『白鳥、再び』(2008.03.17)

 その日の土曜日は、朝からリトルバスターズの練習だった。
 恭介曰く、ものすごく筋のある、ついでに馬も合いそうな対戦相手が見つかった――らしい。
 詳細は詳しく聞いていないのでそれ以上はわからないけれど、近いうちに試合があるという話そのものは皆に伝わったようで、自然練習にもそれなりの緊張感が漲っていた。
 ちなみに練習内容は変わらない。鈴がピッチャーで、僕がバッター。
 ただし、鈴の制球だけはあの頃とは違ってストライクゾーンを滅多に外さなくなっていて、僕もまぁ、そんなに変な方向には球を飛ばしたりは――、
「ファール!」
 恭介の声が響いた。まだ、僕の方には問題が山積みらしい。
 打球を目で追う。ファールだけあって誰の守備範囲でもない落下地点――バスターズ結成時は、小毬さんやクドがピクニックをしていた樹の陰――には、クリップボードに何かを書き込んでいる西園さんの姿があった。
「西園さん、ボール!」
 僕は叫ぶ。すると、西園さんは承知ばかりに日傘で弾くように両手を動かした。
 もう、日傘は差していないのに。
 当然ボールは弾かれる事なく、西園さんの頭部に当たり、西園さんはそのまま崩れるように倒れてしまう。
「に、西園さんっ!」

「大丈夫か西園!」
 恭介のその一声とほぼ同時に、皆が駆け寄る。
「不味いな、気を失っている」
 クドや小毬さんにボールが当たって倒れた時は真っ先にスカートをめくる来ヶ谷さんが、真面目に診察していた。
 ということは、洒落になっていないということだ。
「救急車、呼んだ方がいいか?」
 と、謙吾。
「そこまでではないだろう。予断はできないが意識が戻るまで保健室で寝かせた方がいいな」
「よしわかった。理樹、真人、西園を運んでやれ。ほかの皆は練習だ」
 と、来ヶ谷さんと恭介の指示で僕と真人は(担ぎ方に苦労したものの)西園さんを運び込んだ。
「西園の様子はどうだ?」
 ベッドに寝かせて毛布をかけたところで、真人が僕にそう訊く。
「呼吸は普通だから、来ヶ谷さんの言う通り様子をみるだけで大丈夫みたい。後は僕が様子を見るから、真人は練習に戻ってて」
「そうか。じゃあ、後は任せたぜ。理樹」
「うん」
 土曜なので保険の先生は居ない。僕は休日の間に保健室を利用したことを記録するノートに必要事項を書き込むと、用意してあった折り畳み椅子を引っ張り出して、西園さんの側に座った。
 って、無防備に寝ている女の子の隣に座るものじゃないか。そう思い直して、ベッド毎に仕切られるカーテンを引こうとした時……。
「うーん――」
 西園さんが、目を覚ました。
「良かった、何処か痛くない?」
 慌てて枕元に寄り、そう訊く。すると、上半身を起こして伸びをした西園さんはきょとんと僕を見て、
「あれ、理樹君?」
 ……理樹君? 直枝さんじゃなく?
 短いけれども、決定的な違和感を含んだその言葉に、僕の記憶が刺激される。
「わー、何か知らないけど久しぶりっ」
 そう、西園さんの姿でそんなことを言う人は、唯ひとり。
「もしかして、君は……美鳥?」
「うん、そうだけど」
 そう良いながら、身体を九十度ずらして、ベッドに座る美鳥。
「ど、どうして……」
「どうしてって、それはあたしも聞きたいよ。まぁ推測すると、頭に直撃しちゃったせいじゃない?」
「ご、ごめん」
 だとすれば、それは間違いなく僕のせいだ。
「いいのいいの。美魚が避ければ良かったんだから。癖って恐いよね」
 そう言って、美鳥は日傘を畳む真似をした。
「で、どうしようか」
「どうしようかって……皆は君と西園さんのことを知らないんだから、誰にも会わないようにしていた方が良いと思うけど」
「うーん、ここで寝てるのは、ちょっと退屈だなぁ」
 そう言って美鳥が苦笑した時だった。
「理樹君。みおちゃんの様子、どう?」
 そんな声と共にそっと戸口から入って来たのは――、
「……ああ、小毬さん。それに鈴も。どうしたの?」
「午前の練習終わったから、理樹君とみおちゃんに伝えようかなって……あれ?」
 小毬さんが驚いた貌をする。後ろの鈴も、何かに気付いたようで、ふたりして驚いた様子で、顔を見合わせている。
「ど、どうしたの? ふたりとも」
「え? あ、うーん……」
 困った様子で、小毬さん。
「理樹君。そこにいる人、誰?」
 ……え?
 誰って、西園さ――んじゃない。美鳥だ。だけど何でふたりとも違うと気付いたのだろう。
 僕は慌てて美鳥を見る。皆に見つかったら西園さんのふりをしてって言うつもりだったけど、美鳥はどんな対応をするのだろう?
 そんな僕の表情で美鳥は事情を察したようだった。そしてしょうがないといった様子で再び苦笑すると、
「ばれちゃしょうがないね。あたしは美鳥。あなたが神北小毬さんね? で、そっちの子が棗鈴ちゃん」
「……あ、うん。そうだけど……」
 鳩が豆鉄砲をくらったかのような貌で、小毬さん。その後で鈴も似たような貌になっている。そして僕も、似たような貌になっているに違いない。
 どうして、自分から名乗ったんだろう……。
「初めまして。あたし美魚の親友なの。すんごい似てるでしょ?」
「似てるというか、姉妹か双子みだいだな」
 鋭い鈴だった。
「でしょ? だからたまには入れ替わりたいなーなんて思って、美魚と理樹君に協力してもらったの。貴方達にはすぐわかっちゃったみたいだけど……他の生徒にはまずわからないと思うからね」
「それは――そうかもしれないねー」
 いつも通りの様子に戻って、小毬さんが頷いた。
「ひとつ聞きたい」
 そこへ、鈴が会話に割って入る。
「みおは確か美しい魚と書いてみおだったな。みどりも、美しい鳥と書くのか?」
「……大当たりっ!」
「ますます姉妹みたいだな」
 嬉しそうに答える美鳥に、鈴も笑顔を浮かべて腕を組んでいる。にしても、ほぼ初対面であの鈴とここまでにこやかに会話出来るように持って行けるなんて……美鳥は、かなりすごいのかもしれない。
「とりあえず、お昼に行こっか」
「うん、そうしましょう~」
「そうだな、行こう。理樹はどうする?」
「もちろん、僕も行くよ」
 そういうことになった。

「で、当の西園女史は?」
 と、珍しく食堂でもずく定食(すごいのもあったものだ……)に箸をつけながら来ヶ谷さん。
「今頃は、あたしの学校に着いているんじゃないかな」
 しれっとした貌で、美鳥がそう答える。
「ふむ――」
 思慮深げに来ヶ谷さんは目を細めて頷き――、
「……ん? おかしいな……」
 ぽつりと、そう呟いた。
「ど、どうしたのさ」
 多少慌てて、来ヶ谷さんに訊いてみる。
「いや、スリーサイズも身長も一致しているんだ。いくらそっくりでも――こうはいかない」
「わかるの?」
「目測で誤差プラマイ3ミリまで行けるぞ。ちなみに小毬君のバストは83だ」
「ほわぁ!?」
 飲んでいたパックの牛乳にむせる小毬さんを見るに、間違い無さそうだった。……っていうか、どんな目をしているんだ、来ヶ谷さん。
「――ま、そこまでそっくりだから入れ替わろうと思った訳で」
 と、美鳥がスパゲッティをつつきながら言う。
「ふむ。まぁ……そうだろうな」
 それで、来ヶ谷さんは納得したようだった。
「そういえば、みどりの名字はなんて言うんだ?」
 鈴が興味深げに訊く。
「ひ・み・つ~」
「ひみつ美鳥かよ。すげー名前だな」
「……恭介よ、何故鈴ではなくお前がそう言う」
 謙吾がわけがわからんといった風体で恭介に突っ込みを入れる。そして、
「なぁ、小毬よ。どうやって見分け付けたんだ?」
 真人が何度も首をかしげながらそう小毬さんに訊いていた。どうやら、バスターズ全員が見分けられる訳ではないらしい。
「ん? 雰囲気がみおちゃんと全然違うから、すぐにわかったよー」
 隣で、鈴がそうだとばかりに鈴を鳴らしながら頷く。
「なるほどー、確かにそう言われれば違う気がしますー」
 と、クド。
「私もすぐに気付いたよ。だってみおちんとは歩き方が違うもん。なんていうかな、普段の清楚な歩き方って感じじゃなかったからね」
 さらには葉留佳さんも。っていうことは――。
「なんだよ、もしかしてわからなかったのオレだけかよ……」
 あ、真人がいじけている……。
「まぁ、落ち込むことないよ真人君。わからないのが普通なんだからさ」
「ありがとよ」
 しかも美鳥に慰めされてあっさり気を取り直していた。

「あたしもやってみたいんだけど、いいかな?」
「え? えっと――」
「もちろん大歓迎だ」
「ちょっと恭介――」
「わ、ありがとっ!」
 そんなわけで、美鳥も午後の練習に参加することになった。
 まずは二人一組になってキャッチボール。これはかつてはなかったメニューだけど、バスターズのメンバー全員が満遍なくボールをやり取りできるからと僕が提案して受け入れられたものだった。
 普段は、マネージャーである西園さんが参加しないので一組は三人でやってもらっていたけど、今日は違う。均等に二人一組で、キャッチボールが出来ていた。
 ちなみに僕は真人と。美鳥は、葉留佳さんとすぐ隣で組んでいる。
「うーむ」
 美鳥の正確な送球をグローブで受け取りながら、葉留佳さんが唸った。
「なまじみおちんとそっくりだから弱いボールかと思ったんだけど、結構手首にくるね」
「そう?」
 葉留佳さんの返球受け取りながら、美鳥。
「まぁ、美魚は滅多に運動しないからね。そういうイメージを持ってもしょうがないよね」
 ぱすんと、小気味良い音を立てて、葉留佳さんのグローブにボールが収まった。
「うーん……」
 それでも納得できないのか、葉留佳さんは唸っている。
「その喋り方、なーんか私と被るんだよなぁ」
 キャラの立ち方に悩んでいたんだ!
「でもあたしは、無害だよ?」
 にやっと笑って、美鳥。
「それってはるちんが有害ってことかー!」
「間違っていないじゃない」
 容赦のない二木さんだった。
 って、二木さん!?
「さて、見つけたわよ。三枝葉留佳」
「い、一体どこから沸いて来た風紀委員ーっ!」
 結った髪を逆立たせて、葉留佳さんがそう叫ぶ。
「なによ、人を幽霊かボウフラみたいに」
 呆れつつも、二木さんはがっちりと葉留佳さんの肩を掴んでいた。
「……ん、西園美魚さん?」
「はい、何でしょうか」
「おおっ」
 葉留佳さんが小さく、息を飲む。要は、それだけ美鳥による西園さんの物真似が上手だったのだろう。事実、一瞬僕も『入れ替わった』のかと思った。
「貴方――」
「はい」
「今日は練習に参加しているの?」
「たまには、いいかと」
「……そう、ならいいわ」
 そこで、二木さんの興味は美鳥から離れたらしい。
「さて、三枝葉留佳。食堂のウスターソースをオイスターソースに切り替えたのは貴方ね?」
「いやぁ、薄味のウスターより旨味の強いオイスターの方が良いかなって。語感も似ているし」
「スターしかあっていない上に、合わないものは最高に合わないのよあれはっ!」
 あ、目尻に涙の跡がある。二木さん、何にオイスターソースかけたのだろうか。
「さぁ来なさい三枝葉留佳っ! オイスターソースが合う食材と合わない食材、どれだどれだかその身をもって知りなさい!」
「またこのパターンかーっ!」
 そんな叫びとともに、葉留佳さんは二木さんに引きずられていった。
「ふぅ、話のわかる人だったね」
 ほっと息をついて、美鳥。
「え?」
「ばれてた」
「ええっ」
 あの二木さんが、見逃した?
「校外の人だと思ったのかもね」
 グローブ毎手を腰に当て、美鳥がそう呟く。
「あー、理樹君。三枝さんつれていかれちゃったから、三人でキャッチボールしない?」

「なんつーかよ、変な一日だったな」
 夕方、練習が終わって部屋に戻ると同時に真人がそう言った。
「そう?」
「ああ。あいつ、すごかったろ」
「あいつって――あぁ、美鳥のことだね」
 あの後美鳥は、バッターボックスに入りたいと志願して皆にOKをもらい、鈴がいきなり放ったライジングニャットボールをあっさりと場外で弾き飛ばして鈴を唖然とさせると同時に『こいつはすげーぜ!』と恭介を文字通り狂喜させたり、小毬さんに直撃しそうになった打球を横っ跳びでキャッチすると同時に僕へと返球したりと、文字通りの大活躍だった。
「ああ。小毬たちはああ言うが、オレには西園にしか見えなかったからな。その西園が飛んだり跳ねたりする訳だ。美鳥――って言うんだっけか? あいつにゃ悪いが、違和感だらけだったぜ」
「……ある意味、真人の目は確かなのかもしれないね」
「そうか? ありがとよ」
 そこへ、誰かが部屋の扉をノックした。
「理樹君ー、居る?」
 美鳥だった。

「あー、楽しかった」
 すっかり暗くなったグラウンド脇をふたりで歩きながら、美鳥がそう言う。
 ちょっといいかな? と呼ばれたので何事かと思ったけど、どうやらふたりだけで散歩をしたかったようだ。
「いい人達だよね。恭介さん、謙吾君、真人君、小毬さん、凜ちゃん、三枝さん来ヶ谷さん能美さん、そして理樹君。リトルバスターズって、こんなに楽しいんだって思わなかったな」
「それはもちろん……リトルバスターズだからね」
 だから、楽しい。そう僕は続けた。
「なるほど、ね」
 両手を後ろに組んで、目を細めて美鳥が頷く。
「……西園さんも、居ればいいのにね」
 そんな美鳥を見ていて、そんな言葉が口から飛び出ていた。
「それは無理だよ、理樹君」
 静かに、本当に静かな口調で、美鳥が答える。
「あたしと美魚はもう一緒なんだから。今はこんなだけどきっと一時的なものなんだからね」
「うん、それは……わかってる」
「本当かなー?」
「ほ、本当だってば」
「うん、そうだね」
 美鳥が、歩みを止めた。
 気が付けば、僕らは西園さんがいつも腰を落ち着けて本を読んでいる、あの中庭に辿り着いていた。
「……それじゃ、お休み理樹君」
「うん。お休み、美鳥」
 『またね』とも、『また明日』とも美鳥は言わなかった。
 それがどういう意味かわかっていたので、僕もまたねともまた明日とも言わなかった。
 また会える? とも――。

 翌朝。
「辻褄合わせに、苦労しました」
 開口一発、西園さんはそう言った。
「ご、御免なさい」
 主導したのは、ほとんど美鳥だったはずだけれど、僕はそう言って頭を下げる。
 朝食後、西園さんから話があると言われて、こうして朝のグラウンドを昨夜の美鳥と同じようにふたりで歩いている。
「もしかして、昨日の状況――」
「保健室であの子が目覚めてから、しっかりと覚えています」
 ぴしゃりと、西園さん。
「一歩でも間違えれば、大変なことになっていました。直枝さん、それはわかりますね?」
「御免なさい」
 今度はちゃんと謝る。何せ、原因を作ったのは僕で間違いないはずなのだから。
 西園さんは何も言わずに、ただただ歩いている。その静かな貌には、何の感情も浮かんでいないように思えた。
「昨夜、夢を見ました」
「夢?」
「はい、夢です。わたしと美鳥がリトルバスターズの皆さんと一緒にいる夢です。美鳥は小毬さんや鈴さんと笑って、からかおうとする三枝さんを逆に翻弄して、来ヶ谷さんと共に企み事をし、恭介さんや井ノ原さん、宮沢さんと肩を組む。そんな夢です」
「……へぇ」
 それは、僕にも容易に想像出来る夢だった。
「そして、わたしと直枝さんはそんな皆さんを見て穏やかに笑うんです。――とても、暖かい夢でした」
「……そっか」
「直枝さん、ありがとうございました」
「え?」
 そんな、僕は何も――。
「直枝さんが最初に美鳥を止めて居れば、あの子は恐らくずっと保健室で寝て居ることを選んだのだと思います。けれど、直枝さんは美鳥を止めず、一緒に行動してくれました。それは、あの子にとって、とても嬉しいことだったんです」
 そう、なのだろうか。僕には即答することが出来ない。
 けれども西園さんの貌がとても穏やかだったので、僕は頷いてそれに答えた。
「行きましょう。そろそろ、午前の練習が始まります」
 もう一度、僕は頷いて答える。

「ファール!」
 やってしまった。一打席目、昨日と全く同じ軌道のファールボール。当然のように、着弾点には西園さんがバスターズメンバーのスコアをクリップボードに書き込んでいる。
「西園さんっ」
 と、僕が叫ぶのとほぼ同時に――、
 西園さんは顔を上げ、ボールを素手でキャッチしていた。
「だ、大丈夫?」
 あわてて駆け寄る。グローブ無しでの捕球は、結構手に来るはずだ。
 けれども、西園さんはけろりとして僕にボールを放って寄越した。
「西園さん……だよね?」
 おずおずと、そう訊いてしまう。
「もちろんです」
 涼しい貌で、西園さん。
「どんなことが起きたとしても、わたし達は一緒なんですから」

Fin.

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