意外なことかもしれないが、里村茜の家には、良く泊まり客が来る。
 月に一度ほど、大荷物を担いで学年が1年下の上月澪が、同じくらいのペースで、ごく普通の軽装でクラスメイトの長森瑞佳と七瀬留美が、さらに同じペースで、「人肌が恋すぃー!」とかいって折原浩平が泊まりに来る(彼は叔母と暮らしているのだが、その叔母が多忙のため、実質一人暮らし状態なのだ)。
 まあ、月に3〜4回というとそれなりに多い方だが、茜の家の場合にはさらに続きがある。
 ほぼ毎週1回、幼馴染みの柚木詩子が泊まりに来るのだ。
 荷物の大小は様々で、ハンドバックひとつの時もあれば、これからヒマラヤを征服するのかと思わんばかりの巨大なリュックサックを背負ってやってくるときもある(中にササニシキ10キログラムの袋とかがあって、驚いたものだ)。
 しかも泊まりとなると相手は大抵、休日の間か、休日の前日に訪れたりするのだが、詩子の場合は平日だろうが何だろうがお構いなしである。それは別に構わないのだが。
 ただ、目が覚めたときにヒゲ眼鏡をかけていたり、パジャマが取っ替えっこになっていたりするのはどうにかして欲しいと思う。
 もっとも、そういったことをする場合、詩子の荷物は大抵大仰なものになっているので、こちらはじっと見つめて、寝てる間に、変なことしないでくださいと言っておくことにしている。それで止んだりすることはあまりないのであるが。


 だから、その日、詩子が泊まりに来たとき。彼女がいつも使っているダッフルバックひとつだったことに、茜は安堵したのである。



『里村茜1割増』



 茜は朝に弱い。
 それは、時間通りに起きられないとかそういうものではなくて、ただ意識が覚醒するのに時間が掛かるというだけのことであるが、目が覚めてからしばらくの間は、後になって思い出そうにもあまりうまく思い出せない。また、複雑なことしようとすると大抵失敗してしまうのでそこ辺りもよくよく注意している。
 だから、朝の着替えは勉強机の椅子の背もたれに、いつも畳んでおいておくことにしている。少し皺が付くことがあるが、以前のように制服の夏服と冬服を間違えるということがないので、別に気にしてはない。
 そんな訳で、お気に入りの白い目覚まし時計から、古風なベルの音を模した電子音で目が覚めた茜は、目を擦って、布団からのそりと起きあがると、そのままのそのそと顔を洗いに一旦部屋を出て、そしてのそのそと戻って、制服に着替え始めた。今日はまだ、平日である。
 詩子は、隣の布団でまだ寝ている。
 今、茜の部屋にはベッドがない。泊まり客が多いので、ベッドは随分前に片づけて、それからは床に直接布団を敷いているのである。そこにぴっちりと併せて敷いた布団の中で、詩子は起きる気配を見せずぐっすりと眠っている――ように見えるが、まもなく起きるだろう。彼女は、起きるときはスパッと起きて、寝るときにもスパッと寝る。はっきり言って、寝起きと寝付きの悪い茜にとっては至極うらやましい。
 パジャマを脱いで、上の下着を付けたところで、案の定詩子は目を覚ました。がばっと起きて、視線を一、二巡させたのち、スカートをはいている茜を見つけると、
「おはよー、茜」
 と言ってニカッと笑った。
「……おはようございます」
 制服の上を着込んで、机の上に置いておいたリボンを付けながら、挨拶を返す茜。ただ、やはりどこか上の空といった感じである。
「あー、うん。似合うね、それ」
「え?」
「あ、ごめ、こっちの話」
「……そうですか」
 なんだかよくわからない。よくわからないまま、靴下を掃き終わった茜は髪を結い始めた。これが、結構時間がかかる。いくら慣れているとはいえ、長さと量が半端じゃないのだ。そんな茜をしばらく眺めていた詩子だったが、ふと気付いたかのように手をぽんと合わせると、
「おっと、こっちも着替えなきゃ――のまえに顔洗わなきゃ」
 と言って、どたどたと部屋を出ていく。そして、茜が一本目のお下げを結い終わったと同時にどたどたと戻ってくると、実に豪快に、詩子はパジャマを脱ぎ捨てた。そしてそのまま、部屋の隅にに置いてあったダッフルバックを布団のそばまで引っ張ってきて、ごそごそと漁り始める。
「えーと、制服制服っと」
「詩子、制服探してからパジャマを脱いだ方が……見ている方が恥ずかしいです」
「そう?」
 タンクトップの下を切りつめて、身体にフィットさせたような下着を引っ張り出して手早く着込みながら、詩子が疑問符を浮かべる。
「そうです」
 もう一本を結い上げながら、茜は断言した。だんだんと意識が覚めてくる。
「朝ご飯、作るの手伝ってきます」
「はーい、いってらっしゃーい」
 片手でブラウスを引っ張り出しながら、もう片方の手をぱたぱたと振る詩子を後にして、茜は自分の部屋を出た。
 そして廊下を一歩歩いたとき、少し大きめに誂えてある制服が、今日に限ってぴったりしているように感じた――のだが、錯覚としてやり過ごしてしまったのである。



 通学路の途中で詩子と別れ、茜は校門をくぐり抜けた。そのまま何事もなく教室のドアをたどり着く。
「おはようございます」
「おはよー」
 自分の席で文庫を読んでいた留美が、即座に挨拶を返した。
「ほーらー、早く飲んじゃいなよー……あ、里村さん、おはよう」
 やや遅れて、浩平を急かしていた瑞佳が声をかけた。そして浩平はと言うとコーヒー牛乳の紙パックから伸びているストローを口にくわえている。おそらく、朝食を食べ損ねかけたのだろう。
「おはようございます。浩平」
「あー。お早うさんブフゥ!?」
「うわあ!?」
 茜に視線を移した途端、浩平の顔からコーヒー牛乳が炸裂した。ついでに隣にいる瑞佳にとばっちりがかかる。
「な、ど、どうしたのよ!?」
 慌てて留美が駆け寄ってくる。
「うー、ひどいよ、浩平」
 自分のハンカチで顔を拭く瑞佳。
「どうしたんです? 浩平」
 ハンカチを差し出しながら茜はそう訊いた。浩平は答えない。ただ、こちらの一点をじっと見つめて、
「あ、茜、お、おま、おまえ……」
「? 私の顔に何か付いてます?」
「いや、顔じゃなくて……」
 しどろもどろに視線をずらす浩平。
「あのさ、茜」
「はい」
「まっすぐ立って、自分のつま先見えるか?」
「え?」
 言われたまま、見てみる。
「……見えないです」
「だよな」
 ここで、留美が何かに気付いたらしい。茜を指さして、口をぱくぱくさせている。
「あのさ」
 そんな留美を無視して、言いにくそうに、浩平は続けた。
「茜、なんか胸でかいぞ」





 教室が、爆発した。





「うっわぁ、気付かなかったよ!」
「ちょちょっと、私よりでかくない!?」
「ありゃみさき先輩越えてるだろ。どうみても」
 車座になって論議を交わす瑞佳、留美、浩平。
 傍らでは男子一同が測量法による数値の割り出しを始めており、別の一角ではバストサイズ予想のトトカルチョが始まっている。
 そして爆発の中心点となった茜は、女子に揉みくちゃにされていた。
「ねえねえ里村さん! どうしたのそのバスト!」
「牛乳!? 長森さんと同じく牛乳なのやっぱり!?」
「そ、それともあれなの? か、彼氏にその」
「うそ、やだ、あの噂本当なの?」
「デマよデマ! 嘘に決まってんでしょ!」
「でも、でも」
「落ち着いてください!」
 朝方感じた違和感の正体――ひと回りおおきな自分の胸をぎゅっと押しつけて、茜が(大変珍しいことに)叫ぶが、誰も聞いちゃいない。
「測定結果でたぞー!」
 先程まで測定していた男子どもの主催、住井が叫ぶ。
「誤差プラマイ0.5で――88!」
「な、何だって〜〜〜!」
 一斉にMMR調で絶叫するクラスメイト一同。
「勝者、南!」
「いやっっほう!」
 トトカルチョの決着も付いたようである。
「でも、何で急にこうなったのよ。乙女のパワー?」
「んなもんあったら長森が大変なことになるぞ。これ以上増えたらどうなる。牛だぞ牛。英語で言うところのホルスタインだぞ!?」
「それ、英語じゃないよ浩平……」
「アレ違ったっけ? まあ、どっちにしろ本人に聞いてみないと……」
 そこでポンと浩平の肩をたたいた者が居た。
「原因に、思い当たりあります」
 浩平が首をギギギギギと、声がした方に向ける。そこには一度死んで無理矢理戻ってきましたといった感じの茜が居た。揉みくちゃにされたせいか、お下げが少しほつれていて余計に怖い。
「あの、茜さん。顔と声がすごく怖いんですけど。それと、人の肩つかむにしては、力入れすぎじゃないですか?」
 おそるおそるそう懇願(?)する浩平を完全に無視して、茜は視線を瑞佳と留美に向ける。
「二人とも、ちょっとこれを見てもらえますか? ――浩平には見えないようにして」
 すかさず、留美が目つぶしを喰らわせた。「目が、目がー!」と、転げ回る浩平を無視して茜はそっと制服の胸元を広げる。瑞佳と留美が興味津々でのぞき込み……、
「あ、これテレビで見たことあるよ」
「私は実物見たことあるわよ……」
 初めて見るといった感じの瑞佳に対し、げんなりした顔で留美が呟く。
「ど、どうしたの。長森さん、七瀬さん」
「秘訣がわかったの? 里村さんのバストアップの!?」
「牛乳!? やっぱり牛乳なのね!?」
「とてもどうしようもない、理由です」
 群がってきた女子に対し、そう斬って捨てる茜。そして、足音を消して教室の入り口……閉じたドアに向かい、一気に開ける。

「おお!?」

 そこには、中腰になって聴診器をドアに当てていた、詩子が居た。ゆっくりを茜を見上げ、その視線を受け止めて、電気が走ったかのように一瞬震える。
「ば、バレちゃったかな?」
「バレました」
 目だけが笑っている茜。ほかの部位は決して笑っていない。
「今、私の下着、持ってますよね」
「あ、ハイ。もちろんです」
「返してくれますよね」
「きょ、巨乳のままじゃ駄目ですか?」
「だ・め・で・す」
 そのときの茜の顔を、お前にも見せてやりたかったよ、繭。と昼休みに浩平は語ったのだが、それは置いておく。



『それで、怒られちゃったの』
「うん。学校に着くまでに気付くと思ったんだけどねえー。しばらくは一緒にお弁当食べないって」
『仕方ないの』
 そのまま自分の学校に帰るのもめんどくさかったので、詩子はそのまま学食に顔を出して……澪を見つけたわけである。
「ま、本当は単純にサイズ間違えただけなんだけどね。あたしと茜の」
『……お互い、貧乳のままでがんばろうなの』
 スケッチブックを膝に立てかけ、ガッツポーズをとる澪。
「でも、澪ちゃんは一年分余裕があるんだけどねー」
『えっへん』
 その通りとばかりに胸を張る澪。詩子は、そんな彼女に笑顔を向けて、特大のでこピンをお見舞いした。





Fin.






あとがき


 なんか、天啓らしきものをうけてそのまま書いてみました。パジャマ着た茜をジャンプさせたとき、『たゆんたゆん』ならいいんですが、『たるんたるん』は個人的に勘弁ですな。
 えー、次回こそは長森のはずです。二度あることは三度ある……をどうにか破らないとなあ。

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