超警告。東方シリーズをクリアしていない人は
ブラウザのバックボタンで戻ってください。

このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。
そして、滅茶苦茶重い話です。

それでも読む方は方はここをクリックするか、
ガンガンスクロールさせてください。








































「もってかないでー」
「うわははは、そう言われて持っていかないやつが……うわー!」















































  

  


「ヴワル魔法図書館で棚から魔道書を奪おうとした時に落ちた?」
 自室のベッドでうつ伏せになっている霧雨魔理沙に、アリス・マーガトロイドは心底呆れたように呟いた。
「奪うじゃない。借りる、だ。……痛てて」
「私は結果の話をしてるの。まったく、その年で腰痛なんて早すぎるわよ。というか飛びなさいよ」
「後もうちょっと落下距離が長ければ飛べたんだよ。それに腰痛を気にした方が良いのはアリス、お前の方だぜ」
「お生憎様。私はもう腰痛がどうこう言う歳すら越えているわ」
 乳鉢に薬草、香り付けにハーブを入れて磨り潰しながら魔理沙の皮肉など何処吹く風で、アリス。
「畜生、羨ましい……。私も妖怪になるか」
「――やめときなさい」
「なんでだ?」
 両腕を顎の下に敷いたまま、心底不思議そうに魔理沙が訊く。
「長く生きるって、それだけでも辛いものよ」
「それもまた、なんでだ?」
「あんたが年とったら、自然とわかるわよ。そして私は、その数倍の辛さを知っている。ただそれだけ」
「ふぅん……痛てて」
「ほら、湿布薬できたから腰の部分、はだけなさい」
「おう。って、まさかそれが目的で湿布作ってたのか?」
「馬鹿言うんじゃないの」



 本のページが風に流される音で、アリスは束の間の微睡みから我に返った。
 週末の正午過ぎ。開けっ放しにしていた窓から入ってくる風が、頬に心地よい。
「……懐かしいわね」
 誰ともなしに、呟いてみる。
 あれから、もう大分経ってしまった。
 アリスは席を立つと、午後の日課となっているお茶を淹れにキッチンへと歩いていった。いつもなら澄まし気味のその貌には、珍しいことに微笑みが浮かんでいる。
 そう。あれから随分と経ってはしまったが、アリスは今でも、そのことを覚えていた。



『モノクロームの終焉』



■ ■ ■



 その、ひと月前に魔理沙は風邪を引いて寝込んだ。
 そして、風邪が治ったころになると、ベッドから起き上がれなくなっていた。
 足腰が弱り切っていたのである。
 そしてまたひと月後、魔理沙は再び風邪を引いてしまった。
 前回より、重い風邪だった。
「まったく……」
 銀髪に金が入り交じる豪華な髪の色の年になっても、そして熱が出ていても、口だけは達者な魔理沙はぶつぶつと呟く。
「飛べない魔法使いは、もう普通の魔法使いじゃないな。歩けなくなりゃなおさらだ。そして寝込んだとくれば、もう魔法使いでもなんでもないな」
「何言っているのよ、もう……」
 ベッドの上で上半身だけを起こしている彼女の隣で、アリスが窘めた。
「いつになく弱気じゃない。あなたらしくないわよ、魔理沙。それに歴史の本を紐解けばわかるけど、飛べない魔法使いだって、いっぱい居るわ。なんだって幻想郷を基準にするのは良くないわよ」
「そんなもんかね」
「そういうものよ」
 咳き込む魔理沙に毛布を羽織らせながら、アリスはいつも通りの貌でそう言った。
 ただ、その心中は穏やかではない。
 昨日、あまりにも魔理沙の熱が高かったため、アリスは永遠亭の薬師、八意永琳を呼んだ。おう、弟子の兎じゃなくて師匠直々の登場か。と魔理沙は喜び、偶には、ね。と永琳が応じて、その場にいたアリスは何も言わなかったが、これで魔理沙も快復するだろうと、胸を撫で下ろしていたのである。
 だから、診断の後別室に呼び出されたアリスは、永琳の言葉に文字通り呼吸を止めることになる。
 診断結果は、持って後四日。
 永琳直々の診断結果なのだ。故に、その数字に間違いはない。
 ただ、認めたくない数字だった。



「……ねぇ。家のひと、呼ばないの?」
 窓を僅かに開けて、室内の換気を行いながらアリスはそう訊いた。
「呼んで堪るか。勘当されたんだぞ、私は」
 憮然とした表情で、魔理沙はそう言う。
「それはわかるの。私が言いたいのは……あなたの子供と孫よ」
「へっ、来て貰いたいのは旦那だけで結構だぜ」
 旦那と言った一瞬だけ、やつれて白くなった頬を桜色に染めて、魔理沙はそっぽを向いた。
 魔理沙の夫。それだけでアリスにとっては特別な存在である。覚えている限り、彼は何処にもアリスに嫌われる要素がなかったが、ただ、夫というだけで随分と敬遠してしまっていた。
 ――その魔理沙の夫は、随分前に亡くなっている。
 あの時、魔理沙はめったに見せない涙を流してアリスの胸で泣いたのだが、それがまたアリスにとって複雑な感情の元になっていた。
 そしてその後すぐに、魔理沙は自分の子供と、当時生まれたばかりの孫を霧雨の本家に帰らせた。そこでまたひと悶着あったのだが、それでも魔理沙のごり押しと、知り合いたちの尽力――アリスも生粋の魔法使いとして、魔理沙の子と孫に必定十分な魔力があると、滅多に書かない推薦状をしたためている――により、魔理沙の家族は本家に戻ったのである。
 この時期、ひとりで寂しくない? とアリスは訊いている。それに対する魔理沙の返事は、時々会っているし、もともとひとりだったんだ。大差ないだろ。とのことだった。
 それでも、魔理沙から泊まりに来る回数が増えてきたので、アリスは何かと理由を付けては彼女の家に泊まるようにした。これについて、魔理沙は別に煩わしそうにいていなかったので、アリスは自分の選択が正しかったと確信していたのだった。
「……旦那で思い出した。覚えているか、アリス。私が昔妖怪になりたいって言ったら、やめとけって言ったよな」
「そんなことも、あったわね」
「生きていくだけで辛くなる、か。今なら良くわかる話だ。なぁ、アリス」
「なに?」
「悪いな、先に逝くことになって」
「ば、馬鹿言うんじゃ無いわよ。あんたはまだまだ頑張れるんだから」
「まぁそうだとしてもさ、最終的に先に逝くのは私だ。違うか?」
「それは、そうだけど……」
「だから先に謝っておく。お前の寿命がどれだけだかわからないが、私を含め、いろんなやつと別れて来たんだなと思うと、やっと意味がわかってな」
 そこまで言って、魔理沙は頭を枕に預けた。アリスは窓を閉めた後、少しだけ間を開けると、
「……過去にね、私が言ったことについてわからないと言った人は何人もいたわ。でも皆、年を取ってからそういうようになるの。あなたもそうだったようね、魔理沙」
 と言う。
「そうだったのか。ま、私は普通の魔法使いだからな。平均的な回答をしてやったと言うことか、な――」
 最後の方は、激しい咳で聞き取れなかった。アリスは慌てて駆け寄り、魔理沙の背をさする。
「……あー、すまん。そうだそうだ、ついでに思い出したぞ。初めて会った時のこと、覚えているか? あの時は私より背が高くて、羨ましいと思ったもんだが……」
 そう言って、魔理沙は枯れ木のような手を伸ばすと、そっとアリスの頭を撫でた。
「へへっ、今じゃ私の孫とたいして変わらんな」
「……くすぐったいわ」
「おぉ、悪い悪い」
 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、魔理沙は腕を引っ込めた。そして、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべ続けたまま、
「で、ぶっちゃけ私の寿命は後どれくらいだ?」
 アリスの呼吸を止めにきた。
「それは……」
「嘘はつくなよ。先が短いことはもうわかっているんだ」
「な、なんでそんなこと――」
「もう、私には魔力がこれっぽっちも残っていないんだよ。アリス」
 その意味を知って、アリスの顔が青ざめる。
「そ、それって――」
「そうだ。もう普通に魔法使いじゃないんだよ、私は。そして生命力と比例する魔力が枯渇したって事は――わかるよな? アリス」
 アリスは、答えない。
 答えたくなかった。
「だから、具体的な数字を教えてくれ。永琳から聞いているんだろう?」
「……三日」
「ん?」
「も、もって、後三日くらい……」
 できうる限り声になるよう努力して、絞り出すようにアリスはそう言う。幸い涙は出なかったが、肺に溜まった空気が鉛のように重かった。
「……そうか。思っていたより早いな」
 その声に落胆も諦めも乗せず、淡々と魔理沙。
「もう、もう――病気を克服する体力が残ってないって……」
「わかった、もういい。……辛いことを言わせてしまったな。私が悪かった」
 そう言って、魔理沙は再びアリスの頭を撫でた。次いでそっと両腕を広げる。
 アリスは魔理沙に迷わず身体を預け、魔理沙はアリスを胸に抱いた。
「本当に、孫みたいだな」
「孫でもいいわ……今だけなら」
「そうか――」
 そう言って、魔理沙は三度アリスの頭を撫でる。
「それじゃアリス、残りの三日間、協力してくれるか?」
「……え?」



 次の日から、アリスは多忙を極めた。
 一に整理二に整頓、三四が無くて、五に掃除である。
「あー、アリス。最近霊夢の話を聞かないが、まさか先に逝っていたりしてないよな?」
 ベッドの上で上半身を起し、アリスが作った蔵書目録の一部に目を通しながら魔理沙が訊いた。
「腰を痛めたとは聞いているけど。最近は代替わりした孫に全部任せて、自分は滅多に人前に出てこないみたいね」
 本棚から中身を引っ張り出しては分類して入れ直し、尚且つ何処の誰から借りているものかを次々とメモに取りながらアリスが答える。
「悠々自適な隠居生活か。羨ましい」
「あなただって、似たようなものじゃない」
「失礼な。自分の世話は自分で……今はして無いか」
 そう、通いで世話をしているのはアリスである。今、彼女は使える人形を総動員して、てきぱきと作業を続けていた。
「まぁいいや。どっちみち、葬儀はあいつに頼んでくれ」
「わかったわ」
 別のメモを引っ張り出して、今言われたこと書き込みながらアリスはそう答えた。急に事務的になったが、そうすることで感情のバランスを保っていたのである。
「しかし、あいつが腰痛ね……年を取ったことを実感するぜ」
「本人から聞いて無かったの? というか最近話を聞かないって、どういうこと?」
 不思議に思って元の口調に戻ったアリスが訊く。
「いやほら、色々と、な」
 と、魔理沙。曰く、お互い家庭を持つようになって、なんとなく疎遠になっていたのである。なるほど、自分の家に泊まる回数が増えたのは、そういう面もあったのかと、アリスはひとり納得した。
「それにしても、結構自分の分を持っていたのね。魔道書にしてもマジックアイテムにしても」
「どういう意味だ、そりゃ」
「言葉通りよ」
 そんな感じで、瞬く間に二日が過ぎた。



 そして三日目、その夜。
「あぁ、随分とさっぱりしたな」
 必要最低限の物以外、綺麗に片付けられた寝室を見渡して、魔理沙は嬉しそうにそう言った。彼女の熱は相変わらず下がらなかったが、意識だけははっきりしており、熱に浮かされることも無かった。
 ただし、熱が出ている割に、その顔は随分と白い。
「大掃除じゃない。ほぼ」
 頭に被っていた三角巾を取り、いつものカチューシャに替えながらアリスがぼやく。
「違いない」
 そう言って魔理沙が笑い、アリスもつられて笑った。
「よし、こんなもんだろう。アリス、今日は泊まっていけ」
「もとより、そのつもりよ」
 最低限の人形を側に置き、残りを大きなトランクに仕舞いながらアリスはそう答える。永琳が言っていた魔理沙の余命は、今日で尽きる。故にアリスは最後まで付き合うつもりでいた。
「調子はどうなの? 咳は治まってきているみたいだけど」
「あー、なんか調子いいぜ?」
 往時と全く変わらない、不敵な笑みを浮かべて魔理沙は答えた。
「眠くはない?」
「いやもう全然。もともと夜型だしな。ほれ、折角用意したんだ。さっさと風呂入って来い」
「用意したのは私でしょ……でも、わかったわ。ちょっと待っててね、すぐに出てくるから」
「別に何処にも行かないさ。ゆっくりして来い」
 今日で死ぬと言われているようなものなのに、さばさばした口調で魔理沙は手を振る。
 そしてアリスは、烏天狗だってそこまではしないと言いそうな速さで入浴を済ませて来た。
 魔理沙が何かしでかさないか――そしてなによりいなくなってしまったりしていないか、心配だったからである。
「お待たせ――魔理沙!?」
 ぎょっとした。
 魔理沙が起きて、収納してあった簡易ベッドを引っ張り出そうとしていたからである。
「ちょっと! 何やっているのよ」
「ありゃ――早すぎだぜ、アリス」
 悪戯が見つかった時のように舌を出して、魔理沙。
「こんなことするんじゃないかって心配だったのよ! まったく、もう……」
 ため息を付きつつ、魔理沙を寝かし、簡易ベッドを完全に引き出す。
 そうしてそれを組み立てていると、魔理沙は遠くを見るような目で、
「懐かしいな、アリス。お前が初めて泊まった時も、こんな感じで朝まで話したっけ」
「ええ、そうね……」
「懐かしいな。いや、本当に懐かしい」
 嬉しそうに、魔理沙は言う。
「あれから、随分と経ったものね――」
 魔理沙の寝床の隣にベッドを組み上げ、横になりながらアリス。
「そうか。お前でも長い時間だったんだな……」
 感慨深げに、魔理沙。
「勘違いしないで。私にとってはさしたる長さではないわ」
「ああ、やっぱりな」
「――でもね、すごい濃い時間ではあるのよ」
「濃い?」
「そう、濃い時間」
 薄い、たいして意識もしない時間ではない。
 一分、一秒が経っていくのを感じることができる、大切な時間。
「今だって、そうよ」
「つまりあれだな。強火な時間だ」
「……魔理沙らしい例えね」
「私の段幕は、強火だったろ?」
「ええ。そうね」
「おっと、強火で思い出したぞ……」
 そう言って、魔理沙はベッドサイドにある引き出しから金属の塊を取り出した。
「これを、預かってくれないか?」
「それって……」
 ミニ八卦炉。霧雨魔理沙を霧雨魔理沙たらしめ、彼女が常に手放さなかったマジックアイテムである。
「久しぶりに、見たわ」
「おっと、その時の八卦炉だと思われちゃ困るぜ。これはだな、元々香霖が改造したものなんだが、更に私の改造が施してある。いつか、霊夢のアミュレットを越えるつもりでいたんだが……あいつめ、そのアミュレットをさっさと孫に渡しちゃってな」
 お陰で性能合戦ができなかったと、魔理沙は笑いながらそう言った。
「でだ、こいつを時が来るまで預かっていて欲しい」
「――時が来るまで?」
「あぁ、そうだ。そしてその件でアリス、頼みがある」
 そう言って、魔理沙はベッドから起き上がった。
「い、いきなり何よ」
 急にまじめな貌になった魔理沙に、若干押されながらアリスもベッドから起き上がる。
「孫の面倒を、みてやってくれ。子供の方は良いんだ。あいつはもう家庭があるし、もうひとりで十分やっていける。でもあの娘は駄目だ。まだまだ若い。それに霧雨の家じゃ……身を守るのには最適だが、魔法を習うのには適さない。子供の方は私が全てを教えたから何とでもなる。だが孫は――多分飛び出して来る。私のようにな」
 そう言って、魔理沙は手の中の八卦炉を、そっと撫でた。
「随分な自信ね」
「逢えばわかるはずだ」
 それがひとつの楽しみだと言わんばかりに、にっと笑って魔理沙。
「そう……わかったわ」
「……頼んだぜ?」
「任せてよ」
 受け取ったミニ八卦炉をトランクに仕舞いながら、アリスはそう答えた。
「――その言葉を、聞きたかった」
 満足そうに頷いてベッドに背を預け、魔理沙は片目を閉じる。
「……あぁ、アリス。もう一度立たせて悪いんだけど、水」
「ちょっと待ってて、上海――」
「こら、手ぇ抜くな。自分で持ってこい」
「はいはい、わかったわよ……」
 そう言って、アリスはベッドから降りた。
「あー、っていうかココア」
「ココア?」
「あぁ。私がなんかあってお前の家に押し掛けたら、決まって出してくれたろ。だから、ココア」
「わかったわ」
「……アリス」
「――なに?」
「……今まで、済まなかった」
 眠るようにもう片方の目を細めて、魔理沙はそう言った。
「何言っているのよ、もう」
 笑って答えて、アリスが水場に消える。



■ ■ ■



「ふぅ……」
 アリスの足音が完全に消えてから、魔理沙は深く息を吐いた。
「本当に済まないな。最期には泣き顔より、笑顔が見たかったんだ……」
 徐々に薄れていく意識の中で、魔理沙は呟き続ける。
「……でもまぁ、楽しかったぜ?」



■ ■ ■



『何? また香霖堂の店主にお誘い断れたの?』
『………………………………………………あぁ』
『何ひとの家に来て膝抱えてるのよ本当にもう』
 例えば、魔理沙が香霖堂の店主を何かの集まりに誘って断られたとき。
 例えば、魔理沙が紅白の巫女と諍いを起こして弾幕勝負になった挙げ句、こてんぱんに負けたとき。
 例えば、……とにかく魔理沙が落ち込むことがあったとき、彼女は決まってマーガトロイド邸に上がり込んで、膝を抱えていた。
『――ほらココア。冷めないうちに飲みなさい』
『………………………………………………あぁ』
 そんなとき、アリスはいつもココアを魔理沙に飲ませてから、家に帰らせていた。
 希には話を聞いたり、泊めたりしたこともあったが、その時にも、ココアは欠かせなかったのだ。
『……………………………ありがとな、アリス』
 そしてこれが、最後のココアになると、アリスは覚悟を決めていた。
 魔理沙もわかっていたのだろう、だからこそこうやって頼んだのだと、アリスはそう理解している。
『――ねえ、大丈夫? 熱すぎたりしてない?』
『……………………………………いや、美味い』
 覚悟を決めていたが、一縷の望みもまた、アリスは抱いていた。
 魔理沙の調子が良さそうであったからである。このまま今日もてば、永琳の診断結果は誤りということになる。そうなれば明日も、明後日も大丈夫かもしれない。
 覚悟と希望は、相反する。
 しかしそれは偽り無い、アリスの気持ちであった。



 ――。
「お待たせ。いつもと勝手が違うからちょっとだけ手間がかかっちゃったけど」
 返事は、無い。
 魔理沙は、眠ったかのように目を閉じたままである。
「ほら、今夜は久しぶりにお話ししましょ。ココア作りながら思い出したんだけどね、ほら――魔理沙?」
 魔理沙は、『眠ったかのように目を閉じたままである』。
「ねえ、返事くらいしなさいよ。眠っちゃったの?」
 そう言って、アリスは両手で持っていたトレイを片手に持ち直し、もう片方の手で魔理沙の手を取った。
 ――早くも、体温が失われつつある手を。
「魔理沙!?」
 カップがトレイ毎落ちた。側にいた上海人形と蓬莱人形が自律行動で動き、床に落ちて割れる前に、どうにかして受け止める。
「魔理沙、返事をしなさいよ、魔理沙っ!」
 抱き起こし、軽く揺さぶる。だが、アリスの腕に返ってくる反発力は微塵もなく、ただ、随分と軽くなった体重だけが静かにのし掛かってくるだけだった。
「ちょっと……なによ、それ。なんなのよ、それっ」
 もう静かに寝かせた方が良い。そうは思いながらもアリスは言わずにはおけなかった。
「ずるいじゃない! なんでひとりで先に逝っちゃうのよっ。答えてよ、答えてよ、魔理沙っ――」







 翌日、早朝のことである。
「遺品の分配を頼まれていたんだ。生前にね」
 香霖堂の店主、森近霖之助が霧雨邸を訪れた。
 魔理沙の死はまだ誰にも伝えていない。だが、この人は独自の方法で知ったのだろう。と、どこか冷静な頭の一部分が、そうアリスに囁きかける。
 主人を失って普段よりずっと陰鬱に見える霧雨邸の廊下――魔理沙の部屋への戸口に、アリスが膝を抱えて座っていた。
 彼女の側には上海人形が、そして魔理沙の方には蓬莱人形がついており、じっと周囲に目を光らせている。
 そんなアリスを見て、霖之助はなぜか安心したように息を付くと、眠る魔理沙に一回だけ手を合わせ、
「早速だが、仕事にかかる。すぐに終わらせるから、そこで待っていてくれ」
 そう言ったかと思うと、そのまま霧雨邸の奥へと消えて行った。
 後になって本人の口から聞いたことであるが、霖之助の安堵には意味があった。曰く、希に居るのだという。永く生き過ぎた反動で、大切な者を喪った際に狂う妖怪が。
 しかし、今のアリスは霖之助の言葉をろくに聞いていなかった。故に、是とも否とも言わず、首を少しも動かさなかったのであるが、彼はそれを見過ごした。これも後に説明されたのだが、真に放っておいてほしい時、人妖に拘わらず何も言わなくなることを、長年の経験で知っていたのである。
「待たせたね」
 そして、その時のアリスには全く実感できない長さであったが、日が天頂にさしかかったころに霖之助は彼自身で作ったと思しき目録と、幾つかの小物を持って戻って来た。
「本当に助かったよ。そこの部屋だけでなく、この家全体を整理整頓してくれているとは思わなかった。ところで、魔理沙から何か聞いていないか?」
 魔理沙という単語が出た途端、初めてアリスが動いた。膝を抱えたままのろのろと腕を上げて、上海人形を指さす。すると、指さされた上海は魔理沙の部屋に入り、ベッドサイドに置いてあったメモを持って来て、霖之助に両手で差し出した。
 霖之助はそれを丁重に受け取り、じっと目を下ろす。
「うん、そうか……大体わかった」
 メモをこれまた丁寧に上海へと返しながら、霖之助は言う。
「霊夢だったら昼過ぎごろに来るだろう。朝方当代の巫女が不機嫌そうに、昼過ぎに自ら来ると伝言を伝えに来たからね」
 僕は魔理沙から貰ったマジックアイテムで知ったが、彼女の場合、天啓だろうね。と、霖之助はひとり続ける。
「それで、君はどうする? 僕は霧雨家の人間にこのことを伝えて、葬儀の準備を始めないといけないが。君も来るかい?」
「――行かない。もう、どこにも行きたくない」
 今日になって初めて、アリスは口を開いた。
「しっかりした方が良い。君はまだ生きなきゃいけないだろう」
「……もう嫌よ。こんなこと」
「だったらどうするんだ? もう人と関わらないと言うのなら、それも有りだとは思うが」
「……そんなこと。無理だわ」
「わかっているじゃないか」
 声に僅かながらの安堵を滲ませて、霖之助はそう言う。しかしアリスは、
「だから、私が魔理沙の後を追うの」
 はっきりと、そう言った。
「……無駄だ。そんなことは。君は妖怪だろう。生きなさい」
 その言葉に、アリスは弾かれたように顔を上げて、言った。
 いや、叫んだ。
「魔理沙無しで!? これからも人とつき合って、そして別れていくのを端から見ていろと? 冗談じゃないわ、そんなだったら――後を追った方がずっとずっとましよ……」
「そうか……」
 再び膝を抱いて蹲るアリスの耳に、霖之助がため息をついた音だけが届く。

「君は死者との約束を違える気か、アリス・マーガトロイドっ!」

 一瞬、頭を殴られたのかと思った。しかしそれだけの衝撃は声によるものであり、さらには初めて聞く霖之助の怒声であることに気付き、アリスはもう一度頭を上げる。
「死にたければ、勝手に死ねばいい。だが君が見せてくれた魔理沙のメモには、彼女と君との約束がある。君はそれを破るというんだな?
 いいか、生者との約束はまだいい。たとえ破ってしまっても償ったり、贖ったりすることができる。だが、死んでしまった者はどうだ? 君が違えたらそれっきりになるんだぞ!」
 明らかに激情に駆られた声でそこまで言うと、霖之助は無理やり落ち着かせるように息を大きく吸って、静かに吐いた。
「……僕は魔理沙に遺品の整理と分配を頼まれた。それは当然、理由があるからだ。――君はどうなんだ? アリス・マーガトロイド」
「わ、わたしは……」
『私の孫の面倒、みてやってくれ――』
 昨晩聞いた魔理沙の言葉が、アリスの脳裏に蘇った。
「私も、頼まれたわ……理由があるの」
「なら、それを実行すれば良い。そうすればきっと――」
 霖之助は、廊下の窓から空を見上げた。
「良い、供養になる」
 アリスも空を見る。一点も曇りのない空、一羽の鳥が静かに飛んでいた。
「……そうだ。これを君に」
「! これって――」
「魔理沙が直々に指定した、君への形見だ」
 アリスは、震える指でそっとそれを受け取る。
 それは、遠い昔にアリスがあげた、小さな指人形だった。
 アリスが風邪を引いた時、魔理沙が面倒を見てくれたので貸し借りを無くすため無理やり押し付けたに等しい指人形。
「保存状態が良いな。少々日に焼けている以外は、特に傷も綻びも無い」
「な、なによ、貸したものは絶対返さなかったくせに、あげたものを返すなんて、もう……」
 霖之助がそっぽを向く。
「魔理沙、魔理沙っ……」
 とめどめもなく流れる涙を隠すこともせず、
 アリスは、声を上げて泣いた。



■ ■ ■



 あれから、随分と時は経った。白玉楼に向かう途中の魔理沙と弾幕ごっこを繰り広げ、永遠亭へは逆に魔理沙とともに乗り込んだ、お祭りのような日々。
 あれから、少しだけ時は経った。魔理沙が逝った日は随分と寒かったが、命日になると、アリスは今でも何処からか花を入手しては、魔理沙の墓前に供えることだけは怠らなかった。
 そして――、
「なぁなぁ、アリス」
「『なぁ』じゃなくて、『ねぇ』でしょ。男の子みたいな口調、使わないの。それとアリスじゃなくて先生!」
 腰に手を当て、アリスはそう言う。
 そう、今の彼女は教師をしていた。
 魔理沙の約束を守り、魔法の森の小さな魔女に魔法を教えているのだ。
「女の子らしくすればいい?」
 と、魔道書とノートに首っ引きだった小さな魔女が訊く。
「そうよ。何もかも貴方の御祖母様を真似れば良いって問題じゃないの」
 すると小さな魔女は、しばらく考えると両手の拳を口元に持ってきて、
「――うふふ」
 途端、一気に身体の力が抜けて、アリスはテーブルに肘を付いた。
「……お願い、それだけはやめて」
「あー、やっぱりそう言うと思った」
「? 何でそう思ったの?」
「お婆ちゃんが、アリスを悩殺するのにはこれが一番だって」
「へ?」
「覿面だった?」
「――まぁ、確かに効いたけど」
「やった!」
 喜ぶ彼女に、アリスは突っ伏した。
「魔理沙め……」
 思わず頭を抱えてしまう。
 それでも、アリスの貌には笑顔が浮かんでいた。



 思い出以外にも、魔理沙の居た痕跡はあちこちに残っている。
 それもいずれは幻想郷の時の流れに溶けて無くなってしまうだろう。
 それ故に、
 だからこそ、
 アリスは、それらを慈しもうと思っていた。
「アリ――先生! 月天から水星天への方程式解けた!」
 小さな魔女の声が上がる。
 アリスは少し腰を浮かせて、ノートに書かれた解答を覗き込んだ。



Fin.




あとがきはこちら













































「アリ――先生、お婆ちゃんが若いときって、どんなだった?」
「そうね……貴方のように、素敵な魔女だったわ」




































あとがき



 アリスと魔理沙でした。
 ええと、……その、なんですか、今まで色んなジャンルの色んな話を書いてきましたが、その中でもかつて無い、重い話にしてしまいました。
 以前、置いて行かれた後のアリスの話を書きましたが、その頃からある程度魔理沙とアリスの別れは話として頭に浮かんでまして……今回、それを形にしたという訳です。
 避けられない別れを迎えて、アリスはどうするのか、そして魔理沙は――と考えていたら、こういう結果になった訳ですが、いかがでしたでしょうか?

 さて、次回は一転して香霖による非常に軽い話を。
 あ、フンドシはないのでご安心下さい^^(え?)

Back

Top