『里村茜の憂鬱』



「最近――」
 4月の中頃、昼休みの学校。
 教室の机をくっつけて作った卓の上でお昼の弁当を食べていた里村茜は、一見ではわかりづらい憂鬱の色を浮かべてそう言った。
「浩平の姿を見かけないような気がします」
「そういえば、そうね」
 一緒に昼を取っていた七瀬留美が頷いて言う。
「瑞佳、何か知らない?」
「え? うーん」
 同じく一緒に食事をしていた長森瑞佳は、持っていた牛乳のパックを机に置くと、
「何か良くわからないけど、最近大きな紙袋を持って、どこかに行っているみたい」
「大きな紙袋?」
 箸を咥えたまま留美が首を傾げる。
「多分、最近パンパンに張ったバッグの中身です」
 と、茜が指摘する。普段一緒に登校する際は、常に潰れていたからだ。
「なるほどね。でも中身は何なのかしら?」
「あ――」
 其処でようやく合点がいったと言う風に、瑞佳が手を打った。
「少し前に大量の毛糸を買い込んでいたから、多分それかも」
「毛糸……ですか?」
「うん」
 多分、そうだよ。と頷く瑞佳。しかしすぐに困惑で眉根を寄せ、
「でも、何に使うんだろう?」
「瑞佳の処の猫と遊ぶとか」
 留美が少しばかり悪戯っぽい貌で、そんなことを言う。
「わぁっ! それは猫が喜ぶけど……後が大変だよ」
「そうなんですか?」
 こちらは不思議そうに、茜。
「うん。部屋の中が毛糸だらけになるか、猫が毛糸でがんじがらめになるかのどっちか――」
「そうするための悪戯かしら」
「そうじゃないと、思います」
 食べ終わった弁当箱を片付けつつ、茜はきっぱりとそう言った。
「でも、浩平のことだから時期が来たら教えてくれるでしょう」
「うん、そうだね」
 と瑞佳が頷く。
「まぁ、そうだけど……」
 歯切れが悪そうに留美は呟き、
「里村さんは、気にならないの?」
「それはもちろん――」
 再び極少量の憂いを込めて、茜。
「気になるに、決まっています」



 その、数日後。
「昨日、学校帰りに折原を見かけたんだけどね」
 同じく昼休み。三人で机を寄せ集めた席で、留美が重大なものを見たといった表情でそう切り出した。
「珍しいことに、洋服屋に立ち寄って無地のTシャツを大量に買ってたのよ。ほら、折原って私服も制服もあまり頓着無いじゃない?」
「確かにそうですけど――何故、無地のTシャツと?」
 もっともな疑問を茜が口にする。
「それはね、後で洋服屋に入った時、無地のTシャツだけごっそり無くなっていたからよ」
「……なるほど」
 それなら、間違いないです。と、茜。
「パジャマ代わりかな――でも浩平、寝る時は必ずパジャマだし」
 瑞佳が呟く。
「毛糸とTシャツでしょ。何の関係があるのかしら」
「どうだろう……」
 首を傾げ続ける留美と瑞佳の間で、茜は何も言わなかった。



 そして、四月二十一日。
「どーゆーことかしらね」
 昼休み――ではなく、朝の通学時間。速足で歩きつつ留美はやや苛々した口調でそう言った。
 いつもの待ち合わせに集まったのは、留美、瑞佳、そして茜だけだったのである。
「朝起こしに来たらもう学校に行ってるなんて、初めてだよ」
 と、瑞佳。
「昨日も、授業が終わった途端姿を消していました」
 言葉は平静を保っていたが、実は留美よりも速足で歩いている、茜が言う。
「おそらく教室にも居ないでしょう」
 三人揃って、昇降口で出会った上月澪や川名みさきが――もちろん深山雪見の説明付で――驚くほどの早さで、教室に飛び込むように入る。
「い、いないね……」
 息切れを直しつつ、瑞佳がそう言った。
「行きそうなところ虱潰しに探す?」
 留美がそう茜に訊く。
「授業になったら嫌でも帰ってくると思います」
 鞄も何も無い席に視線を固定させて、茜。
「予鈴が鳴るまで待ってみましょう」
 だが、予鈴どころか本鈴がなっても、席は空席のままだった。



「浩平の居場所わかったよ。軽音楽部の部室に籠もりきりみたい」
 と、瑞佳が困った貌で言った。昼休みのほとんどを費やし、放課後になってやっと掴んだ情報である。
「何やってるの? あいつ」
「うーん……」
 此処数日繰り返して居る問答を、またしても繰り返してしまう留美と瑞佳。
 そんなふたりを余所に茜は平静を保っていたが、やがて静かに席を立つと、
「様子を、見てきます」
 と言い残し、朝の時よりも速く教室から出て行こうとする。
「あ、わたしも」
「ちょっと瑞佳――あ、あたし行くっ」
 結局、三人で部室に向かう。
 幽霊部員だらけの軽音楽部では、人の気配はほとんど無かった。
 ただし、誰かがひとりで何かをしているのが、扉越しにでもわかる。
「ど、どうする? 瑞佳」
「どうするって――」
 浩平居る? って訊くしか……と瑞佳が呟いているうちに、茜は一歩進んで軽音部のドアを力強く――普段では考えられないほど、強く――ノックしていた。
「はーい」
 奥から聞き慣れた男子生徒の声が響く。
「お、どうした茜」
 扉が開いて、廊下に姿を現した男子生徒は間違いなく折原浩平で、その顔には、不精髭が生えていた。今は、少し驚いたように茜を見つめている。
「此処にいると聞きました」
 いつも通りに、茜。
「おう、何か用か?」
「いえ、用は無いです。ただ……」
 そこで言葉が続かなくなったらしい。茜は二度三度小さく呼吸すると、
「少し、心配しました……」
 そう言って、浩平の胸に額をぶつけた。
 サッカー部がボールを大きく蹴り上げた音が、微かながらも廊下に響く。
「……悪い、最近まともに顔を合わせていなかったな」
 胸元にある茜の頭にそっと手をやって、浩平。
「一体何を、していたんですか?」
 顔を上げて、茜が訊く。
「ああ、それはな――そうだ、今さっき出来上がったんだ。見てくれるか?」
「何をです?」
「見りゃわかる」
 そう言って、茜の手を繋ぐ浩平。そして、蚊帳の外に置かれて居た瑞佳と留美に目が留まると、
「お前達はどうする?」
 と訊く。
「わ、わたし達も見て良いの?」
「ああ、構わないぞ」
 いつも通り鷹揚に頷く浩平に言われるがまま、茜に続いて瑞佳と留美が軽音部の部室に入る。
 中に入ってみると、普段は散然と置かれて居る机が、普段茜達が昼食を取る時と同じようにいくつも並べられていて、その上には家庭科室から持ってきたとおぼしき、アイロンとアイロン台が設置されていた。
 アイロンの電源は切れていたが、部屋の中には熱気が籠もっていて、先程まで作業していたことが察せられる状態である。
 そんな部室を、茜の手を放した浩平がまっすぐ進み、ひとつの紙袋を手にして素早く戻ってきた。
「ほい」
「これは――」
 紙袋を手渡され、戸惑いの色を浮かべながら、茜。
「誕生日おめでとう、茜」
「浩平……」
 息を飲んでから、茜。続いて瞳を閉じたのは、つい目尻が緩んで咄嗟にそうしてしまったためである。
「えぇ!? 里村さん、今日が誕生日なの?」
「それなら教えてくれれば良かったのに……水臭いじゃない」
「すみません、私も忘れていました……」
 制服の袖口で目尻を擦りつつ謝ってから、浩平からのプレゼントを抱き締めるように持ち直し、茜。
「開けてみて、いいですか?」
「おう、何時でも良いぞ」
 浩平にそう言われて、セロテープで留められた紙袋の封を切る。
「これは――」
 それを広げて、茜がもう一度息を飲む。
「これから、暑くなるからな……」
 照れ臭かったのか、ちょっとそっぽを向いて、浩平がそう言う。
 浩平が茜にプレゼントしたのは、オリジナルプリントとおぼしき、ワッフルのワンポイントが入ったTシャツだった。
「作り始めたのが、2月の始めでな。そのときは毛糸のセーターだったんだ……だけど、今春だろ?」
 おまけに全然進まないわ上手く行かないわ大変でな。と、浩平。
「そりゃまぁそうよ。初心者が毛糸の手編みセーターに挑戦なんて、無謀だわ」
 留美が注釈を入れ、隣の瑞佳がそうだとばかりに頷く。
「あぁ。後で本読んでみたらそう書いてあったな。で、困って洋裁店漁っていたら面白い物を見つけたんだ」
「アイロンプリントですね」
「そう、それ」
 簡単に言えば、洋裁版熱転写である。
「フリーハンドで書いた絵を、そのまま転写できるのがあってな。でもまぁ大変だったぞ。鏡文字になるのに気付かなくって、ワッフルのスペルが左右反転しちまったり」
 小さく吹き出す、茜。
「浩平らしいです。――早速着てみて良いですか?」
「あぁ、構わんが……ここで良いのか?」
 良くは無い。だから、すかさず茜は言う。
「長森さん、七瀬さん。浩平に目隠しをお願いします」
「潰す?」
 拳をチョキの形にして留美。
「いえ、隠す――です」
 リボンを取って、カーディガンを脱ぎながら茜。
 すぐさま両脇を固め、瑞佳が右手で浩平の左目を、留美が左手で右目を隠した。
「……あ、あの里村さーん? なんか衣擦れの音が俺の自制心を突き崩しそうなんですががが」
「すみません。耳もお願いします」
 肩まではだけたセーラーを羽織り直し、茜がそう言った。その一秒後、瑞佳と留美が空いている方の小指を浩平の耳に突っ込む。
「――新手のプレイか? これは」
「恐ろしいことを口に出すんじゃないっ」
 聞こえていないためだろう。浩平は返事をしなかった。
「もう、いいです」
 その茜の一声に、瑞佳と留美は浩平を解放する。
「似合い――ますか?」
 くるりと身体をひと回りさせて、茜。
「ああ、良く似合うぞ」
 放課後のオレンジ色に染まり出した陽光を受けて、茜の髪が金色に輝いている。その黄金色に白いTシャツは、浩平の言う通り良く似合っていた。
「さて、これからどうする? 茜」
 満足気に両腕を組んで、浩平。
「――瑞佳、食堂行かない? あたし急に喉渇いちゃった」
「あ。わ、わたしも。浩平、里村さん、わたし達食堂寄ってそのまま帰っちゃうね」
「あ、ああ」
「……はい」
「それじゃ里村さん、折原、また明日。誕生日会はまた今度にしましょ」
 そんな留美の言葉を最後に、足音を立てず、それでいて素早く瑞佳と留美が部室を後にする。
 ややあって、
「気、使われたか?」
 と、浩平が訊いた。
「使われました」
 小さく息を吐いて、茜。
「済まん、どうもこういうのには鈍いらしい」
 浩平がそう謝ると、
「さっきのは、私自身の鈍さに対する溜息です」
 そう言って、もう一度溜息をつく。
「そして今のは、浩平の想いに気付かなかったことです」
「それは悪かった――って謝ったら、また溜息か?」
「また溜息です」
 そう言って、もう一度くるりと回り、自分の背中を見る茜。
「とりあえず教室まで戻りましょう、浩平」
「ああ、そうだな」
 その答えを聞いて、茜は畳んでおいた自分の制服を抱え、すたすたと先に進む。
「え? もしかして、そのまま帰るのか?」
 些か動揺した浩平がそう訊く。すると茜は足を止めて振り返ると、
「折角のプレゼントです。いけませんか?」
 見たことも無い大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべて、そう言ったのであった。



Fin.







あとがき



 茜の誕生日SSでした。
 正直、2ちゃんねるの茜スレッドで指摘されるまで忘れていました。いけませんね、いやもうほんとマジで。
 そんなわけで、誕生日おめでとうございます。
 さらに、あえてもうひとこと言うのであれば。
 三日遅れてすみませんでしたorz。

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