超警告。CLANNADの隠しシナリオをクリアしていない人は
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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。
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『おとーさん、今日からわたしあの人と一緒になって、春原姓を名乗ります――』
「うわあああああ! って夢か……」
『午睡の間に』
ふと、寄り道をしたくなった。
たまたまあの学生時代を過ごした街の近くまで来ていた春原陽平はそう思って、フリーになった単独出張の最終日をそれに費やすことに決めた。
学生時代の三年を過ごし、その後もちょくちょく訪れるこの街は、陽平が来るたびに少しずつその姿を変えている。
今回も、商店街の角にあった本屋がケーキ屋になり、向かいのコンビニエンスストアが別会社のチェーン店になっていたりと、全体から見れば僅かな変化であったが、あの学生時代からみれば大きな変化でもあった。
ついに学生時代あった商店街の店舗すべてが、入れ替わったのである。
「これでこの街の最古参は、古河パンってことになっちゃったねぇ……」
思わずそう呟き、手土産にそこのパンを買おうかと考えた陽平は、すぐさまその考えを打ち消した。これから行くところの住人は、普段から古河パンを食べているはずである。
春が近づいてきているせいか、日が昇りきったら少し暑くなってきた。陽平はジャンパーのファスナーを下げ、住宅街へと足を向けた。
行き先はとあるアパートである。
そう、岡崎朋也、汐父娘の住むアパートであった。
古河パンも変わらなければ、このアパートも変わっていなかった。此処で色々な事が起きたはずである。とても嬉しいことも、とても悲しいことも。
階段を上がり、ドアをノックする。
反応は、無かった。
「留守かな?」
そう思って駄目元でノブを回してみると、あっさりと開く。
「岡崎? それとも汐ちゃん?」
一番目は外れであった。二番目は当たりである。靴を脱いで上がってみると、ちゃぶ台の隣で岡崎汐が眠っていた。よっつあるだんご大家族のぬいぐるみの内ひとつを枕にし、もうひとつを抱き締めている。抱き締めているだんごだけ些か不格好なのは、朋也のお手製だからだと、陽平は当の本人から聞いていた。
「無防備だなぁ……」
思わずぼそっとそう呟いてしまう陽平。そして取り合えずとばかりに、ちゃぶ台の窓際の方に座る。その際起こさないよう気を付けたつもりだったが、少しばかり物音を発ててしまったのだが、畳で眠る少女に変化は無かった。長い髪をそのままにぐっすりと眠る彼女は、間も無く十八歳になるはずであり、丈の短いスカートに開襟シャツ、そしてその上に薄手のカーディガンを羽織ったその姿は、陽平の贔屓目を差し引いたとしても、可憐という言葉が良く似合う。
「本当に、無防備だなぁ……」
もう一度そう呟いて、陽平は押し入れからタオルケットを取り出そうとした。
「ん……」
と、そこで汐が寝返りを打ち、スカートの裾が僅かに捲れた。僅かであったが、その短いスカートの裾では、致命的な捲れであった。
陽平の視線が、半ば自動的に捲れた先を追いかける。
ぎんぎらぎんに輝く刃物の様に鋭い視線の先、汐は裾を折り上げたスパッツを着用していた。
悲しい性の、空しい結末であった。
「……だよね」
思わず脱力して、壁に背中を預ける。
「あー、世の中ままならねぇ……」
その言葉に反応するように、汐がもう一度寝返りを打った。
「……お母さん」
汐がどんな夢をみているのか、陽平にはわからない。わからないが、その一言は陽平の肺腑を抉るのには十分すぎた。
相変わらず、ぐっすりと汐は眠っている。その表情からは、良い夢か悪い夢かはわからない。
何故かやり切れなくなって、陽平は窓の外を見た。
ぎょっとした。見慣れた制服を着た見慣れた女生徒が、こちらに背をむけて立っていたからである。
絶対、居ないはずなのに。
辺りに人通りは無く、そこからではたいした範囲は見えないはずなのだが、彼女は街の様子を眺めているようであった。
慌てて目を擦り、もう一度見てみる。
彼女は間違いなく、そこに居た。
「……そんなところにいないでさ、上がっておいでよ」
窓の外に向けて、激しくなった動悸をひた隠し、陽平はそう声をかけた。
「いえ、今日は遠慮しておきます」
彼女が、そう答える。あの時の、あのままの声で。
「そうか、それじゃしょうがないね。……久しぶり、でいいのかな?」
「はい、お久しぶりです」
簡潔に答える彼女に、陽平は少し躊躇したが、やがて小さく息を吐くと、
「なんだろうね、いざ話そうと思ったら、話したいことがなかなか出てこないよ」
そう言って、笑う。
「わたしもです、春原さん」
と、彼女。相変わらず背を向けたままなのでその表情はわからなかったが、微笑んだ雰囲気だけは伝わって来ていた。
「でもさ、これだけは伝えておかなきゃね。汐ちゃんは――汐ちゃんはさ、すごく良い子に育ったよ」
彼女は答えない。だが、微かに頷いたのが、気配で伝わった。
「あの時はああなるとは誰も思わなかったし、君も信念を貫けた。それは――汐ちゃんには悪いけどさ――色んな人を悲しませたけど、こうして実を結んだんだ」
「ありがとう、ございます……」
頭を下げずに、女生徒は礼を言う。これが彼女以外なら文句のひとつでも言ってやる陽平であったが、今はただ満足げに頷くだけだった。彼女のその声には、嬉しさと申し訳なさと、誇らしさが一体となっていたためでもある。
「後はそうだな……岡崎の近況でも訊く? 時間があれば僕のも含めて」
「御免なさい春原さん。もう、あまり時間が無いです」
「そっか……女々しい話だけどさ、また逢えるかな?」
「かも、しれないです」
「あ、近いうちにってことでね。何十年も後だと、僕爺さんになっちゃうし。お迎えはまぁ、希望するけどね」
受けたようである。女生徒は小さく笑って、
「わたしはいつでも待ってます」
「それ、岡崎にも言ってやんなよ」
今度は意表を突かれたらしい。彼女の肩がぴくりと動いたのを、陽平は見逃さなかった。
「も、もちろんです」
「約束だよ? 僕と、君の」
「はい、約束ですっ」
「よし。じゃあ小指出して」
「あ、はい……」
彼女が右手の小指を掲げる。二階と外では、お互い手を伸ばしても届かなかったが、それでも陽平は小指を出すと、
「いくよ。いっせーの、指切ったっ」
そう言って、陽平は本当に指切りをしたかのように手首を軽く振った。女生徒も勝手がわかっていたのか同じように振って、手を収める。
「ははっ、なんか懐かしいねぇ」
「わたしもです。――ところで春原さん」
「うん、なに?」
「しおちゃんのスカートの中、覗こうとしちゃ駄目です」
「す、スミマセン……」
思わず頭を下げる陽平。そして頭を戻した時には既に、外には誰も居なかった。
午後二時を過ぎたところで、汐が目を覚ました。
「う〜、変な夢見た……あれ、春原のおじさま?」
寝ぼけているのか、それとも状況を瞬時に把握したのか、上半身を起こした格好のまま、あまり驚いていない様子で汐はそう言う。
「おはよう汐ちゃん。ドア開いていたから入っちゃったよ。ちょっと無防備なんじゃない?」
陽平がそう言うと、汐は少しの間だけきょとんとして、
「あー……そうか、ちょっとだけ横になるつもりで、そのまま寝ちゃったんだ……御免なさい」
「いや、次注意すればいいよ。何事も無かったみたいだしね」
「お茶、飲みます?」
「ああうん、御馳走になるよ」
「ん、ちょっと待っててくださいね」
そう言って、全身のバネを使って飛び上がるように汐は起き上がると、台所へ歩いていった。
「そういや、岡崎は?」
「急な仕事だとかで、出掛けています。夕方には帰って来ると思いますけど、待ちます?」
「そうだね。帰りの電車遅らせればいいだけだし、待とうかな」
「おとーさん喜びますよ、きっと。ところで、今日はどうしたんです?」
「いや、久々に顔をみたくなってさ」
「――なるほど」
薬缶に水を入れ、コンロに火を入れた音が聞こえてくる。そのまま、湯飲みや急須を出しているのだろう。汐は台所で何かを動かしながら、
「ひとつ、いいですか?」
と、訊いてきた。
「うん、なんだい?」
「何か、良いことありました?」
「……まぁね」
「何です? ちょっと気になるじゃないですか」
興味津々と言った感じの汐に対し、陽平は鼻の頭を指で擦りながら少しだけ考えると、
「うん、それはまぁ――秘密だね」
と言って、抗議の意を表す汐を余所にニッと笑ってみせたのであった。
Fin.
あとがきはこちら
『僕、今日から汐ちゃんの婿養子だから岡崎姓を名乗ることにするよ――』
「ぎゃあああああ! って夢か……」
「おとーさん、うるさい……Zzz」
あとがき
○十七歳外伝、昼寝編でした。
本当は卒業式で一本書いてみようと思ったんですがどうにも蹴躓いている内にこんな話が生まれました。久々に、あの人のご登場です。
ところで、朋也達が住むアパートですが、個人的に二階じゃないかなと思っています。といってもたいした根拠はなく、グランドフィナーレ前の映像(街からたくさんの――が見えるシーン)が二階から見ているように感じたので今回の話でも二階と定義付けたのですが、いかがでしょうか?
さて、次回はこの話で汐が前半見ていたものでw。