そのミルキーなエメラルド色の布地が、折原浩平の目に留まった。
 鮮やかではない穏やかなパステルトーンのセパレートが、里村茜の薄い髪の色に合うと思ったのである。
 浩平は、その水着を――さすがに手で触るのはどうかと思ったのでハンガーごと――引っ張り出し、あちこちの角度から眺めてみる。間違いない。これならば彼女に良く似合うであろう。
「なぁ、茜。これなんかどうだ」
 納得したように頷いてから、浩平は少し離れたところにいた茜にそう声をかけた。
「浩平……」
 恥ずかしそうに俯いて、里村茜がつかつかと近付き、言う。
「それ、下着です」
「――なぬっ!?」



『里村茜の委託』



「いやーはっはっは、危なかった。あのままあのコーナーで物色していたら只の危ない人だったな」
 慌ててその水着改め下着を元の場所に戻し、隣接されていた下着のコーナーから元居た水着のコーナーに戻りながら、浩平はそう言った。茜が居なければ、そして誰かに見られていたならば、警備員を呼ばれていてもおかしくない所業である。
「止めるのと無視するのの、瀬戸際でした」
 と、茜。彼女は澄まし顔で冗談を言うこともあったが、今回はかなり本気のようであった。
 休日のデパート、女性用水着売場。今日の気温が高いせいか、それとも水着を選ぶ時期には少し遅いせいか、このコーナーには浩平達しか居ない。
「だから、私からはぐれないで下さいって言ったんです」
「ああうん、それについてはオレが悪かった。でもな、あの色使いどう見たって水着だろ?」
「それは否定しません。……最近は、ああいうカラーが主流のようですから」
 浩平の動きが、一瞬だけ止まる。
「――ってことは、茜も?」
「私は主流ではないですから」
 ぷいっと視線をずらして、茜。
 それ以上は言わなかったが、今日着けているのは親友の柚木詩子からもらった所謂勝負下着である。
 ちなみに、ある風の強い日に、しっかり浩平に見られている。故に、色や形状は説明する必要はない。というか今話す内容ではなかった。
「しかし、まさか今も成長を続けているとはな」
 腕組みをして、浩平。
「……なにがですか?」
 下着の話ではないようである。最初その件かと思っていた茜は、少々気恥ずかしかったのを内心で押さえ込んで、そう訊いた。
「いや、今の水着きついんだろ?」
「違います」
 きっぱりと、茜。
「じゃあ何でだ? 別に一年ごとに水着を変えるとかそう言う訳じゃないんだろうに」
「それはそうですが……今のは少し、子供っぽい気がしましたので」
 その今着ているというのは、ピンクのワンピースである。腰回りにパレオのようなフリルがある可愛らしいものであった。
「ううむ……オレはそうは思わんが……」
 レオタードにも見えるから二重でお得――いやいや、まぁ茜が変えたいんなら、いいか。と浩平。
「んで、茜はどう言うのにするつもりなんだ?」
「いえ、私だとどうしても子供っぽくなるので――浩平に、お任せします」
「……マジで?」
「……マジです」
 一瞬の、間があった。
「よっしゃ、まかしとけ!」
 自分の胸に不必要な強さで拳を打ちつけて、浩平。
「――けど、露出度が高いものは嫌です」
 はっきりと、そう釘を刺す茜。
「ま、まかしとけ?」
「疑問系にならないで下さい」
「ここはやっぱり、競泳か――」
「ですから、極度なハイレグは嫌です」
「甘いな、茜。今の競泳は太股やふくらはぎ、果ては踝まであるんだよ。たとえば、これ」
 浩平が指さしたのは、オリンピックの選手も着用する競技用のものであった。
「ここまで覆った方が、水はけ――いや、水の流れか? とにかくそれが良くなって、より速く泳げるようになるらしい」
「なんだか、きつそうです」
 透けてこそいなかったものの、着用させられているマネキンの細やかな造形までが浮き出ていることに眉根を寄せて、茜。
「良く気付いたな。これはひとりでは着られないから必ずサポートの人が必要なくらいきついらしい。まぁ、その分身体に密着して水泳に対する理想的なラインを出し、好成績を収められるのだそうだ」
「……密着、だけで選んでいませんか?」
「いや、着替えのサポートも手伝う気満々だが」
 臆面もなく、浩平。
「――どちらにしても、却下です」
 こちらも即断即決で棄却する茜であった。
「やっぱり?」
「第一、値札をよく見てみて下さい」
「――だよなー」
 そのお値段は、高校生には買うにしては高価なものであったのだ。
「んじゃ、ビキニはどうだ? やっぱ恥ずかしいか?」
 水着売場の中でも一際華やかなコーナーを指さして、浩平。
「それほど抵抗はないです」
「ヘソ出しはOKってことだな」
「だからって、人のお腹を凝視しないでください」
「ふむ?」
「お腹の上を凝視しないでください」
 浩平の視線の先から一歩横にずれて、茜。
「ふむ……」
「お腹の下を凝視しないでください」
 浩平の視線の先からさらに一歩横にずれて、茜。
「オレはお前の何処を見ればいいんだ、茜」
「凝視しなければ何処だって良いです」
 と、茜。
「難しいな」
「浩平が深く考え過ぎなんです」
 茜はにべも無い。
「んじゃ、ビキニでさっきの下着と同じようなのを……ぬぅ!?」
「どうかしましたか」
「いや、あれ――」
 浩平の指さす先にあったのは、飾り気のない白のビキニであった。
「……透けませんか?」
「透けるのがこんなところにある訳無いだろうが」
 技術の進歩に感嘆しろ、と浩平。
「それでもちょっと……不安です」
 一瞬目を閉じ、すぐに開けて茜はそう言う。おそらく、自分がそれを着た姿を想像したのであろう。
「んじゃいっそのこと、オレに見せるためだけに透ける奴買わないか?」
「……嫌、です」
 茜の言葉に少しだけ迷いがあることを浩平は聞き逃さなかったが、それ故に彼は赤面したのであった。



 ――数時間後。
「済まないな、時間がかかっちまって」
 デパートの一階にあったシアトル風のコーヒーショップで、シロップだけを入れたアイス・カフェ・アメリカーノの氷を手で揺らしながら、浩平はそう言った。
 要するに、茜の水着は未だ決まっていなかったのである。
「構いません。今日は一日中かけてもいいつもりですから」
トッピングとして店にある各種シロップ(ナッツ、メープル、蜂蜜、バニラ――エトセトラ、エトセトラ……)を全て投入したため、価格が2倍くらいになったアイス・キャラメルマキアートを口にしつつ、茜がそう答える(ついでにカップも一回り大きなものになっていた)。
「もしかして、かなり時間がかかるって、予想していたか?」
「――ある程度は」
 その、満足できる甘味に目を細めながら、茜。
「さすがは茜だな」
「もう短いつきあいではありませんから」
「そうか。じゃあ――なんで、オレなんだ?」
「……え?」
 意味がわからず、茜は聞き返す。
 目の前に居たのは、いまいち自信なさ気な……ひとりの男子であった。
「いやその……水着を選ぶのなら、別に長森や七瀬、それに柚木でも良かったんじゃないか――って思ってな」
 語尾をもごもごとさせながら、浩平はそう言った。
「そうかもしれませんが……」
 店のロゴが入った紙のタンブラーを置きながら、茜は言う。
「それでも、私は浩平と一緒に選びたかったんです」
 涼しげな茜の瞳が、浩平を見つめ優しく揺れる。
 ――それだけで、十分であった。
「そうか……なら、それでいいな」
 徐々に元の調子に戻りながら、浩平。
「はい」
「それじゃ、行くか」
 まだ結構あったアメリカーノを一気飲みして、浩平。
「わかりました」
 浩平を真似るように、茜も残り少ないキャラメル・マキアートを一気に空にする。
「……大丈夫か?」
「はい?」
「いや、今更だったな。よし、次行ってみよう! まずは紺色の全身タイツ風競泳水着をだな――」
「嫌です」
「では大胆に貝殻ブラの――」
「それも嫌です」
「それじゃスリングショッ――」
「真面目に選んで下さい。……でないと、本気で怒るんだから」
 それは端から見ると痴話喧嘩に近い言い合いをしているように見えたが、当人達を良く知る人物から見れば、結構楽しんでいるように見えたことであろう。
 なお、浩平が選び茜の合意を得られた水着は、黒のハイネックで赤いストライプの入った競泳風ワンピースであったという。



Fin.







あとがき



 ONE水着選び編でした。
今回の話のためにデパートの水着売場を覗いてみましたが、男性用女性用に限らず、色々な種類の水着があるものですね……。
 さて次回は……茜に何のコスプレをさせようかなw。


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