風邪にご用心!(1999.02.01)
「くしゅん!」
初めはそんな軽いくしゃみだった。昼下がりの(学生たちに言わせれば、遊び時の昼休みの)教室の中である。
「どうしたシャオ、風邪でもひいたか?」
自分の席に座っていた彼女に、隣の席に座っていた翔子がそう聞いた。
「いえ、そういう訳ではないと思いますけど──くしゅ!」
そう言いながらも、またくしゃみ。
「おいおい、気を付けろよシャオ。今年の風邪はなかなかしつこいらしいぜ?」
「あの、気を付けたほうが良いのでしょうか?」
いまいち理解できていない表情でシャオは軽く鼻をすすった。
「気を付けるも何も……シャオ、風邪ひいた事ある?」
いささか不安そうに聞く翔子にシャオは少し考えて、
「……そうですね、太助様や今までの主様がひいてらしたことはありましたが、私は――はい、ひいたことはありません」
「あ、そ」
まったく、主の事はしっかり見ていても、自分の事はさっぱりなんだからなあ、と翔子は心の中で続けた。
「太助のヤツは気付いているのかな?」
「? 何か言いました?」
つい声に出た独り言にシャオがそう聞いてくる。
「い、いや。なんでもない」
そう誤魔化しながら、翔子は教室の一角を見やった。そこでは例によって太助がルーアンや花織にからまれている。
気付かないな、あれじゃ。と、翔子は心の中で呟いて、軽くため息をついたのであった。
「くしゅくしゅくしゅん!」
ところが二、三日もたたない内に、太助が気付くほど彼女の風邪は悪化していた。
「大丈夫かシャオ?」
心配そうに訊く太助にシャオは笑って答える。
「大丈夫です。これくらい――くしゅん!」
同じく昼下がりの教室。何とかルーアン達から逃れることにできた太助は、くしゃみを連発しているシャオに気付いたのであった。
「あまり無理するなよ、今年の風邪はなかなかしつこいらしいからな」
「そうですか……そういえば翔子さんも同じことを言っていました」
「山野辺も?」
「はい」
「そっか……」
正直言って少し悔しい太助である。主たる、いや、そんなこと抜きにしてシャオにもっとも近い位置にいるはずなのに、彼女のことをしっかりと見ていられなかった。それは彼にとってある種の屈辱とも言える。
「太助様?」
シャオの若干鼻声っぽい声に呼ばれてふと我に返る。
「どうかいたしました?」
「い、いや、何でもない。それよりシャオ、絶対無理するなよ。もし悪くなりそうだったら学校休んでもかまわないからな」
「でも……」
何か言いたそうな彼女を制して、太助は続けた。
「いざって時に風邪ひいていて動けなかったら嫌だろ?それに無理して倒れたらシャレにならないしさ」
自分自身が無理して風邪で倒れたことのある太助は、そう言って座っていたシャオの隣の席から立ち上がった。
「だから、気を付けろよ。シャオ」
「……はい!」
うなずきながら答えるシャオ。
「あ〜ら、どこにもいないと思ったら、教室に戻っていたのね。たー様!」
教室の入り口の方からルーアンの声がする。
「げっ、見つかった!」
きびすを返して太助はもう一つの出口から逃走を再開した。
「コホコホコホコホッ!」
「し〜ち〜り〜ちゃんとシャオの様子見てやらなかっただろ」
「お、俺はちゃんと見ていたぞ山野辺!」
「じゃあなんでシャオの風邪がひどくなるんだよ?」
「う……」
「ちゃんとシャオのこと見てやってないんだろ」
「いや、俺はちゃんとシャオの様子は見ていた!」
「それじゃあなんで悪化してるんだよ」
「ンなこと言われても……」
さらに数日後、さらに調子の悪くなったシャオを挟んで太助と翔子は向かい合っていた。
「ごめんなさい、太助様……」
申し訳なさそうに、シャオが小声で謝る。
「シャオが謝ることはないだろ!」
やや語気を強めて翔子は言い放った。
「でも、太助様は――」
事実、太助はシャオの風邪に気付いてからは、精力的に彼女の健康管理に努めてきた。買い物を代わりに行ってきたり、食事を代わりに作ったりと、とにかく彼女の身体に負担がかかりそうなことは、できるだけ避けるようにしていたのである。そのことをシャオは一部漏らさず翔子に説明した。
「……ふーん、七梨もやるときゃやるんだなあ。見直したぜ。七梨」
太助は答えない。見ると、彼は顔を赤くして照れていた。
「でも、なんで風邪がどんどん悪くなっていくんだろうな?」
「なんでしょう?」
当のひいた本人共々、翔子は首をひねった。学校にいるときも、制服の上着とブラウスの間にセーターを着込んでいるし、外にでるときはコートを着ている。外でずっとつっ立ってるなんてこともしてないしなあ……、とあらゆる可能性を考えた翔子だったが、結局原因はつかめなかった。
「とにかくシャオ、これ以上風邪がひどくなったら、学校は休んでくれよ。前にも言ったけど、無理することはないから」
「……はい」
太助とシャオの二人の会話を聞いていて、これ以上彼女の風邪は悪くなることはないなと、翔子は納得することにした。原因が分からないことが頭の隅に引っかかってはいたが。
数日後――
「?」
太助は違和感を感じていた。彼自身の部屋の中である。七梨家は二階に太助、ルーアン、キリュウの部屋があり、一階にはシャオの部屋がある。低血圧(?)のキリュウ、ただ単に寝坊常習犯のルーアンに比べシャオは朝に滅法強い。
「以前のご主人様には朝一番のニワトリより早いんじゃないかって言われたこともありました」
以前太助が訊いてみたところ、本人がそう言ったくらいである。
朝食を作るのは今週は太助の役である。これはシャオの風邪に気付いた時点で、太助が勝手に決めたことだった。普段は朝早くからシャオが作るためであり、彼女の身体にこれ以上負担はかけたくなかった。ところが、普段の生活のリズムのせいか、シャオが太助よりも早く起きていることの方が多かった。正確には同じ時刻に起きることはあっても、太助がシャオより早く起きることはなかったのである。
「おかしいな」
ところが、今日に限っては下からのシャオの気配が感じられないのである。太助の部屋はシャオの部屋の真上にあるため、彼女が起きていればある程度の気配はわかるのだが――
「……」
太助は手早く着替えると静かに階段を下りていった。シャオより早く起きることに成功したと思えばいいのだが、人間とは不思議なもので、普段できないことが突然できると不安に思ってしまうのである。階段を下りて、シャオの部屋の前に立った。ドア越しからでも彼女が起きている気配は感じられない。
「……シャオ?」
返事なし。悪いと思いながらも、太助は耳をドアに押し付けてみた。かすかな寝息が聞こえてくる。
「なんだ、まだ寝ていたんだ」
安心した太助がつま先を返したときである。
苦しそうな、かなり激しい咳込む声が聞こえた。慌てて振り返る太助。
「シャオッ!」
「熱だして倒れたあ?」
太助から朝の一件を聞いて、翔子は目を丸くした。すぐに三角にして太助を睨む。
「七梨、本当にシャオのこと見てやってるのか?」
厳しい声で続ける。
「オレは……オレはちゃんと見てた。けど……」
ややつらそうに太助は答えた。表情も硬い。
「シャオちゃんが倒れたぁ?」
「それはいけません!」
いつの間にか太助の後ろに陣取っていたたかしと出雲が口を挟んできた。二人同時に太助に詰め寄る。
「お見舞いに行かせてもらいましょう」
「お見舞いに行かせてもらうぜ!」
ほぼ同時に口に出した言葉は、太助の予想通りだった。だが、反論する気になれない。黙りこくった彼の態度が肯定と見て取れたのか、出雲とたかしはお互いを見てにやりと笑うと、
「では、また後で、太助君」
「シャオちゃんに後で来るように伝えておいてくれよ〜」
と、言い残して太助と翔子の前から立ち去っていく。
「あたしも行かせてもらうぜ、七梨」
「ああ」
気の抜けたというか、心ここに在らずといった様子で答える太助。少しばかり心配のこもった声で翔子が尋ねる。
「そんなにシャオが倒れたのがショックだったか?」
その質問に、太助は首を振って、
「いや、それもショックといえばそうだけど、それよりもシャオの風邪が悪化していく原因がつかめないのが辛いん……だ」
と、思わず本音で話してしまったのであろう、辛いと口に出してしまう太助。それを聞いていて、翔子の頭に恐ろしい仮説が浮かんでしまった。それはただの風邪ではなくて、何かの重い病気かなにかではないのか、と。直ちに頭を振ってその考えを打ち消す。
「大丈夫だろ、きっとわかるって」
半分気休めでそう言ってみたが、予想通り太助の表情は晴れなかった。
「元気出せよ、七梨!」
急に音量を上げた翔子の声に思わず彼女の顔を見つめる太助。彼の注意がこちらに向いているのを確認した翔子は普段の音量に戻って続ける。
「シャオが倒れているんだろ?んな時にお前がしっかりしてないとシャオが心配して無理するだろ?シャオのためにもとりあえず元気だしな」
「そう……だな」
うなずく太助。その顔に徐々に覇気が戻ってくる。
「さんきゅ。山野辺」
座っていた席からゆっくり立ち上がる太助に翔子は、
「貸し一、だぜ」
と言って、軽く舌を出したのであった。
「ただいま」
とはいえ急に明るくできるわけではない。いくらかは元気が戻ったが、それでも普段よりかは暗めで太助は帰宅した。玄関からすぐにわかるシャオの部屋はドアが閉じていた。
「キリュウ」
学校に行っている間、看病を頼んでおいた万難地天を呼びながらシャオの部屋の反対に位置するリビングに足を踏み入れようする。
「キリュウ、シャオはわあぁ!」
別に勢い込んで問うたわけではない。リビングの状態に驚いただけである。
「おー、主殿。戻ったか」
リビングほぼいっぱいを巨大なこたつが占領していた。高さは普通のこたつと大差ないのだが、広さが尋常ではない。その一角の布団がもそっと動いて声の主が顔を出した。
「早かったな」
そう言うキリュウの言葉を無視して太助は、
「どっから持ってきたんだよこのこたつ!っていうかリビングにあったものは!」
と、当然の質問をした。太助の言う通り、リビングには巨大こたつしかない。答えるかわりにキリュウは、こたつの上を指さした。そこには離珠用、いや虎賁用かと思われるくらいに小さくされた家具がきちんと並べて置いてある。言うまでもなく、キリュウの能力、万象大乱を使用したのであろう。
「これなら問題なかろう」
やや誇らしげに胸を張るキリュウに、太助は思わず意味もなく叫びそうになった。が、今の状況を思い出して、自制する。軽く二、三回深呼吸してから、彼は最初に聞きたかったことを口にした。
「キリュウ、シャオの様子は?」
それを聞いて、キリュウの眠そうな顔が一瞬にして引き締まった。万難地天の表情になる。
「今は眠っている」
「そうか……熱は?」
下唇をかみながら続けて尋ねる。
「下がらないな……」
「そうか……」
太助が風邪の原因をキリュウに訊こうとしたときである。玄関の呼び鈴が鳴った。
「こんにちわー」
「ふ、増えてる……」
頭を抱える太助。そこには前もって予告していた出雲、たかし、翔子に加え、乎一郎、花織が加わっていた。
「シャオ先輩が風邪で倒れたって聞いたんで、心配になって来てみました!」
「ぼ、僕も〜」
「わかった。上がってくれ……」
「え〜と、これがせき止めで、これが熱冷まし。これがうがい薬で、これが鎮痛剤。で、これが頭痛薬で、これが……これが、えと、なんだっけ……」
太助はとりあえず、巨大こたつのあるリビングに一同を案内した。すかさず花織がポケットから、大量の薬をこたつの上に並べはじめる。
「花織ちゃんってさ……四次元なんちゃら持ってそうだよな……」
「そーだな」
そんな様子を見ながらぽつりと呟いたたかしに、同じくぽつりと太助は答えた。シャオの容体が気になってあまり会話に力が入らない。だから、いきなり出雲に真横に来られても、彼はいつものように避けたりすることができなかった。
「それより太助君。シャオさんの容体はどうなのです?」
「ああ、それなんだけど……」
左右をたかしと出雲に挟まれながら太助は経緯をもう一度一同に詳しく話した。最初はせき込む程度だったこと、健康管理をしていたはずなのに、病状が重くなっていたこと……
「精霊だけがかかる謎の病気、ですかねえ……」
顎に手をやりながら呟く出雲。すかさず太助が反論する。
「そんなわけないだろ!キリュウに聞けばわかるけど、そんな病気はないって言ってたぜ」
そう主張する太助に出雲は視線をキリュウに向け直した。
「本当ですか?キリュウさん」
「本当だ」
即答するキリュウ。
「風邪ひいた原因が分かればいいじゃないですか?じゃなかったら、悪くなりそうな原因探すとか」
やっと薬を出し終わった花織がそう太助に訊く。
「いつも一緒に一緒にいてやったんだろ?」
翔子が口を挟んできた。
「それなら、わかってるんじゃないか?」
「だから見てやっている間は特にひどくなるようなことはしていないし、させてもいないって」
「じゃあ、見てない時があるだろ?その間に何か身体に負担がかかるようなことはしてないのか?」
と、たかし。
「見てない時……」
腕組みをして太助が考える。
「風邪がひどくなってないときは風呂の時間と……後は寝る時間かな……」
「風呂の時間は抜いてかまわんだろう。入るのをやめてもひどくなったからな」
と、指摘するキリュウ。
「じゃ、寝てるときか」
「それしかありませんもんねえ」
たかしと花織が交互にそう言った。
「シャオのヤツ、何かしてるかもな」
翔子がぼそっと呟く。
「後で目が覚めたら聞いてみないと……」
そのとき――
ごとっ。
なにかが落ちたような音がした。
「何でしょうね?」
出雲が首を傾げる。
太助が腰を上げて、確かめに行こうとしたときだ。玄関が開く音がした。
「ただいま〜おなか空いた――ってシャオリン?あんた何で床で寝てるのよ?」
それを聞いて太助より早く立ち上がった者、若干二名。すでに立ち上がっていて、それらよりも早い動作で玄関に文字通り跳んだ者が一名。
「ルーアン先生☆」
と、嬉しそうに呟いた者、若干一名。
「違うだろ……」
とツッコミを入れた者、三名……
「申し訳ありません……」
熱のせいか、赤い顔でシャオは一同に謝った。やや言葉がおぼつかないが、それを必死に押さえて意地でも明瞭に話そうとしているのが、逆に痛々しい。ちなみに彼女の第一発見者であるルーアンはというと、こたつの上にある大量の茶菓子(これも花織がポケットから出したものだ)を片っ端から平らげている。
「大丈夫かシャオ」
「大丈夫ですかシャオさん」
「大丈夫?シャオちゃん」
「はい……なんとか」
次々と飛び出す労いの言葉に、シャオは簡潔に答えた。
「あんまり――」
「無理しては――」
「いけない――」
「お前らあんまりシャオに無理させるなよ」
再び何か言おうとした三人に、翔子が釘を刺した。その隣で湯飲みを持ったキリュウが黙って頷いている。
「何で風邪ひいたんです?」
珍しく、花織が自分からシャオに尋ねた。
「私にも、わからなくて……」
申し訳なさそうにシャオは答えた。
「本当に心当たりはないか?シャオ」
確認するように、太助が尋ねる。
「はい……」
シャオの返事に一同は頭を抱えてしまった。原因が分からない、心当たりもない。手の打ちようがない。
「参ったな……」
一同を代表するように太助は呻いた。
「どーかしたの?たー様」
茶菓子を平らげ終えたルーアンが、太助に訊いた。その場に並んだ深刻な顔を見回す。
そして、やや苦しげな表情のシャオを見て、ああ、と勝手に納得した。
「シャオリンのことね」
「そーだよ」
「ただの風邪みたいだけど?」
「原因不明の上に、しっかりと健康管理やって、それでひどくなる風邪ってあるのか?」
「あるんじゃないの?」
「ないって」
「まあ、シャオリンの風邪は原因はっきりしてんだからいいじゃないの」
「よくないよ――ってルーアン!今なんて言った?」
シャオリンの風邪は原因がはっきりしてる?
「それって何だ?ルーアン」
「何なのです?ルーアンさん」
「教えてくれよ、ルーアン先生」
「あたしにもな」
「私も知りたいものだが」
「あっ、あたしにも教えて下さい」
「ぼ、僕も〜」
次々と問いつめる一同が少し落ち着いた後で、シャオも尋ねた。少し無理しているせいか、額にうっすらと汗がにじんでいる。
「あの、できれば教えて下さい、ルーアンさん。このままだと私、守護月天として……」
「あーあーわかってるわよ、たー様をお守りできないってんでしょ。わかってるわよ」
頭を掻きながらルーアンはそう言った。全員の目がこちらに注目しているのを確認した彼女は、突然びしとシャオに人差し指を向ける。
「シャオリン!」
「はい」
突然のルーアンの呼びかけにもよどみなく答えるシャオ。
「あんた……」
一瞬にして、その場の空気が緊張に凝り固まる。視線をしっかりとシャオの方に向けたままルーアンは続けた。
「夜中に月見はやめなさいよ、月見は」
その場の凝り固まった空気は、一瞬、言葉の意味がわからずさらに硬直した。そしてその意味がわかった途端に、さっとほぐれる。
「月見?」
肩を少しコケさせながら、太助はルーアンに問うた。
「そーよ。前にたー様に言わなかったけ?シャオリンたら、自分に何かあると月見する癖があるでしょ。どうせ今回も体の調子が悪いからって月見してたんでしょう?」
「はい、そうですけど……それが何か?」
がたがたがた。
それを聞いた一同(ルーアンとシャオを除く)はそれぞれ別のポーズでこたつから崩れ落ちてしまった。
「痛て」
これは前のめりにコケた結果、額をしたたかに打ったキリュウの呟き。
「要するにだ」
翔子は後頭部をさすりながら言った。彼女の場合後ろ向きにそのまま倒れたのである。
「最初の軽い咳は偶然で、それで身体の調子がおかしいからってお月見してたと」
「はい……」
風邪に関する詳しい説明を皆に聞いて、ひたすら申し訳なさそうにうつむきながら答えるシャオ。
「風邪ひいたことなかったからか……」
こめかみを押さえながら太助が呟いた。彼の場合は単にぶつけただけではないようだ。シャオに教えておけば良かったという後悔の念があるのだろう。
「まあ、シャオさんらしくていいじゃないですか」
「そうそう」
出雲とたかしの言葉を聞いて、シャオはますます暗い顔になってしまった。ほとんど真下を見るようにうつむいてしまう。慌てて出雲はフォローに入った。彼はその道に関しては自他共に認めるプロである。
「まあ、今回の件が良い経験になったということですよ」
「そうでしょうか……私は、私は自分で太助様に負担をかけてしまって……」
「そんなことはないよ、シャオ」
前髪で表情が見えなかったシャオが顔を上げる。彼女がこちらを見てくれたのを確認して太助は続けた。
「むしろ負担をかけてたのはシャオの方なんだ。シャオがここに来てから自分でやってた事を、シャオにやってもらっていた。もし、シャオが風邪をひいたりして倒れなかったら、オレはそれに気付かなかったかもしれない。だから……シャオ、気にすることはないよ」
「太助様――」
シャオは何かを言おうとしたが代わりに激しい咳がこみ上げてきた。胸元を押さえ必死に止めようとする。
「ほら、無理するなって」
つと立ち上がった太助はそのままシャオの方に向かった。何とか咳の収まった彼女をふわりと抱き上げる。
「あ……」
「疲れたろ?もう寝た方がいい」
そう言って彼は、シャオを抱えたまま、彼女の寝室の方に向かった。それを見て花織とたかしが何か言おうと、あるいは何かをしようとしたが、花織はルーアンに、たかしは出雲にそれぞれ押さえつけられる。
「まあ、今日ぐらいは――」
「彼に華を持たせてやってもいいでしょう」
そう言って笑みを交わす。
「二人とも、大人じゃん」
巨大こたつに頬杖をつきながら、翔子は二人を見上げてそう言った。キリュウが美味そうに茶を啜る。
「ほい」
抱えたシャオを布団に寝かせ、掛け布団と毛布を掛ける。薬は先ほど花織にもらったものを既に飲んである。ぽんぽんと、軽く布団をたたいた後、太助は用意しておいた水を張った洗面器にタオルを浸し、軽く絞った。それを何回か折りたたんで、シャオの額に載せる。
「ありがとうございます……」
嬉しそうにシャオは礼を言った。さっき飲んだ薬が効いてきたのか、少しうつらうつらとしている。眠くなってきたのであろう。そんな彼女を見ていて、太助は思わず笑みがこぼれてしまった。
「?」
疑問符を表情に浮かべるシャオ。苦笑しながら太助はその疑問に答えた。
「いや、普段シャオがオレを守ってくれる時の気持ちが、わかったような気がしてさ……」
「え?」
「なんか嬉しいんだ。よくわからないけど」
「そうですか……」
シャオも笑みを浮かべる。
「私も、太助様の気持ち、わかったような気がします……」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑みを浮かべながらシャオはそう言った。
「そっか」
照れくさそうに頭を掻く太助。
「早く元気になろうな」
「はい……」
「もうしばらくは月見はだめだぞ」
「はい……」
「後なんかあったら、オレに訊いてくれ、そうすれば、その……シャオの悩みとか訊いてあげられれば……さ」
「………………」
シャオは答えない。見ると睡魔に勝てなかったのか、彼女は穏やかな寝息を立てていた。思わず苦笑して、太助は音を立てないよう静かに立ち上がる。シャオの部屋のドアまできて、振り返った太助は、彼女が寝ているのもかまわずそっと呟いた。
「おやすみ、シャオ。早く元気になれよ」
終わり