夜想狂詩曲(1999.04.12)
「これを俺に?」
藤田浩之は手元の封筒を何度も眺めながら、彼の前に立つ少女に尋ねた。封筒はかなり上質な紙で造られており、その色は迷いのない白に統一されている。さらには金と銀の縁取りまで施してあり、中央には何かの紋章が印してあった。
「――え、招待状?来栖川家のか?」
来栖川。口紅からメイドロボまで扱う超大型企業集団、来栖川グループのことを一般的に指すときに使う言葉だ。そして、目の前にいる少女が他でもない来栖川家に縁のある人物なのである。
「――違うのか?」
こちらの質問に何の反応も示さない彼女の態度から、浩之がそう訊く。
こくん。
その少女、来栖川芹香は頷いて答えた。来栖川縁の娘だが、実際には縁どころの話ではなく、彼女の祖父は現来栖川グループ会長なのである。彼女はいわゆる御令嬢であった。
「この封筒、開けてみてもいい?」
そう浩之が聞くと、芹香はどうぞ、と小さな声で答えた。それを確認して浩之は封筒を開け、中身を手のひらに落とす。
「………………」
彼の手のひらには、鮮やかな緋色のカードがあった。黒い文字で何かが記されており、文章の最後に銀色で五芒星が描かれている。
「……もしかして――センパイの趣味の方?」
こくん。
またもや彼女は頷いて答えた。浩之達の学校で彼女の趣味を知らない者はいない。そして、これは浩之の知らないことだが、芹香の趣味は経済界でもつとに有名であった。
「かつてエスパー研を擁した大企業があったが、来栖川グループもそのうち黒魔術研を造るに違いない」
これは、定例の経済界でほぼ毎回聞かれるジョークなのである。そう、彼女の趣味は黒魔術であった。それも一般の女子高生が使うような占いやおまじないのレベルではない。他の人が見れば、明らかに魔法としか思えないものまで使いこなせるのである。浩之も最初は半信半疑だったのだが、前の学年の時に彼女の所属するオカルト研究会で、彼女の魔術を見たことがあった。
「わかった。今ちゃんとした返事出せないけど、俺は行くと思う」
そう浩之が答えると、芹香は待っています、と小さな声で答えたのであった。
昼休み。浩之は朝に芹香からもらった緋色のカードを何度も眺めていた。そのカードにはこう書いてある。
『招待状 来栖川芹香様
そろそろ梅雨の季節がやって参りました。
そして今年もお互いの魔力を競い合う季節がやって参りました
つきましては本日午後十一時に迎えをよこしますので、貴方様の通う学校の正門にてお待ち下さい。
魔術大会執行部』
「どうしたの?浩之ちゃん」
カードを見ながら複雑な顔をしている浩之に、幼なじみの神岸あかりが訊いてきた。彼女は浩之と同じクラスの、いわゆるクラスメイトである。
「おー。あかりか。まあコレ読んでみろよ」
そう言って、浩之はあかりにカードを手渡した。カードをもらったあかりはそれを真剣に読んだ。しばらくして、浩之に尋ねたる。
「……来栖川先輩の?だよね。浩之ちゃんも大会に参加するの?」
「ンな訳ねーだろ。見学って言うか、応援だよ。応援」
「あ、そうか。浩之ちゃん魔法なんて使えないもんね」
「使えたら万万歳だ。センパイに習おうかな?」
「あ、そうだね浩之ちゃんなら簡単に覚えると思うよ」
「そうか?でも俺は魔術なんてガラじゃないからな」
そう言って浩之は軽く背伸びをし、続けた。
「それに今のままの俺が結構好きなんだ」
「……そうだね。私もそう思う」
「――こいつめ」
「朝からお熱いわねー」
いきなり二人の会話に割り込んできたのは、隣のクラスの長岡志保だった。浩之、あかりとは中学校以来のつきあいになる。もっとも、浩之は「腐れ縁」と言ってはばからないが。
「おー志保か。お前も行く?」
「?何によ」
「これだよこれ」
そう言って浩之は例のカードを志保に手渡した。うさんくさげにカードを読む志保だったが、徐々にその目つきが変わっていく。読み終わる頃には彼女はすっかり舞い上がっていた。
「すうごいじゃない!神秘のベールに隠された魔術に魔法!その魔術と魔術のぶつかり合い!さらにはそれをやるのがウチの生徒で、あの来栖川芹香先輩とくればニュースキャッチャー志保ちゃんとして行くしかないわ!」
「今度の二つ名はニュースキャッチャーかい」
呆れる浩之。
「行くわ!絶対!――あ、そうだ、雅史ぃあんたはどう?」
「……よく僕だってわかったね」
突然振り返った志保の視線の先でそう言ったのは、浩之達の知り合いの佐藤雅史だった。おそらく学生食堂から戻ってきたところなのであろう。手に飲みかけのパックのジュースを持っている。
「あーたりまえよ、あたしの志保ちゃんレーダーには誰だって補足されちゃうんだから」
「へいへい」
雅史への答えに何故か生返事をする浩之。
「……それで、何処に行くんだって?」
「……何処に行くんだっけ?」
「……書いてねえよ」
頬杖を突きながら浩之はそう言った。志保から返してもらった緋色のカードを意味もなく日に透かしてみる。
「ま、どっちにしても今日の午後十一時に校門で待ってりゃ迎えが来るってよ」
「じゃあ、僕は無理だね」
そう言う雅史に志保は驚いたように反応した。
「何でよ?」
「明日、早朝練習があるんだ。部活の」
「あ、そうか。それじゃ雅史ちゃんは行けないね」
と、あかり。
「残念だけどね」
「ンじゃ仕方ないわね。あたしと、あかりとついでにヒロで行って来ますか」
「だあれがついでだ。元々俺が呼ばれたんだぜ。ついではお前」
「ッ余計なこと言わないでよー」
そんなじゃれ合いの横であかりは何かに気付いたように表情を変えた。ぽつりと呟く。
「……あ、そうだったんだ」
「?何がだよ」
他の二人は気付かなかったが、浩之は彼女の微妙な変化を逃さなかった。そしてほとんど聞こえなかった呟きも。あかりならどんな小さな変化でも見逃さない。浩之だけが出来る芸当である。
「ねえ、浩之ちゃん。私達が勝手に付いてきていいのかな?」
「いいんじゃないか、な?」
「なによ、アンタそんなことも確認しないでいたの?ダメねー」
「一応聞いておいた方がいいじゃないかな。多分大丈夫だと思うけど」
「そうだな」
そう言って浩之は軽く頭を掻いた。軽く思案した後、続ける。
「じゃ、あいつ呼ぶか」
「あいつって?」
期せずしてあかり、志保、雅史の声が重なった。
「まあ、見てな」
そう言って浩之は大きく息を吸い込むと、突然あらぬ方をびしっと指差し叫んだ。
「あ!芹香センパイが悪漢に襲われているぞ!なんだかピンチだ!」
「あんたねー」
わざとらしい浩之の演技に呆れる志保。
「それで何が来るっていうのよ――」
そう続けた志保だが、途中で何かに気付いたように言葉を区切った。なにかがこちらに近づいている音がする。
「――車?」
それも、かなり高性能・高出力の車だ。かなりの高級車だろう。エンジンの音が普通の車と違うのが、その道にあまり詳しくない志保でもわかる。
車は校門を突っ切って、校舎の方まで走ってきたようであった。そこで、エンジン音が止まる。ドアが開き、そして閉まる音。そして――
「いい脚力だ……」
雅史の言う通り、すさまじい勢いの足音。ダッシュどころではないだろう。それがこちら目指して向かってくる。
「だ、誰かな」
と、あかり。
ダンダァンッ!
力一杯踏みきる音。
「来たな」
と、呟く浩之。その彼の顔に人影が映った。浩之たちの教室の窓から、棒高跳びの選手のように一人の男が現れ、そのまま一回転したかと思うと二本の足でしっかりと着地したのである。
「お嬢様ぁぁぁぁぁ!」
その男、来栖川芹香の執事にして、運転手でもあるセバスチャンの第一声はそれであった。教室のなかで仁王立ちになり、すばやく辺りを見回す彼に、浩之は片手をあげながら軽く挨拶をする。
「よっ、セバス」
「小僧!悪漢とやらはどこだ!」
「まあまあまあ」
そういいながらセバスチャンの肩をポンポンと叩き、浩之は続けた。
「ありゃ嘘だ」
「小僧……」
セバスチャンの表情が柔らかくなる。刹那、浩之は卍固めにかけられた。
「こ・ん・ど・お・じょ・う・さ・ま・を・だ・し・に・し・た・ら・こ・ろ・す・ぞ・お・お・お・お!」
「だ、だ・し・に・は・し・て・ね・え・だ・ろ・う・が・あ・あ・あ!」
お互い額に汗を流しながら叫ぶ二人。
「仲がいいんだね」
「ど・こ・が・じゃ・あ・あ・あ!」
何か方向がずれたあかりの感想に、脂汗とともに絶叫する浩之。
「どーでもいいけど、ここ二階よ……」
大騒ぎとなった教室で、志保のつぶやきは誰も聞いていなかった。
「で、何の用だ?小僧」
あれだけ派手に現れた挙げ句、かなり激しい運動をしたはずなのに、セバスチャンの呼吸は少しも乱れていなかった。ただ歳のせいか、額の青筋だけはまだ消えていない。
「あ、ああ、これセンパイからもらったんだ」
こちらはまだ呼吸の荒い浩之。
「ほう、今夜の大会のカードか。まさかお嬢様から奪ったのではあるまいな?」
「盗むかよ。大体そんなことあんたが許さないだろ?」
「それはそうだ。それで?何が聞きたい」
「ああ、俺だけじゃなくて、俺の知り合いも付いていっていいかなってことだ」
「小僧の知り合いだと?」
「ああ」
そう言って浩之は彼の後ろにいた二人を紹介した。それに合わせてあかり、志保がセバスチャンに自己紹介をする。そんな二人に対して、極めて儀礼的に自らを紹介したセバスチャンは浩之に向き直って言った。
「別に構わんだろう。去年は綾香お嬢様が応援に付いてきて下さったが、何の問題もなかったからな」
「そいつは良かった。んじゃセンパイの方には俺が話しておくから」
「それには及ばん!ワシ自らがお嬢様に報告させていただく!」
「いいって。こういうのは俺がやるべきだろ?」
「いいや、執事たるこのセバスチャンの役目だ!下がれい!小僧」
「いや、だから俺にやらせろって!」
「な、ら〜ん!!」
再び喧噪に教室は包まれた。
「やっぱり仲がいいね。あの二人」
「そうだね」
「――そう?」
呑気な会話を交わすあかりと雅史に志保が疑問を挟んだが、やはり誰も聞いていなかった。
夜。
約束の時間より三十分早く、浩之は校門の前で待っていた。別に何かあって早く来たわけではない。ただ、何もすることがないので早めに来ただけである。今夜は梅雨の季節に入っているのにも関わらず、晴れ渡っていた。さらには満月も浮かんでいる。
「いい夜だな……」
月とそろそろ天球に台頭しだしてきた夏の星座を眺めながら、浩之は誰へともなく呟いた。
「そうだね」
「ポエマ〜ね」
そんな呟きに正反対のベクトルを持つ返事が返ってくる。浩之が頭を巡らすと、そこにはあかりと志保がいた。今来たところらしい。
「早かったじゃねえか。一緒に来たのか?」
照れ隠しに有効な手段として、全く動揺せずに話を運ぶというものがある。浩之はこの方法を使いこなすのに自信があった。
「うん、そう。駅で待ち合わせしてそれからここまで来たんだ。ちょっと早かったけど」
それに同調して、あかりが話を合わせる。長年のつきあいは伊達ではない。
「それより、あかりの母さんよく許したな。こんな時間から何処行くのかわからないのによ」
そう浩之が言うと、あかりは笑って答えた。
「浩之ちゃんが一緒なら大丈夫だろうって」
「そっか……」
内心安堵している浩之。ただ、表情には出さないでいた。下手に表情を見せると志保に何を言われるかわかったものではない。
「信頼されてるわねー。浩之ちゃん」
「おめーが言うな。おめーが」
志保のツッコミを軽く躱しながら、浩之はもう少しあかりの方に向き直った。背後にいる形になった志保がなにやら言っているが知ったことではない。
「センパイは見なかったのか?」
「うん。駅前からずっと歩いてきたけど来栖川先輩も、先輩の車も見ていないよ」
「いや、車では来ないはずだ。この学校に駐車するスペースはないからな」
「あ、そうか。ここにお迎えが来るなら車から降りないとね」
「ま、セバスの野郎が一緒に行かないわけねえし……以外と怖がりなら話は別だけどな」
「生憎だがな、小僧。ワシに怖いものはない」
「わあ!」
「どぉ!」
完全に背後を突かれた。あかりがいる方の浩之の肩に、顎を載せるような感じでセバスチャンが顔を出したのである。学校前の道から来ると践んでいて、校門に完全に背を向けていたため気付かなかった。浩之達の後方にいて、セバスチャンの接近に気付けたはずの志保はというと、あさっての方向で夜空を見上げながら口笛などを吹いている。無視された仕返しらしい。
「おっさん!その出方はやめろその出方は。っていうか何で校舎の方から来るんだよ?」
「お嬢様の魔術の道具類は屋敷よりオカルト研究会の部室の方に揃っているのでな。早めに来て持ち物を揃えていたのだ」
「あーなるほど。じゃあ、センパイも?」
「うむ。お嬢様なら――おお、お嬢様。やはり校門にいたのは小僧達でしたぞ」
校舎より出てきて、こちらの方に来た芹香は珍しく私服であった。真っ白なシャツに少し短めの黒いタイトなスカート、そして同じく黒の薄手のカーディガンを羽織っている。肩には少し大きめの革の鞄を掛けていた。
「へー、なんか現代の魔女、ってな感じだな。似合うぜ、センパイ」
そう浩之が褒めると、彼女は軽く俯いた。もっとも、それは落ち込んでも、傷ついても、ましてや気分を害しているのでもなく、ただ嬉しくて照れているのだということを浩之は知っている。
「芹香先輩の黒い髪と合ってるよね、この服」
芹香とあまり会話を交わしたことの無いせいか、あかりは浩之に向かってそう言った。
「そうだな。なんたって、黒は女を美しく見せるからな」
「ちょっとーそれ映画のパクリじゃないのよ」
浩之の揚げ足を取ろうとする志保。
「いいんだよ。最高の表現ならパクリでも何でも」
こくこくこく。芹香が頷いて同意する。
「う〜〜〜」
「ほら、志保。そんなに唸っていないで……ね?」
「わかってるわよー」
そんなあかりと志保を見ながら、芹香はいいですね、と浩之にそっと呟いた。
「?なんで――」
ただじゃれあってるのがいいんだ?と言いかけて浩之は慌てて言葉を飲み込んだ。以前彼女の事情を聞いたことがあったからである。隔離された生活。想像は出来ても、その意味を完全に理解することは、体験しなかった浩之には出来ないことである。ただ、してやれることはある。その話題を打ち切ること。これからはそんな思いを抱かせないこと。
「――ところでさ、迎えって何で来るんだ?まさか魔法のホウキってことはないよな?……え?バスだって?」
聞き返す浩之に頷いて答える芹香。
「送迎バスってやつか。じゃあ、バス代とかいらないのか?」
そう訊く浩之に芹香は肩に掛けた大きなバックを指さした。小さな声で何か呟く。
「――何?ニワトリの死体!?」
やや素っ頓狂な声をあげてしまう浩之。話を聞いたあかりと志保はその言葉の意味を知って、あかりは無意識に、志保はゲッと呻いて浩之の後ろに隠れてしまった。そんな二人の反応に構わず、芹香はバックの中をごそごそと探る。
「いい!出さなくていい!」
その行動の意味を悟った浩之が慌てて止めようとするが、すでに芹香は目的の物を見つけたようであった。バックの中につっこんでいた手を一気に引き抜く。志保が軽く悲鳴を上げ、目をつぶった。あかりは浩之に強くしがみついて同じく目をつぶる。浩之は動かず、ただじっと芹香が手にした物を見つめた。途端、身体の力が抜ける。
「おい、あかり、志保、よ〜くセンパイの持ってるモン見て見ろ」
「え?」
「へ?何これ」
おそるおそる目を開けた二人は芹香の手の先にある物を凝視した。発泡スチロールのトレイに胸肉三百グラム……どこかの百貨店のマークが入った値段つきシールにそう書いてある。
「これって、もしかして」
と言いかけるあかりに、高級地鶏です、と芹香は今になって付け足した。
「た、確かにニワトリの死体だね」
「そーだな」
やや引きつったままのあかりに浩之は心底疲れたかのように答えた。そのときである。
ンゴロ〜ウ!
どこかでかなり大きく猫の鳴き声が聞こえた。
「な、なんだずいぶんでかい鳴き声だな――え?あれがバス?」
「ずいぶん変わったクラクションね。なんか雰囲気合ってるけど」
感心したように腕を組んで志保がそう言う。
「そうだね。らしいと言えばらしいかも――あ。跳ねた」
あかりの言う通り、バスのフロントライトが一瞬上にあがったかと思うと、すぐに元の位置に戻った。その様子は『浮いた』とか『飛んだ』というより彼女が言った『跳ねた』が正しい。
「ねえ、浩之ちゃん。私こういう感じの映画見たことある……」
「き、奇遇だな。俺もガキの時に見たことあるよ――確か一緒に見たよな」
「そ、それってアレでしょ」
志保が二人の会話に入り込んできた。会話に参加して胸に浮かんだ不安を紛らわしたいのであろう。
「と、となりのトコロよね」
違う。
そうこういっている内に、そのバスらしきものは浩之達の目の前で止まった。金色のヘッドライトで、外装は黒毛に覆われている。タイヤは脚の形をしており、計十二本あった。すなわち……
「く、黒猫――バス?」
ンニャーン
「ネコバス……」
いきなりこの世離れした展開に、放心したかのように呟くあかり。そんな彼女に黒猫バスはゴロゴロと、のどを鳴らして答えたのであった。
その後のことを浩之はあまり覚えていない。芹香が例の『バス代』を払い、それを『受け取った』バス(おそらくおやつにもならなかっただろうが)は嬉しそうに鳴いたのは覚えている。その後皆で一番後ろの席で仲良く並んで座り……気が付くと会場に着いていた。
「早く降りろ小僧!置いていくぞ!」
そう叫ぶセバスチャンの声でハッと我に返る浩之。既に芹香達は降りていたらしく、席には彼しか座っていなかった。慌ててバスから降りる。浩之がドアから降り立つと、バスはまたゴロゴロとのどを鳴らしてその場に伏せた。
「――な、なあ。あかり、バスに乗ってた時のこと覚えてるよ……な?」
おそるおそるそう訊く浩之にあかりは身体を軽く震わせると、ややぎこちなく彼の方を見た。
「えっと……浩之ちゃんも覚えてない?」
「……わかった」
自分の記憶力には自信のある浩之だったが、それよりしっかりしているあかりまでもが覚えていないとなると手のつけようがない。そう判断した浩之はこの話題を断ち切ることにした。
「それにしても、ここどこ?」
ふと見ると志保が上を見ながら困惑していた。それにつられて浩之、あかりも上を見上げる。
「……わあ」
「……げ」
そこには天井があった。しかし普通の建物のそれではない。優に二十メートルはあるであろう常識外れの高さにあった。バスから降りた場所そのものが建物の中と言うことになる。
「どこだよここ……」
あごが落ちないように努力しながら浩之は呟いた。高さだけではない。広さも嫌と言うほどある。よくよく後ろを見ていると『バスのヘッドライト』がまるで夜空の星のように瞬いていた。そんな会場を魔術が使えるようになってから何度も来ているのであろう、全く迷いもせずに芹香はすたすたと進んでいく。傍らには同じく慣れた動作で付き従うセバスチャン。
「お、おいおい。ちょっと待てって!」
浩之達三人は慌てて彼女を追い始めた。
やたら広い部屋の端にあった受付(?)から扉を抜けて次の部屋にはいる。その部屋もまた、やたらと広かった。ただし今度は明かりを十分に採っているらしい。先ほどの薄暗かった部屋と違い、隅々まで見回せることが出来た。どうやらこの部屋は魔術の品を扱ってた一種の即売会を催しているらしい。その証拠に会場内は色々な魔術の品が揃えてあった。何となくどうなるかわかる、いかにもそれらしい形をした箒(お茶目なことにデッキブラシもあった)、ローソク、表紙に魔法陣の書いてある本から、浩之達にはいまいち使い方のわからない星座らしきものが描かれた八角形の輪や縦笛サイズの筒、手のひらより小さい扇等々、所狭しと並んでいる。
「なんかコミケみたいねー」
きょろきょろと辺りを見回しながら志保。
「何だお前、あそこに行ったことあるのか」
同じく珍しそうに周りを見ていた浩之が訊いた。
「一度その手の友達に付いていってね。そう言うヒロも行ったことあるみたいね?」
「ああ。人間って集まるときゃ集まるモンだと痛感したぜ」
「そうね……」
そのときの二人に同じ思いが浮かんだ。すなわち――人混みはもうたくさん。
幸い、ブース(と呼んでおこう)に集まる人はそう多くなかった。大会が大会だからであろう。気が付けばあかりと芹香がブースのひとつで仲良く買い物をしている。どうやら芹香があかりに魔術の品々を説明してあげているらしい。あかりもあかりで積極的に芹香に説明を求めていた。
「……ほう」
そんな二人の様子を見て浩之は目を細めた。浩之が芹香と知り合ってからあかりと三人で会う事が多くなっていたが、あかりはやや芹香と距離を置いていた。そんな二人が一緒になって買い物していることが浩之には嬉しかったのである。
「ま、こういうのはいきなり仲良くなるって言うけどな」
「……?何がよ」
「何でもねえよ」
浩之の独り言を耳ざとくキャッチした志保を軽くあしらって、浩之は二人、いや正確には付き従っているまま沈黙を守っているセバスチャンを入れて三人に近づいていった。
「よっ、二人で何買ってんだ?」
「浩之ちゃん。これ来栖川先輩がお守りだって教えてくれたから買ってみたの。かわいいでしょ?」
芹香が、身の回りの災厄から守るタイプのものですと説明する。どれどれと浩之はあかりの手の上に乗っている小さな金属で出来ているらしいお守りをのぞき込んだ。
「……くま?」
それはあかりが熊好きになった理由の、昔浩之があげた熊のぬいぐるみに似ていた。いや、似ていたというより――
「そっくりでしょ?」
「そっくりというか……まんまじゃねえか」
「そう。だからびっくりしちゃった。先輩に訊いたら良く効くお守りだって教えてくれたから、買ってみたんだ」
「へえ……ありがとな、センパイ。あかりに教えてくれて」
芹香の方を向いて礼を言った浩之に、彼女は黙って頷いて答える。
「俺もそんな感じのお守りが欲しいな。なんかイイのある?」
そう浩之が言うと芹香はいくらか思案した後、あかりが買ったお守りのブースを指さした。机の上には先ほどのくまなどが規則正しく並んでいる。
「あ、俺もくまか?」
ふるふるふる。
首を振って否定の意を表した芹香は、くまの隣に並んでいる一群のお守りを指さした。
「――薔薇?」
それも金色で本物の薔薇と同じ大きさである。このお守りも金属製であった。その少しばかり派手なお守りを見ながら困惑していると、芹香は、身につける方法を教えてくれた。曰く、常に胸に見えるように着けていればいれば、幸運になるらしい。
「に、に、に、似合うんじゃない」
彼が身につけた姿を想像したのであろう。志保が今にも爆発しそうな表情でそう言った。既に手は下腹部を押さえている。
「し、志保、志保、だめだって、そ、そんなこといっちゃ」
あかりが窘めるが、彼女もほぼ同じ表情であった。ただ、志保より懸命に堪えている。ふと気になって見てみると、セバスチャンまでもが後ろを向いて肩を震わせていた。芹香だけが意味が分からずきょとんとしている。
「とりあえずセンパイ、そいつはいいや。またの機会に買うことにするよ」
そこで浩之は声を凶悪にして、
「覚えていろよ、てめえら……」
と志保達の方に呟く。そのとき、
『ご来場の皆様に申し上げます。まもなく本日のメインイベント、魔術大会を開催いたします。選手の方は、二番会場、中央闘技場までお越し下さい。繰り返します。選手の方は二番会場、中央闘技場までお越し下さい。なお、一般観客の皆様は闘技場周囲に設置いたしました観客席よりご覧になることが出来ます。本日のメインイベントです。是非ご参加下さい』
スピーカーは見あたらなかったが、即売会会場にまんべんなく、そして少しもうるさくなく聞こえた。どうやら特殊な音響装置が施してあるらしい。もしくは一種の魔術かもしれないが。
そろそろ行かなくては。そんな表情を見せ、芹香が移動を開始しようとする。それを感じ取って浩之は声をかけた。
「んじゃあ、行くか。――おいてめえら、いつまでも腹抱えているんじゃない!」
みっつめの部屋は、ひとつめ、ふたつめに比べ幾分狭かった。しかしそれでもかなり大きい体育館ぐらいはあったが。中央に魔法陣が描かれた(浩之達も知っている六芒星という魔法陣である)円形の場が闘技場であろう。その周りを取り囲むように雛壇式の観客席が取り囲んでいた。
「何?センパイはシード選手だって?」
応援席に座って試合を見ている時になって、初めて明かされた事実に浩之は少しばかり驚いた。
「フン、どうやら貴様はお嬢様の実力を理解しきってないようだな」
浩之の隣に腰掛け、その事実を教えたセバスチャンが鼻を鳴らしながらそう言った。そして近くにいるあかり、志保にも聞こえるようにわざと大きめの声で続ける。
「お嬢様は前回の大会で決勝にまで残り、惜しくも破れたものの、準優勝を納めたのだ。その結果、今回の大会では三回戦より出場となっている。わかったか?小僧」
「来栖川先輩ってやっぱりすごいのね」
セバスチャンの隣にいる志保が何度も頷きながらそう言った。そんな志保に向かってセバスチャンは目尻をゆるめ、志保に一礼する。
「その通りでございます。長岡様」
「なんかあのおっさん、俺と他のやつとで態度変えてないか?」
浩之が隣に座っているあかりにそっと訊く。
「それだけ浩之ちゃんのこと気に入っているんじゃない?」
と、あかり。
「んな訳ねえだろ。何処をどう見たらあのおっさんが俺のこと気に入っているんだよ。何かあっちゃあ俺とセンパイの邪魔するわ、センパイに対する態度がどうとか、やかましくてしょうがな、なああああああああああああぁぁぁぁぁ!」
「そろそろお嬢様が出場なさるというのに、横見てくっちゃべっておるとはイイ度胸だな小僧……」
浩之の両こめかみにぐりぐりと拳をめり込ましながらセバスチャンが警告する。そのままパッと口調を変えてあかりの方を向くと、
「そろそろお嬢様が出場なされます。神岸様、どうか闘技場の方をご注目下さいませ」
と、慇懃に礼をしながらそう言った。
「あ、ご免なさい……ね、浩之ちゃん。気に入られているんだよ」
「どこがじゃ!」
セバスチャンの拳から解放されこめかみをさすりながら浩之は反論した。だが目はまた拳をめり込められてはたまらないので、闘技場の方を向いている。その闘技場だが、ちょうど芹香が入場したところであった。さっきまでの服装の上におなじみの帽子、マントを身につけ、手には棒杖(ワンド)を携えていた。そしてマントの下には鞄が肩に掛けたままであった。端から見れば、珍妙な格好と言えなくもない。しかし、
しかし、対する相手はというと、こちらはこちらで常識外れであった。年格好は二十歳前後の青年なのだが、足首にまで届く銀色のマントを着て、同じく銀色の仮面舞踏会で着けるようなマスクを顔にかけている。ここまでなら怪しい魔術士で通用するのだが、手に持っているのは何とノートパソコンである。これもまた銀色の薄い機種で、数年前に流行した銀パソと呼ばれる種類のものであった。今では致命的に短いバッテリーの持続力のせいで廃れ、かなりのマニアにしか振り向かれない機種である。
「銀パソ仮面、だっけ?あのマスクの下の顔が気になるわよねえ」
と、志保。
「それより俺はあいつのPCの構造がわかんねえよ」
と、浩之。前々の試合を見る限り、件の銀パソ仮面とやらはどうやら召喚士という種類の魔術士らしい。手に持った銀パソから魔法陣を投影させ、なんだかよくわからないものを召喚するのである。
「でも、それアレでしょ。昔から人気じゃない。悪魔を呼ぶ有名なゲームシリーズ!」
人差し指をピッと立てて志保が続ける。
「『ああっ女神さまっ!』よね?」
違う。
「それではこれより第三回戦第二試合をはじめます。『モンスターサマナー』銀パソ仮面、『お嬢様は魔女』来栖川芹香」
それを聞いて思わず椅子からずれ落ちる浩之達。今までの試合で、試合開始時にお互いの二つ名を呼ぶのは知っていたが、シード選手である芹香の二つ名を聞くのは初めてだったのである。
「おい、あの二つ名考えたのお前だろ?セバス」
「よくわかったな」
唯一ずれ落ちなかったセバスチャンが悠然と答えた。
「お前ぐらいしかいねえよ。あんなニックネーム考えるやつ」
あかり、志保とともに椅子に座り直しながら浩之がそうぼやく。その直後、試合が始まった。芹香、銀パソ仮面共々、十分な間合いを取る。
「フフフ、君が前回の準優勝者だね。今まではただのモンスターだったんだけど、君からは違う。僕自身が作り上げたオリジナルモンスターに戦ってもらおう」
そう言って銀パソ仮面は、キーボードを素早く叩いた。ディスプレイから魔法陣が投影される。
「ふ、ふふふふふ。いでよ!オリジナル・ゴーレム、ハイサムソン!」
ムフン!
おぞましい声をあげ、石人形(ロックゴーレム)が現れた。
「うげ」
思わずそう呟く浩之。実におぞましいことに、そのゴーレムはいわゆる兄貴スタイルというやつであった。体毛は一切無く、着ている物は黒のハイレグパンツ一丁である。そして石で出来ているくせに、何故かテカっていた。
「いや……」
生理的に受け付けないのであろう、あかりがほぼ無意識にうめく。
「さあ、いけ、ハイサムソン!PC魔術の勝利をボクに!」
そう叫ぶ銀パソ仮面。
ムッフ……
本当に嫌なうなり声をあげ、ハイサムソンとやらは芹香に迫った。その動きはあまり機敏とは言えないが、攻撃でも受けた日にはひとたまりも無いであろう。のろのろと近づいてくるゴーレムを一度だけ確認すると、芹香は肩に掛けた鞄から一冊の魔法書を取り出した。かなり小さいポケットサイズの辞書と対して変わらない大きさの本である。それを片手に載せて、彼女は呪文を唱え始めた。途端、手の上の魔法書が開き、勝手にページが繰られていく。
テ……キラ……シテホ……タレ……
普段の口調に比べて(あくまで彼女の、であるが)、はるかに速い口調で芹香が呪文を詠唱する。その声が部分的にではあるが浩之たちにも聞こえた。ゴーレムが殴りかかる。その直後、魔法書の動きが止まり、光が放たれた。
「うわ……」
志保が絶句する。光が消えた後、そこには何かがいた。殴りかかってきたハイサムソンとやらの手首をガッチリと掴んでいる。そしてもう片方の手でゴーレムを突き飛ばした。
「騎士?」
あかりがそう呟く。そう、騎士であった。中世の絵画にでも出てきそうな、どこかの名家の廊下にでも飾ってありそうな、重厚かつ壮麗な鎧を着た騎士である。その大きさはゴーレムを頭一つ分凌いでいた。その姿に圧倒されながらも銀パソ仮面が叫ぶ。
「ふ、ふふ、面白い!ハイサムソン!召喚主を倒す前にその鎧人形を倒せ!」
ムッフン!
ゴーレムがいちいちポーズを取って、目標を変えて迫る。そのゴーレムを見ながら芹香は騎士に向かって何か呟いた。刹那。
袈裟懸け。
胴払い。
唐竹割り。
騎士は腰に下げてあった剣を抜く手も見せずに構え、一気にゴーレムに叩き込んだのである。その動きはまさに神速であった。石で出来ているにもかかわらず、豆腐のように叩っ斬られたゴーレムは、器用にもだばだばと涙を流しながら崩壊する。
「な、ボクのハイサムソンが……」
ただただ唖然とする銀パソ仮面。
「召喚物の力量差にて、勝者、来栖川芹香!」
判定が下った。それと同時に騎士が光を発して消える。再び魔法書のページが繰られ、パタリと閉じた。
「すっげ……」
思わすそう呟く浩之。正直言って芹香がここまでやるとは思わなかった。
「やはり貴様はお嬢様の力をわかりきっておらんかったようだな。小僧、お嬢様の控え室に行くぞ。神岸様、長岡様、こちらへどうぞ」
控え室での芹香は普段とあまり変わりがないように見えた。用意してあるソファーに普段校庭でひなたぼっこしているときのように、ややうつむき気味にただぼうっとしている。ふいにセバスチャンが顔をしかめた。
「お嬢様……」
そっと気遣うように呼びかけるセバスチャン。今まで見せなかった彼の態度にあかりと志保がぽかんとした顔で彼を見ている。浩之は――浩之は気づいていた。彼女が不安に陥っているということに。
「お嬢様、お嬢様の魔術の腕はこの一年でたいそう御上達なさいました。今更ヤツに恐れることなどありませんぞ」
「ヤツって?」
志保が浩之にそう訊いてくる。
「ほら、センパイの前の試合にいただろ?一発で相手をダウンさせた野郎だよ。前の大会の優勝者だろ」
「あーあー、あれね。あたしの好みじゃないけど」
「お前の好みなんざ聞いてねーよ」
「しぃっ!ふたりとも騒がないで」
あかりが口元に人差し指を当てて注意した。彼女にはだいたいこの後に起こるであろう事態の予想がついたからである。が、彼女の忠告は今一歩のところで遅かった。
「か、かぁ――――――つ!!小僧!貴様お嬢様を気遣うこともできんのかぁ!」
浩之に零距離射撃を撃ち込むセバスチャン。まともに喰らった浩之は何もできない、ただ座り込んで、頭を震わせた大音声を少しでも吸収しようと、軽く頭を震わせるだけである。続いて第二波、脳天錐もみスクリュードライバーでも仕掛けようとしたセバスチャンは誰かに袖を引かれて、自分を押さえざるを得なかった。袖を引っ張っているのが他でもない芹香だったからである。
「お嬢様……?」
あっけに捕らわれるセバスチャン。浩之に視線に会わせて、つまりは膝をついてそのままずいずいと、浩之の前に進んだ芹香はそこで動きを止めた。ただジッと浩之を見つめるだけである。
「せ、センパイ?」
「………………」
「センパイ?」
「………………」
「セ……」
「………………」
「そっか……」
何かがわかったかのように、浩之はそのままの姿勢でじっとこちらを見ている芹香の肩を軽くたたいた。
「大丈夫だよ、勝ったって負けたってセンパイはセンパイだぜ。気にすんなって」
はい、と言うようにうなずく芹香。音も立てずにソファーに戻ると、再び何をするでもなくただぼおっとしている。しかし浩之には彼女が心から安堵しているのがわかった。
「小僧……すまんな」
いつになく神妙なセバスチャンに、浩之は軽く鼻を鳴らして答えた。
「はん、セバスらしくないぜ。いつもどーり皮肉の一言でも言ってみろってんだ」
「いや、今回は礼を言わせてくれ。正直言って小僧がいて助かった……」
「わかったよ、もう言うなよ」
「フン、言われんでもわかっておるわい。この……小僧が……」
「それでいいんだ」
浩之は満足そうに軽く笑うと、そのままでいる芹香に軽く手を振ってみせた。
「んじゃ、俺達は観客席に戻っているからな。頑張れよ、センパイ」
そう言ってセバスチャンと控え室を出る浩之。後には芹香と、蚊帳の外のあかりと志保が残った。
「志保、私達何でここにいるんだろう……」
「完全に置いていかれちゃったわねー」
「………………」
ばたばたと聞き慣れた足音が聞こえたのはそのときである。
「だからつい忘れただけだっての!あらぬ疑い持つんじゃない!」
「あーらそうかしらぁ?さっきのシーンを見たって来栖川先輩とのラヴラヴだったわよ〜?だからあたし達忘れたんでしょ?」
「ただ励ましただけでラヴラヴゆーなら、チアリーダー軍団全員、運動部の野郎どもとラヴラヴだってのかよ!頭数たんねーぞ!」
「だから運動部の誰か一人とはラヴラヴなのよ」
「ンな訳ねーだろが!」
普段は浩之の圧勝に終わる論戦は、珍しく彼の方が劣勢であった。まあ、無理もないが。
「じゃあ、あかりに訊いてみましょ。あかりぃ、さっきのことどう思う?」
今度は浩之の隣に座った志保が(隣がセバスチャンだと何をされるかわからないので浩之が志保にこっちに座るように言ったのである)反対側の隣に座っているあかりにそう訊いた。浩之がぎこちなく隣に座っているあかりをみる。当のあかりは先ほどから静かに闘技場の方を見ていたのだが、志保に呼ばれているのに気付いてこちらの方を向いた。
「さっきの事って?」
「だぁかぁらぁ、さっきの先輩とヒロのことよ」
「それがどうしたの?」
「どうしたって……あかりはどう思ってるのかなあって」
「別に変わった事じゃないと思うけど?」
「へ?」
「へ?」
間髪入れずに答えるあかりに、ややずれて聞き返す志保と浩之。
「なんか来栖川先輩調子悪そうだったでしょ?だから浩之ちゃんが励まさなかったら、私がするつもりだったんだけど」
「あ、そう……」
やや唖然とする志保に、ここぞとばかりに浩之がこの話題を収束へと向かわせる。
「そういうことだ。お前の方が間違ってるんだ。わかったか?」
「ふう゛う゛う゛う゛う゛」
「それやめろ」
ぶうたれる志保を黙らせて、浩之は一息ついた。意味もなく闘技場の方を見回そうとしたときである。
「貸し一だからね。浩之ちゃん。今度はしないでね」
浩之がギリギリ聞き取れる声であかりがそう言った。同じく闘技場の方を向き穏やかな表情だが口調はそうでもない。
「はい……」
浩之は引きつりながらそう答えるしかなかった。ちょうどそのとき場内アナウンスが入る。
「長らくお待たせいたしました。これより魔術大会決勝戦を行います。『お嬢様は魔女』来栖川芹香、『四大魔術』ミスターゼロ」
「始まったか……」
セバスチャンが誰へともなく呟く。
「向こうもなんか変なリングネームよね。何が四大なのかしら?」
「リングネームじゃなくて二つ名だっての。間違っちゃいないけどよ」
志保の感想に口を挟む浩之。
「でも、お互い強いことは確かだよな」
先ほどの芹香の前に試合を見る限り、ミスターゼロとやらは強かった。相手を一瞬にしてダウンさせた腕は素人の浩之達でも難しいことがわかる。
ミスターゼロは黒ずくめの芹香と同じく黒い衣装をまとった年老いた男であった。ただその凝り様は芹香を上回っており、黒のフード付きローブに、長い杖を持った完全な魔術士スタイルである。
「………………」
「――――――」
彼の表情はフードに隠れて伺えなかったが、彼は芹香と同じく寡黙であるらしい。
「長期戦かな?こりゃ」
浩之がそう呟いたとき二人が同時に動いた。お互い持っていた棒杖、杖を相手に向ける。刹那、火花が散った後、二人は激しい光の塊に包まれた。
「――!」
あかりが息を呑む。その光は激しい熱を伴っていた。光から離れている観客席でも、まるで巨大ストーブのすぐ側にいるような暑さを感じるくらいである。
「浩之ちゃん!」
「ヒロ!」
「信じろ!」
思わず浩之の名を呼ぶあかりと志保に浩之は怒鳴るのと大差ない声で叫んだ。
「で、でも……」
「いいからセンパイを信じろ」
「うん。わかった」
「ちょっと、あかり!」
「わかっておるではないか。小僧」
口の端に笑みを浮かべてセバスチャンがそう言う。
「当たり前だろ」
口の端に笑みを浮かべながら浩之は続けた。
「センパイは負けねえよ。絶対」
観客席はざわついていた。おそらく二人の安否を気遣っているのであろう。沈黙を守っているのは、浩之達が座っている最前列の一角と、同じく最前列の一角にある執行部席くらいか。
あかりがそっと手を握ってきた。反対の手は既に志保が握っている。浩之には出来ることがないが、それでも彼女たちは手を握っていた。そんな二人の手の感触を感じながら、浩之は彼の前に立っているはずの芹香がいるであろう場に目をやった。彼女の傍にすがるべき者はいない。たった一人で彼女に不安はないのだろうか。思わずそう思ってしまう。
『俺は信じてるぜ――』
浩之に出来ることはそれだけであった。光の塊に変化はない。少なくとも浩之にはそう見えた。が――
「浩之ちゃん。あの光、少しずつ大きくなってる……」
「何?」
あかりに言われて、浩之は眩しかったものの、目を凝らして光の塊を見た。なるほど、彼女の言う通り、少しずつだが大きくなっている。
「も、もしかして……」
嫌そうに志保が呟いた途端、光の塊が爆発した。ただ、熱や衝撃を伴っていなかったため、浩之達に怪我はなかった。
「あのときと同じだ……」
呆然と呟くセバスチャン。曰く、前回も同じようになり、はじけた光の後には芹香が倒れていたのだという。
「じゃあ、来栖川先輩は!」
そう叫ぶあかりに。
「まだ負けたかどうだかわからないだろ」
と言って正面を見据える浩之。二人がいた場所は、ちょっとしたクレーターになっていた。煙が渦巻いているため、中の様子はまだ伺えない。
待つこと二、三分。煙が晴れた場には芹香とミスターゼロの二人がいた。二人とも外傷などは全くない。ただ、芹香がその場に座り込み、肩で大きく息をついていた。彼女の前にはミスターゼロが悠然と佇んでいる。
「来栖川先輩……」
あかりが呟く。
「ま、しょうがないわね。でもまあ、あの中にいて怪我ひとつしなかったんだから、すごいじゃない」
「違う!二人ともよく見て見ろ!」
そう叫んだ浩之におされて、あかりと志保は目を凝らした。その途端、ミスターゼロがぐらりと揺らめく。
「え?」
「へ?」
二人が見ている前で彼はそのまま倒れ伏してしまった。会場全体が静寂に包まれる。
「……純粋な魔力差により勝者、来栖川芹香。並びに今大会優勝者、来栖川芹香!」
下る判定。今度は会場が歓声に包まれた。
「おっ嬢様ぁぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁっぁぁあああああ!」
立ち上がって咆吼するセバスチャン。
「やったじゃん、あかり!」
「うん!」
お互いに喜ぶあかりと志保。そんな歓声が満ちた中で、沈黙を守っていたのは浩之と芹香だけであった。座り込んだままであるものの、呼吸は整った芹香が浩之の方を見る。浩之は黙って親指を立ててみせた。それを見て、彼女はしばし黙考する。
ほどなくして、彼女は浩之に向かって。Vサインを送ったのであった。
<終わり>