注意:このお話は容赦なくマルチネタバレです。
梅雨も過ぎ、本格的に暑くなったとある大学構内にて。
「かぁーたりぃ〜」
大学生、藤田浩之はプリントやらテキスト、ノートの入ったクリアケースを肩に載せながらぼやいていた。今日の講義は全て終わって、これから帰ろうかと校舎を出たところである。
「なんか大変そうだね。浩之ちゃん」
同じ授業を受けていて、彼の隣を歩いている神岸あかりがそう言った。
「ああ。冬弥のヤツがよ、ADのバイトで講義出られないっていうから、二冊分ノートとっているんだよ」
「そうなんだ。藤井君も大変だね」
「まったくだ。あーいう仕事、俺だったら嫌になるな」
あかりの方に向きながらそこまで話していた浩之はふと正面に目を向けた。そして思わず立ち止まる。そして、同じく彼に合わせて立ち止まったあかりに向かって苦笑した後、軽く肩をすくめて言った。
「んでもって、あいつも大変だと思うぜ」
浩之に指さす先には『あいつ』がいた。正門の隅に隠れているつもりなのだろうが、頭にかぶった大きめの麦わら帽子が門柱の横からしっかりはみ出ている。この前、浩之が買ってあげたものだ。
「どうしてこう、なあ?」
何と表現したらよいか、いまいちわからないので浩之はあかりに意見を求めた。
「いいんじゃないかな?とってもらしい、よ」
「そーかねぇ」
両手を頭の後ろに回して、浩之は空を仰いだ。そしてそのまま二人は、正門に隠れている者に気付かれぬよう足音を消す。正確には浩之が消した後あかりが彼に合わせたのだ。二十年近くのつきあっているせいか、そういった呼吸はぴったりである。そして二人は何者かが隠れている正門へそっと近づいていった……。
「おら〜!マルチ〜!」
「ひぁあああああー!」
『空中庭園』開設&1000Hit over記念 To Heart
Short Story「Meet again」(1999.07.20)
「何でわかっちゃたんでしょう……」
ずずず、ぢぢぢとソーダ水の最後の一口をストローで吸い上げながら、見事に待ち伏せ返り討ちを喰らったマルチは呟いた。場は浩之達の通う大学にそれなりに近い喫茶店『エコーズ』の店内、カウンター席である。
「あのな」
あかりを挟んで彼女の反対側でコーヒーを飲んでいた浩之が、あきれたように彼女を見た。
「詰めが甘い、だよね。浩之ちゃん」
浩之の隣で、あかりがチャイ(インドのスパイス入りミルクティー。ひたすら甘い)をすすりながらそう言う。
「そーいうこと」
「はうううぅぅ」
あかりに同調する浩之に、マルチは呻くしかない。
HMX−12『マルチ』。HM−13『セリオ』の廉価モデルである。実は彼女は一人(一台という言葉は彼女には似合わない)しか存在しないワンオフモデルであり、彼女以降の型式番号はHM−12でXがついていない。Xという記号は試作機という意味を持つ。つまり彼女は現在普及しているHM−12型の試作機なのであった。本来試作機は後続の量産機のため厳重にモスボールされ、しかるべき設備に保管されるものなのだが、彼女は今浩之の許にいる。
「あれ?」
なおもずずずとやっているマルチを見ていて、あかりがティーカップをソーサーに置きながら疑問の声をあげた。
「マルチちゃん、いつからジュース飲めるようになったの?」
確か彼女は水しか飲めなかったはずである。
「あ、この前主任に整備(み)てもらったとき、分解フィルターつけてもらったんです」
「分解フィルター?」
「えっとたしか、飲み物なら何を飲んでもお水と同じようにしてくれるらしいんです」
「へえ」
頷くものの、よく理解できないあかり。おそらくマルチ自身も完全に理解できていないだろう。
「ま、浄水機みたいなもんか」
コーヒーを飲み干した浩之が口を挟んだ。なるほど、と頷く二人。その反応を見て、浩之はにやりとする。
「へっへっへ。やっぱり二人とも分かってなかったな」
「あ」
「はわ」
ぎくりとするあかりとマルチにくけけと笑い続ける浩之。
「ひ、浩之ちゃん!」
「ひどいですー」
二人がぴったりと息を合わせて叫んだときである。やや乱暴に『エコーズ』のドアが開き、浩之達と同い年くらいの青年が駆け込んできた。
「ごめん浩之、ちょっと遅れちゃって……」
「おせーぞ、冬弥。――相変わらず忙しいんだな」
「ああ、ちょっとね。今詰めなんだ」
「ふーん。ま、いいや。ほら、休んだ分の講義ノート」
そう言ってクリアケースの中から一冊のノートを青年に渡す。
「ありがとう」
軽く頭を下げる青年。
「あんまり根詰めるなよ。ぶっ倒れたら森川心配するぜ?」
「わかってる。前にうっかりやったから。あのとき由綺仕事にならなかったし……そろそろ行かなきゃ」
「ん。森川にもよろしくな」
「ああ。それじゃ」
「おう」
浩之から受け取ったノート自分の鞄にしまって、青年は来たときと同様あたふたと出ていった。
「本当に忙しい奴だなあ……って何笑ってるんだよお前ら」
二人とも、にたりと頬をゆるませている。
「んー、ちょっとお節介焼きなところがあるよね。浩之ちゃんって」
「でも、そんなところが良いんですよねー」
やっとストローから口を離したマルチは、グラスを軽く振って氷をからから鳴らしながらそう答えた。
「あーそうかいそうかい」
照れ隠しのつもりか、頭をがりがり掻きながら浩之はぼやく。それが本当に照れ隠しだと分かっているため、二人は吹き出してしまった。
「お前らな」
咳払いをして、浩之が何か言いかけたときである。
「あら?久しぶりじゃない」
店の入り口からカウンターに向かって声が聞こえた。見ると、長い黒髪の女性がこちらを見て軽く驚いている。
「お?おーおー」
「あ……」
声の主に浩之とあかりが反応する。そして、
「――!」
その声の主の隣にいる人物見て、マルチは凍り付いたのであった。
「セリオ、さん?」
「本当に久しぶりだな。高校卒業以来か?」
浩之の隣に座った黒髪の女性、来栖川綾香に彼は懐かしそうに言った。
「そうね。この喫茶店にいるって事は、あそこに通っているんだ。さっき通った大学」
「ああ、あかりと一緒にな。そういや、センパイは元気か?」
「姉さんでしょ。相変わらず元気よ」
コーヒーを注文しながら綾香は答えた。暑いためか、豊かな黒髪をポニーテールにしている。
「とーとー黒魔術極めちゃって、今精霊魔術とかいうの覚えているわ。それより浩之、あの2人だけど」
「ああ、いつまで固まってるんだろうな」
マルチの隣にセリオが座っているのだが、2人とも1ミリも動かない。揃ってカウンターを見つめている。
「あの子、浩之の学校でテスト受けてたマルチでしょ?」
「そういう綾香こそ。あいつ、あの時のセリオだろ?」
「そうよ」
「何で、じっとしているのかな」
と、あかり。
「……大体想像付くけどな」
「どんな?」
マルチとセリオを見つめながら呟いた浩之に、綾香が間髪入れずに訊く。
「あー、そうだな。綾香、セリオとは高校からずっと一緒だったろ」
「そうよ」
「それだよ」
「それって?」
「後は自分で考える!」
「……あ」
あかりが先に気付いたらしい。そっと隣のマルチを見る。
「……そういうことね」
続いて綾香が気付いた。こちらもそっとセリオを見る。
「やっと分かったわ。だからなんか久しぶりにあった恋人2人がお互い何も言えなくて、ただただじぃっとしているみたいになるわけね」
綾香の台詞は、マルチはともかくセリオには聞こえているはずなのだが、それでも2人とも動かない。
「お見合いできっかけが掴めないのと似ているね」
体験したはずはないのに、なぜか見たことのようにあかりが表現する。
「それね」
「そーだな」
コーヒーを飲み終えて綾香が、腕を組んで浩之がそれぞれ同調した。
「どーする?」
「やることはひとつよ。外野退場」
「それだな」
そう言って浩之は、まだ固まっているマルチに声をかけた。
「おーいマルチ、オレ達ちょっと外に出てるから、ゆっくりしてってくれ」
「へ?」
「ちょっと浩之達とみたいモノがあるから、少しの間だけ外に出てるわね。ゆっくりしていて良いわよ、セリオ」
「はあ」
「えーと、それじゃあそう言うことで……ごめんね」
最後にあかりが意味不明なことをごにょごにょと言いながら、全員分の支払いを済ませた浩之達の後に続いて店の外に出る。
「え?え?えええ?」
やっと事態を理解したマルチが困惑の声を上げた。そこでドアが閉まる。
「大丈夫かな、浩之ちゃん。ずっとあのままだったりしないよね」
「大丈夫よ」
浩之の代わりに綾香が答える。
「ちょっとしたきっかけがあって、それで2人きりになれたら、話題ってやつは浮かぶものだわ」
「そういうことがあったんだな」
ズボンのポケットに手を突っ込んで浩之が茶化す。
「まーねー。さあて、どう暇つぶししようかしら。浩之、あなた『DDR’』出来たっけ?」
「そこそこな」
「決定。ゲームセンターに行きましょう。確か駅前の近くにあったわよね」
そう言って歩き出す綾香。
「あの……私、クレーンゲームもできないんだけど……」
あかりのつぶやきは無視された。
一方、喫茶店内では。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう……)
マルチは困惑していた。浩之達はいない。自分とセリオと二人だけ。どうしようどうしようどうしようどうしよう……。
昔の彼女ならとうの昔にオーバーヒートしていたところである。
「マルチさん」
そこでセリオに話しかけられたのだからたまらない。マルチは思わずメイン回路が止まるかと思った。
「ど、ど、どどどどどどどうしましたセリオさん?」
完全に声が上擦ってしまい、まるで漁船のエンジンのように答えてしまう。
「いえ、特には」
「そ、そうですか……」
とりあえず、胸をなで下ろす。しかし事態は変わっていない。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう……)
「マルチさん」
「ひゃあああ!は、はい!」
「お元気そうでなによりです」
「は、はあ、どうも……」
(どうしようどうしようどうしようどうしよう……あ……)
マルチは悩むのをやめた。
(私、何やっているんだろう……)
少なくとも、どうしようどうしようと心の中で悩んでいる場合ではない。ならば。
(――正直に言わなきゃ――)
いま、自分が思っていることを。彼女に。
「セリオさん」
「はい」
「ご免なさいッ!」
「は?」
突然と言えば突然のことに、さしものセリオも聞き返してしまった。それでも構わず、いや、心からの言葉が止まらないのであろう。マルチは続ける。
「前に浩之さんに訊いたとき、セリオさんは綾香さんの所にいるって分かっていたんです。だけど、なんだか連絡しづらくって、それで……それで……もしかしたらそのせいで私のこと嫌いになってしまったかもしれないけど……」
「………………」
「でもその……ご免なさい」
そう言ってうなだれる。それでも言い切ったため、苦痛は残らなかった。後悔が少しばかり残ったが、それもすぐに消える。
セリオは5秒ほど黙ったままだった。考えている時にならともかく、他人の言動に対して数瞬で答えられる彼女にしては珍しい。
「マルチさん」
マルチが顔を上げてから彼女は声を発した。まっすぐに彼女を見つめている。
「はい……」
「私は別にあなたのことを嫌いになんかなっていません」
「え……?」
「ただ」
「ただ?」
「心配していました――そして、もう逢えないかと」
「……私もです」
「これからはまたいつでも逢えますね」
「そうですね……」
「今度二人でどこか行きましょう。話したいことがまだまだいっぱいあります」
「いいですね……」
マルチは振り返って、窓の外を見た。夕日が照りはじめている。そのセリオの髪に似たオレンジ色の光に目を細めて、マルチは続けた。
「行きましょう。二人で」
「同点か……『マダムバタフライ』はともかく『パイオニア』まで私と同じ点だなんて、なかなかやるじゃない。浩之」
「俺はどちらかっていると『DDR’』より『BM-PM』のほうが得意なんだけどな」
「あらそうだったの。じゃあ今度はそれでDJ対決ってところかしら?」
「そーだな」
「……私はギャラリーに徹してるね」
「何いじけてるんだよ、あかり」
「だって……」
そんな会話を交わしながら、浩之達はマルチ達のいる喫茶店に着いた。既に日は大きく傾いている。
「あら」
店のドアを開けかけた綾香が立ち止まった。ドアのガラス越しに店内をじっと見ている。
「どうした?」
「あれ見て、浩之」
「お」
「あ」
そっと覗く形になったが、それでも店内でマルチとセリオの二人が仲良く談笑しているのが見えた。二人とも楽しそうに(セリオのそれは分かりにくいが)話している。
「良かったね……」
心底安堵した表情であかりが言った。
「だから大丈夫だって言ったでしょ?」
腰に手を当て綾香がそう言う。
「きっかけさえ掴めばどうにかなるモンなのよ」
「そうだな」
あまり顔には出さないが嬉しそうな浩之。実は少しばかり心配していたのである。ただ綾香の手前、言葉には出さなかったが。
「さーて、DJ勝負、やりに行きましょうか」
くるりと百八十度回って、綾香はもときた道へ向かいはじめた。
「待てよ、今からか?」
呼び止める浩之に彼女は軽く笑って、
「ここのお店が閉まるのが後3時間ちょっと。1,2時間は出来るでしょ?」
「でも……」
浩之に続いて何か言おうとするあかりを手で制して、綾香は続ける。
「もうちょっと話させてあげましょ。きっと三十分は黙ったまんまだったんだから」
「……そうだね」
「だな」
そこで二人も綾香に並んだ。浩之と綾香がディスクがああだ、スクラッチがこうだと話し始めた時、あかりが振り返る。
「良かったね、マルチちゃん、セリオちゃん」
「え?じゃあセリオさんも主任に?」
「ええ、おかげで私も紅茶の味を知ることが出来るようになりました」
「わー、良かったですねー」
「ええ、本当に」
彼女たちの会話は続く。人と同じように誤解をし、困惑し、そしてお互いを信じ合い直せる彼女たちが。
「でもよかったです。セリオさん楽しそうで」
「綾香さんも周りも方々もいい人達ですから。マルチさんは?」
「私ですか?」
一瞬真顔になるマルチ。だが、すぐに満面の笑顔になる。
「とっても楽しいです。毎日が!」
<End>
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■あとがき
このSSは茨 依居さんの新HP『空中庭園』に贈ったものです。
それにしても思ったより時間がかかりました。最初新設記念用にとはじめたのですが、時間がかかりにかかり、気が付けば依居さんトコ、1000HITオーバー……わはははは。
以前は悠久だったのですが、今回はTo Heartを贈らせていただきました。マルチメインのSSが固まりかけていたもので。ただ、イメージを実体化させるのにかなり時間がかかってしまい、こういう形になってしまいましたが、どうでしょうか?
今回の主役(?)マルチですけど、彼女はいい娘です。彼女がテスト時代、一緒にいたセリオと突然再会したらどうするのだろうか、という思いつきではじめたのですが、なんかいい感じ出せたんじゃないかと思います。ただ、ちょっと短かったかなと思いますけど。後、全体的にアニメの雰囲気を盛り込んでみました。だから、ややモノトーン気味にってやってみたんですけど、うまくいったかな?
さて、SS中、飲み物が二人とも飲めるように設定しましたが、私は本編で味覚が分からないのはちと問題だと思っております。
だってどうやって料理の味見するのよ?
いくら分量が正確に計れても、豊富な経験を積んでも、実際に試してみないとわからないものだと思うのですが……ねえ?
Ogurin
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