「朋也くん!」
 背後からそう呼びかけられて、俺、岡崎朋也は振り返った。
 見れば校門へと至る長い長い坂道を、渚が急ぎ足で降りてくる。
「春原さんのところですか?」
 最近、俺の歩く方向でその目的地がわかるようになっている渚だった。
「ああ、借りていた漫画を返しにな」
「わたしも一緒に行っていいですか?」
「構わないよ」
 そう言う訳で、ふたりで春原の住む学生寮へと足を運ぶことになる。
「春原、居るか?」
 寮に入り、部屋の前で扉をノックする。けれど返事がない。
 ドアのノブを回してみると、珍しいことに鍵がかかっていた。
「お留守でしょうか」
 と、渚。
「いや、居留守だ」
 今、部屋の中で物音が聞こえた。ということはこの部屋の主はその中に居ることとなる。
「春原、俺だ。岡崎だ。居るのはわかっているから開けてくれ」
 再び物音がした。それは部屋の奥の方からドアまで、まるでホフクゼンシンですり寄っているような感じで、それからややあって、
「おおお岡崎か?」
 聞き慣れた、春原の声がした。
「ああ、そうだが」
「ほほほ本当に岡崎だよな?」
「当たり前だろ」
 そんなに似た奴はそうそういないと思う。
「本当に岡崎なら今から僕の言う質問に答えろ! それに合格できたら入れてやる」
「何か知らんが、さっさとしてくれ」
 何かあったんだろうか。
 そう訝る俺に構わず、扉の向こう側の春原は大きく息を吸うと、
「大きいおっぱいと小さいおっぱいと普通のおっぱい、岡崎が好きなおっぱいは?」
 ……ふむ?
「渚のおっぱい!」
「本物の岡崎だ!」
「朋也くん!」
 ああ、やっぱり怒られた。



『風雲、春原城』



「で、どうしたんだよ。一体」
 少し前の芽衣ちゃんの訪問で多少は綺麗になっていた春原の部屋だが、今日はちゃぶ台がバリゲートよろしくベッドに立てかけてあった。
 故に、俺達はそのバリゲートの前で一昔前の不良よろしく車座になって座るしかなかった。もっとも、渚だけは正座だったが。
「いや、それがね。朝起きたらさ――いや、時計は昼だったんだけど、とりあえず起きたときだよ――ドアにこんなものが挟まっていたんだ」
 そう言って、春原は車座の中心にそれを置いて見せた。
 それは上質の便箋に鮮やかな墨跡で、こう記してある。
「何々? 『数々の無謀なる行い許し難し。速やかに部屋を退去せよ。ラグビー部一同』……まぁ自業自得だな」
 むしろ今までよく保っていた方だと思う。
「そんなこと言わずに力になってくれよ岡崎。このままだと入り浸ってる岡崎だって困るだろ?」
「……いや、まぁ」
 ちょっと前から古河家に厄介になっているので正直あまり困らない俺だった。
 けれども――。
「朋也くん」
 俺の制服の袖を引っ張って、渚は言う。
「春原さんが困ってます。わたし達で出来ることをしましょう」
 そう言われて否とは言えない俺だった。
「わかったよ。手伝う」
「そうこなくちゃ! それじゃ早速――」
 まぁ妥当なところで話し合いだろう。ラグビー部の規模はわからないが、どう考えても俺達より――。
「あいつ等を根絶やしにする作戦を――!」
「ちょっと待ておい」
 妙に力んでいる春原の肩を掴んで、そう訊いてやる。
「なに? 岡崎」
「彼我の戦力見てから言えよ。俺達三人でどうやれってんだ」
 そのうち渚はどう考えても戦力外だ。となると俺と春原だけで相対するわけだが……どう考えても無理がある。
「そこは大丈夫だよ岡崎。兵力差があっても作戦次第で戦局は簡単にひっくり返るんだ」
 それはまぁそうかもしれないが、春原が言うと不安要素しか残らないのは俺だけだろうか。
「そう言う訳でまずはその作戦を遂行するための指揮系統を樹立しよう。まずはトップが僕! 次に作戦本部長が渚ちゃんでその参謀が岡崎! そしてその作戦を実行する隊長が僕で副官が渚ちゃんで配下の戦闘員が岡崎って寸法さ」
「それ、俺達三人で命令がいったりきたりするんだが」
 どこの超零細王国だ、それ。
「仕方ないでしょ! 三人しか居ないんだからさ!」
「ならほいほいポスト増やすなよ……」
 この調子じゃ作戦とやらもろくなものじゃない。俺は思わず頭を抱えてしまう。
「あの……」
 そこえ控えめながらも挙手をしたのは、他の誰でもない渚だった。
「あの春原さん、話し合いという訳にはいかないのでしょうか」
 俺と同じ考えをとつとつと話す渚。だが、春原は渋面のまま首を横に振って、
「無理だよ。果たし状は向こうから送ってきたし、例え話しあえたとしても向こうの方が数も力も強いんだ、僕らの意見なんてティッシュよりも軽いに違いないさ」
 なるほど、言われてみればそうだった。
「確かに、ティッシュの方がお前より役に立ちそうだしな」
「なんでだよっ!?」
「深くは訊くな。お前が落ち込むからな……それより作戦だ」
「落ち込むとか言われると急に聞く気無くなったよ。――それで作戦って岡崎から何かあるの?」
「ああ。良いか、よく聞けよ。俺達はトライフォースという陣形で行く」
「お、何かすごくゼルダっぽいねぇ!」
 っぽいじゃなくて、そのものなんだが、今は黙っておく。
「まず運動神経抜群のお前が前衛だ。これはわかるな」
「あぁ。まぁ当然だよね」
「そして俺は肩が使えないから後衛に回ってお前を援護する。渚もこういうのは経験がないからもちろん後衛だ」
「そりゃ仕方ないよね」
「だろ。さて、その陣形を上から見てみろ。何に見える?」
「ええと……三角形だねぇ」
「そう、陣形が三角形みたいだろ。だからトライフォースって言うんだ」
「ああ、なるほど! つまり僕がひとり前にでて岡崎と渚ちゃんがバックアップと……」
 そこで春原の動きが止まった。
「それって実質僕がひとりで戦うってことですよねぇ!」
「……ああ!」
「何格好良い貌して力強く頷いているんだよ! 」
「だって、もしお前が立派に散りでもしたら、俺は――」
「岡崎……」
 肩を怒らせていた春原が、真面目な貌で俺を見る。
 それに応えるよう、俺は深く息を吸って、はっきりと言ってやった。
「――俺は、この部屋を渚との愛の巣にしなきゃいけないだろ!」
「それ僕は欠片も関係ないですよねぇ!? っていうか何嬉しそうに言ってるんだよ!」
「そもそも愛の巣って何なんですか朋也くんっ」
 何故か春原の加勢に加わる渚だった。
「そりゃあもう、ここでは話せないことをてんこ盛りにだな」
「話せないことってなんだよ!」
「話せないことってなんですかっ」
 珍しいことに、春原と渚の声が重なる。
「一から十まで、言って良いか?」
 冷静に俺がそう訊くと、
「何かものすごく虚しくなりそうだから、いい……」
「わ、わたしもすごく恥ずかしいことを聞きそうですので……」
「ん、わかってくれればそれでいい」
「あー、話は済んだか?」
「ああ、待たせたな。――って誰だ?」
 第三者の声に俺達は一斉に振り向く。
 そこには、厳つい顔の厳つい体格をしたラガーマンが整然と立ち並んでいた。
 そう、いつの間にか半包囲されている俺達だった。
「そう言えば、鍵締め忘れていたよ……」
 呆然としながら、春原が立ち上がる。
「仕方ないな……骨は芽衣ちゃんに送り届ければいいな?」
 溜息をつきつつ、俺も立ち上がる。頭の八割は既にやけっぱちになっていたが、残りの二割はいかに渚を無事に帰すのかでフル回転していた。
「春原よ、書簡は読んだな?」
 俺と春原が向かい合ってもぴくりとも動かないラグビー部のうち、右端のひとりがそう発言する。おそらく、そいつが部長かあるいはリーダー格なのだろう。
「ああ、読んだけど?」
「ならばオレ達が来た理由もわかるな? 大人しく出ていくならそれもよし、そうでないなら――」
「まってください!」
 その場にいる者ではありえない凛とした声が響き、俺達は――ラグビー部ですらも――その発言者へと目を向けた。
 たぶん、その中で一番驚いたのは俺だろう。
 何故ならば、その覇気ある声を発したのは、他ならぬ渚だったからだ。
「皆さん。まずは話し合いをしませんか?」
 静かな口調で、渚はそう続ける。
「……ああ。渚ちゃんがそう言うなら」
 まず春原が武装解除をした。続いて俺も戦意を完全に解く。そして、ラグビー部はというと……。
「こ、こいつら女子を部屋に連れ込んでいるぞ……!」
「な、なにぃ!?」
「まさかお前等、その女子をふたりがかりで――前から後ろからあんなことやこんなことを!」
「渚の前で何てこと言いやがる!」
 幸い、渚自身は良くわかっていないようだった。
 同時に、少しだけ安堵する。こいつらも頭のレベルは俺達とどっこいどっこいだということに。
 ならば、付け入る隙はどこかに必ずある。それまではひたすら時間を……。
「いや、こいつらならもっとすげえことを……」
「な、何だと……た、例えば?」
「例えば、そう。ネコミミを付けさせるとか……!」
「な、なんだってぇ!」
「さっきよりずっとすげえ!」
 ……そうか?
「いや、春原も岡崎も札付きだ。こいつらならもっと斜め上を行くはず……!」
「た、たとえば?」
「くっ――、言っちまっていいのか……」
「この際だ、言ってみろ」
「く、靴下を……片っぽだけ脱がす!」
「靴下を!」
「片っぽだけ!」
「脱がす!」
 ……あのな。
「岡崎……」
 顎にまで滴り落ちた汗を拭いながら、春原が俺に言う。
「僕、すげえ興奮してきちゃったよ!」
「やかましいっ!」
 ちょっとわかってしまう自分が、かなり悲しかった。
 っていうかこいつら、下手すると俺達以下なんじゃ……。
「あの……」
 そこへもう一度、渚が挙手をした。
「靴下を脱ぐだけでしたらわたし脱ぎますけど。それで春原さんと話し合ってくれるのなら――今すぐに」
「なん……!」
「だと……!」
 ラグビー部が一斉に一歩引いた。
 勝機到来。俺は渚にさらに追い込むようアイコンタクトを――。
「だーめーだーっ!」
 送ろうとしたのに、そこで何故か春原がキレた。
「渚ちゃんは、岡崎以外にそういうことしちゃだめなんだよっ!」
 そう叫びつつ、野球部と新体操部からがめたと思われるバットとリボンを両手に持って、春原が突撃を敢行する。
「おのれ春原、計ったなぁ!」
 たちまち始める大乱闘。
 こうなっては仕方がない。
 俺は渚を下げてから春原を援護すべく――、
「こぉらぁーっ! 何やってんのあんた達っ!!」」
 男子寮の寮母である、美佐枝さんの声が雷のように響いた。
 それにより、全員の動きが一斉に止まる。
「古河さんの声が聞こえたから何をやっているかと思えば……あんた達、覚悟は出来て居るんでしょうねぇ?」
「ひ、ひいいッ!」
「ま、待ってくれ美佐枝さん! オレ達は寮の平和をっ!」
 あわててラグビー部の誰かが叫ぶが、
「ぃやかましいっ!」
 美佐枝さんに一喝されてしまう。
「数と力に物言わせている時点で説得力無いわっ! 問答無用!」
 そう叫ぶと同時に春原の足首を捕らえた美佐枝さんが、ジャイアントスイングよろしく春原をぶん回して、ラグビー部の連中を薙ぎ倒していく。
 そして、取り残される俺と渚だった。
「前にもこんなことがあったような……」
 茫然自失と言った様子で、渚。
「あのときは智代だったな」
 残像で金色の輪のようになった春原を眺めつつ、俺。
「まるで、お父さんがこの前やっていたゲームみたいです」
「なんてタイトルなんだ?」
「えーと、確か……『戦国BANANA?』」
「それを言うなら『戦国BASARA』な」
 確かにそんな武将が居た。オッサンにそっくりな声で。



「あほらしい理由ねぇ」
 ラグビー部の書簡を破り捨てて、美佐枝さんはそう言った。
 時刻はあれからそれほど経っていない春原の部屋。
 ちゃぶ台を囲んで、俺と渚と美佐枝さんは揃ってお茶を飲んでいた。
 とりあえず俺達三人で、部屋を元の状態に戻したのだ。
 そしてその部屋の一角には、人間で出来た建造物が構築されていた。
 いつか見た宮沢のお友達で構成された暑苦しくとも整然としたピラミッドではない。
 もっと凄惨な、瓦礫の塔だった。
 何故なら塔を構成する全員が、変形に失敗したモビルスーツかバルキリーのようになって折り重なっていたからだ。
 ちなみに、頂上を飾っているのは春原だったりする。
「あの美佐枝さん、わたしからもお願いします。春原さん、時々変なことを言いますけど、根は良い人ですから」
 渚が頭を下げる。すると美佐枝さんは慌てたかのように片手を振って、
「大丈夫、何が起ころうとも春原は卒業するまでこの部屋よ。だから心配しないでね、古河さん」
「なんでまた」
 思わず俺は異議を唱えていた。春原がこの先今日よりも馬鹿なことをするとは思わなかったが、それでも『何が起ころうとも』という言葉に引っかかったのだ。
「考えてもみなさい、岡崎。春原が下手に飛び出したら何処に飛んでいくのかわかんないでしょ?」
 それは間違いない。俺は納得して頷く。
「それに春原はぎりぎりのところでね、この学校に残っているのを選んでいるのよ。だから馬鹿はするけど取り返しの付かない馬鹿はしないでしょ?」
 なるほどと、俺と渚は同時に頷く。すると、美佐枝さんは少し悪戯っぽい貌を浮かべて、
「何納得した貌しているのよ。岡崎も無茶しなくなったのは、古河さんとこに迷惑をかけたくないからでしょ?」
「う……」
 それはどうも、返事しづらいことだった。
「そうなんですか? 朋也くん」
「あ、ああ……」
 そっぽを向きつつ、それでも肯定する俺。そこは否定も、黙りもしてはいけないような気がしたからだ。
 そんな俺を眺めて、美佐枝さんは片目を瞑ると、
「良い彼氏を持ったわね、古河さん」
「あ、ありがとうございます……」
 妙に嬉しそうな美佐枝さんと暑苦しい瓦礫の塔を余所に、俺と渚は赤面しっぱなしだった。



Fin.







あとがき



ものっそい久しぶりの学園編でした。
タイトルを決めたとき、学園戦記物っぽいものににしようか、それともコメディ系にしようかと悩みましたが、今回はコメディ系で行ってみました。ちょっと長すぎたかもしれませんが……。
 さて次回は、○十七歳編に戻ります。

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