『銀河の魔法使い』



 その男、汎銀河連合宇宙軍教育艦隊司令、A=B=ヘンリー中将は、三度目の徹夜を過ごしていた。
 惑星火星の衛星軌道上、元機動要塞、現教育艦隊司令部『イツカ』のブリッジにある司令室。ここに、彼はシャワー以外ずっと籠りきりなのである(最近は女性士官も多いため、風呂は欠かせない)。
 手元にはディスプレイに表示しきれなかった資料が何枚もプリントアウトされており、足元にはその中で使わなくなったものが、大量に積まれている。また、傍らのサイドデスクには、巨大な蓋付きマグカップと、それより二回り大きい据え置き型魔法瓶が設えてあり、それぞれが半分ほど減っていた。中身はブラックのコーヒー――惑星地球で言うところのアメリカン――である。
 そしてディスプレイには、いまさっき書き終えたばかりの書類と、それを送信したことを示す通信ウィンドウ。残りはすべて、その書類のために使用した資料の類いである。
 ヘンリーは、椅子を少し引くと、マグの蓋を指で弾いてコーヒーを喉に流し込む。
 その間、眼はディスプレイから一時も離さない。
 返事を待っているのだ。それは早くて今すぐ、遅くても後半時間もあれば来るはずである。
 審査は既に終了しているはずである。先程送った書類は、徹夜二日目の終わりに投げた、正式な書類の追補でしかない。
 果たして、ヘンリーがマグの中身を飲み干す寸前に返事が来た。彼は、そのマグをいささか乱暴に置くと、素早く内容をチェックする。

 内容は、是。

 基本的に戦闘行為を行わないため、夜間は無人機による定期監査報告しか行われない『イツカ』のブリッジ内、そしてその一角たる司令室の中で。
 ヘンリーは目立ってきた不精髭をさすりながら、満足げな笑みを浮かべた。

 惑星地球時間にして、8月頃の事である。



『銀河の魔法使い外伝 11月の緊急出撃(スクランブル)』




 季節は変わって、秋の終わり、冬の始まりの頃。
 惑星地球、日本時間午前8時5分。教育艦隊のそれに習い、艦内の設定時間も日本時に合わせている音無級ポケット戦艦『響』艦内居住区。艦長室の隣に割り振れられている管制人格、エージェント室で、響はまだ夢の中にいた。
 汎銀河連合宇宙軍が、銀河で一番フランクな軍隊と言われる理由の一つに、フレックスタイムの導入というものがある。
 直接戦闘に係わらない部隊のみ、通常勤務にプラスマイナス1時間の余裕が与えられており、勤務の引き継ぎさえしっかりしていれば、その範囲内でどのように出退勤しても構わない。
 これは、教育艦隊で訓練を受ける士官、兵士、そしてエージェントにも適用されており、各々の都合に合わせたスケジュール組みが可能になっている。もっとも、教育艦隊内では講義などもあるのでその日は規定の時間に起きなければならないし、そもそもその権利を行使できるのが、教育艦隊に配属されて一年以上経たないと認められないのであるが。
 さて、その条件を満たしている響はというと、そのシステムを存分に利用していた。周囲には真面目だと思われている音無級の2番艦であるが、実はかなりの夜更かし派で、早くも夜型になりつつある。
 だから、惑星地球日本時間午前8時10分、響は未だに夢の中である。規定による勤務開始が午前9時、響が設定したのは午前10時。まだ1時間弱は寝られるという計算だ。
 いや、計算だった。
「響」
 艦内放送を利用した声ではない。肉声である。だから、半分寝ぼけた響にまず浮かんだ考えた事は、珍しい、であった。
「……おはよう、雲竜教官」
 眠い目を擦りながら、声がした方に焦点を合わせる。そこには時代掛かったシルエットの、彼女の教官――攻撃空母『雲竜』が居た。心持ち、元気が無さそうに見える。
 そんな彼に対し、響はシーツを抱き締めながら上半身を起こし、小さくあくびをしたあと、まだ何処か寝ている頭で、
「どうしたの、こんな朝っぱらから……」
 と言いながら、艦内時計を頭の中で確認した。現在時刻は午前8時13分。
「ああ……すまんな」
 やはり、声に元気が無い。
「別にいいよ。それよりどうかしたの?」
 まさか、彼の前で着替える訳にも行くまい。響はベッドの上に座り直すと、再びそう訊いた。
「ああ、そのな――言いにくいことなんだが」
「うん」
 いつの間にやら両手に持っていた枕を、慌てて元の位置に戻しながら、相槌を打つ。
 そんな響に、雲竜はさらにトーンダウンした声で、
「実は――小官の艦が、拘束された」
 一瞬にして、響の思考が次々と玉突き事故を起こす。結果として出力される言葉は、
「……んぇ?」
 直後、惑星地球日本時間午前8時15分ジャスト。
 教育艦隊麾下全艦にに向かって向かって放たれた緊急警報は、各艦を大いに揺るがし、勢い余って惑星地球の放送衛星をひとつ潰したのであった。


 午前8時18分。
 着替えをすませてブリッジに飛び込んだ響に届いていたものは、教育艦隊麾下艦艇全通達であった。ただし、教育艦隊のコマンドスタンプがあるものの、それを承認並びに保証する司令官のコマンドスタンプが、捺印されていない。
 不思議に思いながらも、響はそれを開封した。同時に雲竜へコピーを回す。
 中身には、訳のわからないことが書いてあった。
「ど、どういうことかな……」
「簡単に言えば、抗議行動なんだろうな」
 意味がわからない響に対し、雲竜の方はある程度了解したらしい。
「そ、それって叛乱じゃ……」
「そうとも言う」
 さっぱりと雲竜は言うが、響にとってはさっぱりどころではない。
「おそらく、もうしばらくしたら今回の主催者が顔を出すはずだ。それまで待機」
「了解……」
 納得はできないが、だからといってこういった経験の無い響にはどうすることもできない。とりあえず、いつでも動けるようにしておいた主機を待機状態に戻し、代わりにレーダーの出力を最大限に上げる。
 ほどなくして、雲竜の言う通り、通信が入った。午前8時30分のことである。


『こちらは教育艦隊司令部エージェント、イツカ予備役中将です。本日0800を持ちまして、私達教育艦隊有志は、教育艦隊司令に対し、抗議行動を起こします』
「はぁ……!?」
 響の小さい顎が、外れそうな勢いで大きく落ちた。イツカといえば、教育艦隊司令部『イツカ』のエージェントであり、教育艦隊司令の秘書的存在であり、響自身もよく知っていたからである。
『現時点での私達の要求はふたつ、教育艦隊司令の職務一時凍結と、コマンドスタンプの一時預かりです』
 イツカの背後には、スローガンらしきものが書いてある。曰く、【えっちなのはいけないとおもいます】。
「どうなってるの……」
 ディスプレイを見つめながら、響が呟いた。
「ヘンリーの奴が、とうとう一線を越えたかな……」
 いささか呆れた声で、雲竜が答える。



「やっぱりこうなっちゃったじゃないですか」
「構わないよ。予想していたことだからね」
 艦内の通路を歩きながら、ヘンリーは何でもないように答えた。
「どうするんです? 彼女らみんな、反逆罪が適用される可能性ありますよ」
「反逆される側が、そうでないと言い張れば、何も出来やしないさ」
「……なるほど」
 先ほどから、ヘンリーの隣を歩いている少年が、納得したように頷く。
「で、これからどうするんです?」
「決まっているだろう?」
 歩みを止めて、ヘンリーは不敵に笑った。
「おとなしくは、しない」
「なるほど」
 少年がおどけたように首をすくめた。同時に、通路の行き止まり――ブリッジのドアが開く。
「ようこそ、教育艦隊司令。ようこそ、練習戦艦『東』(あずま)へ」
 そう言って、少年、練習戦艦『東』エージェントにして、教育艦隊におけるふたりしかいない男性エージェントの内のひとり、東は最敬礼をした。


「どうだ?」
 自身の艦の機能が、ほとんど止められたため、雲竜自身では周囲が今どうなっているのか分からない。
「うーん、まだ微妙なんだけど、教育艦隊司令部の周りに、新人エージェントの艦が集まっているみたい。乗っているのは女性士官や女性の士官候補生がほとんど……だね」
「それらすべてが、抗議行動派だろうな」
 響が表示させた勢力図を見上げて、雲竜が呟く。
「ヘンリー中将はどうしたんだろう……」
「とっくの昔に逃げているだろう」
 それは、なんとなくわかる。
「でも、このままじゃ終わらないよね?」
「その通りだ。残念ながらな……」
 午前10時になったことを示す、時報が一瞬だけ鳴った。同時に麾下全艦への通信を示すコールサインが鳴り響く。
「ほら、動いたぞ」
「本当だね」
 苦笑しながら、響は通信回線を開いた。
『あー、あー、抗議行動派全艦に通達、抗議行動派全艦に通達。当方は練習戦艦『東』座乗のヘンリー中将である。諸君らの言いたいことは大体分かるが、それと同じくらい諸君らの要求を呑むこともできない。また、当方は速やかに教育艦隊司令部への密集形態解除を命令する。繰り返す、速やかに教育艦隊司令部への密集形態解除を命令する』
 無論、そんな放送で密集形態が解かれる訳はない。
「何処にいるんだ、奴は……」
 勢力図を見上げたまま、雲竜が唸った。
「今の通信で発信元がわかると思うけど――あ!」
「どうした!?」
 急に声のトーンを上げた響に、雲竜が慌てて視線をそらす。そんな彼に、響は片手で勢力図の方に注意を向けさせた。
 そこには、ピンク色で表示されいる司令部と、それを中心に同じ色で密集している数多くの艦艇。そして、その領域のど真ん中に、水色のポイントが浮かんでいた。
 ヘンリー座乗の練習戦艦『東』である。



「どうします? この包囲網」
 十重二十重とはまさにこのことと思いながら、東が訊いてくる。
「仕方ないだろう。こっちはいったん司令部から外に出なきゃいけなかったんだから」
「そりゃあ、そうなんですけどね」
 自らの艦の周囲と、ブリッジの様子を同時に見ながら、東はわざとらしくため息をついてみせた。
「本当にどうするんです? 周りの艦は皆、こっちを狙ってますよ」
「突破するさ」
 スラックスのポケットをゴソゴソと漁りながら、ヘンリーは続けた。
「突破するしかないだろう?」
「どうやって?」
 なおも訊く東に、ヘンリーはすぐ答えずゴソゴソとやっていたが、やがて目当ての物が見つかったらしい。それを東に向けて放ってみせた。
「これを使いたまえ」
「……? 民生機器の記録メディア?」
 訝しむ東に、ヘンリーはニカッと笑ってみせた。
「こいつの中身を、通信網を使って相手側に送り付けるんだ。もちろん、強制表示で」
「はあ……」



「動き、ませんね」
 教育艦隊司令部『イツカ』ブリッジ内。ここは既に、男子禁制の園となっていた。男性士官、同じく士官候補生が、軒並みヘンリーについていってしまったためである。
「大外(おおそと)の、艦艇に期待しているのでしょうか」
 抗議行動派が動き出した時、既に訓練航行を始めている、もしくは航行を開始しようとした艦艇はほんの少数がこちらに合流しただけで、残りはヘンリー側についていた。それがこちらに対し、何かしらの行動を起こすのではないかと、基本戦術課教官、イリヤ・ソロ中佐はイツカに問うたのである。
「それは、違うでしょう」
 外見では7、8歳は年下、しかし実際にはずっと年上のイツカは即座に否定した。
「あの人の常套手段、時間稼ぎです」
「しかし、この状態を維持しても、司令側には何もメリットがありません。こちらであの採択をしてしまえば……」
 そこで言い澱む。司令官のコマンドスタンプが、こちら側には無い。
「――提携加盟国」
 思考の螺旋階段に陥りかけたイリヤ中佐を見かねて、イツカは助け舟を出した。
「おそらく、彼らに協力を仰ぐのでしょう」
 汎銀河連合の同盟星系を、提携加盟国という。現在14ある提携加盟国のうち、実に4つの軍隊が、演習、技術交換、その他外交目的で教育艦隊に属していた。それらはすべて、実戦経験豊富な上、戦力として有り余るものを持っている。たとえは、惑星シグマのフリゲート『ミラージュ』エージェント、セディアが良い例だ。
 慌てて、イリヤ中佐が動く。
「……大丈夫みたいです。今のところ、どの軍も動いていないみたいですね……移乗戦か、降伏勧告を流しますか?」
「――待って!」
 急に、『東』からデータ通信の回線が伸びた。それはそのままこちら側の艦艇に、手当たり次第突き刺さる。
「情報戦!?」
 イリヤ中佐が叫び、
「情報防護壁展開、回避っ」
 イツカが叫んだ。
「ダメです、間に合いません!」
 オペレーターの士官候補生が叫ぶ。
 ウイルス? ボム? イツカは頭の中で次々と問題切り分けを行っていく。
 しかし、それらにしては展開が早すぎる。まるで、写真かなにかが――、
「転送データは静止画の模様! 表示、来ます!」
 色鮮やかにディスプレイというディスプレイに表示されたのは……、


 ヘンリー秘蔵の、エロ画像であった。


『きゃー! きゃー!! きゃー!!!』
『うわっ、でかっ、すごっ――――!!』
『な、なによこれぇぇぇぇぇっっっ!?』
 たちまちにして上がる、あちこちの艦からの悲鳴。


「……効果覿面みたいですね」
「だろうね」
 混乱する艦艇の中を、何食わぬ様子で『東』が進む。
「僕にもくれません?」
「ダ・メ」


「嫌なもの見ちゃった……」
 赤面しながらもうんざりした顔で、響は送られてきた画像を一気にデリートした。彼女の場合、惑星地球のネットワークでたまにひっかかるブラフで、ある程度耐性が付いていたのである。
「傍受、必要なかったな……」
 こちらはゴホゴホと、急に風邪をひいたフリの雲竜。三番ディスプレイに映った、黒髪ストレートの娘が少し好みだったとは、死んでも言えない。
「でも、慣れていないと大変だよ。私なんて、初めて踏んじゃったとき泣いちゃったもん」
「……踏んだ?」
「あ、惑星地球ではね、ブラフに引っかかったことを踏んだって言うの」
 微妙に間違っている。
「――それより、状況はどうなった?」
「あ! えっと……」
 勢力図が、アメーバのように動き出した。ピンク色は相変わらず密集のまま、一方向を向き、水色は一点を吸収すると、急に活発になって複雑な形になった。まるで、三つ又の槍の様である。
「それぞれが、艦隊決戦陣か……」
 雲竜が、舌打ちする。
「どうする? 響」
「え?」
 情報処理に集中していたせいか、些かきょとんとした顔で、響が訊き返す。
「どうするって……」
「このまま、静観するか、介入するかだ。さらに、介入するならどちら側に付くかというのもある。今回、小官にはどうにもならん。貴艦はどうする?」
「止めるよ」
 即答だった。いつもは考えてから答える響にしては、珍しいことである。
「止めるか」
「うん。止める」
「相手は、どちらも艦隊クラスだぞ。単艦でどう止める?」
 雲竜は、答えを知っている。そしてそれは、いままで教えてきたことを身に付けていれば、自ずとわかる答えである。
「私に、考えがあるんだ」
 そう言って、響は主機を全開にした。目標は、惑星火星から少しこちら寄り。両方の艦隊が布陣している辺りである。
「とりあえず、向こうに行くよ?」
「ああ。小官に異存はない」
 深く頷いて、響は惑星地球の重力を、一気に振り切った。



「珍しいで御座るなあ」
 と、CS5Wは、少々皮肉を込めた声で、相方にそう言った。
「こういった騒ぎには、真っ先に飛び込む質で御座ろうに」
 シグマ宇宙軍、フリゲート『ミラージュ』艦内。
 ムスッとした貌で勢力図を眺めていたセディアは、まだ何か言おうとしたCS5Wを、ギラリと睨んで黙らせると、再び勢力図に目を落とし、少し苛ついた口調で言う。
「……その通りよ」
「では……何故?」
「今はまだ、その時期じゃないわ」
「時期?」
「そうよ……来たっ!」
 ばっと顔を上げ、今度はレーダーをディスプレイに呼び出すセディア。
「この反応は……響殿?」
「そうよっ」
 ピンクと水色の光点のど真ん中を、真横から突く形で、グリーンの光点が一点、ぐんぐんと近づいてくる。
「CS5W! 通信回線用意! 一方はウチと他の国へのブロードキャスト! もうひとつは――」
「もうひとつは、必要ないで御座るな」
 すました雰囲気を漂わせ、CS5Wはそう答えた。
「響殿から通信で御座る」



「来たか」
 にやりと、ヘンリーが笑う。


「やっぱり、来ましたね」
 笑みを浮かべて、イツカがそう言う。



「情報戦開始! 一気にカタを付ける! 相手はできたてほやほやのヒヨッコだ! 全艦艇掌握するつもりでやれ!」
 足音を響かせて、提督席から立ち上がりヘンリーは叫んだ。
「ちょっと待ってくださいよ、今ECM流したら、とんでもないことになりますよ?」
 慌てた様に東が叫ぶ。
「大丈夫だよ」
 制帽を被り直して、ヘンリーは言った。
「第三勢力が何とかしてくれるさ」


「第三勢力って何なんです?」
 不思議そうにイリヤ中佐が訊く。
「いつも惑星地球に居る、小さな候補生とその一味ですよ」
 イツカが少し楽しそうに答える。
「普段の学習を思い出して! 対情報戦開始!」



「嘘でしょっ!?」
 セディアとの合流ポイント直前で、レーダーを歪めるような位相の歪みに、響は思わず声を張り上げた。
「あんなにECM流したら……!」



 NASA――アメリカ航空宇宙局。
「一斉に途切れた?」
 火星を探査していたマーズ・グローバルサーベイヤーをはじめとした各惑星探査機が一斉にシグナルをロストして、管制室は上を下への大騒ぎであった。
「大変です!」
 そこへ、他の部署から職員が駆け込んでくる。
「EUと中国、それにロシアから抗議の電話が!」
「今それどころじゃ――なんだって?」
「なんでも向こうさんでも通信が一斉に途絶えたそうなんですよ」
「そんなこと知るか!」
「どうも、何処もウチを疑っているみたいです。まあ、今の情勢じゃ仕方ないんですが……」
「言い返してやれ! お宅らこそなんかやらかしたんじゃないだろうなってな!」
「勘弁してくださいよ。今度はやっこさん達と喧嘩ですか?」
「だから俺に訊くなと――」
 管制室が混乱の極みになったしたときである。
「あ、直った」
 通信装置と格闘していたオペレーターが、気の抜けたコークのような声で、そう言った。
「はあ!?」
 一斉に唖然とするNASA職員一同。
「た、大変です! EUと中国と、後ロシアが……」
 別の職員が、駆け込んでくる。



「あ、危なかった〜〜〜」
 一方、惑星火星の衛星軌道上で、響は大きく息を付いていた。現状での探査機の操作は惑星地球で行うことが100%出来ないので、すべて響が代行しているのである。また、途絶したままだと怪しまれるので、惑星地球側にはダミーの通信を流していた。
『さっすが響ちゃん!』
 やや乱れている通信回線の向こう側で、セディアが拍手喝采していた。
「まあ、見事だが……後はどうする。まさかこのまま惑星地球の探査機を操縦するのか?」
 急激に処理するものが増えたせいで、ブリッジのあちこちに点灯しているディスプレイを眺めて、雲竜が訊いた。
「そのつもりはないよ……探査機の放棄も考えてないけど――セディア先輩!」
『なに?』
「ちょっとお願いして良いですか?」
『なになに?』
 セディアの声が徐々に上擦り始めている。歓喜と獰猛さが入り交じり始めた声だ。そんな彼女に、響は一呼吸おいて――つまりは意を決して――尋ねた。
「私と一緒に、行動して欲しいんです。喧嘩している、ヘンリー中将と、イツカ予備役中将と止めたいんです。お願い……できますか?」
『響ちゃん』
 ノイズを載せて尚、セディアの声は明るく、そして優しかった。
『今、非常事態だよね』
「――は、はい」
『その場合、響ちゃんって階級的にはどうなるんだっけ?』
「え――」
「演習時、および不測の事態に陥ったときは、教官の承認の下、実部隊配属時に与えられる階級が与えられる――」
 雲竜が、暗唱する。
「もちろん、承認だな。この状況では」
『ハイ、じゃあもう一度訊くね。今の響ちゃんって、階級的にはなに?』
「た、大佐です」
 慌てた様に響が早口で言う。
『うん、そうだね。ところで、ウチと他の軍、そっちでいう巡洋艦以上の艦がないこと、知っていた?』
「え……?」
 慌てて雲竜に視線を向ける。驚きの視線を受け止め、雲竜は黙って頷いた。
『つまりね。私の言いたいことはただひとつ』
 テンションが最高潮だといわんばかりに、セディアの声が大きくなる。
『私たちに、命令しちゃって良いんだよ』
「め、命令!?」
『そう。だって大佐でしょ。雲竜少将の次に偉いんだよ?』
「う、雲竜教官!」
「セディアの言うとおりだ」
 こちらも楽しそうに、雲竜が答える。
「現在小官は拘束中の身。それを考えれば、響、貴艦には今、実質的指揮権がある。そうそう、小官の承認さえあれば、将官――提督の代理も、可能だな」
「わ……」
 一瞬、自分が今とんでもない位置にいることに気付き、響は絶句した。
「私が、提督代理……」
『やろうよ』
 と、セディア。
『響ちゃんとわたしなら、それにここにいるベテラン揃いの正規艦達なら、できるよ。この騒ぎを収めること』
「私……たちなら……」
「どうする? 小官なら、いつでも承認できるが」
 ディスプレイをひとつ開き、艦隊指揮官権利承認の書類が表示される。後は、雲竜のコマンドスタンプひとつで、響にすべての采配が預けられる。
「……雲竜教官、セディア先輩」
 深く、深く頭を下げて、響はしっかりとした発音で、
「未熟者ですけど――よろしくお願いします!」
「――よかろう」
『待ってましたっ!』


 響のポジションシグナルに、代将旗が翻った。そして、無所属を表すグリーンの光点が、一斉にラベンダー色に染まっていく。
 響の部隊、
 響の軍、
 響の艦隊である。
 ヒュウと、些か調子はずれの口笛を吹いて、セディアはにやりと笑った。
「シチュエーションがシチュエーションだけど、思ったより早かったわね」
「まるで、待ちわびていたようで御座るな」
 CS5Wがそう訊く。
「そうよ」
 響の居る方向に敬礼をして、セディアは楽しそうに言った。
「こんな日が来るのを一日も早く来るのを、楽しみにしていたの。――響ちゃん!」
『はい!』
 回線の向こう側で、雲竜から手渡された指揮杖を振り、響は叫んだ。
『全艦、単一縦陣形成――全速前進!』
 後の太陽系防衛艦隊旗艦、音無級ポケット戦艦2番艦『響』。コードネームは『銀河の魔法使い』……。
 非公式であるが、彼女の初陣は、このときであった。



「じゅ、十時の方向に高エネルギー反応! 被照準警報――50以上!?」
 『東』艦内で、オペレーターが叫ぶ。
「へぇ――!」
 愉快そうに膝を叩いて、ヘンリーは笑った。
「速い速い!」


「二時方向に高エネルギー反応。提携加盟国シグマを筆頭とした全艦艇と――音無級ポケット戦艦『響』です!」
 さぁっと、『イツカ』ブリッジ内に緊張と動揺が走った。
 やっぱりこういうのに弱いか……とイツカは思う。兵力的に、欠けているものはない。ただ、新人のエージェントや士官候補生を乗せているこちら側には、精神面でのアドバンテージが、どうしても覆せない。
「通信回線、用意。通信先は――」
「『響』より通信回線です」
「速い――! 基本戦術試験ではそこまで速くはなかったというのに――」
 イリヤ中佐が絶句する。



『抗議行動派全艦、並びにヘンリー中将麾下全艦に通達いたします。こちらは汎銀河連合宇宙軍、緊急時特別編成艦隊旗艦、音無級ポケット戦艦『響』です。貴艦らは現在軍内部で相討ち合う状態にあります。これは連合宇宙軍遵守規定、並びに連合宇宙軍憲章、さらには汎銀河連合憲章に対する違反行為です。速やかに、戦闘行為を取りやめてください。繰り返します。こちらは――』



「先ず、ことの発端を教えてください。私、状況が全然掴めてないんです」
 本来は雲竜が使う指揮杖をしっかり握って、響は努めて冷静な口調で、そう切り出した。現在、半径1天文単位の汎銀河連合に属する艦艇は、すべて待機状態にある。
『イツカ君が急に怒ってね』
 と、飄々とした口調でヘンリー。
『最初の全艦通達にあったとおりです』
 と、こちらは少しばかり苛付いた口調でイツカ。
「だってそんな――あんなことで?」
 朝に、イツカが出した最初の通達に目を通しながら、響は問い直した。
「私、てっきり暗号か何かだと……」
『違う違う』
 と、片手をひらひらさせながらヘンリー。
『間違いなく、事実だよ。で、僕の提案にイツカ君達が怒ったのも、そのまま教育艦隊司令部を閉鎖しようとしたのも、事実』
『あんなものを、提示するからですっ』
『別にいいじゃないか。アレで』
『よくありませんっ』
「ちょ、ちょっと、二人とも落ち着いてくださいっ」
 このまま口喧嘩――ひいては、再び熾烈な情報戦――が始まりそうだったので、慌てて止めに入る響。
「じゃ、じゃあ、間違いないんですね?」
 急に頭痛を感じて、頭を抱えそうになりながら、響は確認をとった。
「今期の、基礎体力運動服で、ヘンリー中将が、その……レオタードを総司令部に提案しようとしたと――」
『そうです』
『うん、その通り』
「で、勝手に決めようとしたヘンリー中将に怒って、イツカ予備役中将は、総司令部を閉鎖しようとしたんですね?』
『……そうです』
『そうそう。絶対に間違いないよ』
 子供のようにヘンリーが肯定する。
「……言って良いですか?」
『――どうぞ』
『どんときたまえ』
 二人からの、許可は取った。間違いないことを確認――同時進行で録画しているデータを再確認して、響は大きく、大きく息を吸い込んだ。

「  喧  嘩  両  成  敗  で す ! そんなことで情報戦始めないでくださいっ!」

 会話を傍受していたセディアが、あまりに音量に両耳を押さえた。

『でも、響候補生』
『待った。今は雲竜君の承認が降りているから大佐だよ。イツカ君』
『……響大佐、現在私たちは特に実弾を撃ち合った――』
「今、惑星地球の探査機、誰が制御していると思っているんですか……」
 今度は、響の声に苛立ちが混じり始めている。
「お二人とも、私が制御するだろうと思ったんでしょうけど、もし私がしていなかったらどうするつもりだったんです? 喧嘩するなら誰も迷惑掛からないところでやってください!」
『……ゴメン』
『……配慮に、欠けてました』
「――それで、双方とも退いていただけるんですね?」
『イツカ君が条件を呑んでくれたらね』
『――! 呑みませんよ、絶対に!』
「ヘンリー中将!」
『わ、待った待った。別にアレを着ろということじゃない。そっちじゃないよ』
『では、一体何なんですか?』
 視線だけで、相手を撃沈せんばかりに、イツカが問いただす。
『私たちは絶対、そんな変な体操服なんて着ませんからね!』
『なら、制式だったら着るということだね?』
「『制式?』?」
 響とイツカの声が重なる。
『そう。制式だよ。実は今期から、環境やコストパフォーマンスの見直しの結果、基礎体力運動服が一新されてね。他の艦隊ではすでに承認が入っていたんだが、ウチだけはまだだったんだ。もし、君らが良しとするなら、僕は喜んで艦を退こう……というか、降伏しよう』
 一瞬、イツカが退席する。おそらく、司令部にいる他のメンバーと話し合ったのだろう。
『……了解しました』
『本当かい?』
『本当です。教育艦隊司令部のコマンドスタンプをお返しします』
 グンと、響の間を膨大なデータが通り抜けていく。教育艦隊司令部の承認などに用いられる、コマンドスタンプが転送されたのだ。
『……うん、確かに。それじゃあ、承認で良いね?』
『――はい』
『了解した。それでは、僕は大人しく艦を退こう。イツカ君の所に、接舷すればいいのかな?』
『そうしてください。こちらは、教育艦隊司令部の閉鎖を解除します』
『了解した。……でだ、響大佐。待機命令の解除はいいかい?』
「え、あ……はい!」
 多少置いてけぼりになっていた響は、慌てて指揮杖を握り直した。
「全艦、待機状態を解除してください」
 惑星火星に大量に集まった艦艇が、一斉に散開を始める。



 時は進んで、11月中旬。教育艦隊司令部、第一運動場。
 『イツカ』内で最も大きい運動場のメインポールには、『第24回 秋期大運動会』とある。
 そして、今まさに開会式での教育艦隊司令官挨拶で、全将兵を前に、ヘンリーはマキシマムハッスルしていた。
「諸君!」
 拡声器の許容音量ギリギリで彼は叫ぶ。
「諸君! 僕ぁブルマが 大 好 き だ っ !! 」
 端で聞いていた、イツカが運動服の上着の裾をギュッと下に押し下げた。下は……、
 下はスペースブルーのブルマである。
「……夏の頃な、教育艦隊司令部から、『短パンとブルマの差による、女性将兵の運動服にかかるコスト軽減』というタイトルで、提案が通っていたらしいな」
 響の隣にいた雲竜が、そっと耳打ちした。
「実に微に入り、細を穿った見事な論文だったそうだ」
「……そうなんだ」
 少し前の大立ち会いを思い出して、少し赤面しながら、響はそう答えた。
「つまり、私たち、みんなみんな……」
「さて、どうだろうな……」
 それっきり、雲竜は何も言わなかった。ただ黙って上着の裾について力説しているヘンリーの演説を聞いている。
 その様子を眺めて、響はぽつりと呟いた。
「まぁ、いいよね?」
「――良くないわよ」
 と、響の後ろでセディア。こちらは、シグマ宇宙軍制式の、ライトグレーにコバルトラインのジャージである。
「響ちゃんには、絶対スパッツが――似合うに違いないんだから」


Fin.




あとがき

 すみません、後で書きます……(ねむい……)。

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