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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。

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「僕の青春といったら」
「血みどろだよな」
「なんでさっ!」











































  

  


「断る」
 智代の返事は、実に端的だった。
「まぁそう言うよな」
 俺も、そうとしか言いようが無い。
 仕方が無いと思う。俺自身あんなことを頼まれたら断るし、智代ならなおさらだ。
 だが、ただすごすごと引き下がるというのも何ではある。

 さて、どうしたものか……。



『智代と坂上クールガイズ』



■ ■ ■



「珍しいな。朝からお前がいるなんて」
「ああ、まぁたまにはそういう時もあるさ」
 始まりの朝は、ごく普通だった。滅多に無いことなんて言ったら、春原が予鈴前から居たことぐらいで、後はいつも通りの。
「で? 何しでかしたんだ?」
「あのね…… それじゃ僕が何かしないと朝からいないみたいじゃないか」
「実際そうだと思うんだが」
「んなこたないよ。昨日午後の授業ふけたろ? 実はあの後すぐ寝ちゃってさ。それで朝早くに目が覚めたって訳」
「やっぱりくだらないことだったな」
「ほっといてくれよ」
 そんないつも通りのやり取りも、その時までだった。
「あ、そうだ委員長。僕が居なかった間に溜まったプリントひぃぃぃい!」
 突如上がる、春原の悲鳴。
「レイザーラモンか、お前は」
 思わずそう言ってやる。すると春原は震える指先で教室のある一点を指さすと、
「おま、おまえ、委員長よく見てみろよっ!」
「あ? 藤林がどうしたって――」
 ……あれ?
 藤林が何処か変だった。
 自分の席に座っている。普通に制服を着ている。いつものように前髪の横にリボンを付けている。そこは普段と変わらない。
 だが、不自然に筋肉質だった。なんというか、二回りほど、でかい。
「なんか、妙に頼もしくないか? 藤林」
「アンタ、眼ぇおかしいよっ!」
 春原がそう叫んだ。
 言われてみれば……確かに藤林には見えない。
「フフフ……よくぞ見破った、そこの金髪」
 と、藤林……でない誰かがゆっくりと席から立ち上がる。
 校内を歩き回る逞しい何か。
 これはもう間違いない。一年下の宮沢有紀寧――資料室ではゆきねぇで通っている――の『お友達』に違いない。
「だが、お前に用は無い。ワシが会いたかったのは……そちらのほうよ」
 そう言って藤林でない逞しい人物の視線の先は――俺だった。
「ゆきねぇから聞いておる。岡崎朋也だな?」
「ああ、そうだが……」
「お主に頼みたいことがある」
 そう言って、頭の上に乗っかったカツラ――その下はスキンヘッドだった――を剥ぎ取り、『お友達』は佇まいを改めた。
 が、格好はこの学校の制服。しかも女生徒用なのでおぞましいというか何というか……とにかく、異質なのは変わらない。
「実はな――」
「待て、本物の藤林はどうした」
「ウム? あのかわいいのなら……」
 用具入れをぐいと親指で指さす『お友達』。
「ほれ、その中よ」
 うわあ……。
 俺は、その用具入れに近づいて耳を当てた。
 ……なるほど、微かに「ん゛ー! ん゛ー!」と、声がする。
「知らないぞ、俺は」
「何の話じゃ」
「いやなに、どうせすぐわかる。で?」
「単刀直入に言わせてもらおう。お主と親しいあの女、さかぶべらっ!」
「うちの妹になにするのよっ! アンタはぁ!」
 ……さかぶべらという女を、俺は知らない。だからそんな名前聞いたことも無いと言ってやりたかったが、生憎『お友達』の側頭部に辞書がめり込んでいて、会話は無理なようだった。



■ ■ ■



「それで、藤林の姉の方にコテンパンにされた奴から事情を聴いたところ、私と闘いたい、と?」
「そういうことだな」
 頭が痛そうな貌で訊く智代に、俺はそう答えてやった。
「なんというか……すごく馬鹿馬鹿しいぞ」
「俺もそう思う」
 時刻は昼休み。俺は昼食を早めに平らげると、金が無くて断食していた春原を伴って、智代のクラスを訪ねたのだった。
 そうして、何も聞かずに闘ってくれと頼んで、すぐさま断られた訳だ。
「大体だな、女装するような奴と闘う気にはなれないぞ」
「まぁそれもそうだが、そいつもそれなりに考えがあったんだよ」
「聞こう。どんな理由だ?」
「いきなり厳つい大男が勝負を申し込んだら怖がられやしないかってな」
 藤林を用具入れに突っ込む割には、気が回る奴だった。藤林自身も傷が付かないよう上手く縛ってあったし(どの道杏にどつかれたと思うが)。ただ、勝負を申し込む相手に配る気ではないような気がする。
「珍しいな。私を女の子として見てくれる上で、勝負がしたいというのか」
 と、少し嬉しそうに智代。しかし、その貌もすぐに渋面になって、
「だが……やっぱり受けることはしない。私が直接断ろう」
「そりゃまずいだろ。その場で仕掛けられたらどうする? なし崩しに勝負になるだろ」
「それは、そうだが……」
「いいよ、俺が伝える。もともと俺が持ってきた話だしな」
「済まないな、朋也」
「気にするな」
 後はまぁ、相手の説得か。そう思いながらも、この話がまとまりかけたとき――、
「闘ってやればいいじゃん」
 それまで黙っていた春原が口を挟んできた。
「そういう訳には行かない。一回でも勝負を受けてみろ、次の日から続々と挑戦者が現れるぞ」
 そりゃまあ、そうだろうな。
 俺だってそう思う。
 だが、春原は別の結論を得たらしい。久々に、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべると、
「それ、嘘なんじゃないの?」
 なんて事を言った。
「何?」
 智代の柳眉がぴくりと動く。
「本当はお前――腕、鈍ってるんじゃない?」
「何でそう思う……」
 声が低くなった智代が問う。
「何でって、純粋に運動量減ってるだろ? その分太るって寸法さ!」
 そのくらいにしておけ、春原。
 俺は口には出さずそう思う。
「あ、最近岡崎と一緒にいることが多いから、もしかして幸せ太りって奴? 残念だけど、岡崎にはもうなぎ――」
 もう、知らん。
 俺は、心の中で十字を切った。
「わかった。そこまで言うのなら、それに対する返答をしてやろう。まず体重だが、これは少しばかり増えている」
「ほら、やっぱり」
「だが、その増加傾向は成長期に増えるべきそれとほぼ同一のものだ。続いてこの腕だが、鈍っているかどうかは――」
 言っている途中で、智代の姿がかき消える。いや、正確には俺でも追視不能な速さで加速しただけなのだが。
「お前自身で確かめろ!」
 瞬間、春原は蹴り上げられ――、
「ひいっ!」
 追撃に回し蹴りを食らい、横にすっ飛んだ。窓から外の方向へ向かって。
「おいおい……此処、校舎の二階だぞ?」
「大丈夫だ。蹴り落とす瞬間、春原の足に命綱を付けておいた」
 自信満々に、智代。
「いったい何時の間に……ちなみに何メートルだ?」
「うん。多めに見積もったからな。20メートルほどある」
 俺は計算してみる。此処から地面までの高さは10メートル程だろう。
「お、それなら問題無いな。10メートルほど余裕がある」
「そうだろう。私にだって慈悲の心というものはある」
「それの何処が慈悲なんですかねぇぇぇえ!」
 そんなツッコミの声が上がり、直後地面からひいぃっ! と、景気の良い悲鳴が響き渡った。
「……滞空時間、長くなかったか?」
 怪訝な貌で智代。
「春原の囲りには春原時空が発生しているんだ。このくらい屁でも無いさ。な? 春原」
 と、俺。
「ウム、まさにその通り。あれこそ我が奥義よ」
 俺の隣で春原がそう答えた。
 ……春原?
「誰だ、お前は」
 智代が誰何する。
「言うまでもなく、春原陽平よ」
 にかっと笑って、ひと回りもふた回りも逞しくなった春原がそう言う。それにしても金色のカツラはともかく、そのきつそうな男子の制服はどうにかならなかったのだろうか。
「本当に春原か? 本物だったらアレやって見せろ、決め台詞」
「おぅよ」
 にやりと春原――ではなく、話題の『お友達』だ。言うまでもないことだが――は、深く息を吸い込み、
「よぅくみておけよ――ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
 途端、制服の上着についているボタンが弾け跳んだ。原理的にはあれだ、『天空の城ラピュタ』で主人公の親方がやったやつ。
「智代、どうやらあいつ、本物らしいぞ?」
 と、俺。すると智代は頭痛に耐えるようにこめかみを人差し指で揉みほぐしながら、
「どっちにしても、私は勝負を受けないからな」
 きっぱりと、そう言った。



■ ■ ■



「朋也、あの勝負を受けても良いような気がしてきたのだが……どうすれば良いのだろう」
 三日後、ほとほと困った貌で、智代は言った。
 時刻は昼休み。朝一緒に登校した際、お昼を一緒に食べようと言っていた渚が中々来ないので待ちぼうけしていたところ、智代本人が俺の教室を訪れてそう訊いてきた訳だ。
「一体どうしたんだ」
 大方想像付いていたが、そう訊いてやる。
「本人から、直接勝負を申し込まれるようになったんだ」
 ああ、やっぱりな。と俺は思う。というのも、あれから例の『お友達』は俺と接触を取らなくなったからだ。
「もう三十回になる。困ったことに根は純真なようでな。上手く拒絶できない」
「良いんじゃないか? 負けるふりをするくらい」
 と、俺はフォローするつもりで言ってやった。
 だが、智代は貌を曇らせ、
「それは意味が無いだろう」
 と言う。
「いいか朋也、相手は私と勝負したいだけだ。勝ちたいんじゃない。だからもし私がすぐに負けては――釈然としないだろう。それに、全力でかからなくては失礼じゃないか」
 ……なるほど。
「じゃあこういうのはどうだ? 勝負とかじゃなくて、他流試合とか適当に名目を付けるんだよ」
「なるほど……でも、私は特定の武術を修めてはいないぞ?」
「そこは適当にマニアックなものにしておけ、炎応三手とか、セクシーコマンドーとか」
「その方が逆にばれやすいと思うが……それしかないのか……」
 智代が唇を噛む。と――、
「おい岡崎、ちょっと来てくれ!」
 そう言って駆け込んで来たのは、宮沢のいる資料室へ昼飯をたかりに行った春原だった。
「どうした?」
 俺の代わりに智代が訊く。
「あ、智代も居たのか。丁度良い、一緒に来てくれよっ」
 と、珍しく切羽詰まった貌で春原は俺達を急かす。
「一体どうしたんだ?」
 流石に気になって俺が訊くと、春原は大きく息を吸い込んで、
「例の智代と戦いたい奴、町で不良にやられたんだ!」
 ……!?



■ ■ ■



 俺達が資料室に駆けつけた時、宮沢による応急処置は終わっていた。
「すぐに病院へ行ってください。縫合とか、私で出来ない処置もありますから」
 珍しく厳しい声で、宮沢がそう言っている。
 周りには、いつも資料室に居るメンバーが全員集合しており、その中央には……身体のあちこちを包帯で覆われた例の『お友達』が、力無く座っていた。
「済まんかった、ゆきねぇ……」
 微かに血が滲んでいる顎の包帯を動かして、『お友達』はそう言った。どうやら、命に別条は無いらしい。
「大丈夫か」
 智代が声をかける。
「おう、坂上か。お主にも、何と詫びればいいのかのう――。この通り、しばらく勝負できん身体になってしもうた……」
 弱々しく笑う、『お友達』。それに対し、智代はかぶりを振ると、
「勝負なら、してやる。お前の傷が治ってからだ」
 はっきりと、そう言った。
「――! そうか、そいつは……ありがたい」
 『お友達』顔が、一瞬綻ぶ。だがその後はいつも以上に厳つい表情を浮かべると、
「聞いてくれ、お主を狙っている輩がおる」
 智代にそう告げた。
「私、か?」
「ああ、そうだ。お主を狙っているという話をこの耳で聞いてしまってな。思わず突っ込んで、この様よ」
「……そんなこと、する必要なかったんだ」
「その通りだのう……本当に、済まんかった」
 最後に深く頭を下げて、そいつは三人ほどの他のお友達に付き添われ、資料室を去っていった。恐らく、病院に向かうのだろう。
 呼吸三回分の、時間が流れる。そしてその後――、
「ゆきねぇ」
「ゆきねぇっ」
「ゆきねぇ!」
 残っていた連中から、殺気が溢れ出た。
「ゆきねぇ、この件は確かに、あいつが突っ走って起きちまったものだ。だけどな、そのケジメでアレはありえねぇ。明らかにやりすぎだ」
 ひとりが一同を代表して、そう言う。
「そうだ!」
「殴り込みじゃあ!」
「あいつの無念を晴らすぞ!」
「そうともよ!」
 一気に盛り上がる、資料室。
「いけませんよ」
 だが、宮沢の一声でその場は静まりかえった。
「しかし、ゆきねぇ――」
「相手と同じ手段をとる時点で、負けを認めているようなものです」
「そ、その通りじゃが!」
「そうかもしれないが……しかし」
「いや、確かにその通りだ。自重するべきだろう」
 両手の拳を強く握り締めて、智代が宮沢の代わりに言う。
「それに、以降は私の問題だ。相手が誰だかわからないが、狙いは私だろう。だから、この問題は私がどうにかする」
「どうにかって、どうする気なんだ?」
 と誰かが訊いた。
「簡単なことだ。無視すればいい」
 何でもないように、智代。ただ、表情は努めて冷静だったが、握りしめた拳はそのままだった。
「でもそれじゃ、いずれは仕掛けられる事になるぜ?」
「どちらにしても、私は恐れない。もし、彼らが立ち塞がって来るというのなら……」
 一瞬、眼光を輝かせて智代は言う。
「容赦なく、粉砕してやる」
 ……智代ならやるだろう、絶対に。
「しかし一体誰なんだ。智代を狙っているって言う命知らずは」
 と、俺は呟いた。
「この町じゃありえねえんだがな。こいつの存在は俺達だって知っているし、この中のメンバーにゃ、一戦交えている奴もいる」
 そうか……ん、まてよ?
「なぁ」
 ある可能性に行き当たって、俺は聞いてみた。
「なら、他の町の奴らならどうなる?」
「あ?」
 宮沢のお友達は、固まった。
「相手はどんな奴らだったか聞いたんだろ? そこから何処の奴らか割り出せばいい」
「確か……全員が黒い革ジャンを着ていて――」
 カラーギャングか? 俺は眉を顰める。
「背中に、黒くて牙の生えた豚のワッペンがでかでかと貼り付いているらしい」
 それは豚じゃなくて、いのし――
「なんだって!?」
 春原が、声を上げた。
「知ってるのか? 春原」
 どっかで見たシチュエーションだなと思いつつ、俺が訊く。
「く、『黒猪の会』だ」
 黒猪……。
「美味そうな名前だな」
 杏に聞かれたら大変なことになるが、とりあえずそう言っておく。
「確かに美味そうだけど、そんな余裕は言っていられないよ。奴らは、町から町へと渡り歩いて、強い奴を見かけると問答無用で倒して行くんだ」
「迷惑な奴らだな」
「まったくな話だけどね。問題は、奴らの勝ち方だよ。それこそどんな手を使ってでも勝とうとする。何でもありなんだ」
 そう言って、春原は智代を心配そうに見る。
「だから、その時になったら対処すればいい」
 と、大分落ち着いた様子で智代。
「だが、それまでは絶対に手を上げないぞ。私は」



 放課後、俺はひとり校舎から外に出ていた。
 どうにも釈然としないものがある。
 智代と勝負をしたいと言った『お友達』の負傷、『黒猪の会』とかいう戦闘馬鹿集団(春原の説明が間違っていなければ、そう見て構わないだろう)の暗躍。それに対し、宮沢達は今回静観の構えを取っている。そして狙われている智代も――同じように、動かない。
 智代や宮沢の考えは正しい。俺もそう思う。
 だが、宮沢の周りにる奴らの気持ちもよくわかるだけに、俺は何とも言えないもどかしさを感じていた。
 俺にも、まだこういう熱いものがあったのか、と思う。
 ……正確には、呼び覚まされたと言った方が良いのかもしれない。
 その、呼び覚ました当の本人と言えば、どうも先に帰っているようだった。昇降口の下駄箱には既に上履きが入っていたし、念のためクラスに行ってみれば居たような居なかったような、曖昧な返事ばかりだったので、やむなく俺ひとりで下校することにしたのだ。
 しかし、なんで俺に黙って先に帰ったのか。
 そんなことを考えながら校門を抜け、長い下り坂に差しかかろうとしたところで――、
「トモヤクンてなあ、お前かい?」
 俺は、見知らぬ男に声をかけられた。
 その所作は見ればわかる。不良だ。
「……何の用だ」
「いや何、ウチのお客さんからその名前だけ聞いてよ。悪いんだが、こいつを――」
 そう言って、見たことのない不良は、俺に一通の封筒を渡した。
「こいつを、この学校にいる坂上智代って奴に渡してくんね?」
「――それだけか?」
「あー、それだけだ。オット、中身見るなんて馬鹿なことはよしとけよ? じゃーな」
 そう言って、黒い革ジャンを肩に引っかけて不良は去っていった。
 俺はそれを見送り……そいつが長い坂道から姿を消したところで、さっさと封を切り、中身を取り出す。
 無論、勝手にそうしたのは訳がある。
 奴は俺のことをトモヤクンと言った。
 その呼び名で俺を呼ぶ者は、今のところ数が限られている。
 そう、端的に言えば嫌な予感がしていた。
 封筒の中身は、手書きの地図が書かれた便箋が一枚。口汚い言葉で書かれた挑発の手紙が同じく一枚。そして――、
 そして写真が一枚。
 そこには、後ろ手に紐か何かで縛られた渚が写っていた。
 朝会って以来、姿を見ていなかった理由が、放課後すでに上履きがげた箱に入っていた理由が、次々と氷解していく。
 畜生、嫌な予感的中かよ!



 教室に急ぎ足で戻ると、そこには春原と杏だけがいた。
「あ、岡崎。今杏にさっきのこと話していたんだけどさ――どうしたんだよ、そんなに血相変えて」
 今の俺は冷静ぶっている余裕がない。だから春原は俺の変化に気付いたようだ。
 だが、俺はそれには答えず、机の中に入れっぱなしにしていた鍵――何しろ盗られて困る物がないので、持ち歩く面倒臭さを省いたのだ――を引っ張り出し、廊下に飛び出てロッカーを漁る。程なくして、目的のものは見つかった。体育の授業で使う運動靴。これで、革靴よりまともに動けるだろう。
「おい、何か変だぞ。岡崎」
「悪い、後にしてくれ」
「岡崎!」
「うるさいっ!」
 大声を上げた春原に、思わず怒鳴り散らす。
「朋也!」
 続いて杏が叫んで肩を掴んだ。俺はそれを振り払おうとして振り向き――、
「ぐっ!」
 綺麗なボディーブローを、一発もらった。
「どう? 少しは落ち着いた?」
 拳を収めて、杏。
「ああ、まぁな……」
 呼吸を整えつつ、俺が答える。まったく、こういう時は平手打ちと相場が決まっているのにボディーブローとは……ある意味、杏らしいと言えば杏らしいが。
「それでどうしたんだよ、岡崎」
 と、春原が訊く。
 俺は、黙って写真を見せた。
「っ! ど、どうするんだよ」
「助け出すに決まっているだろ。春原、お前も来い」
「そりゃ行くけどさ、智代は? 呼ぶんじゃないの?」
「呼ばない。あいつは戦わない決心をしているだろ」
「でも……」
「渚は、俺が助ける」
 用具入れを漁り――途中でやめて、俺。モップとかを持って行こうかと考えたのだが、俺の壊れた肩で、逆に足手纏いになると判断したからだ。
「杏、済まないがお前は警察とかに連絡をいれておいてくれないか?」
「あ、大丈夫。今椋にメール打って送ったから」
 と、自分の携帯電話をスカートのポケットに入れながら、杏。
「行くんでしょ? 手伝うわよ、あたしも」
「杏……」
「猪を悪行の象徴にするなんて、許せないわ。ボタンの飼い主として断固抗議してやるわよ」
 腕まくりをして、ニヤリと笑う杏に、俺も、春原も笑みを浮かべる。
「よし、行こう」
 再び、校舎を出る。
 急ぎ足で校門へと向かい――、
「おい岡崎、あれ……」
 春原が、俺の袖を引っ張った。
 夕日となりつつある陽光に照らされた、その、長い髪のシルエットは――間違いない。
「風子……参上!」
「いや、お前は帰れ」



 封筒に書いてある指定された場所は、この町と隣町の境にある、潰れた中古自動車屋だった。
 なるほど、広い上に車という遮蔽物があって、ちょっと騒いでも気付かれにくい。良いところを選んだものだ。
 手書きの割には、結構正確な地図をもう一度見る。
 広い、中古自動車屋の駐車場の一点に描かれた×印。そこに目を向ければ、五、六人の不良と、写真の通り後ろ手の渚が立って居た。
「渚っ!」
 思わず駆け寄る俺。
 その間を、独りの男が遮るように立つ。痩せぎすだが、必要十分な筋肉は付いているようで、なおかつ――刃物を持っている。
「坂上はどうした」
 と、男が問う。黒の革ジャンをそつなく着こなしているそいつが……どうやらボスのようだった。
「智代が出るまでも無い。お前達の相手は……そうだな、俺達坂上クールガイズで十分だ」
 と、俺。
「ふん、部下のお出ましかよ。嘗められたもんだな」
「あんたらが売った喧嘩だろ。それよりそこの女生徒を離せ。彼女は関係ない」
「おいおいおい、何言ってるんだよお前。せっかくの人質だぜ? そー簡単に手放すか? ああ?」
「……後悔するぞ」
「け、たった三人で何ができる」
 と、ボスの男。
 次いで、取り巻きの人が吐き捨てるように、
「大体、ひとりは女じゃねえか」
 ごっ。
 次の瞬間、そんな音を立てて辞書が一冊、そいつの頭にに命中した。辞書の名前は六法……本当に勉強用か? 投擲用に買ってないか? と訊きたい分厚さだ。
「な――」
「智代だけが……強い女って訳じゃないのよ」
 と、杏。その表情はだいぶ前に見た、藤林を無理やり口説こうとして断られ、手を上げかけた男を撃退した時と、同じものだった。
「……まあ、そんな訳だ。人数はたいして変わらないさ」
 と、俺。
 決して虚勢ではない。いま杏がひとり沈めた分を差し引いて、後五人。不利なことに変わりはないが、決して勝てない勢力差じゃあ、ない。
「本当に、そう思うか?」
 ボスの男が、にんまりと笑う。
「どういう意味だよ」
 俺が訊くと、
「こういう意味さ」
 男は、ぱちりと指を鳴らした。
「――! 朋也っ」
「岡崎!」
 杏と春原が一斉に声を上げる。
 無理もない。車の陰にでも隠れていたのか、周囲を囲むように、革ジャンの集団が現れたからだ。
 その数、ざっと見積もって三十人ほど。
 ……圧倒的、不利だった。
「さてと、今度は直接伝えて貰おうか。坂上智代を連れてこい。今、すぐにだ」
 とボスの男。
「でないとこの女生徒、どうなっても知らんぜ?」
「お前ら……っ」
「朋也くんっ! わたしはどうなっても構いませんっ だから、だから無茶をしないでくださいっ」
 ついに堪りかねたのだろう、渚が叫んだ。
「馬鹿を言うなっ! お前に何かあったら俺は――!」
「ほれ、早くしないと本当に何かあっちまうぞ」
 ボスの男が取り巻きに目配せをする。
「へっへっへ……」
 目配せされた革ジャンのひとりが、渚の髪飾りに手を伸ばした。
「やめろっ!」
 思わず叫ぶ俺。直後、
 ごっごっごっがっ。
 そんな音を立てて、辞書が四冊、それぞれ不良共に命中した。内訳は英和、和英、国語、漢和――。
「てめえら……」
 ボスの男の顔つきが変わる。
「ゴメン、朋也」
 杏が小さく謝った。
「いや、気にするな」
 呼吸を整えながら俺。
「へへっ、いつか言った僕の背中、本当に預けるぜ」
 続いて、春原が半ばヤケクソ気味な貌でそう言う。
「わかった。お前の背中に容赦なく撃ち込んでやる」
「マジかよ!?」
「どうだかな……」
 お互いやや引きつった笑みを交わす俺達。
「やっちまえ!」
 月並みな台詞を、ボスの男が叫んだ。当然、お約束のように包囲していた連中が一斉に襲いかかってくる。
「行くぞっ」
 俺達も真っ直ぐ前に向かって突撃した。
 こうなったらもう仕方ない。出来うる限り前に進んで渚を奪還するしかない。杏の辞書が唸り、ヤケクソになった春原の拳がどうにか相手に命中し、俺の蹴りが確実に相手を仕留めていく。
 ……だが、十倍近い戦力差はそう簡単にひっくり返るものじゃない。
「どうする岡崎……これじゃきりがないよ」
 俺の隣で春原が訊いてきた。
「その前に、お前の顔凸凹だからな」
 実際すごいことになっている春原の顔を直視しないように俺。
「辞書が切れたわ……」
 背中合わせになった杏がリボンを解き、ポニーテールに結い直す。
「いや、投げられるものはまだある」
 と、横を見ながら俺。
「なるほどね」
 同じ場所を見て、杏が笑う。
「合図をしたら、やってくれ」
「ん。標的は?」
 俺は返事をせず、ただ、着弾予定地に視線を向けた。
「――! なるほどね……」
「数人やられたくらいで怯むな、行け!」
 少し焦りの含んだ声が飛ぶ。どうやら俺達は連中が思っていた以上に戦果を上げているようだった。
「杏!」
「オーケイっ、任せて!」
「春原、少し屈め!」
「任せろ岡崎――あれ?」
 丁度良い高さになった襟首を、杏が掴む。
「使命を全うしろ、春原!」
「何の話ですかねぇええ!」
 杏が大きく振りかぶって――片手で投げた。
 投げられた春原は……綺麗な放物線を描いて、ボスの男に向かって飛んでいく。
「て、てめえら正気か!」
 墜落した春原をかろうじて避けたボスの男が叫ぶ。
「お前らが言うなっ!」
 目前に迫った取り巻きの顔面に靴底をお見舞いして、俺も叫び返した。
「……悪いな、杏。嫁入り前の身体に傷を付けることになって」
「いいのよ、好きでやってるんだから。でも、いつかこの借りを返してもらうからねっ!」
 春原が欠けて、俺達の周囲はさらに忙しくなる。
「くそっ、何をやっているっ」
 たったの二人をいつまでも始末出来ないことに業を煮やしたのか、渚を置いて(ここからじゃ見え憎いが、両手を縛っている何かを、手近の車に括り付けたようだった)、ついにボスの男が前に出てきた。――こちらの、狙い通りに。
 俺と杏は少しずつ後退して、渚と距離を取り始める。後は何も言わなくて気付いてくれるはず――
「ぐぅっ!」
 拳を一発顔面に貰って、俺は大きくのけぞった。
「朋也っ!」
 杏が慌てて近寄ろうとするが、防戦に手一杯なせいか一歩も進めない。
 ……まずい。そろそろ限界が来て、
「さ、渚ちゃん、今のうちに!」
 春原の、声が響いた。
「しまったっ!」
 革ジャン連中の誰かが叫ぶ。
 よし――! こっちの期待通り、蘇生した春原が渚の戒めを解いたようだ。後は、退路を確保すれば良い。
 ……最低でも、渚と春原の分を。
「朋也くんっ!」
「大丈夫だ渚ちゃん、岡崎と杏なら必ず帰って来る。だから今は逃げよう!」
「逃がすかっ」
 まずい! 読みが外れた。俺達ではなく渚と春原に連中が殺到していく。
「渚ぁ!」
 俺が切羽詰まった声を上げてしまった時だった。

 渚につかみ掛かろうとしていた連中のひとりが、斜め上に吹っ飛んでいった。
 文字通り、大砲の弾のように。

「……悪いな。兵法にある通り、地の利を取ろうとしたら、後からになってしまった」
 一瞬、しんと静まりかえったその場に、良く通る声が響く。
 ……その声音は、間違いない。
「さ、坂上……」
「……智代」
 ボスの男と俺の声が、期せずして繋がった。
 声の主は、黒いイブニングドレスのようなワンピースを身につけていた。
 後は素足にシューズ。それだけである。
 それは話に聞いたことがある、夜な夜な不良達を刈り取るようになぎ倒して行く、黒い服の少女――当時伝説だったあの坂上智代が、今、目の前に居た。
「話は、伊吹から聞いた」
 かかってきた取り巻きのひとりをふわりと投げ飛ばしながら、智代は言う。投げられた方は車の屋根に思い切り背中をぶつけ、その向こう側に転がり落ちて行った。
「残りの連中、前に出ろっ」
 ボスの男が叫び、さらに隠れて居たのか、もうひとつの包囲網が出来る。だが、それは円でなく九十度ほど欠けていた。
「ど、どうした、東側!」
 明らかに同様の声をにじませて、ボスの男。
「ああ、そっち側のことなら私が話そう。なに、隠れて居た連中を見つけたんでな。始末した」
 なんでもないように智代が言う。
「な、な、な――」
「それはそうと、済まないかったな、古河。済まなかったな、藤林。済まなかった、春原。そして朋也、本当に済まなかった」
 そう言って、智代は俺達に頭を下げる。
「ええい、かかれっ!」
 ボスの男の声は、もはや絶叫に近い。それだけ、周囲には威圧感が漂っていたのだ。
「後は――」
 顔を上げる。殺気が灯る。威圧感が一気に収束する。
「後は、私に任せろ」
 直後、革ジャン連中が智代に殺到した。



■ ■ ■



「すげえ……」
「あれだけの数を……こいつらだけで?」
 宮沢と、お友達一同が到着したのが、それから三十分後のことだった。
 そして、その三十分で事は全部済んでいた。
「よぉ」
 壊れた中古車のボンネットから腰を上げて、俺が声をかける。
 結局、俺と杏と春原が倒した数は十数人。残りの五十人近い人数は――全て、智代によって倒されていた。
「藤林さんから話を聞いて、急いで来たのですが……遅れて済みません、岡崎さん」
「いや、気にするな」
 謝る宮沢に、俺は手を振ってそう答える。
 傍らでは、春原と杏が背中合わせで座り込んでおり、渚は――俺が止めるのも聞かず――この場に居る負傷者全員の手当をしていた。
「結局、激突しちまった。悪かったな、宮沢」
 と、今度は俺が謝る。
「いえ、これは避けられないものだったと思います」
 人質を取った時点で、私では止められなくなりますから。と、宮沢は答えた。
「それに、その時点で、あちらの方々は負けてしまっていたのです。だから、この結果もある程度は見えていました」
「なるほど、ね」
 死屍累々といった体の中古自動車屋を眺めながら、俺。その間を渚が絆創膏片手に渡り歩いて行く。
「ところで宮沢。俺、このレベルの騒ぎの後始末の付け方を知らないんだが……」
「それなら、私の方でなんとかしておきます」
 と、宮沢。
「済まない、助かる」
「いえいえ。それより、坂上さんにお礼を言わないといけませんね」
 そう、そうだった。
「待った。それは俺がやる」
「え?」
 不思議そうに宮沢が問い返すので、俺は腫れやら傷やらを避けて鼻の頭を掻くと、
「激突の引き金を引いたの、結果的に見れば俺だからさ」
 そう言って俺は、ゆっくりと中古自動車屋を歩きだした。
 程なくして、目的の人影を見つける。
 もう深い夕闇の中、月明かりをバックに智代は佇んでいた。
 足元には、へし折れた木刀やらひん曲がった鉄パイプやらが転がっている。
「智代」
「――朋也か」
 中天にかかろうとしている満月を眺めていたらしい。智代は視線を下げて真っすぐに俺を見た。
「その、色々と迷惑をかけた」
「謝るな、朋也。本来謝るのは、立ち上がるべきときに立ち上がらなかった私だ」
「んじゃ、ありがとな」
「……礼を言われるようなことも、していないぞ」
「お前にとっちゃ、そうかもしれない。でもさ、渚は無傷だったから」
「そうか――」
 智代が微笑み、俺も笑顔を浮かべる。無傷と言えば、智代も無傷だった。序盤、遠投に徹していた杏もそうだ。
「それにしても……」
「ん?」
 俺の呟きに、智代が反応する。
「改めて言うが、すごいよな。お前」
「何を指しているか良くわかるから、すごく複雑な気分だが……ありがとうと言っておこう」
「何で複雑なんだ?」
 少々意地悪気味に、俺は訊いてやる。すると智代は微かに赤面しながら、
「腕っ節が強いなんて、女の子に褒める材料じゃないだろう」
 なんてことを言った。
「いや、俺が言いたかったのはそういうことじゃなくてな」
 増々にやにやしながら、俺。
「ドレスが似合うぞ。正直に言うと綺麗だ、智代」
 途端、智代の顔が真っ赤になった。
「そういう台詞は古河に言ってやれっ!」
「いや、あいつだと聞いた途端卒倒しかねないからさ」
 思わず吹き出しながら、俺はそう言ってやる。
「ふん、お前だって、随分といい男になっているぞ、朋也」
 照れ隠しなのが、腕組みをし、深く顎をひいて智代はそう言い返して来た。
「そういう智代はどうだったんだ? 戦ってて」
 こちらは純粋な好奇心で俺が訊きかえす。すると、
「いや、その、なんだ……」
 珍しく智代は恥ずかしそうに、
「……野性に帰ってしまいそうだった」
 と言って、しおらしく俯いた。



 ここからは後日談になる。
 この町周辺を騒がして居た『黒猪の会』とやらは、この日を境にすっぱりとその気配を無くし、以降話題に上ることは無くなった。
 代わりに注目を集めたのは、俺が勝手且つ適当に名付けた『坂上クールガイズ』で、こちらは宮沢とそのお友達たち(正式名称は俺も良く知らない)と並ぶ、この町の二大勢力としてその筋に知られることになった。
 以来、ずっと後になっても智代は何かというと色んな人にクールガイズの事を問われ閉口するようになったのだが、それはまた、別の話。



Fin.




あとがきはこちら













































「ところで、何でドレスなんだ?」
「当時持っていた黒い服が、これしかなかったんだ」
「……なんだ、ヤンマーニとは関係なかったのか」
「……なんだ? それは」




































あとがき



 久方ぶりの学園編でした(って、最近このフレーズばっかりだ)。
 できれば、ことみを出したかったのですが、どう見ても無理です。本当にありがとうございました。――って感じになってしまい、止む無く断念;
 さて、この話は依然よしおさんのところで公開されていたものを、よしおさんのサイト閉鎖とともに引き揚げ&誤字修正したものです。こういった依頼のSSで、Key関係の話を受けたのは初めてだったので、結構舞い上がっていたものの(というかそのせいで)結構納期ギリギリになったしまったのでした; うん、もっと精進する必要がありますね^^;
 さて、次回は……むしろ次回こそバレンタインで。

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