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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。

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「出番ないですね、藍様」
「んー、まぁ仕方ないね」












































  

  


「ねぇメリー、知ってる?」
 と、宇佐見蓮子は言った。
「大昔、人は塩の純度を高めることに命を燃やしていたそうよ」
 陽光の届かない地下のバー。相方の席にある、合成酒の合成カクテルという最初から合成しておけと言いたくなるような飲み物のカップの縁にきらきらとした結晶が付着しているのを見て、蓮子は突如そう言ったのであった。
「塩は塩でしょ。塩化ナトリウム。純度も何も無いわ」
 と、蓮子の相方であるメリーことマエリバリー・ハーンが答える。
 ふたりは大学生であったが、午後の講義がそれぞれ休講になってしまい、地下のバーに繰り出していたのであった。
「わかりきったことを言わないの。現実世界で純度100%の物質はあり得ない。人の作ったものならなおさらよ」
「それもまぁ、わかりきったことなんだけどね」
 と、蓮子のカクテルを見つめながらメリー。琥珀色の液体に沈む禍々しいまでに赤い合成のサクランボが、それ故に美しい。
「それで、純度を高めるための己の使命をかけて、どうしたの?」
「そうそこ。純度を高めることそのものは順調に進んでいたのよ。ところが、純度が99%を越えた辺りからあら不思議、ただ辛いだけだ。甘味や旨味のある天然の塩、すなわち天塩が良い――なんて人は言い出してね」
「今も昔も、自分勝手ってことね」
 そう言って、グラスの縁に付いているきらきらした結晶をそっと触り、メリー。
「で、今此処にあるのが合成天塩ってこと? 皮肉なものね」
「そういうこと」
 蓮子が頷くと同時に、メリーはグラスを傾け一口だけ中身を飲んだ。
「良いじゃないの、美味しければ何だって」
「それは思考の停滞を著すわよ、メリー」
 こちらはストローで、中身を吸い上げて行く蓮子。
「いい? そもそも塩はね――」



『塩と幻想郷』



■ ■ ■



「塩はあまり好きじゃないわ。肉は固くなるし、血に至っては凝まってしまうもの」
 と、レミリア・スカーレットは宣うた。自分の書斎の自分の机の上でのことである。
「それでも、多くの料理にとって必須とも言える調味料ですわ」
 と、彼女のメイドである十六夜咲夜が窘める。手に持っているのは、貨幣大の塩の結晶。所謂岩塩であった。
 彼女たちの周りには、色々な目録と、それを目視で確認出来るための少量の品物が山となっていた。たまには此処の資産管理もしないとね、とレミリアが言い出し、使い慣れぬペンを執ったためである。
 勿論、これらは普段咲夜の仕事と決まっている。
「必須だから単価がそれなりにする訳?」
「ええ。単価はパチュリー様の作る呪符や薬品、美鈴が栽培している珍しい花や球根より低いけれども、需要は桁が違います。それ故、紅魔館の貴重な資源なのです」
 そう言って、机の上に置いてある古めかしい天秤の片方に、岩塩を載せる。当然、天秤は片側に傾いたが、次の瞬間咲夜は袖口から何かを手品のように取り出して、反対側の皿の上に載せて均衡をとる。
 乗っかっているのは、古めかしいイギリスの金貨であった。
「資源って、咲夜が地下に引っ張って来た岩塩の鉱脈でしょ。確かに紅茶の葉とか色々な物に替えられるけど、そこまで大事な物なの?」
 あくまで不思議そうに訊くレミリアに、咲夜は微笑みながら、
「人間は、塩が無いと生きて行けないのですよ」
 と、答えた。



■ ■ ■



「そりゃまぁ、塩が人体の構成に於いて必要不可欠なのはわかるけどね」
 まだ精神と肉体の分離と再融合に成功した人間は居ないもの、とメリーは言った。
「そうよ。今も生き残っている職種、サラリーマンのサラリーって言葉だって、元を正せば――」
「塩なんでしょ」
「大正解」
 と、合成枝豆をひとつつまんで、蓮子。莢が無い上に茹で上がりが均一なので、彼女はこれをよく酒の肴に指名していた。
「でも、何で塩は調理料として王位に君臨し続けるのかしら」
 と、合成スモークチーズを口に運びながら、メリー。芯までスモークされているので、風味が強い。もっとも、それも合成だが。
「答えは聖書に書いてあるわ」
 と、蓮子。
「聖書?」
「そ、聖書。曰く……」



■ ■ ■



「あら、御塩を侮っては駄目よ、妖夢」
 と、西行寺幽々子は言った。
「でも刀錆の原因にもなるので、私は嫌いです」
 と魂魄妖夢が返す。遅めの朝食が終わり、居間からふたりでのんびりと葉の付いた桜を眺めている時のことであった。
「一度御塩無しで川魚を焼いてみるとわかるわ。大変なことになるのよ」
 まぁ、あれはあれで野性味があって良いけれど、と幽々子は右手を肘掛けに乗せて言う。
「それなら、お味噌やお醤油が有るじゃないですか」
「それらの調味料で、塩味を出す材料は一体何なのかしら?」
 噛んで含めるように言う幽々子に、妖夢は合点がいったかのような貌になると、
「……未熟でした」
 素直に頭を下げてそう言った。
「誰もが最初に躓くところよ。応用の原点は絶対に基本なんだってことを、ついつい忘れてしまうのよね」
 と、まるで教師が間違いを改める生徒に喜ぶような貌で、幽々子は続ける。
「後ね、よく炊けた新米に美味しい御塩をかけて作った塩おむすびは、もう最高よ。御醤油や御味噌じゃ駄目、新米の風味を損ねてしまうから。嗚呼、其処に美味しいお茶と沢庵か糠漬けでもあったら……」
 そう言いながら、幽々子は身を捩ると、
「――という訳で、御昼は塩おむすびで御願いね」
 懐から閉じたままの扇子を取り出してにっこりと笑ったのであった。
「……わかりました、幽々子様」
 いくつ作ればいいのかな。そう思いつつ妖夢が頷く。



■ ■ ■



「そう言えば、大昔は塩を海水から作って居たそうよ」
 と、両肘をテーブルの上に乗せて蓮子。
「ああ、だから純度の問題が出てくるのね」
 完全なる食感を求めた真っ白い合成水菜のサラダをフォークで突つきつつ、メリーが頷く。
「でも、どうやって?」
「簡単よ。海水を引き込んで干上がらせたり、浜辺に打ち上げられた海藻毎灰にしてから海水に溶かして煮詰めたり、その他色々」
「なるほどねぇ。……ふたつ目の方は随分手が込んでいるような気がするけど」
 熔けたチーズっぽい何かのドレッシングと、水菜の歯応えを楽しみながらメリーは言う。
「にしても、随分大胆なことをするわねぇ。何が混ざっているのかわからないのに」
「今の海水と成分が違うんじゃない?」



■ ■ ■



「……なんで、地上の民は薬品から塩を作らないんでしょうね」
 と、頬を机に押し付けて薬品の入ったビーカーを眺めつつ、鈴仙・優曇華院・イナバは呟いた。液体の色は彼女の眼と正反対の、深い青である。
「不思議そうね」
 と、彼女の師匠である八意永琳がそう言葉を返した。多くの者が誤解しているか、彼女が今居る実験室は驚くほど簡素である。もっとも、貯蔵して居る薬品の類いは、質、量ともに半端無いのだが。
「不思議というより、興味深いです。薬品さえ手に入れば、簡単に出来るじゃないですか」
 そっとビーカーをひとさし指で触る鈴仙。ひんやりとした液温が、心地良い。
「塩酸と水酸化ナトリウム。他にも色々あるけれど、その合成方法は確かに簡単よね」
 と、別のビーカーに淹れたコーヒーを飲みつつ永琳。
「でも頑ななまでに天然資源に頼る。そこが、姫の言う地上人の面白いところなのよ」
 そう言いながら乳鉢に試料を入れ、ひたすら細かく磨り潰して行く。
「きっと、天然資源に見放されない限り、彼らは合成塩に手を出さないでしょうね」
「それでは、後手じゃないですか」
 と、顔を上げて鈴仙。
「そうよ。地上の民は何時だって後手に回るものなの」
 永琳は頷き、乳鉢の粉末をビーカーに入れた。途端ビーカーに入っていた液体が、鮮やかな緑色になる。
「何時か、手痛いしっぺ返しが来ます。私達が元居た処のように」
「そうね……」
 窓から外を見上げる。真昼の空には、白い月が春の薄雲と共にあった。
「それが、姫の言う地上人の哀しいところなのよ」



■ ■ ■



「そういえば……作り方は合成とはいえ、塩は塩化ナトリウムのままね」
 と、メリーが呟いた。
「そうね。そういう意味じゃこれは天然の塩ってことになるのかしら」
 色々混じっているけど、と蓮子が呟く。
「おかしな話ね。海から塩が作られなくなった時に、代替の物質を合成すればよかったのに、わざわざ別の方法で塩を作るなんて」
 手間がかかるでしょうに。そう続けながら、自分のカクテルを飲むメリー。塩味が合成グレープフルーツと調和して、それなりに深みのある味わいが口の中に広がる。
「さっきメリーも言ったけど、必須の成分だからね。切らす訳には行かないから、精製法を先に合成しちゃったのかもね」
 と蓮子が合成アスパラガスを咥えて言う。



■ ■ ■



「あ、いけない。お塩切れちゃった」
 博麗神社、母屋の台所。
 少し遅いお昼の準備で、台所を確認していた博麗霊夢はそう呟いた。
「珍しいな、そういう所は抜かりがないのに」
 と、台所から何かをつまみ食いするつもりで霊夢の後をつけて来た霧雨魔理沙が相槌を打つ。
「まぁ、メイドの所に有り余っているだろう。拝借すればいい」
「あんたね……それじゃ永代借用ばっかりしているどっかの誰かさんみたいじゃないの」
「永代じゃないな。死んだら返す、ってどっかの誰かさんは言っていたぜ?」
 と、当の本人。
「似たようなものじゃない。たまには世間体ってものを気にしなさいよ」
「幻想郷でもっともそれに無頓着なお前に言われるとは思わなかったぜ」
「あら、私なら十分気にしているわよ?」
「本当かぁ?」
「はいはい。それくらいにしておきなさい」
 両手を叩いて割り込んできたのは、魔理沙と一緒に遊びに来ていたアリス・マーガトロイドである。
「で、霊夢。香草なら余っているけど、持ってく?」
「折角だけど、いいわ。確か残ったお神酒が――」
 ずどん。そんな感じで博麗神社全体が衝撃に震えた。しかし、三人とも慌てない。この現象の原因をよく知っていたからである。
「うお〜い霊夢っ、美味い肴手に入ったぞ〜」
 衝撃の発生源と思われる外から響く声は間違い無く伊吹萃香のものであった。
「厄介な時に来たわね。酔っぱらい鬼」
「あいつ差し出すってのはどうだ? 霊夢」
「あんた、また紅魔館と全面戦争したいの?」
 そんなことを言い合いながら、ぞろぞろと外へ出る。
 母屋の入り口で、萃香は片手に一抱えもある半透明な橙色の鉱物を無造作に掴んで待っていた。
「何それ」
 一同を代表して、霊夢が問う。
「よくぞ聞いてくれましたっ。どうよ、豪州産岩塩! これを砕いて皿に盛って、指に付けて一舐めした後に大吟醸なんて呑んだ日には……くぅ〜!」
 既に酔っている萃香の顔が、ますます赤くなる。
「普通塩って白くないか?」
「何か別の鉱物が混じっているんでしょ」
 と魔理沙とアリスが言う中、霊夢は少しの間腕を組んで、
「それ、全部いただける?」
「うまい酒が飲めりゃーねっ」
 にゃははははと笑いつつ、萃香。
「交渉成立。辛うじて八重桜が残っているから、それでお花見しましょうか」
 両手を腰に当てて、霊夢がそう宣言する。
 無論、反対する者は居ない。居るはずも無い。
「……なぁアリス。豪州って何処だ?」
 さっきからずっと考えていると言うような感じで、魔理沙が訊いた。
「深く考えない方がいいわよ、多分」
 肩をすくめて、アリスが答える。
「ちょっとアリス、魔理沙、手伝ってくれる?」
 塩の塊を両手で抱えている霊夢の声が、過ぎ去ろうとして居る春の空に、高く響いた。



■ ■ ■



「さて、そろそろ夕方ね。行きましょうか」
 グラスを一気にあおって中身を空にし、蓮子。
「折角の休講なのに?」
 紙ナプキンを丁寧に畳みながら、メリーが訊くと、
「折角の休講だからよ」
 そう答え、蓮子は椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで、立ち上がる。
「とりあえず、博麗神社の方に行ってみましょ」
「まぁいいけど……」
 短く息を吐いて、メリーもそれに習った。
「酔っ払って、結界のスキマに落っこちないでね」
 メリーが置いたグラスの縁、僅かに残った塩の粒が、鈍い照明を反射して、微かに煌めく。



Fin.




あとがきはこちら













































「あー、あたいらも出番ないですねぇ」
「毅然! 待てば海路の日よりありです!」




































あとがき



 幻想郷一同と秘封倶楽部御一行でした。
 求聞史記によると、幻想郷は海に面して居ないため、塩の確保が大変だろうなと思ったのが、今回の話の発端でした。幻想郷を住居として居る人間、妖怪の皆さんはあまり苦労して居るように見えませんが、実際の処、各自で努力しているのではないかと思います。似合わないけど。
 さて、次回は――どうしようかな。

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