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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。

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「8時だよ〜」
「全員〜集合〜」(*多数)











































  

  


 麗らかな春の日の、良く晴れた土曜日。
 わたし、岡崎汐はおとーさんの帰りを待っていた『予定をキャンセルした』。
 今日はお互い仕事と学業が午前までで、昼食を一緒に食べようと約束していたのだが、一足先に帰って待っていたところ、おとーさんからの電話がかかってきたのだ。曰く、急な仕事が入ったとのことで、昼食は一緒に食べられない、けど夕方までには帰ってくるとのこと。
 さてどうしよう……久々に外食でもしようかと思い、制服から外出用の私服に着替えたのだけれど、今ひとつ気が乗らない。
 なので、今のわたしは少しばかり暇だった。



『不思議の国のトリッパー』



 日光は暖く、風が心地良い。
 ふとちゃぶ台を肘掛け替わりにして、うとうとしかけたとき、玄関のドアが開いた。
「あれ、おとーさん早かったじゃな――いい!?」
 途中でおかしな声になったのには、訳がある。その日の朝、いつもと同じ格好で出掛けた筈のおとーさんは、何故か今燕尾服を着ていて、懐から伸びた金の鎖は右手に持つ同じく金色の立派な懐中時計と繋がっていた。そして極め付けは、頭の上に乗っかっている――、
「ちょっ、おとーさん! なんなのそのうさ耳はっ」
 思わずがばりと起き上がってそう叫んでしまう。なのに、おとーさんはその声が聞こえなかったかのように、
「やべ、遅刻だ遅刻」
 ――!?
「急がないとな……」
 そんなことを言いつつ、押し入れの扉を開けて中に潜っていった。
 ……押し入れ?
「おとーさん、急に押し入れなんかに入って、どうしたの?」
 慌てて真っ暗な押し入れに飛び込み、後を追う。
 ――おかしい。この押し入れ、こんなに深くはなかったはずなのに。
「おとーさん、何処まで行ったの……うわっ」
 思わず声を上げてしまうわたし。何故かと言えば、いきなり押し入れの床が抜けたのだ。
 まずい、落ちる――!
 落ちる……。
 落ち――あれ?
 結論から言うと、落ち続けていた。真っ暗な闇の中を、ただひたすら落ちて行く。
 と、上の方から光が見えた。おとーさん、かな? 根拠も無くそう思っている間に、その光りはどんどん近づいていき、
「お困りですかっ、汐ちゃん」
「ゴフ〜っ」
 何故かボタンに乗っている早苗さんが、そう言った。
「ええと、とりあえず現状をどうにかしたいです」
 色々突っ込みたかったが、とりあえずわたしはそれを抑え、そう言った。すると早苗さんは何処に持っていたのか、鍵のような杖を大きく振りかざし、
「夢の扉よ、開け〜っ」
 大人気ないです、早苗さん。わたしがそう思う間もなく、辺りを光が舞い――。
「へやーっ!」
 何故か上半身裸のあっきーがバイオリンを弾きつつ、わたしの前から後ろへと通り過ぎて行った。



 へぎょー! と、鹿の鳴く声で我に返った。
「……どこ、此処」
 森林……っぽい。けれども、良く見れば其処は巨大な井戸の底に居るようだった。というのも、木々を囲み込むように高い、高い煉瓦の壁がそびえ立っていたのである。
 そう、わたしは尻餅を付く形で空を見上げていたのだ。
「いつの間に、外に出たのかなぁ……」
 そう呟きつつ立ち上がり、無意識に腰の辺りをはたいて気が付いた。さっきまで着ていた服と触感が明らかに違う。
「な、なにこれ!?」
 空色の袖が膨らんだドレス、真っ白なエプロン、同じく真っ白なタイツにドロワーズ、黒い革靴にカチューシャのようにかけられたリボン――。
「うわあ……」
 思わず呟いてしまう。
 これはちょっと……わたしのような十七歳の女の子が着るには恥ずかしい格好だった。
「気に入りましたか? 汐ちゃん」
 足元で、聞き慣れた声がする。
「ふぅさん?」
 そう、わたしの幼馴染みで今は学校で美術を教えている、伊吹風子先生の声に間違いない。間違いないが……、
 不可解なことに、すぐ側――わたしの足元に居たふぅさんは小さかった。それも人間サイズじゃない。あっきーの部屋に飾ってあるプラモデルくらいの大きさで、おまけにモスラの幼虫と成虫を掛け合わせたような、あまり可愛くない着ぐるみを着込んでいた。
「風子ではありません。風子は、お蝶夫人です」
 自分で言ってるじゃない。わたしはその言葉を飲み込んだ。小さいふぅさん――いや、お蝶夫人は今、静かに私を見上げている。
「それで、その服は気に入りましたか? そうでないのなら、他に新旧スクール水着、競泳水着、スペシャルとして白スクール水着がありますが」
「遠慮します」
 わたしははっきりきっぱり断った。
「汐ちゃん――サービス精神がありませんっ!」
「なくていいですっ!」
 そもそも見たい人が居るのだろうか、わたしのそんな格好。っていうか何で水着しかないのだろう。
 さて、どうしたものか……じゃない。やることはもう決まっている。
「ねぇ、ふぅさん……もとい、お蝶夫人。ここにうさ耳をつけた男の人通らなかった?」
 燕尾服を着て、金色の懐中時計を持った――、
「白兎さんですか。それなら先程、急いで黄色の扉を抜けていきました」
「黄色の扉?」
「案内しましょう。こっちです」
 そう言って、気ぐるみをうねらせながらお蝶夫人は歩きだした。……歩きだしたのは良いのだが、サイズが小さいためあまり進まない。こうして見ている間でも、離れた距離は30センチほどだった。
「あの、お蝶夫人。もしよければ……」
 そう言って、わたしは膝を付き、手を差し出す。
「――カヲル君は勘弁です」
「いや、そんなことしないから」
 全力で首を横に振ってみせると、お蝶夫人は少しの間考え、その後跳びはねるようにわたしの手のひらに乗った。
 わたしはお蝶夫人が落ちないよう慎重に立ち上がり、彼女が指さす先にゆっくりと進み出す。
「んー、快適ですっ!」
 早くもご満悦なお蝶夫人だった。
 やがて――と言っても、この場所が狭いため本当にすぐだったのだが――煉瓦の壁に辿り付く。
「下を見てください」
「これ?」
「それです」
 なるほど、確かに黄色い。けれどもその扉は、ふぅさんサイズだった。どう考えても、わたしじゃ此処を潜れない。
「でもこれ潜れないじゃない」
「心配には及びません」
 そう言って、お蝶夫人は背中に手を突っ込んでごそごそと手を動かした後、
「これを汐ちゃんにあげましょう」
 そう言って、妙にリアリティの高いクッキー大のヒトデをふたつ、わたしに手渡した。
「そっちの赤いヒトデを食べると大きく、青いヒトデを食べると小さくなります」
 な、なるほど……。
「ええと……ふたつに折って、中の卵を食べるんだっけ」
「いえ、そのままがぶりと」
「がぶりと?」
「はい、がぶりと。――美味しいですよ?」
 いや、ですよと言われても、歯が欠けるような……。
 でも、ここで立ち往生しても仕方ない。わたしは意を決して、青いヒトデをひとかじりした。
「あ、なんだ。お菓子か」
 砂糖菓子のようにさっくりとそれは砕け、口の中に広がる味も砂糖菓子そのものの甘さだった。――微かに、炭酸飲料の味もする。
「お菓子ではありません。ヒトデです」
「うおわっ!」
 わたしのすぐ側で、標準サイズになったお蝶夫人が憮然とした貌でそう言った。いや、彼女が言った通りわたしが小さくなったのだろう。
「これなら、潜れるわね」
 ノブを軽くひねると、その扉はあっさりと開いた。
「――道に迷ったら、誰かに頼ると良いでしょう」
 わたしから背を向け、ゆっくりと歩み去りながらお蝶夫人は言う。
「ありがとう、お蝶夫人」
 わたしはそう礼を言って、前へと進んだ。



 煉瓦の壁を抜けたら、そこは完全に森だった。わたしはまず赤いヒトデをひとかじりして――こちらはほんのりと苺の味がした――元の大きさに戻り、先へと進む。森と言っても、古い煉瓦が敷き詰められた細い道が真っすぐとは言えないけれども一本伸びており、わたしは迷う事なく先に進むことでできた。
 やがて、目の前の森が拓けて来た。わたしは少し速足になってその場所に足を踏み入れる。
「わ……」
 そこは、煉瓦でできた円形の広場だった。道はそこから、大きく枝分かれしているようで――、
「なに、これ……」
 四つ辻どころじゃない。十六辻もあった。それぞれには幹線道路で見かける大きな道路標識が、一本ずつ立っている。
「ええと、この先イーハートーボ、この先アタゴオル、この先えいえんのせかい、この先千年……んなっ」
 其処から先の、標識が消滅していた。正確には、文字だけが消しゴムで消したかのように消失していたのだ。あわてて入ってきた道に戻るとそこにも何も書かれていない。
「うーん、どうしよ」
 こういった場合、引き返すのがセオリーだ。けれど帰り道はわかっても間違っている可能性も無いとは言い切れないし、そもそもそれではおとーさんを見つけることができない。
 いっそのことあたりを付けて進んでみようか。そう思った時――、
「……お困りのようですにゃー」
 いきなり頭上から声がかかった。あわてて顔を上げると、さっきまでは誰もいなかったはずのアタゴオルの標識の上に、俯せになっている人物が居る。
 ことみちゃんだった。だったが……、
「せ、セクシーダイナマイツ……」
「?」
 赤紫と青紫の縞々全身タイツはその……ボディラインが出過ぎてて目のやり場に困る。猫耳と長い尻尾は、正直言って良く似合うのだけれど。
 と、ことみちゃんは手を軽く握って手首を曲げると、招き猫のようにわたしへとその手を突き出して、
「にゃーん」
 そのポーズのまま動かなくなる。……普段からとらえどころの無いその目は、どことなく期待されているような気がする。
 仕方なく、わたしも同じポーズをとった。
「にゃ、にゃーん……」
「うにゃにゃ」
「うにゃにゃ……」
「……ふるふるふるむーん」
「ふるふる――って、それ猫じゃ無いし」
 思わず突っ込みを入れてしまうわたし。
「ええと、ことみちゃん?」
「……ネコミミモードでーす」
 再びうにゃにゃとポーズを取る。
「違うって事?」
「ひらがなみっつで、ことみ。チェシャ猫ことみ。呼ぶ時はチェシャ猫ちゃん」
 ……ああ、なるほど。わたしは納得した。正確には納得するしか、ないようであった。
「……お困りのようですにゃー」
 と、再びチェシャ猫ちゃん。
「おと――白兎を追っているの。此処まで来たのは良かったんだけど、標識が無くて。折角だから真っすぐ進もうかと思ったんだけど」
 わたしがそう言うと、チェシャ猫ちゃんはちょっと真面目な貌になって、
「そっちはだめ。同一の存在が接触すると、対消滅を起こす危険性があるにゃー」
「へ?……」
 そういえば、ここだけ標識の文字がうっすらと残っている。幻想――までは読めたけど、残りは完全に消えていた。
「なら、こっちは?」
 わたしはその隣の標識を指さす。
「そっちに行くと、百発百中鯛焼き食い逃げ犯として、濡れ衣を着せられることになるにゃー」
 それは遠慮したい。
「じゃあこっち」
「そっちは、売れない人形遣いの代わりに、放浪の旅をすることになるにゃー」
 旅そのものは好きだけど、それも遠慮したい。
「これはどう?」
「そっちは、悪戯好きな男子学生の代わりに蜂蜜練乳ワッフルにトライなのにゃ」
 それは――行けなくもないけど、しばらく胸焼けが収まらない気がする。
「これだっ!」
 わたしはもう適当に、左直角の標識を指さした。
「こっちは……多分もうすぐお茶会。でも其処に居るような気がするにゃー」
「本当? って、チェシャ猫ちゃん!」
 思わず叫んでしまう。何故なら、チェシャ猫ちゃんの身体が徐々に透明になっていったからだ。
「急がば回れ、急いては事を仕損じる。昔から言われていることだけど、真実だと思うの」
 その姿は完全に消え、チェシャ猫ちゃんの髪飾りだけが、宙に浮かんで残って居た。なのに、声だけはしっかりと残っている。
「だから、ゆっくり休むと良いと思うにゃー」
 それを最後に髪飾りも消え、辺りに居るのはわたしだけになった。
「ありがとう、チェシャ猫ちゃん」
 わたしは、チェシャ猫ちゃんが指し示してくれた道を真っすぐ進むことに決めた。



 真っすぐだった木々が、徐々に曲がりくねって来ている。
 それは進む毎に進行していって、気が付けば辺りはジャングルのような様相を呈していた。
「こんな処で、お茶会?」
 長いスカートが木の枝に引っ掛からないよう極力注意しながら、わたしは前へと進む。あの十六辻から続く煉瓦の道はまだ健在で、ただひたすら歩くだけと言うのは、ある意味非常に助かっていた。
 と、辺りが前のように少し拓けてきた。けれども前と違って慎重にわたしは進む。ひとつは先程も言った通りスカートの裾が筆禍から無いようにするため。もうひとつは、お茶会と言っても誰がしているのかわからないため。
「うわ、本当にしてる……」
 はたして、目の前の拓けた場所ではお茶会が開かれていた。
 畳よりも広い、巨大な辞書の上で。
 そして、そこでお茶会を開いていたのは、どう見ても藤林杏先生と坂上智代師匠だった。どちらも何だかものすごい格好をしている。
「あら、誰かと思ったら汐ちゃんじゃないの」
 状況の突飛さに足を止めていたわたしを藤林先生がみつけ、こっちへ来いとばかりに手招きをした。
 わたしはゆっくりと歩み寄り、二人が作ってくれた席に腰を下ろす。ちなみに椅子も、座布団みたいに大きな辞書だった。
「えっと、藤林先生ですよね?」
「藤林? 違う違う、あたしは三月兎」
 それでバニーガールなんですね。
「私はマッドハッターだ」
 カタカナじゃないと昨今の表現上不味いんだぞと続ける師匠――もといマッドハッター――に、わたしはハイとしか頷けない。しかし、頭にシルクハット、上がYシャツで下がブルマでは確かにマッドハッターとしか言いようが無かった。
「ようこそ、あたしのアンチ誕生会へ」
「へ?」
 聞き馴れない単語に変な声を出すわたし。すると三月兎はカフスの付いた右手を上げて自分自身を指さすと、
「今日はアンチ誕生日よ。あたしの」
「アンチ誕生日?」
「そ。要するに、誕生日じゃない日を祝うのよ」
「つまり、私のアンチ誕生日でもある訳だ」
 と、マッドハッターが言う。
「なら、わたしのでもあるってことですよね」
「あら、普段はふたりなのに、今日は三人なのね。お目出度いじゃない、派手にやりましょ、派手に」
「それは良いですね」
「ふむ、風流ってやつをわかってるな。汐」
「だって、わたしの誕生日ってお母さんの命日ですから。それ以外の日を祝う方が良いじゃないですか」
 三月兎とマッドハッターが、ほぼ同時にお茶を吹いた。
「こ、ここでヘヴィな内容を持ってくるかー!」
 と、マッドハッター。
「す、すみません……」
 確かに言うべきことでは無かったかもしれない。わたしは素直に反省した。
「まぁそれはさておき、生ガキ食べる?」
「いえ、遠慮します」
 お皿に載っているの、干し柿だし。
「じゃあこっちの枝豆はどうだ?」
「あ、どうも……」
 何でお茶会なのに、載っているものが居酒屋風なんだろう。
「それじゃ改めて、乾杯っ」
「乾杯」
 三月兎の音頭と同時に渡されたカップを持ち上げて、わたしも唱和した。
 飲んでみると、お茶は普通の紅茶の味がしたが、なぜかホットなのに発泡していた。これはこれで、なかなかに美味しい。
「ところで、こちらに白兎が来ませんでしたか?」
 と、わたし。
「あぁ、来たぞ」
 マッドハッターが、油で揚げたパスタを齧りながら頷く。
「急いでいるって、お茶を一杯飲んだら行っちゃったわ」
 こちらはつまらなさそうに三月兎が補足した。
「あーあ、結構良い男だったのになぁ――」
「そのうち良い人が見つかりますよ」
 対して根拠も無かったがわたしがそう言うと、三月兎は嬉しそうに、
「ありがと、汐ちゃん。本当に良い子ね」
「ど、どうも……」
「思わず食べちゃいたいくらい」
「ぶっ」
 むせる。
「無論、性的な意味だろうな」
 と、マッドハッターのいらない補足。
「知っているか? 三月兎とは元々はつじ――」
「わーわー! ストップストップ!」
 意味をよく知っていたので、わたしはあわててその先を誤魔化させた。
「と、ところでさっき言った白兎、何処に行ったのか心当たりあります?」
「それは――」
 三月兎が考え込む。
「行くところとしたら、あそこしか無いだろう。近いうちにあれがあるとも聞く」
 いくぶん真面目な貌で、マッドハッターがそう言った。
「あれってなんです?」
 わたしはそう訊いたが、
「この道を真っすぐ行った先に門がある。そこを潜れば、お前は白兎に会えるだろう」
 おとーさんの居る場所だけが、答えとして返って来た。
「そうですか……。えっと、すみませんけど、そろそろお暇します」
「あぁ、行くのか」
「はい。行かないといけないので」
「それじゃあ、次のアンチ誕生日にね」
 三月兎がそう言って笑い、何かを取り出した。
「はいこれ。きっと汐ちゃんの役に立つと思うわ」
「あ、ありがとうございます……」
 それは、スリムな懐中電灯だった。大きさは、折り畳んだ折り畳み傘と行ったところだろうか。わたしはそれをエプロンのポケットに仕舞う。
「気持ち良く、歌ってらっしゃい」
「そうだな、良い気晴らしになるだろう」
 ……?
 ふたりの残してくれた言葉に疑問を持ちつつ、私は礼を言って、お茶会を後にした。



 ジャングルが、徐々に元の真っ直ぐな木々に戻ってきたと思っていたら、今度は疎らになってきた。最早森とは言えず、林に近いものとなっている。御陰で先が見渡せるようになり、ずっと続いている煉瓦の道の行く手には、同じく煉瓦で出来た壁が見渡せた。
 程なくして、その壁に出る。煉瓦の道は煉瓦の壁と直角に交差し――その交点には、金属と思しきもので出来た背の高い門があった。
「開くかな……」
 そっと押してみる。が、想像通りびくともしない。
 これは、お蝶夫人から貰った赤いヒトデで巨大化でもして乗り換えようかと思ったとき――、
「来たのか、汐」
 門の真上から、声がかかった。
「よ、芳野さん?」
 声は間違いなく芳野祐介さんのもので、見上げてみれば門の上にベンチに座るように腰掛けている。
「違うな。俺の名は……ハンプティ=ダンプティ。さすらう愛の狩人さ……」
 だからスナフキンの格好なんですね。でも、
「その太ったお腹は……」
「安心してくれ。詰め物だ」
 そ、そうですか……。
「えっと、此処を通りたいんですけど」
「俺の魂を震わせてみろ。そうしたら通してやる……もちろん、歌でな」
 なるほど、それなら心当たりがある。
「えっとなんだっけ。ハンプティダンプティ――」
 わたしは彼の出典であるマザーグースを歌ってみた。
「……駄目だな。それでは俺の魂は震えない」
 ならばっ。
「……ふむ、ひとりで、しかもふり付きで『もってけ! セーラーふく』を歌える奴がいるとは思わなかった」
 そう。歌いながらダンスをするのって、案外きつい。うちの部で練習した時も、一年生のそのほとんどが終了時にダウンしたくらいだ。
「……だが、まだ遠い」
 むうっ。
「YOYOおれ岡崎! お前は――自爆が好きなガンダムパイロット!」
「熱いシャウトだな。任務了解と叫びたくなる。しかし――」
 ええいっ。
「何処から来た芳野〜何処へ行く芳野〜唯ひとりの芳野〜」
「バラードだな。惜しいところまでは行ったが――」
「両手には、降り注ぐ、かけらを――」
「『Last regret』とは懐かしい。しかし残念ながら100万回は聴いているな」
「消える飛行機雲、追いかけて追いかけて――」
「『鳥の詩』は基本だろう。それは150万回だ」
「冷たい朝の日も、迷わずに進んで行くよ――」
「『メグメル』か……そっちは120万回聴いたな」
「君の声っ忘れないっ涙もっ忘れないっ――」
「『リトルバスターズ』だな。残念だが予約済みだ」
 ならば奥の手!
「だんごっだんごっ……」
「むう、『だんご大家族』!」
 ハンプティ=ダンプティの手がぴくりと動いた。
「だがしかしそれは、禁じ手だ。評することは出来ない」
 く、くうぅっ。
「どうした? 俺の魂を震わせるんじゃなかったのか?」
 門の上に腰掛けたまま、ハンプティ=ダンプティはそんなことを言う。
 彼の魂を震わせる曲――そんな唄が、あるのだろうか。私は目を閉じて記憶の中に納められたメロディを片っ端から再生していくことに集中する。
 そう言えば、昔おとーさんの膝の上で、芳野さんの生演奏を聞いたことがある。確かその歌は……。
 わたしは、深く息を吸った。
「む?」
 微妙な変化を感じ取ったのか、ハンプティ=ダンプティが身を乗り出す。

「おぅいえ〜い、公子〜、
 その目で『了承』とか言われた日には、御飯三杯は行けるぜ〜
 おぅいぇ」

「む!?」

「俺が最高なら〜、
 お前がヒロイン〜、
 ふたりして目指そうぜ千年の空〜
 おぅいぇ」

 ……あまりに恥ずかしい歌詞だった。けれども――、
「……か、感動した!」
 どうにか四分の一ほどでその魂を震えさせることが出来たようだ。もし全部歌っていたら、恥ずかしさのあまり倒れていただろう。公子さんか、わたしが。
「さぁ、通るが良い」
 そう言いながら、門の上から飛び降りるハンプティ=ダンプティ。地面に着いた途端、門がゆっくりと開いていく。
「ただし――」
 門を見上げながら、彼は続ける。
「首を、刈られないようにな」
 ……首?
「ありがとう、ございます……」
 わたしはそう言って、先に進むことにした。



 此処まで続いて煉瓦の道は、門を潜った途端無くなっていた。
 正確には幅が大きく広がり、立派な庭園となっていたのだ。
 そして……、
「うわぁ……」
 いたるところで、春原のおじさまが働いていた。その髪の色は金色で顎髭がない。どうも、写真で見た学生時代のおじさまのようだった。
「何をしているんです? 春原のおじさま」
 とりあえず、一番近くにいたおじさまに声をかける、すると近くにいたおじさま達が数名、一斉に振り向いた。……その光景、少々心臓に悪い。
「春原? ハハハ、何言ってるの汐ちゃん。僕はハートの兵士の3、女王様の忠実な家来さっ」
「春原? ハハハ、何言ってるの汐ちゃん。僕はハートの兵士の7、女王様の忠実な家来さっ」
「春原? ハハハ、何言ってるの汐ちゃん。僕はハートの兵士の5、女王様の忠実な家来さっ」
「春原? ハハハ、何言ってるの汐ちゃん。僕はハートの兵士の6、女王様の忠実な家来さっ」
「春原? ハハハ、何言ってるの汐ちゃん。僕はハートの兵士の4、女王様の忠実な家来さっ」
「は、はぁ……」
「「「「「五人揃って――」」」」」
「「「「「ハートの皆殺しっ!」」」」」
 嫌なグループ名だった。
「それでその、今何をして居るんです? ああ、代表の方一名のみのご回答を期待します」
 なんかインタビューじみてきたが、一斉に答えが返ってくるのも困る。その効果はあったようで、ハートの兵士の3だけが口を開いた。
「ああ、この薔薇をお昼までにだんごに変えてくれってさ。まぁ女王様の御命令だから、喜んでやるんだけどね」
 だ、だっ、だんごぉ!?
 ――そんな命令を出す女王様を、わたしは初めて聞いた。
「……その、ついでにもうひとつ。白兎を見ませんでしたか? これも代表の方だけで結構です」
「ああ、見たよ。慌てて女王様の所に行ってたけど、アレは後で怒られるね。でも大丈夫、僕らは遅刻なんてしていないからさっ」
「では、今手を休めているのは処罰の対象にならないのでしょうか?」
 随分と冷たい声が、あらぬ方向から上がる。
「「「「「ひいぃぃぃッ!」」」」」
 一斉に悲鳴を上げるハートの兵士達。気の弱い人なら、卒倒しかねない光景だった。
「「「「「じょ、じょっ、女王様〜!?」」」」」
 わたしと相手していたハートの兵士達だけではない。目に映る範囲で、庭園にいる兵士という兵士が、たったひとりに跪いていた。
「――処罰は後にします。お客様がいらしてますので」
 その人は、真紅のドレスに同じく真紅のマントを羽織り、白金のティアラを戴いていた。
「しおちゃんですね、良く此処まで辿り着きました」
 わたしに相対して、その人は言う。対してわたしは困ったことに、絶句することしか出来なかった。
「お母さん!?」
「誰のことですか? わたしは……ハートの女王です」
 そんなこと言っても丸っきりお母さんだ。ただ、付け毛なのか元からそうなのか、髪が長い。
 そんな髪形だから、ある意味わたしに似てなくも無い。――当たり前のことだけど。
「……ご無礼を、お許し下さい」
 出来るだけ不遜にならないように、わたし。
「気にしません。お客様の首をはねるほど、わたしは狭量じゃないです」
「は、はぁ……では、ハートの兵士の皆さんも同様に御願いします。わたしが話しかけたため、彼らの仕事がとまってしまいましたので」
「良く言ってくれました。彼らの首刈りは免除します。それと、わたしと同行することも許しましょう」
「こ、光栄です……それでその、どちらに?」
「これから裁判です。わたしは責任者として、出席しなければなりません」
 は、はぁ……。
 妙に威厳のある女王様と並んで、わたしは庭園の中を歩く。行き先には大きさはそれほどではないものの、実に堂々とした西洋風のお城があった。
「あの、もうひとつ良いでしょうか、女王陛下」
「なんでしょう?」
「此処に至るまでいろいろな人に出会いましたけど、皆わたしの名前を知っていました。陛下もそうです。どうしてご存じなのでしょうか」
「それは、簡単なことです」
 講義するように人差し指を立てて、女王様。
「しおちゃん、貴方が有名だからですよ。皆に望まれて生まれて来たことを、わたしの国民は皆知ってるからです」
 え……?
「それなのに、ルールを守れなかった者が居ます。本来なら即首刈りですが念のため裁判をしようということになりまして」
「念のため……ですか」
「はい。わたしの国は法治国家ですから」
 念のためで裁判をやるような国は法治国家とは言えないが、わたしは口をつぐんでおいた。
「何ですから、今日中に結審してしまいましょう」
 随分と気軽に女王様が言っている内に、わたし達はお城に着いた。



 裁判所と言えば社会科見学で見た程度だったが、あの内装は何処も一緒らしい。目の前に広がっている光景は、昔見たものと大きく変わってはいなかった。ただ広さは一級で、傍聴席は人で溢れかえっている。
 被告人は元より、裁判長、検察、弁護人もまだ居らず、わたしは女王様と傍聴席最前列に陣取っていた。
 ざわざわとゆれる傍聴席だが、女王様の周囲5メートルほどは随分と静かである。
「えー、それではこれより裁判を始めます」
 突如後方から現れ傍聴席を掻き分けるように進み、裁判長の席の隣に立った人がそう言った。
 その人物は、探していたおとーさん、いや――今までのことを考えれば――、白兎だった。
 驚く間もなく、白兎は法廷の主要人物を読み上げる。
「被告人……岡崎渚!」
 ――え!?
 危うく、声を上げるところだった。
 お、お母さんがふたり!?
 立ち上がりそうになるのを堪えつつ、隣に座る女王様と、被告人入場口から現れた人物を見比べる。どちらも紛れも無くお母さんで、被告人席の方に立つ人物だけはいたって普通の格好だった。
 音もなく女王様が立ち上がり、裁判長の席に着く。
 他の席には、誰も座らない。
「弁護人、ハートの女王様! 検察、ハートの女王様! そして裁判長、ハートの女王様!」
 白兎が一気に読み上げる。
「これより、開廷します」
 女王様の厳かな一言により、傍聴席は静まり返った。
「冒頭弁論!」
 白兎の宣告と共に、女王様が立ち上がる。
「……被告人は、禁じられている干渉を行いました」
 いつの間に持ったのだろう、死神が持つような鎌をお母さんに突き付けて言う。
「あちら側には干渉してはならない。それは貴方も知っていたはずです。何か、申し開きはありますか!」
「……いえ、無いです」
 ええ!?
 女王様とお母さん、どちらも何を言っているのか良くわからない。けれども、一律に頷いているお母さんにわたしは違和感を覚えた。
「宜しいです。それでは弁護は無しにして、てきぱきと進めてしまいましょう。被告人、岡崎渚は、ゆうざ――」

「異議あり!」

 乱入上等で、わたしは立ち上がり、叫んでいた。
「……しおちゃん、貴方はお客様です」
 と、女王様。
「ですが、我が国の内政事情に干渉するというのなら、それ相応の報いを受けて貰います」
「それでも異議ありです!」
 力一杯胸に空気を送り込み、精一杯声を張り上げて、わたし。
「しおちゃん、駄目ですっ! 戻って、戻ってくださいっ。元の道を辿って、あの井戸を上れば――」」
 お母さんが叫ぶが、
「喋りすぎです」
 女王様が音も無く忍び寄り、マントでお母さんを包む。再びマントを開けたとき、お母さんの姿は何処にも無かった。
「――女王陛下、わたしのお母さんは何処に?」
「さぁ、何処でしょうか」
 薄く嗤って、惚ける女王様。
「わたしを倒せば、わかるかもしれません。どうしますか? しおちゃん」
 それなら、答えは決まりきっている。
 わたしは静かに進み出て、女王様と相対した。
「そうですか。残念ですが、貴方を叛逆者に指定します」
「その宣戦布告、確かに承りました」
 やることができた。
 お母さんを助けて、此処を脱出する。
 それはとても難しい事だけど、わたしの手で、なさなくてはならない。
「ハートの兵士達よ!」
 女王様の一声で、ありとあらゆる場所からハートの兵士が乗り込んできた。
「やっておしまい! ですっ」
「アラホラサッサー!」
 迷わずに、こちら向かって殺到するハートの兵士達。わたしは構え鋭く息を吸うと、
「ドロワーズだからスカートの中身見られても困らないキーック!」
「ひいぃッ」
「ひいいぃッ!」
「ひいいいいぃッ!」
 吹き飛ぶハートの兵士達を余所に、女王様に敵意の混ざった視線を向ける。
「なるほど、流石はしおちゃんです」
 自分の兵士がやられたというのに、女王様は微笑むだけだった。
「いいでしょう。わたし自身が相手になります」
 そう言って、真紅のマントを脱ぎ捨てる。その下は、黒光りする甲冑だった。
「しおちゃん、ひとつだけ言い忘れていました……」
 両手鎌を構えて、お母さん。
「アイアム、ユアマザー!」
 嘘を言うなっ。そう言い返す前にわたしは姿勢を思い切り低くしていた。頭上のすぐ上を、鎌の刃が通り過ぎていったからだ。
「――良く避けました」
 予備動作なしで懐に飛び込み、大きく鎌を振るったというのに、呼吸ひとつ乱さずに、女王様。こう言ってはなんだけど、見た目よりずっと強い。
 さて問題はあの鎌。白羽取りは難しいけど、あの長い三日月型の刃に蹴りを何度か当てれば、折れないこともないだろう。って待て。
 二度目の斬撃を、わたしはわざと大きく避けた。
「び、びっ、ビームぅ?」
 そう、さっきまで金属だったはずなのに、女王様の鎌は光の刃になっていた。現に、巻き添えを食らった裁判長の席が、まっぷたつになった上激しく焦げている。
 困ったことになった。懐に潜り込むには、あの鎌をどうにかしなきゃいけないのに、避ける以外に手段がない――ってこれも待て。多分気休めだけど、一回くらいは、受け止めてくれるかもしれないものがある。わたしはエプロンのポケットから三月兎とマッドハッターがくれた懐中電灯を取り出した。
 ついでに、目眩ましになるかもしれないのでスイッチを入れてみる。
「わ」
 発光部を自分に向けていなくて良かった。何故なら、ライトセーバーやビームサーベルよろしく、光の刃が伸びたのだ。でも、これならいける。
 わたしは静かに懐中電灯を構えた。
「……おもしろいです」
 と、楽しそうに嗤う女王様。再び予備動作無しで接近、斬撃を放つが――今度はわたしの懐中電灯ががっちりと受け止める。
 受け止めて初めてわかったが、この一撃、思っていたより重くない。内心受け止められないことを危惧していたわたしは、これで思い切りやれることを確信した。
 あれだけいた傍聴人は影を潜め、代わりにハートの兵士達に埋め尽くされた法廷で、わたしとハートの女王様とは、それから数十合打ち合った。
「即位して後――」
 息を整えながら、女王様は続ける。
「幾多の罪人の首を刎ねましたが、これ程興奮することはありませんでした。感謝します、しおちゃん」
 わたしはそれに答えない。ただ、額に浮いた玉のような汗を指で弾く。
 弾いたと同時に、女王様が一気に間合いを詰めて来た。わたしは懐中電灯を振りかぶると、眼前に迫る女王様の鎌へ、回避も防御も無視して一気に斬撃を叩き込む。
 手は離さなかったものの、両手鎌と持ち主との距離が一時的に伸びた。
「お覚悟っ!」
 わたしは其処に、乾坤一擲の突きを放とうとし――、
「しおちゃんやめてくださいっ!」
 その一言でわたしの切っ先は大きくずれ、床に鋭い刀傷を残した。
「――迷いましたね」
 お母さんの顔で、女王様は低く嗤う。
「しおちゃん、これでもうわたしを斬ることはできないです」
 あ……。
 わたしは、懐中電灯を取り落としそうになった。
 ひとつは女王様の言う通り。もうひとつは、今の今まで、本気で女王様を討とうとしていたこと。
 無論、人を斬ろうなんて思う方がどうかしている。
 女王様が楽しそうに嗤って、鎌を構え直す。対してわたしは、膝を付いてしまった。
 その時――、
「「聞こえる聞こえる――」」
 ……え?
「愛に悩む人々の叫びが――」
「悪に苦しむ人々の嘆きが――」
 訝しげに、女王様が法廷入り口に目をやる。
「「――だって、だんごの耳は地獄耳だもん」」
 わたしもつられるように見るとそこには、ふたりの男性が居た。どちらも中世の王子様のような白いタイツをベースとした、かなり恥ずかしい格好の上、ピンク色のマントを羽織って居る。
 そして極め付けに、だんごをあしらったフルマスクを被っていた。
「だんご仮面、技の一号!」
 その声は、あっきーだった。
「だんご仮面、力の二号!」
 その声は、おとーさんだった。
「どちら様でしょう」
 面倒臭そうなものを見るような目で、女王様がそう訊く。
「「正義の味方です」」
 ぴったり息を合わせて答える、ダブルだんご仮面。
「ハートの兵士達よ! 名誉挽回の機会を与えますっ」
 鎌を掲げて、女王様が叫び、わたしの時と同じくふたりに向かって兵士達が殺到する。
 けれど、わたしの時とは違って悲鳴をひとつも上げる暇無く、兵士達は一掃されてしまった。このふたり、強い。
「お嬢さん、ヒントをひとつ」
 腕を組んで、だんご仮面一号が言う。
「お前が好きな人が、お前を好きな人が、どんなことがあったとしてもお前を傷つけようとするか?」
 と、同じポーズでだんご仮面二号。

 ……あ、そうか。

「「それが、答えだ」」
 マスクで表情がわからなかったけど、確かにふたりは笑っていた。
 私は再び、懐中電灯を構え直した。
 良く考えたら単純なこと。
 斬ることで決着を付けなければ良い。ただそれだけのこと。
 初めて、わたしは突進した。
 こちらも初めて女王様が顔色を変え、応戦に移る。再び激しい打ち合いになるが、先程の経験から相手は早いけれども重さ、スタミナが無いことはわかっている。
「何で気付かなかったんだろう。貴方は、わたしのお母さんじゃない!」
「そうですか――では、なんなのでしょう」
「語るに及ばず!」
 本音は、そんなこと知らないっ。
 わたしはその先問答無用で、左下から右上と斬り込んだ。
 けれどそれはフェイント。本命はその慣性を利用して出を早くしたハイキック!
 そしてその狙いも女王様本人ではない。大きく避けた際に生まれた隙を見事に突いて、わたしの蹴りは女王様の鎌の柄を高く蹴り上げていた。
 今度こそ鎌が手から離れる。わたしは結果として振り上げた状態になっていた手首を返して、鎌の刃と柄の接続部分を、懐中電灯の袈裟掛けで切断した。
 途端、驚愕の表情を浮かべてた女王様とふたつに別れた鎌が、まるで特撮の怪人のように爆発する。
「ええ!?」
 最後に寸止めの拳を放って降参を求めるつもりだったわたしは、打ち込む直前の体勢で固まってしまった。自爆装置でも、鎌に仕込んでいたのだろうか……。
 やがて、煙が晴れて――、
「しおちゃん、ありがとうです」
 懐中電灯が、手から落ちた。
 其処にいるのは、お母さんだった。わたしの知っている、あの制服を着たお母さん――。
「なんだ……結局お母さんだったんじゃない……」
 膝の力が抜けかけて、踏鞴を踏んでしまうわたし。
「いえ、あの時を限って言えば、わたしはわたしじゃなかったんです」
「良く、わからないよそれ。お母さんじゃなかったの?」
「ええと、あれは何というか――わたしの悩みの固まりです」
 申し訳無さそうな貌で、お母さんは言う。
「しおちゃんとこうやって逢うこと、逢ってしまったことが、本当はいけないことなのでは……とずっと悩んでいるうちに、それしか考えられなくなって、結局あのような形になってしまいました」
「そうなんだ――」
 ――それじゃ、やることは決まっている。
「お母さん、ちょっとかがんで。それとおでこ、おでこを出して」
 と、わたしが言うと、
「えっと……こうですか?」
 素直に前髪を掻き上げて、少しかがむお母さん。
「目を瞑って」
「え? は、はい……」
 少し戸惑ったものの、ちゃんと目を瞑ったお母さんのおでこに、
 わたしはそっと接吻をした。
「し、し、しおちゃん!?」
 真っ赤になりつつ目を開け、何かを言おうとするお母さんの唇に、わたしは勢いよく、それでいてぶつけないように人差し指を添える。
「今のは王子様のキス代わり。本当はおとーさんの役目だけど、今だんご仮面だし」
 それに、女の子同士のキスで魔法や呪いが解けないとは、何処にも書かれていない。
「えっと――ありがとうです。しおちゃん」
「良いのよ。わたしがやりたくてやったんだから」
 ちょっと照れくさくなって、お母さんに背中を向けるわたし。
「でも良いんですか?」
「え、何が?」
 わたしの背中で、お母さんが少し困ったようにため息をついた。
「みんな、見ていますけど……」
「へっ!?」
 慌てて振り向く。もちろんそこにいるのはお母さん。でも、その背後に、いつもの格好に戻ったみんなが居た。
「見ましたか? 秋生さん、朋也さんっ! 汐ちゃんの初キッスは渚ですよっ!」
「うおおおっ! 羨ましいぞ我が娘っ! 俺様にもするよう言ってくれぇ!」
「ううう汐ぉ! はじめてのちゅーは、おとーさんにじゃなかったのかあぁあ!」
「み、見た? 智代?」
「ああ、同性の私でもとろけてしまいそうなキスだな……」
「ふっ、俺も公子におでこにチュッを……やってもらいたいぞぉ!」
「「「「「ぼ、僕興奮してきちゃったよ!」」」」」
「本物の王子様みたいだったの」
「ゴフ〜」
「ヒトデ……」
 ……な、な、な、
「なんで……」
「しおちゃん、どうしました?」
 わなわな震えているわたしを心配したのか、お母さんがそう訊く。けれどわたしはそれに構わず、
「何でみんなして見てるのよーっ!」
 全力で、叫んだ。
 隣で、お母さんが楽しそうに小さく笑う。



■ ■ ■



 そこで、目が覚めた。
 そう、目が覚めた。
「う〜、変な夢見た……」
 頭を抱えつつ上半身を起こす。すると、窓の側に誰かが居た。
「……あれ、春原のおじさま?」
 なんで其処に居るのかわからないけど、間違いなく春原のおじさまだった。
「おはよう汐ちゃん。ドア開いていたから入っちゃったよ。ちょっと無防備なんじゃない?」
 え、それってつまり――。
「あー……そうか、ちょっとだけ横になるつもりで、そのまま寝ちゃったんだ……御免なさい」
「いや、次注意すればいいよ。何事も無かったみたいだしね」
 時計を見ると、午後二時を少し過ぎている。昼寝にしては少々長すぎたようだ。
「お茶、飲みます?」
「ああうん、御馳走になるよ」
「ん、ちょっと待っててくださいね」
 一気に飛び起きて、台所に行く。さっきまでおじさまを蹴っ飛ばす夢を見ていましたなんて言うつもりは全くないけど、当の本人が目の前にいると結構恥ずかしい。
「そういや、岡崎は?」
「急な仕事だとかで、出掛けています。夕方には帰って来ると思いますけど、待ちます?」
「そうだね。帰りの電車遅らせればいいだけだし、待とうかな」
 随分と嬉しそうな声の春原のおじさまに、わたしは壁越しに声をかける。
「何か、良いことありました?」
「……まぁね」
「何です? ちょっと気になるじゃないですか」
 顔だけ出してわたしがそう言うと、春原のおじさまは鼻の頭を指で擦りながら少しだけ考えて、
「うん、それはまぁ――秘密だね」
 と言って、ニッと笑う。
「汐ちゃんこそ、随分とさっぱりした顔してるよ」
「え、そうですか?」
「うん、良い夢見られた?」
 ……良い夢、だったのだろうか?
 着替えて、歩いて、お茶会に参加して、歌って踊って戦って。
 お母さんに、すごいことして。
 うん、これは確かに――、
「はい、すっごい良い夢でしたっ」
 そう言って、わたしは春原のおじさまのようにニッと笑ったのだった。



Fin.




あとがきはこちら













































「な、何で僕だけ悪役……」




































あとがき



 ○十七歳外伝、アリス編でした。
 なんか出来るだけ色々な人を出そうとしたら、随分と長く、そして滅茶苦茶に話になってしまいました。まぁ○のホニャララな世界なので、たまには良いでしょう――ってことでw。
 さて次回は、舞台を学校に移します。

 追記:html化しているときに気付きました。このお話、歴代で最長ですw。

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