『文化祭』
第7話(最終話):『後夜祭』
さあ、また来年。
教室のドアが閉まる。
「最後のお客さん、帰りましたー」
「飲食物、すべて売り切れー」
あちこちから報告があがった。それらを、教室に設えたカウンターから二人の男子が静かに聴いている。やがて報告がすべて終わると、二人は何も言わずお互いの右手の平を打ち合わせた。
「大成功だったな。相沢」
「そうだな。北川」
……これでまあ、着ているものが普段の制服やウェイターの制服ならそれなりに格好良いのだが、メイド服な上に、各自方頬に拳の跡が付いていては様にならない。相沢祐一に至っては、もう片方の頬に平手打ちの跡まであった。
「まあ、自業自得よ」
それが美坂香里のコメントである。隣で水瀬名雪が頷いていた。
つまりは、こういうことである。
『ええ、と。ご来場の皆様にお知らせいたします。アクシデントのため遅れていた学園有志による演劇の準備が整いました。まもなく開演いたします。つきましてはどなた様もお誘い合わせの上、体育館までお越しください――オイ北川、ちゃんと抑えてろって――皆様のご来場をお待ち申し上げます。校内放送でした』
ぶちっと、マイクのスイッチを切る。そして、一息ついたようにため息を吐いて、祐一は額を拳で拭った。
「お疲れサン」
「ああ、さんきゅ」
「もごごーご、もーごご!」
北川潤のねぎらいと一緒に、なにやらくぐもった声が混じっている。
「なあ、口を封じる必要はなかったんじゃないか?」
「いや、つい――な」
二人して、放送室の隅を見やる。そこには、ビニールのリボン(教室の飾り付けとか、体育祭の応援とかにつかうボンボンを作るときに使うあれだ)で、要所要所を縛られた名雪が転がっていた。おまけに北川の言うとおり、ガムテープが口に貼り付けられている。
「どーするんだよ、水瀬さん」
「とりあえず、今日の最終公演が終わるまで大人しくして貰おう」
「もごー!」
唯一自由の利く首で、いやいやをする名雪。
それを見ていた北川は、なにやら首をひねった後、祐一にそっと耳打ちした。
「……何となく、そそるよな」
祐一は腕を組んで、
「うむ。確かに」
おそらく、メイドさん好きにとって、理性が飛ぶかどうかの瀬戸際であろう。
「もーごごごごご!」
聞こえていたらしい。名雪が激しく暴れ出した。
「こらこら名雪、あんまり暴れるとスカートの中見えるぞ」
足を縛るとき、上を見ないように一苦労したのは、一応秘密である。
「もーごー!」
かなり本気で悲鳴(らしきもの)を上げる名雪。
その時である。
ぼこん。
防音処置の施されているはずの放送室、そのドアがそんな音を立てた後、ゆっくりと開いていった。どうも蹴り開けてのけたらしい。それを難なく行った人物――香里はゆっくりと放送室を見渡すと、
「放送に気になる物音がはいっていると思ったら……。なるほど、名雪を拉致監禁――次いでは緊縛――。そう、そう言う趣味だったの。相沢君、北川君」
祐一と北川の頭がギギギと音を立てて、香里の方を向く。
「あ、あの、落ち着いてください、香里姉さん。貴方が動いたら最後、私達死にます」
「安心なさい」
祐一の必死(どっちみち死ぬのか)の懇願に、あくまで静かに囁くように宣告する香里。
「死んじゃったら、痛くないでしょう?だから、半殺しにしてあげる」
「ジーザス!」
北川が絶叫した。同時に香里からものすごい怒気が立ち上る。
……仁王立ちのメイドさんってすっげえ迫力だよな。
恐怖を通り越して空白になった頭に流れ込んだその思考を最後に、祐一の意識は寸断された。
「……で、こっちが気絶しているその間に平手かますんだもんな。そんなに陰険だとは思わなかったぞ、名雪」
「人を楽しそうに縛っていた祐一に言われたくないよっ。それにそれは、起こそうとして頬を叩いただけ!」
真っ赤になってふくれている名雪。顔が赤いおかげで、はがれたガムテープの跡は、今のところ見えにくい。
「へいへい、じゃーそういうことにしておきますか」
「ひどいよ祐一……こっちだって、跡が残っているんだから……」
「跡って、ガムテープだろ?」
「違うよ。ビニールリボンのだよ」
「あのな。あんなんで残るわけあるか」
「残るよ!きつく結んだところとか、しっかり!さっき確認したんだから――」
ピタリ。教室を片づけていた祐一の手が止まる。
「じゃあ、後で見せてくれ。本当だったら謝るから」
「え……」
今度は名雪が停止する。
「ちなみに具体的にどこら辺に跡が出来ているのか、今口頭で言っても一向に差し支えないぞ」
「そ、そんなこと言える訳ないよ……」
「そうか、じゃ、後でゆっくり見せて貰うか、ゆっくり」
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛ぅ……」
「楽しみにしてるぞ」
「何がかしら?」
その言葉の直後に、祐一の頭は香里の右手によってわしづかみにされていた。
「それ以上名雪を困らせると、私がまた動くわよ?」
「……ええと、動く必要はありません……でもですね、元はと言えば名雪が」
「だって祐一が!」
「わかったわかった。そんなことで喧嘩していないで、ほら、後夜祭始まるわよ。私はちょっと用事があるから、貴方達先に行ってなさい」
そういって問答無用で二人を引き寄せると、教室に押し出す香里。そしてすぐさまドアを閉める。扉越しにはきょとんとした雰囲気があったが、それもすぐ一瞬で、すぐに口論と共に遠ざかっていった。
「まったく……喧嘩仲裁役まで買うんだから。本当にお人好しよね」
そんなことを呟きながら、腰に手を当ててため息をつく香里。しかし、その雰囲気はどことなく楽しそうである。そして、そんな彼女を北川がじっと見ていた。
「どうしたのよ?」
「いや……美坂って、もしかすると一暴れしたらすっきりするタイプ?」
「ふんッ!」
――口は災いの元……。
文化祭の終わりは、後夜祭の始まり。
校庭の中央に灯ったキャンプファイアの火はまだ小さいが、それでも充分に赤く明るく、やがて激しく燃えるであろう。
うっぐっぐ。今日のボクはなにやら詩的。そんなことを考えながら、月宮あゆはその炎をじっと見つめていた。端からだと、それだけで物憂げに見えるのだから不思議なものである。
「よう」
「あ、祐一君」
「もう少し視線を落とすと見えるんだが」
「え……うぐわっ!」
祐一の視線に気付いて、それまで抱えていた膝を慌ててぺたんと落とす。
「だからウチの制服で体育座りは、何かと危険だって言ったろ、あゆ」
「普段キュロットだからね。慣れてないんだよ」
と、祐一の後ろから名雪。
「うぐぅ……」
「まったく、普通脚がスースーするから気付くだろ?」
「スカートはいたこと無い祐一君に言われたくないよっ」
「今はいてる」
「うぐ……」
未だにメイド服の祐一と名雪である。あれから直接ここに来たのだから当然の話なのだが。
「ところでそっちはどうだった?」
「そっち?」
「店だよ。店」
「あ、あれ?……ふっふっふ!もちろん完売だよ!」
「お。やるな。あゆもか」
「もかってことは、祐一君達も?」
「ああ、おかげさまでな」
あゆの隣にどっこいしょと座る祐一。その隣に名雪が座る。
「……本当だ。祐一君、胡座かくとスカートの中見えるよ」
「ああ、構うな。トランクスだし」
「「構うよっ!」」
「ふう……」
喧噪から離れた場所で美坂栞は待っていた。ここは中庭。学校中がお祭り騒ぎの文化祭といえども、この時間、しかも後夜祭に突入しては、もう誰も見向きもしないところである。
当然、この季節だと辺り一面が雪に覆われて……と言いたいが、文化祭のために実行委員と有志が集まって、決死の雪かきを文化祭前日に決行した結果、学校中の人の通る道、座るところはしっかりと確保されている。
しかしそれでも放射される冷気は容赦をしない。人の通らない場所に積み上げられた雪の塊は、あちこちで近づくものを凍らせんばかりの勢いであらゆるものの熱を奪っていく。
「ちょっと、寒い……かな?」
「当然でしょ」
ふわりと頭から何かをかぶせられた。よく見れば、自分のストールである。
「……あ」
「あ、じゃないわよ、全く。一応と思って先にお店の方を見てみたら、貴方のストールが置きっぱなしなんだから……。なんで忘れ物を取りに行かなかったのよ、栞」
口調は怒っているが、声音は怒っていない。
「……遅れちゃいそうだったから。待ち合わせに」
「結果として私が遅れたでしょう?それと、自分の体調管理を重視してくれた方が姉としては嬉しいわ」
「――はい。そうでした」
「それじゃ行きましょ」
そう言って手を差し出す彼女の姉、香里。
「……待たせてごめんね」
返事の代わりに栞は微笑みで答える。
「つーかーれーたー!」
「お疲れさまです」
舞台裏で大の字になった沢渡真琴に、天野美汐がねぎらいの声をかけた。
右手に持っていた――こういう場合は飲み物だと相場が決まっているが、とりあえず――肉まんを手渡す。案の定、好評。
「あうぅー……」
「本当に疲れているみたいですね」
「だって、劇をする度に台詞がどんどん増えていくんだもん」
「皆、貴方の記憶力と演技力に驚いていましたよ」
結局、最終公演は、本来の役者と同じ台詞の量をこなしたのである。
「それにしても似合っていますね」
「うー?」
肉まんをかじりながら、美汐の視線に会わせて自分の……全身を見る。
「制服?」
「はい」
ちなみに美汐は制服――元の格好に戻っている。曰く、「いつまでもあんなフリフリな格好でいられますか!」とのこと。
「でも、借り物だから」
「そう言えば……そうでしたね」
「借り物は、返さなきゃね」
頷く美汐。
「……成長しましたね。真琴」
「そう?」
「今までならその格好で家まで帰っていたはずです。それで、後で相沢さんに怒られて返しに来るんです」
「そ、そこまではしなわよぅ!」
「冗談ですよ」
さらっと言う美汐に、がくりと首を横にもたげる真琴。
「あうーっ……」
「さて、そろそろ後夜祭ですね。キャンプファイアでも観に行きますか」
「う〜……」
「行かないんですか?真琴」
「行くわよぅ!」
その後にもぶつぶつと続けながら、真琴は勢いよく起きあがった。
祐一達がトランクス論争を繰り広げている丁度反対側で。
「そう……そんなことがあったんだ」
「うん。多分、佐祐理についてきた女の子が、探していた子だと思う」
「うん、そうだね……きっとお互いがお互いに気付かないまま見つけたんだね」
あははーと笑う倉田佐祐理。その隣でやっとわかる程度に――彼女にとっては心から――川澄舞も微笑む。
「佐祐理が、私のあった男の子と一緒だと良かった。きっと、似たもの同士、仲良くなれていたと思う」
「それは無理」
「なんで?」
「まだ、佐祐理には無理」
「…………」
「だから、一緒にいたのが舞で良かったと思うな。佐祐理だと、きっとまた逃げていたもの」
「そうかな……」
火の粉が一瞬だけ舞の顔を照らし出した。
「もう、佐祐理は大丈夫だと思う」
「それは、舞の買い被り」
「違う」
「舞……」
「本当にそう思わなかったら、言わない。本当にそうだと思うから、私は佐祐理はもう大丈夫だと言った」
「そっか……」
燃えている木材が弾けて、舞い上がった火の粉が今度は佐祐理を照らし出す。
「そうなんだ……うん、ありがと。舞」
「――はちみつくまさん」
片目を瞑って、精一杯もったいぶっている。そんな舞を佐祐理が放っておくはずが無くて。
「オイこら、じゃれ合うなら向こうでヤれ。燃えるぞ」
実行委員会に注意されたのであった。
そして、校舎の屋上。
「どうだった?」
「うん、とてもよかった」
「そうか……」
「それと、あなたのお姉ちゃん、とてもいい人だった」
「当たり前だろ」
「うん」
「自慢の姉なんだ」
「うん」
「……ふむ……」
誰も居ない教室の窓から、男は校庭を見下ろしていた。
「楽しそうじゃないか。友達も多そうだし、良かったな」
「当然です」
真後ろからの声に、一瞬だけ硬直する。
「私が、育てたんですから」
「そうだな……いや、本当に観に来て正解だったよ。秋子」
男は、肩をすくめて答えた。
キャンプファイアの赤い炎は、この三日間の熱気、エネルギー、全てを飲み込み、収束していく。次の祭りのために、次の次の祭りのために。そしてお約束のフォークダンスの曲。直ちに逃げ出そうとする、祐一、美汐、香里、舞の四名。もちろん、それぞれが名雪とあゆ、真琴、栞、佐祐理に捕まる。
「離せっ、俺はこういうの苦手なんだっ」
「そーいう訳には行かないよ」
「うっぐっぐ、そのと〜り!」
「……あゆちゃん、その笑い方、怖い……」
「わかるでしょう?真琴。私はこういうものにアレルギーがあるのです。さあ、私を苦しめたくなければこの手を離してください」
「美汐、嘘つくの下手すぎ」
「貴方に言われたくはありません!」
「栞、私を姉と思ってくれるなら、この手を離して頂戴」
「私の従姉妹でも叔母でもなんなら妹でもOKですから離しません。」
「……それで最後にはアレがつく訳?」
「はい。『そんなこと言うお姉ちゃん、嫌いです』」
「佐祐理、私は用事が出来たから」
「あ、そう。じゃあ、佐祐理は祐一さんと踊ろうっと。どこかなー?祐一さん。あ、あっちにそれらしき人影がいますねーっ♪」
「…………ぽんぽこたぬきさん」
こうして人の輪がそれぞれの思惑通りに、もしくは大いに外れて作られていく。交わされる手、繋がる手、離れる手、そして再び交わされる手。
それは赤々と燃える炎の周りだけでなく。
例えば屋上、丁度炎を見下ろせる位置では少年と少女が。もしくは校舎の中では夫婦らしき男女が。
キャンプファイアの赤い炎は、この三日間の熱気、エネルギー、全てを飲み込み、収束していく。次の祭りのために、次の次の祭りのために。
では、また来年。
『文化祭』Fin
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