『銀河の魔法使い』




 風は強かったが、よく晴れていた。
 借りた服に、借りたジャンパーを羽織って、ゆっくりと歩く。
 これまた借りたスニーカー越しに初めて感じる、不定形な床――砂浜だ――の感触は、想像していたものよりずっと新鮮な感覚だった。
 じっくりと味わうように、ゆっくりと歩く。

 冬、平日、昼前と三拍子揃った海岸には、響以外誰も居ない。

「此処が……惑星地球……」
 初めて感じる、風。大地。そして青い空。

 冬の空は、何処までも晴れ渡っていた。

「おーひーるーだーよー!」
 街道の方から、さざにしきの声が風に乗って聞こえてきた。
 強い風に流れる髪を押さえて、響が振り返る。





第4話:Dear Lost Number(中編)





 話は、あの夜に遡る。





「……どうしようか」
「いや、俺に聞かれても」
 少しばかりとはいえ、濡れた身体に、夜風ははっきり言って身体に悪い。しかし、さざにしきもはらぼうも、寒いとは少しも思わなかった。
「流れ星がここまで落ちてきた場合、願い事って有効なのかな?」
「いや、だから俺に聞かれても」
 お互い、口は達者に動くが、身体はぴくりとも動かない。
 いや、動かせないのだが。
「え、エイリアンって事はないよね?」
「凄まじい発想の飛躍だが、それはないだろ」
 別に確信があったわけではない。
 ただ、本当にエイリアンなら、今頃自分らは、全員同じ金型から出来たような黒服黒眼鏡の男達に囲まれて、色々とヤバい目に遭っているはずである――という、TVからの知識である。さざにしきはまだいいが、自分は自称ナマモノだから、どうなるかわからない。最悪、江ノ島水族館に陳列という恐れもある。そして、偶然やってきたかのミュージシャン達と最悪の出会いをするわけだ。
「……恐いよー恐いよー」
「な、何が?」
「ブラックメン」
「……そう」
 そう言っている間にも、ふたりは動かない。
 さざにしきとはらぼうの居る砂浜から距離にして30メートルほど前の海。そこには空から落っこちてきた何かが居るのである。辺りにある灯りと言えば、遠くにある車道を照らす街灯と、今は雲に隠れがちな月明かりのみで、様子のよの字もわからない。
「なあ、さざにしき」
「な、なに?」
「見なかったことにして、帰らないか?」
「そ、そうする? そうする?」
 あれから、目の前の海からは何の反応もない。ふたりとも時計を持っていないので時間は定かではないが、かれこれ半時間は経っているはずである。
「そ、そうだよね。詳しいことは、明日テレビとかでわかるかもね」
「そうだとすると、アレだな。明日からここら辺、怒号の渦巻くダウンタウンだな。あんまり好きじゃないんだが」
 方針が決まって、ようやく身体が動くようになったふたりが、そそくさと回れ右しようとしたときである。
 ざばーと、何かが海面からせり上がる音。次いで、ジャバジャバと水をかき分ける音が聞こえてきた。
「あ、あははははははははははははははははははははははははははははははははは……」
「わ、わははははははははははははははははははははははははははははははははは……」
 先程よりひどい金縛りが、ふたりを襲う。





「う〜〜、ひどい目にあった……」
 頭に付いた海草を剥がして、響はぼやいた。
「水圧なんて、厄介なものがあるなんて……」
 その水圧で、手動による脱出が出来なかったのである。あれこれ考えた挙げ句、結局、ハッチを爆発ボルトで強制排除させることにした。これで、地球に下りてきた(墜落とも言う)時に使った艦載機『閃光改』で帰れなくなったわけだが、別に帰る術をすべて失ったわけではないので、響はその点については心配していなかった。――実を言えば、惑星地球にいられる時間を増やせるのではないかという、打算もあるのである。
 後、少々厄介なことに、墜落のショックか何かで、雲竜とのリンクが切れているようであった。しばらくは、単独行動せざるを得ないらしい。
「それにしても、地面の前に、海を体験するなんて、思っても見なかったよ……」
 頭をトントンと叩いて耳の中の水を抜きながら、砂浜に上がる。
「服、濡れちゃったし――」
 本来なら、この時点で風邪引き確定であるが、生憎響は軍艦の管制人格、エージェントであり、風邪を引くことはない。また、暑さ寒さも『感じる』ことは出来るが、『耐える』ことができるため、服が濡れたまま寒風にさらされていてもお構いなしである。
 もっとも、濡れた服が肌に張り付いた感触は『気持ち悪い』ものであり、急激な温度低下を自他共に通知する『くしゃみ』を連発した事には変わりなく、響はとりあえず、風のあたらないところに移動しようとした。さすがに、風が吹きすさぶ砂浜で暖を取るのは無理だろうとの考えたのである。

 そして、かちんこちんに固まっている、ふたつの影を見つけた。





 俺達の後ろに、確実に何かがいる。そいつはなんと、ざくざくと濡れた足音でこちらに向かって近づいてくるんだ!

 な、なんだって〜!

 ――そうじゃなくて!

 頭の中身がループしそうだったところに、無理矢理喝を入れてさざにしきは自分の金縛りを解いた。はらぼうはまだ固まっていたが、さざにしきが抱えれば問題がない。逃げるなら、今だ。
 あとは、考えるまでもなかった。
 ぴくりとも動かないで宙に浮いている(考えてみればどうやって浮いているのか激しく疑問だが)はらぼうを抱きかかえて一歩を踏み出し、そのまま前傾姿勢を取って駆け出す。

 砂に足を取られた。

 思いっきりこけた。

「ふう゛う゛う゛う゛う゛〜」
 顔面から砂浜に突っ込んでしまった。完全に乾いていればまだ良かったが、先程のあれで少しばかり湿っていたため、痛い。しかし、それどころではない。

 足音、足音はっ!?

 さざにしきは耳を澄ます。結果は聞きたくないものであった。
 足音は明らかに、こちらに向かって駆けてきていたのである。
「あ――」
 こちらは座り込んでしまっている。音からして、今から駆け出してももう間に合わない。
 そう判断した途端、さざにしきは立てなくなった。

 短い、人生だったなあ……。

 しみじみとそう思う。同時に、走馬燈が来るかと思ったが、さして長くないせいか一場面も出てこなかった。
 その代わりに、

「大丈夫ですかっ?」

 と、ずぶ濡れの少女に話しかけられたのである。
「え? あ? ええと、その……へ――?」
 慌てて容量の得ない返事を返しながら、相手の顔を見て、さざにしきは今夜で一番の呆けた顔をした。
 
 自分とそっくりだったからである。





 後から考えてみれば、不審者と間違われても仕方がなかったと思う。

 汎銀河連合宇宙軍の軍規では、連合非所属、非既知の惑星住民に対する、偽装無しでの接触は、固く禁じられている。これは、教育艦隊所属の研修生とて例外ではない。
 しかし、汎銀河連合宇宙軍の軍規では、おおよそ感知出来うる事件事故を目撃した場合、可能な限り被害者を救助せよともある。これも、教育艦隊所属の研修生とて例外ではない。
 従って、響の行動としては影を見た時点でそれから距離を取るよう努力すべきだったのだが、距離と地形の関係上、真っ直ぐ進むしかなかった。さらに言えば、相手が盛大に転けた時点で、救助対象になったのである。
「大丈夫ですかっ?」
 慌てて駆け寄る。
「え? あ? ええと、その……」
 慌てた様子でなにやらもごもごと答える少女。そして顔を見上げるなり、
「へ――?」
 と、固まった。

 その気持ちはよくわかる。

 なにせ、自分とそっくりなのだから。


 ■ ■ ■



 まるで双子かと思えるくらい、そっくりな、ふたりの少女が、浜辺で向き合っている。
 片方は、ずぶ濡れで、
 もう片方は、砂まみれで。
「くらいよ〜こわいよ〜あといたいよ〜。……誰かと人違い〜?」
 さざにしきの腕から放り出されたたはらぼうが、砂浜に半ば埋もれる形で突き刺さって、、泣いていた。



 ■ ■ ■



 そのころ、火星衛星軌道上では。



「惑星地球に行く」
 指揮杖をスラックスのベルトに挟み込んで、ヘンリーは高らかに宣言した。
「司令……」
 心配そうに、司令部管理人のイツカが声をかける。
 現時点で、教育艦隊司令部は第2次緊急状態となっている。
 第3次が、教育艦隊の行動範囲内に敵味方判別信号のないものが現れた状態で、この時点で当直員は持ち場での待機。第1次警報が発令され、非当直員でも現状が通常時でないことを知る。
 惑星地球は日本列島に現れた、アンノウン(所属不明機)は、LBB−3257、音無級ポケット戦艦2番艦、『響』に干渉したかと思うと、自らの所属を、汎銀河連合宇宙軍とした。
 これを、ヘンリーをはじめとする教育艦隊首脳部は、前後72時間の航行プラン全563の航行範囲と抵触しないことと、こちらのコールに応答しないことから敵勢力の偽装と判断。教育艦隊の行動範囲内に敵勢力出現という条件を満たしたため、第2次緊急状態に移行。
 現時点では、教育艦隊において、寝ている者は居ない。第2次警報が発令され、当直非当直にかかわらず、教育艦隊に所属する者は各自の持ち場で待機状態にある。
 また、全ての演習は中止され、教員に当たる現役の軍人、エージェントは戦闘準備に移行している。
 万一、この状態で敵勢力からの積極的な軍事行動――教育艦隊への攻撃――が確認され、こちら側に被害が発生した場合は、第1次緊急状態に移行することになる。
 すなわち、教育艦隊の場合は直ちに自軍を集結。非戦闘艦の護衛に辺りながら防戦状態を取り、付近の艦隊に緊急連絡を取る。
 そして必要があれば、敵勢力に対し、『必要分量』の攻撃を行う。
 イツカが恐れているのは、まさしくその第1次緊急状態で、『惑星地球上にいる敵勢力』に対し、教育艦隊が『攻撃を加える』ことにあった。いかにベテラン揃いの教員達が精密射撃を行ったとしても、相手を行動不能にするまでに必要なその破壊力は、半径100キロを灰燼に帰してもまだ足らない。
「まあ、大丈夫だよ」
 イツカの心情を知ってか知らずか、ヘンリーはいつものようにそう言った。
「でもまあ、万一の時は、僕と雲竜君が居ないから、君が指揮を執ってくれ。当然、旗艦『雲竜』も動かせないから、万一出撃しなければならない場合に備え、今の内に旗艦機能を練習戦艦『東』(あずま)に用意しておいた方がいい」
「……了解しました」
「後、この件について管制本部のスカイウォーカー中将を呼んでおいた。もし、事が終わる前に中将がいらっしゃったら、悪いけど、艦隊から一隻割いて、こっちに来ていただけるよう手配して欲しい」
「はい」
 神妙に頷くイツカに、ヘンリーは一度だけ頷き返すと、
「後はこっちの問題だねえ。僕と一緒に来てくれる調査メンバーは既に選定済みだから、後は僕らを運んでくれる艦が欲しいんだけど……出来るだけ足が速いね」
「あ、あの、その件なんですが」
 そこで、オペレーターのひとりがおずおずと割り込んできた。
「どうした?」
「艦の件なんですけど、提携加盟国シグマから打診がありまして、シグマの艦隊の内一隻が、調査に同行したいと……。艦名は――」
 聞くまでもなかった。
「『ミラージュ』かい?」
「あ、はい……」
 以前の、響とセディアの一件に絡んでいないせいだろう。オペレーターは、きょとんとしながらもヘンリーの推測を裏付けた。
「じゃあ、返信だ。調査員が何人もいるが、僕を含め彼らを全員『ミラージュ』に搭乗させたい。かの艦の足の速さを生かすために、是非ともご協力願いたく。とね」
「了解しました」
 額の方に持ってきていたヘッドセットを元の位置に戻しながら、オペレーターは、席に戻っていった。
 そして二言三言交信を行った後、再びヘンリーの許に戻ってくる。
「是非もない、とのことです」
「了解した。直ちに、教育艦隊司令部に……」
「司令官」
 今度は別のオペレーターが、割り込む。
「提携加盟国シグマ宇宙軍所属のフリゲート艦『ミラージュ』が、接舷許可を求めていますが……」
「――わかった。接舷せずに、艦隊物資の運搬用ポートに入港するよう伝えてくれ」
「了解しました」
 おそらく、後数分もしない内に、汎銀河連合でもかなり珍しいふたり一組のエージェントが、ここに来るに違いない。ヘンリーは苦笑すると、
「読まれているね」
 とだけイツカに言った。


「いいのでござるか?」
 元機動要塞、現教育艦隊司令部『イツカ』の艦隊物資運搬ポートに、慎重に入港しながら、CS5Wはふてくされたように前だけを見つめているセディアに尋ねた。
「確かに、吾が輩達なら100人は余裕で収納可能でござるが」
 セディアは答えない。
「本当にいいのでござるか? 人間は嫌いでござろうに」
「嫌いよ」
 相変わらず前を眺めたままだったが、セディアが答えた。
「今だって嫌いよ。でも、好き嫌い以前に、やらなきゃいけないことがあるわ」
「……そうで、ござるな」
 『イツカ』からの管制信号を受け取り、入港をオートに切り替えながら、CS5Wは自分が、非人間型でよかったと、思った。今の感情をセディアに見られたらとしたら、彼女はきっと怒るであろう。ましてや、後から生まれた自分が、彼女に向かって成長したなどと言った日には、どうなることかわかったものではない。
「CS5W」
「? なんでござるか?」
「今、笑ったでしょ」
 ――バレていた。



 惑星地球。衛星軌道上。

 墜落ごときで響とのリンクが切れるようなら、雲竜はとっくの昔に引退を決意している。
 彼は、響が無事(?)に着水できてから、わざとリンクを一方通行に見せかけ、自身は彼女と感覚共有しながら脱出等の様子を密かに見守っていた。
 普段の訓練や演習の成果を見てみたいという思いもあったし、(響自身が気付くことではないのだが)相手に自分の存在を隠す事により、より正確な情報を得ようと言う思いもあった。
 そして結果として、大きな金脈を掘り当ててしまったのである。
 『響』に接舷した『ミラージュ』から、ヘンリー率いる面々がぞろぞろとブリッジに現れたとき(まるで初めて彼氏の部屋に入る女学生のように、あちこちをきょろきょろと見回しているセディアと、そんな彼女を呆れ半分で見守るCS5Wも居た)、雲竜は、彼にしては珍しく、呆けた表情で固まっていた。
「どうかしたか? 雲竜君」
 すぐさま異常に気が付いたヘンリーが、雲竜の肩を叩く。
「あ、ああ……。来たのか」
「そりゃ、来るさ」
 初めて気が付いたといった感じに雲竜に対し、軽く肩をすくめてヘンリーは答えた。
「元はといえば、僕が撒いた種だしね」
「なに?」
「こっちの話さ。それより一体どうしたんだ? 君が呆けるなんて、そうあるもんじゃないだろう」
「ああ……」
 雲竜は、辺りを見回す。そして、改めてブリッジに訪れている人数を確認した。
「かなり多いな……」
「ああ。今回は、ちょっと大がかりになりそうだからね」
 帽子を脱いで、両手で弄びながら答えるヘンリー。
「あの、それより、雲竜少将」
 そこへ、セディアが割り込んできた。
「響ちゃん――響候補生は、無事なのでしょうか?」
 口調こそ丁寧だが、眼光はそうでもない。むしろ、彼女に危害が及んでいたら許さない。そんな眼をしている。
「ああ。その点は問題ない。もっとも、海から脱出する際、艦載機を破棄したため単独で此処に戻ってくることは出来無いがな」
 雲竜は(ヘンリーも)、そういった眼が嫌いではない。だから、現状を手早く説明した。
「それで現在響は、現地に住むと思われる人物と接触している」
「思われる?」
 間髪入れず、セディアが聞き返した。雲竜の今の言い方はおかしい。惑星地球には、惑星地球出身の人間と、汎銀河連合に所属する人間がごく少数しかいないのだから。
「百聞は一見に如かずと言うね。雲竜君、響君の視点から、その接触しているとおぼしき人をメインスクリーンに映し出すことは出来ないかい?」
「可能だ。可能だが……」
 彼にしては珍しく、雲竜は迷ったかのように続けた。
「かなり信じられない光景だぞ」
 肩をすくめてヘンリーが答える。
「そんなもの、広い宇宙にはゴロゴロしているさ」
「わかった。今繋ぐ」
 そう言って雲竜は作業をはじめた。程なくして、灯の消えていたメインスクリーンに、画像が映し出される。
 画面を食い入るように見つめていたセディアが、目を見開いて固まった。
 ヘンリーがぽとりと帽子を落っことした。
 なにやら持ち込んできた機材で作業をしながら、スクリーンを観ていた者達も、声ひとつ出さない。
「ど、どういうことでござるか――」
 CS5Wが絶句する。
「響殿がふたり……」
 いち早く反応したのは、セディアである。
「違う、響ちゃんじゃない。所々違うわ」
「どこが?」
「――角度とか」
「は?」
「冗談よ。とにかく、雰囲気からして微妙に違うわ。あの娘は響ちゃんじゃない」
「セディア君の言うとおりだね。あの娘は響君じゃない」
 ヘンリーが彼女の肩を持った。そして落とした帽子を拾い上げる。
「まあ、司令が言うのなら、そうなのだろう」
 皆の意見をまとめるように、そしてなにより自分自身を納得させるかのように雲竜がそう言った。
「だとすると、彼女は何者だ?」
 スクリーンに釘付けになっていた皆の視線が、今度はいっぺんにヘンリーに集まる。
「うーん、そうだね……」
 そんな視線の檻の中、ヘンリーはがりがりと頭を掻いて、呟いた。

「……本当に、なんていうんだろうね。あの娘」



続く。




あとがき

 御免なさい御免なさい。これ、後編じゃなくて中編です。

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