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このお話はマルチシナリオのクリアを前提にしたSSです。
「マルチというキャラを知っているがシナリオは未クリア」
といった方はご注意ください。
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残暑お見舞い申し上げます。

To HeartSS『木を隠すには森の中』(2000.08.22)


 商店街の盆踊り大会、その夜である。

「んんーこの味、高校時代に経験しておきたかったぜ」
 ビールのショットボトル片手に、浴衣姿。今年二十歳の藤田浩之は、大きく伸びをした。さすがに一本ではほろ酔いにすらならない。
「程々にね」
「飲み過ぎは体に毒ですよー」
 彼の左右に同じく浴衣姿の神岸あかりとマルチがいる。周囲から見れば両手に花なのだが、浩之本人に言わせると、
「ストッパーが二人いて全然脱線できない」
 と、かなり贅沢に悩んでいる。
「それはそうと、あかりは飲まないのか?」
「私お酒はダメ。すぐフラフラしちゃうから」
「マルチは……」
「私は飲んでもすぐ分解しちゃいますしね」
 フィルターとやらのおかげで飲み物は飲めるようになったマルチだが、当然酒に酔うことはできない。
「かー、俺の周りにはろくに酒飲めない奴か、悪酔いする奴らばっかりなんだもんな」
 それも贅沢な悩みであろう。
「にしても、あかり、そんなお面どこにあったんだ?」
「可愛いでしょ?」
「かわいいですねー」
「いやまあ可愛いことにはかわりないかもしれないが……」
 先ほどなにやら興奮した面もちでお面屋に駆け込んだあかりだったがしばらくすると頭に斜めにそれを被って戻ってきた。クマのお面である。それもあの『くま』そっくりであった。
「くまって実はかなりメジャーなキャラクターなのか?」
「さあ?」
「?」
 二人して首を傾げている。こうして見ると、姉妹に見えないこともない。
「――まあいいけどな。って、おおっ、炒り銀杏が売ってるぜ。なるほど、今年はけっこう通好みの夜店が多いんだな」
「浩之ちゃん、買ってこようか?」
「ああ、サンキュー」
「あ、じゃあ私も――」
 そういってあかりについていこうとしたマルチだったが、つんと袖を引っ張られてその場に止まった。不思議に思って袖を見ると、浩之がそっとつまんでいる。
「浩之さん?」
「マルチ、あのことあかりに話しておけ」
「……あ、はい。わかりました」
 伏し目になって頷くマルチ。
「でも、全部はその日にお話します」
「マルチに任せる」
 浩之の指が袖から離れた。
「行ってきな」
「はい」

「結構有名なマスコットだぜ。たしか『葉っぱ屋』だったかな? とにかく店よりそいつが有名なんだ」
「そうなんですか」
 炒り銀杏を売っている屋台の親父が、あかりと同じくまのお面を後頭部に着けているのを見て、銀杏の袋を受け取りつつ、あかりはついそのくまの出所を聞いてみた。どうもそれなりに有名らしい。
「確か昔からありましたよね。くま」
「ああ、そういやそうだな。人気が出たのは最近になってからよ。昔から好きだったのかい? お嬢ちゃん」
「えっと、だいぶ昔からです」
「気に入った! 実は俺もくま好きでな。銀杏一握りサービスすらぁ!袋開けな」
 そういって親父は銀杏を一握り分多くくれた。
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
 マルチがあかりの後を追って屋台に顔を出したのはその時であった。
「お持ちしましょうか、あかりさん」
「ありがとう、マルチちゃん」
 クマ印の巾着袋を袖にしまいながらあかりは銀杏の入った紙袋をマルチに手渡した。浩之は人に流されでもしたのか、少し離れたところにいる。
「あの、あかりさん?」
「うん、何?」
「明日、あかりさんのお家にお邪魔してよろしいですか?」
「いいよ。でもどうして?」
「明日お話しします。朝の十時ぐらいでいいですか?」
「ん」
 頷きながらもあかりは小さな違和感を感じていた。何かいつものマルチちゃんと違う。
「浩之さんー」
「おおー」
「どうしちゃったの? 浩之ちゃん。なんかぼおっとしているよ」
「ん?ああ、ちょっと酔いが回ったかな?」
「歩きながらビール飲むからだよ」
「そうだな。動きながらじゃ酔いが早くなるもんな」
「そうだよ」
「そうですよねー」
「ね」
 頷きながらもあかりは小さな違和感を感じていた。何かいつもの浩之ちゃんと違う。急に二人とも何かが、
 突然大きな音がした。
 思考を中断され、音のした方、すなわち上を見上げると大輪の花が夜空に咲いていた。
「なんだ、こっからも見られるじゃねえか。急ぐ必要ないな。ゆっくり行こうぜ、あかり」
「あ、うん」
 次々と色とりどりの花が咲いていく。
「もうすぐ夏も終わりですねー」
「ああ、そうだな」

 あかりは小さな違和感を感じていた。

「あかり、マルチさんよ」
「はーい」
 翌日の朝、きっかり十時にマルチは神岸家のインターホンを押していた。
「それで、どうしたの? マルチちゃん」
 自分の部屋に招き入れながら、あかりは昨日からの疑問をマルチにぶつけてみる。
「えっとですね、浩之さんがあかりさんならどうにしてくれるだろうからって」
「何を?」
「あ、ごめんなさい。その、私をみなさんみたいに変装してほしいんです」
 答えは、要領を得なかった。
「でもどうして?」
「あのですね、今度ロボット博覧会が開かれるんです」
「あ、それなら聞いたことある」
「はい、それで、私、浩之さんに見に行きたいってお願いしたんですけど、それなら、もうチケットがあるぞって」
「よかったじゃない」
「主任が送ってくださったんです」
「主任……長瀬さんが?」
「はい!」
 来栖川エレクトロニクスの長瀬源五郎は他ならぬHMX−12の開発主任である。マルチにとっては父親に当たる人だ。
「自分のルーツとか、ご先祖様を見てくるのは非常にいい勉強だから、だそうです」
「そうだね。それって、私たちが歴史を勉強するのと同じくらい大事な事だと思う。でも、それでどうして普通の女の子みたいにならないといけないの?」
「私が、ロストナンバーだからです」
「え?」


「本当にそれ、外れるんだ」
「はい? あ、これですか」
 マルチは普段耳に取り付けてある複合センサーに目を落とす。
「今までお見せしたことありませんでしたっけ?」
「うーん、私は見たことないよ」
「そういえば……そうでしたね」


 HMX−12、マルチは現在販売されているHM−12の試作機である。数年前に製造され、姉妹機のHMX−13、セリオ(おなじくHM−13の試作機)と同様に学校で社会環境試験を行われた後、後のテストヘッドのため、モスボールと呼ばれる特殊樹脂のコーティングによる劣化防止加工を施され、保存されることになった。
 が、HMX−13はモスボールをつい最近解かれ、現在は来栖川邸で新しいテストをしている。そしてHMX−12は。
「――ロストって?」
 言葉からいって、だいたい内容は想像できる。だが訊かずにいられなかった。
「……私、壊れたか無くなったか盗まれたか、そのどれかをされちゃったことになったんです。だから、いま私は研究所ではいなくなったことになっているんです」
「どうして……」
「浩之さんのところにいるから、しょうがないんですよー」
 どうしてマルチが笑っていられるのか、あかりにはわからなくなってきた。
「でも、マルチちゃんの妹たちがいるんだから……」
 その中の一台として付いて行くには構わないはずである。
「私は、妹たちとちょっと違いますから」
 ぽんと胸を軽く叩くマルチ。
「あ……」
 あかりは自分の軽率を反省した。
 HM−12はマルチの量産型である。外見からそれに基づく性能まで全くかわらない。しかし、セリオのように全く同じスペックではないのである。
「心、ないもんねマルチちゃんの妹たち」
「本当はあるんですよ。でも、みなさんが気付けないほど小さいんです。とってもとっても小さいから気付けないんです」
「そうなんだ……ごめんね」
 (かなりの)年下のはずなのに、何か急にマルチが大人びて見えた。


「じゃあ、まず髪の毛の色ね」
 そういって染料をいくつか並べるあかり。
「いろいろあるんですね」
 今まで縁がなかったせいか、珍しいそうに染料の缶やチューブを持っては元の場所に置くマルチ。
「うん、私ってちょっと髪の毛が赤っぽいでしょ?時々目立ちすぎちゃうことがあるから、用意してあるんだ」
「はぁー、そうなんですかー」
 尊敬の眼差しがくすぐったかった。実際には志保になんだかんだいわれて押しつけられたのである。
「どうしようか?何色からはじめる?」
「えーと、あ、浩之さんが黒髪は男の美学とかおっしゃってましたから、まず黒にしてみます」
「うん、最初は茶色からね」
「?」
 一瞬、言い間違えたかと思ったが、どうも違う。注意深く見てみると、茶色の缶を持つあかりの手に異常に力がこもっている。
『あ、あかりには言うなよ』
 今更になって浩之の言葉を思い出した。


「私たちじゃわかってあげられないなんて、かわいそうだね」
「いいんですよ、いつか気付いてくれます」
「うん……」
「それに、浩之さんはもう気付いているんですよ」
「そうなの!?」
 マルチによれば、二人でとある喫茶店に入ったとき、そこでウエイトレスをしているHM−12と出会ったらしい。
『ごくろうさん』
『…………ありがとうございます』
 そんな短い会話だったが、そのHM−12は初めてのねぎらいの言葉であったのだろうか、少し言葉が弾んでいた。人にはわからない、ほんの小さな幅であったが。
『あいつ、なんか嬉しそうだったな』
 けれでも、そう言った浩之にマルチは思わず飛びつきそうになったという。
「本当は言っちゃいけないことなんだってわかってます。でもみなさんは私たちの小さな心に気付いて欲しいんです。――心がないなんて言ってほしくありません。みんな心があるんですから。どんな生き物にでも心はあるのにどんな機械にも心がないって思っているなんて変ですよ――前にも主任にお話ししたことあったんですけどね。でも主任は気付いている人だけでいいといっていました」
「違わないんだね。マルチちゃん達」
「違わないんです。私たち」


「こんな感じかな?」
「わ」
 部屋にある立ち鏡を見て、マルチは驚いたらしい。しばらく鏡の中の自分をまじまじと見つめる。
「なんかすごいですね。私じゃないみたいです」
「でしょ?」
 髪を深い茶色に染め(黒は却下した)、髪型が似ていると問題なので、同じ色の付け毛(何故かあった)で長さとボリュームを増し、服装はいつも通りで最後に浩之がマルチに昔買ってあげた麦わら帽子を被る。
「瞳の色だけど、近いうちに志保からカラーコンタクト借りてくるから。あ、でも大丈夫かな?」
「確か大丈夫です。目のガード用に着けられるぐらいですから」
「じゃ、大丈夫だね」
 マルチは鏡の前でくるっと回ってみる。
「浩之さん、私のことわかるでしょうか?」
「最初私の親戚の子って言ってみようか」
「わ。引っかかりそうですねー」
「ね」
 顔を見合わせて笑う二人。
「あ、そういえば、チケットが三枚あるんです。あかりさん、どうですか?」
「行く行く」

Fin――

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