『アリス・マーガトロイドの災難?』



「う゛〜」
 毛布を口許まで寄せて、アリス・マーガトロイドは小さく唸った。
 現在彼女を襲っている感覚は、頭痛、軽い嘔吐感、そして熱。――要するに、風邪である。読書をしていたら、急に文字が踊り出したので嫌な予感はしていたのだが、いかんせん滅多なことで風邪を引かない体質故、油断してしまったのだ。
 時刻は間もなく正午になろうとしている。
「困ったな……」
 現在マーガトロイド邸には、アリス以外の住民はいない。だから、いくら病身でも着替えや食事は自分で用意しなければならず、これがなかなかにきつい作業であった。
 それに、マーガロイド邸は魔法の森の中にあり、滅多なことで人は訪れない。故に、誰かを頼ることはできない。万一頼れるとしたら、それは同じ魔法の森に住む――、

 けたたましい、ノックの音がした。

 こんなキツツキのようなノックをする知り合いはひとりしかいない。アリスは一瞬、嬉しいような、恥ずかしいような、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた後、毛布から片手を出して、手首を軽く振り下ろした。
 途端、大きな戸棚に飾ってある彼女の人形のうち、比較的大きなタイプが一体静かに飛び出し、廊下を進んで玄関の鍵を開ける。
 そして再び、静かに戸棚まで飛んで帰ってくるのだが、今回はそれと一緒に騒がしい足音が付いて来ていた。
「いようアリス、風邪ひいたんだって?」
 同じ魔法の森に住む、霧雨魔理沙である。
「なんで、知ってるのよ……」
 確かに魔理沙は同じ魔法の森に住んでいる。距離はそれなりに離れているが、広義であれば近所といえなくもない。だが、彼女とアリスが逢う場所と言えば、家の外での採集や、里へ買い出しに出掛けるときにたまたま鉢合わせになるくらいであって、魔理沙がマーガトロイド邸を直接訪れるなんて事は、かなり珍しい事なのであった。故に、アリスが風邪を引いているとわかってでもいなければ、此処に来るはずはないのである。
 ここで最初の疑問に戻る。何故、風邪を引いたことを知っているのか。その点を疑問に思いながら、無理しない程度に起き上がろうとするアリスに対し、魔理沙はジェスチャーでそれを押し止どめると、
「そのなんだ、いわゆる虫の予感ってやつだぜ」
「……嘘言わないの」
「まぁ、実際はあれだ。お前、いつもの散歩道通らなかっただろ。そいつで何かあったんじゃないかと思った訳だ。んで、霊夢に聞いてみたら、風邪でも引いたんでしょってな」
「相変わらず、鋭い勘だわ……」
 呆れたように、天井に視線を移すアリス。脳裏には縁側に座ってお茶を飲む、何を考えているのか考えていないのかすらわからない、紅白の巫女の姿が浮かんでいた。
「で、体温は?」
「そこに控えて置いてあるわ」
 再び毛布から手を伸ばし、ベッドサイドのノートを指さすアリス。
「お。さすがだな、生粋の魔法使い」
「アンタ達人間の魔法使いがさぼり過ぎなのよ」
「耳が痛いね、どうも」
 そう答えながら、魔理沙はメモに目を通す。
「ふむふむ……思った以上に熱は高くないな。アリス、喉の調子は?」
「そんなに悪くないわ。咳はあまり出ないし」
 と言った途端、軽く咳込むアリス。本当に咳は余り出なかったのだが、今のでその信憑性は薄れてしまっただろう。アリスは感情の行き場を無くして、魔理沙とは反対の方向へ寝返りを打った。
「あー、典型的な風邪だな。寝てりゃ治るやつ」
 そんなアリスを知ってか知らずが、ノートを閉じながら魔理沙はそう結論付ける。
「……それで? なにしに来たのよ?」
「いや、看病しようかと」
「……いらないわ」
「まあ、そんなこと言わずに」
「――いらないって言ったのよ」
 もう一度寝返りを打って、魔理沙と相対する。
「そうか。ほんじゃま、これ」
 そう言って魔理沙が懐から取り出したのは、硝子の小瓶だった。中にはエメラルドグリーンに輝く液体がたゆたっている。
「なに、それ……」
「風邪薬。言うまでもなくオリジナルだぜ」
「オリジナルって……自分で調合したって言うの?」
「他にどういう意味がある。ま、心配するな。効いて効いて効きまくりだからな」
「あ、アンタの薬なんか、飲む訳無いでしょ……」
「そうかい」
 そんな返事は想定済みだとばかりに、魔理沙はにやりと笑い、素早くポケットから何かを取り出すと、指でそれを弾いた。途端、一瞬だけ視界が揺れる。
「? 今一体何を――ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!?」
 魔理沙は返事をしなかった。代わりにゆっくりとアリスのベッドに上ってくる。そして、アリスを上から抑え付けるように……、
「アンタ、それ以上やったら洒落に――」
 咄嗟に体を動かそうとするアリス、だが、何故か頭を中心に、ガッチリと固定されている。
 そうこうしているうちに、魔理沙は水薬を一口飲むと、いつになく神妙な表情で、
 顔をアリスに近づけてきた。
「ま、ままままま待ちなさいよ!? 私だって心の準備じゃなくてそれ以前に順序ってものがってもっとそれ以前ににアンタなんか――ンン!? ンンンンンウムゥ――!!」

 キスの味は、苦かった。



■ ■ ■



「――こんなもんかな」
 瓶を片づけ、アリスの口にかませた漏斗を引き抜きながら、魔理沙は呟いた。
 飲む訳が無いことはわかっていた。わかったいたので、魔法の森のきのこを粉末状にしたものに、同じ状態にしたヤモリと薔薇と蝋燭をある一定の比率で混ぜ合わせて作った幻惑薬を撒いたのである。普段は丸薬状だが、ちょっとした衝撃で簡単に拡散するから効き目は一瞬、さらに拡散して無効化するのも一瞬なので、魔理沙の方はタイミングを合わせて息を止めるだけで良い。
 これによりアリス自身に都合の良い幻像が現れた筈である。現に、抵抗無く薬を飲ませられたわけなのだが……。
「一体どんな幻像を観たんだ?」
 素直に飲んだとは言え、散々じたばたともがいた揚げ句、紅潮したまま放心してベッドに横たわるアリスを横目に、魔理沙はひたすら首を傾げた。
「もしかして幻惑剤の配合、間違えたか?」
 間違えたのである。



■ ■ ■



 ふと目を覚ますと、身体の不調は大分治まっていた。どうも、放心している間に寝入ってしまったらしい。陽は既に傾き、逢魔が時を過ぎていた。
 ベッドサイドを見ると、魔理沙の帽子が置いてある。

 ――本当に、もう。看病なんていらないって言ったのに。

 額の上のタオルは、十分に水気を含んで、かつ冷やされていた。それはつまり……ということである。
 アリスは軽く手を伸ばして、人差し指で魔理沙の帽子を軽くつついた。
「お、目が覚めたか」
 ちょうどそこで、当の魔理沙がトレイを持って部屋に入って来たので、素早く手を引っ込める。
「台所借りたぜ。いやー、一瞬焦った。アリスんち、米も味噌も醤油もないのな」
「よ、余計なお世話よ」
「ああ、そうだな。まぁ、私の台所じゃあり得ないラインナップだったってだけだし。もっとも――」
 そう言いながら、魔理沙はベッドサイドにトレイを置いた。その上にはシチュー皿が載っている。
「無かったら無かったで他の手を考えるまでだからな」
 シチュー皿の中身は、湯気を立てたオートミールのミルク粥であった。
「……料理、できるのね
「和洋中、なんでも御座れだぜ」
 へへんと、笑ってみせる魔理沙。
「ひとつだけ、答えて」
「ん?」
「さっき私に薬を飲ませようとして、魔法の森のきのこ、使ったでしょ」
「……ああ」
「――不覚を取ったわ。この私が幻惑されるなんて」
「なんだ、気付いていたのか」
「誰に向かって言っているのよ」
「へいへい」
 生半可な返事を返す魔理沙。次いで、ベッドの上に身を乗り出し――、
「!?」
 先程のことを思い出して硬直するアリスにかまわず、額のタオルをのけて、自分の手を当てる。
「ふむ。熱はだいぶ下がったみたいだな」
「そ、そうね」
「起きられるか? なんだったら手伝うが」
「お、起きられるわよ」
 実際、先程だましだまし起き上がろうとした時より、ずっと楽になっている。アリスは肘をついて、ゆっくりと上半身を起こした。
「おし、じゃあ冷めないうちに食べてくれ。……なんだったらあーんしてやろうか?」
「……いただきます。――トレイごと貸して。アンタの手を借りて食事しましたなんて事が知られたら、幻想郷中の物笑いの種になるわ」
「へいへい」
 再び生半可な返事をして、魔理沙はトレイをアリスに渡した。そしてそのまま、帽子を被ってロッキングチェアを引っ張り出し、ポケットから豆本サイズの魔導書を引っ張り出し、読み始める。
「……ごちそうさま」
「――おう」
 程なくして食べ終えたアリスを見て、魔理沙は食器を片付けようとしたが……、
「いいわ。後は私がやる」
「そっか。――そんじゃま、そろそろお暇させて貰おうかな」
 そう言って軽く身支度を整え、部屋を出ようとする魔理沙に、
「待って」
 と、アリスは呼び止めた。
「いくつか、言っておく事があるわ」
「ん?」
「まず、玄関脇の戸棚に飾ってあるふたつ一組の指人形を一個持って行って。指にはめてから話しかければその声がもう一個の方へ伝わるわ」
「あー、つまり糸無し糸電話か」
「そんなところね。これがあればいつか借りが返せるわ」
「なるほど。アリスらしいぜ」
「次に、今後は私の許可なしに家の中できのこを使わないで。でないと私の人形達が害意のある薬品の散布と判断して自動的に攻撃してくるから。いい? 絶対だからね」
「へいへい。ほんじゃ、今度こそこれで。あんまり無理するなよ、アリス。治りかけが肝心だからな」
「そっちこそ。私が罹るような風邪なんだから、移らないよう注意しなさい。あと、最後にひとつ。……ありがとう。大分楽になったわ。それに、すごく美味しかった」
「――へいへい」
 口の端に浮かんだ笑みを、帽子の庇を下げて隠して。
 魔理沙は片手を挙げて、彼女はマーガトロイド邸を後にし、アリスはいつにない穏やかな貌で、それを見送った。



Fin.







あとがき



 アリスと魔理沙でした。
 えー、私が書くSSでは、風邪ネタは都合四回目ですね。さっき数えたので間違いありませんw。五回目は内容に気を付けようと思います。(といってまたやりそうだ;)
 さてさて、アリスと魔理沙です。東方で私が好きなペアつうと、このふたりになります。
 特にアリスがいいですね。なんというかこう、意地っ張りそうなところがw。
 さて、次回は東方萃夢想から、あの人にお越し願います。うお、そう書いたらひとりしか該当しないなぁ。

追記:失礼しました。数え直したら今回で五回目でした。わっはっは;


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