まえがき


先に拙著『わっふるどりふ』を読んだ方がいいかもしれません。読まないと一部わけわからなくなるかも;

『だよもんどりふ』



 ひどく鈍い頭痛を覚えて、長森瑞佳は目を覚ました。
 折原浩平の部屋である。しかも、どうやらベッドの上で寝ていたらしい。
 そのことを認識して、瑞佳は慌てて身を起こした。いくら毎朝訪れているからといって、ベッドで寝ているとなると何となく恥ずかしかったのである。
 今、何時だろう。未だ鈍く痛む頭を軽く振る。此処にいるということは朝のはずだけど……と壁にかけられた時計を見ると、午前8時。いつもより少し早い。
 あれ、なんで早いんだっけ……と思ったところで、瑞佳は重大なことに気付いた。
「浩平?」
 本来此処にいるはずのこの部屋の主、浩平が居ない。慌ててベッドから降りようとして――瑞佳はなにか暖かくて柔らかいものを踏んづけた。
「あ、浩平、こんなところに――え?」
 瑞佳が踏んづけたのは、女の子だった。ちょっと癖のある長い髪で、リボンを付けていて、瑞佳や浩平と同じ学校の制服を着て、そばに落ちている鞄には最近瑞佳がお気に入りの『ねここねこ』のマスコットが……。
「え、ええ、えええええ!?」
 要するに、自分そっくりなのである。少なくとも、前に浩平がやったクラスメイトの七瀬留美や里村茜の変装ではない(そもそもアレは本人達に大不評を買うやらなにやらで大変なことになった覚えがある)。
「こ、浩平、この子誰!?」
 思わず、その場にいない浩平に向かって叫んでしまう。もちろん、答えはない。どうしようどうしようと思考がループしそうになって、はたと瑞佳は気付いた。この部屋にいないだけじゃないのか。たとえば、リビングや洗面所にいるかもしれない。
 自分そっくりな女の子を起こすことは、何故か躊躇われた。それよりも先に浩平を捜した方が事態が収拾する可能性が高いということもある。だから、ベッドの真横に倒れている女の子を慎重に避けて、瑞佳は部屋を出ようとして――ひとつ、奇妙なことに気付いた。
 何故か、浩平のパジャマを着ている。
 腕を見た。なんだか太い。
 肩を抱いてみる。なんだか逞しい。
 恐る恐る、胸を触ってみた。無い上に固い。
 頭を触ってみる。髪は全体的に短く、それでいて前髪は結構長い。いつもいつも、切ったらどうかと言っている前髪だ。
 これ以上は、確かめなくてもわかる。
「えっと……わたしが浩平?」
 ペタペタと顔を触って、恐る恐るベッドの横に視線を送る。
 ということは、
 そこに倒れている女の子は、
「ど、どういうことかな……?」
 動悸が激しくなっていく胸を押さえて、瑞佳は慎重に、ゆっくりと回想してみた。


 ■ ■ ■


「ほらぁ、起きなさいよーっ」
 いつも通り浩平を起こしに来ると、こちらもいつも通り浩平は熟睡していた。
「ほらー、今日は七瀬さんと里村さんと、途中で待ち合わせる約束でしょ? 起きなよー」
「……うぐぅ」
「うぐぅじゃないよーっ」
「……がおー」
「がおーでもないよーっ」
「……CLANNADまだぁ?」
「……もうっ、訳わからないよ……」
 俺たちは、もう二年も――などと寝言を続けている浩平の布団を剥がす。もう朝の空気に夏の熱気は無い。しばらくすれば、嫌でも目を覚ますはずだ。
 窓を全開にして、クローゼットのハンガーにぞんざいに引っかけてある制服を取り出す。そうしている間に、浩平はちゃんと目を覚ましたらしい。上半身を起こして、ちっ、発売日発表は夢か……などと言っている。
「目、覚めた?」
 制服を枕元に置いて尋ねる瑞佳に、浩平はあぁともおぉともつかぬうなり声を返しながら、
「おかげさんでな。まったく、目覚まし時計には、スイッチがあるから黙らせられるんだけどな。長森だと無理だし」
「当たり前だよ。わたし、目覚まし時計じゃないもん」
「なんで、作ってみました!」
「え?」
 今になって気付いたのだが、浩平のベッドに向かって天井から何本かの紐が垂れ下がっている。そのうち一本を握って、浩平は叫んだ。
「くらえ! 今週のうっちょりねっちょりメカ!」
「うちょっりって、――はふん!」
 瑞佳の頭にカナダライが直撃した。為す術なく崩れ落ちる瑞佳。が、何かを掴もうとした手が、一本の紐のを握り――そのまま崩れ落ちるに任せて引っ張った。
「わはは、成功、成功――ふげ!」
 浩平の頭に、カナダライが直撃した。


 ■ ■ ■


「あー………………」
 思い出した。これ以上はないと言うくらい完全に思い出した。
 確か、里村さんも同じような目に遭って大変だったっけ……。確かあのときは――と、部屋の中をよく見てみる。ほどなく――といってもモノが大きいので本当にすぐなのだが――カナダライがふたつあった。これをお互いの頭にぶつければ元に戻れるはずである。
 戻れるはずなのだが。
「先に、着替えちゃおうかな……」
 先に制服を着てしまうか、さらに洗面も済ませてしまうか。恐らく、寝起きの浩平よりは早く済むはずだからこのままのほうが効率がいい。
 とりあえず、着替えようと思って、パジャマを脱ごうとし……瑞佳は今日何度目かの発見をした。
 なにか、どうも。
 ……汗くさい。




 浩平の家からそう離れていない、それでいて留美、茜の通学路が交差する十字路で、二人は待っていた。留美は片足を始終動かしており、茜は鞄を両手に持ったままぴくりとも動いていない。
「ねえ、遅くない?」
「もう少し待ちましょう」
「里村さん、ずっと待つのって嫌じゃない?」
「慣れてますから」
「あ、そう……まったく折原の奴、いつまで寝てるのかしら。っていうか瑞佳に何かしたら……」
「そのときには、浩平には、血を見て貰います」
 初めて、茜が動いた。といっても鞄の取っ手を握りしめただけであったのだが。
「……な、なんか血管浮いてない? 手に」
「気のせいです」
 と、茜。
 その時である。
「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 ものすごい悲鳴だった。なにせ、浩平の家から此処まで届いたくらいである。
「――今の」
「長森さんの、でしたね」
「ついに血迷ったか、折原ぁ!」
 全力疾走に体勢に入る留美。
「……その表現もどうかと思いますけど」
 やや遅れて茜が続いた。

 玄関を蹴破ろうとする留美をなだめて、茜がドアノブを回してみると、玄関のドアはあっさりと開いた。留美が突撃を敢行し、茜が続く。リビングには、居ない。階段を駆け上がって浩平の部屋を覗く。居ない。
「吉良は、吉良は何処だぁ!?」
「……忠臣蔵、好きなんですか?」
「うん」
 そんなことを言い合いながらほかの部屋を探していく。と。
「水音がします」
「お、お、お風呂ぉ!?」
 一瞬茜の頬に紅が散り、留美の顔が茹で蛸になった。
「何考えてんだアイツはっ!」
「ものすごい発想に行き着いた七瀬さんも七瀬さんだと思いますが……」
「里村さんも一瞬想像したでしょ!?」
「……はい」
 階段を駆け下り、廊下を抜け、脱衣所に入る。と、そこには――、

 瑞佳が座り込んでいた。

「瑞佳――?」
「長森さん?」
 留美と茜が交互に声をかける。
 すると、ゆっくりと瑞佳は顔を上げた。――眼に、涙を浮かべて。
「ちょ、ちょっちょっちょっと、瑞佳?」
 今度は蒼くなって、留美が問いかける。
「ま、まま、まさか」
「泣く場所が脱衣所ということは無いでしょう。服を着てますし」
「れ、冷静ね。里村さん」
「ソウデスカ?」
 貌が冷静じゃなかった。留美は一瞬だけ茜に向けた視線を、すぐさま視線を瑞佳に戻す。
「で、瑞佳、どうしたのよ」
 瑞佳は留美を見つめる。すると目に貯まっていた涙がぽろぽろと流れ始めた。
「ちょ、ね、ねえ、本当にどうしたの?」
 慌てて瑞佳の肩を抱き、留美が問う。と、ぽそりと瑞佳が何かを言った。
「……お……」
「お?」
「――お」
「お……?」
「……俺、もうお婿にいけない……」
「はぁ!?」
「俺……?」
 婿と聞いて唖然とする留美に対して、俺と言う言葉に引っかかる茜。ふと何かに気付いて、瑞佳に問いかけようとする。
「もしかして、あなたは……」
 と。ガラッと風呂場のドアが開いた。
「あ、七瀬さん、里村さん、おはよう」
 浩平だった。
「うわあ、ちょ、ちょっと折原ぁ!?」
 真っ赤になってそっぽを向く留美。浩平は、腰に巻いたタオル以外は何も身につけていなかったのである。
「新手のセクハラですか?」
 ぶらりと下げた右手をにぎにぎさせながら、茜が浩平をにらむ。
「そうでないなら、もうちょっと周囲の目を考慮した方がいいと思います……長森さん」
「え?」
 留美が呆然となる。
 浩平はというと、一瞬きょとんとした後、目を細めて、
「さすがは里村さんだねぇ」
 と微笑んだ。
「え? ま? も、もしかして」
 混乱したかのようにこめかみに右手の拳を当て、左手で浩平を指さして、留美が問う。
「瑞佳?」
「うん。そうだよ」
 難なくそう言いのけると、浩平は脱衣所に畳んであるバスタオルを広げて頭からかぶった。そしてごしごしと念入りに頭を拭き始める。
「あの……なんでお風呂入ってたの? 瑞佳」
 できるだけ浩平を見ないようにして、留美が尋ねた。茜もそれが気になるといった風に浩平に視線を送る。
「うん、それがね。なんか汗くさかったから浩平に聞いてみたの、そうしたら」
「こらっ、長森、腰っ! 腰のタオルが落ちるっ」
「え? わっわっわっ」
 いきなりな瑞佳の指摘通り、浩平の腰に巻いていたタオルの結び目が解けかけていた。慌てて強く結び直す浩平。
「……聞いてみたら、どうだったんですか?」
 速攻でそっぽを向いていた、茜が訊いた。
「えっとね、信じられる? もう三日もお風呂に入ってないって言うんだよ」
 と、頭を拭き終わって身体に移る浩平。
「だから、お風呂入ってきたの」
「嘘……」
 信じられんといった貌で留美が呟く。同時に発せられた茜の視線を受けて、浩平は手をぶんぶんと振ると、
「だ、だって、いまさらだよ。浩平の身体なんて見慣れてるもん」
「お、お、お、お、折原ぁ!?」
「……露出の癖があったんですね」
「誤解だ誤解! ガキの頃の話」
「って言って、ついこの前ベットの中で裸だったこともあったよ」
「血、見ますか?」
「アレハホンノオフザケデス……」
 瑞佳の声が震えている。
「そ、それより瑞佳。いい加減服着なさいよ。」
「え、あ、そっか。ちょっと服着てくるね。あ、あとでヒゲも剃らないと」
 そう言って、バスタオルをきれいに畳むと、浩平はタオル一丁のまま脱衣場を出ていった。ほどなくして、とんとんと階段を上がっていく足音が聞こえてくる。それを、三人で見送る。と、階上から。
「あ、全部用意ができたらカナダライ持ってくるからリビングで待っててねー」
 ――言葉もなかった。
「……まじで、お婿にいけない……」
 がっくりと崩れ落ちる瑞佳。
「少し、同情します」
 茜が肩にそっと手を置いた。
「私も……」
 もう片方の肩を留美がたたく。
「……茜、七瀬……ありがとうだよもん」
「……」
「……」
「な、なんだ、どうした!?」
「似合いません」
「にあわないわ。姿形は一緒でも」
「……はふん」


 余談になるが、その後浩平は一日一回ちゃんとお風呂に入るようになったとかならなかったとか。



Fin.






あとがき


 というわけでだよもんの話です。お待たせしました。
 今回は、この前のわっふるどりふと同じく、浩平とヒロインの中身が入れ替わるというものなんですがいかがでしょうか。
 実際には、だよもんは素っ裸の浩平見て慌てていたので見慣れては居ないようですが……。
 さて、次は、ちょっと未定です。もうしわけない。

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