わっふるどりふ(2003.06.11)
「浩平、起きてください。浩平」
特徴的なおさげを揺らして、里村茜が折原浩平を起こしに来たのは、いつも彼が起きる時間より30分ほど早かった。
理由は、幾つかある。まず、浩平は起きるとき30分は時間を稼ぐから、その分を見積もった方がいいという助言に従ったこと。
次に、茜自身が何となく早めに起きてしまったこと。
そして最後に、ちゃんと規定の時間に起こせるか、茜に自信が無かったためである。
「もげ……」
助言と茜の予想通り、浩平は完全に寝惚けていた。
「朝です。浩平、起きてください」
茜の声に、浩平は彼岸から聞こえてくる音楽を聴いたかのような声で、
「……なんで茜が起こしに来るんだ?」
と言った。ちなみに口元まで布団をずりあげて、しっかりとしがみついていたりする。
「今日だけ代わって貰ったんです」
やや頬を赤らめて、茜はそう言ったが、寝惚けている浩平にはそれが認識出来ない。
「んな都合のいいこたあ、ない。これは夢だ。夢。ぐおおおぉ」
語尾が既にいびきになっている。
「夢じゃありません」
今度は少しふくれている茜だが、これも浩平は認識出来ていない。
「いい加減起きてください。浩平。そのうち長森さんが心配になってこっちに来ますよ」
「長森……!?」
それまで完全に寝惚けていた浩平の脳が、一瞬――ただし、半分だけ――覚醒した。
「ならば、くらえ茜! 対長森用、今週のビックリどっきりメカ!」
そう言って天井から伸びていた紐を引っ張る浩平。
「なんで長森さん用のを私が……――っ!」
「ふはは、どうだこの威力ふぎゃっ!」
茜の頭に落ちてきたカナダライに続いて、もう一つのカナダライが、浩平の脳天にも仲良く直撃した。
「ぐぅ……」
がばりと立ちあがって、茜がぼやく。
「ったく、なんで俺までくらっちまうんだか……おい、茜、大丈夫か?」
うん……と、こちらは多少辛そうに、浩平が布団から起きあがった。
「……何なんですか、このカナダライは」
ふくれっ面の浩平に、ピッと指一本立てて茜が答える。
「なに、毎朝毎朝起こしに来る長森に、ドリフな気分を味わって貰おうとな」
正座から、胡座にかけなおしながら、得意そうに続ける。
「それを、なんで私が?」
「効果覿面だったろ?」
「効き過ぎです」
はっきりと目に非難の色を浮かべながら、呟くように文句を言う浩平。
そんな彼に、茜は腰に手を当て「はっはっはっはっは」と、ひとしきり笑うと、
「ところでお宅、どちら様?」
ずいと、人差し指を無遠慮に突きだした。
「……あなたこそ、一体誰です?」
疑惑の色を浮かべて、浩平が聞き返す。
ふたりが現状を認識したのは、およそ三秒後であった。
「だから、里村さんに任せない方が良かったのよ」
浩平の家へ向かってずんずんと進みながら、七瀬留美は本日3回目の台詞を、早口で捲し立てた。
「でも、里村さんがやってみたいって言うから……」
半歩遅れて、少し駆け足気味に長森瑞佳が続く。
「それで心配して待っていたらこのざまじゃない!」
瑞佳にはさっぱりわからなかったが、妙に苛々とした口調で留美が答える。時刻は既に8時45分。今すぐ学校の方へ向かって走っても、一時間目には間に合うまい。そのせいだろうか?
「里村さん、浩平起こせなかったのかな?」
「それならまだいいのよ。問題は、あのふたりがヨロシクやっていたら……」
「ヨロシク? 何が?」
「な、なんでもないの!」
顔全体を真っ赤にしながら、留美は歩調を強めた。間もなく、浩平の家にたどり着く。
「いい? 鳴らすわよ」
「鍵、持っているのに……」
「いま、里村さんに貸しているでしょ?」
「あ――、そうだったね」
「しっかりしてよ……」
ため息をついてから、留美は玄関のチャイムを押した。
「これですぐに出てこなかったら、折原、あんたサンドバックだから……」
物騒なことを言う。
「な、七瀬さん、すぐ出てこないからってそれは――」
しかし、留美の予想に反して、5秒もかからずに、玄関のドアが開いた。
開けたのは、茜である。彼女は、『おっ、やっぱり来たか』といった表情を一瞬だけ浮かべると、
「おう、どうした。長森、七瀬」
「…………」
「…………」
「? 本当にどうした? 俺の顔になんか付いているか?」
首を傾げる茜に、留美も瑞佳も声が出ない。
「ま、いいや。とりあえず、あがってくれ」
そう言って、中に入ってくるよう促す茜。
「えっと……」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしながら、留美が家に入る。
「お邪魔します……」
十年近く、浩平の家に入るときに言わなかったその言葉を使って、瑞佳も玄関をくぐった。
「一緒に学校行こうって、待ってくれたんだろ?」
廊下を歩きながらそう訊く茜に、
「ええ……」
「うん……」
留美も瑞佳も、いまだろくに返事が返せない。
「悪い悪い。いま、ちょっと厄介なことになっててな。このまんまじゃとても学校行けないから」
「そ、そうなの」
「た、大変だね」
ぎこぎこと音が鳴りそうなくらいガチガチに固まって歩く留美と瑞佳を見やって、一瞬訝しげな視線を向けた茜だったが、やがて何かに思いあたったかのような貌をすると、ニヤリと笑って唐突に足を止めた。
「ぎゃ」
「うぷ」
真後ろを何も考えずにあるいていた留美、瑞佳の順番に衝突する。
「二人に、お話ししておきたいことがあります」
「へ?」
「あ、は、はい?」
急に元の口調に戻った茜に対し、逆についてけない留美と瑞佳。
「実は私、魔法の国からやってきた、魔法少女ワッフルシュガーなんです」
「魔法少女……」
「ワッフルシュガー……?」
「はい、この世界を愛と勇気とお砂糖でいっぱいにするため――」
そこで、いきなりスリッパではたかれる茜。
「馬鹿なことやらないでください。私の身体で」
脱いだスリッパをはき直して、淡々と浩平がそう言う。
「お、おおお折原ー!」
まるで、彼の姿で呪縛が解けたかのように――猛然と浩平につかみかかる留美。いままで貯めておいたと思われるものを一気にまくし立てる。
「なんか里村さんが全面的に変になっちゃっているけど! あんた何もしていないでしょうね!?」
「落ち着いてください、七瀬さん」
「そっちこそ何落ち着き払っているのよ! OVAじゃあるまいし!」
「……意味がわかりません」
頭をさすっていた茜とようやく普通に動けるようになった瑞佳がうんうんと頷く。
「とにかく、里村さんが変なの!」
「それは、浩平に訊いてください……」
そう言って浩平が指さす先には、他でもない茜がいた。
「そっちは里村さんでしょ! 何誤魔化しているのよ!」
「いや、誤魔化していないんだが……」
と、挙手しながら茜が言う。
「里村さんも! さっきから折原みたいな……折原ぁ?」
「うぃす」
ずいと再び挙手する茜。そんな彼女をまじまじと見て、瑞佳がおそるおそる浩平に訊く。
「ということは……里村さん?」
「はい」
静かに手を挙げる浩平。
「ど、どういうことよ!?」
二人を交互に見る留美だが、その表情は、なおさら混乱していることを示していた。そこへ、彼女が全く予想していなかった声が響く。
「要するに、中の人のが入れ替わっているんじゃないの?」
「柚木さん?」
リビングと廊下の境目にいる人影に向かって、瑞佳はそう問いかけた。
「は〜い、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン! 毎度おなじみ柚木詩子さんでーす」
「なんで居るんだよ!?」
完全に予想外だったらしく、うわずった声で茜が訊く。
「人の気配がしたので、リビングのカーテンを開けたら、庭に立っていました」
浩平が解説する。
「どうやってそこまで来たのかは知りませんが……」
「そんなことより、少し休憩しない?」
と詩子。
「ここで騒いだって、何も進まないしさ」
その通りだった。
「いやあ、中身が茜だから気付いたんだってば。これが折原君だったら、今日の茜は中の人が違うなって思っただけだったよ。多分」
「どーいう認識の仕方だよ……」
と茜。
折原家のリビング、正確にはダイニングである。テーブルの上にはコーヒーカップが六つ。これはセットで買ったため同じ柄であったが、普段は二人以下しかいない家のせいか、椅子はそれぞれが全く別のものであった。家中の椅子を総動員した結果である。
「でも、いきなり『どうしたの茜、折原君の格好して』って言われたときは驚きました」
と、浩平。
「私達同士でも、最初どうなっているかわかりませんでしたから」
「わたし達はもっとわからなかったよ……」
と、牛乳80%のカフェオレを飲みながら瑞佳。ちなみに他のメンバーは砂糖の量を除いて普通のコーヒーである。
「要するにアレね」
やっと落ち着いて――内心取り乱した自分が死ぬほど恥ずかしいのだが――今では誰より冷静な口調で留美がまとめに入った。
「折原のいつもの悪戯で、里村さんと折原の中身が入れ替わったと。そういうことで良いのよね?」
茜が大仰に、浩平がシンプルに頷く。
「で、どうするのよ」
横目で茜を睨みながら留美が訊く。
「どうしたもんかな」
茜が浩平に訊いた。
「私に訊かないでください」
浩平が鋭い目つきで茜をじっと見――要するに、睨む。
「しょうがない。しばらく俺が里村茜として暮らすから、茜は折原浩平として生活してくれ」
「嫌です」
「即答か」
「はい」
「なんでまた」
それには、浩平は即答せずに、
「長森さん、七瀬さん」
と彼女らに声をかけながら、茜を指さす。
「中身が浩平とわかっていて、更衣室一緒に使えますか?」
「俺は問題ない」
茜が即答する。
「問題です」
「問題だよ」
「問題でしょ!」
期せずして、浩平と瑞佳と留美の『問題』の部分が重なった。
「なんで問題があるんだ?」
茜が膝を立てて反論する。
「まだ、あります」
再び茜を無視して浩平は続ける。
「それ以上に私は今――」
殺気でも籠もっているんじゃないかと言われそうなほど鋭い視線で浩平は言う。
「水分が恐いです」
「水分?」
よくわからんと首を傾げて茜。そういえば、浩平だけコーヒーの減りが異様に少ない。
「飲み物を飲んだら最終的にどうなります?」
そんな浩平の質問に、茜、瑞佳、留美、それに詩子はそれぞれ頭を捻って――、
「ああ――!」
「そっか……」
「うわ……」
「あはははは……」
四者四様の表情を浮かべた。
「そうだよな。普通、女の子は立ってしないもんな」
うんうん、と頷く茜。
「しょうがない、俺がレクチャーしよう。まず、始末の仕方だがな。こう、持ってだ」
「聞きたくありません」
「いや、そう言ってもな。時間の問題だし」
「そうそう。どうせ元に戻っても、近いうちに見ることになるんだから」
「なんで見なきゃいけないんですかっ」
真っ赤になって激昂する浩平。
「うわぁ、浩平の珍しい貌見られたよ」
「野郎の赤面見てもなあ……しかも俺だし」
「中身でも珍しいよ」
と詩子。
「どちらにしてもだ。まずチャックを下ろしてだな」
「それ以上言うと、後が恐いわよ?」
いつの間にか茜の背後に回り、彼女の手首を逆手で持ちながら留美が言う。そして浩平に向かって、
「傷が付かない程度だったらいいよね?」
「むしろ傷が付いても良いです。――他の人に迷惑かかりませんし」
「ちょ、ま、茜!」
「私は、ちょっと困るかなー」
「我慢してください、詩子」
「ん。茜がそう言うならね」
「それだけかい!」
ひたすら慌てて茜が叫ぶ。さらに彼女はじたばたしながら、
「俺が痛い俺が痛い。それに、いつもは抵抗出来るのに、なんかしらんが今日に限って出来ないし」
「それは、そうです」
なんで気付かないんだといった表情で浩平。
「日頃から運動不足だって、浩平自身が言っているじゃないですか」
「んっふっふ……」
そいつは僥倖とばかりに、留身が怪しい笑みを浮かべる。
「日頃の恨み、晴らすときかしら?」
「恨みっておまえ、江戸の敵を長崎で討つような……む」
急に黙り込む茜。
「ど、どうしたの浩平?」
あわてて瑞佳が立ち上がる。皆が見守る中、茜は、静かに、
「俺が催してきた」
「七瀬さん、浩平の手、絶対に話さないでください……!」
「わかった!」
「ちょっと待て二人とも! このまんまじゃさらにまずいだろ!?」
「見られたら、嫌なんですっ」
「いずれ見ることになりそうだけどねー」
「どうして詩子はそういう発想に行き着くんですか!?」
「さ、里村さん、とりあえず落ち着いて!」
そう言う瑞佳の声が一番上擦っていた。
「おーりーはーらー!」
茜をがっくんがっくん振り回す留美。
「なんでもいいから、元の身体に戻しなさいよっ」
「も、戻せったって、どうすりゃいいんだよ!?」
「私にきくなっ! どうにかしろっ!」
「そんな無茶な!」
「こんな……かたちで……」
「わあっ、里村さんが本当に泣きそうだよ!?」
「俺も泣きてえよ!」
収拾がつかなくなってきた折原家のリビングルーム。浩平は立ちつくし、留美は茜を取り押さえ、瑞佳はオロオロして、そして留美の腕の中で茜がもがいている。そんな彼女たちを順繰りに見やって、いまだ椅子に座ったままの詩子が、ぴっと手を挙げた。
「あの、ちょっといい?」
大きくはないが、よく通る声のおかげで、全員の視線が一斉に詩子を的にする。
「まあ、オーソドックスな手なんだけど」
それぞれの、視線の色を見て取りながら、腕を組み直して詩子は続けた。
「もう一回、ふたりでカナダライに頭ぶつけてみたら?」
「本当に戻れたよ……」
手をにぎにぎしながら浩平は呟いた。
「やっぱり、自分の身体が落ち着きます……」
浩平が荒っぽく動き回ったせいで乱れていた服装を正しながら茜がそう言う。
「なんにせよ、良かったね」
と、いつものペースに戻った瑞佳。
「ま、おもしろかったけどねー」
「もう勘弁して……」
と、対照的な詩子と留美。
「それでは、トイレ、お借りします」
言うやいなや、無駄のない動きでトイレに直行する茜。浩平がぎりぎりまで我慢しなかったため、あわてて駆け込むというほどではない。そんな茜を見やって、やおら胸元で両手をわきわきさせながら、浩平はむーと、うーの、中間の声でうなり声をあげた。
「どうしたの?」
なおもそのままわきわきさせる浩平に瑞佳が訊く。
「いや、茜って、着やせするタイプだったんだなと」
トイレに入ろうとした茜が、履いていたスリッパを投げつけてきた。
Fin.
あとがき
久々に壊れ気味のSSを書いてみたら、こうなってしまいました。ちょっと読みづらいかもしれないので一応解説を。
劇中、キャラ名は身体の名前になっています。……ちょっとエロい表現ですが。
ちなみに書き始めた動機は、茜とよく似た格好のハイテンションキャラを多く目にするようになったからなんですが……本人にやらせるのはさすがに酷だったのでこうしてみました。いや、やってもいいんですが。というか、今回ちょっと壊れ気味でしたがw。
さて、次回は、だよもん……かな?