日曜、早朝の古河家にて。
「クックックックック……」
 その男、古河秋生はひとり笑っていた。
 古河パンの一角、商品棚の隣でひとりにやにやしているその姿は、なんとも言えない不気味さを醸し出している。
 理由はある。最近、岡崎朋也と名乗る小僧が愛娘である渚といちゃいちゃしだしたのだ。
 強制的に排除する案もあったが、それでは娘に嫌われてしまう。故に、ちょっとした嫌がらせで済ませようと、秋生は考えていた。
「完璧だぜ……」
 天井を見上げて、秋生はそう言った。そこにあるのは、ロープ、滑車、巨大な金物。
 そう、店の入り口の天井、そこに金だらいを仕掛けたのである。
 レジ側からの操作で、それは標的の脳天を直撃するはずであった。
「何がですか?」
 秋生の後方から、声がかかる。
「いやなに、最近小僧がお前といちゃいちゃしているだろ? だからこう、中に入ったとたんにがつんと一発――」
 そこまで言って、咥えている煙草が、ぽろりと落ちた。
「うがーっ! 何ばらしてんだ俺はあああぁぁぁっ!」
 頭を抱えて、のたうちまわる秋生。が、彼はすぐに平静を装って立ち上がると、
「渚。今のな、聞かなかったことにしてくれ」
「そんなことできるわけないですっ!」
 と、返事の代わりに見た目は可愛らしい雷が落ちる。
 ただし、雷は雷であった。
「なんで朋也くんとわたしがいちゃ……いえ、仲睦まじくしていると駄目なんですかっ」
「い、いや、そりゃあよ――」
「答えて下さいっ」
 俺がいちゃいちゃしたいからだっ、とはとても言えない秋生であった。それはプライドの問題もあったが、奥にいる彼の愛妻、早苗に聞かれると別の意味に解釈されかねないためでもある。
「言えないんですね?」
「……あぁ」
「それなら、そのがつんと言わせるもの、外してくれますね?」
「……いや、それは」
「外してくれますね?」
「いや、でもよ……」
「外して、くれますねっ?」
「……はい」
 へたしたら早苗より怖いんじゃねぇか? そう思いながら秋生は渋々頷いた。
「あー、渚に見つかる前に、小僧に直撃させたかったぜ……」
「だから駄目ですっ」
 そう言って渚がレジ横の柱を叩いた。……言い換えるとするなら、金だらいが落ちてくるスイッチを思い切り押していた。
「あ」
 秋生が何か言う前にそれは落下して、真下にいた人物――渚の頭に直撃する。
「……と、朋也くんっ」
 そう呟きながら渚が倒れる。反射的に掴んだ紐を引っ張りながら。
「! しまっ」
 直後、予備用に用意していた金だらいが落下した。



『だんご大どりふ』



■ ■ ■



「で、これは一体何なんだ……」
 と、俺、岡崎朋也は呟いた。
 店の中で、渚とオッサンが仲良く倒れている。
 脇には、お笑いコントで使うような大きな金だらいがふたつ。
 ……どうも、父娘でお笑いの勉強でもしていたようだった。
「おい、渚。渚っ」
 とりあえず、オッサンの方を無視して渚を揺り起こす。
「起きろ渚、一体何があった?」
 柔らかい頬を突きつつ、さらに呼びかける。すると、微かなうなり声と共に渚は目を開け――。
「むぅ……ああ!? なんだ、小僧かよ……」
 ……えらい言葉遣いになっていた。
「――それは何だ、新たな芸風を身に付けたのか? 渚」
 何というか、こう……。斬新すぎて俺には付いていけないのだが。
 そんな想いが通じたのか、渚は俺をじっと眺めると、
「何言ってるんだ。熱でも出たか? 小僧」
「……熱が出ているのは、お前だ。渚」
 びしっと言ってやる。素の状態でオッサンみたいな言葉遣い。これはどう見ても発熱、しかも高熱状態に違いない。
「歩けるか? 歩けるならさっさと寝てこい。俺はオッサンを叩き起こしたら後から行くから」
 俺が一方的にそう言うと、渚は一度キョトンとした貌を浮かべてから、
「小僧……やっぱり熱ねえか? 俺はもう起きてるだろうがよ」
「誰が起きてるって?」
「俺」
「俺って誰だよ」
「俺っつったら俺しか居ないだろうが」
 何を言っているだ、そんな感じで渚は言う。
「一家の主、秋生様以外に誰が居る」
 ……ああ、渚の熱が限界値を超えちまったか。
 今一体何度なんだろうか。人類の限界を超えて45度とかそこらへん行ってやしないかどうか、今すぐ確かめたい。
「とりあえず、言っておく」
 俺は少しばかり視界が揺らいだため、片手で顔を覆いつつ言った。
「オッサンはスカート履かないからな」
「はぁ!?」
 呆れかえったように渚。
「スカートって小僧よ、一体何処の何奴がそんな物好きなことを――」
 そう言いながら、自分を見下ろした渚の表情が、硬直した。
 そして硬直したまま、顔、手、膝をぽんぽんと叩く。
「う、う、うおっ――うおおお!? 俺のっ、俺の最終兵器がねえええ!?」
 頼む。頼むから股間を叩くな、渚。
 とうとう気恥ずかしさが表に出て、俺は渚の腕をがっしりと掴んだ。
「な、なにしやがる!?」
 動転している渚が叫ぶ。
「布団に放り込む」
「つ、つれこむだとぉ!?」
「違う。……まぁ、普段なら望むとこなんだがな。今日はそうも行かないようだ。良いから寝ろ。熱出てるんだから」
「……出てねぇぞ」
「あん?」
 店内を横切って居間に上がろうとしていた俺は、歩みを止めた。
 そのまま、腕を掴んでいない方の手を渚の額に乗せてみる。
 ……なるほど、熱はない。
「――はっはっは。オッサンの物まね、上手いぞ。渚」
「だから渚じゃねえっつってんだろが!」
 小さい身体をブンブンと振り回し、渚が叫ぶ。
「はははっは。渚じゃないなら彼処で寝ているのは何処の誰なんだ?」
 そう言いながら俺の指さす先では、オッサンが目を覚まそうとしていた。
「ううん……あ、朋也くん……おはようございます」
 正直、渋い声で『朋也くん』は余り聞きたくなかった。
「誰だ、あの美形」
 渚がそんなことを言う。
「お前な。いくらオッサンの演技でも自分の父親捕まえて美形はないだろう美形は」
 将来、俺に娘ができたとして、仮に美形だと言われたとしても嬉しくない自信が、俺にはある。
「美形だから美形って聞いたんじゃねえか。悪いかっ」
 拗ねる渚。そんな状態にお構いなく、オッサンはおずおずと、
「あの、そちらの方は何方でしょう?」
「早苗さんだ。イメチェンで髪切ったんだと」
「なるほど。お母さん、よく似合ってます。わたしと一緒ですけど……」
 ころっと騙されるオッサンだった。
 っていうかお母さん?
「オッサン、オッサン。オッサンまで渚の演技か? 迫真過ぎて怖いぞ?」
「オッサンって……朋也くん、わたしはわたしです。お父さんじゃないです」
「そういうならまず自分をよく見てみろ」
「はい?」
 不思議そうに首を傾げて、オッサンは先ほどの渚と同じく自分の身体とぺたぺたと触り……。
「朋也くん大変ですっ! わたしがお父さんみたいになってしまいましたっ!」
 ……ああオッサンよ。オッサンまで演技の練習かい。
 俺は渚の腕を離さないまま、顔を手で覆って目眩に耐えた。そんな俺にお構い無く、オッサンは袖を顔に近づけて何やら匂いを嗅ぐと、
「タバコの匂いがします……」
「風呂、入ってくればいいだろ?」
「そうですね、そうします……」
 俺の一言に素直にそう言って、オッサンは廊下に消え――
「入りませんっ」
 る直前で戻ってきた。
「いまさら恥ずかしがる必要ねぇだろ」
 と、俺の腕から逃れようとしながら渚。
「そういう問題じゃないですっ」
 と、顔を真っ赤にしてオッサンが叫ぶ。
「あのっ、そちらの方はお父さんなんですねっ」
「おう、その通りだ。娘よ」
 父が娘にそんなことを聞き、娘が鷹揚に頷く。
 ものすごい、光景だった。
「朋也くん」
 オッサンが俺に言う。
「なんだよ」
「わたしとお父さん、入れ替わってます」
「んなばかな」
「いや、マジだ」
 と、渚が口を挟む。
「今日の朝早くに、小僧を罠にかけようと金だらい用意していたらな、渚と一緒に俺がひっかかっちまって――っておい! なにしやがるっ」
 渚が暴れる。腕を掴む形からガッチリ上半身をホールドする形になった腕の中で。
「いやなに、もしいま渚の身体の中身がオッサンなら逃がせないと思ってな。話半分でも」
 そうでなくても公的に抱きつける口実になる。この機を逃す俺ではない。
「つまり朋也くんは、わたしの話を信じてくれないってことですか?」
 と、不安そうにオッサンが聞く。
「ん、まあそうなるな」
「どうやったらわたしとお父さんが入れ替わってるって信じてもらえますかっ?」
「うーん」
 腕の中でじたばたしている渚を押さえ込みながら俺は考える。
「そうだな。渚とキスしてみる」
「ええっ!?」
「何ぃっ!?」
 悲鳴が上がった。
「わ、わたしと――今ですかっ」
「何が悲しゅうてオッサンとキスしないといけないんだよ。こっちだこっち」
 ぎゅーと、渚を押え付ける。
「て、てめえ! 何考えてやがるっ」
 必死に俺から逃れようとする渚。だがしかし体力差は歴然で、俺の腕を1ミリも動かせない。
「あーくそっ、渚っ身体鍛えておけっ」
「今度から努力しますっ」
 と、オッサン。
「朋也くん、その……き、キスすることにどういう意味があるんでしょうかっ!」
「オッサンが本当オッサンだったら、俺と渚がキスしようとしたら全力で止めるはずだ。逆に、中身が渚だってんなら、何も言わないはずだろ?」
「でもキスの相手が今はお父さんですっ」
「身体は渚じゃん」
「それは……そうですけどっ」
 でもっ、でもっ……と続けるオッサンに目尻に、――言いたくはないが、涙が浮かぶ。
「あー、なーかしたなーかした。お前、後で半殺しな」
 俺の腕の中、上目遣いで睨みを利かせて、渚。
「泣゛い゛て゛い゛ま゛せ゛ん゛」
 いや、泣いている。あまり絵的に見たくないものだったが……。
「……どうしたもんかな」
 このまま実行に移してしまっても良いものか。流石に悩み始めたときだった。
「すいません朋也さん。新しいパンの開発に手間取ってまして……」
 唐突に、奥から早苗さんが現れた。そして目をぱちくりとして俺と渚とオッサンを眺めると、
「何をやっているんですか、渚、秋生さん」
 と、言った。
「いや、小僧が中々認めてくれねぇんだよ」
 俺の腕の中で渚がそう言う。
「朋也さんと騒ぐのも良いですけど、ほどほどにしてくださいね、秋生さん」
「おぅ」」
 ……なに?
「早苗さん」
「はい?」
 俺はぴっと渚を指す。
「秋生さんです」
 俺はびっと袖で顔を拭いているオッサンを指さした。
「渚です」
 な、何故わかる!?
「な、なんで……」
 同時に口に出たその言葉に、早苗さんは珍しく少し悲しげな表情を浮かべて微笑むと、
「一緒に暮らして来た、家族だからですよ」
 ……そういうものなのだろうか。俺にはよくわからなかった。
「いつか、朋也さんもわかるようになります。きっと」
「だと、いいですね……」
「これが、家族なんです」
「早苗……」
「お母さん……」
「そしてこれが――金だらいですよっ」
 途端、渚が激しく暴れ、オッサンが逃げようとし――早苗さんに捕まる。
「おとなしくして下さいね、渚、秋生さん。事情は見て大体わかります。おそらくもう一回頭をぶつければ元に戻れますからねっ」
 と、なんか言いようの無いオーラを発しながら早苗さん。
「それに、打ち所が悪くて、記憶喪失にでもなったら大変ですから」
「いいのかよオッサンみたいな渚」
 と、俺はオッサンに訊く。
「もう、戻れればどうだっていいです……」
 その黄昏れ具合は、確かに渚独特のものだった。



 で。
「あー、やっぱり自分の身体が一番落ち着くぜっ」
 と、ラジオ体操をしながらオッサンは喜んでいた。
「頭がくわんくわんします……」
 対する渚は、元に戻れたことより、体に残っているダメージの方が気になるらしい。「それでは、開発中のパンがあるので……」
 そんなふたりを見届けて、早苗さんは再び奥に戻っていった。
 後に残るは、最後までふたりを疑っていた俺が所在なげに残る訳で……。
「渚」
「はい、何でしょう……」
 ようやく頭の反響が取れたのか、少し辛そうながらも、俺を真っ直ぐに見てくれる渚。
「その……悪かった。お前の言葉、信じられなくて」
「いえ、あの状況なら、そうなってしまうのも無理はないです」
 普通、外見と中身が入れ替わることなんてありませんから。と、渚。
「でも正直、自信、無くしてしまいそうでした」
「何に」
「朋也くんの、彼女であることにです」
「それを言うなら、気付かなかった俺も同罪だろ」
 と、俺。
「そうかも、しれませんけど……」
「お互い、頑張っていこうぜ」
 そう言って、俺は握手のために、右手を差し出していた。
「……はいっ」
 ふたり仲良く、それで居てしっかりと手を握り合う。
「それは良いんだけどよ」
 俺達の背後で、オッサンがぼやいた。
「お前ら、俺のすぐそばでいちゃつくのやめやがれっ」
 オッサンの言葉を完全に無視して、俺は渚の手を離さなかった。



Fin.







あとがき



 以前ONEのSSでやっていた『〜どりふ』シリーズ、古河家編でした。
 ことの発端ですが、渚の声を務める声優さんである中原麻衣さんが、とあるゲームで鉈や斧を持って主人公を追っかけ回すヒロインの声も務められると言うことで、んじゃあアグレッシブ渚つうことで一発……! と思ってできたのがこのお話ですw。
 なんというか、ぐれちゃった渚というよりさらに怖い渚が出来ちゃったようですが、そこはそれということで……。
 あ、ちなみにやけに大人しい秋生(笑)ですが、『僕の地球を守って』辺りをご存じの方は多分すんなりイメージ出来るんではないかと。
 PS2では渋くて深みのある置鮎龍太郎氏ですが、なよっとした声も出したこと、あるんですよねぇ。
 次回ですが、○十七歳外伝に戻ります。多分、時期的に早いことになるんじゃないかと……。

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