「う゛〜〜〜」
昼休み、いつもの中庭。いつものようにあんぱんをくわえて、渚は何やら唸っていた。
理由は大体わかっている。今日の朝、俺たちが二人揃って遅刻したことについてだろう。
「朋也くん」
「ん?」
「今朝は朋也くんに悪いことをしてしまいました……」
ほら、やっぱり。
「いいって。別に気にするなよ」
「でも」
「俺、遅刻の常習犯だろ。今更増えたってどうってことない」
「でも、それがわたしのせいだと、やっぱり申し訳ないです」
あくまで生真面目に、渚はそう言う。
「そんなことないだろ。これからはもうちょい早めに来ればいい」
「そうですけど――」
「それに、そもそもは俺の寝坊を渚が待っていたからだ。違うか?」
「え、えっと、そうです……」
「だから、この話題は終わりだ。いいな?」
「――はい」
「ん」
「でも――」
まだ、納得してくれないか……、と、俺が思ったとき、
「でも、朋也くんみたいに走れたら……と、思います」
と、渚は呟いた。
「だから、特訓をした方がいいと思うんです」
と、続ける。
「俺が?」
「わたしが、です」
いや、わかっているけどな。
「特訓、ねぇ……」
渚にはいまいち……似合うか。
「俺みたいにって……待てよ?」
「はい?」
急に浮かんだ俺の言葉に、渚が首を傾げた。
「可能なんじゃないか? それ」
「……はい?」
『古河渚強化計画』
放課後。
「と言うわけで、校内最速っぽいのを二人ばかり呼んでみた」
と、俺は体操着に着替えた渚の前に、杏と智代を連れて来てそう説明した。
「急に体操着で来いって呼びつけて置いて、いきなり最速っぽいってのなによ、ぽいって」
「いや、だって俺、お前がバイクで――」
「あぁ!?」
「いや、走っているところ見たことないなって」
「……そういえば、そうね。普段体育は男女別だし」
「だけど速そうじゃん」
「お、わかってるじゃない〜〜〜」
よしよし、懐柔完了。もちろん口に出しては言わないが。
「つまり、部長の脚を速くしろってコトね」
「まあ、大筋そんなとこかな。智代はどうだ?」
「いや、私は文句を言うつもりはない」
誘ったときも了解したとしか言わなかった智代だったが、この時も大きく頷くだけだった。
「それで遅刻が減るというのなら、それは良いことだ。私で良ければ協力する」
「悪いな」
「おふたりとも、ありがとう御座います……」
深く頭を下げる渚。
「でもわたしだけのために……」
「うん、そう言うと思ってな」
俺は合図をする。すると、校舎の陰から風子、ことみ、宮沢、それに藤林がぞろぞろと出てきた。
「というわけで、声を掛けられるだけ掛けてみた」
「だっ、大人数になってますっ」
心底吃驚したというように、渚。
「朋也くん、配慮良さ過ぎです……」
「いやあ、この際だから、全員強化しちまおうってな。なんか俺の知り合いインドア派多いし」
「あんまり意味無いと思うわよ?」
と杏。
「? なんでだ?」
「……いずれ、わかるわ」
「そうか? まあいいや。ほら渚、ブルマに裾入れておけ。転んだ時余計なところケガするぞ」
「あ、はいっ」
「ン待ちやがれぃ!」
……聞き覚えのある声。同時に、何者かが土煙を上げて駆けてくる。
「この、馬鹿野郎が!」
「……あ?」
オッサンだった。
「なにやってやがる小僧! ブルマは裾出しと決まってんだろーが!」
しかも、くだらない理由で駆けてきていた!
……いや、くだらなくはないか。
「転んだ時に腹にケガするかも知れないだろ」
「ふつーにヘソ、運が良ければブラチラが拝めるかもしれねーだろっ!」
「そんなレアリティ、俺は望まねぇ!」
断じて望まない。渚のブラチラなんて、今後も見ることないだろう、多分。
「大体だな、裾を仕舞って何かいいことあるのか? 小僧」
――はっ、これだから素人は。
「こっちの方が、いろんな部分のラインが見られていいだろ? 裾が邪魔しちゃみえないだろーが」
「あ? そんなに見たけりゃスカートめくりでもしろってんだ、こら。ここのはただでさえ短いし、渚も鈍いからラクショーだろがよ」
「体操着ってとこに意味があんだよっ!」
「んだとっ、渚はめくる価値も無しか、ふざけんなよ――!」
「訳のわからん解釈してんじゃねぇ!」
こうして俺とオッサンが殴り合いになりかけた時、
「ン待ていぃ!」
別の聞き慣れた声がした。視線を向けると、
「なに校門の上にのぼってんだ、春原。かなり恥ずかしいぞ」
「僕は春原ではないっ!」
「何言ってるんだよ。どっかで頭でもぶつけたか? 春原」
「違うって言ってるでしょ!」
その半泣きな突っ込み具合は間違いなく春原だ。
「ゴホン! あー、あー。よし、僕の名は――」
「春原」
「違うっつーの! 僕の名は、そう! ブルマあ仮面ぇぇぇぇぇん!」
「仮面つうより、フルフェイスヘルな」
「いちいち突っ込むなよ!」
泣きそうな声だった。つうか、どこからヘルメットを持ってきたんだか。
「どうせなら、現物被ってこいよ。ブルマー仮面」
「それって変態ですよねえ!?」
「それを期待して居るんだ。さっさとやれ」
「やるかっ!」
「――で、てめぇは一体何が言いたいんだ、コラ」
長い口上は嫌いなのだろう、オッサンがガン飛ばしながら先を促す。
「ふ、裾の有り無しで荒そうとは不毛なこと……真の境地はそこにあらず……」
「話が長いぞ、とっとと言え」
「うむ、僕もそう思っていたところだっ! つまり何が言いたいかというと!
上 は 普 通 の 制 服 で 、 下 は ブ ル マ !
コレ、最強! 人類最後の体操着たる姿であるっ!!」
「な、」
「なんだとうっ!」
絶句する俺とオッサン。恐らく、オッサンも想像してしまったのだろう。
――春原が言う通りの、渚の姿を。
「ぱ、パーフェクトジオングみたいな格好じゃねえかっ――!」
意味はわからんが、言いたいことは大体わかる。
「ヤクトミラージュにクローソー載せるようなもんだよな」
「マニア過ぎだよ!」
「わかんねーよ!」
……冷たい春原とオッサンだった。
「だがしかし、その組み合わせ……イケてるじゃん」
「そうだろうそうだろう。だからとっとと渚ちゃんを、んでもってほかの子たちもその格好に――」
「――してたまるかっ」
校門下まで駆けつけた智代が身体を丸め、両手両足を使ってジャンプした。そしてそのまま身体をしなやかに延ばし、春原を両足で蹴り上げる。
「頼む!」
「任して!」
そして、ほぼ同じペースで接近していた杏が、着地した智代を足掛かりに、さらに高く跳んだ。
「おらあ!」
そして決まる、ダンクシュート。ただしボールは国語辞典だった。
「同人格闘ゲームに使えそうなツープラトンアタックですねぇぇぇぇぇ!」
とか言いながら、地面に叩きつけられ、ゴロゴロゴロゴロー! と転がって行く春原。
そしてそれを、なにか眩しい(っていうか正視できない)ものをみる視線で見送る俺達。
「……結局わたしは、裾を出せば良いんでしょうか、しまえば良いんでしょうか」
「自分で決めたら?」
ポカンとしながら呟く渚に、軽々と着地したあとポンポンと裾を払って、杏がそう締めくくった。
「……そうします」
結局、渚は裾を入れてくれた。ちょっとうれしい。
オッサンはと言えば、『そういや早苗を追いかけていたんだったー!』と叫んで、どっかに行ってしまった。
「まずは、軽く準備体操よね」
既に準備完了としか思えない暴れっぷりを見せた(もちろん口に出して言っていない)杏の意見で俺達はラジオ体操第一をした。そして、
「次は……そうだな、軽く50メートルと100メートルを走ろうか。タイムを計ればある程度の実力が見えるだろう」
と言う智代により、俺達はタイムを取り始めた。
たったったったった。
「藤林、意外と普通だなあ」
むしろ、走れているほうだと思う。
「当然でしょ、双子なんだから」
と、自慢げな杏。
「そうだよなぁ、なのになんで性格が――」
「あぁ?」
「いや、なんでもない」
たたたたたたたたっ。
「うわっ。ことみのやつ、意外と速いぞ!?」
「それも当然よ。オール5ってことは、彼女運動の成績も良い訳なんだから」
ちょっと悔しそうに、杏。
「なんでもできる天才って、いるもんだなー」
「そうねー」
不思議と微笑ましい気分になった。
とててててててー!
「おーおー、さすがは小動物」
「どえらく失礼ですっ!」
こんな時でもヒトデから手を離さない風子がゴールを突っ切るなり急ブレーキをかけ、そう怒る。
「意外に速いって感想はないんですかっ」
「それはつまり、ふだんは鈍そうだと思われたいのか?」
「……ああっ、風子、墓穴を掘ってしまいましたっ」
こういうときでもわかりやすいやつだった。
「では、次は私ですね」
そう言って、宮沢が走ろうとした時、異変は起こった。
「待ってくだせぇ、ゆきねぇ」
と、異様に野太い声と共に、何の脈絡も無しに現れたのは、異様に頼もしい格好の二人のマッチョだった。ランニングと短パンという、さわやか運動スタイルが、今とっても暑苦しい。……おそらく宮沢の『お友達』だろう。
「わしゃ亜丼!」
またもやアドン!?
「わしゃ寒村!」
やっぱりサムソン!?
「いくぞ!」
「おうよ!」
どうでもいいが、いちいちポージングしないでほしい。
「「マッスルドッキング、スーパーリンク!」」
そう言うや否や、亜丼は腕立て伏せの体形を取った後、ぶんと両足を振り上げ、
「ぬうりゃ!」
それを寒村が両脇で抱えた。そして二人で声をそろえて叫ぶ。
「「マッスル手押し車(スピーダー)、スーパーモード!」」
宮沢を除くその場にいた全員が、すってんとこけた。
「さあ、ゆきねぇ、わしの異様に逞しい尻に乗ってくだせぇ!」
尻をぷりんと引き締めて(嫌な光景だ)、亜丼が叫ぶ。
「ああん亜丼、ずるいずるいぃ!」
後ろで寒村が叫んだ。
……なんつーか、頭が痛い。
「あの……亜丼さん、寒村さん」
そんな俺達をよそに、宮沢は小さく、しかしはっきりと言った。
「今は体力をはかる為のものですから、そのマッスル手押し車(スピーダー)スーパーモードはまたにしてもらえませんか?」
「な、なんとぉ!?」
「ゆ、ゆきねぇはワシらのコトが嫌い?」
ぶあっっと涙を流す亜丼と寒村。
「ちがいますっ――私は、お二人とも大好きですよ」
「おお……ゆきねぇ……」
「ワシ、ゆきねぇになら抱かれてぇ……」
いや、それ怖いから。
「ですから、今日は何もしないでください。今度、とっておきのコーヒーご馳走しますから」
「ぬぅ、ゆきねぇがそういうなら」
「ワシらは従うしかありませんぜ」
どーでもいいが、俺たちが会話に入る隙が全くない。
「「それではゆきねぇ、また今度!」」
そう言って亜丼と寒村はマッスル(以下略)のまま、校門を抜けていった。
「っていうかお前ら分離しろよ……」
「元気が有り余っている人達ですから」
宮沢が良く分からないフォローをする。
「んならいいが……で、今の筋肉手押し車だが、今回はってことは、たまには乗っているのか?」
俺がそう訊くと、有紀寧はちょっと困った顔をして、
「さすがにあれには乗れないですねぇ」
と言って、誤魔化すように笑った。
ちなみに、宮沢の走る速さは普通だった。
さて、肝心の渚はというと。
とてっとてっとてっとてっとてっ……。
案の定、遅かった。
「これは……」
智代が眉根を寄せる。
「難しいわね……」
杏も同じ感想のようであった。
「ど、どうでしたか……」
全力でやり尽くしたとばかりに、真っ赤になった顔で渚が戻ってくる。
「運動を、根本的にやり直さないと行けないだろう……」
「そうね……、フォームが良いのにこのスピードじゃ、きっついわよ」
「そうですか……」
予想以上の結果だったらしく、渚は下を向く。
「まあ、これから外の項目をみていく訳だから、得意なものも出てくるだろう」
「そうね。まずは体力測定にメニュー、一通りこなしてみましょ」
「はい、がんばりますっ」
……で、頑張った結果。
「……あの……今までの計測値一覧なんですけど」
と、藤林が持ってきてくれた。
「どれどれ……」
杏、智代、俺の三人でみる。
……うっわー。
思わず顔を上げると、杏も智代も似たような顔をしていた。
言うまでもなく、渚には見せられない。
「なんか、世界大恐慌時のニューヨーク取引所みたいね……」
と、分布図を見ながら、杏。
「ここまで低いとは……参ったな」
「で、どうするのよ、朋也。見せるの? これ」
「見せた方がいいと思いますけど……」
「ちょっと椋。こんなスコア見せてどうするのよ。ショックで出来るものも出来なくなるわよ」
「渚ちゃんなら、大丈夫だと思います。むしろ、見せることによって頑張れるんだと思うんです」
藤林……。
「それに、本人が私の真後ろに居ますし」
「うおおおお!?」
たしかに、藤林の背後に見覚えのある触覚――もとい髪の毛がっ!
俺は素早くその紙をひったくると、腰の後に畳んで隠す。
「朋也くん、隠すの丸見えです」
「いやいやいや、これ杏が昔書いた俺宛のラブレターな」
……ポケット辞書で殴られた。冗談だったのに。
「朋也くん。それ、見ておいた方が良いと思うんです……だから、わたしにも見せてください」
「あ、ああ……」
俺は渋々、一覧を渚に渡した。
受け取った渚が、折り畳んだそれをゆっくりと開く。
そして。
一瞬、渚の触覚みたいな髪が直線状になったのを、俺は確かに見た。
「やっぱり……」
あ、この光景、どっかで見たことがある。
「やっぱりわたしは、朋也くんのお荷物なんですーっ!」
ばびゅん。
そんな感じで、渚は駆けていった。
あぁ、やっぱりあいつは、早苗さんの娘なんだなぁ……。
「遺伝って、すげえな」
思わずそう呟いてしまう、俺。
「待て、朋也。素質がいくらあったって、基本的な体力が無ければ……」
「すぐさまスタミナ切れ起こすわよ」
「……あ」
まるでそれを証明するかのように、米粒くらいになっていた渚が、ぽてっとぶっ倒れた。
「な、渚!?」
思わず絶叫してしまう、俺。
「ほら、助けに行って来なさいよー」
「い、行くけどさ」
「朋也。……妬けるなっ」
「妬くなっ!」
杏と智代、ふたりにからかわれながら、俺は渚を回収しにいった。
「結局、特訓するしない以前の問題でした……」
夕方の保健室。
ベッドの上で渚はそう呟いた。
「んで、俺のお荷物だってわけか?」
隣に置いた椅子に座りながら、俺。
「はい……」
俯いた顔をさらに下げて、渚は頷く
「そんなわけ、ないだろ」
「でも……」
「いいんだよ。渚は渚で。俺はそんなところもひっくるめて、好きになったんだから」
この場に他の連中が居ないことを微かに感謝しながら、俺はそう言った。
「それでも、やっぱり朋也くんに迷惑がかかります」
「いいんだよ。これからはもっと早く起きればいい。それでも遅れたのなら、途中で俺がお前を背負っていけばいい。だからその代わり俺が辛いときにお前が支えてくれればいい。それは渚、お前にしか出来ないことなんだから。違うか?」
「朋也……くん」
「さ、行こうぜ。食堂でみんなが待ってる」
「――はい!」
元気を取り戻した渚が、しっかりとした足取りでベッドから降り、俺と手を繋ぐ。
俺はそれを確認した後、無言で頷いてから保健室の扉を開け――。
「って何張り付いてんだ、おまえらー!」
「やべっ」
「やばっ」
「しまった」
「補足されたの」
「見つかっちゃいましたね」
「――あわわ」
「(ヒトデ……)」
俺の怒声に、蜘蛛の子を散らすように逃げていく春原達。
「まったくもう――」
聞かれたか。そう思いながら頭を掻いていると、渚は楽しそうに笑って、
「わかりました。ずっとずっといつまでも付いていきます。朋也くん」
そう言って、俺の手をギュッと握ってくれたのだった。
Fin.
あとがき
ごめんなさい、後で書きます……眠っ。
(2009.12.23追記分)
……いやもうなんていうか、3年もほったらかしてすみませんでした;
このssは第二回葉鍵板最萌トーナメント時に渚支援としてほぼリアルタイムで出展した物で、そのさい脱稿が深夜に陥ったためあとがきを後回しにし――そのまま忘れ去られていたのでした。
にしても今改めて読み直すと、なんというか朋也達が今より若く見えるような感じがします。当時特に意識した覚えはないんですが、何ででしょうね?
……さて次回は――って次回もなにもないわー!
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