『岡崎家のバレンタイン』(2005.02.16)

「中に軽くローストしたコーヒー豆が入っているんです」
 綺麗に広げられたラッピングの中身に対し、カフェ「ゆきね」の店長、宮沢有紀寧がそう説明する。
 大豆を一回り大きくしたようなそれは、チョコレートの粒だ。中にはきっと、いま宮沢が説明した通りコーヒー豆が入っているのだろう。
「なるほど……」

 そう言って少し困っているのは俺――ではなく、娘の汐だった。俺はその傍らで、お茶を飲んでいるだけだったりする。――どうでもいいが、この格好がもはや定番となっているような気がしないでもない。
「それにしても、たくさん貰えてよかったですね。岡崎さん」
「え? あ、ああ……」
 急に宮沢から話を振られて、俺は少し慌ててそう答えた。
「一応独身扱いだからかな?」
「岡崎さんのお人柄ですよ」
 と笑いながら答え、ゆっくりと席を立つ宮沢。
「それでは、そろそろ失礼しますね」
「あぁ、わざわざありがとうな」
「本当にありがとうございます、店長」
 俺に続いて汐がそう言う。すると宮沢は嬉しそうに、
「いえいえ、いつも来てくださっているお礼ですよ」
 そう言って、お辞儀をひとつ残して帰って行った。
「……フォローありがと、おとーさん」
 ややあって、汐がそう言う。
「ああ、まぁな」
 他に言うことがなくて、俺はそうとだけ答えた。
 視線を湯飲みからずらすと、色とりどりのチョコレートの箱がちゃぶ台の一角を所在無げに占領しているのが見える。
 それら全てが、学校で汐が貰ったバレンタインチョコだった。ひとつだけピザの入れ物そっくりなやつがあるが、中身は風子が汐に贈った超巨大ヒトデ型チョコだったりする。
「これが、初カウントか……」
 俺はというと、汐と同時に宮沢から貰ったチョコひとつだけ。――正直、少しばかり我が娘が羨ましい。
「え? おとーさんも欲しいの?」
 意外そうに汐。
「そりゃ、まぁな」
 俺だって男だしな。俺がそう答えると、汐は少し驚いたように、
「おとーさん……恋の季節?」
「んなわけあるかっ」
 それとこれとは別だと言う前に思わずばべしとちゃぶ台を叩くと、汐は笑いながら、
「冗談よ、冗談。それより、はい。ふたつ目」
 そう言って、チョコの包みを渡してくれた。
「お、おう……ありがとうな、汐。手作りか?」
「まぁね」
 頭の後ろで両手を組みながら、汐はそう言う。
「――ふと気付いてしまったが、身内からのはノーカンになるような気がしてきたんだが……」
「気の持ちようじゃない?」
 やや暗くなってしまった俺の声に、呆れたように汐が答えたときだった。
「朋也ー、居る?」
 そう言いながら、遠慮会釈なしに杏が家に入ってきた。後ろ手に何かを持ち、上機嫌ですと言った感じでにこにこしている汐の元担任は、ちゃぶ台に積み上げられたチョコの山に一瞬キョトンとすると、
「あら、随分と貰ったのね……」
「いや、その山のは全部汐のだ……」
「――モテモテね、汐ちゃん」
「ども……」
 ますますにこにこする杏に、釈然としない顔で礼を言う汐。
「で、今日はどうしたんだ?」
 何でもないように俺が訊く。すると杏は、学生時代さんざ俺を翻弄してきた笑みを浮かべて、
「ふふーん、なんだと思う?」
「……さぁ、皆目見当も付かないな……」
「アンタね、見え透いた嘘はやめなさいよ」
「そっちこそ、勿体ぶったりするのはやめろよな」
 そうハッタリをかますと、杏は、
「バレンタインの贈り物あげに来たに決まってるじゃない。男でしょ、察しなさいよ」
 ぐ。思わず言葉に詰まる。どうやらこの歳になっても、俺は杏に口で勝てないらしい。
「で、それは本命なんですか? それとも義理?」
 助け船なのか、汐が口を挟む。すると再び杏はにやりと笑い、
「朋也」
「……なんだよ」
「チョコと一緒にあたしも食べてっ」
「ブフッ!?」
「――ちょっと、吹くことはないでしょ!」
 途端柳眉をあげる杏。……だがしかしな、早苗さんの如くいつまでも外見は若いとはいえ、歳を考えろ、歳を。そう言いたいのをぐっと堪える。俺は春原じゃないので、頭を辞書の形に凹ませたくない。
「ふっふっふ……」
 代わりに別の反応を示したのは、不敵に笑う汐の方だった。
「藤林先生、おとーさんとお付き合いしたけりゃ――このわたしを倒してからにしてもらいますっ!」
 どーんと、仁王立ちになる汐。対する杏も凶悪な笑みを浮かべると、
「ふっ、悲しいわ、汐ちゃん。まさか教え子が敵に回るなんて――まるでオビ・ワン・ケノービの気分よ」
「わたしがダースベイダーですか……修行は完成してませんけど、覚悟してくださいね」
「――望むところよっ」
 ふたり同時に床を踏みしめた。一瞬にして空気が張りつめ、次いで微かに震える。って、マジでやる気か!
「オイ待て。ふたりとも、こんなところで――」
「「なーんちゃって!」」
 ちゃぶ台から立ち上がりかけた俺は、盛大にこけた。
「お前らな……」
「なんで朋也に本命渡さないといけないのよ。はい、義・理・チョ・コ!」
 そう言われて包みを受け取る。――なんか義理にしてはでかいが……まぁ今言った義理って言葉もでかかったのでおとなしく貰う。
「よかったわね、おとーさん」
「一緒になってからかってたお前に言われてもな……まぁいい。ありがとうな、杏」
 些か疲れたので、トーンダウンした声で礼を言うと、杏は少し首を傾げて、
「でも……別にあたしを食べてもいいのよ?」
「あのな――」
 ますます疲れた俺が、一言抗議してやろうと思ったときだった。
「そうはいくかっ!」
 外からそんな叫び声がするとともに、がいんと派手な音を響かせ、部屋に誰かが飛び込んで来た。そんな闖入者はいちいち確認するまでもない。智代だ。
「ドアを蹴って開けるなっ!」
 直すのは俺か汐なんだぞっ。
「――いや、すまない朋也。しかし藤林が不穏なことを口走ったのをつい聞いてしまってな」
「不穏じゃないわよ。健全な男女間に良くある会話でしょ」
「不穏だ」
「不穏ですね」
 智代、汐が返答する。
「ちょっと汐ちゃん! なんで智代の味方をしてるのよっ」
「いや、そういうわけじゃなくて。こーいう件について、わたしはあくまで中立なんです」
 しれっと汐。
「中立なのか……」
 こちらは多少残念そうに、智代。
「で、智代は何しに来たのよ」
 いつの間にやら俺のとなりに座って腕を組み、実に挑戦的に杏が訊く。するとこちらも目を離している間に、俺の真向かいに座った智代はしどろもどろになって、
「いや、その、ちょ、ちょうど近くを通ってたんだ。それで……ほら、今日はバレンタインだろう。たまたまチョコレートを持っていたから――」
「嘘よね。三日前からカレンダーに赤丸つけているわ」
「嘘でしょーね。チョコレートの材料は三日前から用意しているかと」
 即断する杏と汐。
「そこっ、見て来たかのように言うなっ! 特に汐っ、三日前ではなくて五日前だ!」
 智代、お前おもいっきり自分でばらしているからな。
「とにかく、朋也っ!」
「はいはい……」
「返事は一回だろう!」
「ハイ」
 なんでこんなに怒鳴られりゃいけないのかと思いながらも、俺は背筋を延ばす。すると智代はまやもやもじもじとなりながらも、
「ぎ、 義 理 だ。よかったら受け取ってくれ」
「あ、ああ……」
 杏と同じく、『義理』が強調してあったが、ありがたく受け取っておく。
「あれ、本命よね?」
「藤林先生と同じくらいの大きさですけど」
「だからうるさいぞ、そこっ」
 真っ赤になった智代が言う。
「……大丈夫か智代。熱、出てないか?」
「出てなどいないっ。というか朋也、これはだな――」
 その続きを邪魔するように、控えめなノックの音が響いた。
「はーい」
 ちゃぶ台を中心にして出来ていた俺達の輪から、汐が応対に出る。
「こんにちは。汐ちゃん」
 本日四人目の訪問者は、ことみだった。
「朋也くん、居る?」
「居るもなにも、いま美女ふたりに食べられかけてます」
「食べられてたまるかっ」
「…………」
「…………」
 ――何で俺を睨む。杏、智代。ことみはことみで、キョトンとそんな俺達を見ていたが、やがてぼそりと、
「いじめる?」
「「いじめないいじめないいじめない」」
 俺と汐の声が重なった。……なんというか、ことみもことみで歳不相応というかなんというか……いや、半分は俺が悪いんだが。
 そんなことを考えているうちに、ことみは二度三度深呼吸をして自分を落ち着けたあと、それでも少し不安げな表情で辺りを見回していたが――やがて決心したように、
「朋也くんに、これを……」
 そう言って、程よい大きさの包みを俺に手渡した。
「チョコレート。チョコレートっていうのはね、カカオを主成分に――」
「いやそれは流石にわかってる」
 すぐさま止める俺。
「……じゃあ、バレンタインも?」
「もちろんだ。バンアレン帯だって知ってるぞ」
 俺がおどけてそう言うと、ことみはほにゃっと笑って、
「よかった。――えっとね。これ、本命なの」
「ああ、ありがとう」
「…………」
「…………」
 本命という言葉が出た時と俺が受け取った瞬間、杏と智代が引きつったように見えたのだが、黙っておく。
「お邪魔しました。朋也くん、汐ちゃん、またね」
 そう言って、ことみは帰って行った。
「…………」
「…………」
 ……なんだろうか、この居心地の悪い雰囲気は。
「朋也っ! さっきのチョコやっぱ本命ってことで!」
「わ、私もだ。実はあれは本命だったんだっ!」
 いきなりそんなことを言い出す杏と智代に、ほほう、と汐が立ち上がる。
「ふっふっふっふっふ。おとーさんに本命を渡すというならば、まずこのわたしを――」
「なんでことみにはそれを言わないのよ!」
「友達ですもん」
「言い訳にはならないぞ、汐!」
 ――つきあいきれん。
 ゴジラとガメラとウルトラマン(言うまでもなく汐がウルトラマンだ)が三つ巴の死闘を演じる脇で、俺は新聞を引き寄せ紙面に没頭することにした。そのついでに汐宛のチョコの山とは別の一角にある俺が貰ったチョコレート達を眺める。結果として結構貰ったことになるのだろうか、宮沢、汐、杏、智代、そしてことみと……計六つ――あれ?
 俺宛のチョコがひとつ多い。
 不思議に思って余ったひとつを手にとってみると、そのシンプルな包み紙には手書きで書かれた『朋也くんへ』と言う文字と、同じく手書きの――だんご大家族の、小さなイラストが描いてあった。
 ――いや、まさか。
「だってことみちゃん、喧嘩は弱そうだし、頭脳戦だとわたしが勝てそうにないし」
「そういう問題じゃない!」
「というかちょっと問題に引っ掛け仕込めばあっさり勝てるでしょ!」
 汐と智代、杏の論争はままだ続いている。
 俺は顔を上げ、両手を腰に当て、熱弁を奮う汐の顔を眺めた。
 ――ふと、一瞬目が合う。
 汐は、俺が手に持っている小さなチョコレートの包みを一瞬視界に収めた途端、すぐさまそっぽを向いた。――ほんの一瞬だけ、小さく舌を出して。

 まぁ、そういうことなんだろうな。

 俺はその包みを丁寧に開ける。中には、ミルクチョコレートをだんご状にした上で、ホワイトチョコレートで丁寧に目が描かれていた、だんご大家族なチョコレートがいくつか入っていた。
 ひとつとって、口の中に放り込む。砂糖が抑えめなのか、カカオの香りが強く立ちこめ……俺はあの日だまりの香り――渚の匂いを思い出して、僅かに口元を緩めたのだった。

Fin.

あとがき

 ○十七歳バレンタイン編でした。
 ええと、遅れてすみません;
 なんというか、ヒロイン同士の対決ものみたいな感じで書いていたら、いつの間にか微妙に違うものになってしまいました。……でもまあこれはこれで――いいのかな?
 なお、私自身のスコアは……聞かないでくださいorz。

 さて次回は馬鹿騒ぎ編か、久々に学園編かのどちらかです。

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