、来ました」
「お礼? むしろそれを言うのは私だと思っていたのですが」
「多分、お互い様というやつでしょう」
「なるほど」
 椅子に座ったまま、目を細める。おそらく、扉の向こうも同じようなことになっているだろう、と思う。
「色々と、ありがとうございました」
「なに、こちらこそ。権藤さんには私がやるべき仕事もお任せした訳ですし」
「その代わり、貴方は屋敷の管理には随分と御尽力されました。これも……お互い様ですね」
「なるほど。お互いの職分を取り替えていたということになる訳ですか」
 お互いの、仕事中には決して聞こえない笑い声が響く。
「シルフィーから色々と聞きました。ご家族と暮らすそうで」
「まあ、隠居というものになりますか。後は静かに暮らそうかと思っています」
「なるほど、いままではあまり静かとは言えませんでしたからね」
「そうですね」
 時折、騒ぎの元凶が権藤自身の時もあったが、それは伏せておく。
「新しい執事の方は苦労されるでしょう」
「おそらく。ですからそこだけは権藤さんにお願いします。新任の方はお嬢様をよくご存じだそうですから、そちらの方は特に心配しておりませんが、仕事となると話は別でしょう。どうか、仕事を覚えるまで、よろしくお願いします」
「――わかりました。それでは、そろそろ失礼致します」
「はい。私は四番通り近くに住むことになるので、暇な時でもありましたら、遊びに来てください」
「そうします」
「それと……お嬢様を、よろしくお願い致します」
「はい」
 即答である。その、素っ気ない用にも思える返事はしかし、微塵の迷いも見せない確固たる口調によって、非常に頼もしく聞こえたのであった。
「お元気で、権藤さん」
「貴方も、お元気で」
 それっきり、扉の向こうの気配は消えて、レイモンドは静かに息をはいた。無論彼は、扉の向こうで、権藤がきっかり3秒間佇んでいたことを知らない。

「……es様をよく知っている執事!?」
 自室に戻る途中。権藤が不穏なキーワードによって、その顔を思い切り引きつらせたことも、レイモンドは知らない。



「そろそろ気付く頃ね」
 その身体に不釣り合いな椅子の上で、少女は言った。前には同じく不釣り合いに大きな机。そしてその上には書類が一通、乗っている。
「気付き、ますかな」
 彼女の左後方に控えている男が反復するような口調で、訊いた。
「気付くわよ。わかりやすいもの。――そろそろ来るわ」
「来ますかな」
 果たして、ドンと、廊下を力一杯踏み込む音がした。
「3歩でこの部屋の廊下に入って」
 ダンと、方向転換の為に踏み込む音が、
「5歩でこの扉の前に」
 ド、ド、ド、ド、ド。ひとつひとつが跳躍しているような音がした。
「それで呼吸を整えて、3回ノックするの」
 コココッとひとつの音のように聞こえるノック音である。
「どちらさま?」
 その透けるような白い肌と、豊かで細やかな金髪によく似合う声で、それでいて意識的にとぼけた声で、少女は声をかける。
「失礼します!」
 本来返すべき返事を無視して、権藤は少女の部屋に入りこんだ。そして硬直する。
「おお。久方ぶりだな、我が愛娘よ――」
 彼女の固まった視線の先には、先程前まで控えていた男、権藤の育ての親であり、戦術の師でもあるオルウェルズ=T=キナーが、最近流行っている喜劇の主人公、『ゴールドパンチ教師』のように、抱擁せんとばかりに、両手を広げていた。
「『おとうさんの……」
「それはもう、本当にいいんですっ!」
 猫のようににやけた口調で、ここ最近屋敷で流行っている言葉を気付け代わりに使ってみたのであるが、想像以上に効くらしい。権藤は一瞬で硬直を解いて、少女にくってかかってきた
「それよりなぜ彼が!?」
「本家からの推薦よ。で、今日ここに来たの」
 本家から、というのがミソである。他ならいざ知らず、そこからの推薦というのは、まず命令とみて間違いない。
「ま、承諾したのは私だけど」
 そう言って、少女は机の上の書類をひらひらさせる。
「私に相談、抜きでですか?」
「それはそうよ」
 なんでわからないんだと言った顔で、少女――キャロル=e=s=ハウザー嬢は宣うた。
「貴方に話したら、反対するに決まっているじゃない」


〜続く〜


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あとがき

 おまたせしました。いや、もう本当に。

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