AIR_7(エア・アンダーセブン)

第五話:αとΩと国崎往人





前回のあらすじ――ちゅうか、注意
 今までのんべんだらりと進んで参りましたが、今回からは大きくネタばれです。ご注意ください。
 細かく言うと、Dreamで止まっている人は以下の文章を読むと話の先がわかってしまいます。DC版から入った方々は特にご注意を。






 夏は、その盛りを迎えていた。

 昼、神尾家。朝は朝で騒がしく、午後は午後で喧しいこの家にも、平穏な時間というものはある。ただし、その平穏を甘受するのは神尾家そのものであり、そこに住むものがそれを満喫することは出来ない。要は喧しい原因である住人(国崎往人ではない。念のため)が全員出払っているため、神尾家は平穏に包まれているのである。
 しかし最近は、その原則が揺らいでるようだった。玄関の鍵は不用心にも開けられているし、扇風機も動きっぱなしである。挙げ句の果てにはテレビまで付いており、真昼のニュースを淡々と流している……。種を明かそう。この時間帯に人がいるようになったのである。その人物は今、居間で寝っ転がっていた。
 その人物は……まだ若い。いや、幼ささえ見えるくらい若いと言った方が近い。黒々とした長い長い髪を持った少女で、明らかに暇を持て余していた。玄関の鍵が不用心に開いているのも、扇風機が動きっぱなしなのも、挙げ句の果てにはテレビが付けっぱなしなのも、皆、この少女が触ったものであり、他の住人が気を遣ってくれたものであった。
 しかし、外に出るには今はとても暑かったし、扇風機は珍しいものであったが、風を送るもの意外に意味がない以上、それ以上の興味はない。とびきり興味を引いたテレビも今の時間帯は面白くも何ともないものが写っているだけで、はっきり言ってどうでもいい(それでも、珍しいことに代わりはないのでそのままにしておいたが――それになにか、面白いものが写るかもしれなかったので)。
「……退屈じゃ」
 誰もいない神尾家の居間で、鍵が開いたままの玄関と、動きっ放しの扇風機と、付けっぱなしテレビとをうっちゃり、ごろりと天井から庭の方に向かって横になった神奈備命はそう宣うた。

 ■ ■ ■


 話は少し――もとい、かなり大幅に遡る。


 高野に行った。母に逢えた。しかし、すぐに死んでしまった。

 これ以上状況が悪くなるとは思えなかった。前方にはどこから湧いてきたのか、東国の武士団(と言えば聞こえはいいが、実際は荒くれどもの集団である)、後方には今だに追ってくる高野の僧兵団。彼我の戦力差は……言うまでもない。自らが戦うための剣術と兵を率いるための兵法、二つを学び、修めた柳也においても、これを覆すことはどう足掻いても不可能である。戦うのであれば。
 今は一にも二にもない、ただただ逃走のみ。これが最後に残された手段であり、また最も正当な判断といえた。早々にこれのみに於いて計画を実行したのも幸いし――兵は神速を持って法を制す。これは兵法に限らず、ありとあらゆる計に必須事項であると柳也は心得ていた――今のところ両陣営には見つかっていない。しかし、今のところは、だ。
 柳也方に本来マイナスとなる要素達は、意外にも限りなくゼロで居てくれた。もとより何処かで護身術を修めたらしい裏葉はともかく、何も修練のない神奈が足を全く引っ張ってくれなかったのが幸いした。そうでなければここまで時間を稼ぐことは不可能であっただろう。しかし。
「ここまでか……」
 目の前に迫る気配と、後方より押し寄せる気配を受けながら、柳也は足を止めた。
「柳也様!」
 神奈を背に庇いながら裏葉も足を止める。
「良く聞け。俺が囮になる。ここから斬り込んで双方を撃ち合いに持ち込むから、お前達はそのぶつかる方向を真横に曲がり走れ。時間がない。速くしろ」
「しかし……」
 その意を察して二の句を迷わす裏葉。しかしその後を引き継ぐように神奈が訊いた。
「お主はどうなる。柳也殿」
「俺のことは気にするな」
 抜刀し腰を低く落としながら柳也。刀を構え、突撃すれば、それは血の祭典を意味する。同時にそれは、自らが修羅の地獄へ堕ちる第一歩となることが、嫌が応にもわかっていた。
「ならぬ。柳也殿には生きてもらう」
 おそらくこちらの抑えきれない殺気が伝わっているはずだ。それなのに、神奈は顔の表情をひとつも変えず、淡々とそう言った。
「神奈!」
「ならぬ!母を失って、この上柳也殿も失うというのか。ならば余は……!」
「ぴこ?」
「……『ぴこ?』?」
 唐突に割り込んできた異音に、三人の視線が辺りを巡った。三人の目線には音源はない。が、柳也がふと足元を見れば。
 そこには毛むくじゃらの狗(いぬ)のようなものがいた。
「……高野のあやかしか?」
 即座に刀をそれに向ける柳也。同時に構え、再び腰を落とす。
「さて……」
 今までこのようなものが見たことがないのは、彼女も同じらしい。短刀を懐から取り出しながら裏葉が応えた。
「ぴこぴこ」
「……怖いぞ」
 ぞっとしたように肩をすくめる神奈。
「くっ!」
 腰を落として溜めていた全身の力を前方への推進剤として、柳也が狗のようなあやかしに斬りかかる。
「ぴこぴこ……ぴこお」
 途端、そのあやかしが巨大化した。いや、正確には顔だけが巨大化した。
「な!な!な!」
 神奈が悲鳴を上げる。
「神奈様!」
 裏葉が短刀を抜き、神奈を背にして構える。
「ちっ!」
 後退しながら柳也も二人の方へ後退する。そこへ、恐ろしい速さであやかしが迫った。
「ぴこおん」
 ぐあばと開いた大口が三人を飲み込む。夜の闇よりなお暗い、光も音も何もない真の闇が三人を包んだ。
『くそっ!ここで終わりなのか!ここまで来て!ここまで来て!』
 柳也の思考はそこで途切れた。


 話を大幅から、少し昔に戻す。


 相も変わらず、暑かった。

 現時点で、神尾家の居間は夏休み宿題対策本部と化していた。
「……と言うわけで、x=4、y=7です」
「すごい、初めて解けた」
「お姉ちゃんでもここまで速くないよぉ!」
 本部長の美凪による講釈に、観鈴と佳乃それぞれが問題のある感想を述べる。
 そして、国崎往人はというと、何もせずみちるやポテトと一緒に並んで、宿題に格闘する二人とそれを教える一人を眺めていた。どうも、美凪は七月中にすべてを終わらせているらしい(日記はどうした?と国崎往人が訊くと、美凪はねつぞ――げふんげふんと答えた)。
「アっツ……」
「駄目だぞ国崎往人、美凪達が頑張っているのに何もしてないで弱音を吐くとは――にょごッ!」
「この毛玉が俺に密着しているからだ」
 拳を納めながら国崎往人。ちなみに景気のいい音がしたものの、対策本部の三人は気付いていない。
「なら離れればいいじゃないかー」
「っていうか、俺の代わりにお前がこいつの隣に座れ。な」
「み、みちるは、遠慮する」
「ほれ見たことか」
 得意そうに国崎往人。そしてみちるの反対側、ポテトに首を巡らせる。
「それにしても、お前は暑くないのか、ポテト」
 そう言って国崎往人は、いつも通り舌を少し出しているが、犬特有の暑さの仕草は欠片も見えないポテトの頭にばふっと手を置いた。
 そのとき、観鈴がぞくりとしたように体を引きつらせると、背中をさすった。同時にみちるも背中に何かがくっつかれたかのように、首を後ろに巡らせる。
 そして次の瞬間、ぼこりとポテトの頭がふくれあがった。
「うわあああ!」
 恐怖に歪む国崎往人。ポテトはさらに、ぼこりぼこりと膨張する。
「な!な!な!」
「あまりの暑さに熱膨張しちゃいましたか……」
 流石に気付いた美凪がそう結論付けた。
「絶対ぇ違ぇ!」
 即座に叫び返すが、ポテトからは目を離さない国崎往人。いままでの騒ぎとは根本的に違う、何か危険なものと本能が察知したためであろうか。ともかくにも、ポテトは今、頭だけとはいえ、観鈴達三人を余裕で同時に丸飲みできる大きさになっている。その巨大な頭はほお袋を満杯にしたハムスターかリスに見えなくもない。ほお袋……?
「中に何か……入ってる?」
 いち早く観鈴がそう見抜いた。そして、その答えを待っていたかのように、
 ぷっぷっぺ!
 まるで西瓜の種を飛ばすかのように、ポテトは子供と女性と男性、都合三人の人間をはき出したのである。
 み〜んみんみん。
 静まりかえった神尾家に、蝉の声がやっと届いた。
「駄目だよぉ、ポテト。お腹が空いていたなら、言ってくれればいいのに」
「それも違ぇ」
 ややあって佳乃が、何事もなかったかのように元に戻ったポテトに向かってそう窘めたが、それも即座に国崎往人に突っ込まれる。
 そして、その声で目覚めたかのように、その中の子供――みちるより年上で観鈴達より年下と思われる――ががばりと起きあがった。
「ええい。一体、何がどうなったのだ?」

「ええい。一体、何がどうなったのだ?」
 神奈の癇癪で目が覚めた。と言うことは、気を失っていたことになる。柳也はあわてて躯を起こした。刀は――無い。利き手に抜き身のそれを持っていたはずだが、無い。ある程度予想できたことだが、念のため腰元を見ると、こちらこそが予想はずれで、刀は鞘にきちりと収まっていた。どういう訳か全くわからない。
 辺りは全体的に薄暗いように感じたが、夜ではないようであった。その証拠に蝉の鳴き声が聞こえる。足下には、畳……畳?
 ここになって、ようやくここが高野の山中でないことに気付いた。どこかの屋敷……少なくとも家屋にいるものと思われる(薄暗いと感じたのはそのためだ)。
「――っ神奈!」
 上半身を起こした体勢から、無理矢理床に脚を滑り込ませる。脚を床にして膝を折り込めば、それをバネに立ち上がれる。慣れていなければ膝を痛めるそれを、慣れている柳也は易々とやってのけた。立ち上がりながら刀の柄に手をやり、叫ぶ。
「神奈!こっちに来い。裏葉、目を覚ませ!」
 神奈は素直に従い、今の声で目を覚ましたらしい裏葉は、爆発的な速さで神奈の側に寄る。そして初めて辺り見回してみれば。
 珍妙な格好の男女が目を丸くしてこっちを見ていた。

 ――何が一体どうなった?
 いま、国崎往人の頭の中はその疑問で埋め尽くされていた。ポテトの顔が膨らんだ。次いで人間をはき出した。ここまではいい。恐かったとはいえあの犬の頭が膨らんだって今更だし、人間なんてしょっちゅう摘んでは何処かで吐き出していてもおかしくはない。問題は吐き出された連中である。
 都心では最近和服が流行っているとか聞いたが、ここは廃線駅まであるド田舎である。第一それは男性のみとテレビでは言っていたし、ここにいる連中はどこか、随分長く着慣れているような印象がある。そして極めつけは男性の腰にある刀だ。古いどころではない刀。今日よく見る打刀(うちがたな)ではない。太刀である。それも、戦国時代の馬上で使用されるように作られた大太刀もしくは陣太刀ではなく、打刀とたいして変わらない長さ。結論付けるとその刀は最低でも鎌倉以前の刀と言うことになる。骨董品どころの話ではない。
「ここは、何処だ?」
 柄から手を離さず男が聞いてきた。
「私の、家」
 観鈴が答える。
 みーんみみみ……。
 蝉が鳴いた。
「すまない、もう一度聞く。ここは、何処だ?」
 硬直していた男は、気を取り直してもう一度訊く。
「……あなた方の知らない世界です……」
 美凪が答えた。
「巫山戯ているのか……?」
 刀の柄の手に力を込めて、男がそう問う。美凪の言いたいことは分かる。と言うか、探求心丸出しのあの顔は絶対それを期待している。おそらく状況から国崎往人と同じ結論に落ち着いたのであろう。だから、国崎往人は手を挙げてこう言った。
「人にものを訊くときは、まず自分のことを話すのが礼儀だろう」
 すると男ははっと気付いたかのように柄から手を離すと、
「……もっともだ。私は正――と、位はもうないだろうな。私の名は柳也。こちらのお方を警護するものだ」
 そう言って、柳也は後ろにいる少女に手を向ける。
「そしてこちらが裏葉。私の警護と違って、身の回りの世話をする女官としての役を担っている。そしてこちらのお方が……」
 そこで、柳也は口ごもった。
「……神奈備命とおっしゃる方だ。それ以上は訊かないでくれ」
「いや、もうその名で呼ばれるのは飽きた」
 凛と遮る声。後ろにいた少女――神奈備命だが、先程目覚めたときとは違った、何処か威厳のある声だった。一歩進んで胸を張り、続ける。
「神奈と呼ぶがよい。それでいい。神奈備命などと――」
 その言葉を遮って手を挙げる美凪。
「……ラフィール?」
「いや、アザリンことゴザ16世ってやつだろう」
「……それもOK……」
 美凪と、国崎往人。二人とも深すぎる。
「のう、柳也殿、裏葉。今のはどういう意味だ?余は何か馬鹿にされているように感じるぞ……」
 何か非常に悲しそうに後ろを振り向いて、神奈備命はそう宣う。
「申し訳ありません、神奈様。この裏葉にも意味がわかりません」
 こちらはたいして申し訳なさそうに裏葉。別にぞんざいにしているわけではなく、現状の情報不足に、あまり余裕が無いせいである。
「女官って何?」
 こちら側も情報はあまり無い。先程から気にしていたらしい観鈴が国崎往人にそう訊いた。
「平たく言えばメイドさんだ。人造人間だったり、鋼鉄天使だったり、ドリルが付いていたり、USBケーブルが付いていて人間離れした能力を持っているんだよ。んでもって大抵なんかしらの蘊蓄を最低ひとつは持っている」
 この日本にメイドさんが何人いるか知らないが、一体どこで得たデータであろうか。
「んなあほな」
「……前半はさっぱり分からぬが、最後の言葉はその通りだ」
 と柳也。
「な」
 誇らしげに国崎往人。
「……ぶっぶー」
 わざわざ口を数字の3にして美凪。
「なんでだ?」
「正確には侍女です」
「侍女ってメイドさんと違うのか?」
「……はい。侍女はある程度身分が高くないと側に置けません……」
「てことはつまり……」
「やんごとなきお子様?――つまり……まったりでおじゃる〜……」
 最近声優が代わったそうである。小西寛子さんお疲れさまでした。閑話休題。
「さて、こちらは名乗った。今度はそちらのことを訊こうか」
「ああ、俺は国崎往人、あそこにいるのが、右から神尾観鈴、遠野美凪、霧島佳乃、みちるにポテトだ」
「ぴこぴこ」
「あ、さっきのあやかし!」
 神奈がびしりと指さす。
「やっぱりな……」
 大きくため息をつく国崎往人。そのままむんずとポテトをつかむと、明け放れた庭の方に置く。そして三歩下がって……。
「ユッキーシュート!」
 ポテトはお星様になった。
「今の獣がなんかものすごく悪いことをしたようだが……まあ、許してくれ」
「ああ、まあ構わないが……」
「いや、これからのことを聞けば、仰天じゃ済まない」
「……どういうことだ?」
「――ここは未来だ。それもかなり先のな」
 すかさず美凪が、
「……ようこそ、21世紀へ……ブリッツボールはお好きですか?」
「言うと思った……」
 予想通りというか当然というか、三人ともピンと来ていなかった。

「ぶ、武家社会の終焉!?」
「外の国と貿易とは……しかも、これほどの数の国が……」
「やたらと現実味のある絵だの」
 観鈴達の宿題に歴史の教科書があったのは好都合であった。柳也の言った正暦なんたらというのは美凪しかわからなかったため、これで観鈴達がわかるのと同時に、過去から来た三人にも、ここがどのような未来が知ってもらうのにも役立った。
 で、案の定カルチャーショックを受けている――のは二人だけで、神奈だけは淡々と歴史の教科書をめくっていた(写真に並ならぬ興味を抱いたようである)が、やがて飽きたのか、今は他の教科書やプリント手に手を出し始めている。
 そしてこちら側はというと、ただぼうっとしているしかない。一人美凪が例の眼鏡をかけて歴史の参考書をめくっていたが、やがてそれも終わり、皆に報告した。
「大まかに言うと、千年前からいらっしゃったようです……まじでブリッツボールですね」
「――えっと、鎌倉時代だっけぇ?」
「ええと、まだ……まだ平安だったよね?往人さん」
「お前ら本当に高校生か?」
 イイクニだから……鎌倉じゃないなってことは、その前で……平安か。という、中学生より遅い計算を頭の中で繰り広げていたのを棚上げて国崎往人。
「おお!おおお!柳也殿、裏葉!これを見よ!」
 新聞、扇風機ときて、テレビに手を出した神奈が歓声を上げた。確かに千年前ならカルチャーショックどころではないだろう。
「人が写っておる動いておる話しておる!」
 それどころではなかった柳也と裏葉だったが、あまりに神奈が感激しているので頭を上げてしまった。そしてそのまま動けなくなる。
 それを見て国崎往人は、子供の頃に野外劇場(銀幕を野外に広げ、夜に映画を上演する)を初めて見て、同じように釘付けになったことを思い出した。
「……確かに千年経たなければ出来ないな。こんなものは……」
 柳也が絞り出すように――そのくせ視線は相変わらず釘付け――呟く。
「その件だが……あんた達をどうやって千年前に返すのかは俺もわからない。あのタイムマシーン・犬が何をどうやったかわからないからな」
「た、たいむましーん・いぬ?」
 目を白黒させて観鈴。同時に美凪が手を挙げる。
「1。ポテトさんが千年前に行っていた。
 2。ポテトさんのご先祖様。
 3。ポテトさん細胞分裂。
 4。ポテトさんと同じ種類の生き物」
「どれも信憑性が高いが、それは置いておこう」
 一番ありそうなのが四番目だったのが気になったが、本当に置いておくことにした。
「その件だが……実はあまり考えていない」
「どういうことだ?」
 ゆっくりと佇まいを直す柳也。
「実は我々は追われる身でな。元の時代に戻っても、ろくな目には逢わない――と思っていてほしい」
「そうか」
「戻るにしても、ほとぼりが冷めるまでだいぶかかるだろうな」
 苦い顔をしているが、何処か安心した貌をしていた。
「それで、これからどうするんだ?」
「ああ、それなんだが……」
「お昼にしようって」
 いつの間にか柳也と胡座をかいて向き合っていた国崎往人は、顔をあげた。観鈴である。観鈴であるが……。
「神奈さんが、お腹空いたって。丁度お昼だし、遠野さんも霧島さんも裏葉さんも手伝ってくれるから、一緒にお昼にしようって」
「ああ、そうだな。もうそんな時間か……」
 一瞬、観鈴の背に何かが見えた気がしたのだが……。気のせいか。
「って、佳乃は外せ。どえらいものを食べたくなければな」

 昼食はいつも以上ににぎやかになった。昼食を作っているうちに裏葉は観鈴や美凪と、柳也と神奈は国崎往人達とそれ待っている間にお互い話せるようになったからであろう。食材と調理器具をあっさり使いこなせた裏葉の料理の腕はたいしたもので、観鈴は及ばす、美凪と肩を並べるほどであった。そして午後は神奈の食後の一言で始まった。
「しかしあまりにも突飛な格好だな。各々方」
「そっちの方が突飛なんだ」
 と、国崎往人。
「そっちの着物は今でも着ていない訳じゃないが、普段着ってほどじゃないんだよ」
「つまり、目立つって訳か」
 と柳也。腰に刀はない。テレビのそばに立てかけてある。流石に物騒なので、明治の廃刀令の話を聞かせたのだ。
「それなら大丈夫」
 と観鈴。
「みんなで、余っている服集めてくるから」

「……というわけで、平安時代のお三方、着せ替え大会〜」
 電源の入っていないマイクを握って、美凪が司会進行する。
「おお〜」
 と応えるみちると佳乃。
「……いえ〜」
「自分で言うな」
 キッチンに集合して、一人ずつ先程の居間で着替えるという趣向である。着付けは観鈴と美凪が行うらしい。
「……それではエントリーナンバー1、裏葉さん。国崎さんのリクエストで、この衣装を着て貰いました」
 ……メイド服だった。
「少し暑うございますね。それに脚が涼しすぎというか……」
「これぞ、漢のロマン……」
 うんうん、と頷く国崎往人。ちなみに衣装提供は美凪である(「出所は秘密ですよ……」とのこと)。
「素晴らしい衣だ……」
 なんと人の心動かす衣装であろう。と、隣で柳也が感涙していた。やはりメイド服は時代を超越するらしい。
「なにか、前より目立っておらぬか!?」
 こちらはきわめて冷静かつ訝しげに呟く神奈。
「というか、後で母の服を着てもらいます……」
 けろりとした顔で美凪はそう締めくくった。

「……で、エントリーナンバー2、柳也さん。柳也さんには国崎さんのコスプレ……Verステゴザウルスシャツ」
「がお、がお」
 国崎往人があまり着たがらないせいか、はしゃいでいる観鈴。
「二人とも、なんか似てるよぉ」
 佳乃がそう指摘した。着物を着ていた時点では感じなかったが、同じような服を着ていると佇まいが似ているのである。
「そうか?」
 同時に声を発すると、二人は向き合った。そして、同じタイミングで壁に拭くように踊り出す。
「二人とも、ノリがいい」
 と、観鈴。
「ふむ」
 を顎に手を当てた(柳也が続く)国崎往人は、やにわ柳也に耳打ちした後、前髪を顔半分に垂らすと、
「やあ。あ〜る・田中一郎だよ」
 柳也が続く。
「やや、僕にそっくりなお前は誰だ!」
 思いっきりはずした。

「エントリーナンバー3、神奈さん……」
 なにやら嬉しそうな美凪の声に応えて、ふすまの向こうからのたりと出てくる神奈。今までに感じた凛とした雰囲気はない。
「な、なにゆえ余にこんな暑い格好をさせるのだ……」
 というかへばっていた。無理もない。Tシャツにキュロットまではよいのだが、この猛暑でダッフルコートに親指だけ独立した手袋、羽のついたリュックに赤いカチューシャを着せさせられたのである。
 要するに、うぐぅちゃんのコスプレであった。
「かわいい……」
 気付けを手伝った(強制的に着せた)、美凪と裏葉が同時にときめいている。
「でも、暑そうだよぉ」
「暑いぞー!」
「ロングも悪くないな……」
 顎に手をやって国崎往人はそうコメントした。
「『うぐぅちゃん』のお話って、確か冬じゃ」
「気にするな」
「……夏に有明で見かけましたし……」
「なんの話かわからない……」
 観鈴がため息をついたときである。
「ええい!」
 とうとう我慢できなくなった神奈が、着ているものを大急ぎで脱ぎはじめた。
「おい神奈、気を付けろ!」
 急に緊張した声で柳也。
「追っ手はいないのであろ?それにこの者達に悪意はない。構わぬ!」
 そう言ってTシャツも脱ぎ捨てた。同時に観鈴、佳乃、美凪が手の平で国崎往人に目隠しをする。
「あ!」
「うわぁ!」
「ダブルビックリ……」
「にょにょわ!」
「ぴっこりーん!」
 それぞれがなにやら驚いているが……。
「もぐ――フガ――ええい、やめんか!」
 六つの手の平が顔中を押さえていたのだから堪らない。危うく国崎往人は呼吸困難に陥るところであった。
 だから、それを見たとき国崎往人は、それがなんであるかを理解するのに時間がかかったのである。

 純白よりなお白い、一対の翼――。

 やっと一息ついたかのように神奈が呼吸を落ち着かせる。その側で柳也と裏葉が同時にため息をついていた。国崎往人は動かない。観鈴も動かない。佳乃、美凪、みちる、ポテトも然り。しかしいち早くショックから美凪が脱出すると開口一番、
「羽?」
「翼!」
 おそらく、美凪当人は意識して呟いた訳ではないのであろうが、神奈はむきになって反論した。その時点で男性二人がいるのを思い出したのか、脱ぎ捨てたTシャツを拾って前を隠す。
「あー、もしかして流行すか?千年前の」
「自前じゃ!」
 惚けた顔で惚けた質問をする国崎往人に、再び柳眉をつり上げる神奈。同時に翼を軽く上下に羽ばたかせてみせる。
「本物かよ……」
 完全に惚けた顔で国崎往人。そしてそのまま座り込んでしまう。
「参ったな、こりゃ……」
 そのまま上を見上げ、額で顔を隠してしまう。
「往人さん……?」
 硬直していた他の面々がその表情をほどいていく中、観鈴が心配そうに声をかけた。そんな観鈴が見えているのかいないのか、国崎往人はそのままの姿勢で唐突にしゃべり出す。
「俺が旅している理由、言ってなかったよな」
「うん、聞いていない」
 緊張の解けた佳乃達が、おそるおそる神奈に近づいていくのを傍らに置いて、国崎往人は話を続ける。
「俺の家系ってな、ずっとずっとずうっと、捜し物しててな」
「うぐぅちゃんみたい」
「そうだな。で、その捜し物がな」
「うん」
「背中に翼のある少女なんだ」
「……そうなんだ」
「なんというかな」
「うん」
「こういうものって、唐突に見つかるんだな」
「うん。だって、わたしも往人さんと唐突に会った」
「そうだったな……」
 初夏の強い日差しの中、ボーリングの球並みにでかい握り飯を頬張っていたとき、ふわりと現れ、潮風を楽しんでいた彼女。それがとても遠いことにように思えた。たかだか一月にも満たない昔の話だというのに。
「しかし、ま」
 急に起きあがって、珍しそうに翼に触れている佳乃達と、少し得意げの神奈と、安堵している柳也達を順繰りに見回して、にやりと笑った。
「それは、それで、だ」
「?どういうこと、往人さん」
「いや、なんでも」
 そう言って、神奈に近づく国崎往人。彼の言った意味がわからず困惑したままの観鈴が続く。
「翼の生えた人がいるなんて、今まで半信半疑だったよ」
 そう言ってにやりと笑う国崎往人に、最初は驚いて見せた神奈だが、やがてにやりと笑い返す。
「ほう、お主、余の一族を知っておるのか」
「それほどじゃない。ただ、俺の方の一族に伝わる話じゃ、ずっと空にいるという話だったんだけどな」
「いてたまるか。疲れるであろ?」
 翼を収めて、Tシャツを着込む神奈。
「そっちの芸は見せてもらった。その礼に、今度はこっちの芸を見せてやるよ」
「芸ではないわっ」
 そこまでは威勢がよかったが、
「で、どのようなものなのじゃ?」
 国崎往人の人形を見てすぐ興味津々になる。
「まあ、観ていろ」
 そう言って国崎往人は念を込めた。

 この後になって、観鈴はやっと気付いた。国崎往人が最大級の感謝を、人形劇で表していることに。それほどまでに見事で、楽しい人形劇だった。

「あの、これは……」
 人形劇が終わると、裏葉がしげしげと人形を眺めた。
「この人形でないと動きませんの?」
「いや、それでなくても動く。まあ、そいつが一番しっくりくるけどな」
「どのようにお動かしなさるのですか?」
「こうやってだな、人形に向かって念を込めるんだ」
 そう言って手をかざすと、人形が動く。そして一跳ねすると、ぽとりと落ちて動かなくなった。
「こうですか?」
 裏葉が手をかざす。
「そう、それで念を込めるんだ。俺の一族が……っておい!おいおいおい!」
 人形が動いていた。ぎこちないとはいえ、起きあがり、歩いている。
「ば、ば、馬鹿な……」
 あまりのことに落ちた顎が戻らない。
「な、さっきも言ったが人外だろ」
 ぽんと柳也が肩を叩いた。
「……いえ……」
 美凪が声を上げる。
「これは国崎さんの一族に伝わるものと聞きました。ということは、裏葉さんが」
「え……?」
 全員絶句。
「こ、こやつの先祖?」
 神奈がおそるおそる訊く。
「……それでしっくり?」
「いや、しっくり……なのか?」
「代が渡っていくうちに目つきが悪くなってしまって……」
 よよよと裏葉が手の平で顔を隠す。
「他の方にショックを受けろよ、お前」
 先祖かもしれない人間にも、国崎往人は容赦がない。
「……まだあります……」
「まだ……?」
 観鈴が訊く。
「国崎さんと柳也さんがそっくり……」
「うにょ!ということは……」
「……先祖は子孫ひとりにつき最低二人?」
 子供は男女がいないと産まれないと言いたいらしい。
「ま、待てい!ということは何か?こやつは裏葉とりゅ、りゅ、柳也殿の子孫と申すか!」
「……つじつますっきり?」
「す、すっきりと言われても……」
「でも目つきが悪くてお人形動かせるんだからぴったりだよぉ」
 みーんみんみん。
「ご、御先祖様!」
「し、子孫よ!」
 国崎往人と柳也が抱き合った。
「よ、よりによって柳也殿……」
 再びよよよと顔を隠す裏葉。
「それはこっちの台詞だ!」
 柳也と、なぜか神奈が同時に叫んだ。


 余談になるが、その晩。
「ふ、増えとるー!3人も増えとるー!」
 晴子が絶叫した。


 ■ ■ ■

 華やかな午後のワイドショーのオープニングで目が覚めた。いつの間にか寝入っていたらしい。日は少しばかり傾いていた。最も、夕暮れ時にはまだ遠い、真昼の白にほんの少しだけ黄色を混ぜたような陽光である。
 今だに家の中には誰もいない。柳也と裏葉とその子孫らしい国崎往人やらは、共に働きに出かけている。他の少女達は(自分と大差ない長い髪をまとめていた少女のみが此処に住んでいると、最近になって理解した)学校という学舎に出かけている。夜だけ居る家主らしき女性は、昼間は居ない。どうも夜まで働いているらしい。此処では夜でも明るいとはいえ、よくやると思う。
 しかし、なんと退屈であろうか。
 天井を大の字のまま見やって、神奈は思う。べつにあの艱難辛苦が懐かしい訳ではない。ただ、ただ、母を連れてこれればどれほど佳かったであろう、と詮方なき事を想うのである。此処はどうも平和で、少しばかりせかせかしているが、それでも――
「もう、よいか」
 柳也が居る、裏葉が居る。あの戦の中、二人を喪わずに済んだのは奇跡に近い。母を喪った事への呪詛より、今の状況へ至れたことを感謝しなければ、それこそ罰が当たる。
 しかし――
「暇には代わらぬ……」
 遊びたい盛りなどといわれると、文字通り羽毛を逆立てたくなるが、しかしそれでも外に出たいことには変わりはない。この家の中だけで恐ろしくなるくらいの発見を得たのだ。外に出ればどれだけのものが目に映り、肌に感じることが出来るだろう。
 ところで、神奈には別に外出を禁止されてはいない。遠出は流石に迷うからという理由で止められていたが、近所をぶらつく程度ならば全く構わないらしい。つまり、神奈が望めばすぐにでも外に出ることが出来るのだ。しかしそれが出来ないのは……。
「ひとりでもの――」
 という訳である。どうしようもないくらいのヤマアラシのジレンマであった。外に出たい。でも誰かと行きたい。外に出たい。でも誰かと行きたい。外に出たい……。いっそのこと、こちらから誰かを捜し出そうか。
 それで心は決まった。Tシャツを脱ぎ捨て、翼を広げようする。
 丁度その時、まるでそれを押しとどめるのが任務とばかりに、玄関の開く音がした。同時に神奈の理性が活性化する。まずい。翼を広げるのは御法度であった。慌てて収めて、Tシャツを着込む。そして――そのままで居るのも所在ないので、狸寝入りすることにした。
「ただいまー」
 帰ってきたのは観鈴であった。佳乃の飼育委員に、美凪と共につきあってきたのである。
 そして、彼女が今に入った途端、どれ、とばかりに神奈は勢いをつけて起きあがった。
「遅いぞ!」
「わ!」
 目を丸くする観鈴に、
「罰じゃ、余と共に外に出ることを命ずる!」
 にやけた口が猫のようになった神奈は、厳かにそう宣うた。


次回予告
 秘密です。
 「それって、次回予告でもなんでもないんじゃ……」
 いいんですよ。収拾つけるに悩んでるところなんですから。とりあえず、ヒロインとして気張ってください。
 「???」



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