オッス、オラバニ山バニ夫。またの名をラビット鈴木!
 あのな長森、先に『わっふるどりふ』『だよもんどりふ』を読んでおいた方が良いぞ!

「起きろ折原」
 そんな声で目が覚めた折原浩平がうっすらと目を開けると、眼前に振り下ろされつつある肘が迫っていた。
「な、なんでやっ!?」
 奇跡的なタイミングで横に跳び起き、すんでのところを避ける。凶器となるところであったその肘は、浩平が普段見慣れている学校指定のものとは違う制服の袖に包まれていた。
 その制服を着る人物は、浩平の知るところひとりしか存在しない。
 言うまでもなく、七瀬留美である。
「お前な、オレに何か恨みでもあるのか!?」
「恨みなら山とあるわっ!」
 かなり憮然とした貌で、留美が答える。今まで学校でさまざまな浩平の悪戯に翻弄されて居るだけあって、もっともな話であった。
「でもそれより今は、鈍いふたりのお陰で持ち回りとか言われてあんたを起こす羽目になったあたしのことも考えろっ!」
「知るかそんなこと!」
「いいからとっとと起きろ!」
「そうはいくかっ!」
 天井から伸びている紐を引っ張る浩平。直後、留美の頭上から金だらいが落下し――、彼女が持っていた鞄によって、弾かれる。
 この時点で両者共に、『浩平が起きていること』に気付いていない。



『OTOME道どりふ』



「むぅ……」
 ベッドの上で深く身を屈めながら、浩平は額の汗をパジャマの袖で拭った。
「なかなかやるな、七瀬」
「あんたもね、折原」
 軽く息を弾ませて、それでいてまだまだ余裕と言った風体で、留美。
 浩平の部屋は、いまや無数の金だらいで埋め尽くされており、対角線上に浩平、留美が陣取っている。
 なお、この時点に至っても、ふたりは『浩平が起きていること』に気付いて居なかった。
 これは、消耗戦になるか? と浩平が思った時――、
「これで決めるわよ。覚悟っ」
 その思考の隙を突いたのか、留美が突撃を開始した。
 一瞬にして部屋の真ん中を突っ切り、さらに浩平に迫り――、
「上等だ! こいつを避けてみろっ!」
 そのタイミングを見計らっていた浩平が叫ぶ。
「ブライト艦長直伝、濃い弾幕金だらい!」
 同時に天井からの紐を八本、一気に引っ張った。
 途端、天井からクローゼットから勉強机の引き出しから――と留美を中心として全方位から金だらいが一斉に襲いかかってくる。
 留美は、そのうち一個に自分の鞄を投げ付けると、同時に自分も同じ方向へ突進。鞄が金だらいに当たったところでふたつ一辺を足場にし、残の七個を一筆書きの要領で全て撃墜せしめた。
「……嘘だろおい」
「なめないで欲しいわね」
 唖然とする浩平に対し、鞄を拾いながら、乱れた髪に手櫛を入れて不適に笑う留美。
「ならば、これで最後だっ」
 最後に一本だけ残った紐を引く。
 何も、起こらなかった。
「……あれ?」
 もう一度引っ張る。
 何も起きない。
「うりゃ!」
 さらにもう一度、強く引っ張る浩平。
 今度は千切れた紐そのものが落ちてきた。
「――不発みたいね」
 利き手をにぎにぎとしながら、静かな口調で留美。そんな彼女と相対し他浩平は至極真面目な貌になって、
「……あー、七瀬」
「何よ」
「話せばわかる」
「問答無用!」
 今度こそ容赦なく、留美は拳の射程範囲に浩平を捕らえた。
「あがっ」
 しかしその直後、特大金だらいが彼女の頭部を直撃したのである。
 そう、最初から最後まで、浩平のトラップであったのだ。
「ふはははは! 注意一秒怪我一生! 最後に笑うのはこのおれだげらっ」
 その金だらいは大きすぎたため、弾くのには無理があった。けれども留美が直前にそうしようとしていたためその落下軌道は辛うじて変わっており、それは部屋の端で跳ね返って浩平の側頭部に直撃したのである。



■ ■ ■



「――収まったね」
 と、玄関の前で待っていた長森瑞佳が呟いた。
「……結果は大体想像付きますが」
 同じように待機していた里村茜が頷いて答える。
 一瞬で終わらせてくると言っていた留美がなかなか戻ってこなかったので、ふたりは待ち合わせ場所から浩平宅まで移動していたのであった。
 そして玄関越しでもわかるその騒音に、収まるまで待つことにしたのである。
「また、わたし達みたいなことになってないと良いけど……」
「多分なっていると思います」
 そんなことを話し合いながらふたりが階段を上がっている間、再び階上から派手な音が響く。
「――まだ続いていたのかな」
「いま再開したんでしょう」
 お互いため息を吐きながら、浩平の部屋にたどり着く。けれども、その間に騒音はぴたりと止んでしまっていた。
 茜と顔を見合わせた後、瑞佳がドアを開けて見る。すると、浩平がベッドの上で腕を組み仁王立ちになっていた。足元を見てみると、留美が踏ん付けられている。
「ちょっと、浩平――」
 女の子踏み付けちゃ駄目だよ――と、瑞佳が声をかけようとしたとき、
「気持ちはわかりますが、踏んでいるのは自分の身体です――七瀬さん」
 茜が横から割り込んだ。
「え?」
 驚いて茜を見る瑞佳。
「七瀬さん?」
「はぁい」
 片手を上げて、浩平が答える。
「ど、どうしてわかったの? 里村さん」
 驚いた様子で、瑞佳が茜に問う。すると茜は間髪入れずに、
「浩平はそこまで勇ましくありませんから。――その、雰囲気的に」
「……よく見てるねぇ」
 驚嘆半分、感心半分と言った感じで瑞佳はそう結んだ。
「勇ましく感じられるのは、あんまり本意じゃないけどね」
 少し残念そうに、浩平がそう呟く。
「ぐぅ、くそう……」
 そしてその浩平の足許で、留美が悔しそうに呻いていた。
 浩平が気を効かせて足をどかしたので、ゆっくりと起き上がりながらも、彼から若干距離をとる。
「入れ替わったら、逆に有利になると思ったのに、なんで俺こてんぱんにのされてるんだ!?」
「そりゃ、思い通りに身体が動かせるんだもの。当然でしょ」
 と、両手を腰に当て、浩平が指摘する。
「……七瀬お前、一体何言って――」
「だから、こういうことよ」
 手近な新聞――不精をしてベッドで寝っ転がりながら読んだのであろう――を、浩平は丸めた。そして数回、片手で素振りをする。
「あたし今度はこれだけしか使わないから、全力でかかってみなさい。そうすれば納得するわよ」
 そう言って、不敵に笑う浩平。
「んなわけあるか!」
 すぐさま留美が突進し――、
「ふぎゃっ」
 一瞬で、すっ転ばされた。浩平はただ、丸めた新聞紙を一閃させただけである。
「わぁ……」
 ここまでの展開について行けなかったのか、それまでずっと黙って見ていた瑞佳が、小さく手を叩いた。
「七瀬さん、すごいねぇ」
「思ったより、なまってなかったわ」
 丸めた新聞紙で肩を軽く叩きつつ、満足気に言う浩平。
「むしろ前よりスムーズかもね」
「当然です」
 と、茜。
「浩平の膂力に、七瀬さんの技量が加わったんですから――言うならば、力と技のV3です」
 些か古い例えであった。
「……まぁいいや。あんまり面白くないからさっさと頭ぶつけて戻ろうぜ」
 もうこりごりだと言った感じで、留美が浩平に提案する。
「あぁ、あたしパス」
「は!?」
 それを聞いた全員――留美のみならず、瑞佳、茜でさえも――が、思わず耳を疑った。
「こんなに良い身体なんだもの。存分に使わせてもらうわ」
「使うって、何にだよ」
「剣の道によ」
「け、剣の道ぃ!?」
 予想外の展開に、戦く留美。対してそれほど驚かなかった瑞佳はぽんと手の平を叩いて、
「あ、そうか。七瀬さん腰を痛めて剣道辞めたんだっけ」
「そうよ。けどこうして頑健な身体が手に入った。続けない理由、無いでしょ?」
 身体をほぐすように大きく伸びをしながら、浩平がそう答える。
「というわけで折原はあたしとして暮らしてね。あたしはあたしで上手くやるから」
「冗談は顔だけにしろっ!」
「自分の顔でしょ」
「うぐぅ……」
 と、ふたりから距離を置いて事態を眺めていた瑞佳がそっと茜に囁いた。
「すごい。浩平が七瀬さんにやり込められてる……」
「体力的アドバンテージの差でしょうか」
 と、冷静に分析してから答える茜。
「くそっ! もう容赦しないからなっ。七瀬、俺の身体返せ!」
 ついに自棄になったのか、留美がそう叫んで浩平へと飛びかかろうとし、
「ぐおあああ!?」
 突然襲った腰の痛みに、悶絶の表情を浮かべる。
「駄目よ。そう言うときは膝を使うなきゃ」
 多少呆れた貌で、浩平。
「まぁ、慣れるまで頑張んなさい」
「え、でも七瀬さん」
 その浩平の袖を引っ張り、瑞佳が訊く。
「何?」
「な、何って――」
 普段よりずっと精悍に見える浩平に直視されて、思わず口籠もってしまう瑞佳。
「何か問題あるの?」
「だってこのままじゃ……」
 そこまで言って瑞佳は、のたうちまわる留美を眺めて一息置くと、急に真顔になって、
「……元に戻らない方がいいかもね」
「まて、長森!」
 よほど痛いのだろう。涙目になりつつも留美が突っ込みを入れた。
「ほら、瑞佳もああ言っているんだし、納得しなさいって」
 悪戯っぽく笑って、浩平が追い打ちをかける。
「納得出来るかっての! なぁ茜、お前だって嫌だろ?」
「いえ、それほどでは」
 こちらもまた、容赦の無い茜であった。
「な、何でだ!?」
「そのままなら、少しは大人しくなるかもしれません」
「それでいいのか、茜!」
「私は別に構いませんが」
 淡々と、茜。同時にそれ以上何も言えなくなる雰囲気を醸し出している。だが――、
「駄目だよ、里村さん」
 だが、そんな茜を止める者がいた。
「長森――」
 瑞佳である。彼女は、先程よりさらに深刻そうな貌で、
「それだけは、駄目だよ」
「そうでしょうか?」
 首を少しも傾げずに訊く茜に、瑞佳は拳を自分の胸に押し当てると、
「だって、その……女の子同士になっちゃうよ!」
 おそらく、クラスの男子の七割がその方が良い! と叫んだことであろう。
「突っ込むとこそこかよっ。ちーがーうーだーろー!」
「え? え!?」
 盛大にひっくりかえった後、すぐさま起き上がって大喝する留美に、おろおろする瑞佳。
「で、でも里村さんにとっては大事なことじゃ――」
「それでも私は別に構いませんが」
「絵的には美しいかもしれんが、なんか嫌だぁ!」
「あ、確かにふたりとも髪形似ているし、絵にはなるかも」
「髪の色の濃淡もありますから、映えるとは思います」
「そういう問題じゃねえええええ!」
 意図的なのかそうなのかさっぱりわからないが、ぼけ倒しなふたりに、留美がのたうちまわる。
 そんな三人を、浩平はまじめな貌で見ていたが、やがて我慢出来ないとばかりに破顔すると、
「あはははは! 冗談よ、冗談」
「え?」
 ぽかんとした様子で、瑞佳と留美が浩平を見る。
「せっかく進みはじめた乙女の道だもの。途中でやめるわけないでしょ? 剣の道はもう終わったの」
 茜が皆に背を向け、ほっとしたように息を吐いた。



■ ■ ■



「やっぱり自分の身体が一番よね」
「それについては同意だ」
 お互い元の体に戻った留美と浩平が頷き合う。
「って言うかお前、腰痛める前はあんなんだったのか……」
「まぁ、ね」
 床に落ちていた鞄を拾いながら、懐かしそうに留美が頷く。
「全国大会とか行けたんじゃないのか? もしくは世界大会」
「行けたわよ。でもその直前になって痛めちゃったの」
「――そうか、悪ぃ」
「謝らなくていいわ、折原。今は乙女の修行者なのよ? 私」
「……乙女って修行するものなのか? 長森」
「……そんなこと言われても」
 いきなり話を振られて、困惑する瑞佳である。
「まぁとりあえず――何をしているんだ、茜」
 そこで先程からがちゃがちゃとした金属音に気付き、浩平が音源に向かってそう訊いた。
 見れば、茜がひとり金だらいを片付けている。
「とりあえず、この金だらいを全部処分します」
 どこから持ってきたのか、ビニール紐で丁寧に梱包しながらそう言う茜。
「なんでまた」
 不思議そうな瑞佳と留美を横に浩平が訊くと、茜はさも当然なことをと言った様子で、
「ぶつかる度に中身が入れ替わっては、大変ですから」
 もっともな話であった。



Fin.







あとがき



 一体どれだけ間を開けてしまったのか数えるのもこわい状態ですが、どりふシリーズ最終作、無事に仕上がりました。
 しかしまぁ、七瀬メインで行くはずだったのに長森と茜が出張る出張るw。――いや、笑い事じゃないですね。
 さて、次回のONEは――少なくとも年明けになりそうです;

Back

Top