超警告。CLANNADの隠しシナリオをクリアしていない人は
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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。
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ガンガンスクロールさせてください。
とても仲の良い、家族なんです。
夕暮れ。すべてがオレンジ色に包まれた世界。
わたしは、あの人と歩いている。
ふたりの手には、同じ重さに等分した夕飯の材料。そう、夕飯の買い出しの帰りである。
ニコニコ顔のあの人に対し、わたしは少し眉根を寄せて歩いている。というのも、先程商店街でショッキングな出来事があったからだ。
「やっぱり変よ……」
「……何がですか? しおちゃん」
思わず漏れたわたしの呟きに、あの人が反応する。
「そうよ、絶対変よ! なんで本物の十七歳が、三十いくつより年上に見られなきゃいけないの!?」
そんなわたしの剣幕など、何処吹く風とばかりにあの人は受け流して、
「若く見られるのは、良いことだと思います」
「……それ、自分のことでしょ」
「――えへへ」
「まったくもう……」
妹さんと呼ばれたのがよっぽど嬉しかったのだろうか、
あの人は、ずっとニコニコと笑っていた。
本当に嬉しそうに笑っていた。
思わず、わたしもつられてしまうくらい――。
なんて、幸せな風景。
「あー……」
ひとり、布団の上でわたしは呟いた。
おとーさんは、まだ寝ている。
平日の朝練で早めに起きてしまう習慣のため、こういったことはよくあるのだが、今朝は都合がよかった。
きっと、今のわたしはろくな顔をしていない。
『Please, say hello to ...』
「別に普段着でもいいんだぞ」
腕を組んでおとーさんがそう言う。
「うん。わかってはいるんだけど。……でもね」
リボンを結びながら、わたしはそう答えた。
「ま、汐の好きにすればいいけどな」
わたしは、学校の制服を着込んでいた。
対しておとーさんは、いつもの格好。ただし、普段から愛用しているジーパンではなくて、スラックスだ。
なんだかんだ言って、おあいこだと思う。
「ああ、なあ。汐」
「なに?」
「これ、着けていってくれないか」
そう言っておとーさんが手渡したのは、ふたつ一組の、赤い髪留めだった。
「なんか、古いわね」
手の上でその感触を確かめながら、わたし。
「ああ、なんたって――渚のものだったからな。だけど、今日からはお前のものだ」
「……いいの? わたし、なにかと荒事が多いけど」
壊したら、申し訳ない気がしてそう言ったのだが、
「わっはっは。残念だが俺の知り合い達に比べれば、汐はまだまだ可愛いもんだ」
と、一蹴されてしまった。
「それなら……うん、ありがとう。大事に使うね」
「あぁ」
わたしは早速、それを着けようとする。ん……。
「ねぇ、あの人はどうやって着けていたの?」
「ああ、頭の横辺りに――こう、ふたつ一緒にな」
そう言って、自分の右耳の上辺りをツンツンとつつく。
「ん、わかった」
「揃えるのか? でもお前の髪長いからちょっと似合わないぞ」
「そうでもないでしょ」
そう言って、わたしは普段流しっぱなしの髪をばさっと後ろに流すと、こめかみのすぐ下辺りにその赤い髪留めを着けた。
「ちょっとアレンジしちゃったけど、どう?」
そう言って、普段部活でやっている衣装合わせのように、くるっと一回転してみせる。おとーさんは、しばらく眺めた後。
「うん、似合う」
とだけ言い、しきりに頷きながら、
「汐は、やっぱり女の子なんだなぁ……」
と、ひどく今更なこと付け足してくれた。
「あー、おとーさん。今の発言に対して、どのような意図かご説明願いたいのですが」
腰に手を当てわたしが訊くと、
「いやほら、お前中学に上がるまで趣味が男の子のそれと変わらなかったからなあ」
そう言って、部屋の片隅に視線を移す。
そこには、だんご大家族のクッションを取り囲むように、機動戦士や戦う超ロボット生命体やデラックスな超合金が立ち並んでいた。言っておくが、数はそれほど多くはない。せいぜい片手で数えるほどだ。
特にお気に入りなのが、名前も知らない古い型のロボットで、これはわたしが一番最初に買ってもらったロボットを、わざわざおとーさんが買い直したものだった。それは今、だんご達を守るように彼ら(?)の前で静かに佇んでいる。
「お人形よりロボットがいいって言われた時は、正直どうしようかと思っていたが――ちゃんと、髪留めのアレンジとかできるし、やっぱ女の子なんだよなあ……」
「なんかものすごく納得できないんだけど……」
「まあ、気にするなっ。な?」
おとーさんの頬に汗が流れた。おそらく、わたしの目が吊り上がっていることに気付いたのだろう。
「「なっ――」」
家に訪れた春原のおじさまと芽衣さんの最初の声が、それだった。
特に芽衣さんの方はかなりショックだったらしい。わたしを見てそのまま固まっていている。
「岡崎、その、汐ちゃんの髪留めって、もしかして――」
「……ああ、元、渚のだよ。今は汐のだけどな」
「……ちゃんと持ってたんだ、お前」
「当たり前だ」
ぶっきらぼうに言う、おとーさん。
「でも、なんだって今更――」
「ごめんなさいっ!」
おとーさんに何か言おうとした春原のおじさまの声は、芽衣さんの声でかき消された。でもそれは、おとーさんでも春原のおじさまでもなく、わたしに向けられたものだったのだけれども。
「あの、芽衣さ――わ!?」
そして、次の瞬間にわたしは抱きつかれていた。
「……一瞬、本当に渚さんと思ってしまいました」
「……え?」
「だから、ごめんなさい。汐さんは汐さんですよね」
そう言って、芽衣さんはわたしから離れる。
「ちょっと、思い出しちゃったんです。渚さんと一緒に過ごした時のことを」
「……あ、その話初耳です。少し教えていただけませんか?」
わたしがそう訊くと、芽衣さんは「そう長い話じゃないですけど」と前置きした後、懐かしそうに、
「そこの甲斐性無しの様子を見にきた時、渚さんがしばらくの間泊めてくれたんです。その間、いろいろと話したり、パン屋さんのお手伝いをしたり……岡崎さんにいろいろと企み事をしたりしました」
甲斐性無しの部分で、抗議しようとした春原のおじさまと、それを押さえ付けているおとーさんを横目で捕らえながら、わたしは訊く。
「企み事?」
「企み事です」
そう言って、芽衣さんは楽しそうに、
「あのシナモンロール作戦は面白かったなぁ……ね? 岡崎さん?」
うえおっほん! と、わざとらしく咳払いするおとーさん。わたしは、その話を一度おとーさんから聞いたことがあったので(確か、『ナルシスト作戦外伝』と言っていた。今、その外伝の意味がわかったわけだ)、
「今度、わたしと組んでみます? 企み事」
と言ってにやりと笑ってみせる。芽衣さんは、そんなわたしに一瞬キョトンとしたが、すぐさま同じ笑みを浮かべて、
「いいですね。今度やりましょう。――とびっきりのネタで」
と言ってくれた。
「あのさ、芽衣ちゃん。仕掛けられる当の本人の目の前で、そういうのはやめないかな?」
苦笑しつつ、そう言うおとーさんに、わたしと芽衣さんは思わず吹き出してしまう。
「――なに? 何がどうしちゃったわけ?」
「お前は知らなくていいからな」
「ひどっ!」
春原のおじさまは、一人蚊帳の外だった。
「ほんじゃ、行きますか!」
春原のおじさまを先頭に、おとーさん、芽衣さん、最後にわたしが続いて家を出る。
「手前にタクシー留めてあるんだ。用意周到でしょ? 僕」
少年のような顔で得意げそう言って、春原のおじさまはにかっと笑った。おとーさんは、それを認めるように頷いて、
「でも、お前助手席な」
「なんでっ!」
「後部座席に四人は狭くて無理だろ」
「じゃ、岡崎が前に座れよ」
「悪い、俺座席が広いと落ち着かないんだ」
「それ、さっきの言葉と矛盾してますよねぇ!? って言うかいいだろ、汐ちゃんの隣に座るくらい」
「やなこった」
「ひどっ!」
「ほら、おとーさん、春原のおじさま、置いていきますよー」
このままだとタクシーの前で延々と漫才を続けそうだったので、わたしが止めに入る。芽衣さんは芽衣さんで、すでに止めるのを諦めて、さっさと車に乗り込んでいた。……まぁ、わたしも無理だと思うんだけど。
「よし、ここは昔と同じくジャンケンで勝負だ、岡崎!」
「望むところだ――行くぞ春原っ。俺はグーを……出さない!」
「はっ、昔と同じグーを出すって言って――え? 出さない?」
「じゃーんけーん」
「え? え? え?」
混乱する春原のおじさま。
「ぽん!」
結果。春原のおじさま、パー。おとーさん、チョキ。
「ぐあーっ! またしても岡崎の心理作戦かぁああ!」
「それはどうでもいいから、お前助手席な」
と、おとーさん。
「今の、心理作戦だったんですか?」
わたしは、隣の芽衣さんに訊く。
「ええまあ、あの人にとっては……」
ため息交じりの困り顔で、芽衣さんはそう答えてくれた。
わたし達を乗せたタクシーは、町の外れに向かって走っていく。最初はふざけあっていたおとーさんと春原のおじさま、そしてそれを窘めていた芽衣さんも、次第に無口になっていった。わたしはわたしで、最初から黙って窓の外を見ている。行き先が、行き先だからだ。
今日は、あの人のお墓参り。
命日――そしてわたしの誕生日でもある――ではない。
出来る限りみんなの予定を合わせたため、今日になったという。
驚かせたかったのと、少し心配していたから(何をだろう?)との理由で、わたしはそれを前日になって知ったのだけれど。
今まで、お墓参りには何度か行っている。ときにはおとーさんと二人きりで、ときにはあっきーと早苗さんも加えて四人で。でも、みんなでというのは、今回が初めてだった。
おとーさんはたまたま思いついたと言っていたが、その後は綿密に計画を立てていたらしい。時折春原のおじさまに電話を入れていたのも、昨日春原のおじさまが直接家に来たのも、そのためだと思う。
そんなことを考えているうちに車は目的地である霊園に着いていた。
「すいません、駐車場の方に行ってもらえますか」
おとーさんが、タクシーの運転手にそう指示をする。
その駐車場でタクシーから降りると、そこには原付きの側に立っている懐かしい人が待っていた。
藤林杏先生。わたしが幼稚園でお世話になった人だ。
「ハーイ、お久しぶり」
「おう」
片手を挙げて声をかける藤林先生と、同じポーズで応えるおとーさん。
「お久しぶりです。藤林先生」
「はい、お久しぶり。――うわ、汐ちゃん、綺麗になったわねー」
「……ど、どうも」
少し照れくさい。
「お久しぶりです」
「わ! 芽衣ちゃんも綺麗になっちゃって……彼氏でもできた?」
「ご、ご想像にお任せします……」
赤面している芽衣さん。もしかしたら、いるのかもしれない。
「やぁ」
最後に、春原のおじさまが声をかけた。
「――あんたは変わらないわね」
「久々だってのにキツイっすねえ!」
「進歩が見られないのよ。大体、童顔だってのに顎髭なんて生やしても似合わないだけじゃない。自覚しなさいよ、自覚」
「え……、そう?」
助けを求めるかのように、おとーさんへ視線を向ける春原のおじさまだったが、おとーさんは情け容赦なく、
「どっちかというと剃ったほうがいいな。ダサイぞ」
「め、芽衣……」
「すぐに剃って。できればだけど」
「う、汐ちゃんは!?」
「おじさまは童顔だから、似合ってないとは思います」
「えぇ!? ナウなヤングの汐ちゃんも同意見!?」
「それ、もう死語だからな」
「それ、もう死語ですよ」
「それ、もう死語だから」
「それ、もう死語だって知らなかったの?」
「うぅ、ヒドイ……」
おとーさん、わたし、芽衣さん、そして藤林先生とコンボを食らって、いじける春原のおじさま。
「まあ、顎髭はどーでもいいから行きましょ――ああ、椋は後から来るって」
「わかった。って場所教えたっけか」
「もちろん知らないから、ちゃんと案内してね」
「へいへい」
片目を瞑って、おとーさんは先頭を取って歩き始めた。
「それにしても、街の外れにあるのね」
と、生け垣で区切られた道を歩きながら藤林先生。
「そりゃま、土地の都合もあるだろうけど……てっきり、すぐ近くだと思っていたから」
「俺も最初はそう考えていた」
と、おとーさん。
「でもな、此処だと――」
景色が、開ける。
「街が一望できるんだよ」
そこは、一面がなだらかな丘になっていた。すごく広い坂と言えなくもない。おとーさんが、そこまで考えたのかどうかわからないけれど。
「なるほどね……」
と、藤林先生。
「うん、これなら――うん、いいんじゃないかな――」
そう言って、遠くに見えるもうひとつ丘――わたしの学校であり、藤林先生が通っていた学校でもある――を眺める。
「でも、いつの間にその……こっちに?」
と、春原のおじさま。
「元は、古河家の方にいたのを、俺が無理言って移してもらったんだ。だいぶ後になったけどな」
そう言って、振り返る。
「な、いいとこだろ?」
わたし達は、いっせいに頷いた。
「もう少し登ったところだ。行くぞ――って、先客がもう来ているな」
そう言いながら、手をかざし、目を細めるおとーさん。
見れば、見慣れたふたつの人影が、新しい花を供えている。
「おせーぞ、お前らっ」
あっきーと早苗さんだった。
丘の中腹にあるあの人のお墓は、昔から続く墓石型ではなくて、西洋風の記念碑型になっていた。特にメッセージはなく、ローマ字で書かれた姓名と、生没年。ただそれだけ。
だけれども、その前には、常に花が供えられていて、常に綺麗に掃除されていた。
「あそこですっ、汐ちゃんの匂いがしますっ」
背後で声がする。振り返ってみれば、ふぅさんと公子さん、それに芳野さんだった。
「すみません、遅れました」
と、おとーさんに謝る公子さん。
「いや、俺ら今来たところですから……まだ他の連中も来てないことですし、揃ったところではじめましょう――多分、すぐですから」
おとーさんの言ったことは、すぐさま的中する。
それから、次々と人が集まって来たからだ。
わたしがよく知っている人もいる。まったく面識の無い人もいる。
……こんなにも、たくさんの人が、おとーさんと、そしてあの人のために。
純粋に、すごいことだと思った。
「ほら、汐」
おとーさんが私を呼ぶ。
「最初の墓前報告、お前からな」
「う、うん」
わたしは、あの人のお墓の真正面に立つ。
……言葉が出ない。
わたしは、あの人の顔を覚えていない。
辛うじて、写真は残っているし、わたし達の家にも古河家にもあの人の痕跡は残っている。でも、それだけなのだ。
それらは、記録であって、記憶じゃない。
みんなの記憶にはあるかもしれないが、わたしにあるのは記録なのだ。
……だから、言葉が出なかった。
代わりに、わたしは黙祷する。
何か、せめて思っていることを伝えようとしたのだけれども……やっぱりうまく行かなかった。
顔を上げたわたしに呼応するように、おとーさんが一歩前に進む。そして、あの人の墓前に立つと、静かに膝を折って頭を垂れた。
「……聞いてくれよ、渚」
小さい声だったが、それでもよく聞こえる、おとーさんの声。
「何の節目って訳でも無いけどさ。お前を知っているやつら全員に声をかけてみたんだ。よかったらあいつの墓参りにこないかって。そうしたらさ、ほら、見えるだろ? みんな来てくれたんだ」
藤林先生が、急にそっぽを向いた。
「すごいよな。仕事とか留学で、地球の裏側にいたやつらだってちゃんと来てくれたんだ。無理しなくていいって言ったのにさ……みんな、ちゃんとお前を覚えてくれているんだ」
そして、おとーさんはにっこりと笑って、
「やっぱお前ってすげーやつだよ」
早苗さんと公子さんが、そっと目の端を拭う。
「みんな元気にやってる。何をやっていたかは、それぞれから聞いてくれ」
そう言って、おとーさんはそっと立ち上がった。
「次は?」
「俺と早苗だ。異存はないな?」
「もちろん」
進み行くあっきーに対し、おとーさんは一歩右にずれる。
あっきーは、おとーさんに片手で感謝の意を示すと、にっと笑って大きく息を吸い込み、
「渚――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
遠くにいた、他のお墓をお参りに来ていた人を思わず振り向かせるくらいの大音声で叫んだ。
「汐が夢を叶えたぞっ! 演劇部の主演女優だっ! 俺と、お前と、自分とで一気に三人分の夢を叶えやがった! 吃驚したかっ!」
声も嗄れよとばかりに続けるあっきー。まるで、何処までも遠くにいる人に届けとばかりに。
「だから安心してやがれっ! 間違っても化けて出てくんなっ! 小僧も言っているようにこっちは元気にやっているからなっ! 以上!」
そう言って、一回だけ肩で大きく息を付く。
「けっ、俺も齢食ったな。涙腺が緩んでら」
そう言って、あっきーは目尻を指で弾いた。
何も言わず静かに頭を垂れていた早苗さんが、そっとあっきーの腕を取る。
その後、藤林先生は、わたしの幼稚園時代の話をし、ふぅさんは最新作のヒトデを墓前に添え、春原のおじさまはおとーさんの恥ずかしい過去をばらそうとしておとーさんに蹴られ、芽衣さんは先程話してくれた、古河パンで一緒に仕事した時のこと話した。さらに続いて、他の人から話が飛び出していく。
話題が、途切れもしなければ重なりもしない。それだけいろいろな接点で、此処にいる人達と、あの人がつながっていたことが実感できる。
本当に、すごい人だったんだろう。わたしも実感できたらよかった。
最後に再び、おとーさんが墓前に立つ。
「……とまあ、そんな感じだな」
今度は、立ったままでおとーさんは続ける。
「そっちの様子がサッパリなのが残念だけどさ、あれから十七年だ。もういい加減慣れているよな?」
太陽が、中点にさしかかった。今まで吹いていた風が急に止まる。
「そうだよな? 渚……」
後は、誰も何も言わず、静かに頭を下げるだけだった。最後に残ったわたしも、同じように目を閉じようとした時、
ふと、視線を感じた。
顔を上げ、視線の源である丘の上を眺める。
――居た。
その、旧い制服ですぐにわかった。
わたしが視線を返したことに、気付いたらしい。すぐ側にある木に、隠れる。
――まったく、何をやっているんだか。
わたしは、みんなから離れると、ゆっくりと歩き始めた。
■ ■ ■
ふと顔を上げると、汐が居なかった。
「……おい、誰か汐を見なかったか?」
「え……あれ、本当だ。何処行ったんだろ」
杏がきょろきょろと辺りを見回す。
事態はすぐさま全員に知れ渡って、それぞれが確認をするが、汐の姿は何処にもない。
仕方なく、手分けして探そうと言おうとしたとき、誰かが俺の服の裾を引っ張った。
「風子、知っています」
「お。さすが汐の親友だな。で、何処に行ったんだ?」
「汐ちゃんと同じ匂いのする人のところです」
「――なに?」
「ふぅちゃん、もっと詳しく」
汐と並ぶ風子デコーダーである、公子さんが訊く。
「風子だって、良くは知りません」
憮然と続ける。
「でも、汐ちゃんと良く似ている人です」
■ ■ ■
その場所は、思ったより遠かった。
「ふぅ……」
木に片手を付きながら、わたしは息をつく。後ろにあるのはまごついた気配。わたしは鋭く息を吸った。
「磯貝さん、そこにいるでしょ」
「……はい」
「何で隠れたの?」
「ええと……それは……」
「ルール違反ってやつ?」
「そうなります……」
そう言いながら、あの人はわたしの前に立った。
磯貝さん。前に、学校へ続く坂で一度だけ出会った三年生。
「お久しぶりです。しおちゃん……」
「うん、お久しぶり」
「元気でしたか?」
「うん、元気元気。あり余っているくらいにね。そっちは?」
「あ、はい。おかげさまで」
「そう、良かった……」
会話が途切れる。同時に、風が動き出した。
「……ね」
「――はい?」
「本当は、あの時点で気付くべきだったのよね。わたし」
視線を逸らしがちだった磯貝さんが、ゆっくりと顔を上げた。
「それは……どういう意味でしょう」
「うん、よくわからないよね。私も上手く説明できない。……だからね、ゲームをしよう」
「ゲーム?」
「そう。あの坂で会った時、わたし磯貝さんの名字しか聞けなかったでしょ」
「はい」
「だから名前の当てっこしようと思って」
「面白そうです」
「一方的でちょっと悪い気もするけどね。わたし、フルネームで名乗っちゃったから」
「わたしは平気です」
「ありがと、じゃあ、始めるわね」
「はい」
内心、覚悟を決める。外れる可能性が高い。今まで生きてきた中でこういったことは初めてだ。それでも、わたしには確固たる予感があった。それを信じて、はっきりと言葉を紡ぐ。
「渚」
「…………」
磯貝さんは、すぐには答えてくれなかった。
「で、合ってる? 間違ってる?」
「……しおちゃん、すごいです。一発で当てました」
――やっぱり、そうだったんだ。
「じゃあ、次は名字ね」
「!? あの、わたしの……」
「うーん、理由はわからないんだけど、わたしの岡崎レーダーがビンビン反応しているのよね……磯貝は、本当の名字じゃ無いって」
「…………」
「で、本当は岡崎。その年であり得ないけど、もしあるとすれば旧姓は古河だと思うんだけど」
「…………」
「で、合ってる? 間違ってる?」
磯貝さんは即答せず、穏やかに笑って、
静かに首を振った。
「答え、られない?」」
「ルール違反ですから」
「ルール違反――ね」
ため息を付く。この人、頑固だ。頑固だ頑固だって聞いていたけど、本当に頑固だ。
「じゃあ、話だけでも、聞いていかない?」
「はい。聞いていきます」
再び、風が止まった。
■
小学校に入ったばかりの時、図工の授業で宿題が出た。
課題は、『お母さんの顔』
描けなかった。
そのことをおとーさんに相談すると、何も言わずポンとわたしの頭に手を置いて、
おもむろに脱ぎ始めた。
「さあ汐、ありのままのおとーさんを描くがいい!」
描くのは顔だけだよとわたしがいうと、おとなしく服を着て、今度はどこからか取り出したバラの花を一輪、口にくわえた。
わたしは笑いながらそれを描いて、『たいへんよくできました』を貰った。
はじめておとーさんの仕事を見たのは、それからすぐ。
学校の帰り道、頭上から『汐ー』と呼ばれて見上げたら、おとーさんが街灯にしがみついていた(ように見えた)。
最初は何をしているのかさっぱりわからなかったけど、最後に点灯テストをしているのを見て気付いた。ああ、街灯を直していたんだって。
わたしのおとーさんは、街を直す人。
とても、誇らしい気分になれた。
小学校のときは、大変なこともあった。
名前のこととかでいじめられ、泣くのを我慢していると、決まってサングラスをかけた電気工とパン屋が乱入するからだ。
「「汐をいじめるんじゃねぇ!」」
と言って、大人気ない二人は大抵クラスの男子全員と乱闘となり、先生が来そうになると、
「オッサン、汐の担任が来るぞっ」
「よし撤退だ! 貴様ら、バイバイプー!」
と叫んだ後、二人そろって
「発動、早苗(さん)の黄粉パンVer3.0!」
と叫んで煙幕を張り、逃げて行くのだった。
……多分、余計なことを言っているとは、露にも思っていないのだろう。
それが凄まじく恥ずかしかったため、わたしはひとりで対処するよう努力したし、クラスの女子が助けてもくれた。
要するに、簡単には泣かなくなった。
中学の時まで、わたしには遅刻対策用の秘密兵器があった。
藤林先生の飼っている、猪のボタンである。
私が急いで登校していると、決まって幼稚園から声をかけて、ボタンの背中に乗って行けと言うのだった。
実はこれ、下手な原付きよりずっと速く、ボタンに乗って登校した時は、絶対に遅刻しなかった。――ただし、クラスメイトに見つかって、しばらくの間もののけ姫と呼ばれるようになったけど。
高校に入ってからはボタンには乗っていない。朝練に出るようになって遅刻しなくなったことと……さすがにもう重いかな? って思ったからだ。でも、ボタンはときどきわたしを乗せたがるので、休日会った時には乗せて貰っている。
ついこの間、美術の先生が産休でお休みを取ることになった。
代わりに来たのは、私の親友だった。なんでも、お姉さんが昔ここで美術を教えていたという。
その、最初の授業で、何かいやな予感がしていたら、案の定木の塊を全員に配って、
「最初の課題です」
と、もったいぶった後、
「ヒトデを彫りましょう」
わたしひとりを残して、教室中がズッコケた。そのひとは、ヒトデがとても大好きな人で、始終ヒトデの彫り物を彫っている人なのである。
でも、授業そのものは面白かったし、普段からは信じられないくらいしっかりしていた。 ただし、自由課題などでヒトデを題材に選ぶと、無条件で満点にしてしまう悪い癖があったけど。
そんなこんなで、わたしはここまでやってきた。
最初、私の周りにいたのは、あっきーと早苗さんだけだった。
次に、おとーさん。
さらに、幼稚園で面倒を見てくれた藤林先生、ふぅさん――さっき言った私の親友――、幼稚園のみんな、小、中、高のクラスメイト、部活動の仲間、春原のおじさまや芽衣さんなど、おとーさんの友達。芳野さんをはじめとするおとーさんの仕事仲間――。
わたしの世界はどんどん広がっていった。
わたしを繋ぐ輪はどんどん大きくなっていった。
それらは、わたしに欠けているものを埋めるのには、十分なものだった。
勿体ないくらい、十分すぎるものだった。
■
「……でもね」
「――はい」
「それでも、わたしは訊かずにはいられなかった。欠けているものがなんだかわかっていたから、わたしはそれを知っている人と会う機会があったら片っ端から訊いていった……今だってね、もしそれを知っている人がいて、わたしに教えてくれるというのなら、わたしはきっと何処までも行っちゃうと思うんだ」
「しおちゃんなら、出来ると思います」
「ありがとう」
わたしは、そこで大きく息を付いた。磯貝さんから視線を離し、木にもたれかかる。
「……しおちゃん」
「なに?」
「あの坂で、ひとつだけ訊けなかった事があるんです。それを今、訊いていいですか?」
「……うん」
背後で、磯貝さんが深呼吸する気配がした。
「お母さんのこと、好きですか?」
「――あったりまえじゃないっ!」
勢いを付けて、振り返る。
「わたしを必死になって生んでくれた母親が、嫌いなわけないでしょ! ちがう!?」
「…………」
その人は、何も言わなかった。ただただ、申し訳なさそうな顔でわたしを見ている。
「――ごめん、ちょっと感情的になり過ぎた」
目頭が熱くなるのを、奥歯をしっかりと噛んで堪える。
「いえ……しおちゃんは、やっぱり強い子です」
そう言って、その人は、ちょこっとだけ背伸びをして、わたしの頭に手を置いてくれた。
「……昔、ずっとずっと昔、ある人にこうして貰ったことがあるんです」
「……うん」
「すごく落ち着きました。それを、その人は知っているのかいないのかは、そのときはわかりませんでしたけど、わたしが駄目になりそうなとき、決まってわたしの頭に手を置いてくれました。……しおちゃんは、どうですか?」
「うん……ありがと。落ち着けた」
「よかったです」
そう言ってあの人は笑った。
本当に嬉しそうに笑った。
思わず、わたしもつられてしまうくらい――。
あぁ、なんて――、
「あのね」
「はい」
「あのね、わたしにも、ルールがあるんだ」
「――どんなルールですか?」
「人前で絶対泣かないこと。どうしても泣く時は、トイレかおとーさんの胸。これでもね、十七年間守ってきたんだ」
「…………」
「……だから、だから本当は、『ルール違反』なんだけど」
「…………」
「泣いて、いい?」
「…………いいですよ、しおちゃん」
わたしは、地を蹴った。一気にその人の胸に飛び込む。
わたしより背が低くて、ずっと細いのに、わたしはしっかりと抱きとめられた。
一歩も引かず、わたしを抱きしめてくれた。
そう、この人は強い人なのだ。
なんといっても、わたしの母親なのだから。
その強さで、わたしを生んでくれた、すごくすごく強い人。
わたしはその身をもって、その人の強さを証明しているのだ。
わたしは、叫ぶ。
――お母さん、ありがとう。わたしを生んでくれてありがとう――
帰ってきたその声は、何処までも優しかった。
――わたしこそ、ありがとうです。強く、強く育ってくれて――
■ ■
その後のことは良く覚えていない。ただ、ずっとお母さんに髪をなでてもらっていた記憶はある。
気が付けば、わたしひとりだった。
陽は少ししか動いていない。あまり時間は経っていなかったらしい。
「こんなところにいたのか、汐」
背後からは、おとーさんの声。
わたしは、ゆっくりと振り返って、深く頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……なにがあった? 風子曰く、お前に似ているやつに会いに行ったみたいだが」
「うん、そんな感じ。――途中で抜け出して、本当にごめんなさい」
もう一度、深く頭を下げる。
「……汐、他の日ならともかく、今日がどういう日かわかって――本当に、何があったんだ?」
「……え?」
わたしは、顔を上げる。見れば、おとーさんは不思議そうな顔で、わたしをみていた。
「ど、どうしたの?」
「……いや」
おとーさんは、それ以上何も言わず、ポケットから携帯電話を取り出すと、誰かを呼びだして、「汐を見つけた。みんなを渚の所まで集めてくれ」とだけ言ってすぐに切った。
「……あの、おとーさん……」
「――ああ、もう怒ってない。安心しろ。……俺はただ、汐の雰囲気が変わったような気がして驚いただけだから。行くぞ」
「う、うん」
わたし達は、丘を下りはじめる。目指す場所は、お母さんのお墓。そこにはすでに、ちらほらと人が集まりはじめていた。
「みんなで探していたんだ。あとでちゃんと謝れよ」
「うん……」
「――それと、これから全員で呑みに行こうって、話があるんだが、どうだ?」
「もちろん行く」
「……無論、お前は酒なしだからな」
「も、もちろん」
「――いつの間にかコップやジョッキがなくなっていたり、逆にひとつ増えているってのもなしだぞ」
う、もしかして、家でのことを気付かれてる?
「ま、いいや。久々に大人数で集まったんだパーッとやるぞ。パーッと」
「うん!」
わたし達は、丘を降りる足を速める。
その途中で、ふと、わたしは振り返った。視線の先は、あの木のそば。
もちろん、誰もいないのだけれど。
さようなら。また、いつか。
わたしは口の中で呟いて、前を向いた。
お母さんのお墓の前には、既にほとんどの人が集まっていた。中には、手を振っている人もいる。
わたしは、同じように手を振ってそれに応えた。
Fin.
あとがきはこちら
とても仲の良い、家族なんです。
あとがき
○十七歳、再会編でした。誰と再会したのかは……いやまあここでは書かないでおきます。
本体、伝えられない想いを伝えることが出来て、○に微妙な変化があったことに気付いていただけたら、幸いです。……あぁ、こういう書き方はちょっと苦手かな;
さて、次回ですが、――そうです。ここで終わりでなくて、もう一話だけ。そこで一区切りにしようかと思います。