年末、その少し前に学生にとって最大の試練が訪れる。
 折原浩平にも、長森瑞佳にも、七瀬留美にも、そして里村茜にも、それは均等にやってくる。
 残念ながらそれは回避不可能で、立ち向かうしかない。いわゆる、逃げられない戦いというものなのである。
 多くの学生が来るのを厭い、憂鬱にするもの。

 その名を、期末試験という。



『里村茜の仮眠』



 さて、諺には『三人寄れば文殊の知恵』と言うものがある。
 どんな人間でも集まって知恵を出し合えば、知性で鳴らした文殊菩薩と同じくらいのよい考えを導き出せると言う意味である。
 なら、四人も揃えば原子炉も突破できる訳だな。と、誰かがボケ、本気で言っていますか? と、誰かがツッコミを入れた。
 そんな訳で、今茜達四人は浩平の部屋に居る。
 冬になって無理やり設えた炬燵の上には、教科書、参考書、ノート、浩平が何処かからがめた四人以外の誰かのノートが、ものすごい複雑な順序で、展開されていた。
 要するに、お互いの得意な分野を持ち出して、不得意な分野を埋めようという企画である。
「瑞佳、これなんて読むんだっけ」
「瀟洒だね。しょうしゃ」
「長森、こっちはなんだ?」
「須臾。しゅゆ、だよ」
 そんな感じで、現代国語で主に活躍しているのは、瑞佳であった。
 残の教科は――特に得意なものを四人とも持っていなかったので、お互い問題を出し合って解いていたりしている。
 と、静かにノートを取っていた茜が、ポツリと呟いた。
「――今回の現国の試験範囲、何気に難しいですね」
「つか、普通使うか? って漢字が多いな……」
 頭を掻きつつ、浩平がそう言う。
「んで、長森。これはなんて読むんだ?」
「えーと、それは華胥だよ。かしょ」
 そんな浩平と瑞佳の傍ら、留美はもうコツを掴んだらしい。ひとりでノートを取る動きを速めている。
 そして、勉強会当初からペースを変えずにノートをとり続けていた茜は、いったん筆を止め、小さく欠伸をした。
 もちろん、皆には隠している。
「寝不足か? 茜」
 急にノートを取る手を止めて、浩平が訊いた。
「なんでわかるんですか?」
 茜が逆に訊き返す。
「そりゃ、俺は何でもお見通しだからな」
 と、持っていたシャーペンをくるりと回して浩平。
「わぁ、浩平すごいね」
 素直に瑞佳が賞賛し、
「ワー、折原スゴイネ」
 素直に留美が砂を吐く。
「……最近は何でもお見通しですね、浩平は」
 最後に、茜がそう言った。
「わはは、ナンデモ折原君と呼んでくれと前から言ってるだろ? ――まぁそれはともかく、ベッド空いてるから少し寝たらどうだ?」」
 そう言って、浩平はシャーペンで自分の背にある寝床を指す。
 それに対して茜は、少し逡巡した後、
「では、お言葉に甘えます……」
 と、囁くように小さな声で言い、ベッドに上がった。
 程無くして、小さな寝息が微かに響く。
「……もう断らない関係な訳ね」
 と、留美が呟いた。そして、きょとんとしている浩平と瑞佳を気付くと、
「ああ、なんでもないのよ。ちょっとした独り言」
 っていうか、なんであたしがこんなに気を使わなきゃいけないのよっ! そう思う留美である。
「里村さん、どうしちゃったのかな」
 と、シャーペンを動かしながら今度は瑞佳が呟く。
「勉強疲れだろう。ここんとこ、夜遅くまでやっているって柚木が言っていたし」
 ノートから視線を外さずに浩平が答えた。
「勉強疲れね。――里村さんって、もっと頭が良いんだって思ってた」
 と、留美。
「イメージ的にな。俺もそう思ってた」
 浩平がそう言う。
「まぁでも、その……なんだ、普通の女の子なんだよな」
「折原――」
 留美が珍しく、真顔で言う。
「恥ずかしい台詞、禁止」
「うるせーよ」
 ちなみに茜が寝てから、三人とも小声で話し合っていたりする。
「とにかく、勉強続けようよ」
 という瑞佳の一言で、三人はそれぞれノート取りに戻ったのだが……。
「む?」
 唐突に浩平が声を上げた。
「どうしたの? 浩平」
 瑞佳がいち早く反応する。
「元に戻せなくなった……」
「は?」
 今度は、留美が間の抜けた返事を返した。
「いやな――」
 そう言いつつ、浩平はいつの間にか背中に回っていた左手を引っ張り出し、わきわきと指を動かす。
「ちょっとした好奇心を充足させようとしただけなんだが……」
 そう言って、後を振り向く浩平。
 彼の視線の先、背後で寝ている茜を瑞佳と留美が見てみると……、
 いつの間にか、片方のお下げが解けていた。
「まったく、さっきからなんかペースが落ちてると思ったら……いちゃつくなら外でやりなさいよ」
「いや、触り心地良いんだ。まじで」
「さらさらだからね、里村さんの髪」
 と、瑞佳。
「み〜〜〜ず〜〜〜か〜〜〜……」
「え? なに?」
「……なんでもないわよ」
 なんだか怒っている自分が馬鹿らしくなったといった貌で、留美。
「んで、どうしたもんかな。七瀬」
「あたしに訊くな。自分で何とかしなさい」
「仕方ない、もう一本の方を少しばらして、参考にすれば……す、すれば……うおお!?」
 もう一本も、戻せなくなった。
「何やってんのよ……」
 留美が顔に手の平を当て、肘を付く。
「むう、仕方ない。長森、お前だったらどうにかできないか?」
「え、無理だよ。三つ編み苦手だもん」
「ぬ……じゃああれだ」
「あれ?」
「茜が気に入りそうな髪型にする。これなら問題あるまい」
「気に入りそうだって言っても……」
「それっぽくでいい。とにかく頼む」
「ええとじゃあ……」
 いきなり重要そうな仕事を押し付けられましたと言った感じで目を白黒させていた瑞佳は、少しの間黙考すると……。
 持ってきていたカバンから櫛を取り出し、梳いて綺麗に揃えると、ポケットからゴム輪を取り出して、
「はい、ポニーテール!」
「面白味無ぇ……普通に『にはは』とか『がお』とか言いそうだぞ」
「言ったら恐いわよ」
 すかさず留美がそう言う。
「……そうだな」
 想像してしまったらしい。何とも言えない貌で、浩平はそう言った。
「――って言うか、面白味って何よ、面白味って」
「いやまあ気にするな、はっはっはっ」
「うぅ……」
 容赦なくツッコミを入れる留美の傍ら、瑞佳が落ち込んでいる。
 なお、この状況に至っても三人は小声を維持していた。
「仕方ない、俺がやるか……」
「どうするのよ?」
 沈没している瑞佳の代わりか、留美が訊く。
「要は髪を纏めればいい訳だ。――こんな感じでな」
 そう言って、茜の後頭部に拳を当てる浩平。
「お団子? 髪長いから、ひとつじゃ無理だよ?」
 と、早くも復活した瑞佳が言った。
「じゃあふたつで行こう。長森、頼む」
「やるのはわたしなんだね……」
 そう言いつつも、浩平に言われたように茜の髪を纏め始める瑞佳。その結果、茜の髪形は……、
 世界一有名な鼠みたいになった。
「でかっ!」
 と、留美。
「頭重そう……」
 と、瑞佳。
「気に入るわけないな。間違いない」
 冷や汗を浮かべつつ浩平。だが、突然何かが閃いたらしく、茜の髪に手を伸ばすと、
「まてよ、でかすぎるならこう――先っぽをテールにして伸ばせば……長森」
「あ、うん……」
 瑞佳は、浩平の言われた通りにした。
「こ、こう? って――」
「こ、これは……」
 瑞佳と留美が、相次いで絶句する。そこへ、得意げな声で浩平が、
「そう。某美少女戦士、月の人!」
 自信満々にそう言った。
「うわあ……」
「キャラクター位置が里村さんと対極な人ね……」
「あのコスチューム着せてみたいな……」
 瑞佳と留美が、一斉に浩平を見る。
「……まぁ、流石に恥ずかしがるか」
 無駄に咳払いをして、浩平は無理やり締め括った。
「んで、どうするのよ。こんな月のお姫様状態じゃ、まず間違いなく怒るわよ?」
 少なくとも、あたしなら激怒。と、留美。
「ううむ……」
 浩平が腕を組み、がっくりと頭を下げた時だった。
「ふっふっふ。みんな、誰かを忘れてはいませんか? っと」
 窓側から、聞き慣れた声がした。
「その声は……」
「はーい。毎度おなじみ、ザ・神出鬼没の柚木詩子さんでーす!」
 そう言って、いつの間に現れていた詩子は、座っていた窓枠から飛び降りた。瞬間的に浩平がローアングルになるが、その上から留美の肘が追撃してきて、浩平は目的を果たすことが出来ずに終わる。
「だめだめ、やるからには徹底的にやらなきゃ」
「確かにそうだな……。って、なんで窓から入ってくるんだよ!?」
「ん、ちょうど開いていたからね」
「あ、本当だ」
 鍵を見ていた瑞佳がそう言う。
 ちなみに、ここまで来ても三人に詩子を足した四人は、小声であった。無論、茜が起きないように配慮しているのである。
「まぁそれはともかく。茜は髪の質がすごく良いんだから、丸めるとかは駄目。結うにしたって、髪を痛めかねない鋭角的なまとめ方は厳禁だよ」
「な、なるほど……」
「という訳で、まず結い方は標準的なツーテール。ここでアレンジとして先端を縦にカールさせて――」
 そう言いながら、てきぱきと茜の髪をいじくる詩子。瑞佳も相当早かったが、慣れているせいか、詩子の方が一回り早い。
「――あとは、おまけのボンネットを付ければ……!」
「何で車のパーツなんだ?」
「車の部品なんてどうやって付けるのよ」
 浩平と留美の声が重なった。重なったお陰で言っていることはグチャグチャになったが、方向性はあっているのがふたりらしい。
「あのね浩平、七瀬さん。ボンネットって言うのはツバの広いヘッドドレスのことだよ」
 厳密には違うんだけどね、大体そう。と言う瑞佳。それに続いて、
「そうそう、こういうのね」
 と言って、詩子が紅いフリルと薔薇が程度にあしらわれた、瑞佳の言う通りのものを取り出す。
「あ、アハハ……やあね、ヘッドドレスって言ってくれたら迷わなかったわよ。ほ、本当よ?」
 何か言いたそうな浩平の首を締めつつ、留美。
「で、それをどうするの?」
「もちろん被せるの。そうすれば……ほら!」
 いまだ寝息を立てている茜に、詩子は両手の人差し指をさしてみせた。
「こ、これは……」
「そうっ、どこかのローゼンメイデン、第五ドール!」
「まんまだ……」
 まんまである。
「柚木、紅い服持っていないのか紅い服っ!」
「ふっふっふ。この詩子さんに抜かりは無いよ」
 そう言って、詩子はリボンとフリルがてんこ盛りのドレスを取り出した。
 なお、しつこいようだが此処に至っても全員小声である。
「着せるか」
「着せようよ」
「それはやめた方が……」
 流石に瑞佳が止めに入る。
「大丈夫だ」
「そうそう。ここまで派手にやっても起きないんだし」
「うーん、それなら、大丈夫かなぁ……」
「あんたらね……」
 留美が心底呆れた声を上げたときである。

「――詩子」
 ものすごく低い、茜の声が上がった。

「は、はいいっ!」
 何故か直立不動で敬礼する詩子。ちなみに額には早くも冷や汗が浮かんでいる。
「……紅茶を淹れて頂戴。お湯は96度以上で。もちろん五人分よ」
「ハイ只今ー!」
 もう一度敬礼して、詩子はすっ飛んで行った。
 その間に茜はむくりと起きて、ヘッドドレスをそっと外す。
「い、一体何時から起きてた?」
 詩子と同じく冷や汗を浮かべ、浩平。
「……髪に櫛を入れれば、誰だって目を覚ますものだわ」
 と、むっつりした表情のまま茜が答える。
「すまん、俺達が悪かったから元の口調に戻ってくれ」
 すかさず浩平が手を合わせて嘆願する。袖に隠れて見えないが、二の腕にはしっかりと鳥肌が立っていた。
「……わかりました」
 あっさりと口調を元に戻して、茜。
「いやすまん、ついな……」
 ほっと息を付いて、浩平がそう謝る。
「別に良いです。自分で戻せますから」
「そ、そうか?」
 その瞬間、茜を素早く首を振った。すると、加速されたお下げは空を切り、
「のおおおお!? 目が、目がああああ!?」
 浩平の顔面に命中した。
「中断させて、すみません」
 床を転がる浩平を無視し、炬燵に戻って茜はそう言う。
「続けましょう」
「……え? 髪、直さないの?」
 恐る恐る瑞佳が訊く。
「このままでいいです」
 と、茜。そして綺麗に結わえられた自分の髪を撫でると、
「――少し、気に入りましたから」



Fin.







あとがき



 そんな感じのONE、期末試験SSでした。って、期末試験終わってますね; 本当はクリスマス前に仕上げたかったんですが……まぁ色々ありまして、遅れてしまいました;;
 さて、本文中で改造(?)された茜の髪形ですが、一番目は言わずもながとして、二番目はセーラームーン、三番目はローゼンメイデンで検索をすると大体わかると思います。三番目は今が旬なのでわかるひとも多いと思うのですが、二番目を知らない、見たこと無いって人が増えて来ていて、ちょっと驚いている今日この頃。思えば遠くへ来たもんだ……。
 さて次回は、茜か伸びに伸びている七瀬で。

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