『折原浩平の作戦ッ!』



「んんーむ……」
 昼休み。例によってトトカルチョで巻き上げた食券を駆使し昼食を超高速で平らげた折原浩平は、自分の席で頬杖を突き、むーむー唸っていた。
「どうしたの浩平、変な声出して」
 食堂かどこかで弁当を食べていたのだろう。ナプキンに包まれた弁当箱を下げて、教室に戻って来た長森瑞佳が不思議そうに訊く。すると浩平は背筋を延ばして鷹揚に腕を組みつつ頷くと、
「いや、茜の驚いた顔、見たことがないなと思ってな」
「今更だけど、くっだらないこと考えているわね」
 と、瑞佳と一緒にいた七瀬留美が会話に割り込んだ。彼女も両手に弁当箱を下げているところを見ると、瑞佳と昼食を過ごしてきたのであろう。
「くだらない言うな。第一見たことあるのか? 七瀬」
「……そりゃ、見たことないけど」
 一瞬だけ考えて、渋々といった感じで答える留美に、
「だろ」
 と、浩平は再び鷹揚に頷く。
「おそらくな、あのでっかいお下げが真上に跳ねあがると思うんだが」
「あんたね、漫画の読み過ぎよ。第一乙女の髪の毛が逆立つわけないでしょ?」
「七瀬さん、それもどうかと……」
 困った顔で瑞佳がそう言う。
「まぁともかくだ。俺は茜の驚く貌を見てみたいんだよ。大体、お前らだって気にならないか? あの茜が驚くかどうか」
 浩平がそう訊くと、留美は少し首を傾げ、
「そりゃ、気になるけど……」
「里村さんだって、驚くことあると思うよ。だからそういうのはやめた方が良いと思うけど」
 このままだと浩平が何かしそう。と、思い至った瑞佳がそうブレーキをかける。
「いやいや長森、いいか? 人間驚く事が極端に少ないと脳が鈍くなっていって、仕舞にゃ何事にも反応しなくなっちまうんだぞ?」
「ほ、本当に?」
「本当だ本当。ちょっと前に流行っただろうが。『無反応脳』って」
 嘘である。
 嘘ではあるが、瑞佳は少しばかり信じかけていた。
「うーん……それじゃ、いいのかなぁ――」
 その時である。
 当の里村茜が教室に入ってきた。今日は確か一年下の上月澪に呼ばれて演劇部の部室で昼食をとってきたはずである。
 その証拠に、お気に入りであるピンクの水玉模様のナプキンに包まれた弁当箱を提げており、楽しかったのだろうか、自他共に認められている大きなお下げが微かながらも嬉しげに揺れていた。
 そんな茜が浩平達三人が見守る中、自分の席に座ろうとして何かに気付いたかのように振り返ると、
『どうかしましたか?』
 と、視線で浩平に問いかけてきた。
『いや、なにも』
 浩平が身振りで答える。
『――何か隠していませんか?』
 視線と一緒に小首を傾げて、茜。
『ソンナコトナイデス』
 身振り二倍速で浩平。
『……そうですか』
 納得したのであろう。最後にそう視線で呟いて、茜は自分の席に座った。
「里村さん、何て言ってたの?」
 小首を傾げた以外、意味がわからなかった瑞佳が浩平に訊く。
「いや、何かあったのかと訊いてきたから、なんでもないとな」
 なるほど、と頷く瑞佳の側で、
「あんた達のそれ、傍から見ているとすごく愉快よ」
 留美が真顔で、そう言った。
 羨ましいとは、口が裂けても言えなかったからである。



 かくして浩平による里村茜を驚かせる作戦が発動した。作戦名は『デザートワッフル(砂漠のワッフル)』。無論命名者は浩平である。
「ワッフルリーダーよりワッフル1、状況を開始せよ」
 と、早速浩平が瑞佳に指示を出す。ちなみに三人とも廊下に出て、教室のドアを盾にし、茜の方を伺っていた。
「……普通にやろうよ、浩平」
「やることそのものが普通じゃないんだけどね」
 留美が茶々を入れる。
「あと、驚いた顔って言っても、具体的にはどうすればいいの?」
「んなもん簡単だ。驚かせばいい」
 何を当然なことを、といった感じで浩平は瑞佳の質問に答えた。
「それが難しいような気がするけど……やってみるね」
「よし行け、ファイトだ長森!」
「あんたね……」
 浩平の傍らで呆れる留美を余所に、瑞佳は慎重な足取りで教室に入ると、告白しようかどうか迷っている女子中学生のような足取りで茜の席へ歩いていった。
「あの、里村さん」
「はい」
 弁当箱を鞄に仕舞っていた茜が即座に顔を上げる。
「ええとね……」
 瑞佳は教室の在らぬ方をちらっとみる。それに茜の視線がつられた瞬間、彼女は両手をヒグマのように上げて、
「わぁーっ!」
 教室中が、静まり返った。
「……どうしました? 長森さん」
 視線を戻して、無表情に茜が訊く。
「な、なんでもないよっ」
 真っ赤になって瑞佳は廊下に出て行った。
 瑞佳に気のある男子生徒数名が、唖然とした表情で見送る。



「……失敗しちゃった」
「アホかお前は」
「うぅ、ひどいよ浩平」
「ごめん瑞佳、フォローできない」
 こめかみを揉みほぐしながら、留美がそう言う。
 後に瑞佳がやったポーズは『長森さん本気のポーズ』と勝手に名前が付けらた揚げ句、「食べちゃうよー!」「くまさんがおーっ!」等の台詞とともに文化祭で大いに活躍することになるのであるが、それはまた別の話になる。
 閑話休題。
「じゃあ次は、あたしね」
 肩を鳴らしながら、留美が一歩進み出る。
「あまり乱暴なことするなよ。茜は七瀬みたいに頑丈じゃないだろうからな」
「するかアホッ!」
 鉄拳を浩平に叩き込んで、留美は(彼女が想像する)乙女チックなポーズで教室に駆け込むと、
「里村さん、大変よ!」
 瑞佳と違い、実に自然な口調で茜に話しかけていた。
「どうしました? 七瀬さん」
 五限目の用意をしながら茜が応える。
「浩平って切れ痔持ちなんだって! 今トイレで悶絶してたわ!」
 廊下でモデルのまね事をしつつ様子を見ていた浩平がこけた。そしてその浩平をデッサンするふりをしていた瑞佳が驚いたように目を見開く。
「……わかりました。後でオロナイン買ってきます」
「あ、うん」
「他に何か?」
「あー、うん。それだけ」
 最初の勢いは跡形もなく、留美はすごすごと教室を出て行った。



「……難敵ね」
「長森よりアホだろ、お前」
「失礼ね。ちょっと気になる男子の秘密を知って吃驚って、乙女の常識よ!?」
「切れ痔のどこが乙女っぽいんだか言ってみろっつうの!」
「ふたりとも、落ち着いて……」
 真面目に信じかけていた瑞佳がふたりの間に割って入る。
「それにそろそろ五時間目の授業が始まっちゃうよ。準備しないと……」
「しょうがねぇなぁ。ここはやっぱ、俺が行くしかないか」
「っていうか言い出したのはあんたなんだから、率先してやるべきなのよね。本来は」
 憮然とした貌で腕を組み、留美。
「何言ってやがる。真打ちは最後に出るもんなんだよ。見てろ、一瞬で終わらせてやる」
 格闘漫画に出てくるかませ犬キャラみたいな台詞を吐いて、浩平は意気揚々と教室に足を踏み入れた。そして、真っすぐに茜の席へと足を向ける。
「――なぁ、茜」
「今度は浩平ですか……どうしました?」
 初めて茜の表情に困惑が浮かんだ。瑞佳と留美の意味不明な言動を掴みかねていたのだろう。そんな茜に対し浩平は真顔で、

「好きだ」

 その瞬間、教室にいたクラスメイト全員が1秒間きっかり動きを止めた。
 廊下で勉強しているふりをして事の次第を見ていた留美が、思わず持っていた辞書を引きちぎり、瑞佳の顔が赤色巨星もかくやという勢いで赤面し、その両耳から勢いよく蒸気が吹き出す。
「私も好きです」
 それを聞いていた茜の前の席の男子、南が音も無く立ち上がり、猛烈な勢いで教室を飛び出して行った。同じく男子の住井以下数名が慌てて後を追い、最後に南に好意を寄せていた女子がそっとその後に続いていく。
 お陰で少しだけ広くなった教室内、全員が固唾を呑んで見守る中、浩平は、
「め――」
 愕然とした貌のまま真っ赤になって額の汗を拭うと、
「め、面と向かって言われると、照れるなぁ……」
 と、後頭部を掻いて照れており、教室にいたクラスメイトは一人残らずすっ転ぶ羽目になった。
「アンタが驚いた上に照れてどうするっ!」
 最後に、瑞佳のトスにより空中高く舞い上がった留美の浴びせ蹴りが、浩平に炸裂する。



「そういう絡繰でしたか……」
 帰り道、山葉堂へと向かう途中で、浩平は事の経緯を茜に話していた。留美の強烈な蹴りでたっぷり十分ほど気絶していたのであるが、頭頂部に命中していたため、目立った外傷はない。
 と、急に茜の頬が桜色に染まった。
「今になって恥ずかしくなってきました……」
「わ、悪ぃ……」
 こちらも赤く染まったなった浩平が、しどろもどろに謝る。
 近くには、瑞佳も留美も居ない。住井主宰の突発パーティに出席してしまったからである。ちなみに、通りかかった柚木詩子も以下同文であった。
 そんなふたりきりの帰り道で、上気したままの茜は何度か躊躇うような様子を見せた後、そっと浩平の手を取った。
「あ、茜?」
「好きなんですよね?」
「あ、ああ……」
「なら、これでも佳いと思います」
「……それもそうだな」
 すぐにでも離れそうなくらいそっと触れてくる茜の手を、浩平は力の入れ方を慎重に加減しながらも、しっかりと握ったのであった。



Fin.







あとがき



 百本目のSSはONEになりました。
 なんか今になって大分書いたなぁ……とか思っちゃってます。
 まぁそんなわけで、本編でもちょっとしたでっかいことを浩平がやらかしてますが、まぁ次の話では元通りのふたりなのではないかなと思います。そこはやっぱり、浩平ですし、茜ですしw。
 さて次回のONEのSSは……茜かな? やっぱりw

Back

Top