超警告。CLANNADの隠しシナリオをクリアしていない人は
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このお話は、史上希にみるすさまじいまでのネタバレ前提で書いてあります。
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「鈍器でめた打ち〜」
「何だそのいやな歌は」
「えっと、昔のゲームで超あに――んが」
「おいぃ!?」
その日、俺達父娘の住む家は人で溢れていた。
「緊急事態だって聞いたけど……」
ちゃぶ台に座る俺の向かい側で、杏がそう言った。
「ああ、緊急事態だ」
俺は静かに頷く。
「詳細を」
杏の隣で短くそう訊く智代に、俺は咳払いをひとつすると、
「昨日汐が料理中に戸棚を開けた時、上から鍋が落ちてきてな。それが頭に……」
「――! 当たったの?」
「ああ」
再び静かに頷く俺に、場の空気がさっと凍る。
「それで岡崎、容体は?」
意外にも冷静な春原が先を促した。
「怪我って程のものはなかった。瘤もできていなかったしな。ただ――」
「ただ?」
主導権を取り戻した杏の催促に俺が答えようとした瞬間、全員の視線が俺から離れる。
「う〜ん……」
俺の隣で寝ていた汐が起きたからだ。全員の注目を浴びながら間も無く十八になる我が娘は可愛らしく目を擦ると、
「おはよう、パパ」
そう言って、あどけなく笑い、
「「「「ぱ、パパ〜!?」」」」
俺達父娘以外をパニックに陥れた。
『バック・トゥ・ザ・十二年前』
ちょこんというか、ずっしりというか、とにかくその重量を感じさせる状態で、汐が俺の膝に座る。
「な、何、何よ、どういうこと!?」
完全に上ずった声でそう訊く杏に、
「大体わかるだろ」
と俺は返した。
「こいつの頭の中じゃ、今五歳だそうだ」
「え、それってつまり……」
「幼児退行。記憶のデフラグが機能不全を起こしている一種の記憶喪失。頭部に強い衝撃を受けるとまれに引き起こすことがあるの」
「フォロー、ありがとな」
俺はことみに礼を言う。表情は少し強ばっているが、きちっとフォローしてくれるのはありがたい。
「朋也、それならばいずれ、治るんじゃないか? それほど緊急とは思えないが」
「いや、それがだな……」
智代の質問に俺が答え終わる前に、
「パパ……」
汐が擦り寄って、頭を俺の胸に預ける。
「……こういう訳だ。精神衛生上非常に問題があるんで早急に対策を練らなければならない。――というか助けてくれ」
声に出して言うと、蹴っ飛ばされそうになるので言わないが、実はTシャツ一枚という非常にけしからん薄着から伝わる身体の暖かさと、微かに鼻孔をくすぐるシャンプーの香りでいっぱいいっぱいだったりする。
「なるほど。確かに父娘とも危ないな、それは」
呆れ半分、やり場の無い殺気半分で肩をすくめる智代。
「でも、どうしろって言うのよ」
「春原がいる」
「……岡崎」
「思う存分練習台として試してほしい」
「――わかった」
「オッケーイ」
「いやちょっと待てよオイイッ!」
「文句あるなら策を考えてくれ。そうすりゃお前、実験台にならなく済むだろ」
「む……そうだけどさ」
と、既に実験台になることが前提条件になっている春原はしばしの間考えた後、
「汐ちゃん」
汐が、春原を観る。そのきょとんとした表情に対し、春原は極めて真面目な貌で、
「一緒にお風呂、入ろうか」
「何考えてんのよアンタはぁ!」
「ひいぃッ! あ、あまりの恥ずかしさに元に戻ると思ってさあっ!」
杏と智代に蹴っ飛ばされ、風子のヒトデとことみのハリセン(ん? どっから持って来たんだ?)を食らう春原。あまりにもその予想通りな光景に俺は溜息をひとつ吐いて、
「念のため訊くが、入るか? 汐」
「……いや」
当たり前のことだが、汐も嫌がっていた。
「パパとなら、いい」
そうかそうか、そう言われると何と言うか――勘弁してください。背中流す時、絶対目が泳ぐこと間違いないです。
「はは〜ん、この頃はまだ一緒に入っていた訳ね」
春原への制裁から一抜けて、杏が悪戯っぽく笑う。
「当然だ。浴槽で溺れる可能性が無くなるまでは、どこの家庭でも一緒だろ」
「うん、その通りよ。ちょっとからかってみただけ」
だが、そこらへんがわからない奴もいる。
「ちょっと待て岡崎っ、一体何歳になるまで汐ちゃんとお風呂に入っていたんだよおぉ!」
これまた案の定、血涙を流さんばかりに吼える春原に、
「お前が芽衣ちゃんと一緒に風呂に入っていたころまでだ」
と、切り返す俺。
「な、なにいいいいいい!?」
何で其処で驚く!?
「……アンタ、いつまで一緒に入っていたのよ」
「そ、それはだなぁ!?」
茹で上がった蛸のようになって突如地球の歴史を先カンブリア時代から説明し始める春原(ただし先ブルガリアと言っていたが)。杏はというと、冷静に言葉の区切れ区切れで何時迄入っていたのか訊き、春原を悶絶させていた。
「ところで、古河夫妻は?」
そんなふたりを横目で見ながら、智代が訊く。
「呼んでいない」
「何でまた」
「想像してみろ、今の汐を見たらオッサンなら『む、無茶苦茶ラブリーじゃねえかあああ』って叫びっぱなしになるだろ」
「では早苗さんは?」
「汐に早苗さんのパンを食わせたら何が起きるか、想像できるか?」
「き、危険だな……」
古河パンへ行った時、その洗礼を受けたのだろう。俺達の回りにいる人間では避けては通れないその試練を思い出しのか、智代の頬を一筋の汗が伝った。
「ああ、だからこそ俺達の手で解決しなきゃいけないんだ……何やっているんだ風子?」
恐らく反対側から潜り込んだのだろう。器用にもちゃぶ台の下から風子の上半身が飛び出ていた。そしてその両手にはついさっき彫り終わったとおぼしきものを掲げている。
その視線は、汐に向いていた。
「ヒトデです」
「風子おねえちゃん……ありがとう」
「んーっ! クールじゃない汐ちゃんもメガスター可愛いですっ」
と、勝手に悶え出す風子。
「もうここはいっそのことです、ママと呼んでくださいっ!」
「なぁんですってぇ!」
「聞き捨てならないぞそれはっ!」
――いや、何でそこでヒートアップする? 杏、智代。
「初めまして、あたしがママよっ」
「わ、私もママだっ!」
だからちょっと待てお前ら。
呆れる俺だったが、汐はさらに冷静だった。まるで年下の子供を叱るように人差し指を一本立てると、
「だめっ。ママは、ひとりだけだから」
「人の話を聞いてたか? 汐が戻ったのは五歳の頃だ……って、ことみ?」
「初めまして汐ちゃん。私は……ひらがなみっつでことみ、一ノ瀬ことみ。呼ぶ時はお姉ちゃんでいいの」
「ことみ……おねえちゃん?」
「うん、おねえちゃん。よろしくね、汐ちゃん」
「しまったその手があったかっ」
「ぬ、ぬかったわ……」
いやいやまてまて。智代はともかく、杏は当時既に知っているからな。
「って言うかお前ら、問題を解決しようという気力、あるのか?」
「その件なんだけど」
急に改まった口調になって杏が呟く。
「今更なんだけどさ、椋に訊けば一発じゃない」
――そうだったっ!
「藤林……」
今や看護師長の藤林が、とっても眩しい。
全員の視線を集める中(そこでやっと春原の言い訳も止まった)、今までその存在すら希薄だった元、俺のクラスの委員長はちょっと困ったように俯くと、
「えっと、汐ちゃんは医学的には常識から外れた病気を持ってましたから……」
それは間違いない。なにせ、あの熱が何で下がったのか、今の俺にもわからないからだ。
「だから、こちらも奇を衒ってみればいいと思います」
そう言って、蹴飛ばされて飛んで行く春原を見送るような貌になってしまった俺を余所に藤林はポケットからタロットカードを取り出すと、素早く切りはじめる。
「――! 大変です。もう戻らないって!」
俺と杏と春原以外の貌が、一斉に驚いたものへと変わる。
対して変わらなかった俺達は……一斉に安堵の表情を浮かべていた。
「一応戻るみたいね」
「どうやらそのようだな」
ただ、何時戻るのかはわからない。そこは努力で補うしかなさそうだった。
「っていうか何の解決の糸口にもなってねぇ……」
思わず頭を抱えたくなるが、ちょっとでも頭を下げると汐と密着することになる。これはこれで、スケールの小さいピンチだった。
「――ふと思ったんだが」
声に冷静さを取り戻した智代が呟く。
「先程の春原の案を捻って、汐が恥ずかしがるようなことを朋也にすれば良いんじゃないか?」
全然冷静じゃ無かったっ!
「よし、それならまずあたしがキスを一発!」
「こらっ、抜け駆けするな!」
慌てて手を伸ばす智代をかいくぐり、杏が俺に迫る!
……何だ、今日は女難の相でも出ているのか? 相思いながら俺が観念した時だった。
「だめーっ!」
「のわっ」
真横に回り込んだ汐に突き飛ばされ、杏が簡単に飛んでいく。
「あれ?」
吃驚したように自分の両手を見る汐。
「いてて……どういうこと?」
「切羽詰まった五歳の女の子に手加減なんて出来る訳ないだろ」
予想以上の結果に吃驚している汐を見ながら、俺は杏にそう言ってやる。
「ちょっと待って。あたし汐ちゃんにつき飛ばされた時、全力でガードしたのよ!? なのにどうして――」
「それは、簡単だ」
俺の代わりに智代が答えた。
「私達が衰えたんだよ。技はともかく、単純な力比べなら私だって危ないだろう」
いや、既に技の掛けあいでも勝てないかもしれないな。智代は自分に言い聞かせるようにそう続けた。
「……なんか寂しい話ね、それ」
「ものの取り様だろ」
と、俺。
「要は汐がそこまで育ってくれたって事だ」
子が親を乗り越える。それは少し寂しいが、同時にとても誇らしいことでもある。少なくとも、俺はそう思っていた。
そして、かつての恩師を乗り越えた当の本人はというと、今になって自分の異変(今の汐から見れば、いきなり十七歳の身体になってしまったわけだ)に気付いたらしく、あちこちを触っている。
「ママみたい……」
なるほど、言い得て妙だった。
「あたしじゃないわけね……」
「はははっ、杏より写真の渚ちゃんの方が若いからねはぺしっ!」
嗚呼、雉も鳴かずば撃たれまいに……。玄関の方に吹っ飛んで行く春原を見送りながら、俺はそう思う。と、急に視界を汐の手が遮った。もう小さく無い手のひらが、そっと俺の頬を包む。
「パパ、ちいさい……」
「どっちかというと、お前が大きくなったんだからな」
よくわかっていないようだった。
「風子おねえちゃんも……」
「小さいな。というかあの頃と逆転している訳だが」
「岡崎さん失礼ですっ! 風子こう見えても汐ちゃんより年上ですっ。だから汐ちゃん、抱っこしてあげます。こっちに来てください」
そう言って立ち上がる風子に促され、汐は俺の膝元を離れて風子に近づいたが……どう頑張っても今の汐を抱っこ出来る訳もなく、
「んーっ!」
仕舞には汐に飛びついて抱っこされる風子だった。
「ん〜……何というか負うた子に負われる気分です」
いまいちその言葉の意味がわからなかったが、夢にまで見たといった感じで至福の表情を浮かべている以上は、気持ち良いものなのだろう。というか完全にあっちの世界に行っている。
「汐、風子降ろして戻って来い」
「うん」
しばらくは元に戻らないことを当時も知っていたからか、再び俺の膝に戻ってくる汐。ただし今度は背中を預けず、ぐっと向き合って、
「パパと、かおちかい」
当時にしては、随分とませたことを言う。
「ああ、そうだな」
「うん」
頷いて、嬉しそうに笑う汐。その表情は渚とかぶりはしないものの、俺は再びどぎまぎしてしまう。
「おともだちみたい」
「――お友達ね」
ちょっと気が抜けてそう呟くと、、
「どっちかというと、恋人同士みたいよ」
杏がそうまぜっ返して、俺は再び赤面してしまった。
「えっ」
そして、俺以上にその言葉が効いたらしい。汐は真っ赤な顔で立ち上がると……箪笥に突進した。昔と違い派手にタンスが揺れ、上に飾ってあった色々な小物が大きく揺れる。
そしてそのうちのひとつ、渚の写真立てが落下し――汐の脳天に直撃した。
なす術無く、がくりと崩れ落ちる汐。
「う、汐!?」
思わず総立ちになる俺達。程無くして、すごく痛そうに脳天を抑えた我が娘はゆっくりと立ち上がると……、
「うう……あれ? どうしたのおとーさん。みんな集めて――」
「汐ぉっ!」
「わっ、ちょ、落ち着いて! 何でみんなが一体何!? おまけになんか頭が痛いしっ」
「後一歩で朋也の貞操が大変だったのよっ!」
「禁忌を越えるところだったんだぞっ!」
「僕はもう興奮しっぱなししゃれぽっ!」
「岡崎さん禁断の愛でした」
「まさに光源氏だったの」
「そうです、まるでヒトデ……」
「は、はいぃ!?」
■ ■ ■
「……あ〜疲れた」
すっかり日が暮れた部屋の片隅で、俺はそう呟いた。杏達は既に帰っていて、俺が用意していた全員の湯飲みが逆さまになって洗い場に並んでいる。
「御免ねおとーさん。何か色々恥ずかしいことしちゃったみたいで」
そう言いながら、汐が淹れたてのお茶をちゃぶ台の上に置いてくれた。俺はそれを一口飲む――うん、美味い。この味は今の汐でないと出せないものだった。
「あまり聞きたくないんだけど、具体的にわたし何したの?」
「何ってまぁ……気にするな。お互い不可抗力だったからな」
「お互いって言うのが気になるけど、無事ならなによりってことね」
「そういうことだ」
もう一口飲んで溜息をひとつ吐く。それが安息であるとわかったのだろう。汐もひとつ息を吐くと、俺の膝の上に乗る。――って、
「ちょっと待て。どうして俺の膝に座る?」
「ん? なんとなく。恋人同士みたいで良くない?」
「良くない良くない」
本当は、覚えていないか? お前。そう思ったが、汐が随分と満足そうな表情を浮かべていたので、俺はそれを口に出すのを止めた。
それは、さっきまであれだけどぎまぎしていたのに、今は全くそう感じなかったためでもある。
「何か久しぶりっ、こーいうの」
「そいつは、良かったな」
さっきは感じられなかった懐かしい感覚を、俺も思い出していた。それはやっぱり、思い出を共有して初めて出来ることなんだろう。
俺は箪笥に戻された写真立てを見る。フレームの中のいつも通り笑顔は、その時ちょっと困っているように見えたのだった。
「妬けるなよ、渚」
Fin.
あとがきはこちら
「妬けませんっ!」
あとがき
○十七歳外伝、記憶喪失編でした。
CLANNAD本編の○と十七歳編、夢のコラボレーションという、あまり頭の良くない単語が頭を掠めた時に、実際やってみたらどうなるんだろうと考えたらこんな結果になりました。なんか全員浮かれているように見えるのは、春が近いからでしょうかw。
さて次回は……三月中に書き上げられると、いいなw。