『眠り姫の事情』(2000.12.01)



 快晴に南風。珍しい好条件が重なって、今日は日中暖かい日であった。更に土曜日とあって、午後になったとたんほとんどの学生が街に繰り出していた。その様子がテレビを通して手に取るようにわかる。しかし、それを観ている相沢祐一は空きっ腹を抱えていた。
「遅いな……」
 時計の針は午後二時を指している。
「祐一さん、先に食べていますか?お昼」
 水瀬家の主、待ち人の母である水瀬秋子がそう訊いた。
「いえ、待ちます」
 と、祐一。
 今日は土曜日で、午前のみの授業だった。それで、幼なじみで一緒に住んでいる水瀬名雪と一緒に帰る予定だったのだが、急な部長会議(名雪は陸上部の部長なのである)が入って少し帰りが遅れることになったのである。
「一時間くらいだから、先に行ってていいよ」
「わかった、家で待ってる。秋子さんに言って昼遅らせてもらうから」
「ありがと、祐一」
 それを計算に入れても、かれこれ一時間過ぎた。
「遅いな……」
 もう一度呟く。
「なにかあったんでしょうか?」
「まさか……」
 ちょうどその時、玄関の呼び鈴が鳴った。

「珍しいな。どうした、北川」
「いや、ちょっとな」
 祐一が出てみると、本当に珍しいことにクラスメイトの北川潤がいた。
「まあ、いいや。とにかく上がれよ」
「悪いけど、ちょっと他にも用事があってな」
「そうか。で、どうした」
「いや、ちょっとお前に用があってな」
「そうか、俺も用がある。名雪見なかったか?」
「その件だ――気付いてなかったのか!?」
 そう言って北川は動いて見せた。背中に名雪を背負っていたのである。その背中の名雪はまったく動かない。
「なにか、あったのか」
 硬い表情で祐一が訊く。
「いや、道端で寝てた」
 よくよく見てみると、肩がゆっくりと上下していた。あまつさえ、くーと微かな寝息が聞こえる。
「…………」
 一瞬、祐一の表情がぐにゃりと歪んだようにみえた。
「すまなかった。そこに置いておいてくれ。こっちで運んでおくから」
「あ、ああ……」
 徐々に祐一に怒気が増していくのが傍目から見てわかる。
「あー、水瀬さんにあまり手荒なまねはするなよ」
「あまりには、な」
「……そうか」
「済まなかったな」
「別にそれほどのことじゃないさ。それじゃ……」
 玄関のドアを閉める少しの間、北川の目には、名雪に肩を貸してずるずると引きずりながら、祐一がのっしのっしと廊下の向こうに消えるのが見えた。

「くー」
 リビングのソファーに座らせてもまだ寝ている名雪。起きる気配がまったくない。
「さて、どうしたもんだか」
「どうしましょうか」
 昼食の用意をしながら秋子が訊く。
「そうだ、サランラップの芯ありますか?」
「ありますけど……はい、どうぞ」
「どうも」
 片方の端を名雪の耳にくっつける。そしてもう片方を自分の口元をあて、祐一は大きく息を吸い込んだ。
「起床!」
 瞬間、爆発したかのように名雪の髪が逆立つ。
「う、うにゅ……」
 ――良い子も悪い子も、清濁併せ飲める子も真似しないように。
「にゅ、にゅにゅにゅ、うにゅ〜」
 こめかみに両手を添えて、ぶんぶんと首を振る名雪。
「やっと起きたか、名雪」
「祐一……こ、声がこ、ここ、こえ、声が……」
「ちっ、壊れたか」
「誰のせいだよっ」
 うーと耳を押さえる。
「やかましい、いいか名雪、北川だからここまで届けてくれたんだぞ。もし北川がその手のヤツだったらどうするんだ!今頃お前はお嫁に行けなくなってるぞ」
「まあ、大変」
「秋子さん……」
 額に手をやる祐一。
「祐一、それ北川君に失礼」
「お前も話を逸らすんじゃない!」
「でも……」
「でももなにもあるか。どこをどうやったら道端で寝られるんだよ」
「それは……」
「あの――」
 再び話を切られた。秋子である。そして身振りで食卓を指さした。いつのまにやら昼食が出来上がっている。
「その前に、お昼にしませんか?」
「……しましょうか」
 すっかり忘れていた。

 そして、昼食後。
「あのな、何をどうやったら道端で寝られるんだよ」
 後かたづけを手伝った後、そのまま逃げようとした名雪をとっつかまえて、リビングの椅子に座らせる。
「気持ちよくなったから。祐一はこんな日に眠くならない?」
「ならん」
 ならばと、名雪は秋子に訊く。
「お母さんは?」
「気持ちよくはなるけど……眠くはならないわね」
「そうかな」
 名雪、孤立無援。少し話がずれたのに気付いて、祐一が咳払いして続ける。
「で、気持ちよくなって?」
「こう、ふわっとして……」
「で……?」
「くー」
「起きろ」
「うにゅ……祐一、今日すごい暖かいよね?」
「暖かいけど、それがどうかしたか?」
「だから、気持ち良くって……」
「で……?」
「くー」
「また寝てやがる……」
 再びサランラップの芯を構える。
「祐一さん」
 三度、秋子。サランラップの芯を手を添え、首を横に振る。
「昨日宿題で遅くまで勉強していませんでした?」
「いつもより一時間遅かったくらいですけどね。それに今日は授業中ずっと寝ていましたし」
「そうですか……」
「昔から、こうでしたっけ?」
「名雪にも、理由があるんですよ」
「どんなです……?」
 おぼろげな記憶を辿ってみる。名雪は、寝てばかりいた子供だったか?

■ ■ ■


――あさ〜あさだよ〜祐一、あさだよ〜――
――うぅ、おれはまだねむいんだよ――
――ほら、雪だよ。雪いっぱいつもってるよ、祐一。だからおきて――
――いつもつもってるだろ。ああもう、なんでそんなにはやおきなんだよ!名雪――

――ほら、かまくらつくろ。祐一!――
――いやだ。さむい――
――さむくないよ。かまくらつくっていたらさむくないし、できたらあったかいよ――
――しょうがないな――

――あ、もうねむいの?祐一――
――今日はいっぱいあそんだろ――
――わたしまだねむくないよ――
――おれはもうねむい……――

■ ■ ■


 記憶の中の小さな名雪は……。

「秋子さん」
「はい」
「名雪が朝弱くなったの、前に俺が居なくなってからじゃないですか?」
「そう――ですね」
 首を傾げながら記憶をたどった秋子は、そう肯定する。
「俺のせいですかね」
「はい?」
 唐突にそう言った祐一に対し、言葉ではともかく表情は変わらない秋子。
「七年前……前に名雪と一緒にいたときの記憶が、少ししか思い出せないんですよ」
「そういうものですよ」
「その時期だけなんです。朧気なのは」
「そうですか……」
「俺のせいですかね。あの朧気な間に名雪に……」
「そうかもしれません」
 あっさりと肯定する秋子。
「でも、それで祐一さんが悪いというわけではありませんから」
「そうでしょうか?」
「そうですよ」
「祐一……」
 ふいに名雪が呟いた。寝言らしい。思わず顔を見合わせる祐一と秋子。そして苦笑しあう。
「俺、名雪を寝かせてきます」
「お願いします」
 頷くと、祐一は腰をかがめ、名雪を起こして背負おうとした。
「あの、祐一さん」
「はい?」
「背負っていくと、階段危ないですから」
 確かに重心が後ろに来て、少し危険である。
「じゃあ?」
 ピッと、人差し指を立てて秋子は続けた。
「あれです」
「あれ?」
「まず、名雪を横にしてください。それから、膝の裏と背中を両手で支えて……」
「こうですね――って、これは、もしかして……」
 もしかしなくてもお姫様だっこであった。
「秋子さん、これは……」
 名雪を抱き上げた(?)姿勢のままで訊く。秋子の微笑みは変わりもしない。
「男子一生の夢ですよね」
「いや、そうですけど……」
 名雪に了承とらなくて良いんですかと聞いたら、一発で了承されてしまうだろう。秋子に。
「お願いします」
 その笑みには有無を言わせない何かと、いたずらっぽいものが浮かんでいた。

(ん……)
 何か暖かいものを感じて、名雪は目を覚ました。少し揺れているようにも感じる。
(うわ)
 祐一に何故か抱きかかえられている。
(ど、どうしよう)
 今、目を覚ましたふりをしても気まずいような気がした。あわてて目を閉じる。
(寝てるふり寝てるふり……あ)
 ここにきて、暖かいものの正体に気付いた名雪。
(う……)
 背中と脚から祐一の感触がダイレクトに感じられるのである。
(どうしよう……)
 どうしようもない。
「それにしても――重いな」
(――!)
 相沢祐一、女性に対する禁句を発言したため、有罪。懲役十年!
 何故か裁判官の格好をした親友の美坂香里がそんなことを頭の中で宣言していた。
(祐一〜)
 死刑判決でも良いかもしれない。ちなみに、名雪の名誉のために付け足しておくと、そんなに重くない。
「でもまあ、役得……かな?」
(超役得だよっ!)
 言うまでもないが、制服だと手の位置の関係上、どうしても素肌の脚に触れることになる。
 なにかしたら祐一を蹴飛ばそう。名雪は堅く心に決めた。しかし、それ以上何もあるわけが無く、無事名雪の部屋に到着する。
「よっと……」
 名雪を抱き上げたまま器用にドアを開けた祐一は、そっと名雪をベッドの上に乗せた。一度部屋を出て、階下に声をかける。
「じゃあ、後で着替えさせておいてください」
 制服がしわにならないようにと言うことだろう。そして部屋の中に戻ってきた。そっと毛布を上に掛ける。そしてそっと髪に触れた。
(…………)
「ごめんな。名雪」
 小さな声。
「頑張って、思い出すよ」
 今はそれで十分だった。
(頑張ってね。祐一)
 気まずくても起きていたら良かったと思う名雪。それでも、嬉しかった。
(頑張ってね……)
 ドアの閉まる音がする。それと同時に夢の気配が忍び寄ってきた。
(待ってるよ)
 再び、名雪は眠りに落ちていった。

Fin

あとがき

 と、いうわけでKanonSS第一作は、名雪の話ということになりました。言うまでもなくお気に入りキャラです。最初はAIRより先にお送りする予定だったのですが、周知の通りあのシナリオで完全にシフトしてしまいまして……今になったという次第です。

 さて、少しだけ名雪について書くとすると、名雪シナリオをクリアした私自身の印象は、打たれ強い子だなというものでした。芯の強い女の子(もしくは一本、何かしらの筋が通っている女の子)が好みなので結構その関係の色々なキャラクターを知っていますが、それをほとんど表に出さないのが、名雪の魅力なんじゃないかなあと思います。
 天然でマイペースなところ?もちろんツボですよ(笑)。

 次回KanonSSですが……現時点では秘密、ということで。

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