放課後、その日日直だった私が職員室に日誌を届けた帰り、一年後輩の上月澪を見かけた。下駄箱から校庭に向かって、手頃な石を蹴りながらとぼとぼと歩いている彼女は――普段見せる明るさをすべて捨て去ったかのように、酷く寂しそうに見えた。

 空が底抜けに深い、秋のことである。



『天井知らずの、空』




 大変悔しいことに、私は澪との出会いを覚えていない。
 誰かに紹介された覚えがあるだけで、後はハッキリしない。気が付けば、時折自分の学校を抜け出して来る詩子と意気投合していたのである。三人で、いろいろなことをしたのは覚えている。特に彼女は演劇部だから、その手伝い(と言えるほどのものではないが)をしたことも良く覚えている。けれども、澪との出会いを覚えていない。彼女を私に紹介したのが誰か――女子だったか、男子だったかすら思い出せない。
 ……それは、いつの間にか訪れる秋と似ている。
 残暑というものは、ある日ぷっつりと絶えるものだと、私は思っている。いや、思うというよりも、それは感覚的なものとして、私に記録されていると言ってもいい。但し、記憶となると途端に曖昧になる。何月の何日から秋になった――というのは全て朧気になり、冷たい風に襟元を合わせたとき初めて、秋の真中に居ることに気付くのである。

 何かを、忘れていないだろうか。

 私は、この思考に陥る度に一種の恐慌に襲われる。
 私は、誰かを忘れていないだろうか。あのとき、何もかもを忘れた周囲に深い憤りを覚えた私が、今度は何かを忘れていはしないか。
 もしそうであるのならば、私は強く非難される立場にいないか。澪に、彼女に何度叩かれようと文句を言えないのではないか。
 ――もちろん、そんなことはないのだけれど。
 忘れた側に、思い出せと言われて思い出してくれれば苦労しない。そもそも、忘れたのは本人達のせいでなく、忘れられた側にあるのである。
 ただ、もう二度と周囲の人を忘れたくないと思っていた私には、些か癪なだけなのだ。



 石を蹴る微かな音に、我に返った。
 澪は、未だ石を蹴りながら歩いている。
「澪」
 いきなり声をかけられるとは思っていなかったのだろう。全身の毛を逆立てた猫みたいに身体を震わせた澪は、思い切り石を蹴飛ばしてしまった。石は私が思っていた以上に飛んでいき、校門に「ガン」と当たる。
「今、帰りですか?」
 少々派手な音に、周囲の生徒が澪を見つめる中、私はそれらを一切無視したかのように彼女に話しかけた。おろおろしていた澪も、どうにかしてそれに習い、こくと頷く。
「部活、今日は無いんですか?」
 はっきりと頷く澪。彼女の場合、曖昧な表現というのは、そのまま自分の意志に直結されてしまうことを、彼女自身が知っている。だから、いつも通りのオーバーアクション気味の動作で、彼女はスケッチブックを掲げてみせた。
『今日はお休みなの』
 私も、深く頷いて答える。
「それじゃ、何処か寄っていきませんか?」
 ぶんぶんと頷く澪。心なしか、紅潮している。
「澪は、何処か寄りたいところありますか?」
 待ってましたとばかりに、スケッチブックにサインペンを走らせる澪。見ていればわかるが、彼女は書くのが速いし、誤字も見受けられない。将来、速記官などをやってみると、良いのかも知れない。と、サインペンのキャップを閉じて、澪は再びスケッチブックを掲げた。
『あのね、お寿司がいいの』
「……高校生の財布の中身をもうちょっと考えてください」
 すると澪はページをめくって、
『冗談なの』
 どうも先を読んでいたらしい。文末には、可愛らしい記号が描いてあった。
「では、山葉堂にしましょう」
 再びはっきりと頷く澪。ややあって、心配そうに訊く。
『あの、詩子さんは?』
「商店街に着く前にひょっこり現れるでしょう」
 これには100%自信がある。
「では、行きましょうか」
『ワッフルなの』
 にっこりと笑う彼女に、先程まであった陰は微塵も見えない。それを私はうれしく思う。

 おそらく、澪はきっと、私を紹介してくれた誰かを覚えているに違いない。
 彼女が覚えている以上、その誰かはきっと戻ってくる……のだと思う。
 戻ってくるといい。本当にそう思う。

 私と澪は、そろって校門をくぐり抜けた。


 空がどこまでも高い、秋のことである。



Fin.






あとがき


 えー、ファイル名をごらんになればおわかりになるかと思いますが、私が書いた単発SSが通算30本となりました。良くここまで書いたもんだと、自分でも思っています。

 さて、だいぶ恒例っぽくなった、季節の変わり目のONESS、春が長森、夏が茜ときて、秋は澪となりました。もっとも、視点が茜なんで、澪よりたくさん出ているってのは秘密ですw。
 劇中ではともかく、原作では澪は一年間、浩平が消えたこと、そしてそれによりうけた傷を周囲には見せませんでした。また、別離のシーンを見ていただければわかりますが、彼女のみ、浩平と向き合っています。(もっとも、ほかのヒロインの場合は浩平が遠ざけた面もありますが……)
 そう言う意味で、澪はかなり芯の強い子なんじゃないでしょうか。

 さてさて、次回のONESSですが、七瀬か澪で軽い話を一発やろうかなーと思っています。ちょっと最近色々あるので、すこし時間がかかりそうですが……。

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