『里村茜の思慕』



「相変わらず、溜めすぎです」
 耳掻きを動かす手を止めて、里村茜はそう言った。
「あぁ、今回は流石に溜めすぎたと思う」
 と、折原浩平が答える。
 浩平の自室。少しだけ傾いている午後の陽光を光源とし、茜は床に座り込み、浩平は茜の膝の上で大人しくしていた。
 言うまでもなく、耳掃除の体勢である。
「なんせ茜が耳掻き入れた途端、頭の中でごそり、ばりばりばりばりって音が鳴ったもんな。いやびっくりした」
「やめてください。耳が――痒くなります」
 少しだけ眉をひそめて、茜。それは浩平の言葉により、普段から耳を覆う髪が擦れる感触を急に意識してしまったためであった。しかし、いつまでもそうしている訳にはいかない。茜は耳掻きを駆って、耳掃除を再開する。
「でも奥の方を見たときは驚きました。最初は鼓膜に穴が空いているのかと」
 その奥に本物の鼓膜があったお陰で、茜がそれが全周囲に張り付いている、鼓膜とは別のものなのだと認識できたのである。
「穴が空いていたら痒いでは済まないわな。ま、ゆっくりのんびりやってくれ。こっちはなんだかこのばりばりがりごりする音が癖になってきた」
「だからやめてください。本当に痒くなります」
 今度は耳掻きを慎重に動かしながら、茜。
 ちなみに全周囲にあった対象の遮蔽物は、半円状にまで減っている。
「しかしいいな、これ」
 頭が動いて掃除の邪魔にならないように注意しつつ、浩平がそう言った。
「耳掃除……ですか?」
 茜も不用意に動かないよう注意しながら、問い返す。
「ああ。正確に言うなら、耳掃除と言うより耳掻きかな。綿棒だとなんか物足りないだろ」
「わかります」
 耳掻きをあらかじめ用意していたティッシュペーパーで拭きながら、茜。
「やっぱり耳掻きは竹に限る。適度にしなるし、金属のそれみたいに角に当たったりしないからな」
 言うまでもなく、茜の手にあるのも竹製の耳掻きであった。
「最近はワイヤーやスプリング状のものもあるみたいですが」
 浩平の耳たぶを軽く引っ張り、耳の奥の状況を見ながら、茜。
「それだと匙――耳を掻く部分がどうしても大きくなるんだよ」
 故に、奥が掃除できなくなる。と、浩平。
「別に奥まで掃除する必要はありません」
 縁の方についていたものを除去しつつ、茜がそう答える。
「そりゃそうなんだが、取れなくてもどかしいことあるだろ。それに、オレひとりだと上手くいかなくてな……」
「なんとなく、わかります」
 外耳道から対象物を剥がし、上手く匙部分に載せて引き抜きつつ、茜。
「そしてっ! なによりっ!」
「膝枕で太股だからですか」
 少しだけ言葉に悪戯心を忍ばせて、茜はそう言った。
 以前、学校の中庭でこのように耳掃除をしていたとき、浩平がそう宣言していたのを覚えていたからである。
「それもあるが――」
 と、浩平はそこで言葉を止めると、やや逡巡してから、

「今まで生きていて、こういう経験がほとんど無かったからな」

 茜は思わず、耳掻きを繰る手を止めてしまった。
 浩平は茜と同じ方向を向いて膝の上にいるため、その表情を見ることが出来ない。
 けれど、浩平を包む空気は、先ほどまでの陽気さとはうって代わって、冷たく乾燥したものであった。
「……浩平」
 再び耳掻きを動かしながら、茜。
「……ん?」
 無頓着な様子で、浩平が答える。
「私、これからも浩平の耳掃除をします」
「――へ?」
「浩平が嫌だと言っても、耳掃除をします」
「い、いや、別に嫌だなんて微塵も思わないが……」
 そこまで深刻に取られるとは思っていなかったのか、焦った様子で浩平はそう言う。そんな浩平に、茜はいつになく優しい声で、
「だから浩平……そんなに悲しそうにしないで」
 ぽつりと、そう言った。
 浩平が、静かに息を飲む。
 そして、ややあってからぽつりと、
「ありがとう、茜」
 言葉はそれだけであったが、それで十分であった。
 茜は口の端に笑みを浮かべ、浩平の耳掃除を続行する。
「ところで茜」
「どうかしましたか?」
「いや、大分耳のがさごそ感が無くなってきたんだが」
「もうそろそろ終わります」
 事実、茜から見える範囲では、かなり綺麗になっている。
「そうか……ある意味残念だな」
 少し不満そうに、浩平。
「なら、昼寝していってはどうですか?」
「昼寝?」
「はい。このままで、昼寝です」
「このままって――いいのか?」
「嫌だったら、嫌と言います」
 いつも通りの澄まし顔で、茜。
「じゃあ、頼む」
「どうぞ」
 浩平が、身体の力をゆっくりと抜いていく。それに対し、茜は浩平の前髪をさらりと撫でると、
「夕方には、起こしますから」
 心なしか嬉しそうに、そう言ったのだった。



Fin.







おまけ。

 長森瑞佳の場合。
「なぁ、長森。延々と綿棒で掃除されていると、なんだか味気ないんだが」
「え、だって耳掻きだと危ないもん。綿棒が一番だよ」

 七瀬留美の場合。
「耳掃除なら任せろー」(鼓膜が)バリバリ。
「やめて!」

 川名みさきの場合。
「浩平君って、結構命知らずだよね」
「ああ、オレもそう思う……」

 上月澪の場合。
「『この耳掻きだったらきっと気持ちいいと思うの』」
「……いや、電動歯ブラシの先端を耳掻きに代えただけだと思うんだが、ものっそい凶悪に見えるぞ。その振動」

 椎名繭の場合。
「みゅー」
「繭ー、耳にネコジャラシをつっこんではいけません。ってうおっ、種がっ! 耳ん中で抜け落ちた種が踊る! 耳がー、耳がー!」



あとがき



 茜の耳掃除編でした。
 唐突ですが、耳掃除は大好きです。特に考え事をしている最中やその後の気分転換にはたまらないものがあります。もっとも、やりすぎは禁物なんですが。とりあえず今回は、耳がむずむずしてきてくださると、幸いですw。
 それにしても、誰かに耳掃除してもらうのって、ここ二十年近く無いなぁ……。
 あ、次回は未定であります。済みません;。



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