「里村さんっ」
その、ほとほと困りきった友人の声で里村茜は振り返った。
教室、その放課後。クラスメイト達はあちらこちらで部活動の用意、あるいは帰り支度を済ませようとしている。
かく言う茜も、帰宅組のひとりであった。
「どうしました? 長森さん」
呼びかけて来た声の主――長森瑞佳に応え、片付けの手を止めて茜。
「えっと、浩平見なかった?」
「浩平……ですか?」
教室を見渡してみる。瑞佳の言う通り、折原浩平の姿は席はおろか教室の何処にも見えなかった。
「そういえば、見ていません」
そもそも、少し前から浩平を見た覚えが無い茜である。
「うーん、何処行ったんだろう……」
「浩平がどうかしたんですか?」
真顔で考え込む瑞佳に茜がそう訊く。すると瑞佳は弾かれたように顔を上げた後、申し訳なさそうに、
「あ、えーとね……その、お願いがあるんだけど、いい?」
「私にできることでしたら」
と、茜。
「えっとね。先生から、浩平の進路調査票がまだ出ていないから職員室へ行くよう伝えてくれって言われたんだけど、急に部活の会議が入っちゃって……本当ならわたしが探さなくちゃいけないんだけど……」
「いえ、それなら行った方がいいです」
茜は現在、どの部活動にも参加していない。強いて言うなら、演劇部の簡単な手伝い程度である。
「ごめんね」
「気にしないで下さい」
茜がそう言うと、瑞佳はほっとした様子で、
「ありがとう。浩平だけど、校内の何処かには居ると思うから――」
「今気付きましたが、もう帰っているということは?」
「下駄箱に浩平の靴がまだあったから大丈夫だと思うんだけど……」
「わかりません。浩平のことだから、上履きのまま帰ったのかもしれませんし」
「うわぁ、それはありそうだよ……」
本気で頭を抱えてしまう瑞佳。
――少し、浩平の癖が移ってしまったのかもしれない。
そんな自分に心の中で苦笑して、茜はからかったこと謝るとともに、瑞佳の頼みを引き受けた。
『里村茜の探索』
とはいえ、茜に当てがあるわけではない。
浩平の行動範囲は学校中に及んでおり、この時間帯になると、本当に何処へ行ったのか見当が付かないのである。
とりあえず、近場からということで茜は食堂へと足を向けた。
放課後の喧噪の中、食堂に足を踏み入れる。
食堂は、そこそこの生徒で賑わっていた。茜は周囲を見回し――その中に、見知った顔をみつける。
ただ、当の本人が目の前のものに夢中になっていたので、茜は声をかけようかと迷い――、
「里村さんかな?」
結果として、先に声をかけられることとなった。
「どうしてわかったんですか?」
「お下げが風を切る音でね。校内で一番お下げの大きい人は、里村さんだから」
「なるほど……」
「後、歩く音が静かだよね。それも判断材料だったりするんだよ」
と、見知った顔――川名みさきはカレースプーンをくわえたままそう言った。
彼女の前に鎮座しているのもカレー皿である。
しかし、その上に盛られているものは、ソフトクリームの山であり、さらにその上にチョコレートソースや果物各種が鎮座していた。
これぞ食堂名物、フルーツパフェ極盛り・川名スペシャルである。
「すごい、量ですね……」
「ちょっと、小腹が空いちゃったからね」
小腹が空いたレベルの一般生徒の場合、まずはリタイアする量ではあるが、みさきにとっては文字通りおやつ程度であるらしい。
「里村さんも、どうかな?」
「折角ですが、遠慮します」
誤解を受けることが多々あるが、どんなに甘いものであろうとも食せてしまう茜でも、量はこなせない。
「うー、ちょっと残念かな?」
「すみません」
「いいんだよ、冗談だからね。それで、普段お弁当派の里村さんが、食堂にどんな用事かな?」
「詳しいですね」
「学校のことなら、それなりにね」
ペースを落とすことなく、川名スペシャルを攻略しながら、みさき。
「察するに、人探しだと思うんだけど、どう?」
「はい、浩平を探しているんです」
「浩平君? 浩平君ならさっきまで此処にいたけど……里村さんが来るちょっと前に出て行っちゃったよ」
「そうですか……」
だとすれば、たいして間を置かずにすれ違っていたことになる。
「あ、でもね」
と、カレースプーンを動かす手を止めて、みさき。
「久々に覗いてくるかって言っていたから、多分雪ちゃんのとこ――演劇部じゃないかな?」
「演劇部ですね。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
一礼して食堂を後にする茜を、みさきは手の代わりにスプーンを小刻みに振って、見送ったのだった。
『来たの』
と、演劇部員である上月澪はスケッチブックに書いた。衣装なのだろうか、此処の学校とは別の紺色の制服を着て、肩に小道具を掛けている。
今日は部室で練習なのだろう。普段設置されている椅子や机を全て奥に寄せて出来たスペースで、部員達は衣装の具合を確かめたり、台本を読んでいたりしている。
それにしても、今日は何処かピリピリしているな、と茜は思った。彼女も希に衣装や小道具の作成を手伝っているのでわかるのだが、今日は演劇部全体に、随分気合いが入っていたのである。
「澪、何かあったんですか?」
『あのね――』
澪の説明によると、深山雪見部長がこの前とある高校の演劇を鑑賞して、たいそう感銘を受けたらしい。曰く、
「役者がひとりだけの演劇部なんだけど、すごく良い劇だったのよ。うちも負けていられないわ」
とのことである。
「――なるほど」
茜の目で見て、この学校の演劇部だってたいしたものなのだから、その演劇部はよほど巧かったのだろう。高めあえる存在がいるということが、少し羨ましく感じられる茜であった。
「それで浩平は……」
『さっきまでここにいたの』
と、スケッチブックに澪。そしてすぐさまページをめくり、
『でもどこかに行ってしまったの』
「どこか……ですか」
「多分、体育館よ」
と、茜達を見ずに演技指導を行いながら、雪見が口を挟んだ。
「私達の練習を見ていたときに、たまには他の部活見てみようかなとか言っていたから、今バレー部が練習試合中だって教えてあげたの」
「ありがとうございます」
礼をして部室を去ろうとする茜。しかしその袖を、澪が引っ張る。
「どうしました?」
茜がそう訊くと、澪はいつになくきりっとした貌で、
『ところでこのベースを見てくれ。こいつをどう思う? なの』
「すごく……レフティです」
そんなやりとりを交わした後、茜は演劇部の部室を辞したのだった。
「折原?」
体育館でブルマ姿の七瀬留美は額の汗を拭いながらそう言った。
「さっきまでここであたし達女子バレーの練習試合を見ていたけど」
そう言う彼女は別にバレーボール部の部員ではない。部員ではないが、留美は希に運動部の助っ人として各種試合、練習試合に参加することがあった。おそらく今も、そうなのであろう。
「あそこからですか?」
と、二階部分のギャラリーを指さしながら茜。今も、男子女子が半々といった様子で談笑している。
しかし留美は首を振って、
「ううん、スコアボードの真下で」
「――浩平らしいです」
「らしいっちゃ、らしいけどね」
かなり目立っていたはずである。
さらに言うと、浩平の視線は明らかにボールではなく別のものを追っていたのだが、茜の手前それは隠して留美はそう言った。
「で、しらばくしたら校舎の方に戻って行っちゃったわ」
「そうですか……」
どうも、先ほどからすれ違ってばかりいる気がする。とりあえずまだ向かっていないところを虱潰しに探そうと、茜は礼もそこそこに体育館を出ようとして――、
「あ、待って」
留美の声に、足を止める。
「はい」
呼び止められて振り返ると、留美は思案深げに、
「裏庭の方かも。体育館出た後、急に方向転換してたから。あの向きは多分裏庭の方だと思う」
「ありがとうございます」
「何だか知らないけど、あんまり折原に振り回されないようにね」
「気を付けます」
「あと、たまには身体を動かしてみたら? 気持ち良いわよ?」
「それも、気を付けます」
留美の忠告をありがたく受け取って、茜は体育館を後にした。
裏庭には、ベンチがひとつある。
逆に言うと、それしかない。
だから、昼休みには憩いを求めた生徒達による文字通り壮絶な争奪戦が繰り広げられることもあるのだが、今は閑散としていた。
茜はそこへ静かに足を踏み入れ――。
「ここには、居ないか」
と、ひとりごちる。だが、
「みゅ?」
その声に応える者が居た。
茜は声がした方――ベンチの裏――に視線を向ける。
そこには生け垣があるのだが、その一部ががさがさと揺れ、裏からひとりの少女――椎名繭が、姿を現した。
今は、茜とふたりきりというほとんどない――というか初めてのケースであったせいか、不安そうにこちらを見つめている。
「長森さんを待っているんですか?」
「……うん」
最近、繭の言いたいことがわかるようになってきた茜であった。
「もう放課後ですし、教室で待っていたらどうですか?」
茜がそう提案すると、繭は俯きつつも、
「待ち合わせ場所、ここにしたの」
人目に付かないよう、繭なりに判断したのだろう。
「心配、させたくないから」
繭は、はっきりとそう言った。
「――えらいですね、繭は」
「……みゅー」
そう呟いて、恥ずかしそうに俯く繭。
「ところで、浩平を見ませんでしたか?」
そう茜が訊くと、繭は一瞬きょとんとしたが、
「うん。みた」
すぐに頷いてそう答える。
「浩平とは、会わなかったんですか?」
「……うん。かくれていたから」
「どうして?」
「だって――」
ここで瑞佳をひとり待つ繭を、浩平がそのままにしておくわけがない。
半ば……いや、完全に強引な理屈を付けて教室に連れていってしまうだろう。
過去数回の経験から、それが瑞佳に迷惑をかける行為だと学習している繭にとって、その場でとっさに行えたのは、隠れるという行為だったのである。
「なるほど」
無事浩平と合流できた場合、伝えるべきかどうか悩む内容であった。ただ、今後の繭のことを考えれば、伏せておいた方が良いのかもしれない。
「それで浩平は、どっちに向かいましたか?」
「えっと、あっち」
繭の指さす方向は、グラウンドであった。
「ありがとう、繭」
浩平がするように繭の頭を撫でて、茜。
「みゅ〜っ」
対して繭は、浩平にされるように顔を赤くして照れていた。
グラウンドに出る。
ジョギングの掛け声やホイッスルの音、バットが投球を打ち出す音や、サッカーボールが飛んでいく音、その他合図とも気合いとも受け取れる叫び声が交錯する光景を一望して、茜はふと足を止めた。
浩平は何処にいるのだろう、何処に行ったのだろう。
再び足を動かして、茜はグラウンドの外周を静かに歩く。
浩平ならば邪魔にならないように横断することも出来ようが、茜にはそんな自信も実力もない。せいぜい邪魔にならないように、端から見て回るしかない。
「あれ、茜がこんなところにいるなんて珍しいね」
そんな茜に声をかけてきたのは、茜の親友で他校の生徒である柚木詩子であった。
「来ていたんですか、詩子」
「うん、合同練習ってやつ?」
と、背伸びをしながら詩子。
「珍しく、まともな来校理由ですね」
「むぅ、それじゃ普段は滅茶苦茶な理由で来ているみたいじゃん」
「事実じゃないですか」
事実である。
「うーん、そうかなー。普通だと思うけどなぁ……で、こんなところで一体どうしたの?」
「浩平を探しているんです。詩子は見ませんでしたか?」
「折原君? 折原君なら此処で運動部を冷やかして、そのまま校舎の方に戻って行ったけど?」
「校舎?」
「うん。校舎――おっと」
誰かが詩子を呼んでいた。
詩子が振り向いた方に茜も視線を合わせてみると、他の部員と憶しき生徒達がこちらに向かって手を振っている。
「いけない、そろそろ戻らなきゃ。それじゃ茜、また今度ね」
「それより詩子」
「うん?」
「なんで詩子だけ体操服なんですか?」
詩子を呼んでいる部員達は、皆部活専用と憶しきものに身を包んでいる。
「ああ、ユニフォームより動きやすいしね」
何だかんだ言ってブルマって便利だよね、どこにもひっかからないし、と詩子。
「それに、サービスカットを忘れちゃいけないしね。常識的に考えて!」
「意味がわかりません」
まったくである。
「気にしない気にしない。それじゃ、まったねー!」
そう言い残して、詩子はグラウンドの向こうへと駆けていった。茜の疑問は少しも解けなかったが、相手は長年のつきあいである詩子である、幾ら問いただしても答えが出ないのを茜は直感的に感じ取っていた。
「さて――」
茜は校舎へと振り返る。
「校舎、か……」
食堂はそろそろ閉まる。
教室に用事はないだろう。
屋上――は、居そうであったが、此処からその様子を見る限り、人が居るようには見えない。
だとすれば……。
「あそこ、かな」
ひとりそう呟いて、茜は校舎へと踵を返した。
「やっぱり、ここでしたか……」
溜息をついて、茜は後ろ手で扉を閉めた。
軽音楽部の部室である。
その部屋の片隅で、浩平は机に体を預けて眠っていた。
時刻はそろそろ夕方になろうとしている。辺りは夕陽によって茜色に染まりつつあり、それは浩平も茜も例外ではなかった。
「こっちはあれだけ探したのに。ずるいですよ、浩平」
別の席から椅子を一脚拝借し、いつかの時に浩平が茜にやったように、浩平が眠る席の前に置いて座る。
「だから、少し時間を貰います」
まだ、陽が落ちる時間まで余裕がある。
それまで、浩平の寝顔を見ていようと茜は思ったのだった。
「む――」
浩平が声を上げる。
「目が覚めましたか……浩平?」
茜の眉根が寄った。
浩平がいつの間にか、魘されているのである。
「く……」
「浩平、大丈夫ですか浩平」
反射的に席を立って、微かに震えている浩平の手を握る。その直後、
「――っ!」
浩平が茜にすがりついてきた。
茜は驚きながらも膝を落とし、身体を預けてくる浩平をそっと抱き止める。
その急な出来事と、今の自分の立ち位置を自覚して、茜の頬が朱に染まった。
そんなお互いの顔が触れそうになるごく近い距離で、浩平はぽつりと、
「みさお……」
初めて聞く名前であった。
それでも茜は浩平を浩平を抱き留め続け、その頭をそっと撫でる。途端、浩平の頭ががくりと下がった。茜が両手と頬を使って包み込むように抱き直すと、浩平は茜の胸の中でほっとしたように長い息を吐き――、
「……茜か?」
「はい」
ふと、目を覚ましたのだった。
「おはようございます、浩平」
自分でも驚くくらいの平常心で、茜。対して浩平は理解不能といった面持ちで、
「ああ、おはよう……なんでオレ、目が覚めたら理想的なシチュエーションナンバーワンに遭遇しているんだ?」
「日頃の行いが良いせいでしょう」
「自分で言うのもなんだが、それだけは無いと思うぞ――それよりオレ、何か言っていたか?」
「私の知らない、人の名前を」
「……マジで?」
「マジです」
あまり知られたくないことであったらしい。先ほどの茜のように赤面してもぞもぞと動く浩平。
そんな彼を解放して、茜は静かに椅子へ座り直す。
「その、なんだ……いずれ、話すよ」
「わかりました。そのときまで聞きません」
「悪い、助かる……で、どうして茜はこんなところにいるんだ?」
「浩平を探していたんです」
「何でまた」
「長森さんに頼まれたからです。進路調査票を、まだ提出していないって」
「む、そういやそうだったな」
ヒゲに悪いことした……と、頭を掻く浩平。
「ちょっと職員室に行ってくる。茜は?」
「教室で待ってます」
「そっか。んじゃ、その後山葉堂行こうぜ。探してくれた礼もしたいし」
「ワッフルのトッピング、いつもより多めにしますよ?」
「ああ、それでいいよ」
「……楽しみです」
口の端に笑顔が自然と浮かんだ。
「そいつは良かった」
それを見た浩平も、同じように笑って背伸びをする。
「んじゃ、行くか」
「はい」
ふたりが廊下に出る。
その後には夕日に染まった軽音楽部の部室と、締め忘れた窓から吹き付ける風に揺れる、カーテンだけが残ったのであった。
Fin.
あとがき
久々の、ONEでした。そして通算200本記念のSSでした。
ふと気付いたんですが、ONEってもう11年前の作品なんですよね……月日が経つのは速いものです。
さて次回は、長森と七瀬で。
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