現在アニメ事情――アニメ版守護月天(1999.06.06)


 はっきり言いましょう。アニメ版月天、つまんなかったです。面白くなかったです。粗ありまくりです。シナリオつまらないです。背景やや手抜きです。声優イメージにつながりにくいです。キャラの動かし方間違ってます。話の方向性てんでバラバラです……
 言いたいことまだありますけど、文句はこれくらいにしておきましょう。とにかく、これは『まもって守護月天!』と言う作品に対してあまりにも不幸なことになりました。ここのHPを見ている方はもうお分かりの通り、私はこの作品にかなり入れ込んでいて、アニメ放映当初はかなり力んでビデオ録画していたのですが、最終回(22話で終わりということは打ち切りでしたね)まで回せませんでした。記録としてとっておこうと割り切っていても、あの造りでは辛くて残せなかったのです。
 さて、何がいけなかったのか考えてみたのですが、私個人の考えでは次のようになりました。

1.スタッフは月天という作品を本当に理解していたのか?
 理解していなかったと思います。正確に言えば表面しか理解できなかったのではないでしょうか?100%理解するということは並大抵のことではありません。現に私だって月天を100%理解できているとは思っていません。しかしメディアの送り手であるプロとして、出来る限り原作の理解を深めるということはしてほしかったです。あれで理解したというのなら何も言うことありません。

2.船頭多くして船山に登る
 スタッフ表を見て私が気付いたことは、この作品に監督がいなかったことです。ひとつの作品を統括する立場に必要な監督がいないという時点で疑問符の嵐なのですが、一体どうやって話を組み立てていたのでしょう?
 この先は私の推測ですが。おそらく脚本家に全部任せていたのではないでしょうか。もしくは何故か三人もいるプロデューサーに任せたのかもしれません。どっちにしてもそんなことをしてしまうと、個々の話は(良くても悪くても)出来ても、全体の大筋は出来ないということです。本当にそうなるのかって?実際にそうじゃないですか。暴走族は出てくるわ、中国大陸に軒轅で飛んでいくわ、何の脈絡もなく南の島に飛行機で飛んでいくわ(軒轅と飛行船はどうしたのでしょう)、制服泥棒たかしにさせるわ、炎のチャレンジャーもどきは出てくるわ、挙げ句にはシャオをキレさせて太助に向かって発砲させるわ、統一性というものの見えない無茶苦茶の極みです。これらはさっきの理解していたかの問題にもつながることなんですけど。

3.売り物にするのも程々に
 タイトルにあるように、現在のアニメ事情に通じるものがあるのですが、良い作品=売れるの図式が成り立っているような気がします。勿論テレビ局側としては、制作側としては高い視聴率を得ないといけませんが、だからといって誰でも見てくれるようにと原作と明らかに違う性質にすることは間違っていると思います。確かにアニメ自身の独自色がなければなりませんが(アニメ化する意味が無くなるからです)、変えるなら全くの別作品に見えるようにでもしない限り、中途半端なものに見えてしまうでしょう。それは誰が見ても失敗作です。

 アニメが打ち切られて結構時間が経ったはずなんですけど、書いている内にやや感情的になってきてしまいました。こうしてみると「いけないこと」がかなり重なってああいう結果になってしまったのだと思います。願わくば、良い作品として再び制作できる機会があるようにと思うのですが、どうなるのでしょうね。しかし、CDドラマの方はどうするんだろう?昔(CD)の方に戻すのかな?それとも『ハーメル』の如く……
Ogurin

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