ジュリアン・ポーの涙
(ビデオ版タイトル:愛しのジュリアン)
Julian Po
(The Tears of Julian Po)

DATE

1997年 アメリカ映画 84分
監督 - アラン・ウェイド

CAST
  • ジュリアン・ポー - クリスチャン・スレーター
  • サラ - ロビン・タニー
  • ルーシー - チェリー・ジョーンズ
STORY

 人生に疲れ、心を癒すため旅に出た青年ジュリアン(クリスチャン・スレーター)。旅の途中、車が故障してしまった彼は、偶然にも見知らぬ田舎町に辿り着いた。長い間、部外者の来訪のなかった町の人々はジュリアンを歓迎するどころか、犯罪者扱いし、彼をつけまわすようになる。「なぜこの町へ来たんだ?」ジュリアンにそう詰め寄る町の名士たち。ジュリアンは理由を話すが、彼らは全く信じようとしない。追い詰められたジュリアンは彼らに向かって、自分はあることをしにやって来たと嘘をついてしまう。しかしそれを聞いた町の人々の態度は一変し、ジュリアンを手厚くもてなすようになる…。

解説

 長い間部外者の来訪のなかった町に迷い込んだ青年が、ある嘘をついたことによりその運命を変えてしまうヒューマンドラマ。ほぼありえないと言っていい状況から「世にも奇妙な物語」的なノリの作品ではあるのだが、個人的にはかなり好きな作品。嘘をついてしまったジュリアンに対する町の人々の態度の変わりようは一見コメディチックだが、冷静に考えるとかなり怖い反応を示しているので実はかなり異様。
 クリスチャンは主役のジュリアン・ポー役。撮影当時はまだ20代だったはずなのに、30代と言われても納得できてしまうおじさん体型はショッキングだが、これは役作りに違いないそうに違いない。(しかしこの後の「フラッド」、「バジル」でも似たような体型…)町の人々の行動に困惑する顔がとてもキュートで、ほぼ全編に渡りなにかしら困った顔をしているのでSっ気のある人にはたまらない。またこの作品では口ひげを生やしているが、それがまたさらにキュートさを煽る結果となっており、一部のマニアにはたまらない。しかもこの作品では部屋着姿としてシャツ+トランクスというかなり無防備な姿を晒しており、ごく一部のマニアにはたまらない、とにかくたまらない作品である。日本では未だDVD化されていないのが非常に残念。

ビデオ・DVD・関連書籍など
MY RATE (個人的5段階評価)
ストーリー ★★★★★ : 5
いつも困った顔 ★★★★★ : 5
口ひげとトランクス ★★★★★ : 5
総評 ★★★★★ : 5
感想
…ネタバレ注意…

 ビデオ版では「愛しのジュリアン」という題名の「ラブストーリー」としてリリースされたこの作品。観た人は当然分かると思いますが、全然ラブラブしてないんですよねこの映画。確かにジュリアン(クリスチャン・スレーター)とサラ(ロビン・タニー)が愛し合うのは事実なんですが、それはあくまで物語の一部、ラストに向けての通過点に過ぎなくて、物語の核はジュリアンが迷い込んだ辺境の町の環境の異様さだと思うのです。なので正確なジャンルわけとしてはヒューマンドラマだと思われます。序盤コメディタッチな展開もあるので、ブラック・コメディでもいい気もしますが…。
 この作品でのクリスチャンは96年での来日の時よりもさらに太って、見事なおっさん体型になっていますが、これも役作りだと無理に納得する自分がいます。でもそんな体型が全く気にならなくなる、この作品でのチャームポイント…それは口ひげ!!口ひげ姿が妙にハマって可愛すぎるッッ!しかもストーリー上、ジュリアンが困った顔を何度もするんですけど、口ひげのせいでその破壊力は当社比で5倍っ!もはやこのジュリアンの表情は犯罪です。Sっ子な私にはたまりません。
 ちなみにこの映画での私的ベストシーンはなんと言っても、役者になりたい旦那がいる幼妻が聖書をプレゼントしに来るシーン。幼妻のセリフ字幕「少なくとも私には」が消えた瞬間、あっけにとられた顔でジュリアンが顔をあげるんですけど、その表情が私に一時停止を強制させるすさまじい可愛さ!!あと2回ある床屋さんのシーンも顔が大きく写ってるせいか、表情の変化がよく分かって好きだったりします。
 クリスチャンって、動物のイメージだと猿っぽいイメージがあったんですけど、この作品での口ひげ姿で、実は犬顔だと気づきました。外見の話ばかり続いてしまいますが、この作品まで徐々に徐々に後退していたオデコが、ついにこの作品後は一気に…。この作品でも広いといえば広いんですけど、この次に撮られたと思われる「バジル」と「フラッド」では、この作品のデコが普通に見えるくらい後退してるんですよね〜…。
 いい加減、映画内容の感想に行きまして…、この作品って冷静に考えるとすごく怖い映画なんですよね。「自殺する」と言うジュリアンを止めるわけでもなく、「自殺する」行動に興味を持ち、ジュリアンを「自殺する」偉人として崇めてしまう。そして挙句は自殺を強要する結果に…。(サラの自殺が引き金になりましたが、ジュリアンが町から逃げない限り、サラが死のうが死ぬまいが自殺を強要されていただろうと思います)「自殺する」という苦し紛れの嘘をついてしまったジュリアンにも原因があるんですが、それでも自殺を偉業・イベントだと捉えてしまう町の人々のズレ具合はやはり異常で怖いことに変わりありません。
 町の人々の大衆心理というか、ジュリアンの自殺というイベントに対しての観客心理がこの映画の怖いところであり、最も強調されている部分だと思います。普段私たちは何かに期待してその期待が裏切られたとしても、「残念」くらいにしか思わないことがほとんどだと思うんですけど、その期待が大きければ大きいほど、裏切られたときの反動も必然的に大きくなっていくんですよね。最終的にジュリアンに自殺を強要させ、自分たちの期待に応えさせた町の人々の期待がどれほど大きくて狂信的だったかと思うと…、そりゃもうガクブルものです。映画は自殺という突飛のないことを口走ってしまったジュリアンの悲劇を描いていますが、実はこの映画が訴えているのは過度の期待を受ける人の苦悩と、過度な期待を寄せる人々の狂信性の危うさなのかもしれません。
 ちなみにこの映画の最後では、ジュリアンが本当に自殺したのかどうかあやふやな終わり方をしていますが、確実に自殺したと思われます。…というのが、映画ではカットされていたと思われる橋の上で町の人々が集まり、ジュリアンを取り囲んでいるシーンがパンフレットやチラシに載っているんですけど、そのシーンと、ジュリアンが苦し紛れに「自殺しに来たんだ!」と嘘をつくシーンで一瞬だけ映る、最後に着ていたのと同じスーツ姿で落下するジュリアン。この2点からジュリアンは最後、橋の上で町の人々に見守られる中、飛び降り自殺を計ったことが分かります。おそらくそのシーンが断片的にしか残されていないということは、本当は最後の自殺のシーンもあったけれども諸事情でカットした…ということなんでしょうか。また最後の自殺シーンの他、いろんなシーンがカット、または編集されて断片的に挿入されているようです。フルで観たかったなぁ…。
 ジュリアンの自殺は、サラと死後の世界で結ばれるためだったのか、自らの嘘で自殺してしまった彼女への償いだったのか、それとも町の人々からは逃げられないと絶望した上での自殺だったのか、いろんな見解ができますね。自殺の前夜に、部屋でジュリアンがこの状況下で逃げ出した時のことを妄想しているかのようなシ−ンがありますが、その妄想の最後では保安官によって町に連れ戻されています。本当は逃げたかったけど、観念した…という心の表れのように思えます。またジュリアンの最後の言葉、そして当初の目的で考えると、死んでしまうけどせめて行きたかった海へ行くために川に身を投げたのかもしれません。サラの遺書を読んだジュリアンが流す涙の意味についても同じようないくつかの見解ができると思います。このあたりが「ジュリアン・ポーの涙」というタイトル、そして劇場公開時のキャッチコピーの「涙にはいろんな意味がある。」にリンクしているのではないかと深読みしてみたり…。
 言い忘れていましたが、この作品の音楽すごくいいんですよね。OPとEDのピアノの音楽や、コミカル(?)なシーンで流れる音楽などなど、すごくシーンとマッチしていて、より良い演出効果になっている気がします。でもこの作品のサントラは出ておらず、とても残念だったり。
 この作品のビデオ版でのキャッチコピーには「この町で僕は天使と出会った」ってあるんですけど、キャッチコピーと写真を見る限り、天使はサラを指しているのでしょうけど…、果たしてサラは本当にジュリアンにとって「天使」だったんでしょうか?ジュリアンを愛していながらも、自殺を止めようとはせず、むしろその自殺を崇高な行為として受け止め、自らも命を絶って死後の世界で結ばれることを望んだサラですが、結果として自殺をするつもりのなかったジュリアンを追い詰めてしまったんですよね。そう考えると、サラとの出会いはある意味悲劇の始まりとしか言えないような…。なので冒頭でも言いましたけど、「愛しのジュリアン」というタイトルだと納得できないわけです。(まあ得てして変な邦題がついてしまうのはこの作品に限ったことではないのですけど、この作品はそのままの劇場版のタイトルで出して欲しかったものです)
 それに疑問なんですが、サラはジュリアンの嘘に気づかなかったんでしょうか?本当に愛していたなら気づいてもよさそうなんですが…。でもサラの一連の行動を考えると、サラはジュリアンに恋していたわけではなくて、恋に恋していた感じがするのです。そう考えるとますますジュリアンが不憫でならないというか…。
 私は本当の意味でジュリアンを愛していたのは、最後まで彼の世話をしてくれていたルーシー(チェリー・ジョーンズ)だったと思います。実際そう思わせるシーンもいくつかありましたし、彼女だけはジュリアンの自殺に立ち合っていません。そして何よりこの映画の冒頭とラストのシ−ンで分かりますが、ルーシーはジュリアンの遺品をすべて綺麗に整理して残しているんですよね。(しかも彼が破り捨てたサラの遺書も綺麗に復元している)耳の聴こえないルーシーが、映画の最後でジュリアンの最後の言葉が残されているテープレコーダーを抱きしめるシーンは、ジーンと来ました…。この映画の真の意味でのヒロインはルーシー以外に考えられません。

▲上へ戻る▲