Farewell Night(2001.12.23)
「あ、里村さんだ」
「本当だ。里村さん!こっちこっち」
クリスマス、商店街を歩いていた瑞佳と留美は見慣れた傘と、大きなお下げを見つけいた。
「長森さん、七瀬さん」
「これからでしょ? 浩平の家に行くの」
「はい……」
留美が息を弾ませながら、先に駆け寄る。後から瑞佳も追い付いた。
つい昨日のことである。
『唐突でなんだが、今年のクリスマスは俺んちで盛大にやるのでシクヨロ』
そんな手紙が、各人に届けられた。差出人の名前は書いていない。が、各人見慣れた字なので、すぐに誰だか分かったという。
また、これについてはもう一つ見解があって、屋上のいつもの場所のいつも手をかける部分に簡単にはがせるようテープで留めてあった手紙を受け取った川名みさきは、
「点字で書いてあったんだよ。あそこまでやってくれる人と言ったら、浩平君だけだよね」
と、証言している。
さて、みさきのケースにあるように、大抵は何時の間にか差出人が届けているのだが、たったひとりだけ、差出人本人から受け取った者がいる。差出人にとってどうしても返事が訊きたいためだったらしいが、受け取った者はきっぱりはっきりこういったらしい。
「私が嫌だと、言うと思いますか?」
「それにしても雨か。残念、雪ならロマンチックなのにね」
どんよりと曇った空から、冷たい雨粒が落ちてくる。
「そうだねぇ」
留美に続いて、瑞佳も足を止めて傘の外から空を見上げる。
「そうです……ね」
最後に茜がそれに習った。
「あのね、二人とも知らないと思うけど、浩平が自分の家でパーティ開くの、初めてなんだよ」
「へぇ」
「そうなんですか」
空を見上げたままでそう言った瑞佳に、留美と茜もそのままで相づちを打つ。
「だからね。嬉しくて」
視線を前に戻して歩き始める瑞佳。今度は二人がそれに習う。
「でも、お祭り好きのあいつにしては、意外ね。なにかあるの?」
「ん、それはね……」
「みゅ〜♪」
「ンなー!」
「あ、その悲鳴は多分、七瀬さんだね」
『あのね、里村さんと、長森さんも居るの』
「……って、澪は言っているわよ」
澪の通訳をしているのは、雪見である。演劇部では、この体勢でコミュニケーションをとっているらしい。
「ねえねえ、誰か止めてあげないの?いつものことだけど」
「いつものことですけど、本当に唐突に現れますね。詩子」
傍らでは未だ、半径1メートルの円を描いて、留美と繭が壮絶な追い駆けっこをしていた。
(言いそびれちゃったな……)
急に賑やかになる商店街の一角、もちろん原因は自分たちであると自覚しながら、瑞佳はため息をつく。
(ま、いいかもね。でも……)
そろそろ、繭を止めた方が良いかもしれない。
(里村さんには知っていて欲しいな――いつか)
「浩平正座!」
「ハイ」
「とゆーわけで、大事なことは大事な人に伝えておくべきだよもん! OK?」
「長森サン、おっしゃる意味が分かりません……」
「返事は!?」
「ハイ……」
まともに聴いているのは浩平だけであった。その場の人間の大半が酔っぱらっている。ちくしょう、俺も先に酔っぱらって居りゃよかった……。そう思いながら、素面を探してみると……、
みさきはテーブルの上の料理の実に4分の1を攻略、なお盛んであった。もちろんこちらには気付いていない。
その隣には繭。こちらは普通に騒ぎながら料理を楽しんでいる。しかしこちらに気付くはずもない。
会場となっているリビングのソファで、留美がひとりシャンパングラスを静かに傾けていた。『壁の華』のつもりであろうか。ふと、こちらの視線に気付いたのか、静かに顔を上げ――次の瞬間には、プイと視線を逸らした。
(あんのやろ……)
思わず舌打ちをしたときである。
「ねえ、ちょっと、茜知らない〜?」
詩子がいつも茜にするように、浩平に抱きついてきた。言うまでもなく既にできあがっている。
「ああ? んなの知るか――待て、茜だと!?」
「そー。茜ったら、いくら呑んでも酔わないでしょ〜。だから、究極のお酒持ってきたのよ〜♪」
そう言って、透明な酒の入った、透明な瓶を振り回す。浩平はそれを受け取って、ラベルを見た。ロシア製のスピリッツらしい。アルコール度数は……96パーセント。
「燃えるぞ、これ」
「そ〜よ〜! 魂に火のつくお酒なんだから、コレ呑んで燃えてる茜に萌えなさいっての!」
想像してみた。
「さ〜茜、コレ飲んでみて。美味しいお酒なんだから」
「はあ……」
「ささっ、ぐいっと!」
「みゅ〜!」
シュボ。
「あちちゃああああ!?」
…………。
「椎名のライターでお前が火だるまになって辺りを転がり、家が延焼するから駄目」
「え〜っ――ていうかなんでよ〜」
「っていうか、本当にいないのか? トイレとかじゃなくて」
「もうかれこれ三十分は居ないよ〜」
ぱっと部屋を見渡す。片側で住井達が固まって裸踊りをしていたが――んなものはどうでもよい――確かに茜の姿が見えない。
「ちょっと俺探してくる。詩子、俺の代わりに長森の説教につきあえ」
「え〜もう代役が居るのに?」
「はい?」
言われてみれば、長森の声がうるさくない。ふと振り返ると、
「こうへーせいざ!」
瑞佳の指さす先で、澪が大人しく正座していた。
「あのねえ、前々っから思っていたんだけど、浩平は誰にでも突然優しくなるからいけないんだよもん! 聞いてる? ねえ、こーへー!」
『おう!聴いてるぞ、だよもん星人。なの』
浩平の真似なのか、真っ赤になった顔でえらそうにふんぞり返りながらスケッチブックを掲げる澪。もちろん酔っている。
「俺って……いつもああ見えてるの、か……?」
「ちょっとよくわからないかな?」
と、いつの間にか側にいたみさき。
「でも雰囲気は合ってると思うよ?なんとなくだけど」
「……そうか」
ますますえっへんと、胸を張る澪。
「だーかーらーね!こーへいはしっかりしたお嫁さんで浮気なんて絶対考えない――」
瑞佳の説教は絶好調である。
「なんか、澪には悪いが丁度いいや。俺ちょっと出かけてくるから、先輩、詩子、後を頼む」
「うん、わかったよ」
「は〜い」
二人の返事に見送られて、浩平はリビングを出る。一度二階の自室にあがって、コートを引っ掛けると、踵を返して玄関のドアを開けた。
「まだ降っているか……」
静かながらも、雨は全く弱まることなく降っている。弱まっていれば強行するつもりであったが、そんなレベルではない。仕方なく、傘をさした。
「こんな夜に出かけるところつうと……」
傘があるからまだましだが、雨がひたすら冷たい。
「あそこか――」
ふとヴィジョンが見えた。真っ暗なあの場所で、静かに佇む明るいピンク色の傘が。
「遠いじゃねえか!」
うーがーと吼えて、浩平は駆け出す。
雨は強くもならず、弱くもならず、そしてもちろん降り止まない。寒さだけがその強さを増していく中、浩平は息を整えていた。
「やっぱり此処か……」
浩平が想像した通り、想像した姿と寸分狂い無く、茜はそこにいた。
「やっぱり浩平ですか……」
静かに茜が振り向く。
「他の誰がここに来る?」
「わかっています。来てくれるのは浩平だけだって――ごめんなさい」
「いいんだ……と言いたいところだが、何も言わずに居なくなるのは勘弁して欲しかったな」
そう言って、空き地の入り口から茜の居るところまで歩み寄っていく。
「本当に済みません。でも、無理してここに来て欲しくなかったから……」
「まあ、こんな夜に来てくれなんて言われたら、俺が『嫌です』って言っていたな」
「これが、最後ですから」
「そうか……」
そのまま、二人でなにもない空き地をしばらく眺める。雨は強くもならず、弱くもならず、そしてもちろん降り止まない。
「これで、最後です」
茜が一歩、前に進んだ。浩平は黙って動かない。
「お別れを、言いに来ました」
誰も居ない、何もない空き地を、それでもしっかりと前を見つめて茜はそう言う。
「最後に、これを置いておきます」
傘を差す方の反対側、空いている方の手に持っていた、小さな細長い包みをそっと地面に置く。
「それは?」
「折り畳み傘です」
「そうか、コンパクトなのがいいな」
「色は嫌味で私の傘と同じピンク色にしました」
「そりゃ災難だ。いや、究極の選択か。濡れるか、傘をさすか、のな」
「そういうことです」
一歩退いて、再び前をしっかりと見つめる。
「さようなら」
それが本当に最後だった。くるりと浩平の方に向き直る。もう、振り返ることはない。振り返らない。
「お待たせしました」
「ああ……じゃ、帰るか」
「はい」
後には、雨に濡れる小さな小包だけが残る。
「私からのクリスマスプレゼントを、渡したかったんです――」
浩平の家への帰り道、それまで何も言わなかった茜が突然発した言葉がそれであった。
「本当にごめんなさい」
何も言わない浩平にそう付け加える。
「いや、いいって」
気まずくしちまった。そう思ったらしい。浩平が初めて答えた。
「あの傘、きっと誰かが拾うんでしょうね」
「そうだな……絶対拾われるな」
「絶対ですか?」
ああ、と頷く浩平。
「贈り物、心のこもった贈り物ってのは、必ず誰かに届くんだ。相手が誰であれ、な。そして、拾った相手は、贈った相手のことがわからなくても、なんとなく嬉しくなるものなんだ。そういうものなんだよ」
茜は、返事をしない。
「なんだ、らしくなかったか?」
「少しだけ」
「正直だな、茜は」
「はい」
お互いに笑いあう。そして、申し合わせたように、二人して、空を見上げた。
雨は相変わらず、止まない。ただ、街灯の明かりが反射して、綺麗ではあった。……心持ち、雨粒の降る速さが少し落ちた気がする。いや、これは雨ではなく――。
「茜、早く帰ろう。みんなに見せたい」
「はい。私も丁度そう思いました」
「おう、帰ったぞ」
「お帰りなさい……」
げっそりしている留美が、何故か出迎えにきた。
「どうした、七瀬」
「瑞佳がね、止まらないのよ」
耳を澄ましてみると……「浩平は――」とか、「お嫁さん――」とか、「正座ー!」とか聞こえてくる。
「お前も正座させられた口か?」
「そーよ。もう、膝が痛くて……」
「まだ終わってなかったか――」
そのまま3人でリビングに戻る。見れば、相変わらずの様子であったが、正座していたのは雪見であった。向側にはおなじく瑞佳が正座していて、その両膝それぞれを、繭と澪が枕にして眠っていた。
「あ、折原君、やっと帰ってきたの?」
ほとほと困った顔で、雪見が浩平を見上げる。
「済みません……」
責任を感じたのだろう。茜が謝った。
「あれ?」
ついで、瑞佳が顔を上げる。やや焦点の定まらない顔で浩平をじっと見つめると、
「こ、浩平がふたり?」
「いい加減酔いを醒ませよ……」
無理だと分かりながらも思わずそう言う。
「それより、全員注目! ほら、椎名、澪、目を覚ませ!」
突然テンションを上げた浩平の声に一同の視線が集まり、繭と澪が目をこすりながら起きる。
「諸君、俺からのクリスマスプレゼントだ。せーだいに受け止めるがいい」
えらいもったいぶりながら、リビングのカーテンに歩み寄る。幸い、カーテンは完全に閉まっていた。それをさっと空け、次いで窓も開ける。
「あ!」
誰かが声を上げた。全員、冷たい空気にもかかわらず外を見る。
そこには、一面の雪が。
「綺麗――だねぇ」
酔いが醒めた表情で、瑞佳が呟いた。
「メリークリスマス」
皆に向かい、もったいぶって片目を瞑って言う浩平。
「メリークリスマス」
茜が応えた。
そして、直後に歓声が、折原宅を包む。その外側を真っ白な雪が包み込もうとしていた。
Fin.
あとがき
と言う訳で、今年のクリスマスSSはONEでした。来年は何になるか、それは私も分からなかったり。