典型的な満員電車であった。
 何も、通勤時間帯、それもラッシュアワーに遭遇したわけはない。
 それとは真逆の、週末の昼前という如何にも空いているであろう時間帯を狙ったのである。
 狙ったのであるが――折原浩平と里村茜の乗った電車は、満員電車となっていた。



『里村茜の密着』



 元は、想定通りの人がまばらな乗車率であった。
 なので降りる駅はすぐの場所であるからと暢気に立っていたところ、次の駅で乗客が殺到したのである。
「なんなんだ、一体……」
 辟易とした様子で、乗降口とは反対の扉に押しやられた浩平が、そうぼやいた。
「近隣の路線が車両故障でストップしたみたいです」
 浩平と向かい合わせの位置で立っていた茜が、車内の電光掲示板を読みとって、そう答える。
「振り替え輸送でこうなっているんでしょ――」
 むぎゅ、と語尾が思わぬものになりながら、茜。
「……引き返すか?」
「……次の次の駅ですから。帰りは混んでいないでしょうし」
「わかった。んじゃ我慢しよう」
 普段電車に縁の無いふたりである。故に少々戸惑いながらも、そういうことになった。
「こんな満員電車で大丈夫か?」
「大丈夫です、問題ありませ――」
 今度は語尾がむきゅ、になる茜。
「大丈夫じゃ、無さそうだな」
「……慣れていませんから」
 両脚の位置を微妙に変えつつ、茜がそう答える。満員電車の揺れに合わせて乗客も動く場合、自分だけが揺れないようにするのには多少コツがいるのだが、どうにかそれを実践出来るように努力し――今のところ、上手くいっていないようであった。
「オレと入れ替わるか?」
「入れ替わるスペースがありません。それに、浩平に押されたら多分そのまま潰れます」
 と、今度は押しつぶされておかしな語尾にならずに、茜。
「そりゃまずいな。んじゃ、オレは引き続き壁となって茜を受け止めよう」
「受け止めなくて良いです。耐えられるようにしますから」
「そうは言ったってお前、こんだけの人に一気に押されたらひとたまりも――」
 今度は浩平が言いきる前に、その通りのことが起こった。
 電車が一際大きなカーブにさしかかり、車内の重心が一気に傾いたのである。
「……っ!」
 浩平にぶつかるまいとする茜であるが、重心が大きく傾いた満員電車の中ではまず無理なことである。
 現に浩平に自分の身体を押しつける格好になってしまったし、さらには背中に――、
 他人がぶつかる前に、とっさに浩平が自分の腕を茜の背中に回して庇ったので、茜は難を逃れたのであった。
「大丈夫か? 茜」
「――はい」
 浩平の胸の中で、茜。
「しばらくこうしていろ。もうちょいだから」
「……わかりました」
 声がくぐもっているのは浩平の胸に抱かれているからであろう。
「悪いな、こんな格好になって」
「いえ。……それよりも、こんなに――」
 ぽそっと呟く茜。
「ん?」
 浩平が聞き返すと、茜は遠慮がちに、
「こんなに、肩幅があるとは思いませんでした」
 浩平の胸板を手の平でそっと触れながら、そう言った。
「オレだって、こんなに背中が暖かいとは思わなかったぞ」
 密着している以上に、抱きしめる形になっていることに気付いて、多少顔を赤らめつつ、浩平。
「っていうかな、茜。なんでオレはこんな満員電車の中でドキドキしてなきゃならんのだ?」
「私に聞かないでください」
 衆人環視のど真ん中に居ることを思い出したのか、顔を赤くして茜がそう答える。
「だけど……」
 浩平の胸に顔を半分埋めるような状態のまま、視線をそらせて、茜。
「お互い、役得ということにしておきましょう」
「なるほど。それじゃ、そういうことにさせて貰おう」
 いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべて、浩平がそう頷く。



■ ■ ■



 こちらも、普通の買い物であった。
 同じく近くだからと暢気に立っていて、同じく暢気に立っていた二人組が顔見知りだと気付き声をかけようとしたところで、ラッシュに巻き込まれたのである。
「わっわっ――」
 電車の、それもラッシュ時にまるで乗り慣れていないのだろう。長森瑞佳が大きく体勢を崩しかけ――七瀬留美に助けられたのであった。
 ちなみに、留美の方は微動だにしていない。
「ありがとう、七瀬さん」
「どういたしまして。それより瑞佳、ちょっとだけ立ち位置変えて。こっちの方が楽だから」
「えっと、こうかな?」
「うん、それでいいわ」
 実はあまり変わらない。変わらないのであるが、立ち位置をちょっと変えることによって、瑞佳の視界からかすかに見える浩平と茜をシャットアウトする事に成功したのである。
「まったくもう、タイミング悪いったらありゃしないわ……」
 ラッシュにぶつかる前に、浩平と茜に気付かなくて良かったと、つくづく思う留美である。
「どこかの路線が止まっちゃったせいみたいだけど、すごいよね」
 と、屈託のない貌で瑞佳がそう言う。
「あ。ううん、それもあるけどね、すんごく仲睦まじいカップルが居たからちょっと妬いちゃったのよ」
「あー、間近で見ちゃうとこっちが照れちゃうよねぇ」
 それも、知人友人の類であると尚更である。
 まだ瑞佳には、早すぎるわよね。
 胸中でそう呟き、留美はいらないお節介かもという雑念を振り払ったのであった。



Fin.







あとがき



 最近私も困っている満員電車編でした。
 少しずつ状況は良くなっているようですが、完全に元通りになるのは、まだまだ先のことでしょうね。早く元通りに――なっても混んでるんだよなぁ、普段から;
 あと、やたら甘くなったのは仕様です。なんか最近多いですね、極甘w。


Back

Top