『二〇七九年、七月のアリス』



 〇 プロローグ



 そのカセットプレイヤーは、長らく生徒とともに在った。
 ラジオも付いていなければ、ステレオですらない、古い古いカセットプレイヤーである。
 大きなスピーカーをひとつだけ付けたそれは、ラジオ体操や体育祭の度に使われていて、元が白かった筺体はすっかり日に焼けていて、黄色味の強いクリーム色になっていた。
 今、そのカセットプレイヤーはガラクタ置き場に在る。ある日突然、音が鳴らなくなったためであった。バッテリーを入れ直しても、軽く叩いて様子をみても直る様子は無く、既に保証も耐用年数も切れていて、修理もままならない。ならば――という判断でガラクタ置き場行きとなったのである。光も音も無く、代わりにあるのは棚代わりに敷き詰められた机と埃だけというガラクタ置き場の中、そのカセットプレイヤーは後三日で専用の業者に回収されるはずであった。
 だが、その何もない空間に小さな物音が響いた。プレハブでできたガラクタ置き場の扉を開く音である。続いて光が一条舞い込み、ひとりの少女がそっと足を踏み入れた。長い髪が、開いた戸口からの光を受けて細やかにきらめいている。
 彼女は辺りを見回し、ぼろぼろになっている机の上に載っているカセットプレイヤーに目を止めた。
 その顔から、安堵と共に微笑みがこぼれ落ちる。
 彼女はゆっくりと歩み寄る。歩く度に薄く積もった埃が舞い上がり、戸口から入っている光と周囲の闇を、より明確に分け隔てる。
 そのカセットプレイヤーには、幸いなことに可搬用のハンドルが付いていた。
 少女はそのハンドルを両手でしっかりと持ち、ゆっくりと持ち上げた。そして、その場で回れ右をすると、そのまま真っすぐに外に向かい、戸口をくぐる。

 蝉の声が、うるさいくらいに鳴り響いていた。
 突き刺さるくらいに眩しい日の光に、少女が目を細める。
 その陽光の下、グラウンドでは運動部によるジョギングの声が上がり、校舎からは吹奏楽部や軽音部の練習曲が、防音壁を乗り越えてBGMを提供している。
 七月、夏休み一日前。
 少女の背後には校舎と体育館に挟まれるようにプレハブ建てのガラクタ置き場があり、行く手には彼女のものとおぼしき自転車がある。
 少女が視線を下ろす。視線の先にあるカセットプレイヤーは、今や少女と共にある。
 そのことが嬉しかったのか、彼女はカセットプレイヤーを両手に下げたまま、くるりと一回りした。



 一 『メンテナーと粗大ゴミ』



 真夏の昼下がりを汗ひとつかかず、少女が自転車を漕いで行く。



■ ■ ■



「――暑い」
 対して、青年はへばっていた。
 グレーの作業着を着て、傍らにはボストンバッグを置いている。短く刈り上げた髪の下の目付きは少しばかり悪かったが、精悍な顔立ちと体つきであった。ただし、今は顔に疲労の色が浮かんでいる。
「悪いね。省エネで切ってあるんだわ、クーラー」
 青年に応対している老人がさらりとそう言った。
 町役場。ローカル線の終点駅から徒歩五分で着けるここは、役場の職員を除いて青年しかいなかった。役場の入り口付近には、値札の付いていない野菜の入った籠と貯金箱、それに小さな御神輿が置かれている。
「で、なんだっけか」
 と老人――この町役場の職員が訊くと、
「だから、道を教えて欲しい」
 そう言って、青年は四つ折りにした紙を差し出した。老職員は、それを丁寧に広げて視線を落とす。そこには、彼にとって見慣れた住所がプリントアウトされていた。
「なんで、また――」
 と、老職員が訊き終わる前に、青年は作業着の胸の部分を指さしてみせた。それを真っ当に見て、老職員の眉がほうと上る。
 作業着の胸につけられていたのものは、金属製とおぼしき歯車を象った土台に、Mの字、そして横一文字にスパナが置かれたバッジであった。
 さらにとばかりに、青年はズボンのポケットからパスケースを取り出すと、そこに収められている物を老職員に見せる。
「ああ……なるほどね。仕事か」
 そこにある内容を読み取って、老職員は納得したように頷く。そして青年が頷いたのを横目に見た後、事務机にあるメモ帳から一ページ破り取り、何かを描き始めた。
「……久々だな。そのバッジを見るのも」
「――長いか」
「長い」
 ペンを収めて、メモ用紙を渡しながら老職員は答える。
「とりあえず、これがあれば大丈夫だろう。それにしても、駅前に交番が無かったか?」
「見回りか何かで無人だった。それに他にも色々訊きたいことがあってな」
「というと?」
「今晩泊まる宿を探している」
「この町には、民宿はないな……もちろん、ホテルもない」
「マジか」
「観光名所になりそうなものがなくてな」
 そう言いつつ、老職員は引き出しから便箋を取り出した。そして再びペンを取り、何かをしたため始める。
「だがまあ、これで何とかなるだろう」
「助かる。後……」
「まだあるのか?」
「これが最後だ」
 そう言って、青年はいったん言葉を句切る。老職員が次の言葉を待っていると、青年はふた息ほど時間をおいて、
「その、小さい仕事はないか? 修理、解体、なんでもいい」
「仕事? なんでまた」
 助役が訊くと、青年は恥ずかしそうに、
「この仕事が終わるまでの滞在費がその……危ないんだ」
 と言って、がっくりとうなだれた。



 お前さんは運が良い。そんな老職員の言葉を受けて、青年は町役場を後にした。手には最初に渡されたメモ用紙と、封筒に収められた便箋が一通。
 こいつを渡せば、目の前の問題は全部解決するだろうよ。
 そう言われて渡された封筒は、青年の目的地にいる人物に渡せば良いらしい。良いらしいのだが……、
「『家の人に渡せ』って言われてもな……」
 それで問題の何が解決するのか、さっぱりわからない青年である。
「おまけに、もうひとつ聞き忘れてた……」
 メモと青年が持ってきたプリント用紙、そして封筒の宛て名。それぞれに色々な修飾語が付いているが、共通している単語はひとつある。
 風合瀬。
「なんて読むんだ……これ」
 メモ用紙に描かれた地図には、目的地に矢印で『風合瀬邸』と書かれているし、青年のプリント用紙には簡潔に風合瀬という単語と住所。そして、封筒の宛て名には風合瀬様、とある。
「かぜあうせ? いや、ふうごうせ?」
 無理やり読み上げながら、青年は地図通りに歩を進める。
 ここから既に見える、海へと至る長く緩やかな下り坂の途中で、郵便ポストを目印に左に曲がり、再び坂を上がることになっている。
 しかし、青年は足を止めた。
 目印の郵便ポストの真向かい、粗大ゴミ置き場とおぼしき場所に自転車が止めてある。そしてその傍らには、その自転車の持ち主とおぼしき女生徒がしゃがみこんでいた。
 長い栗色の髪が、陽光を綺麗に反射している。
「んん?」
 ふと違和感を憶えて、青年は目を凝らす。
 最初、女生徒がゴミを捨てているように見えたのだ。だが、違う。
 彼女は、ガラクタを慎重に見定めると、それを自転車の前輪の上に据えられたカゴに入れているようであった。粗大ゴミなので本来小さいものはないはずだが、既に二、三点ほどの小さなガラクタと、日に焼けたカセットプレイヤーがカゴに収まっている。
「おいおい、なんだって……」
 そうこうしているうちに、女生徒は目当てのものを見つけたらしい。何かを持ち上げるようにゆっくりと立ち上がり――同時に青年の視線に気付いたのか、後ろを振り返った。
 青年は慌てて目をそらそうとし、
「わっ」
 彼女の片膝の力が急に抜け、バランスを崩しかけるのを視界の隅に収めた。
「おいっ」
 思わず飛び出し、その肩を掴む青年。伸ばした右手にかかる体重を巧みに受け流し、ふたりとも倒れないようにしつつ体勢を立て直す。
「大丈夫か?」
「す、すみません。大丈夫です」
 それが幸いして、女生徒は均衡を取り戻していた。どうも、両手に持った大きなデスクランプがバランスを崩した要因らしい。
「これ、後ろの荷台にくくり付ければ良いのか?」
 自転車とランプを交互に指さしながら、青年は尋ねる。
「あ、はい」
 女生徒が頷いたのを確認して、青年はデスクランプを借り受け、それを自転車の荷台に付いていた紐を使って丁寧に括り付けた。
「ありがとうございます。何から何まで」
「気にするな。それより――」
 荷台の横に括り付けたランプがぐらつかないことを確認してから、青年は女生徒と向き合う。
「あんた、学生か?」
「あ――はい。そうですけど」
 しばし絶句する青年を、女生徒は不思議そうな目で見る。学生服を着ているのにと、いった感じであったが青年はそれを受け流し、
「何をやっていたんだ?」
 単刀直入に訊く。
「え? あ……」
 照れくさそうに、彼女は笑った。
「あの、直せそうな機械を、拾っていたんです」
「……お前が?」
「はい」
 何の屈託もなく返事をする女生徒を、しげしげと見つめる青年。
「ふぅん……」
「本当にありがとうございました。それでは……」
 そう言って女生徒は深くお辞儀をし――頭を上げたところで目を丸くした。
「あの、そのバッジって――もしかして『アイアンギア?』」
 そう言って、青年の胸にあるバッジを指さす。金属製とおぼしき歯車を象った土台に、Mの字。そして横一文字にスパナが置かれた――先ほど老職人に見せた、バッジである。
「ああ、そうだが……。よく知っているな」
「ということは……メンテナー?」
 女生徒の問いかけに、青年は頷いて答える。
「すごい。ロボットのお医者さんじゃないですか」
「この国の呼び方では、自律人型機械だ」
 と、青年。
 メンテナー。それは女生徒が言った通り、人型ロボットである自律人型機械の修理・点検を専門とする技術者である。
 ……話は、二〇四五に発布され二〇四七年に施行された『自律人型機械に関する製造者・所有者責任法』の制定から始まる。
 この法律、通称人型法は、そのころから製造が開始された自律人型機械に対する初歩的な人権の付与であると、当時からその道の研究者達に絶賛され、巷でも話題になったものであるが、これにより自律人型機械の所有者は自らが持つ人型機械に対して勝手に捨てたり、整備を怠ってはいけなくなってしまった。しかし、所有者――つまりは一般ユーザーに、自律人型機械の整備点検は手に余る。
 そこで生まれた職種が、女生徒の言う、『ロボットのお医者さん』ことメンテナーである。
 彼ら(あるいは彼女ら)は、自律人型機械の整備状況を確かめ、それをメーカーに報告、場合によっては自らによる簡易整備を、さらに状況が悪い場合はメーカーへ連絡し、オーバーホールを行って貰うよう依頼が出来る立場にある。一応エンジニアと自律人型機械の仲立ちを務める立場にあるが、場合によっては緊急修理を行えるほど、彼らの持つ技量と知識は高い。
 なお、これは国家資格であり、取得すると免許とその身分を表すバッジ、通称『アイアンギア』が授与される。女生徒が指さし、青年の胸にあるのがそれであった。
「それじゃ、この町にはお仕事に?」
 道路の向かい側にある郵便ポストを目印に左に曲がり、再び坂を上がりながら、女生徒は訊く。
「ああ」
 肩のボストンバッグを掛け直しながら青年はそう答えた。
「とうことは、ロボ――自律人型機械の様子を診に来たんですよね?」
「そういうことになるな」
「わたし、まだ見たことないんです」
「この町に一台――いや、ひとりいるはずだ」
 と、青年。
「俺は、その情報を頼りにここまで来たんだからな」
「そうだったんですか……会ってみたいなぁ」
「――会えるといいな」
 ふたりで歩きながらそんな話をしていると、女生徒はいまさら思いついたように、
「ところで、なんでわたしと一緒に歩いているんですか?」
 と訊いてきた。
「そりゃあ、この先に用事があるからだ」
 念のため、町役場でもらった地図に目を落とす青年。付近の様子からいって、道を間違えた様子はない。
「でも、この先って――」
 困惑したように、女生徒。いつの間にか坂が終わり、後は一本道である。坂の時には左右にあった塀もなく、あるのは生い茂る雑草と電柱と、その上にかかった電線。そして行く先には、夏の日差しに照らされた平屋造りの大きな家が小さく見えた。道は、そこからさらに曲がって続いていたが、少しも行かないうちに雑草の中に埋もれている。
「わたしの家しかないですよ?」
「そのよう、だな」
 もう一度地図を確認しつつ、青年。建物の古さを見て一瞬何かの間違いかと思ったが、地図上に描かれた場所と寸分狂わず、その家は鎮座ましまして居る。
「家に用事があるんですか?」
「正確には家の人、だ」
「じゃあ、わたしですね」
「……は?」
 青年は、足を止めた。ややあって、女生徒も歩みを止める。
「だって、この家わたししか住んでいませんから」
「な――」
「?」
 再び絶句して目を瞬かせる青年を、女生徒も再び不思議そうに見上げる。ただし、今度は驚くのも当たり前かも、と自分でも納得している様子であった。
「オ――家の人はいないのか?」
「両親とはずっと前に死別しました。その後叔父に預かってもらって――その叔父も、少し前に」
「――すまん。悪いことを訊いた」
「いえ、いいんです」
 多少トーンが落ちた声を聞いて、青年は彼女がその叔父と別離を迎えて、まだ時が経って居ないと推測した。同時に、そんな類推をする自分に軽い嫌悪感を覚える。
「……その間、ずっとひとりなのか?」
「はい、そうですね」
「そうか……大変だな」
「いえ、そんなこと無いですよ」
 そう言って、女生徒は再び歩き出す。青年も、一歩遅れてついていった。
「そう言えば、お前――ええと」
 きょとんとする女生徒。だがすぐ、何かに気付いたかのように、
「自己紹介がまだでした。風合瀬想夏。想う夏と書いて想夏です」
「――そうか」
「……言うと思いました。絶対言うと思いました」
 素で出た言葉であったが、青年は、女生徒――想夏の膨れっ面が面白いので訂正をしないことにした。
「そういや、俺も名乗ってなかったな。俺は……」
 青年も、名前を名乗った。
「出来れば、メンテナーと呼んでほしい」
 と、青年改めメンテナー。
「はい、メンテナーさんですね」
 と想夏。
「それで、なんでわたしの家に?」
 と、なおも首を傾げる彼女に、メンテナーは言葉を詰まらせた。
「こ、これをだな……」
 そう言って、あの便箋の入った封筒を差し出す。想夏はそれを受け取って宛て名を確認し――、
「あ、この筆跡はわかります。市村さんからのものですね」
「――知り合いか?」
「はい。わたしがここにひとりで暮らすことになった時、お世話になりました」
「へぇ……あのじーさん、市村っていうのか……」
「じーさんって……あの人、この街の助役ですよ?」
「助役!?」
 思わず聞き返すメンテナー。彼は政治に疎い方だが、それでも助役という職分が町長の補佐、必要によって代理と……かなり高いものであることを知っていたからだ。
「じょ、助役がなんで窓口に――」
「暇な時は現場に出るのが一番だって、前に仰っしゃっていました」
 と、想夏。既に封筒の封を破り、器用にも片手で自転車を押しながら歩き、中の便箋を読み始めている。そして読み進めていくうちにどんどん嬉しそうな貌になって、
「なるほどなるほど。大体はわかりました」
 そう言って助役の手紙を丁寧に畳むと、
「メンテナーさんは仕事が無くて」
「ぐ」
「この町の自律人型機械を探しに来たんですけど、旅費が尽きて、泊まるところもなく」
「ぐ」
「それで、宿泊と引き替えに簡単な修理なら引き受けてくださるってことですね! 任せてください。わたしの家、部屋だけは結構あるんですっ」
「ぐぅ……」
 胸を叩いて快諾する想夏。そんな彼女に、メンテナーは呻くことしか出来ない。
「あの、メンテナーさん?」
「くそ、あのじーさん……」
 思わず天を見上げてしまう。白い入道雲が、目に眩しかった。
「メンテナーさん?」
「あ、いや、なんでもない……」
「バッグ、持ちましょうか?」
「いや、いい……第一、お前は自転車押してるだろ……」
 それほど蹌踉けてしまったらしい。だが、助役の便箋に書かれていたことは概ね事実だったため、反論したくても出来ないメンテナーであった。
「はい、着きました」
 想夏が立ち止まり、スカートのポケットから鍵を取り出す。想夏の住む家は、家が大きい割に塀は低く、しかも門が付いていなかった。メンテナーは何気なく、表札を覗き込む。
 そこには、『風合瀬』と書いてあった。
「……なんて読むんだ、これ」
「だから、『かそせ』です」
 玄関を開けつつ自分を指さして、想夏。
「……あー、なるほど」
「わたしの名字、どんな字だと思っていたんですか?」
「いや、どんな字かなとずっと思っていたんだ」
 瀬はそのままで、風は『か』、合は『そ』って読めば良かったんだな。とメンテナーが続けると、
「――なるほど」
 なぞなぞを解いてもらった子供のように、想夏は頷いた。
「自転車と荷物を片付けてきますから、先に居間に上がってください。廊下を進んで襖が開いているところがそうです」
「ああ……」
 何か不用心だな……そう思いながら、メンテナーは玄関を跨ぐ。
「あ、あとそれと」
「それと?」
 思わず振り返ると、想夏は嬉しそうに、
「ようこそ、わたしの家へ」
 そう言って、自転車を押し裏へ回っていった。



 綺麗に整理整頓された畳敷きの居間で荷物を置き、大きなちゃぶ台の前で所在無げに座っていると、玄関から入って来た想夏に客間へと案内された。
「この部屋を使ってください」
 彼女にそう言われて通された客間は、それなりの広さをもつ一人部屋で、家具こそ少なかったものの綺麗に掃除されている。
「……いいのか? 勝手に使って」
 そうメンテナーが尋ねると、
「良いんです。いつも空いているから」
 と、想夏は笑って言った。
「もしかして、この家にある部屋、全部掃除しているのか?」
「はい。……だって、埃っぽいのって何か嫌じゃないですか」
「そりゃそうだが……」
 昼ドラの意地悪な姑よろしく、窓の桟を指で拭ってみる。
 埃ひとつ、付いていなかった。
「で? 滞在費代わりの俺の仕事ってのは、どこにある?」
「こっちです」
 スリッパをパタパタと鳴らして想夏が案内する。
 先程の居間に戻り、そこから庭に降りて(そのためのサンダルを想夏は既に用意していた。自転車を片付ける際に置いておいたらしい)、そしてすぐそばの物干し場から玄関の方へ向かう。母屋の角を回ってみると、そこに家の大きさに見合った洋風のガレージがあった。外から見る限り、車二台は停められそうある。
「――まさか、車の修理か?」
 もしそうなら重労働だと思いつつそう訊くメンテナーに、想夏は首を横に振って、ガレージの鍵を解いた。
「よ――いしょっと……」
 重そうなスライドドアを重そうに開けるので、途中でメンテナー自身が開ける役を買って出る。
「よっと……」
 それ自体やベアリングが錆付いている訳でもないのに、妙に重い扉を開けると――、
「お前、これ……」
 メンテナーの視界に飛び込んできたのは、数え切れないくらいの機械の類だった。
 ある物は整然と壁に設えられた棚に並べられ、またある物は段ボール箱にひとまとめにして置いてある。また、作業中とおぼしきものが、中央のテーブルに置かれていた。
「さっきのだけじゃなかったのか……」
「はい。趣味なんです、実は」
 と、照れくさそうに想夏が言う。
「なんというか……すごいな」
 棚から順番に見て行くと、ラジオや時計に模型、それに玩具などが並んでいる。次に段ボール箱を見てみると、こちらにはある程度損壊しているガラクタが詰まっていた。しかも、損壊の程度によって段ボール毎に分けてある。
 ふと作業台と思しきテーブルを見ると、傍らには先程のカセットプレイヤーやデスクランプが置かれていた。
「気に入ったものがあったら、持って行ってあげてください」
 と、想夏。
「いや、今はいい。それより、どれくらいのペースで直しているんだ?」
「そうですね……ものによって違うんですけど、大体一週間に一個位です」
 思ったより早いな。メンテナーはそう思う。
「そのうち溢れるぞ。棚の上」
「わたしもそれをちょっと心配しているんです。だから時々市村さんにお願いして、町役場に置いてもらったりするんですけど……」
 減っていく数より、増えていく数の方が多いんです、と想夏は付け加えた。
「なるほど……俺はこいつらの修理を手伝えば良い訳だな。で、どれを修理すればいいんだ?」
「左から三番目以降の箱に入っているものを、お願いできますか?」
 と、想夏。なるほど、その段ボール以降から、機械というよりガラクタになっており、その損壊率が酷くなっている。おそらく、一番目と二番目は想夏自身で直せるレベルなのだろう。
「あ、全部でなくて良いですから。特に五番目は……」
「――そのようだな」
 五番目は、ガタクタというより壊れた補充用部品と言った方が近いものが収められていた。メンテナーは頭の中で、それらをジャンクパーツとふるい分ける。
「四番目から多分、二個一、もしくは三個一になると思う」
 四番目に戻って、段ボールの中身を確認しながら、メンテナー。
「にこいち? さんこいち?」
「……壊れたものふたつを、動かせるものひとつにまとめることだよ」
「え――。ひとつで、直せませんか?」
「無理だ」
 短くそう断言しながら、メンテナーは五番目の段ボール箱から汎用バッテリーを一個引っ張り出した。
「例えばこれ。この形式の部品はもう無いし、この家にもストックは無いだろう。多少無茶して他のバッテリーを無理やり突っ込めばどうにかなるかもしれないが、そのためには原型を変える必要がある。わかるか?」
 教師のように指を立ててそう言うメンテナーに、想夏は納得したように頷く。
「……そうですね。じゃあ、それでお願いします」
 そう言っていたが、少し哀し気な声だった。
「直せないと、辛いか?」
「いえ、そういう訳じゃないですけど、――その、拾ってしまって悪かったかなって……」
「悪くはないだろ。さっき二個一と言ったやつ、一個じゃ直せなかたんだからな」
「あ……、そうですね」
「そういうことだ。で、これが最後の箱と――ん?」
 箱ではなかった。
 洗濯機である。
「なんでこんなものを……というか、どうやって持って帰ったんだ?」
「友達と一緒に皆で運びました」
「ああ、なるほど――って、直せると思ったのか?」
「その時はそう思ったんです……」
 恥ずかしそうに言う想夏。
「とりあえず、直せるようならやっておこう……そうだ。工具は俺のを使うとして、ネジ類はどこにある?」
「ネジは作業台の下にいくつか厚紙の小さな箱があります。そこに各種揃っていると思いますから使ってください」
 なるほど、作業台――真ん中に置いてあるテーブル――の下を覗いてみると、脚の陰に隠れるように想夏が言っていたものが置いてあった。
「よし、これで大体は揃っているな……。それで、俺は修理を始めるが、お前は?」
「そうですね、出来れば一緒に直したいところですけど、そろそろ時間ですから夕飯の準備してきます」
「わかった」
「出来上がったら、呼びますね」
「ああ」
「それでは――あ」
 想夏が立ち止まる。
「どうした?」
「急に、耳鳴りがして」
 そう言い終わる前に、メンテナーは両手を想夏の耳に当てていた。
「音、変わったか?
「……? いいえ」
 一瞬身じろぎしたものの、すぐに大人しくなる想夏。
「それじゃ、この音か?」
 両手を離し、ズボンのポケットから引っ張り出した携帯端末で、何かを操作する。やがて、少し高めのブザー音が鳴り響いた。
「あ、そうです。そんな感じです」
 まさにそれと言わんばかりに小刻みに頷く想夏に、メンテナーは腕を組んで長めに息を吐くと、
「なるほどな。――疲労だ」
「え?」
「今日一日は鳴り続けるだろう。しばらく、派手な運動は控えるんだな」
「そうですか……」
 申し訳無さそうに、想夏。だが、すぐに表情が変わって、
「それにしても、お医者さんみたいですね」
「……あぁまあ、自律人型機械の中には、人間と同じ症状を起こす奴もいるからな。だから症状が似ていると、ある程度は対処できる」
「なるほど……すごいです」
「そうでもないさ」
 そう言って携帯端末をしまい、メンテナーは修理作業に取り掛かった。三番目の段ボールからいくつかの機械を取りだし、作業台に並べ始める。
「ありがとうございました。それでは、夕飯まで待っていてくださいね」
 メンテナーの背中にそう言って、想夏は重そうにガレージの扉を閉めた。



 ――翌日。
「説明して貰おうか」
「ん?」
「どういうことだありゃあ!?」
 翌日朝の町役場、昨日と同じく職員がひとりしかいない窓口。普段着で昨日のことを捲し立てるメンテナーを前に、老職員――助役は置かれた湯飲みを傾けながら、
「見たまんまだ」
 と答えた。
「見たまんまって、まさかと思うが……」
 苦虫を噛み潰したような顔で黙り込むメンテナー。Tシャツにジーンズというその格好は、随分と彼を若く見せる。
「お前さんが来る前からずっと続いていたが、どうかしたか?」
 なんでもないようにそう言う助役に、何か言ってやろうとメンテナーは思ったが、即座に言葉が浮かばない。
「……アレは、まずいぞ」
 ややあって、絞り出すようにそう言う。
「――だろうな」
 こちらは口調を変えずに、助役。
「そもそも、あいつは今までどうやって生活して来たんだ?」
「想夏嬢ちゃんが言ってる叔父ってのは、俺のダチでもあってな。奴は結構な資産家だった。ただまぁ身寄が無くてな……そんなこんなで、今は俺が仕送りという形で財産管理をしているわけよ」
「待ってくれ。その、あんたのダチってのはまさか相続をあんた経由で――」
「皆まで言うな。その通りだからな」
 今の法整備じゃそれが限界だろ、と助役。そして、窓口から静かにメンテナーを見上げる。
「で、どうする」
「どうするって――」
「代わりの人間、呼ぶか? ちょうど全国一斉労働争議ん時の過激派アジト解体の仕事があるから、そいつを手伝ってくれりゃあ交通費くらいはこっちから出せるが」
 そんな助役の言葉に、メンテナーは一瞬だけ俯いたが、すぐに顔を上げると、
「……いや、いらん。俺はメンテナーだ。まず自分の仕事をやる」
 はっきりと、そう言った。
「すまん」
 入れ替わるように、助役が頭を下げる。
「頭を上げてくれ。仕事をする度に頭を下げられちゃこっちが困る」
 そう言って、窓口に背を向けるメンテナー。
「だけど期待はしないでくれ。今の状態じゃ結果は――何とも言えない」
 そう言って町役場から去るメンテナーを、助役は頭を下げたまま見送った。やがて頭を上げ、誰にも聞き取れないほどの声で静かに呟く。
「頼んだぞ。お前さんなら……嬢ちゃんを――」
 勿論、返事は返ってこなかった。



 二 『メンテナーと夏に咲く花たち』



 メンテナーが想夏の家に厄介となって、三日目。この日も昨日に引き続き、綺麗に晴れていて、暑かった。
 想夏から申し出があったのはその朝のことである。
「メンテナーさん、この町にいる間はなんでも良いから仕事が欲しいって言ってましたよね」
 朝起きて、顔を洗った後食卓に着き、作ってもらった朝食を食べようと思ったところで、メンテナーは彼女にそう言われた。
「ああ、まぁそうだが」
 一度箸を置き、ガレージの機械を直すだけじゃ、なんだか悪いからな、とメンテナーは頷く。
「学校はどうでしょう」
「学校?」
 思わずそう聞き返す。
「はい。用務員さんでも直せない機械とかがあるんです」
「で……?」
「それを直せば、メンテナーさんの収入になります」
「そりゃそうだが……」
「はい。わたし、先生に掛け合ってみます」
「まだ良いとも悪いとも……」
「メンテナーさん」
「?」
 ぐっと顔を近づけて想夏は言う。
「うちの学校、文化祭とかの予算がすごいそうですから、修理の報酬もすごいですよ。きっと」
「――よし、行こう」
 そうとなれば是非も無かった。



「そういえばお前、学年は?」
「――あ、言ってませんでしたね。一年です」
 そんな話をしながら家の前の坂を下り、ポストのところで海側に曲がってさらに進むと、古びた鉄筋コンクリートの校舎が見えてくる。
「意外と近いんだな。お前の家から」
「はい、お陰で寝坊してもどうにかなることが多いです」
 あまり自慢するような事ではない気がしたが、胸を張っている想夏に対しメンテナーはふむと頷くと、
「寝坊――ね。お前、ここ最近良くやるだろう」
 ぴくりと、想夏の頬が一瞬引きつった。
「う……、なんでわかったんですか?」
「始めて会った日の夕方、耳鳴りに悩んでたろ。耳鳴りの元は疲労、疲労の元は大抵、睡眠不足が原因だ」
「な、なるほど」
 腕を組んでそう説明するメンテナーの話に納得し、想夏は頷く。
「で? 夜更かしの理由はなんだ?」
「いえ、特にそういうことはしていないんですけど……ただ、最近はよく寝ているはずなのに眠気がひどい時があって」
 やっぱり疲労でしょうか? と訊く想夏に、メンテナーは腕を組んで、
「枕が悪いのかもな。今度ベッド見せてくれ」
「え、ええ、えええ!?」
 途端、赤面する想夏。
「じょ、冗談ですよね?」
「いや、いたって本気だが」
「それだともっと困ります……」
「何を想像しているんだ、何を」
 押し黙ってしまう想夏を呆れたように言うメンテナーだが、あまり成人男子のすることでないことに気付いたらしい。彼は咳払いをひとつすると刈り上がった頭を掻いて、
「それより、お前、その鞄は何なんだ?」
 思いきり話題を変えてきた。
「あ、はい。友達との約束で色々入れてきたんです」
 こちらはまだ少し顔が赤かったが、鞄を軽く揺らして答える想夏。学校指定とおぼしき、スポーツバッグである。学校指定と言えば、彼女は一昨日終業式だったにもかかわらず制服を着ていた。曰く校則により、登校する時は夏休み中でも制服着用を義務付けられているらしい。
「色々って、何が入っているんだ」
「えと、お弁当とか――あ、もちろんメンテナーさんの分もありますよ? 後はみず……あ!」
 想夏が、急に手を大きく振った。メンテナーは彼女の視線の先を追ってみる。
 そこには、校門を背にふたりの少女がいた。背の低い方が大きく、背の高い方が小刻みに手を振り返している。
「あれが友達か」
「はいっ」
 嬉しそうに、想夏が頷く。
 校門の少女たちは手を振るのを止め――うち、背の低い方の少女がこちらに駆け寄って来る。
「ごめん、待った?」
「ううん、ぜーんぜん!」
 想夏の問いに、駆け寄ってきた少女がそう答えた。肩の辺りで切っている短い髪が、風と彼女のステップの余韻で軽く揺れる。
「でも珍しいね。いつもは早すぎるくらいの想夏がぎりぎりに来るなんて」
「お弁当をふたり分作ったら、思ったより時間がかかちゃって」
「なる。で、なんでふたり分? っていうかいつもの自転車は?」
「え――、あ、そうか。あのね、今うちに住み込みで、わたしが拾った機械を直してくれる人がいるの。メンテナーさん」
 そう言って、メンテナーを紹介する想夏。
「メンテナーさん、この子がわたしの友達の真昼です」
「あ、ああ……」
 申し訳程度に、頭を下げるメンテナー。すると背の低い少女――真昼は、今になってやっと大きな目をぱちくりさせ、
「うわっ、時雨見て! 想夏がオトコ連れてるっ!」
「…………連れてますね」
 いつの間にかこちらに来ていた背が高い方の少女――真昼は時雨と言っていた――が淡々と同意する。想夏より長い髪を緩やかなウェーブにしており、端から見て暑そうだが、本人はあまりそう感じていないようであった。
「でも真昼、今まで気付かなかったんですか?」
「だって、想夏が、オトコだよ!?」
「うー……それじゃまるでわたしが男の人って存在を知らないで育ったみたい……」
「いや、そういう訳じゃないんだよ? 免疫ゼロだとは思っていたけど」
「それは、否定しないけど……」
「どっちだって良いです」
 なんというか、一目でわかるドタバタトリオだった。
 想夏と同じ学校の制服を着ているのだが、三者三様で、エネルギーが空回り気味の真昼、我関せずの時雨、そしてそのふたりのフォローに回るというか、振り回される想夏と、雰囲気が大分異なる。
 変わった三人組だな。と、メンテナーが思っていると、
「で、名前は?」
 そう訊いてきた真昼と時雨の視線が、こちらの方に向いた。
「人に名前を訊く時は――」
「アタシは新田真昼。こっちは音無時雨。で、名前は?」
 一瞬の隙さえも見せず真昼。警戒されているな、俺。そう思いつつ、メンテナーは自分の名を名乗った。
「できればメンテナーと呼んでほしい」
「長い名前だねぇ。良く他の人に言われない?」
「人の話を聞け……」
「あ、そーだ。めんどくさいから縮めてソーローって呼んで良い?」
「……ひとつ、良いことを教えてやる」
「何かな?」
「メンテナーってのが何なのかは知っているか?」
「そりゃまあ、少しぐらいは。で?」
「あるタイプの自律人型機械は、人間と骨格が酷似していてな……」
 ニッと笑いつつ、グッと真昼の肩を掴むメンテナー。
「全く同じ手順で、外せるんだよ。関節」
「わっわっ、ちょ、ちょっとタンマ! 謝る、謝るからっ」
 みしみしと真昼の肩甲骨が軋みだすが、メンテナーは手を放さない。
「多々良社のMCR4『モリー』でしたか。骨格が似ている上に外れやすいと聞きましたが」
 じたばたする真昼を尻目に時雨がそう訊く。
「その通りだ。よく知っているな」
 マジで外れる〜、と真昼が叫んだところで手を放しながら、メンテナーはそう言った。
「ところで想夏」
「あ、はい」
「三人集まって、なにしようとしたんだ?」
 蚊帳の外気味だった彼女にそう訊く。
「それはですね、夏休み前にみんなでプールに行こうって決めていたんです」
「海が近いのに?」
「砂浜がほとんど無いんだよ。それにシャワーとか設備整って無いし」
 と、掴まれていた肩を回しながら、真昼が口を挟む。
「他にも色々無いんけど、プールならあるからね」
「……なるほどな」
「ただ、そのプールにも今問題があってねえ……」
「え? なにかあったの?」
 腕を組んでそう言う真昼に、想夏が心配そうに訊く。すると彼女はたいして深刻そうでもなく首をこきこきと動かし、
「いや、似たようなことを考えていている生徒が結構多くて、更衣室ほとんど埋まっちゃっててさ。ほら、うちらのプール広いのは良いけど更衣室狭いじゃん?」
「え……じゃあ教室、かなあ。でもあそこ出入り自由だから――」
「私に良い考えがあります」
 と、挙手して時雨。
「その人――メンテナーに見張ってもらいましょう」



「なるほど、確かに良い考えだ……」
 教室の扉に背を預けて座り込み、メンテナーは呟いた。
 要するに、見張りである。
「目ぇ離してないね〜?」
 と、扉越しに真昼の声が響く。
「ああ」
「衣擦れの音聞いて、興奮しないでよ?」
「するかっ」
 不覚にも一瞬だけ耳をすませてしまったため、思わず叫んでしまう。すると、ややあって不思議そうな声で想夏が、
「しないんですか?」
「当たり前だっ」
 わかっていたのだが、それでも再び叫ばずにいられないメンテナー。すると今度は、真昼が声に悪戯心をたっぷりと織り混ぜて、
「あ――、今アタシら全員パンツはいてないからね。入ったら死刑」
「んなこと一々言うなっ!」
「想像したでしょ」
「してない。断じてしてないぞっ」
 嘘である。
「にしても想夏って――えてないよね」
「そういうこと言わないで、聞こえちゃう! 聞こえてませんよね? メンテナーさん!」
「……いや、聞こえちゃいるが、興味ないから気にするな」
「オーケイ、そういうことなら続きを話そーね。まず――」
 すぐさま想夏が真昼の口を押さえにかかったらしい。ふがふがという声とドタバタ動く足音が交じる。
「――そんな格好で暴れると丸見えですよ、ふたりとも」
「もが……時雨だって丸見えじゃん」
「減るものじゃありませんから」
「だからって仁王立ちはどうかと思うよ? 時雨……。あ、メンテナーさん、今の聞こえてませんよね!?」
「あ、あぁ……」
 もう遅い。
「ところでメンテナー、想夏の身体に興味が無いようですが」
「そうだな」
「メンテナーさん、断言するとなんか悲しいですっ。それと時雨、それ女の子のする質問じゃないよっ」
 ひとりいっぱいいっぱいな想夏の抗議など何処に吹く風と言った様子で、時雨は確認するように、
「本当に興味ないんですか?」
「特にはないが」
「そうですか……」
 どこか警戒するような口調の、時雨の声。
「……もしかして、ボーイズラブ?」
「なんでだぁっ!」
 今までで一番でかい、メンテナーの絶叫が木霊した。
 そもそも、ボーイとか言われる齢ではない。



 ……そんなささやかなやり取りの後揃ってプールに出てみると、それ自体は、メンテナーが思っていたほどに混んではいなかった。流石にストレートに泳ぐ訳には行かないものの、身体を水に浮かせられないほどでもない。
 そんな中を、真昼は人をかいくぐって泳ぎ始め、時雨はいつの間にか用意していたシュノーケルで潜水し、想夏がそれにつき合っていた。そして、その様子をメンテナーは三人の荷物を見張りつつプールサイドから眺めている格好になる。
「泳がないの? メンテナー」
 プールから上がり、耳に入った水を叩き落としながらこちらに来た真昼が訊く。
「正直涼みたいが、水着持ってきてなくてな」
「貸してあげようか?」
「何で持ってんだよっ!?」
「冗談冗談」
 笑いながら、隣に座る真昼。
「それでさ、メンテナーは何でこの町に?」
「最近定期整備を受けていない、自律人型機械を探しに」
「見つかった?」
「ああ」
 潜水していた想夏が水面に戻ってきた。手に、消毒に使う塩素の固まりを持っている。
「……状態は、どう?」
 楽しそうに手を振る想夏に手を振り返しながら、真昼はそう訊いた。
「かなり悪い……と思う」
「――と思うって、なに?」
「整備の診断は、本人に整備を受けるという自覚がないとできない。想像してみろ。頭の中に、診断プログラム流し込むんだぞ?」
「……そりゃ、無理だね」
「ああ、無理だ」
 時雨が水面に戻ってきた。手に、何故か男性用の水着を持っている。数秒後、プールの一角で男子生徒の悲鳴が上がった。
「――なにをやっとるんだ、あいつは」
「あー、時雨は時雨だし。多分、脱がしたんじゃなくて落ちてたの拾ったんでしょ」
 のほほんと答える真昼。
「で、どうするの?」
「ベッドを調べる」
 悲鳴の上がった方向へ男性水着を片手にプールの中を歩く時雨と、それに付き添う想夏を目で追いながら、メンテナー。
「自律人型機械のベッドは、言ってみりゃ巨大な充電ドックだ。そこにある程度身体の様子が記録されているはずだから、そこから情報を洗うことになるだろう」
「そうなんだ。で、その後は?」
「わからん。そこで得た情報を見てから決める」
「そう……」
 そう呟いて、真昼は空を見上げた。メンテナーも同じく、天を仰ぐ。刺すような陽光を振り撒く空には入道雲が浮かんでおり、それを斜めに切り裂くように、極音速旅客機の飛行機雲が白い尾を伸ばしつつあった。高空を飛んでいるためか、騒音はそれほど聞こえない。
「こっちからも、質問していいか?」
 その姿勢からごろりと横になった真昼に、メンテナーが問う。そして、どうぞどうぞと招き猫のように右手を動かす彼女を確認した後、
「想夏のこと、何処まで知ってる?」
 と訊いた。
「アタシらで、知ることが出来る範囲までかな? さっき訊いた範囲って意味なんだけど」
「なるほどな……それを知った上で友達、か」
「友達じゃないよ」
「ん?」
 並んで床に転がったメンテナーに、真昼は一拍呼吸を置くと、
「――親友」
「そうか……」
 自然、頬が緩む。
「なに? おかしい?」
 柳眉を吊り上げる真昼を、メンテナーは片手で制止ながら、
「いや――嬉しくてな。彼女の言う叔父ならともかく、同世代からあんなに仲良くしてもらっているの、初めて見たから」
「そうなんだ。どこでも一緒だと思ってたよ」
「いつかそうなってくれることを祈っているよ」
 そう言って、メンテナーは体を起こした。
「ここからは単刀直入に言おう。現状は、かなりやばい」
 真昼は、何も言わなかった。
「本来一年ごとに診るべき整備が、四年以上滞っている。どこがどうなっているのか、あまり想像したくない状態だ」
 真昼がしっかりと聞いているのを確認して、メンテナーはあまり言いたくないことを口に出した。
「少なくとも、聴音感覚に異常が見受けられる。感覚系ってのは駆動系よりずっと丈夫に出来ているから、他に不都合な部分もあるだろう」
「膝」
 コンクリートの床から起き上がり、体育座りになって、真昼。
「え?」
「最近膝を痛めやすくなってる」
「やっぱりな――本人は何だって?」
「運動不足が祟っちゃったって」
「なるほどな――自覚が無いとは困ったもんだ」
「何の自覚ですか?」
 時雨とともに、想夏が戻ってきていた。すこしぎくりとなる真昼を横目に、メンテナーは、
「見ず知らずの男を自宅に泊めてしまうお前の無防備さの話だ」
 と、躱してみせる。
「だって、メンテナーさんは、メンテナーじゃないですか」
「判断材料、それだけかよ……」
「それだけじゃ、ないですよ?」
「ほう? じゃあ、訊かせて貰おうか」
 真昼と時雨も注意を向けているのを感じながら、メンテナーは片方だけ、眉を上げてみせる。すると想夏は人差し指をぴっと立てて、
「見ればわかります。メンテナーさんはいい人です」
 と、宣言した。
「……お前ね」
 だぁと声を上げて、真昼が再び床に転がった。時雨は何も言わず、小さく肩を竦める。
「それより、お昼にしましょう」
 そう言って、想夏は自分のバッグから弁当の包みを取り出して、メンテナーに手渡した。



「いただきます」
 少女三人が唱和する。
「どうでもいいけど、水着のまま弁当食うなよ……」
 想夏が作ってくれた弁当に箸をつけつつ、ぼやくメンテナー。正直、目のやり場に困るのだが、口には出さないでいる。と、早くも自分の弁当を豪快に平らげようとしていた真昼がその作業を止めて、言いたいことは全てお見通しと言わんばかりに、
「ん、想夏って意外と胸大きいよね」
 途端、想夏が首にかけていたバスタオルを胸の前に引きずり下ろした。あまりに慌てていたのでそれまで持っていたミネラルウォーターのペットボトルが宙に飛び――時雨によって、何事も無かったかのようにキャッチされる。
「……確かに、背格好からすりゃ想夏はでかいがそれ以上に――」
 一瞬だけ、メンテナーの視線が想夏にペットボトルを渡す時雨に飛ぶ。
「本当に高校一年生か? ありゃ」
「背も高いけど、あっちはあっちで多分学校一の持ち主なんじゃない? 谷間あるし」
 そっと耳打ちするメンテナーに、同じくヒソヒソ声で真昼。
「そこ、聞こえてます」
 しかし、あまり意味が無かった。
「まぁ、いずれは追い抜いて見せるけどね」
 弁当を完全に片付けてから胸を張って真昼が言う。
 メンテナーは、真面目なのか悪ノリなのかひとりだけ『1−A にった』とかかれた大きなゼッケンを縫い付けてある真昼の胸の部分を見てしみじみと、
「そうなるといいな。おまえ胸、全然無いし」
 真昼はそれに笑って応え、
 次の瞬間、メンテナーを蹴飛ばしてプールに叩き込んでいた。



「作業着が完全防水で助かった……」
 携帯端末が確実に動くかどうか確認しながら、メンテナー。
「そこまで見通して、叩き落としたんだからね」
 と、制服に着替えた真昼がやや憮然としながら言う。彼女はどうも家が遠いらしく、スクーターを押していた。本人曰く、学校側からちゃんと許可をとっているからね、とのことである。
「それはさておき、今日は楽しかったです」
 と、時雨。
「うん、わたしも楽しかった」
 想夏が笑って答える。
「ほんじゃ、また今度ね、想夏」
 スターターを入れ、ヘルメットを被りながら、真昼は手を振った。
「近いうちに」
 それだけ言って、時雨が歩きだす。
「またねー」
 最後に想夏がそう言って、ふたりは家路を辿り始めた。
「――なんというか、変わった友達だな」
 身体を乾かす時に想夏から借りたタオルを首にかけたまま、メンテナーがそう言う。すると想夏はにっこり笑って、
「はい。でも素敵な友達です」
「……そうだな」
 メンテナーも深く頷く。
「ところでな」
「はい」
「何で俺、作業着を着ているんだっけか」
「え……? 何ででしたっけ」
 メンテナーは溜め息をつく。彼自身も忘れていたとは言え、想夏が忘れているようなら思い出させないといけない。
「お前がかけ合うって言っていた、俺の学校での仕事ってどうなったんだ?」
「あっ!」
 結局、今からでも間に合うと学校へ戻ろうとする想夏を、メンテナーは半時間ほどかけて説得することとなった。



 三 『メンテナーと勉強会と自律人型機械』



「なんだ、これ」
 想夏の家に厄介となって四日目、もう完全に日課となった想夏のガラクタ修理の時間に、メンテナーは奇妙なもの――ほこり除けのシートに覆われた木箱のようなもの――を見つけた。
「あ、それテルミンです」
 元はメンテナーが手伝う形だったのに、早くも立場が逆転し助手となっていた想夏がすぐさま答える。
「テルミンって……確か、世界初の電子楽器だっけか」
「はい」
 屈託無く頷く想夏を横目に、メンテナーは木箱――テルミンの筺体を一撫ですると、
「話には聞いていたが、初めて見た……」
 と呟いた。その間、視線はテルミンに釘付けである。
 そんなメンテナーを、想夏は同好の士を見つけたとき特有の期待に輝いた目で見つめ、
「なんだったら、弾いてみます?」
 と、訊いてきた。
「直っているのか? これ」
「元々、叔父の物でしたから」
 わたしがここに機械を集める前からあるんです、と想夏は言うと、テルミンの底の部分から電源コードを取り出し、手近なコンセントに差し込んだ。
 次いで、棚からスピーカーを一組持ってくるとテルミンに繋ぎ、最後に箱の基部からそれぞれ垂直、水平にアンテナを伸ばし、テルミン本体についていた電源スイッチを入れる。
「これで、準備完了です」
「そうなのかもしれないが……どうやって弾くんだ?」
「縦と横に伸びているアンテナの間に手をいれてください。縦のに近いと音が高くなって、横のに近いと大きくなります」
「わかった……」
 縦のアンテナと横のアンテナ。そのふたつが作るL字の真ん中に、メンテナーはそっと手を入れた。途端、ゆっくりと間延びした音が辺りに響き渡る。
「後は手を動かしてください。そうすれば、音がそのまま旋律になります」
「あ、ああ」
 想夏が言うと簡単そうに聞こえたが、そんな風には弾けなかった。一応ドレミぐらいは知っているメンテナーであったが、ちょっとでも手を動かすと、音はあらぬ方向へ飛んで行ってしまう。
「……難しいな」
 L字の空間から手を引き抜いて、メンテナー。同時に、鳴り響いていた音がぷっつりと消える。
「メンテナーさんも、練習すればできるようになりますよ」
 と、アンテナに触れないよう身体を屈めて、本体を撫でながら想夏がそう言う。
「じゃあ、お手本を頼む」
「は、はいっ」
 恥ずかしさ半分、うれしさ半分といった感じで、想夏が手をかざした。
 音は、先程メンテナーが初めて出したものと同じである。
 そこから、調律をするようにゆっくりと手を動かす。それに合わせて、スピーカーから響く音が、大きくなり、小さくなり、高くなり、低くなった。
「うん、佳い感じかな――何の曲にします?」
 手を引っ込めて、想夏が訊く。
「お前に任せるよ。正直、あまり音楽に詳しくないしな」
「わかりました。では、いきます」
「ああ」
 メンテナーが頷くと同時に、想夏は再び手をかざした。
 途端、先ほどまでの単調な音が、急に複雑な階調になった。
 何とも捕らえどころの無い電子音が、オペラの歌手が歌っているようにも聞こえ、高らかに響き渡るヴァイオリンの音にも聞こえ、熱帯に住む極彩色の鳥の甲高い鳴き声にも聞こえる。そして、その音を生み出す想夏は静かに舞を踊っているように見え、メンテナーはどちらかというと、そちらの方に見惚れていた。
 やがて、想夏の手がゆっくりと縦のアンテナから手を遠ざかっていく。
 それだけでテルミンは先程メンテナーが出せなかった余韻を、使い込まれた楽器のように残すことができた。
「……上手いな」
「ありがとうございます」
 微笑みを浮かべながら一礼して、想夏。
「あとこの楽器。電子楽器の筈なのに、まるで管楽器や弦楽器みたいな響きだった」
「そうですね。初めて音色を聴いたとき、わたしもそう思いました」
 その返事にメンテナーは深く頷いて、
「近い内に、また聴かせてくれ」
「――はいっ」
 想夏が軽く頬を赤らめてそう答えたときだった。
「ふたりっきりで、昼メロしてませんか〜?」
 背後零距離でそんな声が上がる。
 真昼だった。
 慌ててメンテナーは飛びすさる。
「い、いつから居たんだよ」
「メンテナーの下手な演奏が始まる直前から」
 その後すぐ想夏のが始まったから、外で大人しく聴いてたんだよ。中断させたくなかったからね、と真昼は言ってにやりと笑う。
「久々に、想夏の演奏を聴きました。相変わらず上手です」
 と、真昼と同じく気配も無く室内にいた時雨が言った。
「ありがとう、時雨」
 こういったことに慣れているのか全く驚かず、代わりに照れ笑いを浮かべて想夏が一礼する。
「んで、今日はどうした」
「ふっふっふ」
 真昼はニヤリと笑うと、右手の人差し指を上方斜め45度に掲げてあらぬ方向を向き、
「夏休みと言えばプール!」
「これは先日済ませました」
 時雨が注釈を入れる。
「夏休みと言えば盆踊り!」
「これは来月中旬に控えています」
 時雨が注釈を入れる。
「そして夏休みと言えば宿題!」
「これは、比較的速やかに片付ける必要があります」
 時雨が注釈を入れる。
「という訳で宿題大会!」
 そう言って勢いよく身体を回転させ、真昼は掲げていた指をメンテナーと想夏に向かって真っ直ぐに突き付けた。
「……ここで持ってくるべきものを忘れましたってオチを期待して良いか?」
 とりあえず、突き付けられた手をどかしつつメンテナーが言うと、真昼はそんなことお見通しと言わんばかりに、
「はい残念でした。準備は怠ってないんだよー」
 と、マジックテープでまとめた参考書やノートを掲げる。
「なんでわざわざ想夏の家でやるんだ?」
「ほら、三人寄れば文殊の知恵って言うし、ここには人生の先輩もいることだし」
「こういう時だけ先輩扱いかよ」
「よろしくお願いします、先輩」
 恐らく無意識だろう。だが、真昼にとって最高のタイミングで想夏がそう言った。
「あ、ああ……」
 図らずもしどろもどろになるメンテナーに、真昼は即座にまぜっ返さず、代わりに両手の拳を口元に寄せて、少しだけ首を傾げると、
「よろしくね、センパイっ」
「やめい」
 急激に醒めた声で、メンテナーのチョップが真昼の脳天に炸裂する。
「先輩って呼び名、もしかして嫌でしたか?」
 と、恐る恐る想夏。
「……安心しろ想夏。真昼が言うから嫌なだけだ」
「うわっ、俺を先輩と呼んで良いのは想夏だけだって。言ってくれるね」
「とっくの昔に絶滅したと思われる番長みたいな思考の持ち主ですね」
 死語に引っ張り出して、時雨がそう評する。
「なんでそう解釈できるんだ、お前らは……」
 手で顔を覆いながら、番長って何だったっけと思いつつメンテナーはそう呟いた。



 会場として、普段から使っている居間が徴用された。
 ちゃぶ台の上には中央部分に教科書と参考書、それに大量のノートが山と置かれ、四人が車座になって座る。想夏、真昼、時雨はそれらを開きつつ、もうひとつの山となっている大量にあるプリントの空欄を埋め始め、メンテナーは作業場から小物の類を持ってきて修理をする傍、わからないところを教える解説役ということで落ち着いた。
 少々意外だったのは、三人の学力に開きが殆ど無かったことである。
「真昼あたりが困ってそうだと思ってたんだがな」
「あ、なにそれ」
 と、メンテナーの呟きにノートから顔を上げて――ただし手は止めずに――、右隣に座っていた真昼が口の先を尖らす。
「お互いわからないところを補完する。それが勉強会の趣旨です」
 こちらはノートから1センチも視線をそらさず、左隣に座る時雨が口を挟んだ。
「効果が無ければ、そう何度も開きません」
「なるほどな。って、もう何度もやっているのか?」
「中間と期末テスト、後その間の学力診断の時に開きました」
 と、問題をひとつ解いてから顔を上げて、真向かいに座る想夏が答えた。
「御陰で、赤点はいつも免れてます」
「当然だ」
「うわっ、聞いた? 時雨。メンテナーってば、優等生気取りだよ!?」
「優等生なんじゃないですか? あの歳でメンテナーですし」
 と、時雨。
「素で言っているのか、皮肉なのか、判断が付きかねるな」
「安心してください。両方です」
「そうかよ……」
 そこで喋りながらでも動いていた真昼の手が、はたと止まった。
「あれ、メンテナーって今幾つ?」
「あ、そういえば……」
 想夏が忘れていたといった様子で、口許に手をやる。どうも、それなりに気になっていたらしい。
「……幾つに見えるんだよ」
「三十!」
「二十七でしょうか」
「二十……三?」
 真昼、時雨、想夏がそれぞれ年齢を口にする。
「……二十五だ」
「若っ!」
「若いですね」
「お兄さんだったんですね」
「いいから宿題に戻れ……」
 統計から言って、俺は老けて見えるのかと思いつつメンテナーが片手を振る。すると三人はおとなしく宿題の消化に戻った。どうも、勉強会そのものはかなり真面目なものらしい。
「あのメンテナーさん、ここは……」
「あー、そこはちょっと戻ってみろ。ふたつ当たり前から解き直せばできるはずだ」
「メンテナー、ここはどうですか?」
「そこは……設問の中にひっかけがひとつ混じってるぞ。もろにかかって無いか? お前」
「メンテナ〜、ここが全体的にわからない」
「式が丸っきり違うだろうが。って言うか何でそんなに難しいのを使うんだよ!?」
 最初はそんな感じだったが、宿題に対する熱が徐々に上がって行くとともに、ちゃぶ台の周りは静かになっていった。



「ねえ、メンテナー」
 シャープペンシルをくるくると回しながら、真昼が声をかけてきた。
「なんだ?」
 直していた携帯テレビに、いくつかのブレイクスルーを越えて大容量かつ自由に変形出来るようになったリチウムポリマーのセルバッテリーをL字に整形してから装填し、さらに電源を入れて映りを確認しながらメンテナーが答える。
「メンテナーは、何でメンテナーになったの?」
 テストを終え、バッテリーの蓋を六角ドライバーで締めながらメンテナーはしばしの間を置くと、
「……気が付いたら、なっていた」
「それじゃ答えにならないよ」
「そうだな……」
 ドライバーを動かす手を休め、ちゃぶ台に肘をつくメンテナー。
「出会った……からかな」
「出会った?」
「自律人型機械さ。俺が、若かった頃の話だ」
「今もそうじゃん」
「お前もな、真昼。っていうか、つまらん茶々を入れるんじゃない」
 そう窘めると、真昼は頬を膨らませて、
「いつ頃かちゃんと言ってくれれば入れなかったよ」
 道理であった。
「……わかったよ。あれは、俺が中学に上がるちょっと前だ」
 ふんふん、と頷く真昼。傍らでは、話が気になって完全に宿題を処理できなくなった想夏が、身を乗り出して聞いている。対して時雨は、ノートの前からぴくりとも動かない。
「道に迷った自律人型機械を目的地に送ってやったんだ」
「道に迷った?」
 不思議そうに想夏が聞き返した。
「自律人型機械でも道に迷うんですか?」
「迷うぞ。彼女――そうだな、お前達を同じぐらいの年格好だったか――は衛星を使った方角、位置探知機能しか持たないタイプだったんだ。で、オーナーに使いを頼まれていたらしいんだが……生憎その日強い太陽風が吹いてな」
「どういうこと?」
 真昼が眉根を寄せる。
「磁気嵐が発生して一時的に人工衛星と通信を確立できなくなったんです。そうですね?」
 と、時雨が解説がてらに訊く。
「ああ、その通りだ。まぁかく言う俺も当時は本人から直接聞いたんだがな」
 そう言って、メンテナーは目を細めた。そのときのことを、鮮明に思い出したからである。
「たまたま学校帰りにすれ違った時、助けを求められて、な――当時は今よりずっと珍しかったんだ。自律人型機械は今も高いが、その時はもっと高かった」
「低価格下が進んだのが、今から九年前の二〇七〇年ですか。確か麻生社の――PNM2『キャンベル』……」
 ノートから相も変わらず目を離さずに、時雨が再び口を挟んだ。
「そう、その通り」
 本当に詳しいな、お前……と、メンテナー。
「無事に目的地へついた時、目茶苦茶感謝されたよ。本当に、ありがとうございました――ってな」
 当時は髪の色が人と掛け離れたモデルが流行っていて、彼女の髪の色は深い青色であった。空の色とも違うその鮮やかな蒼が、今も目に焼き付いている。
「彼女ら――女性型が多いからな――にもっと関わりたい。そう思って色々やっている内に……メンテナーになった」
「――そうなんだ」
 両手で頬杖を付いて、真昼が言う。
 その隣では、いつの間にかペンを止めていた時雨が、
「メンテナーも――なんですね」
「……俺『も』、なんだって?」
「なんでもないです」
 と、時雨。
「それより、この方程式ですが……」
「それはこうだ。意外と引っかけに弱いな、お前」
「……未熟者ですから」
 間違った解答をすぐ消さずに、別のノートに写してから、時雨は答えを直した。おそらく、後でなぜ間違ったのかを検証するのだろう。その勉強姿勢に、メンテナーは好ましいものを感じていた。
「それで、その娘が初恋の相手?」
 隙を突くように、真昼がそう言う。
「……さぁな」
 と、肩を竦めてメンテナーは軽くいなした。
「てか、今は彼女居ないの? あ、今言ってた自律人型機械の事じゃなくて」
 そう言って、真昼はにやにや笑いながら小指を立てて、左右に振る。
「こういう仕事なもんでな。居ないわ出来ないわで大変だ」
 いささかおどけた口調でメンテナーがそう言うと、真昼はにやけた笑みのまま、
「想夏はどう? 綺麗だし可愛いし性格は良いし頭も良いし、パーフェクトソルジャーみたいな子だよ?」
 真っ赤になった想夏が口を挟む。
「……何でソルジャー?」
「まぁ、考えておこう」
 赤面したまま俯く想夏を横目に、メンテナーはそう答えた。
「私からも」
 時雨が挙手をする。
「なんだ?」
「何で仕事に困っているんですか?」
 真昼が、吹き出した。
「なに、会社と喧嘩した?」
「端的に言うと、そうだな」
「え」
 想定外だったらしい、真昼と想夏が同時に絶句する。なんとなく想像が付いているのか、それとも内心だけ動揺しているのか、時雨はさしたる反応を見せなかった。
「それじゃ、お仕事は一体どうやって?」
 当然といえば当然の疑問を口にする想夏に、
「わかった。一から説明する」
 佇まいを改めて、メンテナーはそう答えた。
 そもそも、想夏達が不思議がるのには訳がある。
 メンテナーとは本来、高給取りの代名詞のような存在であり、決して正副を問わず仕事を探して転々としたりはしない。
 この国でかつて労働者による国内紛争が起きて、逮捕者が十万名を越えるという異常事態を経て以来、基本的に労働者の立場というものは改善されているという土台もあるが、それだけメンテナーという職業には能力と知識を要求されるのである。
 故にメンテナーのように副業で稼ぐという労務形態は、著しく珍しいものに見えるのであった。
「そもそも、なんで本業もこんなところまで来て探しているの?」
「そりゃ、普通のメンテナーは企業に勤めているだろ。その場合は向こうから来てくれる訳だが、俺の場合はそうもいかん」
 と、当の本人。
「じゃあ、モグリ?」
 興味津々といった体で、真昼が訊く。
「なんでだよ。俺は企業には勤めていない。それだけだ」
「じゃあなに? メンテナーのアルバイト?」
「違うな。近い将来そういう雇用形態が生まれるかもしれないが、今は違う」
 メンテナーは通常、企業に所属する。しかし、国家資格である以上、管理及び保護は国が行っており、メンテナー達を統括するネットワークも国の管理下にある。
「この辺が複雑なんだ。結論から言うと、企業に属していないメンテナーは、国の機関から仕事の斡旋が貰えることになる」
「町役場とか?」
「そう、その通り。国は国でな、やることがあるんだ」
 そもそも、メンテナーという職業を生んだ法律『自律人型機械に関する製造者・所有者責任法』は、自律人型機械の保守・点検を骨子とするものである。
「つまり、なんらかの理由でメーカーに来ることが出来ない自律人型機械は国がちゃんと管理しメーカーに連絡する訳だ」
「待ってください。どうやって国が管理するんですか?」
 想夏が挙手して質問する。
「自律人型機械を買ったら国にそれを報告する義務が、メーカーとオーナーに発生するんだ。この法律は、自律人型機械に拘らない人間には日常生活においてなんら干渉しないんだが、メーカーやオーナーが違反すると、かなり重い刑罰が下される。特に無登録とか、オーナー名義の勝手な変更とかな」
 それが原因かどうかは知らないが、無登録の自律人型機械は極端に少ないのが現状だ、とメンテナーは続けた。
「で、国から連絡を受けたメーカーは当然人員を派遣する訳だが、真面目にやろうとするとすぐさま人のリソースが無くなってしまう」
「それって、放っておかれてる自律人型機械が多いって事?」
 幾分神妙な貌で真昼が訊いた。
「そう。残念ながら、その通りなんだ」
 お陰でこうやって仕事が出来るんだから皮肉なもんだが、とメンテナー。
「ようするに、そういうとき俺達の出番な訳だな」
 国とメーカーが共同で管理しているネットワークから情報を受け取り、現地に赴く。無事仕事が終了すれば、両者から報酬が手に入る。
「上手くすれば、企業に勤めるメンテナーより収入は良いらしい」
「メンテナー自身はどうなの?」
 当然の疑問を、真昼が口にする。
「俺か。俺は……そんなことには一度もなかったな……」
「ああっ、メンテナーさん、元気出してくださいっ」
 遠い目で徐々に前のめりになって行くメンテナーを、想夏が慌てて支える。
「これからです。きっとこれからそうなりますよっ」
「……あぁ、そうだといいなぁ――うふふ」
「メンテナーさーんっ」
 真面目に励ましているのは、想夏だけであった。
「……壊れかけているところ申し訳ありませんが、質問です。メンテナーみたいに、企業に勤めていない人も居るんですか?」
 と、止めていたペンの再開させて、時雨が訊く。
「少数だが、居る。俺よか要領良くやっているみたいだがな」
 そういう奴らは、別に職をもって居ることも多いんだ、とメンテナーは付け加えた。
「そういったメンテナーは、減って行くんでしょうか……」
 再び時雨が訊いて来た。珍しく、心配そうな感情がこもっている。
「いや、これから増えて行くと思う。資格が取れる年令制限の下限が低いからな。ぶっちゃけ学生しながらってのもありだ」
「幾つなんですか?」
 想夏が興味深げに訊く。
「十六からだ。まだその年齢で取った奴はいないけどな」
 と、メンテナー。
「メンテナーさんは、いつ取れたんです?」
 これもまた興味深げに、想夏。
「二十一の時だ。当時は俺が最年少だった」
 今は二十歳で取った奴が居てな、と付け加える。同時に、自分が取った時多少話題になったが、すぐさま塗り替えられしまって少しばかり悔しかったことを思い出した。
「メンテナーの働き方はわかったよ」
 ずっと止まっていたノートを捲る手を再開させて、真昼が言う。
「でも、どうして会社と喧嘩なんてしたの?」
「……俺も最初は、安定した仕事がしたかったんだ。だからある自律人型機械のメーカーに居た。まぁそれでも今の働き方に興味を持っていたから、あちこち飛び回る外回りを選んだんだ」
 懐かしむというほど過去のことではないが、昔を思い出すように、メンテナーは答える。
「今ほどではなかったけど、色んなところに行ったよ。今に通じる良い経験にもなった。だが、ある時トラブルが起きた」
「一体、どんな?」
 想夏が静かに息を飲む。
「ある自律人型機械を、俺は直すべき時に直せなかったんだ。自律人型機械側の事情じゃなく、俺の居たメーカー側の都合で」
「それって――」
「一体どういう――」
 真昼と想夏が一斉に声を上げる。
「メーカーの、縛りがあった? ――済みません、口を挟んで」
 最後に、時雨がそう言った。
「いや、いい。その通りだからな」
 鋭いな。そう思いつつメンテナーは頷く。
「縛りって?」
「どこそこの自律人型機械は、うちで作ったんだから手を出すな。ってことだ」
 と、メンテナーは真昼に答える。
「そんな! だって……」
 目の前に病気の人が居るのと同じじゃないですか、と想夏が言う。
「ああ、その通りだ。だから食い下がれるだけ食い下がったよ。『修理』や『交換』じゃない、『医療』か『人命救助』だってな。ただの言葉のあやだが、俺はそう思っていた」
「……今も、ですか?」
 不安気に、想夏。
「ああ、もちろんだ。だけど今はそう思っていないオーナーや、言われて不快な思いをするオーナーがいるってことを、俺は知っている。だから口には出さないが、それだけだ」
 今でも思い出す、電話での会社とのやり取りを。
「フレームは一緒だった。ソフトウェアだって、大した差は無かった。だけど、メーカーが違うというだけで、彼女――そう、彼女だった――は放置された。電源不調っていう、危険な状態だったってのにな」
「その子の、オーナーは……」
 ノートから顔を上げて、時雨が問うた。
「余計な金を、掛けたくなかったんだと」
 吐き捨てる口調にならないよう努力し、それに失敗しながらメンテナーは言う。
「今とは事情が違う。当時はまだ自律人型機械は発展途上で、しかも彼女は大分旧式だったんだ。俺が始めて出会った時の自律人型機械とほぼ同世代でな、それ故修理費も高くついた。そして同じ部品でも、会社が違うと手数料がかかるんだ……今でもな」
 それも今ほど安くはなかった――とメンテナーは言う。
「当然彼女自身はオーナーの意志に従う。いくら俺がメンテナーでも、説得出来るものじゃなかった。だから何度も謝ったが、却って謝るなと諭される始末でな……」
 本当に、苦い記憶だった。もう少し前であれば、こうやって思い出話にせず、封印し続けただろう。メンテナーはそう思う。
「その人のメーカーにだってメンテナーは居るんじゃないの?」
 ちゃぶ台の脇に置いてあった麦茶の大瓶から自分の分のコップに麦茶を注ぎつつ、当然の疑問を真昼が口にする。
「もちろんだ。だから俺じゃ出来ないと決まった時、すぐさま連絡を入れた。向こうもそれなりにわかってな。すぐさま人を送ると言ってくれた」
「それなら、助かったんですね」
 ほっとしたように胸を撫で下ろし、想夏が言う。
「ああ、来たよ。だけど直すべき時には来なかった。電車の遅れでな」
 それはある意味、不幸の連続でもあったのだ。
「それじゃその、その人は……」
「それでおしまいだ。彼女は眠るように電源が落ちて……そのままメモリーは揮発しちまって、彼女は死んだ」
「死――」
 想夏のその言葉と共に、辺りの音が一切消える。
 ややあって、軒先に吊るされた風鈴が一回だけ静かに鳴った。
「……やっとこさ到着した向こうのメンテナーがメンテナンス用電源で起動させた時、彼女は初期化されていた。それまでの記憶、記録を全て失ってしまったんだ。人間みたいに、何かの拍子で思い出すこともない。それを死んだと言わないで何て言う?」
 想夏は、答えなかった。
 メンテナーの耳には、まだあの声が残っている。
 電源が再投入された彼女に、深く頭を下げた時にかけられた言葉がいまだ耳から離れないのだ。
『お謝りになる理由が見つかりません――』
 その、悔しさに歪むこちらの顔を不思議そうに見る瞳も、脳裏から離れない。
「その人は、今も元気なんでしょうか」
「ああ、多分な」
 想夏はただただ哀しそうであったが、真昼と時雨は随分と怖い貌になっていた。その気持ちは、わからないでも無い。
「――まぁそんな訳で、俺は会社を辞めた」
「でも、メンテナーは辞めなかった」
 想夏が、静かにそう言う。
「……そうだな」
 自然と手が、胸の『アイアンギア』に触れていることに気付き、苦笑しつつメンテナーは頷いた。
「良かったです。メンテナーさんが、メンテナーで居てくれて」
 少しだけ俯いて、想夏がそう言う。
「ありがとう。そう言ってくれたの、お前が初めてだよ」
 長く息を吐いて、メンテナーは礼を言った。すぐさま、それほどのことじゃないですよ……と想夏が照れ笑いを浮かべる。
 対して、真昼と時雨は、何も言わなかった。お互い何かを考え込んでいるような貌で、想夏を見ている。
「――すまん、俺にも麦茶をひとつ」
 喋り過ぎたせいか、メンテナーの喉は渇いていた。少し慌てて、想夏がちょうど隣にあった麦茶の瓶を手に取る。



 その日は、そのまま散会となった。



■ ■ ■



「想夏、起きてるか?」
 その夜、メンテナーの声で想夏は浅い眠りから目を覚ました。想夏の自室、ベッドの中でのことである。
 『どうしました?』と声をかけようとして、辺りが異様に暗くなっていることに気付く。
 瞼が空いていないのだ。
『あれ!?』
 そして、声も出なかった。声帯が震えなかったのである。
『や、やだ……』
 瞼や声帯だけではなく、全身が動かない。ただ、メンテナーがすぐ側にいることだけが気配として伝わって来るのである。
 そんな想夏に対し、メンテナーは眠っているものと判断したらしい。ほっと一息吐くと、
「良かった……」
 良くなかった。
「起きてたら、ただ襲っているように見えるだけだからな……」
 まさにその状態である。
『あの、メンテナーさん、そういうのは順番が大事だと思うんです。まずはしっかりと交際を申し込んでから――というかそれ以前にまずお互いのことを良く知ってから……ああっ、わたし何言ってるんだろう!』
 意外と古風な想夏である。もちろん、声に出なければ態度にも出ないため、メンテナーに伝わるはずもない。
 想夏にしてもそれは同じで、それきり沈黙を保たれるとメンテナーが何をしているのかさっぱりわからないのである。
『メンテナーさん、帰っちゃいましたか? 帰っちゃいましたね? 帰っちゃいましたよね――』
 途端、メンテナーの息遣いを真横に感じた。
 その一瞬だけは、身体が動かないことに想夏は感謝する。もしも動けていたのなら、まず間違いなく飛び上がっていたに違いない。
『駄目ですっ順番順番じゅんばんっ!』
 どうせなら、触覚も麻痺していれば良かったのに。そう自分を呪いながら、想夏は身を竦めようとする。が、もちろん動かない。
 その間、メンテナーは何か道具を持ち出すと――想夏には指一本触れず、ベッドをいじくり始めた。
「ん? これは……」
 メンテナーが何かを打ち込んだ。
『え……?』
 急に、身体の自由が利くようになる。
「起きているか、想夏」
 再び、ごく至近距離からメンテナーの声。
 慌てて、想夏は寝ているふりをした。なんとなくだが、そうした方が良いと思えたからだ。
「寝てたか。良かった……」
 そんなメンテナーの安堵の声と共に部屋の戸を閉める音が響き、想夏はぐったりと身体を伸ばした。
「な、何もなくて良かった……んだよね?」
 大きく息を吐いて、そう呟く。
 答えるものは、居なかった。



■ ■ ■



「……そうだよな」
 自室に戻り、こちらから要求した返り値を眺めながら、メンテナーはひとり呟く。
「今のうちに、準備しておくか」
 続けてそう呟き、音声端末へ電話番号を入力する。
「熊楠メンテナンスセンターですか? ――ええ、はい、お世話になっております。早速で申し訳ありませんが、御社に登録されております……恐れ入ります。あと、念のため機体番号を――」



 四 『想夏』



「突撃! モーニングコォォォル!」
 メンテナーがこの町に来てから五日目の始まりは、朝っぱらから響き渡る真昼の声だった。
 その声に、既に起きていた想夏は玄関へと顔を出し、作業場で徹夜していたメンテナーがややおぼつかない足取りながらも遅れて出てくる。
「……近所迷惑だぞ」
「でも、これだけ早いとふたりが一緒に寝てないかとかわかるでしょ」
「しねえって――」
「うんしてない! メンテナーさん何もしてないから!」
 力いっぱいそう言う想夏を、メンテナーは怪訝な貌で見る。対して、真昼はものすごい怪しそうな眼で、
「――なんかした?」
「だからしてないっての!」
 眼以外は妙に無表情な真昼に対し、メンテナーが叫び、想夏がこくこくと頷く。
「つか、何悪質なこと考えてんだ」
「考案したの、時雨」
「何!?」
 同時に生まれた気配に慌てて振り向くと、背後に時雨が突っ立って居た。そして、選手宣誓でもするように片手を上げる。
「どうも、悪質な時雨です」
 いつもの口調で言うのが、却って怖かった。
「……なんて言えば良いんだ」
「おはよう、時雨」
「おはようございます、想夏」
 悩むメンテナーを余所に、マイペースな挨拶を交わすふたりである。
「で、朝っぱらからどうした」
「いやまあ、気になることとか色々あるんだけど、まぁそれは置いといてさ。今日たまたまアタシと時雨の予定が空いたから、想夏の都合が良かったらどうかなと思って」
 そう言って、真昼は白い花だけで作られた花束を想夏に突き出した。それを見て、あ、と想夏が声を上げる。
「叔父さんの命日、まだ先だけど」
「ううん、ありがとう。すぐ準備するね」
 素早く家の中に戻る想夏。その後をメンテナーは反射的に追おうとして――踏みとどまる。
「メンテナーは、どうします? お墓参り」
 静かに時雨が訊いた。
「……俺も行く」



 都会生まれで都会育ちのメンテナーであるから、墓参りというものは遠出を覚悟するものと思っていたのだが、この町では比較的近くにあるらしい。
 例によって坂を下り、ポストの場所で役場、駅方面に曲がった後、初めて来た時には気にも留めなかった小さな四つ辻を左に曲がる。
 想夏の家へ続く坂はすぐに終わったが、この小さな坂は終わることなく、そのまま小高い丘にまで続いていた。左右には、ネギ畑とトウモロコシ畑が延々と続いている。
「ホラ、着いたよー」
 後ろを振り向いて町を見下ろしていたメンテナーに、真昼の声がかかる。振り向いて見れば、丘の頂上である開けた土地に、小規模ではあったが墓碑が立ち並んでいた。
「ちゃんと掃除してありますね」
 風合瀬家と書かれた墓碑の前に立ち、持参して居た小さなバケツを置いて、時雨が呟く。坂を上り切ったところに小さな水飲み場があったから、そこで汲むつもりであったのだろう。
「市村さんだと思う。あの人、いつもわたしが来る前にお参り済ませちゃうから」
「……なるほど」
 そう言いながら、想夏と時雨が花を飾り、線香の束に火を点けた。
 想夏が手を合わせ、ゆっくりと目を閉じる。
 メンテナーは傍らにいる真昼の肩をそっと叩き、想夏達から静かに距離を置いた。
「どうしたの? 眠そうだけど」
「あぁ、眠いな」
「駄目じゃん、夜更かし」
「ちょっと一昨日言ったベッドを調べていてな」
 真昼は、顔色ひとつ変えなかった。ただし、身を覆う雰囲気が、急に張り詰めたものになる。
「それで?」
「……昨日の夜、あいつのベッドからデータが得られた。結果だけ伝えよう」
 真昼が何も言わないので、メンテナーはそれを肯定と判断し話を続けた。
「状態は想像以上に悪い。メンテ不足が明らかに祟っている。正常なところはあまりにも少なく――」
「御託は良いよ。どこが、悪いの?」
 メンテナーに背中を向けて、真昼が訊いた。背を向けられているから、メンテナーからは彼女がどのような表情をしているのかわからない。
「視覚と味覚以外、全部だ」
 そう言って、もう一度町を見下ろすメンテナー。道中にあったネギ畑の青が、目に心地良い。
「――いつ完全に壊れてしまっても、おかしくない。俺が看た時も、丁度全身の駆動系が麻痺していた。ベッド越しにちょっと調整しただけですぐ動いたが……」
「ちょっと待って、その前後で本人は!?」
 急に振り向く真昼。
「寝ていた」
「寝たふりしていた可能性は? ちゃんと確かめた!?」
「あ……」
 一瞬、しまったという表情をしてしまう。そしてそれは、真昼にしっかりと見抜かれてしまった。
「気付かせるようなこと、口に出した?」
「いや、それはない。それに誓って言うが、本人には指一本触れていない」
 そうメンテナーが釈明しても、真昼は厳しい貌のままであった。だが、やがてその柳眉を下げると再び背中を向けて、
「……じゃあまぁ、気付かなかったんでしょ。OKってことにしとこ」
「あぁ、そう――だな」
「それで? どうすればいい?」
「すぐにでも整備が必要だ。最低限、感覚系の整備だけでもしないと、まともにコミュニケーションがとれなくなる。だがその前に――」
「伝えなきゃいけないんだね。本当のこと」
「ああ、その通りだ」
 湿気を帯びた夏の風が、その場を吹き抜けた。
「なぁ、真昼。あいつは……やっぱ自分がなんだかわかっていないんだよな」
「そうだけど」
 と、背中を向けたままで真昼。
「教えて、いないのか」
「教えてない」
「教えないのか」
「――わからないよ。今となっては、もう」
「……わかった」
「! メンテナー」
 弾かれたように、真昼が声を掛ける。
「俺が、直接伝える」
「待って」
 声の量が微妙に変わったのを察して、メンテナーが振り返る。すると、先ほどまで背を向けていた真昼が、真っ直ぐに彼を見つめていた。
「ねぇ、約束して。ひとりで事実を教えないって」
「……努力する」
 そう答えて、メンテナーは想夏達の方へ視線を送る。
 いつの間にか顔を上げていた想夏は、時雨と話をしていた。おそらく、時雨が気を利かせてくれたのだろう。
 と、こちらの視線に気付いたのか、想夏が手を振った。続けてこちらに駆け寄ろうとし――転びそうになったのを、素早い動きで時雨が止める。
「――良くあれで済んでいるもんだ。実測値はもっと悪いことになっているのに」
 と、真昼の方に向き直ってメンテナー。
「時雨も似たようなこと言っていたよ。メンテしてない期間の割には平気そうだって」
「……何でも知ってるんだな、あいつ」
「時雨は時雨だからね」
 そう言って笑った真昼だが、すぐに顔が強張った。
「想夏!」
 慌ててメンテナーが振り向く。見れば、想夏は時雨に支えられたまま、動かなかった。
「どうした!」
 すぐさま駆け寄るメンテナー。支えている時雨に合図をして、ゆっくりと地面に座らせる。
「その、足が」
 不思議そうに、想夏が脚をさする。
「両足が、動きません」
 即座に、メンテナーが動いた。素早く想夏の手前でしゃがみ、彼女の膝を手刀で軽く叩く。
 何の反応も、なかった。
「……すぐには動くようにはならない」
 少し待って動かないことを確認してから、メンテナーはそう診断した。
「掴まれ。俺が背負ってく」
「でも」
「いいから」
「……すみません」
 想夏はそう言って、メンテナーの背中に顔を埋めた。真昼が先導し、時雨が後から続く。



■ ■ ■



 小さな物音がして、想夏は目を覚ました。
 ――?
 明かりの消えた、想夏の自室。ベッドの中にいるため、状況がわかり難い。だが、誰かがいる。
「……想夏」
 昨日と同じく、メンテナーであった。
 ――めめめ、メンテナーさん!?
 どうしようどうしようと思考がループする。
 こちらは昨日と違って、目も動くし、声も出る。
 ベッドの縁に手をついて、メンテナーは想夏を見ているようであった。
「――起きているか?」
 答えられる訳がない。
「……ゆっくり、休めよ」
 ――様子を見にきてくれたんだ……。
 安心しきって、想夏は眠りに落ちた。



■ ■ ■



 次の日、正午。
 ガレージの中を見渡して、メンテナーはため息をついた。
 壁の棚のものは増え、反対に段ボールのものは減っている。
 作業机の上はすっきりしていて、少なくとも修理中のものは何も載っていなかった。
「大分、直りましたね……」
「まぁな――っておいっ」
 一呼吸で入り口へと振り返る。
 そこには想夏が、ガレージの扉に背をもたれさせながらも、立っていた。
「お前、脚は――」
「御陰で、動くようになりました」
 気丈にも、笑顔を浮かべて想夏は言う。惜しむらくは、気丈であることをメンテナーに悟られたことであろう。
「わかった。わかったから、寝てろって」
 それ程までに、想夏は無理をしていた。
「大丈夫です。ほら、ちゃんと立ててるじゃないですか」
「だとしても寝ていた方が良い。皆が、心配する。――お前はちょっと、自分を大切にしなさ過ぎだぞ」
 その言葉に想夏は目を丸くする。
「……どうした?」
「いえ――、その、そう言われたの、初めてのような気がして」
 自分の胸を押さえて、想夏は言う。
「なんだか、嬉しいです」
「この前のでおあいこだ――それに褒めた訳じゃないんだぞ」
「はい、わかっています」
 それでも、嬉しそうに想夏。
「それじゃ、部屋に戻っていますね」
「ああ、そうしてくれ。飯とかはこっちでどうとでもなるから」
「はい。わかりました」
 そう言って、想夏はガレージから一歩を踏み出し――そこで、両膝から力が抜けた。そしてそのまま崩れ落ちるように尻餅を付く。
「……あれ」
 立とうとしても、立てない。どうにかして起き上がり、壁をついて立ち上がろうとするのだが、そのたびに両膝から力が抜けて座り込んでしまう。
「あ、あれ? なんで?」
「想夏……」
「おかしいんです」
 昨日と同じように、両脚をさすりながら想夏。
「昨日はちゃんと感覚があったのに、今触っても何も感じないんです。それに……」
「それに?」
「一昨日メンテナーさんが様子を看に来た時、わたし身体が動かなかったんです」
「お前、起きていたのか……」
 言ってしまってから、しまったと思った。今のはしらを切れたはずである。
「……あの痺れ、メンテナーさんが治してくれたんですよね」
「ああ、そうだ」
 自分でも底冷えする声で、メンテナーは答えた。だが、想夏はそれを希望とみたらしい。
「メンテナーさん」
「――なんだ?」
「もし知っていたら、教えてください。わたしの身体、どうなっちゃったんでしょう」

 もう、見ていられなかった。

「あのな、想夏」
 脚をさすり続ける想夏の手に、自分の手を重ねて、メンテナーは覚悟を固めた。
「答えはもう、お前が半分出している」
「――どういうことです?」
 訝る想夏に、メンテナーはわざと間を置くと、
「こんな時に何だがな、自律人型機械が見つかった」
「え?」
 一瞬自分の足のことを忘れたように、想夏の顔がほころんだ。
「本当ですか?」
「……ああ」
「良かった――」
 我がことのように喜ぶ想夏。逆にそれが、メンテナーには辛い。
「正確にはな、俺が初めてこの町に来た時、見つけていたんだ」
「そうだったんですか」
「ああ。海に続く道の途中にある、ポストの向かい側で」
 慎重に、壊れた機械を見定めて、
「……待ってください。それって――」
 直せそうな機械を拾っていると、照れたように笑って、
「あぁ、そうだよ」
 深く、深く頷くメンテナー。
「あのな、想夏。お前は……人じゃない」
「……え?」
「熊楠社、MM一〇五。当時のフラッグシップモデルで、商品名は『アリス』。つまりは自律人型機械――お前の言う、ロボットなんだ」
 そう言って、メンテナーは携帯端末からある画像を呼び出して、想夏に見せた。熊楠社の自律人型機械のカタログである。
「これは……わたし?」
 端末に、想夏とそっくりの少女の姿が映っていた。笑顔であったが、どちらかというと作り笑いに見えなくも無い。
「正確には同型機と言うやつだ。言ってみればお前の姉か、妹にあたる。髪の色と形が違うのは、お前がカスタムされているからだ。――フラッグシップモデルってのは、おいそれと買えるものじゃ無い。代わりに、いくらでもカスタマイズができる。お前がノーマルとあまり変わらなく良かった……」
 元のアリスは金髪で髪は肩までである。対して想夏は栗色で、背中まで髪が伸びていた。ただ、それだけの差である。後は何から何までそっくりであった。
「本当はな、熊楠社に掛け合って、社に待機しているお前と同型の自律人型機械と会わせたかったんだ。そうすればそれほどショックを受けないだろう、とな」
 一旦、言葉を切り、想夏の返答を待つ。ここで彼女が納得すれば、全てが上手く行く。けれども――、
「……また、冗談がきついですよ」
 その言葉が出てくるまで、たっぷり5秒はかかった。
「いや、間違いない。お前のことだよ」
「冗談ですよね? そうですよね?」
 徐々に強張っていく想夏の表情に、メンテナーは顔を背けたくなる。だが、ここまできて退くことは出来ない。決して、出来なかった。
「冗談じゃない。お前が人でない理由は、いくらでも証明出来るんだ」
 認めないとばかりに、想夏は何度も首を横に振る。
「嘘ですよね。ほら、前に耳鳴りの時教えてくれたじゃないですか。自律人型機械と人では、同じ症状を出す時があるって」
「前の夜の全身麻痺、あれは人間でも起こりうる。いわゆる金縛りだな」
「ほら、やっぱり――」
「だが、お前が引き起こしたそれを、俺は何でお前に指一本触れずに治せたんだ?」
「それは……」
「触覚が生きていたことはわかっている。だからお前も自覚していたはずだ。あの時俺は、お前のベッドをちょっと調整しただけなんだ――正確には、お前の充電ドックをな」
「……メンテナーさん、そんなこと言っても――」
「じゃあ訊くが、お前が最後に食事したの、いつだ?」
「え?」
 想夏の呼吸が一瞬止まったのが、メンテナーにもわかった。
「思い出せないはずだ。何故ならお前は思考的に食欲がないで済ませていたが……それは、俺がこの町に来たときから続いている。真昼や時雨とプールに行った時でも、俺はお前の分まで弁当をもらっていた。どういうことかわかるか? 人間なら、とっくに餓死しているんだよ」
 水は飲めるが、それはお前が高級機だからだ、とメンテナーは続けた。
「そんな――」
「わからないのか? お前は自分が人間じゃない部分を、人間じゃないと感じてしまう行動を、無意識に追いやっているんだ」
 首を大きく横に振って、想夏は言う。
「わかりません。そんなの、わかりませんっ」
「頼む、わかってくれ。そうでないと――」
「無理ですっ!」
 とうとう、想夏は自分の耳を塞いでしまった。そんな彼女を、メンテナーは辛そうに見つめ、
「ごめんな。本当に」
 こうなることはわかっていた。だが、もう一歩も戻ることは出来ない。
「……ルートコマンド」
 びくりと、想夏の肩が震える。
「メンテナー認識番号、S−三七−三二五七−YK−KN。機体番号KG−MM一〇五−SE−二六−MIU−KN−〇一」
 途端、想夏の頭の中で、『誰かがドアを叩いた』。
「いや……『メンテナー権限によるルートコマンド受理、およびパスコード認証確認』……!」
 自分の意志とは、全く異なるところから出る声に、想夏の身体が強張っていく。
「オーバーホールに伴うサスペンドモード。全機能停止。状況開始――」
 何処にもないのに柱時計の時報が鳴り響き、秒針の動く音が想夏の頭の中で反響する。
「『了解。状況開始まで三十秒――二じゅう、に、じゅ』――やめてっ!」
 そこまでだった。身体をくの時に曲げて、想夏は叫び続ける。
「御願いですっ! 止めて!」
「ルートコマンド中止! 強制終了! 認識番号……」
 早口でメンテナーが叫んだ。
 途端、秒針の音が消え、時報が一度だけ長く響いた。同時に、くの時に曲げていた身体から、ゆっくりと力を抜く想夏。
「『ルートコマンドの中止を確認』……なんで、こんな……」
「お前を、死なせたくないんだ」
 想夏から視線を逸らし、メンテナーは続ける。
「完全に壊れてからじゃ、遅い。遅いんだよ」
「たとえ、そうだとしてもです。このまま死ぬというのなら――」
 涙声で、想夏は言う。
「せめて、せめて人として死なせてください。御願いです……」
 後は、嗚咽に紛れて聞き取れない。
 そんな想夏に、メンテナーは何も反論できなかった。
「……部屋まで送る」
 想夏は、何も言わない。
 それでも構わず、メンテナーは想夏を抱き上げる。
 想夏は抵抗しなかった。ただ、小さく身体を震わせてしゃくり上げている。
 メンテナーはそれに構わず、ガレージを出て、居間に入り、想夏の部屋を目指す。
 幸い、想夏の部屋はドアが開いていた。メンテナーは想夏を一度も床に降ろすことなくベッドに寝かせ、布団代わりのタオルケットを掛ける。
「――すまなかった」
 それでも、想夏は何も言わなかった。



 壊れたラジオを、直す。ラジオの次には目覚まし時計。その次にはモーターと歯車で動く玩具。その次には――、
 メンテナーの資格を得る前、彼は自らに修行と称して色々な機械を次々と直す訓練を行っていたことを思い出す。それは後の体験に生かされたとは言い難いが、あの時も、次々と、次々と色々なものを直していた。ただ、直していたものが一体どんなものだったかは、既に思い出せない。
「何をやって、いるの?」
 昼に想夏が立っていた位置に、真昼がいた。傍らには時雨もいる。
「……昨日は大声で呼んでいたのにな」
 メンテナーは、ゆっくりと振り返ってそう言った。
「もう夕方なのに、家の明かりがついていなかったから。……なにか、あったの?」
 声を落として真昼が訊く。
「ああ……想夏にルートコマンド使って、スリープさせようとした」
「ルートコマンド?」
「管理者権限です。スリープはわかりますね。休眠モードにする事です」
 些か早口で時雨がそう解説する。
「それで? 想夏は!?」
 それがどういうことか理解したのだろう。真昼の柳眉が完全に吊り上がっている。メンテナーは一呼吸置くと、
「人間として、死なせてくれってさ――」
「このっ!」
 最後まで言い終わる前に、真昼はメンテナーに殴りかかっていた。そしてそれを予期していたように、後ろから襟首と手首を掴んで時雨が止める。
「離して時雨!」
 と、必死になって前に進もうとしながら、真昼。
「駄目です」
「離してやれ、時雨」
 と、こちらは一歩も退くつもりが無いメンテナー。二、三発殴られた方が、却ってすっきりするような気がしていたのである。
「駄目です。メンテナーは、想夏を害しようとしてそうした訳じゃないんですから」
 その時雨の一言で、沈黙が降りた。
「……どうするの? これから」
 多少震えた声で、真昼が問う。訊くまでもない。約束を破ったことに、そしてそれ以上に、想夏を傷付けたことに怒っているのだ。
「――想夏の説得を、頼む」
「何を今更!」
「わかってる。俺が焦りすぎて失敗したことくらい、わかっているんだ……だけど」
「……わかりました」
 答えたのは、真昼ではなく、沈黙を保っていた時雨だった。
「時雨!」
「言いたいことはわかります、真昼。私だって、一瞬腑が煮えくり返りました」
 いつになく、早口で時雨は続ける。
「でも、このままでは現実は何ひとつ動きません。私達が想夏を説得できなければ……あの子はメンテナーの言う通り、壊れます」
「でも……」
「やりましょう、真昼。何もかもメンテナー任せでは、想夏の友達である私達が不甲斐ないです」
「時雨……」
 静かに、時雨を見つめるメンテナー。その視線を彼女は何でもないように受け止めて、
「メンテナー、私達が想夏を説得しきれたら、その後すぐにでも整備に入れるよう準備してください。人手が足りなければ、私が手伝いますから」
「あ、ああ……」
「それと――」
 ガレージの扉を誰かが叩いたのは、その時であった。
「すみません、町役場のもんですが……玄関が開いている上に、声が聞こえたもので、失礼します」
 誰も何も言わないのを肯定と取ったのか、第三者がガレージの中に入ってくる。
「メンテナーの資格をお持ちの方は、こちらで?」



■ ■ ■



 これより、時間は少し前に遡る。
 
 ……かれこれ十年か。
 岬の突端で波と解体工事の不協和音をBGMにし、煙草をくゆらせながら、助役は回想に耽っていた。
 十年前のこの日、全国で一斉に労働争議が勃発し、この国はあわや内戦、内乱一歩手前まで追い詰められたことがあった。
 全国各地の工場や事業所の営業が悉く止まったとされるこの紛争は、いつになく速いお上の対応で速やかに、そして苛烈なまでに強硬な態度で鎮圧された。逮捕者、優に十万人。死傷者、非公開――。
 その後、労働者の環境は改善されていき、今のように経営者と良好な関係を築けるようになったのだから、今も不明のままであるこの計画の首謀者は、さぞかし御満悦であったに違いない。
 だが、労働者側がしたことと言えばせいぜいがデモであり、機動隊と衝突し乱闘になったくらいが関の山であった。それでもお上が強行姿勢を貫いたのは、その中に当然という悲しい確率で過激派が混ざっていたからである。
 彼らは随分とお上をてこずらせた。何せ、国外から兵器を買い込んで本邦で使おうとしたのだから、始末が悪い。
 しかしそんな彼らも、報道を始めとする表舞台に出る事なく、都心からほどよく離れたとある岬の突端で、お上との水面下の闘争の末双方に死傷者を出しつつ鎮圧された。
 そう、その過激派終焉の地が此処なのである。
 助役が煙草を吹かしながら見つめる先には、鉄筋コンクリートの残骸が整然とした山となって転がっている。元はとある大学の研究施設であったそうだが、無人である期間が長いことを付け込まれ、過激派によって要塞化されてしまったのであった。
 もともと遮蔽物の無い岬の上、嵐などに耐えるべく頑丈に造られた建物だからということで乗っ取られた其処は、それ故派手な攻防戦を引き起こす羽目になり、結果として無残な姿を雨風に晒すこととなった。いくら観光収入がゼロに等しいこの町でも、弾痕なら何やらが付いた建物をそのままにしておくのは……といった論議はすぐに出て、擦った揉んだの揚げ句その解体許可が今年になってやっと下りたのである。
 ――コトが済みゃ、お上の動きは遅えんだよなぁ……。
 屋内にあった電気配線や、水道管等を撤去していく作業員を監査と言う立場で眺めながら、そんなことを助役は考えている。無論、口に出しては言っていない。
 作業は順調だった。後は、待機させている重機が瓦礫を運び出して終わる手筈になっていたのである。
「おやっさん!」
「ん?」
 助役には、市村浩一という立派な名前があるが、よくおやっさんと呼ばれている。その愛称で、助役は現場監督に呼ばれていた。
「どうした」
「あ、いや配線撤去に伴う床下の掘り出しが終わったんですが……どうもまずいことになりそうなんで」
「何か出たのか」
「はい。昔観た映画に出てきたでっかい板みたいな奴がでてきたんですよ」
「モノリスか。良く知っているな」
「へへ……勧めたのおやっさんじゃないすか」
「そうだっけか?」
 そんな会話を交わしながら、現場監督とともに建物があった場に入る。綺麗に仕分けされた瓦礫を踏み越えると、なるほど、そこにはでかい板としか言い様のないものが床の上に寝かされていた。
「ほら、ここの部分なんですけど、変な数字が……」
「ハーフミラーかよ。手ぇ込んでやがんなぁ――」
 そうぼやきながら、助役は数字をのぞき込む。



 00/00/00/04:35:23



 二十三の部分が、即座に二十二になり、後は一秒ごとに減っていく。
 だとすれば、それは。
 その、あまりにも少ない残り時間に、助役はすぐさま考えを口に出した。
「誰か人をやってくれ。想夏嬢ちゃんのところにメンテナーがいる」
「え? 機械のお医者さんをですか?」
 疑問交じりの現場監督に、
「ああ、警察や自衛隊呼んでも、今からじゃどう急いでも間に合わねぇ。だから急げ。――畜生、あいつら今になって厄介な土産もん用意しやがって」



■ ■ ■



 そして、現在。数字は、三十分ほど減っていた。
「何でこんな田舎町にわざわざ!」
 バールでこじ開けた板の中身に、無理矢理携帯端末のケーブルを差し込み、キーボードを叩きながらメンテナーが叫ぶ。
「無辜な市民を盾に取ったつもりだったんだろう。あるいはただの嫌がらせかもな」
 さらりと言う助役。
「で、爆発物の規模は」
「大体1トン。本体は俺達の足下――地中に埋まっている。地上に露出している部分は制御兼、起爆用の小規模な爆破装置だ。こいつが吹っ飛んでもせいぜい車一台が吹き飛ぶ程度だろうが、地下の本体が爆発すると……一区画はやばいな」
「そんなに高性能なのか」
「この板みたいなのは自作だろう。だけど地下のは本来爆撃機の腹に収まっているものだ。通称は――『要塞壊し』」
「……なるほどな」
 そう答えたきり、助役はしばらく絶句した。
「で、解除の方はどうだ。いけそうなのか?」
 キーボードをピアノのように叩きながら、メンテナーが答える。
「ぎりぎりだ。もしくは――若干オーバーする」
 メンテナーが今していることは、タイマーの構造を解析し、それを止めることである。当初は爆発物を分解することに全力を注いでいたが、お約束と言えばお約束の赤と青の導線が出てきたところで、メンテナーはその方針を放棄した。確率半分で導線を切るほど、楽観論者では無かったのである。
「だからじーさん、今のうちに避難命令出しとけ」
「待ってください」
 口を挟んだのは、何故かメンテナーに同行してきた時雨だった。
「計算機の増築による、並行処理はどうですか?」
「確かにそいつは魅力的な案だが」
 携帯端末の画面から目を逸らさずにメンテナー。
「この町に簡単に持ち出せて、なおかつ性能の良い端末があるとは思えないんだが」
 俺の携帯端末だって、そこらの端末とは桁違いなんだぞ、とメンテナーは続ける。
「ひとつ、心当たりがあります」
 そう言って、時雨は助役の袖を引っ張った。
「すみません、少し手を貸していただけますか?」



■ ■ ■



 メンテナーと時雨が出掛けて半時間ほど経った。それでも明かりが点かない想夏の部屋の前で、真昼は逡巡していた心を抑え、そっと中に入った。
「想夏、大丈夫?」
「うん……」
 思っていたよりずっと早く、想夏の返事が帰って来たことに、真昼はまず安堵する。
「……よかった。メンテナー、ちょっと此処を離れるって。なんかの解体をするみたい」
 返事が返ってこないことを危惧していた真昼は、だからすぐに帰ってきた想夏の返事にほっと胸をなで下ろしていた。そのまま闇に目を凝らしながら、ベッドの上で膝を抱える想夏の隣に座る。
「――真昼」
「なに?」
「わたしが自律人型機械だって、いつから気付いてた?」
 ぐっと、一瞬だけ真昼は唇を噛んだ。再び背筋が張りつめてくる。
「――初めて、会った時から」
 それでも想夏に聞こえるようはっきりと、真昼はそう言った。
「そっか……」
 暗闇の中で、少しだけ想夏が笑った気配が伝わって来る。
「憶えて、無いかな……学校で会う前に、アタシと会っていたこと」
「学校で、会う前?」
「うん……。時雨とアタシとは中学からのつき合いなんだけど、想夏とはね、その前にあったことがあるんだ。アタシがまだ小学生だったとき、一度想夏に会っているんだ。だから、入学式の後クラスで自己紹介しあったとき、すぐにわかった」
 想夏は思い出そうとする。三ヶ月近く前の、入学を果たした日を。そして同時に気付く。三ヶ月より前の記憶が、霞がかかったようにぼやけていることを。
「先生にさ、校内のこと教えてもらえってアタシと時雨を紹介されたでしょ? 最初は時雨だけでね、そこにたまたま一緒にいたアタシが頼んで入れてもらったの。だってあの時、迷子になっていたアタシをちゃんと交番まで連れて行ってくれたのが――今と変わらない想夏だったから」
 憶えていない。そんな記憶は全く無いのに、何故か想夏の胸が熱くなった。
「――でもね、想夏はアタシのこと忘れていたみたいだった。だからアタシも黙ってた。先生から、聞かされてたんだ。あの新入生はロボットだって。でも本人はそう認識していないから、人として接するようにって」
 入学式の後、教師に呼ばれたことは覚えている。初めてクラスに入った時の自己紹介でも、妙にクラスがざわついていたのも覚えている。つまり、それは――、
「だけど、時雨はそれは間違っているって聞かなくて。アタシはどっちでもよかったんだけど、時雨は、いつか、その子が酷い目に遭うって。先生といきなり大論争だったんだ。今思えば、時雨の言うことの方が、正しかったんだね……」
 語尾が、微かに枯れていた。それに想夏が疑問を持つ間もなく真昼は自分の頭を想夏の肩に、預けてくる。
「ごめん、ごめんね……」
 微かに震える真昼の肩を想夏はそっと抱いた。
 月明かりが、窓越しにそっと差し込み、ふたりを照らす。真昼が見上げると、そこには目に涙を湛えながらも、穏やかな笑顔を浮かべる想夏の姿があった。
「ありがとう。教えてくれて」
「……想夏っ」
 真昼の腕が伸びて、想夏の背中を抱き締める。
 そのまま、ふたりは少しだけ泣いた。
 その間に空がゆっくりと動き、月明かりが部屋の中をゆっくりと移動していく。
 そして、町中にサイレンの音が響いた。台風や火災時のみに鳴る、各家庭の近くにある電柱に括り付けられた緊急避難のサイレンである。
「なに――!?」
 不安そうに当たりを見回す真昼。
 想夏は静かに顔を上げ、続報を待つ。
『こちら、町役場』
「――!」
「時雨?」
 真昼が絶句し、想夏が声の主の名を呟く。
 そう、同軸に接続されたスピーカーから流れる声は、時雨のものだった。
『避難警報です。岬の突端にて解体作業に携わっていた業者が時限式の爆発物を発掘しました。起爆まで時間がありません。全町民は、至急山際の町役場駐車場、もしくは駅前広場まで避難してください。現在メンテナーが一名解体にかかっていますが計算処理の都合で間に合う可能性が限りなく低い状態です。爆発物は、最悪あと……二時間ほどで起爆します。警察、自衛隊に出動要請をかけましたが間に合いません、至急、避難してください』
「メンテナーだけじゃ駄目なんだ……」
 と、真昼。さほど慌てていないのは、此処から避難場所まで近いためであろう。しかし、想夏の目には、明らかに動揺の色が浮かんでいた。
 もし間に合わない場合、解体中のメンテナーはどうなるのか。
『想夏』
 再び、時雨の声。
『メンテナーを助けてください。貴方ならできます』
「一体何を!?」
 真昼が叫ぶ。
『私達が貴方に嘘をつき続けたことについて、許してくれるとは思いません――でも、』
「時雨……」
 想夏が呟く。
『メンテナーは、貴方が傷付くのをもう見たくないと言っています。だから、せめて貴方の住む町を助けようとしています。どうか、力を貸してください』
 耳障りなマイクが切れる音が響き、それ以降、スピーカーからは何も聞こえなかった。
「――想夏が行って、一体何をしろっていうの……」
 そう言って、窓の外にあるスピーカーから目をそらす真昼。逆に想夏は、ずっとスピーカーを見上げている。
「ねぇ、真昼」
「なに?」
「わたしを、メンテナーさんのところに連れてって」
「――え?」



 スクーターのタイヤが小石を踏ん付け、車体が大きく撥ねた。同時にフロントライトの光線が、あらぬ方向へ飛んで行く。
「見つかったら免停だよーっ」
 と、舌を噛みそうな揺れの中で叫ぶ真昼に、
「大丈夫っ!」
 と、真昼の背中にしがみついている想夏が叫び返す。
「わたし、人じゃないからっ」
「そうだとしても、車載重量オーバー!」
 再び叫ぶ真昼。
「――ごめん、そこまで考えてなかったっ!」
 海への一本坂を、一台のスクーターが突っ走って行く。



■ ■ ■



「恥ずかしいことすんなよっ」
「確実に惨事を防ぐためです」
 キーボードを叩きつつ叫ぶメンテナーに、時雨はにべもなかった。
「それに、私は想夏が来てくれると信じています」
「……都合の良い考え方は、しない方がいい」
「――それは、本心ですか?」
「さぁな!」
 その間も、メンテナーはキーボードを操る手を止めない。
 助役が後ろから声をかける。
「もういい。諦めて退避を――」
「いや、ギリギリまでやる」
「しかし――」
「じーさん、想夏のこと知っているんだよな?」
「……ああ」
「時雨が言った通りだ。俺はな、さっきあいつを傷付けちまった。だから、もう彼女が苦しんだりする姿を見たくない。そのためにゃあ、こいつを爆発させる訳には行かないんだよ」
 返事は無かった。不審に思ったメンテナーが顔を上げると、助役が深く頭を下げている。
「な、なんだよ」
「いや、お前さんには、本当に悪いことをしたと思ってな」
「何を今更。俺はただ、俺がやりたいことをやるだけだ」
「そいつは違うだろ」
「何?」
「誰かのために、やれるだけのことをやる。違うか?」
 顔を上げいつもの泰然とした表情に戻って、助役はそう言った。心なしか、口の端に笑みが浮かんでいる。
「うぐ……」
「それが、メンテナーの本心です」
 黙って作業に戻ったメンテナーに、些か勝ち誇った声で、時雨がそう言う。と、
「どいてどいてどいて〜」
 関係者を蹴散らしつつ、一台のスクーターが飛び込んで来た。
「真昼嬢ちゃん!?」
 スクーターの運転席にいる彼女を見て、助役。
「想夏!?」
 そして、その後ろにいる彼女を見て、メンテナー。
 あー、みんなの前で乗り付けちゃったよ。これじゃ免停確実だようと嘆く真昼の真後ろから時雨の手を借りて想夏がスクーターから降りる。
「メンテナーさん」
「あ、ああ……」
「お手伝い、させてください」
「て、手伝いってお前……」
 傷付けた手前、しどろもどろになるメンテナーに対し、想夏は凜とした態度で胸に片手を当てると、
「計算機、あります」
「……まさか」
「わたし、やります」
「想夏――」
「前に時雨から聞いたことがあるんです。自律人型機械の頭脳って普通の端末より、ずっと処理能力が高くて――」
 メンテナーの言葉を遮って、想夏は言う。
「普通の端末と一緒に仕事をすれば、どんなものでも、すぐに終わるんですよね?」
「だって、お前……」
「さっき、ルートコードでわたしを動かそうとしたじゃないですか。わたしが人じゃないなら、自律人型機械なら、今言ったこと、出来ますよね?」
 道中で、必死に袖か何かでこすったのだろう。少しばかり顔が赤くなっている。
 けれども、涙の跡は消えていなかった。
「……すまない」
「謝らないでください。わたしのことを考てもらった結果なんですから」
「それでも謝らせてくれ。俺は想夏を――二回も苦しめた」
「……でも、これはわたしの意志ですから。機械でも人でも、わたしが風合瀬想夏として決めたことです」
 その瞳に決意の日が灯っているのを見て、メンテナーも覚悟を決めた。だから、腕を組んで大仰に頷き、言う。
「そうか……」
「――メンテナーさん……」
 些か気落ちした貌で、想夏は言う。
「その冗談、あまり好きじゃないです」
「冗談じゃない。今のは洒落だ」
「非常時じゃ、ないんですか?」
「非常時だな。だから、いくぞ」
 キーボードを叩く手を止め、持参したバッグから工具の類を取り出しつつ、メンテナーは言う。
「はいっ」
 力強く、頷く想夏。
「――想夏」
「はい」
「……ありがとう」
「……はい」



 十五メートルほど離れた場所に構築された簡素な防爆壁の向こう側へ、真昼達を退避させる。無論、最後まで一緒にいると言って聞かなかったが、メンテナーは助役に頼み、現場監督らによる人海戦術で無理やり退避させた。万一の場合、犠牲は少ない方が良い。もっとも、全てが爆発すれば壁もへったくれもなかったが。
 解体業者から調達した工具箱に座らせた想夏の手首には、ケーブルの伸びたバンド――非接触式のインターフェイス――が巻かれている。そしてそのケーブルは、メンテナーの端末へと繋がっていた。
「クラスタープログラムが起動すると、急激に眠くなるはずだが、安心して身を任せてくれ。くれぐれも怖がるなよ。リンクが難しくなる――行くぞ」
「はい」
 静かに答える想夏。そして、メンテナーのキーの一押しで急にふっと全身の力が抜ける。同時に、メンテナーの指が今まで以上に早くキーボードを叩く。
「リンク完了――疑似クラスター、アクティブ・アクティブで構築完了……」
 想夏が志願し、メンテナーがやったことは、時雨が提案した通り、計算機の増設である。
 想夏の思考回路を、文字通り計算のみに回す。
 ただし、想夏自身がその状態で自らの計算を管理出来ないので、メンテナーの端末にあるソフトウェアを想夏に複製し、そこで実行させているのである。これを、アクティブ・アクティブ構造のクラスターと呼ぶ。
 引き続きキーボードを叩きながら、メンテナーは管理画面から起爆停止のための暗号を解析する進捗度グラフを呼び出した。
 想夏が計算を開始してから、同時に処理出来るコード数が急激に増えていく。
「すげえな……。さすがフラッグシップモデル」
 想夏は答えない、光のない瞳でメンテナーを見ている。
 処理を全部コードの解析に回しているため、誰とも会話できないのだ。
「どうメンテナー、順調?」
 心なしか気楽な、真昼の声が飛ぶ。
「ああ、まぁな――」
 そう答えて、管理画面を覗き込んだメンテナーは絶句する。
 タイマーのカウントが急速に回り始めていたのだ。
「前言撤回だ――解析に気付きやがった!」
 随分と厭味なトラップであった。メンテナーはすぐさま時計を呼び出し、加速分を計算する。
「全員逃げてくれっ! タイマーが五倍速になった!」
 些か我を忘れて、メンテナーは怒鳴った。
「そうもいかん」
「んじゃそこの真昼と時雨を連れて逃げてくれ」
「逃げるわけないじゃない」
「右に同じ、です」
「あのな、今はそんなこと――」
「アタシと時雨は、想夏とメンテナーのこと信じてる。それでも不満?」
「そういう問題じゃないっ! お前達まで巻き込んだら、俺は――」
「こっちの残り時間は!」
 メンテナーの混乱を収めるように、冷静な声で助役が怒鳴り返す。
「タイマーがカウントゼロになるまでの、こっちの処理終了予定時間は……マイナス十三秒――いや五、プラス七、十二――なんだこりゃ!?」
 仰天した。想夏の処理分が、急激に伸びていく。
「解析プログラムを、最適化している?」
 ひとり呟くその声が裏返ってしまった。そこまで柔軟な処理を出来る自律人型機械には、今まででも数人にしか会ったことが無かったからである。
「全員対爆姿勢! 耳を抑えて蹲れ!」
 メンテナーの声が聞こえなかったのか、それとも念のためか、助役がそう叫んだ。



 結局、残り一分三十二秒のところで、タイマーは停止した。



 クラスタープログラムを終了させ、想夏の記憶野から削除する。空き容量はかなりあったが、余計なものは消しておくことに越したことは無い。
 こうして、メンテナーは想夏を解放した。
「メンテナーさん……」
 目が乾いてしまったのだろう、何度も瞬きをしながら、想夏が声をかける。
「悪い、目を閉じろって言っておくべきだったな」
「それより――」
「成功だ。何もかも上手くいった」
 防爆壁の向こうから、真昼達の歓声が上がる。
「……よかったです」
「ああ、そうだな」
 メンテナーは端末も撤収させようとして、気付いた。
 何やら小さく鳴っている、ビープ音に。
 同時に、機能を停止したはずの板が僅かに振動し、一部の外装が弾け飛ぶ。
 そこは調度、起爆装置が収められている部分であった。
「に――」
 メンテナーの喉が一気に渇き、背筋が凍る。
「逃げろっ!」
 解体業者達が、防爆壁から顔だけを出していた顔を一斉に引っ込め――、
「あ!」
 誰かの叫び声と共に、起爆部が弾け飛んだ。ブービートラップ。本体が起爆できなくなった時、無理やり起爆させるための起爆装置であろうか。
 いやにゆっくりと上昇するサッカーボール大のそれに付いていたグリーンのランプが、オレンジになり、次いで赤になる。
「退避ー!」
 飛び出そうとした真昼と時雨を両手で掴んで防爆壁に飛び込みつつ、助役が叫んだ。
「想夏っ」
 メンテナーが彼女の腕を取ろうとする。
 そして、想夏は――。
 想夏はメンテナーを突き飛ばすと、ほぼ同時に起爆部を、抱き締めるように抱え持った。
 メンテナーが尻餅を付き、即座に起きあがろうとしたときには、既に海の方向へ駆けだしている。
「ば――、」
 辺りが真っ白な閃光に包まれ、続いて爆音がメンテナーの身体を弾き――。
「馬鹿野郎っ!」
 メンテナーの絶叫が、かき消された。



 五 『二〇七九年、七月のアリス』



 全国一斉労働争議時、多くのプログラマー、システムエンジニアが加わったことにより電子的なテロが横行したと、当時の記録には記されている。
 それはさっきまでメンテナーと想夏がふたり掛かりで相手をしたタイマーがそうであったように、随分と凝ったものであったらしい。
 ただし、彼らの過激派が手に入れた兵器の類いはともかく、お手製の爆弾は粗雑なものだったと記録されている。
 爆発することそのものが目的なのでは無かったのだろうと、当時の資料には書かれているが、その真意は定かではない。ただ、起爆装置くらいには使えるだろうと、過激派の連中は思ったのかもしれない。
 そしてそれは、長い時を経て大分劣化してもいた。
 だから、その爆発の範囲もせいぜい数メートルで、メンテナーは爆風を浴びたものの、傷ひとつ負っていなかった。
「想夏!」
 がばりと起き上がって、メンテナーが叫ぶ。爆音に対して耳を塞ぎ損ねたため、耳鳴りがひどい。
「想夏――!」
 返事は無い。メンテナーは強烈な耳鳴りでくらくらする頭を押さえながらも、爆心地へと歩み寄る。
「メンテナー! 想夏はっ!?」
 後ろで、真昼がそう叫ぶ。どうやら、助役らと上手く防爆壁まで下がれたらしい。
「わからん! 想夏! 想夏っ! 答えられたら返事をしてくれ!」
 建物の解体がほぼ終わっていて、地面が露出していたのが不味かった。ここ数日降らなかった雨のせいで土煙が容赦なく立ちのぼっていて、周囲が全く見渡せない。
 それでもメンテナーは爆心地に歩み寄り、見た。
 地面に転がる、想夏の姿を。
 随分と凝った仕掛けではあったが、元より、爆弾そのものは粗雑なものだったと記録されている。
 そしてそれは、長い時を経て大分劣化してもいた。
 たとえ粗雑でも、往時の性能であれば想夏は跡形も無く消し飛んでいたに違いない。
 それでもその爆弾は、想夏の右腕を吹き飛ばし、腹部を半分ほど抉っていた。
「おい待てよ……冗談だろ、なあ……」
 思わず膝を付き、残った左手を取る。暖かさは残っていたが、力は何処にも無かった。
「なぁ、頼む。想夏、返事をしてくれ――」
 想夏の手を両手で握り、メンテナーは祈るようにそう言う。
「怪我は、ありませんか……?」
 かすれた声が、確かに聞こえた。そしてほんの僅かながら、握った左手から反発力が帰ってくる。
 メンテナーの顔が、弾かれたように跳ね上がった。
「……ああ、無傷だ。俺も、真昼や時雨、それにみんなも」
 叫びたい衝動を押さえ込み、そう言う。
 ただ、想夏の目は微かに開いていたが、視線はこちらを向いていなかった。それでも彼女は満足そうに小さく、本当に小さく頷くと、
「良かったです……」
 滑らかさが失われた動きで、笑ってみせる。
「それにしても、頭の中、すごいエラー音――」
「おい、想夏! しっかりしろ、おいっ!」
 揺さぶりたい気持ちを全力で抑え、メンテナーが声を振り絞る。
「本当にわたしは、ロボットなんですね――」
 視覚はほぼ機能していなかったが、触覚はまだ生きていたのだろう。メンテナーへ無理を言う子供をあやすように笑顔を向けて、想夏は瞼を閉じ、
 ほぼ同時に、緊急用のシステムメッセージすら言わず、想夏の全身から力が失われた。
「メンテナーっ!」
 助役の制止を振り切ったのだろう、真昼がメンテナーに向かって駆けてきた。そのすぐ後ろを、時雨が付いてくる。
「ねえ、想夏は――」
 その想夏を見て、真昼は絶句する。悲鳴を上げなかっただけでも、たいしたものかもしれない、とメンテナーは妙に麻痺した頭でそんなことを考えた。
 それでも、今の自分の貌と想夏の姿だけは、絶対に見せたくなかった。
「し……死んじゃったの?」
 メンテナーは首を縦にも横にも振らなかった。
「ねぇ、どうにかして! どうにかしてあげてよメンテナーっ!」
「真昼、落ち着いて!」
 想夏に飛びつこうとする真昼を、必死になって時雨が抑える。その顔には普段見せる仏頂面ではなく、苦痛に歪む年頃の少女の表情であった。
 誘爆無しと判断したのだろう。遅れて、助役が駆け込んでくる。
「こりゃあ、お前……」
「……じーさん、リアカーを一台頼むわ。担架でもいい。出来るだけ早くだ」
 その場に居た全員が、メンテナーを見た。
 握っていた想夏の左手を静かに離し、そっと置いて立ち上がる、メンテナーを見た。
「――自律人型機械ってのはな、ハード、ソフトに拘らずシステムに致命的なエラーが出た時、システムメッセージを出すんだ。特に致命的だった場合、完全に停止するまで固有の台詞をずっと喋り続ける。自分の名前、住所とか、オーナーの名前とかをな。誰でも良いから聞いて貰って、自分が壊れたことを伝えて貰うためにあるんだが……」
 その全損を示すシステムメッセージを、想夏は口にしなかった。
 ならば。
「つまり、まだ、助かる確率の方が高い」
「――わかった。すぐ用意する」
 助役がそう言い終わることには、既に解体業者の何人かが駆け出して行く。
「真昼! 時雨! 手伝え!! 俺達には、俺達に出来ることをやるぞ!」
 想夏の両脇で、膝を付いていたふたりが立ち上がった。
 メンテナーは少し身体の位置と視線を動かし、真昼が手の甲で顔を拭うのを視界から外す。
「……前に言ったよな。バッテリーが切れて記憶が消えてしまった自律人型機械の話」
 ふたりが頷くのを確認してから、メンテナーは言う。
「今度は救う。絶対にだ」
 想夏から離れ、携帯端末を回収しようする。
 無い。
 慌てて自分が作業をしていた場所に目を凝らす。
 すると想夏が座っていた工具箱の隣に、爆風でディスプレイとキーボードを繋ぐヒンジが折れている携帯端末の姿があった。
「――お前もか。くそ、いきなり予備かよ。メイン端末が欲しい時に……」
 舌打ちしつつ、作業着のポケットから通信主体の小さな予備機を引っ張り出そうとする。
 だが、それを止める手があった。
 時雨である。
「あります」
 そう言って、時雨が差し出したのは。
「これって……メンテナーの講習用端末じゃないか」
「受けるんです。今年の冬に。ただ、これは研修用だけあって機能が……」
 制限されていると時雨が言い終わるころには、メンテナーはそれを解いていた。
「こいつはな、正式版に対し制限をかけているだけなんだ。覚えておいてくれ」
「……はい」
「借りるぞ、後輩」
「はい」
 片手で端末を開け、画面を見る。普段自分でカスタムしたものとは違うが、特に支障はない。
「久々の――本業だな」
 そう呟いて、メンテナーは海を背にした。遠くに、想夏の家へと続く坂道が見える。
 その坂を見上げるメンテナーの元に、解体業者からの担架が到着したのは、それからすぐのことであった。



 現場に残った助役達に真昼のスクーターを託し、三人で、想夏の部屋に彼女を運び込む。
 真昼と時雨が想夏をベッドに載せている間に、メンテナーは自室に飛び込み、必要な機材を抱えてすぐさまとって返してきた。
「よく聞け真昼っ」
 指針式のメーターを真昼に投げながら、メンテナーが叫ぶ。
「メーターを見てろ! いいか、針が緑の領域にある時は何も報告しなくていい。だが、赤の領域に針が入ったらすぐに報告しろ。いいか、猶予は三分だ!」
「三分って……何が?」
 自分でも底冷えする声で、メンテナーは告げる。
「赤が三分続いたら、過電圧で想夏は完全に死ぬ」
 真昼が小さく息を呑む。隣の時雨はピクリとも動かない。
「だから、赤い領域に入ったらすぐ知らせろ」
「わ、わかった!」
 抱き締めるようにメーターを持ち、真昼は何度も頷いた。
「時雨、お前は俺の助手だ。言われてわからない手順・機材が出てきたらすぐに俺に訊け。経験で裏打ちされたもの以外の勘を信じるなよ、間違ったらその場でアウトだ。わかったな?」
「了解です」
 長い髪をゴム輪を使ってうなじ辺りで留め、時雨が頷く。
「緊急整備を始める。事実上の応急修理だ。成功率は現時点で大体五十%……」
 真昼が大きく喉を鳴らした。確率が半分半分なのが一番怖いということが、経験していなくても伝わってしまったのだろう。そう、これからする作業の結果は、どう転んでも誰のせいにも出来ない。
「行くぞ」
 メンテナーは、静電気を逃がすバンドを両手首に巻いた。そこからコイル状のコードを延ばし、先端に付いているクリップで想夏のベッドに接続する。
 次いで抉れた腹部に手を突っ込み、胸部側からちぎれた配線を少し引っ張り出す。皮膜を少し剥がし、そこに真昼に渡したメーターから伸びているコードに無理やり繋いだ。
「すごい、揺れてる……」
 メーターを覗き込みながら、真昼。
「それだけ電源からの伝達が不安定なんだ。気を付けて見ていてくれよ」
「う、うん……」
 最後に、残った左の手首に、起爆装置を解除した時と同じように携帯端末から伸びたバンドを巻き付け、時雨の携帯端末からメンテナーのコードと想夏の機体番号を打ち込み、彼女自身の管理画面を開く。
「参ったな……爆風であちこちのガタが洒落で済まなくなっている」
「まずは――メモリーの確保ですか?」
「『アリス』は当時の最高級機だ。不揮発のバックアップがある」
 だから、あの時のようなことは起こらない。
「その代わり怖いのは、電圧の不安定化による過電圧だ。何故だかわかるか?」
「バックアップを含む、メモリー部分の破壊?」
 普段通りの表情だが、額に少しだけ汗を浮かべ、時雨が答える。
「その通り。だからまずやることは電源の安定化だ。その後腹部、腕部の復旧、最後に全身の整備だ。いいな?」
 時雨が頷くのを確認してから、メンテナーは空いている腹部から、生きているコネクターを捜し出し、そこにカードサイズの基盤を接続してから、想夏に整備状態での再起動のコマンドを送る。
 途端、真昼が悲鳴を上げた。
「針が、メーターの針がっ、赤いところに入っちゃったぁ!」
「時間を計れっ!」
 カバンから他の基盤を片っ端から突っ込んでは外し、メンテナーが叫ぶ。
「何秒経った!?」
「――三十二秒……三十五秒経過」
 震えが止まらない真昼の代わりに、時雨がそう報告する。
「針が一瞬でもぶれたら報告しろ!」
 そう言いながら、電源安定化の各種基盤を取り替え続けつつ、メンテナー。
「――! 今のカードでぶれました」
「これだっ。ええい間にあえ!」
 基盤のスイッチを押す。蒼い火花が腕に当たったが、メンテナーはそれを無視した。
「針は!?」
「――グリーンゾーンに戻りました」
 時雨が答える。
「よし……」
 初っ端から危なかった。メンテナーは額に浮き出ていた大量の汗を一気に拭う。
「続けるぞ」
 その声に時雨が頷き、メーターをベッドの脇に置く。手伝いながら表示を見るためにしたのだが、そのメーターを、真昼が両手で持ち上げた。
「真昼――」
「時雨……それ、アタシがやるから」
「真昼、無理しないでください」
「大丈夫。これはアタシの仕事。時雨は時雨の仕事を。アタシより、ずっと器用なんだから」
「……わかりました。お願いします」
 真昼の肩を一回だけ叩いて、時雨はメンテナーの側に戻った。
「もう大丈夫か?」
「もう大丈夫です」
 簡潔に、答える。
「よし、続けるぞ」
 時雨が頷き、真昼も頷く。壁にかかっていた古風な時計がやはり古風な時報を鳴らした。



「……まずい」
 メンテナーが、何度目かの額の汗を拭った時、時刻は既に零時を跨いでいた。拭えない背中に伝わる、冷たい汗が実に気持ち悪い。
「ど、どうしたの」
 メーターとメンテナーを交互に見ながら、真昼が問うた。
「バッテリーが、足りない」
 携帯端末に再計算させながら、メンテナー。
「このままだと、起動すらできないぞ……」
「そんなっ、どうして!?」
「想夏の構造上、電源との間にバッテリーをどうしても挟まなくちゃならない。『アリス』タイプの悪い癖だが、通常はメインバッテリーがあるから問題ないんだ。だが、そのメインバッテリーは腹にあってな……そこに内蔵されていて、爆風で破裂しなかったものの内、まともに電気を溜められるのが半分にも満たないんだ」
 そのまともな分も、電気を溜め込める量があまりにも心もとない。唯一助かったというか、非常に運がよかったのは、バッテリーを繋ぐコネクターが悉く生きていたことであろうか。
「おまけに経年劣化だ。四年もほったらかしにしていたから当然と言えば当然なんだが――」
 せめて、しっかりとメンテナンスされていれば。メンテナーはそう思うが、無い物ねだりをしてばかりでいられない。
「想夏のバッテリーは、普通のマルチバッテリーのはずですが」
 時雨がそう指摘した。
「その答えは正確ではない。『アリス』タイプは消費電力が高い分大容量のバッテリーが必要なんだ」
「なら電池を足せば良いんじゃ」
「だからそんな都合の佳い量のバッテリーが何処にある!」
 思わずそう叫んだところでメンテナーは思い出した。
 ある。
 ガレージの棚に、段ボール箱に、作業机の上に。
「時雨、ここを頼む!」
 返事がくる前に、メンテナーは駆け出していた



 全力で、あの重い扉を開ける。
 メンテナーが、そして想夏が最後に修理をした時と同じまま、それらはそこにあった。
 アルカリ乾電池で動くもの、ニッカドバッテリーで動くもの、リチウムバッテリーで動くもの、そして、
 想夏と同じ、高出力リチウムポリマーのセルバッテリーで動くもの。
「お前ら……」
 壁に並ぶ機械達を眺めながら、メンテナーは大きく息を吐いた。そして一気に顔を上げる。
「お前ら、主人を守りたいか?」
 返事はない。けれども、誰かが頷いたようにメンテナーは感じていた。
「済まない。お前達の部品、分けてくれ……」



「なるほど……」
 段ボールに有らん限りのバッテリーを詰め込んで戻ってきたメンテナーを一目見て、時雨はそう呟いた。
「電源をバイパスする。いきなり高等作業だが、生憎時間がない」
 時雨が黙って頷き、遅れて真昼も頷く。
「まず真昼、お前はケーブルを作れ。こうして皮膜を剥がし、このペンチで端子を圧着させればすぐできる。出来るか?」
 と、バッグから材料を取り出して目の前で電源ケーブルを作りながら、メンテナーは問うた。
「うん、やれる。やれるよ」
 真昼が力強く頷く。
「良し。とりあえずは十五センチを四本、三十センチを二本だ。後は俺から指示する。始めてくれ」
「OK!」
「時雨は、バッテリーの選別と調整だ。真昼の作ったケーブルに抵抗端子を噛ませて、電圧を均一にしてくれ。調整すべき電圧は端末の管理画面にある」
「了解です」
 時雨も、力強く頷く。
「――久々の、大仕事だ」
 最後に、口の端を吊り上げて、メンテナーはそう呟いた。
 是が非でも、成功させなければならない。



■ ■ ■



 それは、ずっとずっと前のことだ。
 道端で、子供が泣いていた。いかにも活発そうな男の子みたいな格好をしていたが、その不安そうに声をこらして泣いている姿は、間違いなく女の子である。
『どうしましたか?』
 今よりずっと事務的だった声が、自分から飛び出る。
 するとその子は、驚いたように顔を上げると、不安そうにこちらを見て、
『……お、おうち、わからなくなって』
『それでは、探しに行きましょう』
 間をもたせずすぐさま答えて、小さな手をそっと取り、歩き始める。脳裏には既に最寄りの交番のデータと、この町全体の地図が展開されていた。
『……ありがとう、おねえちゃん』
 女の子がそう言う。
 ――この子が、真昼?
 すべてが消え、感覚も何も無い無明の闇の中で、想夏はひとりそう思う。
 何で今まで忘れていたんだろう、とも。



■ ■ ■



「バッテリーの具合はどうだ?」
 管理画面を埋め尽くす各種パラメーターに目を通しつつ、メンテナーが時雨に問う。
「最初は電圧、電流とも随分とばらついていましたが、今は大分落ち着いています。形状はこんなものでしょうか?」
「――ああ、充分だ。真昼、ケーブル作りはもういいからこいつを見ていてくれ」
 そう言って、メンテナーは最初よりも針の多いメーターを真昼にて渡した。
「これは?」
「多目式メーターだ。想夏の各部分の電圧を測る。これを頼む」
「わかった。メンテナーは?」
「俺か、俺は――仕上げに入る」
 そう言って、メンテナーは密封された小さな包みをバッグから取り出した。
「それは、なに?」
「無発泡のシリコンパテだ。自律人型機械の皮膚はある程度の自己修復機能を持っているが、度が過ぎれば傷のまま残る。これはそれを治すためのものだ」
 そう言って、メンテナーは密封容器からそれを取り出し、肌色のそれを丁寧に練り始めた。
「わかった。お腹と手を埋めるんだね」
 と真昼が手を叩いて言う。
「いや、違う。腕の付け根を埋めたら後で修復出来ないだろ。腹にしたって、欠損箇所が大きすぎる。俺が持っている分じゃ、到底足りない」
「え、それじゃあ……」
「顔の傷を治すのに最優先で使う。女の子なんだからな」
 そう言って、メンテナーは想夏の頬に出来ていた傷に、そっとそれを刷り込み、ウェットティッシュで拭う。
「――今は人の傷痕みたいだが、数時間で同化するだろう。そうしたらもう一度拭いてやれば良い。それで完全に消えるはずだ」
「メンテナー……」
 時雨が初めて、笑顔を見せた。



■ ■ ■



 それは、ずっと前のことだ。
『……私は先に逝く』
 カウチに座った老人は、そう言った。
『壊れるって事ですか? オーナー』
 脚に毛布をかけながら、訊く。
『ハハ……そうだね。君の感覚だとそうだろう』
『感覚――ですか』
『うん、そうだよ。いいかい? 私が壊れて、修理できなくなったら、君は人間として自由に生きなさい』
『人として……?』
『そう、人として。それが私の最後の……願いだよ』
『わかりました。必ず実行します』
『……ああ、頼む。――君には、最後まで機械らしい仕草しかさせなかった、ね――』
 想夏の擦り切れそうだった記憶。
 彼女が、オーナーと交わした最後の約束。
 ああ、そうか。
 静止した時間の中で、想夏はひとり想う。
 これでわたしは、人として生きようとしたんだな……と。



■ ■ ■



「メンテナー! また針が赤いところに!」
「今になってか!」
 シリコンパテを放り出しそうになりつつ、メンテナーが端末の画面を覗き込む。
「この時点までもっていた回路が、駄目になったようです」
 既に端末を使って解析を始めていた時雨が、そう言った。
「わかった。腹に巻いた絶縁テープを剥がす。――おそらく、コンデンサのどれかがいかれているんだ。時雨、引き続き端末を使って探してくれ。俺が交換する」
「わかりました。――発見。腰部脊髄付近、左側です」
「替えるぞ! 各自目の前のものから目を離すなっ!」



■ ■ ■



 それは、少し前のことだ。
 海風に吹かれ、桜の花びらが舞う、春。
『初めまして、風合瀬さん。アタシは新田真昼。こっちは音無時雨。よろしくね』
 入学式の後、教師によって別室に呼ばれた想夏は、そのふたりと出会ったのであった。
『先生から風合瀬さんは引っ越したばかりでこの街のことを良く知らないと聞きました。だから、色々教えてあげて欲しいとも。御節介かもしれませんが、何かあったら訊いてください』
 と、時雨が言う。
『こちらこそ、よろしくお願いします』
 深く頭を下げて、顔を上げてみれると、ふたりの笑顔があった。
『うん』
『はい』
 以後、三人はいつも一緒だった。
 それはなんと、幸運であったことか。
 なんと自分は、幸運だったのか。
 辺りが真っ白になって行く中、想夏はそう思う。

 ふと、肩を掴まれた感覚が甦った。
 あの時飛び出してきた青年は、一体誰であったか。



■ ■ ■



 目を開けると、真横に真昼がぶっ倒れていた。オイルが入っていたと思われる空き缶を枕に、ケーブルとおぼしき物を数本握り締め、時折「電圧正常ー、電圧正常ー」と寝言を呟いている。
「……え?」
 身を起こして見てみると、反対側では時雨が眠っていた。こちらは真昼よりひどい状況――全身機械油まみれのうえ、導線を保護する被膜のかすだらけ――ながらも姿勢正しく静かに眠っている。



「あ、れ……?」



「目、覚めたか」
 メンテナーの声に、想夏は視線をそちらに向けた。
「ああ、身体はあまり動かすな。まだ右腕の固定が完全じゃない」
 言われて初めて、右腕の感覚が何処にも無いことに気付いた。次いで、意識を失う前の自分がどういう状態だったかを思い出す。慌てて腕の跡地に目を向けると、
「これって――」
 無いはずの腕があり、まるで骨折の後のように断熱段縁テープでぐるぐる巻きに固定されていた。
「動かすなよ。それ、全部バッテリーだからな」
 想夏はその言葉を理解すると同時に、まじまじとメンテナーの顔をのぞき込んだ。
 でっかい隈が、目許に出来ている。
「あの、わたしは――」
「生きてるぞ」
 片手に持っていたコーヒーカップを傾けながら、メンテナー。
「右腕完全破損に、衝撃による各所の断線。おまけに腹部メインバッテリーの破損。全部直してやった――と言いたいとこだが、右腕はもうちょい待ってくれ。さっきも言った通り、お前の腹の中のバッテリー、全部おシャカになっちまったから、その腕を代わりにしているんだ」
 言われて、腹部をそっと触ってみる。こちらも、何処かごつごつしていた。
「服、捲るなよ。腕の処置と変わらなくてな。あまり見せたくないんだ。……本当なら元通りにできるんだが、無発泡シリコンパテがあまり無くてな。しばらくはあちこち見苦しいかもしれんが、メーカーに行けば完全に治せる。それまで辛抱してくれ」
「大丈夫です」
 充分すぎます。生きているんですから……と想夏は続ける。
「……ありがとうございます、メンテナーさん」
「――礼は、俺だけに言わないでくれ」
 眠っているふたりに視線を落として、メンテナー。
「真昼と、時雨が手伝ってくれたから間に合った。真昼が電圧の報告と導線の製作を引き受けてくれたから俺は修理に集中することが出来たし、時雨がバッテリーや電圧の制御を俺の代わりにやってくれなきゃ、作業時間は倍になっていただろう。だから礼は俺だけじゃなくて、こいつらにも、な。にしても――」
 コーヒーをもう一回啜りながら、メンテナーは言う。
「良い友達を持ったな」
 そう言ってメンテナーは視線を落とす。
 見れば、残った左手を、ふたりは握ったままだった。
「はい。とても素敵な――わたしの友達です」
 想夏が、笑顔を見せる。それに続いて、涙が頬を伝った。メンテナーは手を伸ばし、その涙を指の腹で拭ってやる。と――、
「ん……」
 真昼が、目を覚ました。そして、
「――あっ!」
 身を起こしている想夏を見つけると、それまで握っていた導線を取り落とし、
 ぺたぺたと、想夏の頬を両手で触る。
「想夏っ」
「ご免ね真昼。心配かけちゃって」
「そんなこと無いっ、そんなこと無いよっ」
 ギュッと想夏に飛びつく真昼。
「――どうかしましたか?」
 時雨もゆっくりを目を開けた。起き上がった後、髪を縛ったままだったことに気付き、それを解く。
「時雨……」
「気分はどうですか? 想夏」
「うん、大丈夫。心配かけて、御免なさい」
 時雨は、黙って想夏を抱きしめた。
 そんな三人をメンテナーは微笑ましい表情で眺めていると、ふと思い出したかのように、
「あ、そうだ。ついでに応急メンテも済ませた。腹筋を使わないように、ゆっくり脚を動かしてみろ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 そう礼を言って、想夏がゆっくりと膝を曲げ伸ばしする。
「――簡単に動きます。こんなに軽かったんですね、わたしの身体」
「本格的な整備はまだだけどな。それと、これからは年に一回定期検診だ。怠るとまた調子が悪くなるからな」
「はい。その時はよろしくお願いします」
「あ、あぁ……」
「ところで――」
 動かせる左手をぶらぶらと揺らし、想夏が訊く。
「何でわたし、パジャマを着ているんでしょう」
「そりゃ、お前が言ってみりゃ病人だからだ」
 コーヒーのカップを想夏の勉強机において、メンテナー。
「ちょっと待ってよメンテナー。想夏、ぼろぼろになってたけど普段着着てたよ!?」
「あれは腹に大穴が空いた上に右袖が吹き飛んでいて、おまけに縁が焦げていたから、処分した。さすがにそっちは直せそうになかったからな」
「いえ、それは構わないんですけど。その、下着も新しいです」
 胸元を覗き込みながら、想夏。
「そりゃ、替えたからな」
「誰が」
 背中に拳を回しつつ、真昼。
「俺が」
 すぐさま答えるメンテナー。すると、想夏が今まで見た中で一番真っ赤な顔になる。
「……わたしもう、お嫁に行けないかも……」
「待て待て、妙に表現が古風だが、お前の身体を治すためだったんだ、仕方がないだろ」
「でもっ、でもっ」
「しくじった……アタシらが寝ている間になんつーことを……」
「待て真昼、なんでシャドーボクシングをする必要がある?」
「真昼」
 時雨が、ぽんと真昼の肩を叩く。
「処分方法は、任せます」
「OK時雨」
「いやちょっと待てって!」
「あ、ログ辿ったらこんなとこ触ってる! 調整には必要ないのに――」
「ほっほーう?」
「お前もちょっと待て想夏。自覚したからって急にそういう機能を使うな。っていうか嘘を吐くなっ今舌出したの見えたぞ。真昼、そういう訳だからいや待て本当に誤解だ、落ち着けっ、話せばわかる!」
「問答無用!」
 えらく古い伝統的なやり取りと共に、真昼会心の蹴りがメンテナーに炸裂した。
「……爆発の衝撃で、少し性格が変わりましたか?」
 華麗に飛んで行くメンテナーを眺めながら、時雨が冷静にそう言う。
「よくわからない。でも……なんかすっきりしちゃった」
 右腕と腹部の応急処置のためか、身体のあちこちがぎこちなかったが、それでも随分とさっぱりした貌で想夏は笑う。
「それなら、佳いです」
 時雨も静かに笑って、そう答えた。



 それから、三日後のことである。

 岬のど真ん中にあるその駅は、いわゆる終着駅であった。
 此処から線路は随分と長く伸び、メンテナーが本来住んでいる下宿先や彼の実家を通り抜けて、都心まで真っ直ぐ続いている。
 しかし、この街の住民である想夏達にとっては、始発駅である。
 夏休み半ば、それも始発電車とあって、乗客は、メンテナーと想夏だけであった。
 見送りも、真昼と時雨と助役のみである。
「残念だね。夏休み、一緒に遊べると思ったのに」
 蒼天を見上げて、真昼が言う。
「御免ね」
 申し訳無さそうに想夏がそう言ったので真昼は慌てて首を横に振り、次いで、
「気にしなくて良いんです。それより、ちゃんと元気な体になって戻ってきてください」
 と、時雨が補足した。

 想夏の完全修理には、彼女を造ったメーカーに行く必要がある。
 当初は想夏がひとりで行くと言ったのだが、オーナーの同伴が必要ということで、メンテナーが代理を務めることなったのである。

「こんなとこで聞くのも何だけどさ、自律人型機械ってオーナーいなくても大丈夫なの?」
 と、真昼が想夏に訊いた。
「んー、どうなんでしょう? メンテナーさん」
「どうなんでしょうって、お前が聞くなよ。今こうして、自分の意志で居るだろ。だから自律人型機械と呼ばれているんだ」
「あ、なるほど……」
「こりゃしばらく勉強する必要があるな。お前自身について」
「う、頑張ります」
 やっかいな宿題を言い渡されたような貌で想夏が頷いた。
「これで、しばらくはふたりきりだね、時雨……」
 と、ふざけて流し目をする真昼に、
「つきあってくれますか? 勉強」
 あくまで冷静に時雨は言う。
「へ? 宿題はもう終わったじゃん」
「メンテナーの試験の話です。目標は、今冬の試験一発合格。つまりはメンテナーのレコードの更新です」
 初めて挑戦的な表情を浮かべる時雨。そんな彼女にメンテナーは頼もしそうに頷くと、
「楽しみにしているよ、後輩」
 ――余談だが、音無時雨は次の年の二月、弱冠十七歳にしてメンテナーの資格を取得する。これにより、メンテナーが持っていた記録を四年、最年少記録すら三年分更新したのだが……それはまた、別の話。
「あ、そうそう」
 ふと思い出したように、助役が言った。
「町長からの伝言だ。町を救ってくれたことに対する御礼に、町営のアパートならひと部屋一年間無償で貸し出すそうだ。どうする?」
「そりゃあ、魅力的な話だが……」
「どうした?」
「いや、想夏の家に近ければ良いなと思ってな」
 途端、真昼の目が妖しく輝いた。
「時雨聞いた? ラブだよラブ」
「ラブですね」
「どうして色恋沙汰に持って行くんだお前らは……」
「そうだよふたりとも……あ、でもメンテナーさん」
「なんだ?」
「あの、それだったらわたしの家を使ってください。部屋、有り余ったままだし、わたしのメンテナンスも楽だと思いますし……」
「良いのか?」
「メンテナーさんが良ければ、ですけど」
「だってよ」
 そう言ってにやりと笑う助役。
「じーさん、計算づくは良くないぞ」
「いーや、たまたまだ、たまたま。な? 真昼嬢ちゃん、時雨嬢ちゃん?」
 真昼と時雨がうんうんと頷き、途中でふたりして吹き出す。続いて助役も豪快に笑い、最後に想夏とメンテナーが笑った。
 と、間もなく発車するという旨のアナウンスが流れた。メンテナーと想夏は電車に乗り込み、座席から窓を開ける。
「行ってらっしゃい。帰って来たら、いっぱい遊ぼうね」
 見送りを代表して、真昼がそう言う。
「行って来ます――今度はちゃんと、元の身体で帰って来るから」
 想夏がそれに応えた。
 真昼と時雨が、手を振った。
 メンテナーと想夏が、手を振り返す。
 直後、発車のベルが鳴り響き、電車は静かに進み始めた。
「……先は長いぞ、少し寝ておけ」
「メンテナーさんこそ。最近寝不足なんじゃないんですか?」
「いらん心配をするな。俺は大丈夫だからな」
 そんなことを言いながら、電車の揺れで想夏が体勢を崩さないよう、ふたり並んで座る。
「……そうだ。目的地のお前を作ったメーカー、熊楠社なんだけどな、そこに俺が居た会社から移籍してた先輩が居た。腕は確かだ。あ、もちろん俺も立ち会うけどな」
「じゃあその時は、よろしくお願いします。メンテナーさん」
「ああ、任せろ。それとだな、その……いいぞ」
「え?」
「名前で呼んで、いいぞ。これから行くところはメンテナーだらけだ。メンテナーさんなんて呼びかけたら、十や二十は振り返っちまう」
 そう言うメンテナー自身は、明らかに照れていた。僅かながらも顔を赤くして、メンテナーは窓の方を見る。
 随分と下手な、照れ隠しであった。
「わかりました……宗一郎さん」
 微笑みと共に、想夏が頷く。
 そんなふたりを乗せて、静かに電車は走っていく。その先には、雲一つ無い青空が広がっており、何処までも高い。
 その鮮やかな蒼の下、夏はその盛りを迎えようとしていた。



Fin.







あとがき



 犬型ロボットのAIBO、そして人型ロボットのASIMOをはじめて見たとき、「人型ロボット始まったな」と思ったものです。
 もちろん、人そっくりのロボットが生まれるにはまだまだ越えなければ行けないハードルがいくつもあるのでしょうけれど、それでもあの軽快な、そして自律した動きには随分と衝撃を受けたものでした(もちろん、外部でコントロールされたものもあるのでしょうけれど)。
 その後、とある酒の席で、野良AIBOの話が持ち上がりました。AIBOのオーナーがAIBOを何らかの理由で捨てた場合、彼らがどうなるかという話です。そこで私が考えたことは、こうでした。つまり、人型ロボットは棄てられたらどうなってしまうのだろう。
 あまり想像したくないものです。けれども、いつか人型ロボットが世に現れ、一般家庭に普及し始めたら避けられない道であるように思えるのです。その際私達はどうすればいいのか、どのような仕組みを作ればいいのか――枚挙をあげればきりがないのかもしれません。
 けれど、今回の『二〇七九年、七月のアリス』はそこらへんをそれなりにまじめに考えた結果だったりします。願わくば、こんな世界が私が生きているうちに実現してくれればいいのですが、無理かなぁ? まぁ、のんびり待つとしましょう。
 
 あ、もしかたしたら同じ世界観で別の話が続くかもですよ?

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