空中庭園3000HIT突破記念センチメンタルグラフティSS
「午後日和(ごごびより)」(1999.10.12)


 日々に風が冷たくなり、秋の、そして冬の到来がそう先ではないことを予感するようになった日の午後、私の店は閑散としていた。いや、閑散という言葉は当てはまらない。ひとりも客がいないのだから。かなり前からこの店をやっているのだが、開店以来ずっとこんな調子である。まあ、夜になればそこそこの客が来て、経営に困るということがないので、別に気にしてはいない。
 店内の景気に比べ、外は良く晴れているようであった。それは朝の散歩でも分かっていたし、何よりこの薄暗い店内のどの明かりよりも強い光が入り口や窓から射し込んでいたからである。ここからそう遠くない広大な公園では、昼寝としての最高の環境が整っているであろう。
 そう、最近――といっても数年前からのことであるが――私の店にも常連客が来るようになった。夜に店に来る客は毎日全く別の客と言ってもいい。私の店は他の店に比べると、俗にメニューと呼ばれるものが圧倒的に少ない。両手の指で全てが注文できる。それがまあ、常連というものを作れない理由なのだろうが、とある少女だけはちょくちょくここに来るのである。まあ、ちょくちょくと言ってもそれは私の尺度で、実際には数カ月ごとと言った方がいいのだが。少女はこんな日によくここを訪れるのである。
(そろそろ来てもおかしくはないな……)
 そう思った直後、ふいに扉が開く。そこに据えられた手作りの飾り――細いアルミの棒を幾つか糸で吊した簡素なものだ――が小さく、それでいて確実に来訪者を告げる。まだ日も高いこんな時間に来るのは、先ほどの少女しかいない。私は自分の直感に心の中で苦笑すると、軽く手を挙げ彼女を迎えた。
「やあ」
「こんにちは」
 彼女の名前は七瀬優という。最近見かけない闊達さを持った少女だ。さらに最近見かけない強い意志を持った瞳もある。そう言う意味で、彼女は時代遅れの娘かもしれない。
「学校に行っていたのか。珍しいな」
 その珍しい証拠に、カウンターに座った彼女は制服を着ていた。別に年齢からいってその制服を着ていることはおかしくないのだが、彼女がここに来るときは、大抵私服である。
「さすがに出席が……ね」
 苦笑をもって彼女は答えた。彼女は滅多に学校に行かない。その代わりにこの国のあちこちを巡っていると言う。偶に旅先からこちらに直接向かったのか、古いリュックを背負ったままのときもある。
「まあいいさ。若いうちに外に出ることは――特に旅は――百利あって一害もない」
「フッ……いいね、それ」
「だろう?」
 久々に頬の筋肉を使う。
「で、なんにする?」
「いつものを」
 私はカウンターの側に置いてあるサイフォンを優の前に持ってきた。これはよく(といっても滅多に来ない)客に間違われるのだが、飾り物ではない。言ってみれば、これが私の店の特色なのである。
「いつ見ても綺麗だね……」
 と彼女。確かにこれはクリスタルガラスと銀で造られたものだが、彼女の言う綺麗とは単に素材だけでなく、その造りに対しての賞賛であろう。言うまでもないことだが。
 サイフォンとは正確にはサイフォン式コーヒーメーカーという。一九世紀に考案された蒸留機のような代物で、アルコールランプ一つでコーヒーを淹れることが出来る。
「こいつがあるから、私が淹れても美味いのさ」
 そう言いながら、私は一方の瓶、クリスタルグラスにコーヒーの粉を入れ、もう一方の瓶、サービングポットに昼から沸かしていた湯を入れた。そして双方に蓋をして、サービングポット下のアルコールランプに火を付ける。既に湯が沸いていたので、さっそく沸騰が始まった。
「フッ……」
 軽く笑みを浮かべながらカウンターの上に肘を置き、彼女はサイフォンを見つめる。そのうちに沸騰した湯はふたつの瓶を繋いだパイプを通ってクリスタルグラスの方に入っていく。ここで無色透明の湯は琥珀色になり、やがてあの深みのあるコーヒー独自の色になるのだ。そしてその色になったあたりで、湯の重みを失ったサービングポットは上にあがり、逆にクリスタルグラスは下にさがる。そうすると、サービングポットと連動してアルコールランプにキャップが降り、アルコールの青い火を消す。そうすると、文字通りなにもないサービングポットに向かってコーヒーが逆流するのだ。フィルターの役目も果たすパイプを通って。こうしてからくり仕掛けのコーヒーが出来上がるのである。
「前から思っていたけど、こういうのを発明した人はきっと何かに導かれたんだろうね」
「そうだろうな」
 彼女はそれを『星』と呼び、私は『直感』と呼ぶ。『神』と呼ぶ者も多いだろう。信じるものは多種多様だ。
 私は、コーヒーが全て戻ったのを確認すると、ポットの底面からコックをひねってカップにコーヒーを注ぎ彼女に手渡した。
「ほら」
「ありがとう」
 次いで私のカップにコーヒーを注ぐ。
「ご一緒していいかな?」
「もちろん!」
 夕方まで、客はまず来ない。普段のように窓から人の行き交いを眺めるのも悪くはないが、彼女との語らいも悪くはなかった。

「で、見つかったかい」
 少し時が過ぎ、日が傾きはじめた頃、私は旅の話を持ち出した。これに答えて彼女は軽く首を横に振る。
「まだだね」
「そうか」
 彼女は旅で何かを探していた。それは万人が皆、日々の中で、万人それぞれのやり方で探しているものである。彼女の場合、それが旅という形になっているのだ。
「どうやったら見つかるか今も見当がついてないんだ。ただ旅をすれば見つかるような気がするだけで」
「それでいいのさ」
 これが私の答えである。彼女がそう想っている限り、必ず見つかるのだから。
「あなたは、どんな感じで見つかったの?」
 美味そうにコーヒーを飲みながら彼女が訊いてくる。
「そうだな。急に閃きのように見つかるときもあれば、じっくりとじっくりと考え、考え抜いた挙げ句に見つかったりするそうだ」
「……そうだ?」
「ああ、私の場合は気付いたら手元にあったのでね。見つかったという感覚も記憶もない」
「――そういうのもあるって事だね」
「そうだな」
 そこでお互い笑みがこぼれた。
「気長に構えていればいい。ただ構えを解いてはならないがね」
「ふぬけになるなって事?」
「いや、諦めるなということだ」
 彼女の表情が引き締まる。私も同じく真面目に彼女を直視したが、すぐに崩した。
「ただ気長にやらないと、構えるのが嫌になるがね」
「フッ、確かに!」
 彼女は破顔した。そんな彼女の笑顔を見て、私はふと思い出す。
「そうそう、忘れるところだった」
 私は今の言葉と共に一度奥に引っ込んだ。自室に置いてあったそれを手に戻ってみると、彼女はきょとんとしたまま私を待っていた。
「前に言っていたヤツだ。持っていってくれ」
 そう言ってカウンターに置く。それは赤い盾の中心に白い十字架の紋章を施された折り畳み式のナイフ――ビクトリーノックス・アーミーモデル。俗に言うスイスアーミーである。
「いいの?」
 しげしげとそれを見つめた後、彼女は私にそう訊いた。
「ああ。錆び付かせるには勿体ないし、第一そんなに高いものじゃない」
 ちょっとした刃物専門店で、簡単に手に入る。その程度のものだ。ただし、使い方さえ心得ておけば、頼りになることこの上ない。
「へえ……」
 珍しそうにアルミの柄に収められた刃を繰り出した。鏡のような曇りのない刀身を明かりに反射させている。
「フッ……綺麗だね」
「手入れさえしっかりしておけば、一生使えるはずだ」
「だろうね」
 パチンと刃をしまい、それを制服のポケットに入れながら彼女は答えた。
「今度から旅のお供として連れていくことにするよ」
「そうしてくれ。そいつが喜ぶ……私もな」
「ありがとう、でも本当に――」
「君なら私が見つけた物を見つけられるだろうさ」
 それも私より早くに。歩むべき道、進むべき道を。
「ありがとう……そろそろ行かなきゃ。コーヒーごちそうさま」
「ああ、またな」
 カウンターの席を立ち、軽くのびをすると彼女は呟いた。
「……頑張るよ」
 それは私に向けて言ったのではないのかもしれない。ふとそのような気がした。それでも私は答える。
「頑張らなくていい。ただ、やるだけやればいいのさ」
「そうだね、わかった。それじゃ、また」
「ああ」
 まるでバーか何かのようにカウンターに直接コインを置く。彼女はそれを意識しているのかもしれない。そして颯爽とした足取りで外へと向かっていく。
 扉を開け、外の光にとけ込んでいく彼女に見ると、いつも彼女の旅の無事を祈らずにはいられない。もっとも、私の祈りなど何処吹く風といった表情で、彼女はいつも帰ってくるのだが。

 探し物は、そう遠くなく見つかるだろう。

――Fin

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