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あゆ、栞シナリオ未クリアの方、
このSSはネタばれになります。ご注意ください。
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『ここに、いるから』(2001.06.24)



「あーっ、もう、動かないでくださいよ。あゆさん」
「うぐぅ……そう言っても結構難しいよ……」
 よく晴れた公園。町外れに位置しているせいか、それとも晴れているとはいえまだ寒いせいか。どちらにしてもかなり広い割に、人は少ない。
 その公園の特徴である大きな噴水に、二人の少女が並んで腰掛けていた。片方は、鉛筆とスケッチブックを持って。もう片方は微動だにしない――よう努力していた。
「ま、まだ描き終わらないのかな?栞ちゃん」
「まだまだです」
 最近、近年まれにみる大手術(新聞で報道されたくらい)を見事に切り抜けた美坂栞である。手術後当初は車椅子の世話になったものの、今は軽く出歩くくらいの体力を持ち合わせていた。
 半分向かい合わせの格好になっている月宮あゆもまた、それ系で新聞報道に載った口である。こちらは七年も昏睡状態であったのにある日突然覚醒、さらには短期間で全快という『奇跡』をやってのけた。
 余談だが、両者とも、医学界のブラックリスト(関わりたくない患者)にしっかりとリストアップされていたりする。

「そういえば、あゆさん」
 スケッチブックに鉛筆を走らせながら、栞は訊いた。
「うん、なに?」
「最近、祐一さんと一緒じゃないですよね」
「うん」
「いいんですか?」
「何が?」
「……何でもないです」
 少しふてくされたように、答える栞。それは報復なのか、鉛筆のペースが少し落ちた。もっとも、『動かないように』を最重要課題としているあゆは全く気づいていない。そのまま穏やかな時間が少しずつ流れていく。

「それで、あゆさん」
「うん、なに?」
「祐一さんは今?」
「さあ?今日の予定のことはボク聞いていないから」
「そうですか……」
 いろいろあって、今は祐一の家――正確には水瀬家――に居候の身のあゆ。ついでに言うならば、栞と同学年である。本来、年齢上祐一達と同じ学年なのだが……そこにもそのいろいろが絡むのだ。

「あゆさん」
「栞ちゃん」
 三度目に起きた一瞬の間。今度はちょっとした緊張の空気が流れた。
「えーと、先にどうぞ。あゆさん」
「あ、いい?」
 にんまり笑うあゆ。どうもその言葉を期待していたらしい。
「栞ちゃん、祐一君のこと、気になるんでしょ」
 かり。鉛筆に入る力がリミットを越えてしまった。幸い紙には影響がなかったが、下書きにしては力強すぎる線が引かれてしまっている。
「な、ち、ち、違いますよ」
 明らかに長く太くなってしまったあゆの睫――これではふた昔前の少女漫画だ――を消しゴムで丹念に消しはじめる栞。
「ほんとかなー?」
「本当です!」
 綺麗に消しかすをとって……そこでいったん手を休めることにした。
「そ、それはちょっとくらいは気になりますけど……」
「うんうん、祐一君は競争率高いからがんばってね」
 達観したかのように言うあゆ。栞が手を休めたのを確認したのか、オーバーアクション気味に背伸びをしたりしている。
「高いんですか?祐一さん」
 首を左右にコキコキ鳴らしながらあゆが答える。
「うんうんうん。名雪さんは言うに及ばず、一緒に住んでいる――前にあったでしょ?――真琴もなんだかんだいってそうだし、後ボク達より二つ上の先輩達――えと、川澄先輩と倉田先輩だっけ?――も祐一君のこと気にしているらしいし……あと、栞ちゃんのお姉さん?」
「お姉ちゃんは違います!」
「え、違うの?」
「お姉ちゃんはただ、祐一さんからかっているだけですよ」
 何でむきになったのか自分でも分からなかったが、とりあえず言葉の後半は何とか平静に押さえ込むことが出来た栞。
「そうなの?」
 実はそうだったりする。
「んー、でも栞ちゃんのお姉さん抜いても四人でしょ。栞ちゃん入れて五人」
「それも違いますって!」
「だって今、熱心に聞いていたよ」
「そ、それは……私じゃなくて」
「?」
「私じゃなくて……その……私より、あゆさんですよ」
「え?」
 暖かい風が一陣駆け抜けた。強いけれども、難儀するほどではない。
「ボク?」
「そうです」
 鉛筆を持った手で、スケッチブックを押さえていた栞は再び描き始める。同時にあゆもさっきのポーズに固まりなおした。
「あゆさんの方が、気になります」
「なんで?」
「なんで、って……それは」
 言おうとしたが言い切れない。しかもそのままあゆが訊いてこなかったので、その話はそこで途切れた。再び暖かい風が一陣、駆け抜けた。



「別にいいんだ。ボクは」
「え?」
 おおっぴらな下書きが終わって、これから主な線というところで、突然そう言ったあゆ。
ややあって、それが先程の返事だと栞は気付いた。同時に気付くまでのその遅さに歯痒さを感じる。
「でも、やっぱりあゆさんは……」
「だから、いいんだ。それより栞ちゃん、どうしてそれを?」
 その言葉の中に問いただすという意味はない。ただただ無邪気な視線であゆはそう問う。
「……私の手術の直前に、お姉ちゃんが祐一さん達と一緒に何か探していたんです」
 その時点で、すう、とあゆの目つきが変わった。外見相応――栞よりも背が低いのだからしょうがない――の眼から、年齢相応の眼になる。いや、もしかするとそれ以上の、ずっと年上の目つきかも知れない。事実栞には姉よりもっと年上の女性を見ているような錯覚に襲われた。
「何か見つけたそうですけど、結局お姉ちゃんはそれが昔のものだとしか分かりませんでした」
「いい人だね」
「え?」
「祐一君に事情を聞かなかったんでしょ?いい人だよ」
「あ、ありがとう御座います……」
「それで?」
「それで……話はそれます。手術で入院していたとき、隣の病室にいた人の名前、わかったんです。手術後のリハビリで病院の中を歩いていて……見つけたときはびっくりしちゃいました」
「…………」
「だって、月宮、あゆ、って書いてありましらから」
「…………」
「私が手術のために入院したときには、もう居ませんでしたけど、看護婦さんに訊いてみたら、ずっとそこにいた人だったそうです。それでネームプレートをはずすのを忘れていたらしくて。確か……」
「七年」
「そうでした。それで何となく二つのことが結びついているような気がしたんです――もし、あっているなら話してくれませんか?」
「……いいよ。栞ちゃんなら」
 遠い遠い昔を懐かしむように、栞の遙か後方を眺めるようにあゆは語りはじめた。



 それはたいして長くもない物語。

 雪の降る間だけにあった物語。

 一人の少女が夢に落ちるまでの、ちょっとした出来事。



「……それから?」
「うん。ここからが長いんだ」



 それは長い長い夢。

 終わりというものが、全く見えなかった夢。

 でも、そこに少し揺らぎが現れて。

 その揺らぎが、どんどん大きくなって。

 一人の少女が夢から覚めた、そんな物語。



「こんなところかな?実はね、ボクが何で目を覚ましたか、ボクにもよくわからないんだ」
 日が陰ってきていた。あゆの話の終わり近くにあったものと同じ、赤い紅い夕方。傍らの地面には、鉛筆。気付かないうちに落としていたらしい。
「……祐一さんが、祐一さんがこの町に戻ってきたからじゃないですか?」
「そうかもね。うん。そうかもしれない」
 自分で納得するように頷くあゆ。
「実はね、祐一君が必死になってがんばってくれたのはボクだって知っているんだ。『見てた』から」
「それじゃあ……」
「でもね、それは好きな人のためって訳じゃないと思うんだ。だって、ね」
 祐一の隣には、いつも彼女が居る。長い髪の、いつも眠たそうだけど、自分が誰の側にいるべきかがわかっている彼女が。気にしているのレベルじゃない。すでに祐一だって気付いているのだから。それを受け入れたのだから。
「祐一君はね、放っておけなかったんだよ。ただそれだけ。……でも、それだけでがんばってくれる人がいるってことは、とても大事だとボクは思うんだ」
「……それは、私もそう思います」
「でしょ?」
 屈託なく笑うあゆ。
「だから、ボクはいいんだ」
 諦めではない。諦めでは、ここまで明るい目ではいられない。でも、それではなんなのか、栞にはわからなかった。わかれなかった。
「ボクはここにいるから。それで十分なんだよ。祐一君が、祐一君達が頑張ってくれなかったら、栞ちゃんは隣の病室でまだ眠っているボクを見つけたかも知れないんだ。ううん、もしかしたらいなくなっていたかもしれない」
 それは、栞にもよく分かる。常に隣り合わせだった『死』。
「いなくなるよりかは眠っていた方がずっといいし、眠っているままよりかは、目を覚ましたほうがもっといい。それが叶ったんだから。それだけでもすごいことなんだと思うんだよ」
 そろそろ帰ろっか?あゆが視線でそう問うてきたので、栞は鉛筆を拾って、開きっぱなしのスケッチブックを閉じた。ほぼ同じタイミングで、二人とも立ち上がる。
「それに、よく言うでしょ?『初恋は実らない』って」
 夕日を観ながら再び背伸びをして、あゆはそう言った。
 そして栞は気付く。自分がわかれない理由が。だから、思ったことを口に出した。
「あゆさんって、私なんかより、ずっと、ずっと大人です。そう思います。それに比べて私って、まだまだ子供ですね……」
 ふっと微笑むあゆ。それは、栞の姉が時折見せる笑顔によく似ていた。そして、もっともだというように首を大きく縦に振る。
「うん。ボクの方が少しだけ胸大きいしね」
「――何でそれを知っているんですかっ!」
「うっぐっぐ。隣の病室のことは、お互い様なんだよ〜」
「そんなこと言う人、嫌いですっ!」
「うっぐっぐ……」
「……背は私より低いのに」
「うっぐ――」
 辺りの空気が絶対零度近くに下がる。
 そのまま見つめ合うこと十数秒、今度は軽やかな二つの笑い声が夕暮れの風に乗ったのであった。


Fin





あとがき


 久々に書いたKanonSSは珍しくあゆと栞になりました。
 ちなみに私の書くSSでは、栞初登場です。姉に負けました。北川にも負けました。いや、ただ単に私が悪いのですが……。

 えーさて、あゆですが、かなりこっちで勝手に解釈しているので、微妙に性格が違うように見えるかもしれません。個人的イメージでは、あゆはあゆシナリオ後半のイメージが定着しているからでしょうか?外見と普段の言動は子供っぽいけど、中身は年相応かそれ以上。そう言ったイメージで私はあゆを捉えています。

 反対に栞はそのままですね。特にここはこうだろうと言うところはありません。彼女が今後SSに出るとしたら、あゆとセットの可能性が高いでしょうね(もしくは姉とセット。要するに彼女自身の話を書くのにちょっと自身がないと言うことです――栞ファンのみなさん、申し訳ない)。

 さて、次回は原点に立ち返り(!?)名雪で行く予定です。今度は早めに書き上げたいのですが……はたして?

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