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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。

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「ちょっと行ってくるわね、藍」
「朝ご飯までには帰ってきてくださいよ」
















































  

  


 冷たい刃が自らの喉に潜り込む瞬間、これで全てから解放されると思ったのに。



□ □ □




 バネ仕掛けのように跳ね起きる。
 反射的に辺りを見回し――彼女は、自分が何者であるかを思い出した。



□ □ □



『魂魄妖夢の困惑と決断』



「ねぇ、妖夢」
「なんでしょう、紫様」
 白玉楼の、庭。一辺二百由旬の広さを持つため掃除が大変そうだとよく言われているが、滅多なことで散らからないため普段は母屋の周辺のみを掃除している庭師の魂魄妖夢に、マヨイガの主である八雲紫はいつも通りに背後零距離から現れて、話しかけていた。
「――あらあら、もう驚いてくれないのかしら」
「私が覚えている限りで、とうに百は越えていますから」
 もういい加減慣れています、と箒を動かしながら妖夢は答える。
「つまんないわね。それじゃあ今度は腰に下げている刀の鞘からお邪魔させて貰おうかしら?」
「すぐさま納刀しますよ。思いきり力を込めて。それより、なんでしょうか」
「何がかしら?」
「……最初に呼びかけたのは紫様じゃないですか」
「ああ、そうだったわね」
 ぽんと手を打つ紫に、妖夢は持っていた箒に寄りかかり、ため息をつきたくなった。
 稀に、この方は私をからかうためだけに話しかけている。そう思い込んでしまいそうになる。
「そうそう、貴方に訊きたかったのよ。私がこうやって、いきなり背後から話しかけるのは今日で何回目かしら?」
「だからもう百余回です」
 これはからかっている。そう判断した妖夢は、箒を持ち直して掃除を再開することにした。
「微妙に曖昧だけど――まぁ正解。それじゃあ、幽々子が最後に私の家に泊まってからは何日経ったかしらね?」
 ぴたりと、箒の動きが止まる。妖夢の主、西行寺幽々子がマヨイガに泊まりに出掛けて何日経ったか?
「……済みません、即答できないです」
 困惑気味に、妖夢はそう言った。
「あら残念。うちの藍なら一瞬で答えられるのに」
「修行不足なのは、身に沁みてます……」
 役割が異なることは承知している。
 紫の式神、八雲藍は妖夢と同じく主人の身の回りを世話に着いているが、どちらかというと家宰の面が強い藍に対し、妖夢は庭師でしかない。
 そんな妖夢の思惑を知ってか知らずか、紫は少し間をおいた後に勿体振った口調で、
「じゃあ正解。幽々子がマヨイガに泊まりにきて三百と七十五日よ」
「……そうなんですか」
「そうなのよ」
 白玉楼周辺では滅多に吹かない強い風が一瞬、音も無く通り過ぎた。
「……あの、それが何か?」
「もう十日ほど過ぎてるわね」
「仰る意味がよくわかりません……」
 そう言って、真面目に考え込む妖夢。そんな彼女を、紫はいつも通り笑顔で見守っていたが、一瞬、本当に一瞬だけ真顔になって、
「今後、幽々子が何をしても驚かないように」
「え?」
 思わず聞き返す妖夢に、紫はこれ以上無いというくらい満面の笑みを浮かべて、
「以上、スキマだらけのヒントでしたー」
「ちょっ、紫様!?」
 引き留める間もなく、紫はスキマに潜り込んでいた。
 後には、ぽつねんと立ち尽くす妖夢しか居ない。
「……何が言いたいんだろう」
「どうしたの? 妖夢」
「わ! ――ゆ、ゆ、幽々子様っ」
 今度は完全に不意打ちだった。いつの間にか、背後に幽々子が居たのである。
「なあに? そんなに慌てちゃって」
「その、紫様が」
「紫が?」
「いえ、なんでもないです」
 なんとなく伏せておいた方が良いような気がして、妖夢はそう言葉を濁した。
「そう。……寂しいわ」
「な、何がです?」
 ぎくりとなって思わず聞き返すと、幽々子はいつも通りの口調で、
「だって、紫が挨拶も無しに帰ってしまうんだもの」
 と言い、わざとらしく袖口で顔を隠す。
「そ、そうですね……」
 いつの間にか取り落としていた箒を拾いながら、妖夢はそう答えた。
「ところで、そろそろ朝御飯にしましょう。今日は私が作ったのよ」
「ええ!?」
「何か問題でもあるの?」
「いえその――」
 以前戯れ(?)で、幽々子がひとりで朝食を作ったことがある。その時に出た箸で掴めない真球状の里芋や、雁首並べた大量の兜煮等を思い出し、妖夢は今日の朝食に一抹の不安を覚えたのであった。
「こ、献立はなにかな……と」
「期待してくれて嬉しいわ。今日はね、パエリアに挑戦してみたのよ」
「えええ!?」
「何か問題でもあるの?」
「いえその――」
 結果として食卓に出てきたのは、妖夢が想像した通り大皿に山盛りとなった『大型魚介類の香草焼き サフランライス添え』であった。



■ ■ ■




「妖夢、本日付で貴方の魂魄家、お取り潰しになるの」
「でも貴方は大丈夫。とある名家が養子に引き取りたいんですって」
「だから、貴方は明日からヒューレットパッカード妖夢と名乗るのよ」



■ ■ ■




 そこで、目が覚めた。
 白玉楼、妖夢の自室。
 時刻はわからないが、深い闇の漂い具合からして、深夜であろう。
 ――何だったんだ、今の夢。
 妖夢は布団の中でそう思う。
 西行寺や八雲、博麗とかならわかる。洋名にしたってプリズムリバーとかスカーレット、マーガトロイドだったら納得できないでも無い。
 でも、ヒューレットパッカードって。
 妖夢の知り合いに、そのような姓名の者は居ない。だとすれば、それは何処かで聞いた単語になるのだが……。
 唐突に、紫の姿が脳裏に浮かんだ。
『改名してヒューレットパッカード妖夢ってどうかしら? もしくは逆行してデックジャパン妖夢』
 思い出した。少し前に紫にからかわれた時のことである。
 間髪入れずにどちらもお断りしますと言うと、それに合わせて、はいからだけど長すぎるわねと幽々子が茶々を入れたのであった。
 でもなんで、今になって紫様の言葉を。
 そう思う妖夢の脳裏に、今朝方の言葉が蘇る。
『今後、幽々子が何をしても驚かないように』
 ――それだ。
 妖夢は布団の中で寝返りをひとつ打つ。
 幽々子様が、何をされるというのだろう。
 いつかの春に、西行妖を咲かせようとしたこと。
 いつかの夜に、満月を取り戻そうとしたこと。
 あれ以上に、自分が驚くような事があるのだろうか。
 白玉楼の庭師となって、決して短くは無い時を過ごしてきたという自負が、妖夢にはある。
 もう、そんな簡単に驚くものか。
 妖夢はそう決心して再び眠りに落ちようとした時――、



□ □ □




 冷たい刃が自らの喉を抉り、辺りが朱に染まる。
 これですべてが終わると安心しきって崩れ落ちる自分と、
 そんなもの、決して解放ではないと冷静に見下す自分。
 どちらもおなじ、わたしなのに。



□ □ □




 ものすごい絶叫であった。

 プリズムリバー三姉妹が全力で奏でる大合奏でも震えることがなかった白玉楼の障子や畳が鳴動し、妖夢の思考が一瞬麻痺を起こす。
 絶叫は続いている。魂消る叫びとはよく言ったもので、完全に気を抜いていたら妖夢でも危うかった。それ程までにこの悲鳴は危険なものを孕んでいる。おそらく、此処が生あるものの集う人里であった日には、おそらくその里の住民は全滅していただろう。空間の震えを拾っている妖夢の肌がそう告げていた。

 幽々子の絶叫は、なおも続いている。

 この時点でようやく妖夢はその声の主に気付き、二本の刀を引っ掴んで廊下に飛び出ていた。
 妖夢の寝室から幽々子の寝室までは、かなりの距離がある。これは最初幽々子が隣室を勧めていたのだが、自分はあくまで庭師だからと妖夢が遠慮したためであった。
 他に警護の者は居ないのに、馬鹿か私はっ! 心中でそう毒付き、刀を寝間着の帯に差しながら妖夢は廊下を駆ける。庭ほどでないが、白玉楼の廊下も長い。そして、その廊下を駆ける途中で、彼女は見た。
「――西行妖が!」
 かつて、あれだけの春を集めても開花の予兆すら見せなかった西行妖に、ぽつぽつと花が付いていたのである。
 その様子は尋常ではない。もはや、一刻の猶予もならなかった。
「幽々子様ぁ!」
 障子を蹴飛ばすように開け、無礼は承知で室内に飛び込む。
 幽々子の寝室は、白玉楼の主であることを考えると、さして広いものでは無い。が、やはりそれなりの広さを持っており、それが結果的に妖夢が半分持つ人間の生を救ったのである。
 その妖夢は、反射的に抜刀していた。それは主に対して礼を失する行為であると頭の隅ではわかっていたのだが、抜かざるを得なかったのである。
 部屋の上座、布団の上で幽々子は棒立ちになっていた。両手はだらりと提げ、顔は虚空を向き、瞳孔はきつく絞られている。そして顎が壊れんばかりに大きく口を開き、彼女は絶叫を未だ続けていた。見るものが見れば、いや、例えそうでなくても、それはありとあらゆる生あるものに恐怖を植え付ける、亡霊の姿にほかならない。
 そして、さらなる現実的な恐怖として、彼女の周りには色鮮やかに大小様々な死蝶が舞っていた。
 その羽に触れるだけで死に誘われる蝶である。もしそのまま突き進んでいれば――後は言うまでもない。
「――ゆ」
 蝶達は出鱈目な軌道ながらも静かに円運動を行っていた。それが、抜いてしまった妖夢の刀によって崩れ……じわりと彼女に迫る。
「幽々子様!」
 妖夢は刀を構え、幽々子に向かって静かに歩を進めた。確かに、幽々子の姿は生きているものには恐怖しか与えられないのであろう。
 そう、私の人である部分は確実に恐がっている。妖夢はそう思う。
 しかしそれは半分幽霊でもある彼女には、慟哭しているようにも見えたのだ。故に妖夢は進む。徐々に数と勢いを増してくる死蝶達を、斬り、斬り、斬り伏せて、なおも前へ。前へ、前へ、ついに蝶の勢いが妖夢の力量を越え、一歩も進めなくなっても、切り倒して行く刀と腕の勢いは緩めずに妖夢は叫ぶ。
「幽々子様っ!」
 幽々子の金切り声は止まらない。人間と違って呼吸を気にする必要が無いから、いつまでも叫び続けることができるのだ。
 そこに至って、妖夢はあることに気付いた。
 彼女の主が普段見せる、人間らしい所作に。

 半分だけ人間である妖夢である。それ故かどうか知らないが、普通の人間に比べ暑さ寒さに対し格段に強い。
 おそらく、幽々子に至っては暑さ寒さは関係あるまい。なのに彼女は冬は肩掛けや膝掛けをかけて縁側で雪見をし、夏は必要以上に薄着になって妖夢が叱ったこともある。
 だから、博麗神社で宴会があった際、訊くのが躊躇われた吸血鬼の令嬢の代わりに、妖夢と同じくあまり暑さ寒さを感じない生粋の魔法使いであり、魂に詳しいというアリス・マーガトロイドに、何故幽々子様は一見意味の無いことをするのでしょうと訊いたことがある。
 返事はあっさりと出た。そんなの、生前の癖に決まっているじゃない、と。
 幽々子様は、その時の記憶を無くされているそうですがと食い下がると、アリスは人差し指を立てて説教するようにこう言った。
 無意識なんでしょ。記憶として忘れてしまっても、かけがえのないものとして心の何処かが残したかったのよ、きっと。

 幽々子の悲鳴に勝るとも劣らない声量で、妖夢は裂帛の雄叫びを上げた。

 鈍りはじめていた二本の刀の勢いが、その力強さと剣速を取り戻し、さらに速く、強く振るわれ――妖夢は、前進を再開した。死蝶達もそれに呼応するが如く数と勢いを増し、同胞を破壊する元凶である、二本の刀――楼観剣と白楼剣――に殺到する。それを察した妖夢は力強く振りかぶり、あっさりと二本とも投擲した。それらは多くの死蝶を道連れに畳へ同時に突き刺さる。同時に妖夢は帯から二本の鞘を抜き放ち、今の彼女にとって金棒に等しいそれを再び振るい、さらに一歩ずつ、幽々子に近づいていく。
 再び獲物に殺到する蝶達に、同じように鞘を投げ、それでも一歩ずつ、一歩ずつ確実に妖夢は歩み寄っていた彼女は遂に、
 遂に妖夢は、幽々子の胸に飛び込むようにして、彼女を抱き締めたのであった。
「幽々子様――」
 小さな身体を精一杯伸ばし、しっかりと幽々子を抱き締めたまま妖夢は言う。
「幽々子様は間違いなく……人です。人なんです」
 ――途端、あれだけ舞っていた死蝶の群れが、ぱったりと姿を消した。妖夢が振り向いてみれば、開け放した障子の向こうにある西行妖からも、花が全て消えている。
 そして見上げてみると、そこには憔悴しきった無表情の幽々子が、力無く妖夢を見つめていた。
「……ありがとう」
 感情の籠もっていない声はそれでも、礼の言葉には違いなかった。
 妖夢はその一言に安心して身体中の力を抜き――白玉楼の主従は、仲良く折り重なるようにして眠りについたのである。



■ ■ ■




「……ねぇ妖夢。なんで畳に刀が刺さっていて、鞘は放り出されていて、貴方は私にしがみついて寝ているのかしら」
「……何言ってるんですか幽々子様。昨夜寝惚けて大声出すから様子を観に来たら、私を食べようと襲いかかってきたんじゃないですか」
「えー、本当?」
「本当ですよ。――本当ですってば」



■ ■ ■




 その夜から、数日後のことである。
「紫様だったんですね」
「何がかしら?」
 早朝、白玉楼の庭。
 数日前と変わらない動作で庭を掃いていた妖夢は、同じく背後零距離に現れた紫を先読みし、話しかけていた。
「幽々子様の、人としての部分に触れていた方です」
「そうね……」
 スキマから乗り出していた身体を完全に外に出し、軽やかに着地しながら紫はそう答える。
「まぁなんと言うか、よく主を斬らなかったわね。刀を構えたとき、少し肝を冷やしたわよ」
「見ていたんですか。意地が悪いですよ」
「アフターケアぐらいしないとね」
 そう言って紫はころころと笑い、すぐさまその笑みを止め、
「でも私が何も言わなくても、答えに辿り着けた。だから多分、これからは貴方がその役目を負うのよ。妖夢」
「……あれは一体、何だったんですか?」
 普段通り直球で聞いてくる妖夢に、紫の目が細まる。
「見てわからなかったのね。まぁ当然でしょうけど……アレが、最大限で表現しうる、死への恐怖よ」
 箒を動かしていた妖夢の手が、静かに止まった。
「あれが、そうなんですか」
「そうなのよ。自ら死を選んだ人間が最期に味わう苦痛。それが外にはみ出るとああなるの。そして幽々子は亡霊となってしまったために、何度も何度も、それに遭遇してしまう訳よ」
「……癒されることは、無いのでしょうか?」
「無いわ」
 紫は断言した。
「如何なる理由があったとしても、原因は幽々子本人にあるのよ。故に『居なくならない限り』、この現象は付きまとうことになるの」
「……そうですか」
 何事もなかったかのように掃除を再開しようとして――妖夢の箒が倒れた。
 彼女の手が震えていることを紫は見なかったように、再び呟く。
「でも貴方なら――そうね、なくなりはしないけれども、私より早く幽々子の苦しみを和らげることが出来る。そんな気がするわ」
「やめてくださいよ紫様。褒めているのかそうでないのか判断出来ないです」
「褒めているのよ。純粋に」
 と、紫を知る人だったら耳を疑うようなことを言って、彼女はスキマを開いた。
「それじゃあ――」
「お待ちください、紫様」
 間髪いれずに妖夢が引き留める。
「何かしら?」
「早朝ゆえ、たいしたおもてなしはできませんが……お茶の一杯でも良かったら」
「……そうね、御馳走になろうかしら」
「では、こちらへ――」
 箒を両手に提げ、妖夢は紫を母屋に案内していく。幽々子様はそろそろお目覚めだろうか、等と考えながら……。
 そんなふたりの足下を、西行妖から落ちていた花びらが静かに風に流され、いずこかへと飛んでいった。



Fin.




あとがきはこちら













































「藍様、お腹空いた〜。朝ご飯まだ〜?」
「もうちょっと待ちなさい、橙」




































あとがき



 幽々子と妖夢でした。
 私が扱うSSと登場人物には良く生と死が絡みますが、元から絡んでいるとなると、やっぱりこのふたりがトップクラスなんじゃないでしょうか。
 故に、というか逆に書きづらいところもありまして、そのためこの話を書き上げるのには相当な時間がかかっています。ざっと見て半年以上ですね; 長かったー。
 さて次回は……紫、かな?(こっちも延び延びだ……;)

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