超警告。CLANNADの隠しシナリオをクリアしていない人は
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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。
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「間もなく銀幕に出るのかと思うと……胸がドキドキします」
「お前なら大丈夫だろ」
「いってきまーす!」
冷たくなって来た秋の空気を胸一杯に吸い込み、間もなく十八になる汐がドアを開ける。
首にはマフラーが巻いてある。手編みで、途中で編み目が微妙に代わっていて、そして少しだけ古いマフラーだ。
『伝えるもの、受け継ぐもの』
■ ■ ■
それはある晴れた休日の、午後のことだった。
「それ、なんだ?」
「はい?」
何気なく発した俺のその一言で、そろそろお腹の大きさが目立って来た渚が、編み物の手を止める。
「あ、いや、そのままで良い。続けてくれ」
「ありがとうです。朋也くん」
わざわざ姿勢を正し、一礼してから編み物を再開する渚。その律義さに、俺は微笑ましいものを感じていた。
「で、それなんだ?」
「マフラーです」
「マフラー? 誰に」
「しおちゃんに、です」
俺は窓から空を見上げた。秋の始めとは言え、雲ひとつ無い蒼天から降り注ぐ陽光には未だに厳しいものがある。
「まだまだ暑いだろ」
素直に思ったままのことを口にすると、渚はちょっと困った貌で、
「朋也くん……しおちゃんが生まれるのはもっともっと先です」
――あ。
「そ、そうだったな。悪い」
渚のお腹が大きくなってからどうも、俺達の子供が明日明後日にでも生まれてくるような気がしてならない俺だった。
「でも、それはちょっと大きくないか?」
まだ端の方しか出来ていないが、そのサイズは子供用にして大きすぎる気がする。
「わざと大きめに編んでみたんです」
と、楽しそうに手編み棒を動かしながら、渚が答える。
「ずっと、ずっとしおちゃんに使ってもらえるように……」
そう言って、大きくなって来たお腹を愛おしそうに撫でる、渚。
「この冬は、寒くなるかもしれません。次の冬も、その次の冬もです。だから、しおちゃんが寒くないようにって編んでいるんです」
そう言って、お腹の子を見つめる渚の笑顔は、俺が今まで見たどの笑顔とも違う、母から子への慈しみの笑み――だった。
■ ■ ■
だから、中学に上がったばかりの汐がそれを見つけて俺に見せたとき、少しの間正視することが出来なかった。
時を止めたかのように、半分編まれたマフラー。
一気に記憶が巻き戻され、俺はそれが長いこと行方知らずだったことを思い出す。
「何処で見つけた? それ」
かすれてしまった声でそう訊くと、汐は屈託なく、
「押し入れ。衣替えしようとしていたら丁寧に包まれていたの」
と答えた。
「ねぇパパ、これって――」
「ああ、そうだ。汐、お前が寒くないようにってな」
俺は汐が最後まで言う前にそう答えた。
「そうなんだ……」
編みかけの目が壊れないようそっとマフラーに触れながら、汐が呟く。その瞳に浮かび上がった感情の色はとても複雑で、まだ動揺が治まっていなかった俺には、はっきりと読み取ることは出来なかった。
「パパ、この編み物……続けて、良い?」
「あぁ――いや、まだお前には難しいんじゃないか?」
「んー……」
両腕を組んで、悩む汐。
「でも、やってみる」
それなら、俺に異存は無かった。
「わかった。でも俺は手伝えないぞ、それでもいいか?」
厭味ではない。裁縫は以前杏のスパルタ教育を受けたことがあるものの未だに苦手であったし、そもそも渚が編んできたものに俺が手を加えて失敗作にさせたくなかったからだ。
何よりそれは、渚から汐へ贈ろうとしたもの。もしそれを誰かが続けるのだとしたら――それは、汐しか居ない。もちろんそれは、俺のわがままなのだが。
「うん」
それがわかっているのわかっていないのか定かではなかったが、汐ははっきりと頷いた。
「頑張るね、パパ」
「おう、頑張れ」
この時、お互いが長い話になることを覚悟していた。
俺は手伝わない代わりにいざという時のために毛糸を買い足しておいたし、汐はちゃんと編めるようにと早苗さんなどの女性陣に編み物について色々と教えてもらったらしい。
それでも初夏のころから再開された編み物は確実に進むものの、一向に完成する気配を見せず――、
「パパっ、見て見て!」
やっと編み上がったのは、秋が深まるころだった。
「お、どれどれ……」
読んでいた新聞を畳み、俺はマフラーを手に取る。何の変哲も無い、クリーム色のマフラーだ。けれども良く見ると、渚が編んだ部分と汐の編んだ部分が微妙に違っている。それはどちらが巧いとかそういう訳ではなくて、ふたりの個性が出ているためのようであった。
「良く頑張ったな、お前」
そう言ってそろそろ小さいと言えなくなって来た頭を撫でると、
「ありがとっ」
汐はそう言って、嬉しそうに目を細める。
俺は全体が見えるようにマフラーを広げつつ、
「長かったな。なんだかんだ言って4か月は――」
呼吸が、一瞬止まった。
「これは……」
端の方に、水色の毛糸が織り込まれている。
「ちょっとアレンジしちゃった」
そう言って照れ笑いを浮かべる汐。けれども、その表情は何かに気付いたかのように引き締まって、
「あ、もしかして余計なことを――パパ!?」
汐の声が少しだけ裏返った。それは、俺が抱き締めたためだ。
「ありがとうな、汐」
出来るだけ涙声にならないよう注意して、俺。
「……え!?」
俺の胸の中で、きょとんとした気配が伝わってくる。
「マフラーを編み上げてくれて、さ」
「……パパ」
俺の言動に何かを察してくれたのか、汐も俺の背中に手を回してくれた。
俺は汐を抱き締めたまま、もう一度マフラーの端――汐がアレンジしてくれた部分を見る。
そう。渚の意志を、汐は受け取っていたのだ。
■ ■ ■
「いってきまーす!」
冷たくなって来た秋の空気を胸一杯に吸い込み、間もなく十八になる汐がドアを開ける。
首にはマフラーが巻いてある。手編みで、途中で編み目が微妙に代わっていて、そして少しだけ古いマフラーだ。
端には、水色の毛糸でこう編み込まれている。
『Nagisa&Usio』――と。
「なぁ、汐」
「え!? なに?」
今まさに飛び出るといった感じだった我が娘が、急制動をかけて振り返る。
「……いや、なんでもない。――いってらっしゃい」
「? 変なおとーさん。んじゃ、いってきます」
なんとなく、見たくなったのだ。汐が完成時に織り込んだその名前を。
汐が登校して行く。足の速い娘だから、その姿はすぐに小さくなって、マフラーの文字はもう読めない。
俺は窓から空を見上げた。渚がマフラーを編んでいたあの時と同じように、蒼天には雲ひとつ無った。
Fin.
あとがきはこちら
「わたし出番あるかな……」
「昔のお前ならな」
あとがき
○十七歳外伝、映画公開直前編でした。
クラナドのイラスト、そして劇場版の予告ムービーなどで私が印象に残ったのは、渚が身につけているマフラーでした。
本編ではあまりか関わりがありませんでしたが、もし何かのキーになるのなら……そう考えて、今回の話が生まれました。果たして、劇場版ではどのような役割になるでしょうか――。
さて次回は、同棲編で。