えみりゅん誕生日おめでとー!
センチメンタルグラフティSS「深緑萌時(しんりょくもゆるとき)」(2000.07.20)

「いらっしゃいませ〜」
 ここのところ、私の店は明るい活気に包まれている。別に客の数が増えたわけではない。相も変わらず、多くもなく少なくもなくと言ったところか。間違えても、大繁盛ではない。
「お一人様ですか〜」
 アルバイトが一人貼っただけである。その経緯なのだが、話が少々複雑になる。
 私の店の奥に、アルバイト募集と書いて貼ってある張り紙がある。私の友人であり、私の店の常連客でもあるとある物書きが、
『華がない』
 ということで、私に半ば強制的に貼らされたものなのである。
 そしてしばらくたったある日、これまた私の常連客が、その張り紙を眺めて、
「バイト募集かね?」
 と私に訊いたのであった。
 まあ、特に必要というわけじゃないんですがね、と苦笑いとともに答えると、
「希望者がいれば雇うということかね?」
 はあ、と頷くと、彼は身を乗り出して、
「実は遠縁に当たる娘が家に遊びに来ているんだが、ひとつどうかね?」
 と言うのである。
 いてもいなくても、対して変わらない。それが私の今の状況だったので、なら、お願いしますと答えた。停滞よりは変化のほうがいい。ただ、その時はそれほど大きな変化になるとは思ってもみなかった。
「はい!少々お待ちください〜」
 新しく、と言うか初めて入ったアルバイトの少女は永倉えみると言う。生まれも育ちも仙台で、自宅も仙台だというから、ここ広島には件の彼の家に泊めてもらっているのだろう。明るい子は大抵が活発な子なのだが、この子は単純に明るい、それひとつの子である。少し変わっているといえば、変わっているかもしれない。

「ああ、えみる君、もうあがっていいよ」
 私の店は深夜の零時まで開店している。私自身は(暇つぶしも兼ねて)朝から営業しているのだが、アルバイトである彼女の場合そうはいかない。とりあえず、午後一時から休憩一時間を挟んで八時間働いてもらっている。いま、ちょうど午後十時になったのであった。
「だ〜か〜ら〜、えみりゅんって呼んでくださいりゅん!」
「……えみりゅん、もうあがっていいよ」
「は〜い!」
 営業の時には、おくびにも出さないのだが、彼女の語尾は少し変わっている。えみる本人に言わせると「えみる語」というらしい。抵抗感さえなくなれば非常に覚えやすい言語である。
「えへへ〜」
 一度奥に引っ込んだえみるが戻ってきた。私服にエプロンという、制服とはほど遠いものなのだが、一応この店オリジナルで月とコーヒーカップがあしらってある。どうも彼女は、それをとても気に入ったらしい。
 笑みを崩さないまま、彼女はカウンターの一席にちょこんと座る。今度はお客、と言うわけであった。
「いつも通り、ココアでいいね?」
 私が訊くと彼女は嬉しそうに首を縦に振る。彼女がアルバイトを初めて三回目の光景であった。

「もう仕事は慣れたかい?」
「うん!上手に教えてもらったからすぐに覚えられたりゅん!」
「それはよかった」
「えへへ〜」
 そう笑って、彼女はとてもおいしそうにココアを飲む。
「ところで、えみ――りゅんはどうしてここで働こうと?」
 私はかねてから疑問に思っていたことを口に出した。規定の日に時間通りに来て、よろしくお願いしますりゅんと言ったきりで、仕事の動機については一切聞いていないのである。
「えへへ〜秘密〜なんだけど、特別に教えてあげちゃうりゅん!」
 コーヒーカップをことりと置き、彼女は続ける。
「えみりゅんにはね〜大事なダーリンがいるんだけど〜、ダーリンって東京に住んでいるの〜、だから、ちょっとアルバイトをして東京に行けるくらいのお金を集めようと思ったんだりゅん」
「へえ、遠距離恋愛ってヤツだね」
「やだ〜」
 いやいやの仕草をするえみる。照れている。
「大切な人がいるということはいいことだよ。特に君たちの年代だとなおさらだ」
「うん、えみりゅんもそう思うりゅん」
「で、彼とはどうして出会ったんだい?」
「え〜そこまで聞くりゅん〜?」
 言葉では嫌がっているが、口調はそうでもない。
「うん、是非聞きたいね」
 端から見れば、いわゆるオヤジだな。そんなことが脳裏を走りつつ、私は先を促した。
「う〜ん、じゃ、教えてあげるりゅん!」

 彼女の話は興味本位で聞くものではなかった。少なくとも、普通、彼女ほどの年頃なら、笑って話せるものではない。しかし、彼女は終始笑顔で話し通してくれた。
「――だから、今のえみりゅんがいるのは、ダーリンのおかげなんだりゅん」
 そう言って、話を締めくくると、彼女はすっかり冷めたココアを一気に飲む。壁に掛けた時計がぽーんと鳴った。すでに零時になっていた。
「そうか……君の彼氏は本当に大切な人なんだね」
「うん!」
 これだけは誰にも譲れない。そんな気迫がこもっていそうな勢いで嬉しそうにえみるは頷く。
「そうか、それで夏休み終了十日前という訳か」
 今更だが納得した。三日前から初めて、八月の月末ちょっと前にやめる。何か不規則なものを感じていたのだが、それは彼女がここ広島の親戚から離れるためだと思っていたのだが。その先はいうだけ野暮である。そして同時に彼女が何故『明るい子』なのかが理解できた。すべてはダーリンのおかげらしい。私は、まだ見たこともないその青年に尊敬の念を抱いた。
「待てよ、それじゃあ明日――いや、今日か、お休みするのは何故なんだい」
「あ〜、それはね、えみりゅん明日誕生日なの〜それで、親戚のおじさん達がお誕生日会開いてくれるからって〜」
「なるほど、するとさっき君の誕生日になったと言うわけだ」
「うん!」
「残念だけど、私は仕事があるからね。それに明――今日にはゆう……友人がここに予約を取っていてね、ちょっと手が離せないんだ。済まないね」
「ううん、いいよ〜。わざわざ休んでくれるよりずっといいりゅん!」
「そうか。だけどね、ここで祝うことはできるわけだ」
「???」
 私はカウンターの下にある冷蔵庫から明日の分のケーキをひとつ取り出した。同時に空っぽになったえみるのカップにココアを注ぎ直す。
「ささやかだが私の誕生日プレゼントだ。受け取ってくれるかな?」
 間髪おかず、
「うわあ〜!」
 えみるは歓声を上げた。
「大好き大好き!ダーリンと一緒じゃないけど、でも大好きりゅん!」
 おそらく彼女の最大級の賛辞を受けながら、私は予約してくれたかの友人に悪いと思いながらも、彼女の誕生日会に行けないことを少し悔やんだ。そして、店の看板をCloseにするのをすっかり忘れていたことを思い出したのであった。

――Fin

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